前田 豊 著 『玉の井という街があった』

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 ウィキペディアでよると次のようにある。

 玉の井(たまのい)は、戦前から1958年(昭和33年)の売春防止法施行まで、旧東京市向島区寺島町(現在の東京都墨田区東向島五丁目、東向島六丁目、墨田三丁目)に存在した私娼街である。永井荷風の小説『濹東綺譚』、滝田ゆうの漫画『寺島町奇譚』の舞台として知られる。

 先日孫が行っている保育園の生活発表会が、曳舟駅近くの小学校の体育館を借りて行われ、見に行った。駅から学校まで少し距離があり、迷ってしまう。途中「鳩の街」という看板が掲げられた商店街あった。ああ、ここがあの「鳩の街」なのかと思った。
 私は今イラストマップが好きで、目にすると頂いてくる。曳舟駅に京成電鉄が出している「隅田川七福神めぐり」というのがあったのでそれを頂いてきた。そこには玉の井、そして鳩の街の位置も記載されていて、なるほどここが玉の井、鳩の街があったところなのか、位置関係を確認した。

 この地域が新しい私娼街として出発したのは、大正12年(1923)の関東大震災で焼け出された浅草十二階下の銘酒屋群が、大量にここへ移住した結果である。が、実際はこの定説よりももう少し早く、大正7,8年頃、浅草観音裏の道路拡張工事(現在の言問通り)で、追い立てを食らった五、六軒の銘酒屋が、大正道路といわれる白鬚橋から寺島村へ通じる新道の道路ぎわで、商売をはじめたのが呼び水になったようである。

 中でももっとも強力なのが、十二階下の千束町二丁目一帯から、五区の観音裏、六区の大勝館裏にかけて集結した、銘酒屋とよばれる浅草公園の私娼窟である。ここには、全盛時九百軒の娼家が密集し、千七百人の私娼群がいた。
 浅草観音堂を中心とする地域一帯は、江戸時代から奥山の名でよばれ、見世物場としても有名であったが、観音堂の周辺が七区割に分けられ、完全な娯楽場になると同時に、吉原に近い千束町などに自然発生したものが、この銘酒屋であるといわれる。
 銘酒屋という業種がいつごろ発生したかはつまびらかでないが、大正三年刊行の「浅草区誌」によると、浅草界隈の銘酒屋は明治三十年(一八九七)に一二六軒、その後多少の変動があって、大正元年(一九一二)には四五九軒を数えるに至っている。業容は居酒屋の形態をとってはいるものの、実質上酒を売る店は一軒もなく、白首といわれる酌婦が店に出て遊客をひっぱり、気がるに売淫交渉を行った。白首というのはごてごてと首筋にだけ白粉を塗るのでその名が生まれ、以後ほとんど私娼の代名詞になった。

 ところで十二階のことだが、(略)場所は浅草六区の北端、現在の東映劇場(閉館)あたりに当たる。本来の名称は凌雲閣といい、十二階は通称で、楼閣料は大人六銭、軍陣子供半額。構造は十階までが八角形の総レンガ造りで、十一、十二階は木造であった。八階までエレベーターが通じ、三階には当時としては斬新な音楽休憩所(料金二銭)があり、九階には新聞従覧所、十階にはまた休憩所(茶代必要)そして十一階、十二階には見料一銭の望遠鏡は備え付けられていた。 
 なにしろその眺望は、富士、筑波を左右に望み、秩父連山、房総の諸山、東は鴻の台、天気晴朗の日は西は箱根より、北は日光まで望めるといった、関東平野を一望におさめる景観を謳い文句にしていた。
 このような珍しい建築物であるから、見物人は連日ひきもきらず。押すな押すなの行列をつくった。抜け目のないその方の業者がこれに眼をつけぬ筈はない。十二階の帰りには是非こっちの山へ登ってくれというわけでもあるまいが、ぎっしりと銘酒屋群がその周辺に蝟集し、人間ひとりやっと通れるくらいの通路から、酌婦が通行人の袖を引いたのである。
 だが折角の名物十二階も、翌明治二十四年五月、建造後わずか半年で、構造上の不備による危険を理由に、エレベーターの取りこわしを命じられ、目玉商品を失ってしまった。自前の十二階まで踏破するのは、物見高い老人子供の足では、簡単にできるわざではなかった。
 その揚句、持主の福原庄七と電気会社との間に訴訟問題が生じ、客足は次第に減る一方。盛んなのは「下」のほうばかりだった。
 そして創業二十年、関東の大震火災で建物も崩壊し、周辺の銘酒屋と共に灰燼に帰して、こんどは恨みっこなしに「上下」揃ってこの土地から消え失せたわけである。

 「玉の井」娼家群の歴史は浅い。すでに述べたように、大正十二年、浅草観音附近よりの大量移入以降、昭和二十年(一九四五)三月十日の空襲で焼失するまで、たかだか二十数年の生命しかなかったといっても誤りではなかろう。

