北尾 トロ 著 『欠歯生活―歯医者嫌いのインプラント放浪記』

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 トロさんの歯の状態が悪いこと、そしてインプラントで苦労してきた話は、以前トロさんがやっていた古本屋のブログを読んで知っていた。

 この本の話に入る前に、懐かしくなって書きたくなったことがある。初めてブログを始めた頃の話だ。
 私がブログを始めたのは、勤めていた本屋のホームページの管理者となった時だった。内容は本屋の紹介、新刊、話題の本の紹介といったありふれたものだった。ただ現場からホームページに掲載すべきものがあがってこないこともあって、なかなか更新できず、つまらないものであった。これじゃまずいな、ということで、私が読んだ本の感想や、個人的な話を載せることで、何とか体裁を保つことにした。これが私がブログを始めたきっかけで、以来舞台を三度変えて今に至っている。

 そのとき私もちょうど歯の治療をしていた頃で、トロさんのブログに触発されて、私の歯のことを書いていた。だからこうしてトロさんの歯のことが1冊の本となっては読まないわけにはいかないのである。

 「欠歯」とは“けっぱ”と言っている。もちろんトロさんの造語だ。この本はトロさんが30代前半に入れ歯はインプラントかの選択に迫られ、自意識過剰のため、入れ歯は嫌だ、ということで、インプラントを選択する。ところがそのインプラントが悪かったのか、その根元のネジが折れてしまう。以来他の箇所も悪くなり、59歳までにインプラントが7本となった。その放浪記である。

 「ぼくの口内にはインプラントの歴史が詰まっていますから」

 インプラントを最初に入れた歯医者では折れた歯を治すために駆け込んだが、そこでは治療費がインプラント5本で外車が買える値段を提示され、これはダメだとセカンドオピニオンで歯科大病院へ通うことになった。ここでいい医者に恵まれ、最終的にインプラント7本で国産車が買えるぐらいとなった。

 トロさんが歯医者が嫌いな訳を次のように書く。

 できうる限り歯医者に行きたくないという気持ちが、いまだに克服できないでいるのだ。ぼくは歯医者が怖いのである。

 日々コンスタントに使われる歯は、ある日突然調子を崩して痛み出すのではない。徐々に悪化し、異常を知らせるべきとカラダが感じてSOSを発するのだ。たいてい“弱者”にありがちなのは、予兆を感じても見て見ぬフリをする傾向だ。なかったことにしてしまう。そして、いよいよ我慢できなくなるまで放置し、歯医者に駆け込む。その分、悪化しているので治療は長引いたり、痛みを伴ったりする。
 こんな悪循環を長年続けるとどうなるか、虫歯になった箇所を削るところから始まり、詰め物をしたり、金属をかぶせたりして、とうとうボロボロになり果てる。
 根っこまで虫歯にやられた歯、圧力に耐えきれず割れてしまう歯。そして、ついに歯医者の鬼の一声が響く。
 「抜くしかないですね」
 だいたいこんな流れで、“弱者”は歯を失う。自前で何とかならないものかと焦っても、もはやどうにもならない。万事休す。

 トロさんはこの典型だった。そして私も。ただ、歯医者が好きな人がいるのだろうか?

 歯医者や歯科治療に関していい思い出がひとつもないぼくは、歯のこととなると極端に気持ちが萎縮し、徹底的に守りに入ってしまう傾向があるようだ。

 まったく同じ。
 トロさんが専門医と対談しているが、その中で医者は次のよう言う。

 小さいときに受けた治療って、なかなか取り返しがつかないんですよ。小さい頃に悪い治療を受けてしまうと、あとはもう、崩れていくだけなんですよね。

 これを読んだ時、やばいなあ、と思った。私も小学生の頃かなり荒い歯の治療を受けてしまった。というか、ここの歯医者は学校医でもあり、昔は今みたいに歯医者がどこにでもあった時代ではない。母親に連れられて行った記憶がある。
薄暗い待合室、大きな掛け時計、大声を出す医者。手荒い治療。いっぺんに歯を3本まとめて抜かれ、口が血だらけになった。そのトラウマが私にはあり、歯医者はもう出来る限り行きたくない、というのが染みついてしまった。もしこの専門の先生が言うことが事実なら、私の歯が悪いのは、歯の質が悪いところにこの時の治療がおかしかったことが加わっている可能性がある。そしてそれよりもなお、あの時の荒い治療が歯医者嫌いを増長したと思っている。

