平成29年12月日録(上旬)

12月2日 土曜日

 晴れ。

 娘と孫が来る。今日娘は午後から出社なので、その間孫の面倒を見る。
 孫と一緒に買ってきたクリスマスリースに拾ってきた松ぼっくりやどんぐりを付け、白いマジックで雪に見立てて色付けをする。それを部屋の入口の扉に飾り付けた。
 こういうことは初めてやったが、それらしく雰囲気が出る。


 12月3日 日曜日


 晴れ。

 午後から甥の結婚式なので、昼前に娘たちは帰る。孫はもう少しこちらにいたかったようだ。今度クリスマスの時、プレゼントも用意しておくから、いっぱい遊ぼうと言っておく。
 娘たちと駅で別れ、そのまま車で新浦安の式場へ向かう。豪華な結婚式であった。甥が生まれたときは、我々も近所に住んでいた。だからというわけではないが、あいつがもう嫁さんをもらうのかという気持になり、感慨もひとしおであった。
 披露宴では弟の隣の席であったが、弟が来てくれた人にビールを注ぎに立ってしまう。逆に弟に注ぎに来てくれる人が、席に弟がいないため、手持ち無沙汰となってしまい、結局私が兄ということで、それを引き受けることになり、飲み過ぎてしまった。
 家に帰り撮った写真をパソコンに取り込み、見てみると、甥も弟もいい顔をしていた。


12月4日 月曜日

 曇り。

 昨日の疲れが残る。一日だるくて仕方がなかった。本の返却日が迫っているので、読まなければならいのだが、さすがに今日はページが進まなかった。

 昨日の写真はサイズが大きいので、圧縮してGoogleのドライブに入れ、弟に送る。弟もいいアングルの写真を送ってくれたといって喜んでくれた。


12月5日 火曜日

 晴れ。

平成29年12月日録(上旬)_d0331556_06413582.jpg 芝木好子さんの『春の散歩』(講談社 1990/03発売 講談社文庫)を読む。この本は読みたかった。ただ古い本なので江戸川区の図書館に蔵書しておらず、江東区の図書館で借りた。

 芝木さんはかなり行動的で、積極的に海外にも出かけて行くのはちょっと驚きであった。私が読んできた芝木さんの小説は昔の女性を描いていたし、日本の伝統や習慣を生きる女性の姿がそこにあった。だから勝手に芝木さんを古いタイプの日本人女性と思い描いていただけに、意外にかんじてしまったのだろう。
 もちろん日本の伝統の帯紐の美しさ、染色の色具合などの話もある。正倉院の組紐の復元の話や、東大寺の幡などは『隅田川暮色』の世界であった。
 そんな中貝紫の話に興味を持つ。芝木さんの作品に『貝紫幻想』という作品があるので読んでみたくなった。

 今年最後のさつきの消毒をする。本当はもう少し早くやるつもりでいたのだが、消毒をやろうと思うと、次の日が雨の予報が出ていて、機会を逸してしまって今日になった。後は来年の3月まで何もしなくていい。

 今日から年末の大掃除を始めた。例年12月中旬から始めるのだが、いつも途中で予定が入り、ギリギリまで掃除をする羽目になるので今年は早めにスタートした。とにかく我が家は窓が多く、その窓一つ一つに網戸が付いている。一階、二階とすべての窓、網戸を一人で受け持っているので、窓拭き、網戸を洗うのも結構大変なのだ。
 幸い今日は暖かかったので、水を使うのは苦ではなかったが、明日からまた冷え込むという。冷たい水に手をさらしていると、もうすぐ今年も終わるんだなあと思う。


12月6日 水曜日

 晴れ。

平成29年12月日録(上旬)_d0331556_06421768.jpg 常盤新平さんの『ベストパートナー―「夫婦」という名の他人』(講談社 1996/07発売 講談社ニューハードカバー)を読む。
 常盤さんが語る夫婦とは、というのがこの本である。別に夫婦とは何かなど考えてこの本を読んだわけじゃない。単に常盤さんの本だから読んだというだけのことである。
 そしてこの本の結論は副題にあるように夫婦といえども他人ということであり、それを自らの夫婦関係、家族関係から語るだけで、今さらという気分になる。
 常盤さんは2回結婚をしている。子供を捨てての再婚らしい。そんな常盤さん自ら再婚者に夫婦を語る資格はないと言いつつも語っている。ただどこか鬱屈しているのがわかる。ここにあるのは一種の「諦め」が強く滲み出ている。そんなものばかり読んでいて一向に面白いわけがない。
 で、仕方がないのでいつものように言葉を拾う。


