浅田 次郎 著 『おもかげ』
2018年 02月 09日
この物語はそんな竹脇の魂が集中治療室のいる肉体から解放され、自らの六十五年人生を振り返るとともに、竹脇に周りにいた人々が竹脇との関わり合いを振り返る。その悲しい人生の物語である。
意識を失っている自分が、無意識下でも渇望しているものをリアルな夢に見ているのである。
依然としてこの事態が夢なのか現なのか、あるいはダメージを受けた脳が作り出した仮想現実なのか、見当もつかない。もっとも、これほど心地よくて面白いのだから、どうだっていいのだが。
つまり、恐怖や苦痛がかけらもない。それどころか、こんな幸福感はかつて経験したことがなかった。
集中治療室から始まる竹脇自身が自らの人生を振り返る魂の小旅行には、ナビゲーターたちがいた。その一人、榊原勝男ことカッちゃんは竹脇の横のベッドで眠っている。そのカッちゃんの魂に連れられて、銭湯に行き、屋台で酒を飲んだ。竹脇は屋台で自分のこれまでの人生を話す。
竹脇は親の顔を知らない。昭和二十六年のクリスマスに捨てられ、施設で育った。そしてカッちゃんも戦争孤児として生きてきた。そんなカッちゃんが竹脇の人生を知って、言う。
「他人の人生をとやかく言うほど偉かねえがよ。あんた、できすぎだぜ」
うん、とカッチャンは肯いた。
「自分よりマシだ、と言いたいのですか」
「ついでに頭の血管も切れました」
「そりゃあ仕方がねえなあ。頑張ったからどうにかなるってもんでもあるめえし」
笑い合うと、気まずい空気が和んだ、カッちゃんはおそらく、「頑張った」という一言をうまく言えなかったのだろう、と僕は思った。何とも臭みが強すぎて、料理しづらい言葉である。
孤児として生きていくのにこれまで苦労してきた。
僕は物心ついたとたんから、周囲の誰彼かまわずそう言い続けなければならない立場にあった。僕にとってアリガトウゴザイマスは、感謝の言葉である前に、自分が生きてゆくために唱え続けなければならぬ、呪文のようなものだった。
カッちゃんは言う。
「わすれなきゃてめえが生きていけねえってこともあるぜ」
今竹脇の傍で付き添う妻節子。節子との結婚時を思い出す。竹脇は婚姻届を提出する前に節子に自分の戸籍謄本を見せた。自分の生い立ちを伝えるのには謄本を見せることが一番良いと思ったからだ。
それで二人していそいそと区役所に向かったのだが、書類を提出する前に節子の了解を得ておかねばならぬことがあった。僕の不可思議な戸籍である。改まった話にはしたくなかったので、通りすがりの喫茶店に入った。
僕は親を知らなかった。節子には幼いころに両親が離婚して、なおかつそれぞれが再婚してしまったという事情があった。だが、たがいの身の上話をした記憶はない。不要な詮索をしなかったのだと思う。
しばらくさしさわりのない会話をしてから、僕はいかにも思いついたようなふりをして、戸籍謄本をテーブルの上に置いた。すると、節子もバッグの中から自分の謄本を取り出して、まるでカードでも切るように並べた。
そうして僕らは、あまり話題にしなかったたがいの来歴を確かめ合ったのだった。
節子の戸籍は複雑だがわかりやすかった。ずいぶん前に生母が除籍され、すぐ継母が入籍し、三人の弟妹が生まれていた。そのうえ生母まで再婚して子供をもうけたのなら、節子の居場所はどこにもないはずだった。
内心、節子をかわいそうだと思った。僕には気に病むほどのしがらみは何もなかった。
それに引きかえ、僕の戸籍は至ってシンプルだった。いったいどこに、これほど空白だらけの戸籍謄本があるだろう。
本籍地は養護施設の所在地である。次の欄には、「棄児発見調書」なるものの提出された日付が記されている。昭和二十六年十二月十五日という誕生日は推定である。父母の名は空欄。続柄には「長男」とあるが、根拠はあるまい。
調書の内容は記載されていない。実に天から振り落ちてきたとしか思えぬくらい、芸術的なほど簡素な戸籍だった。
しかし節子はそれを長いこと読んでいた。まるでその空白の部分に、喪われた太古の文字を読み取ろうとでもするかのように。
ようやく熱帯魚の水槽に目を移すと、節子は無言で涙を流した。僕を憐れんだのか、自分を憐れんだのかわからなかった。
―それでいいか。
僕は言った。
――いいわ。
節子が答えた。
僕らの間にはついぞなかった、愛の告白やプロポーズや結婚式は、すべてその瞬間に成就された。