 もう何年になるだろうか。前歯が折れてしまった時は本当に焦った。それまでいくつもの歯医者に通ってきた。けれどそれは痛みを取ってもらう。あるいは虫歯を治してもらう。といったその場限りの通院であった。なにせもともと歯医者が大嫌いなのだ。
 だいたい歯医者って勤務地に近いところを選ぶことが多いのじゃないだろうか。ところがその勤務地が人生において転々とする。それまで通っていた歯医者には通えなくなる。歯が痛み出しても、また歯医者嫌いが頭をもたげ、そのうち面倒になり歯医者に行かなくなってしまう。
 私の場合こういうことであった。痛みを感じたら、薬で誤魔化してきた。もちろん今みたいにケアもしていない。歯の質は悪い。おそらくいつ折れてもおかしくなかったのだろう。そこに固いフランスパンをかじったことで、前歯が折れた。
 前歯が折れるというのは見た目には最悪である。慌てて近所の歯医者に駆け込んだ。その時インプラントの話が出た。1本30万円だった。さすがにこれにはびびった。そこでセカンドオピニオンとして選んだのが今通っている先生のところだった。
 先生が見るところ、折れた前歯の根元はしっかりしている。だから差し歯で大丈夫だろう。ただ前歯は保険が利かない。1本10万円となった。そして何よりもこの先生が強調したのは、日々の歯のケアであった。「人間死ぬまでに自分の歯が何本残っているか。それが大切だ」と言ったのである。これが今でも記憶に残っている。だからそのケアを助けるから、今後もメンテナンスに定期的に来て下さいとも言われた。

 これが昔のブログの中で書いた私の歯の歴史であった。
 このブログは本屋が閉店してしまったので閉鎖され、私の“歯医者の遍歴”も途中で終わった。
 以後簡単に書けば、しばらくこの先生のところへ通っていた。決められた検診にも最初は真面目に行っていたが、そのうち忙しくなって、歯医者に行く間隔が延びていく。だんだん面倒になっていたら、この先生がやっている歯科医院の廃業の知らせが届いた。
 でも前歯ちゃんとくっついていて問題はないし、先生に言われたように毎日きちんと歯のケアもしていたし、歯痛で悩むこともなかったので、まあいいや、とまた思ってしまった。
 ところがその前歯が取れてしまったのである。またまた焦った。かかりつけ医を失っていた私は、どうすればいいのか。この先生を探した。たまたま先生がやっていたブログがあって(だいぶ更新されていなかったが、サイトは残っていたのである)それを見つけた。
 先生は自分の歯科医院を廃業した後、他の歯科医院に勤めたようで、そのことが書かれていた。すぐその歯医者に電話すると、辞めたと言われた。ただ内幸町でまた開業したと聞いている、と教えてくれたので、さらにネットで調べると、内幸町で先生は開業していた。メールで昔お世話になったものだが、先生が付けてくれた前歯が取れてしまいました、と書いたら、先生は私のことを覚えてくれていて、すぐ来て下さいという返事をもらった。
 当時私の勤務地は秋葉原であった。新橋からあるいて20分ほどで内幸町に行ける。会社から通うには問題ない距離だ。すぐ先生のところへ行き、外れた前歯を付けてもらった。以来この歯は現在もちゃんとしている。そしてまた定期的に検診へ通うことする。その都度、小さな虫歯など治してもらい、歯槽膿漏のケア等してもらう。
 ところがこの先生、また内幸町の医院をまた閉めてしまう。さすがに呆れてしまった。この先生放浪癖があるのかもしれない。ただ今度移転して来たのは、私の地元でもあった。私も会社を辞めているので、これは助かった。
 あちこち移るのにはそれなりのわけがあるのだろうと思うことにした。少なくとも私の歯を何とかここで食い止めてくれているのはこの先生だし、なんと言っても、私の中に死ぬまで自分の歯を何本残せるかを、その大切さを教えてくれたのはこの先生である。そして先生のところへ通うようになってからは、歯を失っていない。差し歯もいつも見てくれている。今は半年に一回検診に行き、状態をチェックしてもらっている。
 ちなみに私は入れ歯であるが、それもいつも状態を確認してくれている。

 トロさんは大学病院でいい先生に出会った。こういう風に良い先生に出会えることが、歯に限らず、からだのケアには必要だ。からだのあちこちにガタガ来ているので特にそう思う。

北尾 トロ 著 『欠歯生活―歯医者嫌いのインプラント放浪記』 文藝春秋(2017/05発売)


by office_kmoto | 2017-11-24 19:33 | Comments(0)

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