 実際、玉の井というのはふしぎな街だった。汚なくて、臭くて、みすぼらしい、およそ美というもののないこの場所に、外部からの遊客は独特の魅力を感じたのだ。
 ドブと便所と消毒液の匂い、一年中蚊が至るところでわんわんと唸り生じ、冬は冬で寒風が多角度に吹きすさび、ろくに方向を見定めることもできない。
 この、うらぶれた貧しい場所へ、毎日毎夜、何千何万という人間が、雨の日も風の日も、悪臭をおかしてやってきたのも、言うなれば、玉の井という街の持つ貧しさそのものに、大きな魅力を感じたからに他ならなかったからであろう。ここには吉原など公娼街ではぜったいに得られぬ青春の詩があった。形式張らない安直さが、資力のない若者や遊客に何よりもよろこばれた。

 何しろ娼婦の数は多く、一時期三千人に達したこともある。
 昭和十二、三年ごろになると日支事変も本格化し、出陣の前夜、この地に最後の歌をかたむける歓送の青年団旗などが、娼家の店口に立てかけてあるのをよく見かけたものだ。
 この小窓へ坐る女を業界では「出方」といい、昭和三、四年頃から組合の規定で「出方」は一軒に二人以上置かぬ規約になったが、実際は女中、養女、手伝い等の名目で、予備娼婦を置く家もあった。なかには経営者の細君や妾など、通称「かあさん」が、「主人(あるじ)出方」の形式で客を取る家もあり、「通い出方」と称する世帯持ちの女もいた。
 (東武電車)雷門-玉の井は片道六銭で、夜間は乗客の八〇%が玉の井駅で下車してしまい、あとはほとんど空車同然だったといわれる。

  しかし昭和20年(1945)3月10日の空襲で玉の井は全焼した。ここから鳩の街が生まれる経過が語られる。

 罹災した娼婦たちは一時縁故をたよって四散し、帰農する者、工場労働者になる者もあったが、何しろ空襲時に約四八七軒(一説では五五五軒)一二〇〇人もいた娼婦たちが、いずれも同じ家庭環境を持つばかりとはいえなかった。中には実家や親戚に帰っても住居や食料等の問題で、歓迎されない者もある。
 いきおい食い扶持を稼ぐためには、身に馴れた一番てっとり早い仕事につくより方法がなかった。
 亀有、亀戸、立石、お膝元の玉の井の被罹災をまぬがれた非娼家街の一部である。大正道路(いろは通り)の北側、現在の墨田三、四丁目あたりの非罹災地だ。なかでももっとも多くの罹災娼婦を吸収したのが、のちに「鳩の街」と呼ばれるようになった寺島一丁目の一画である。
 ここは元玉の井私娼街から南へ一キロぐらいしか離れていなかったし、ほとんど罹災をまぬがれた住宅街で、疎開による空家が多く、焼け出された玉の井業者連にとっては垂涎千丈にも達する地域だったのである。

 だれがつけたのかPigeon Street というしゃれた名称が、そのまま時流にあい、人気につながったのも原因の一つだが、ここには吉原や新宿などと異なった伝統も背景もない、新興歓楽地としてのイキのよさが、長い戦争の疲弊から解放された多くの男達に、なによりも強い刺激と魅力をあたえた。

 鳩の街の女は旧玉の井の女と較べてはるかに身なりがよかった。
 それは玉の井が工場街のうらぶれた場所にあるのに反して、附近に向島三業地や数多くの名所旧蹟を擁し、向島という土地自体が江戸時代から一流の場所に位する関係もあったが、原因の多くは、ここで働く女の稼ぎ高と境遇が、物を言ったと解釈したほうが適当かもしれない。
 玉の井時代の女は親のために身を沈める貧困者の娘が多かったが、鳩の街の女は一般家庭の子女が多く、教育があった。売春生活に対する意識も相違して、妙に卑屈にならず、論理的解釈をする者も大いにいたようだ。

 要するに儲かったから女たちは来たのである。
 その後玉の井、鳩の街が消滅していった経過を語ると次のようになる。
 終戦を迎えると、「女体ベッド作戦」と称する、進駐軍の兵士から一般婦女子の貞操を守るための、職業女による防波堤の施設の設置が官民で考えられた。
 終戦後二週間足らずでR・A・A(特殊慰安施設協会 Recreation・And・Amusement・Association)の名の元に全国売春業者首脳部、料理飲食業組合幹部、その他、関係官庁役員等で、皇居前広場に設立宣言式が行われた。
 ところがそれから1カ月も立たぬうちに、各慰安所の一斉検診が行われ、翌21年3月10日にR・A・Aの全施設に対して進駐軍が「オフ・リミット」(立入禁止)の黄色い看板を掲げた。さらに翌22年1月15日には、それまで女によろしく頼むと低姿勢一点張りの政府や役人が手のひらを返して「婦女に売淫させた者等の処罰に関する勅令」を出す。
 昭和24年5月31日には東京都は「売春取締条例」を制定し、これが全国に広がる。昭和27年(1952)講和条約の発効と同時に日本は独立国になり、「日本の恥部」を廃するという婦人議員たちによって同30年に売春防止法が国会に上程された。この時は否決されたものの、同31年5月21日は可決された。そして売春防止法実施の33年3月31日を最後に玉の井の灯が消えていく。

前田 豊 著 『玉の井という街があった』 筑摩書房(2015/07発売) ちくま文庫


by office_kmoto | 2017-07-24 05:48 | 本を思う | Comments(0)

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