節子もそれまで行き場所ない人生を歩んでいたのであった。竹脇と節子は悲しい人生を歩んできたが、それでも二人を理解する人たちに囲まれていた。
社長の堀田憲雄は同期の竹脇正一を見舞うため、車を病院に向かわせた。同期として竹脇の病院での姿に慟哭した。また同じ施設で育った幼なじみの大工の棟梁永山徹も病院に駆けつけた。
なあ、正一。
いいかげん目を覚ましてくれよ。他人みたいな顔をしているが、夜は眠れないし、飯も咽を通らない。酒もまずい。タバコだけが倍になった。
ずいぶん気持ちよさそうな寝顔だが、おまえまさか、変な納得をしているんじゃなかろうな。
これでいいとか、上出来だったとか、もう思い残すことはない、とか。
そんなはずはないぞ。会社のことや家族のことはさておくとしても、おまえのまだまだ不幸の分を取り返しちゃいない。
精いっぱい働いて、退職金もしこたま貰って、女房子供も幸せだろうが、おまえの人生はまだ釣り合っちゃいない。納得するのはこのさき二十年か三十年、悠々自適の年金生活を送ってからだ。
そういう人生ならば、俺だって四の五の言わず笑って送り出してやる。
まだだ。まだまだだ。
俺たちがどんな思いをしてここまでたどり着いたか、よく考えてみろ。
戦後復興が何だった。東京オリンピックが何だった。高度成長なんて、俺たちにとっちゃまるで他人事だったろう。
それまで頑張ったとは言わない。努力をしたかどうかなんて、わからない。ただ、世間の人に片ッ端から頭を下げなければ、生きられなかったのはたしかだ。
そんな人生を、取り返したはずないぞ。
棟梁永山の下で働く娘婿の大野武も病院にかけつけた。タケシは竹脇の娘茜と結婚する前に竹脇とかわした話を思い出す。
――俺、ダメですか。
――ダメじゃないよ。ちっとも。
――親とか、いねえし。
――それがどうした。
――歳下だけど。三つも。
――金のわらじさ。
――え。何すか。それ。
――歳上のかみさんを貰うと、男は出世するんだ。
――その親方が、まちがいないと言っている。
――当たり前だ。生まれてくるとき、何か持っていたか。
――けど、途中でいろいろ手に入れる。
――死ぬときは何も持っていけない。
そんなタケシに永山は、
「いいか、タケシ、義理は義務だぞ」って。ふだんは小難しいことなんて何も言わねえのに、親方は貸衣装の紋付を掴んで、はっきりとそう言った。
血の繋がった親子ならテキトーにやったって許されるけど、義理の仲なら何だって義務だ。たぶんそういう意味だろうと思う。
看護師の児島直子は救急から引き継いで運ばれてきた竹脇の顔を見た時、衝撃を受けた。
初めて出会ったのは、二十年くらい前だった。
直子は人並みに恋もしてきたが、仕事の関係で、そして仕事に真摯に取り組むため、長く続いたことはなかった。
でも竹脇さんとは二十年も一緒だった。言葉もかわしたことも、目が合ったことすらないけれど、竹脇さんは直子の人生の一部だった。
だから、毎日お見舞いにきているガテン系のおじさんに、竹脇さんの生い立ちを聞いたときはショックだった。
竹脇の意識は戻らなかった。そしてカッちゃんに死の迎えが迫る。竹脇とカッちゃんの魂は地下鉄へ向かい方向が違うホームで別れる。
東京に生まれ育ったか長く住んだ人間なら、誰もが一度や二度は地下鉄のプラットフォームで人と別れたことがあるはずだ。手も握らず声もかけず、ただ線路を挟んで見つめ合うだけの別れは、東京の夜によく似合う。
そしてカッちゃんが戦争孤児として生きていた時の女親分として君臨していた峰子が竹脇の魂の小旅行のナビゲーターとして登場する。竹脇とすれば、ここで「峰子」が現れるのは当然のなりゆき、という気がした。
「いろいろ大変でしたね」
「本当のところ言うと、大変でした」
峰子が頬をこすり合わせて肯いた。それから、六十五歳の僕に戻って本音を吐いた。
「だから、もうこれくらいで勘弁して下さい。このまま死なせて下さい」
ああ、と命を吐きつくすように嗚咽しながら、峰子は僕の背やうなじを撫で、細い指先で真白な髪を梳ってくれた。
そして峰子は竹脇の母親の姿となっていく。この時竹脇は自分を捨てた母の苦しみを理解する。
母は僕の名前を書き置かなかったのではなく、名前を付けなかったのだと思う。それすらもたがいの未練になると考えて。
竹脇は苦しく悲しい人生を歩んできたが、それでも周囲の人にこのように恵まれていた。それがこの物語の唯一の救いであった。
浅田 次郎 著 『おもかげ』 毎日新聞出版(2017/12発売)