常盤 新平 著 『雨あがりの街』

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 常盤さんのエッセイを読んでいると、世の中いろいろなことがある。「そうであるけれど」、人は辛抱し、生きていく。そうした平凡な日々がいかに大切であるかを言う。とにかく平凡であることがどれだけ大変なことなのか、しみじみわかる。

 私には、平凡な日常生活のほうが命がけだという切ない思いがあるのである。(命がけ)

 そんな中、歳をとると様々な屈託もある。

 食べすぎも飲みすぎもいけないことは百も承知である。身体は大切にしなければならないと自分に言い聞かせている。しかし、その、身体にいいことばかりやっていたら、この平凡な一生がなお平凡になるのではないか、と切なくなってくる。(身体を大切に)

 このごろ、私はすこしわかりかけてきたところである。人の一生なんてうまく完結するものではなく、中途で終わってしまうのではないか。(中年について)

 すこし知恵がついたというべきか、人間がずるくなったというべきか。人の言うことが額面通り信じられなくなっている。これは不幸なことかもしれないが、深入りしすぎて火傷をするようなこともせずにすむという一面もあるのではないかと思う。
 けれども、人の話を眉に唾をつけて聞くというのではないのである。ただ昔ほど熱心に聞かなくなったし、裏がだんだん見えるようになってきた。私もそうであるが、どなたもかるがるしく口にすべきでないことを言いすぎるような気がする。(つきあいについて)

 さて、長いことサラリーマン生活を続けていると会社を辞めたいと思うことがあるはずだ。

 会社を辞めたいと思ったことがありますか。広告代理店に二十三年勤務という敬愛する先輩にそう訊いてみた。
 「一度もない」という明快な答えが返ってきた。
 「けれど、だからこの商売に満足しているわけじゃないよ」とつけ加えることも彼は忘れなかった。「仕事は可もなく不可もなくこなしてきたが、おれじゃなきゃできないという仕事じゃなかったし、いつもおれはこの仕事に不向きなんじゃないか、そのウツワじゃないんじゃないかという反省があったなあ。まあ、同じところにいつづけたのは、能がないからか、運がいいかのどちらかだろう。自分の性格に合っていると思ったことはないよ。言わしてもらうと、心ならずも勤続二十三年というところでね。かといって、おれに向いた職業がほかにあるわけじゃなし。月に一度ぐらいは、なんのために働いているんだろうと考えることはある。会社や女房子供のためじゃないね、おれは。かなしいかな、ただただ仕事を大過なくやりおえるためだ」(心ならずも)

 この先輩の発する言葉はいろいろなことを思い出させるし、考えさせられる。
 私は勤めていた会社を辞めたいと真剣に考えたことが一度ある。結婚してそう時間が経っていない頃だった。当勤めていた店の店長と衝突したのだった。
 結局義父に説得され、私は我慢することにしたが、報復人事で、私は飛ばされた。
 昔は人より上の立場に立ちたいという出世欲があった。特に飛ばされたあの頃はそんなギラギラした欲望があったけど、そのうち冷めた。経営者の一存でどうにでもなる会社で出世もへったくれもない、と思い始めたのだ。
 常盤さんの先輩の言葉と同じで、自分に向いた職業が他にあるわけでもないし、ただ仕事を大過なくやりおえればいいや、とずっと思い続けてきた。気がつけば勤続33年になっていたが、その間自分の仕事は自分でなければできない仕事とは思ってこなかった。会社にはすげ替えられない首はないことは、人の異動を数多く見てきて実感していた。そしてすげ替えられた首のように自分もいつかは捨てられると思ってはいた。結局最後はそうなったわけだけど、それまで会社の居られたのは私も能がないからか、運がい良かっただけのことだと思っている。
 私は義父に説得されてから、ずっと我慢して働きつづけたかもしれない。もちろん義父を恨むことはないが……。だから次の常盤さんの言葉は深く同感する。

 長いこと勤めていれば、いづらくなることが三度や四度は当然あるはずである。ただ、それをあまり気にすることなく、つまらない仕事でも黙々とこなしていくのが、サラリーマンの男らしいところではないかという気がする。無神経では困るけれど、あまり神経が細くても、つとまらないだろう。職を変えながら、出世していくよりも、同じ会社でたいして出世もせずにがんばっているほうが、はるかにむずかしいと思う。辛抱のいることである。(進退について)

 昔採用担当もしていたので、数多くの人と会ってきた。人の書いた履歴書をそれこそ百枚近く見てきた。その中で転職を何回も繰りかえしている人がいた。そんな職歴を見ると、どうしてこうも職を変えたのか訊きたくなる。曰く、職場が合わなかった。あるいは条件が自分の能力と合わなかった、などなど、いわゆる文句が多かった。自分の能力と採用条件が合わない人は、得てして奢りを感じられたものだった。職場が合わない人の話を訊いていると、この人、協調性がないんだろうな、と思われる人が多かった。
 今は転職というのは公認されつつある世の中だから、転職する人を悪く見る傾向はないのかもしれないが、でもこういう人はあまり信用できない気がする。むしろ常盤さんが言うように、同じ会社で頑張っている人の方が信用できる。そこにはそこで歯を食いしばりながら頑張ってきたんだな、と思えるものがあるのではないか。


常盤 新平 著 『雨あがりの街』 筑摩書房(1981/01発売)


by office_kmoto | 2018-04-27 06:17 | 本を思う | Comments(0)

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