 自分に素直に生きることは、自分勝手に生きること、身勝手に生きていくことなのである。(失敗を恐れず)


 真実などというものは、光の当たり方次第によっていかようにも見える。これこそが真実だろう。(ゼロからのスタートが苦手な男たち)


 諦念は、悟りの大きな一歩である。(新しい常盤家の味)


 幸福なんて、言葉だけのもので、互いに折り合って生きていくしかないのである。(親しき仲にも礼儀あり)


 これだけ拾い出してみてもわかる通り、苦々しく、投げやりな感じが拭えない。そろそろ常盤さんの本を読むのもおしまいでいいかも、と思った。

 これで江東区の図書館で借りた本3冊をやっと読み終えた。ここのところ本を読むペースが落ちてきていて、思うように読めない。自分では余裕を持って読めると思い、3冊借りてきたのだけれど、ギリギリになってしまった。しかも地元の図書館で借りている本も2冊あって、1冊はまだ手を付けていない。返却日が近づいているので、ネットで貸し出し延長の手続きをする。本を借りるのも少し考えないといけないようだ。

 明日また荒川を渡って本を返しに行く予定。


12月7日 木曜日

 晴れ。

 江東区、江戸川区の図書館に本を返しに行く。江戸川区図書館では本を返却後、また2冊借りてくる。ここのところ図書館で本を借りてばかりいて、自分の本を読んでいない。これはまずいなあ。


12月8日 金曜日

 曇り、夜雨。

 一階の窓拭き、網戸を洗う作業は終わった。
 一家の居間の北側が出窓になっている。そこに亡くなった義父が気に入っていた博多人形がある。ガラスケースに入っているのだが、それが劣化のためかなり痛んでいた。そのことは昔から知っていた。義母から何とかして欲しいと妻が言われているのを私も聞いていたが、忙しかったし、面倒であったので、知らん顔をしていた。
 で、昨年ケースの状態を見て、修理できそうだとわかったので、今年直してみた。取れてしまった板などセロテープで補修してあったが、それも劣化してボロボロになっていた。とりあえずガラスをすべて外し、ガラスクリーナーで汚れや埃を取り、後は劣化している背後のベニア板、三方のガラスを支える支柱をボンドを付けて底板に固定する。
 やってみると30分ぐらいで直った。ガラスもきれいになったためか、中の人形が映える。
 人形ケースをなんとかして欲しいと頼んだ義母は今、施設に入っているので、本当は元気な時に直してやれば良かったかな、と思ったが、当時こっちにはこっちの事情もあったのだから仕方がなかった。


12月10日 日曜日

 晴れ。

 イオンに行く。大坂にいる甥っ子の今年生まれた子供のクリスマスプレゼントを買いに行ったのだ。といってもまだクリスマスプレゼントなんてわかりやしないのだから、適当に買えばいいじゃん、と思っていたが、同じものがあっても困るだろうし、とあれこれ悩むことになる。結局外国のお風呂で遊ぶおもちゃを購入。外国製だからそうそうダブルこともなかろうということでそうした。ついでにわが孫にもおまけでクリスマスプレゼントのお菓子も買う。おまけとはもう彼女が欲しいといっていたプレゼントがもうアマゾンで買ってあるからだ。

 年賀状印刷をするため、プリンターのインクも購入。イオンは他の店より安い。しかも会員割引も利いて、さらに安くなった。本当は四色買いたかったのだが、シアンだけ品切れという。残念。

 佐藤健二さんの『浅草公園 凌雲閣十二階―失われた“高さ”の歴史社会学』をやっと読み終える。


12月12日 火曜日

 晴れ。

 久禮亮太さんの『スリップの技法』を読む。


12月15日 金曜日

 曇り。

 整形へ首の牽引へ行く。一週間に一回の割で通っているが、最初はこんなの効果があるのかいな、と思いつつ、通ってきたが、ここのところ首の痛みは以前に比べて和らいでいる。
 しかしこれっていつまで通えばいいんだろう?自分でもういいや、と思ったとき、勝手に止めていいんだろうか?恐らく完全に治ることはないだろうから、適当なところで折り合いをつけていいんだろうか?



by office_kmoto | 2017-12-16 07:44 | Comments(0)

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