阿佐田 哲也 著 『三博四食五眠』
2018年 03月 12日
この本の食の話は、いわゆる色川さんが博打三昧の時、全国各地でゲテモノから食通が通う店の話と、自宅で(色川さんは「巣」という)に留まる晩年の、自転車で近所の店で新鮮で、手の抜いていない食材の話の二通りに別れる。
個人的には名店の話より、普段の食生活の話の方が面白い。
「やきとり二十年」では色川さんがふりかけ大好き。これさえあれば他に何もいらない。御飯が何杯も食べられるという。しかし色川さんは食事制限がかかっているので、ふりかけは“禁断もの”で、家では置かれないそうだ。
しかし、つくづくと思うが、ふりかけと御飯があれば何もいらないという男が、堂々たる顔をして、まがりなりにも喰べ物をテーマにした文章を毎月書くのだから、そら恐ろしい。
で、巣に居さえすれば、毎夜、ふりかけ御飯である。腹の中がふりかけで詰まっているような感じで、試しにヴェランダへ出て縄跳びをすると、尻の穴から、ぱっぱっぱとふりかけが散り落ちるかもしれない。(やきとり二十年)
さらに色川さんの好きな食べ物が書かれる。
私は豆だの芋だの南瓜だのあまり粋でない喰べ物が好きで、こういうものは他になにか中心の喰べ物があって、脇役をつとめることが多いようだが、私は三度三度主食にしてもよろしい。(豆入り泰平記)
フライの衣の話は子供の頃の私と同じであった。
私は中の肉よりも衣のほうが好きだ。
中味などなくても衣さえあればよろしい。
これ、実は私もそうなのだ。子供頃、カツ煮が出ると、汁と卵のからんだ衣ばかりを食べていた。カツから衣だけを剥ぎ取って食べ、親に怒られたことが度々あった。だから色川さん言うことがよく分かるのである。
それでも苦手なものもあるらしい。
何の因果か、なんでも好き嫌いのない私が、牛乳だけはただの一滴も呑めない。(なつかしいバイ菌たち)
笑えたこと、懐かしいことを書いて終える。
半死半生だと思っていた患者が(事実そういう面もあったが)私の顔を見たら、看護婦の眼を盗んで一緒に街中へついてきてしまった。私は、病人に脱走の気持ちにおこさせることについて天才的で、昔、何度もそのために友人の寿命を縮めている。(やきとり二十年)
当時は実によく路上にいろいろなものを売りにきた。玄米パン、かるめら焼き、電気飴、紙芝居の水飴……。
車はめったに通らなかったけれど、夕暮れ近くなるとなんとなく路上があわただしく、豆腐屋のラッパ、魚屋やソバ屋の自転車のベル、それから大型のトンボがわんわんとくる通りがあり、蝙蝠が街灯のまわりでバタバタやっている。地べたにひっつくようにして遊んでいた……。(なつかしいバイ菌たち)
懐かしいな。確かに昔路上にいろんなものが売りに来ていた。
阿佐田 哲也 著 『三博四食五眠』 幻戯書房(2017/08発売)