川本 三郎 著 『旅先でビール』 『ちょっとそこまで』

 今回の川本さんの本は2冊とも紀行文だ。紀行文と書くと大袈裟になってしまうが、川本さんの場合、書名にもあるように、「ちょっとそこまで」と身近な土地に、あるいは同じ東京でも下町とか、そうした近場に求める。それがいい。というのも大袈裟な旅というのはどうしても構えてしまうところがあって、ときにそれがしまいに鬱陶しくなってくるときがある。ところが近場というか、都内なら、ちょっと散歩気分で出かけられる。そういうのがいい。
 もちろん気楽な一人旅なんていいかもしれない。好き勝手に行動出来るのがやっぱりいいな。

川本 三郎 著 『旅先でビール』 『ちょっとそこまで』_d0331556_05573306.jpg 
『旅先でビール』にはこうある。


 前からきちんと予定を立てる、というよりは、思い立ったらすぐにという旅が多い。当然、ひとり旅になる。人と一緒の旅だと、それぞれの予定があるから、なかなか時間が折り合わない。ひとりだと思い立った時に旅に出られる。
 フリーの文筆業である。
 フリー稼業の数少ない特権のひとつは、世の多くの人が働いている平日にひとり旅が出来ること。その自由を失いたくないから、経済的には不安定であっても、フリー稼業を続けているのだともいえる。
 もともと人付き合いは得意ではない。
 宴会は好きではないし、パーティーも出来れば避けたい。付き合いでカラオケに行くなどまっぴら。ゴルフもやらないしマージャンもやらない。世の多くの人のすることを、ほとんどしない。
 かわりにひとりで町を歩く。日本の田舎町を歩く。ローカル線に乗る。漁師町の居酒屋で飲む。温泉につかる。









川本 三郎 著 『旅先でビール』 『ちょっとそこまで』_d0331556_05592547.jpg 
同じようなことが『ちょっとそこまで』にも書かれている。


 私は旅は好きだが山登りはどうも苦手だ。山頂をきわめるという無償の行為がダメなのである。それが山の向うには温泉がある、人里がある、湯と酒が待っていると考えると急に元気が出てくる。山道を歩くのも苦にならなくなる。


 汽車の旅だと乗っている時間より待ち時間のほうが多いことがある。


 こういうのはせっかちな自分は我慢できないかもしれない。


 川本さんの本を読んでいると、どうしてもパソコンを立ち上げておかないとならない。というのもそこに出てくる場所、土地の由来、歴史、あるいはその土地にまつわる小説など、ついつい興味が湧いてしまい、もっと知りたいという気持ちになる。だから詳しいことをネットで調べることになる。なのでどうしてもかたわらにパソコンが必要となるのだ。
 紹介してくれる本も、次から次へと読みたくなり、そのまま区の図書館サイトに行って、ネット予約する。おかげで自分の本棚から本を読むことが出来ずに困っている。


 都市は都市計画などに吸収されないはみだしたイレギュラーな部分を必ず内包する。どんな整備された駅前広場にも必ず屋台のラーメン屋やおでん屋がやってくる。新しいビルのならぶ、メインストリートの裏側には昔ながらの飲み屋街が広がる。それらの町が、中心へ中心へと流れる求心的な人の流れとは違う、外側へ外側へ、奥へ奥へという遠心的な人の流れをつくりだす。(『ちょっとそこまで』)


 かつて美濃部都政のとき高度成長の合理主義で都電を次々に廃止していった。万事、能率主義でことを片づけていく社会は息苦しくなるばかりだ。(『ちょっとそこまで』)


 こういう文章を読んでいると、効率性や利便性、あるいは機能性とかで割り切れない人の気持ちというのが必ずあって、それはそういうものからはみ出てしまう。人の気持ち、気分などは簡単に計画的に割り切れないものだと思う。机の上で計画されたものは、どこか無個性なところがある。そうだから誰でも受け入れられるというところはあるかもしれないが……。


 某洋酒メーカー広報室の人の話だと、愛知県というのは日本でいちばん酒の売上げが悪いところだそうだ。これは、一、愛知県人ケチ説と、二、トヨタのお膝元なので車が発達しすぎているため……説の二つの説明がされている。(『ちょっとそこまで』)


 これは笑った。

 ところで川本さんは私より世代が一つ上だと思うが、それでも川本さんの子ども頃の話など、まだ私が共有できるところがあって、それを読むと懐かしい気分になれるのもうれしい。


 小学生の頃、社会科の教科書には、石炭の重要さが図解で記され、いかに石炭が国を支えているかを教えられた。教室では、冬になると石炭ストーブで暖をとった。ストーブ係が毎日、校庭の隅の石炭置き場まで石炭を取りに行った。
 「コークス」という石炭を燃やしたあとの炭も使った。(『ちょっとそこまで』)



 これは川本さんが夕張へ行った時の話なのだが、確かに私が小学校の頃も石炭ストーブであった。校舎も木造であった。(私が小学校を卒業した時、鉄筋の校舎が完成し、私たちはその新しい校舎に入れなかった)
 私の時は日直がコークスを口の広がったバケツみたい容器にそれを毎朝取りに行った。コークス置き場は校舎の裏側にあって、雪が降った朝は、コークスに雪がうっすらと積もっていたりした。
 石炭ストーブが出た頃は、校庭にあったイチョウから落ちた銀杏をコークスをくべるスコップに上に置いて焼いたりして食べた。確かストーブの周りには金網で囲ってあったはずだ。ストーブに上には大きなやかんが置いてあって、いつもそこから湯気がでていた。
 コークスが石炭を燃やしたあとのものとは初めて知った。


川本 三郎 著 『ちょっとそこまで』 彌生書房(1985/07発売)


川本 三郎 著 『旅先でビール』 潮出版社(2005/11発売)

by office_kmoto | 2017-09-30 06:06 | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


by office_kmoto