伊集院 静【著】 『琥珀の夢―小説 鳥井信治郎』

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 鳥井信治郎とはサントリーの創業者である。この本はその信治郎の生涯をつづった話である。サントリーに関する本はこれまで開高健さん、山口瞳さんの書いた本を読んできたし、それ以外にもサントリーの歴史もこれまでいく冊か読んできた。そのため鳥井信治郎の生涯はよく知っている。それでも伊集院さんがどんなことを書くのか興味があった。

 話は、


 明治四十年(1907年)春、花匂う風の流れる船場を堺筋淡路町から西長堀北通りにむかって一人の少年が大事そうに自転車を引きながら歩いていた。


 少年は自転車屋の丁稚であった。修理した自転車を寿屋洋酒店へ届けるところであった。店は活気に溢れ人々が忙しそうに動いていて、少年は修理が終わった自転車を店に置いてあることをさえ告げられずにいた。
 とりあえず彼は自転車の納品が終わったので引き揚げようとしたとき、店の棚に目が行く。そこには葡萄酒の入った瓶が並んでいた。少年はその瓶の美しさに魅せられた。

 
 「そこで何してんのや」

 「す、すんまへん。ピ、ピアス号の修理が上がりましたんでお届けにまいりました。ま、ま、まいどおおきにありがとさんでございます」

 「おう、五代はんの丁稚どんかいな。ピアス号の修理が済んだんやな。ご苦労はん」

 「ところで、坊(ぼん)は今、何を見てたんや」

 「す、すんまへん。こ、この棚の葡萄酒があんまり綺麗なんで、つい見惚れてもうて、どうもすんまへんでした」

 「何も謝ることはあらへん。そうか、坊の目にもこの葡萄酒が綺麗に見えたか。そら嬉しいこっちゃな」



 鳥井信治郎はこの丁稚に新しい商売のあり方を説明し、少年は信治郎の話に耳のあたりが熱くなった。


 「坊、気張るんやで」
 信治郎はまた頭をやさしく撫でてくれた。



 この少年こそ後の松下幸之助であった。
 

 松下幸之助は生涯、この日のことを忘れなかった。
 幸之助は鳥井信治郎を商いの先輩としてだけでなく、その人柄に魅了され、尊敬し続けた。幸之助の事業が成長しはじめた時期も、鳥井信治郎に相談し、信治郎は十五歳年下の幸之助に助言を惜しまなかった。



 鳥井信治郎は明治12(1879)年の 大阪市堂島の両替商・米穀商の鳥井忠兵衛の次男として生まれた。明治25(1892)年に十三歳で大阪道修町の薬種問屋小西儀助商店 へ丁稚奉公に出る。
 道修町には近江屋、武田長兵衛家(武田薬品工業の前身)、田邊屋、田邊五兵衛家(後の田辺製薬)、塩野屋、塩野義三郎家(後のシオノギ製薬)の御三家がありそれ以外にも多くの薬の大店が並んでいた。なぜ道修町に薬の商いが集まったかというと、徳川将軍吉宗が紀州に帰藩の途中病に倒れ、その折り、道修町より唐物の薬が献上され、吉宗は忽ち回復した。その功績で道修町の薬商たちに唐薬の中買の免状を与え、長崎から来る唐薬を独占し、それを今度は日本各地へ分配することで薬の商いの利を一手につかんだからである。
 この本はたまたま信治郎が丁稚奉公へ出た大坂道修町が現代の大手製薬メーカーの創業地であったため、薬の歴史や雑学が随所に書かれている。個人的に薬の歴史は興味があるので、それを二つ書き出してみる。


 日本書紀によると四一四年、朝鮮の新羅から医師、金武は朝貢大使としてやって来て允恭天皇の病いを治療し、さらに四五九年、同じ半島の高麗の医師、徳来が難波の地に住んで医業を開始し、“難波の医師”と呼ばれていた。五五四年には百済からの医師が採薬師とともに日本に来たことが記述してある。

 それ以降も高麗、百済から医師が日本に来て難波の地で医業を開き、難波の医師(くすし)と呼ばれ、採薬師も来ていたことが古事記、日本書紀にあるが、元々医術、薬は中国から朝鮮に伝わったもので、医療、各種薬の製法のレベルは日本と比べものにならないほど進んでいた。当然、身分の高い層の人々が病いを患うと、“唐物”の薬を要望した。
 これに対して、日本にやってきた採薬師の指導で、日本産の薬も製造された。古来、日本の薬は、中国から来た僧侶、遣隋使や遣唐使として中国に勉強に行った学僧たちが持ち帰った製法、それに山に分け入り、草木の薬効果を知っていた山伏たちの手によってつくられた薬などがあった。
 いわゆる和薬と呼ばれたものだ。
 それでも唐薬を人々が珍重する傾向は長く続いたのである。
 “薬九層倍”という言葉がある。この時代、薬種によっては一分の仕入れを九分で売ると言われ、莫大な利益があるとされた。これが薬の商いの魅力だった。



