常盤 新平 著 『熱い焙じ茶』
2018年 02月 20日
さて、今回図書館で借りてきた常盤さんの本はこれで最後になる。基本的に発売順に読んできたつもりだが、今回は気負いもなく、わりとのびのびと書かれていたんじゃないか、と思えた。開高健さんがよく「心が遊ぶ」と言っていたが、それに近い感じになってきている。もっとも晩年のエッセイはもっとそれを感じられて、常盤さんのエッセイを読んでみたくなったのだが。
いやなことにかぎって忘れないし、それは一生ついてまわるのだろう。年齢をとるというのは、身体にも心にもごみがたまってくることじゃないかと思う。(オフへの誘い)
歳をとると様々な弊害が出て来て、時に身動き出来なくなる。これまでいろいろ歳をとった弊害を表した言葉なり文章を引っ張り出してきたけど、この言いまわしがいちばんピッタリくる。そうなんだ。その人にとってのそれまでの人生のごみが、歳をとってままならなくするのである。
べつに行かなくてもよかったのであるが、生まれ故郷を見ておきたいという気持があった。そういう気持になるのは、年齢をとった証拠だと思った。(出身地について)
自分の生まれた場所を見てみたいと、ある時ふと思い、先日行ってみたが、まさに常盤さんと同じ心境だった。これも歳をとった証拠なら、それはそれでいい。
ものを調べるというのは面白いものだ。エキサイティングなものだということである。これを勉強と呼ぶのは気が引けるけれど、そう言っていいだろう。(怠け者のアメリカ)
常盤さんはアメリカについて、特にマフィアについて興味を持った。それを雑誌などから読んできた。それをここで言っている。
自分もいくつか調べていることがある。それを図書館で調べたり、実際に見に行ったりしている。やはり自分が興味があることなので、楽しいものだ。本を読んだりしていると、これって勉強じゃないかな、と思ったりしたことがある。けれど大きな声で言うのはどうかな、と思うので、深く考えないことにしている。
好奇心だけは若いころのままにしておきたい。いまもニューヨークにのこのこ出かけていくのは、知らないことがまだまだたくさんあるからだ。(ただ好奇心で)
なぜアメリカなのか。先に読んだ本にも書いてあったが、今もその好奇心を持ち続けていることがうらやましい。
ニューヨークでは古本屋がつぎつぎに消えていくと聞いていた。原因は家賃の暴騰である。西五十四丁目ではとても古本屋など営んでゆけなかっただろう。そのころ不動産ブームで、ドナルド・トランプのようないわゆるディヴェロッパーがハバをきかしていた。それを苦々しく思っていた。五番街にそびえたつ金ピカのトランプ・タワーなど悪しきアメリカであると思う。(つつましいアメリカ)
その悪しきアメリカの代表であるトランプが今やアメリカの大統領なのである。常盤さんが生きておられたら、どう思ったのだろう?
好きな作家、好きな本はなんど読んでも、新しい発見がある。本を読むのは、何かが得られるということもあるが、好きな著者、好きな本を見つけることでもあるだろう。一生手もとにおいておきたい本を無数の本のなかから見つけだすことだ。探検みたいものである。
もともと、辞書にかぎらず、本とはそういうものである。自分一人のものだ。
ほかの人には無用である。そこが本のよいところだ。そういう本がいま書棚に並んでいる。これは本人にとってとても仕合わせなことである。けれども、それこそ腐れ縁だという気がしないでもない。(本とのつきあい)
自分の好きな作家の本、好きな本が並んでいる本棚を見ると幸せな気分になるし、落ち着く。けれどこれだけ抱え込んでしまうと、確かに腐れ縁だという気がしてくる。
常盤 新平 著 『熱い焙じ茶』 筑摩書房(1993/09発売)