安住 孝史 著 『東京 夜の町角』

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 画文集である。
 しかし安住さんの描くこの鉛筆画はすごい。こんなに細かく描くには相当の根気が必要だったんじゃないかと思った。

 僕は、一本の鉛筆にこだわって絵を描き続けて来ている。絵には色彩はほどこさない。黒鉛筆一本やりの細密描写に徹している。絵の値打ちは画材によるものではなく、一枚の画面に対する「おもい」の深さなのだと思っているからだ。何処にでも転がっている、誰もが使ったことのある簡単な材料で、世界一素晴しい絵画が作れたら……と思っている。
 それともう一つのこだわりは、夜景ばかりだということである。たしかに銀座・新宿・六本木の盛場の夜は眩いばかりに明るい。しかし、きらびやかなネオンの影にも、闇は厳然と存在している。そしてその闇は、心の中のおどろおどろした闇へと連なっていく。夜は恐いものなのだ。そして夜道に光る小さな灯りの温かさは、鉛筆の持っている温かな色に似ていると思う。

 著者は絵を描いて生きていくことを決意するが、生活を両立するために様々な仕事に就いてきた。一時は挫折もし、絵筆を取らなかったが、タクシー運転手になって、友人からもう一度絵を描くことを勧められた。

 タクシー運転手をしながら絵を描き始めたが、タクシーの小さな箱の中に人々の営みは、僕に人間に対する“いとおしみ”を深めさせていた。寝静まった街の片すみに車を止めて、人間の生活に“おもい”を寄せる時、どのような画材ででも確固たる絵画が作れるという確信が心の中に広まっていった。

 僕は美しい山や川の景色よりも、何げない日々の中の風景の方が好きだ。人間の営み、人に対するいとおしみが絵を描く出発点だと思っている。道具も特別なものはいらない。一本のエンピツがあれば良い。何処にでも転がっている材料で、何処にでもある、ありふれた風景を描くことが性に合っている。

 著者のあとがきを読んでみると、ここに掲載されている鉛筆画はタクシー運転手時代のもののようで、運転の合間に夜の町を描いたものなのだろう。
 絵は夜の町である。従ってほとんどの絵には人物は描かれていない。描かれていても原宿駅の二人連れだけだったり、夜の巣鴨のうなぎ屋でうなぎを焼き上がるのを待っている客の後ろ姿だったりする。原宿駅の二人連れの絵はいいものだ。後ろ姿しかわからないが、年輩の二人連れにように見える。女性が男の腕を取っている。
 ちょっといい話も書かれている。

 「絵描きさん、電灯を点けてあげましょうか」。床屋さんの家を描いている僕に後ろから声が掛かった。人さまの家の入口の所で絵を描いているのであるが、薄暗がりで絵を描いていたので、家人が気を利かせて声を掛けて下さったのである。
 絵を描いていると思い掛けぬ人の心のやさしさにふれることがある。暑い夏の盛りにがだまってコーラを下さった人もあるし、草臥れたらお座りなさいと椅子を出されたこともある。銀座の路地裏を描いていた時のこと、絵を描き終ったらお茶でも飲みなさいと、お店のおかみさんが紙切れをポケットに入れた。描き終えてポケットを見ると、四ツに折った千円札が入っていた。

 この柳橋でも通るたびに想い出される人がいる。――橋を渡ろうとする際で、仲居さんに、東京駅八重洲口までお客様を頼みますと呼び止められた。駅まで六百円ちょっとの距離だったが、仲居さんは千円札を出し「お釣は結構です」と丁重であった。待つほどに、客が女将に案内されて来た。映画「男はつらいよ」に出演している午前様の笠智衆さんであった。僕は好きな俳優さんだったから、にこにこと運転した。駅について「料金は前に頂戴してあります」と言ってドアを開けた。けれど笠さんは降りて来ない。ドアーを少し開け放して待っていたが、何かごそごそと音がし、振り返ると、小さな小銭入れに指を入れて、探し物しているようであった。何をしているのだろうと訝っている僕に、やがて五拾円玉を一つ差し出し、「おつかれさま」と言った。笠さんの誠実さと温もりの伝わる五拾円玉であった。僕の胸のポケットの免許証にそれを仕舞うと、得意気に夜の町へ車を出発させた。

 笠さんの五拾円玉を渡して「おつかれさま」という言葉掛けもいいが、運転手としての著者の言葉遣いもいいものがある。「料金は前に頂戴してあります」という「頂戴」という言葉は今の人は使わなくなっているのではないか。

安住 孝史 著 『東京 夜の町角』 河出書房新社(2001/10発売) 河出文庫


by office_kmoto | 2017-10-29 06:26 | Comments(0)

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