 戦場に赴く兵士たちに軍が脚気用に持たせた“征露丸”である。大坂の薬商、中島佐一薬房が“忠勇征露丸”の売薬免許を取り、この命名に“ロシアを征す”という“征露”の文字を付けたので爆発的な人気になり、各薬商も製造、販売した。脚気には効用はなかったが、帰国兵士から下痢止め、歯痛に効果があることが宣伝され、その後もヒット商品となった。


 さて、信治郎の話に戻る。

 信治郎は小西儀助に可愛がられ、洋酒の調合を身近で教わる。この時の日本における洋酒は合成酒であった。
 明治28(1895)年に小西勘之助商店へ移り、明治32(1899)年鳥井商店を起業した。最初は酒だけではなく、缶詰など軍関係に売っていた。丁稚時代から、そして独立してからも信治郎は“土性骨”で商売に打ちこんだ。


 元々、信治郎には生まれついて備わった独特の愛嬌があった。初めて逢う人でも、どこか魅せられる無邪気さというか、光を放つような明るさを持っていた。


 だから丁稚時代も独立してからも、人に愛され、それが商売につながっていった。


 明治39(1906)年日本人の口にあう「赤玉ポートワイン」を製造し販売する。丁稚奉公を終え、葡萄酒をこしらえたいと思い9年の歳月が過ぎていた。
 大正10(1921)年に株式会社寿屋を設立する。
 「赤玉ポートワイン」は売れた。「赤玉ポートワイン」といえば、やはりこのポスターであろう。


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 このポスターは日本初の美人ヌードポスターで、当時壽屋の宣伝部長であり広告の天才と称された片岡敏郎のディレクション、井上木它のデザイン、モデルは赤玉楽劇座(オペラ歌劇団)のプリマドンナ松島恵美子であった。信治郎はモノクロの写真にワインの赤にこだわった。このポスターはドイツのコンクールで金賞を得た。

 この後信治郎はウイスキーの製造に乗り出す。ここで竹鶴政孝がかかわってくるが、それは『ヒゲのウヰスキー誕生す』にあった通りである。
 信治郎は次から次へと新しい商品を始めて行った。失敗した事業もある。あるいはウイスキー製造に手を出すに当たり、好調な事業を手放さなければならなくなることもあった。けれどどの事業、商売において、ガツガツしていなかった。
 信治郎が生きた時代は、関東大震災あり、戦争あり、空襲ありと激動の時代であった。その被害を受けた人のところにすぐさま飛んでいき、「赤玉ポートワイン」を提供した。当時ワインは滋養強壮として売られていたからである。
 空襲で店を失った仲間のところには再生のためすぐさま商品を卸し、被害を受けた商品の請求書を破り捨てた。信治郎の「陰徳ぶり」は困った人がいればすぐさま出ていき、商売抜きで人々を助けた。それは元々は母親の教えでもあった。


 普段やさしい母が、どうして物乞いに施しをした後、彼等を振りむいて見てはならないときつい口調で命じたのかが長い間理解できなかった。
 “陰徳”という言葉がある。意味は、世間に、人に知られないかたちで善行をすることだ。古くは中国から伝わった言葉で、欧州にも同じ類いの考えはあり決して日本人だけの行動ではないが、日本人は長く人間の行動の徳のひとつとしてきた。陰徳はこれをなしたから何かがあるわけではない。源は信心にある。信心によって何かを受けているという考えが、自分たちも施されており、困った人がいれば施すにを当然と考える。ただ、その施しは礼を言われるものではない。さらに言えば、礼を言われたり、感謝されることを目的にすれば、それは真の意味で“施し”ではなくなるという考えなのである。



 「せや、昨晩、ええ夢を見たんや。あの夢は、ええ夢やった。そらもう、あんな綺麗な夢は見たんは初めてや」
 「どんな夢や」
 「何と言うたらええやろうか。雲やら海やらむこうからお天道様が昇ってくるゆうか、きらきらしてからに、周りにあるもんが光り出しよった。わての手も、身体もや。その……。あれは何ちゅう色なんやろか」
 「黄金色ちゃうか?」
 「コガネ?何や、それ」
 「わての田舎では秋に稲が実って田圃が皆光りよんのを黄金色いうんや。大判、小判の黄金色や」
 「銭の黄金か。いや、それと似とるが違うたな。もっと透き通ってて、奥の奥から光りの玉が湧いてくるいうか、ええ色や」
 「その色がどないしたんや」
 「何や見ているだけで胸の奥が熱うなるいうか、何ともええ気持ちになったんや。それで今、神さんにお礼を言うたんや」


(略)

 「それ、琥珀色やないか」
 「えっ、コハクイロ?それどういう色だしの」
 「王偏に虎、王偏に白と書いて琥珀や」



 琥珀色に輝くものはウイスキーであったか、それともビールであったか。
 最初に書いたとおり鳥井信治郎の生涯は知っていて、この本がどんなものかと読んでいたが、これは信治郎の人間性がよく書き込まれていて、いつの間にか引き込まれていった。


伊集院 静【著】 『琥珀の夢―小説 鳥井信治郎』〈上〉 集英社(2017/10発売)

伊集院 静【著】 『琥珀の夢―小説 鳥井信治郎』〈下〉 集英社(2017/10発売)

by office_kmoto | 2018-04-13 06:13 | 本を思う | Comments(0)

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