杉浦 日向子 著 『江戸へおかえりなさいませ』

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 本を読んでくれた人からいただく、一番うれしいことばのひとつ。「なんだかいいね」。すごく良かった、ではなくて、どこがどうってわけではないかれど、なんとなく心に残った、と言われると、しみじみうれしい。みぞおちのあたりが、ぽうっと暖かくなる。いつも、なんだかいいね、を頭に描いて、仕事に取り掛かる。(うれしいことば)

 と杉浦さんは書く。
 杉浦さんはご存じの通り江戸風俗研究家でもあるわけで、この本は私たちが思い込んでいた江戸時代とはちょっと違う側面、江戸時代というのはこういうものもあったんだよ、と教えてくれた。
 なるほどね、といくつか思った。
 いくつか書きだしてみる。

 時代は「なんとなく」変わる。「なんとなく」、そうなって行くものなのだ。激情と腕力で、世の中は変えられない。嬉しくも、悲しくもない。その曖昧模糊とした気分が、ひらべったく充満した時、時代が横滑りに、ずるり、と動く。それだけだ。天地が繰り返るのでも、幕が開くのでも、まして「進化」するのでもなく、「滑ってずれる」のである。(ええじゃないかよりなんとなく)

 漠然としたものって、積もり積もると、得体の知れない力を持ち、それ知らぬ間に変化をし始める。それを「滑る」と表現するにはうまいなあ、と思った。

 行政が断行する「改革」は、庶民にとってはいつだって「改悪」でしかない。改革とは、食膳におかずが一品ふえることではなく、一皿一鉢へることだった。なんのことはない、せっぱつまった現体制の延命策が改革だった。(江戸の三大改革)

 口角泡を飛ばしながら、とにかく「改革」と唱える輩は基本信用しない。なぜならそれは杉浦さんが言うように、「改革」ではなく、「改悪」だからだ。いつの間にか我々に無理を強いる。
 特に最近のお国のやることは改革ではなく改悪なのではないか、と思うことが多い。いつも行き当たりばったりで、ちょっとすると「改革」が破綻する。それの繰り返しだ。気がつけばいつの間にか首をな真綿で絞められている。

 戦乱の世には、武力をもち者が主役だ。が、泰平の世には、生活を支える生産者と消費者が主役だ。武士は領地(管理地)から収穫される米の数割により養われる。戦乱がなければ、あらたに獲得する領地もなく、武士の給与は固定されたままとなる。そして、武士はもとより何も生みださぬ非生産者である。質素倹約が武士の合言葉で、消費は極力ひかえるのを美徳としていた。
 さればこそ、泰平の江戸は、民の時代だった。
 ヨーロッパ中世封建制は、民は領主の所有物であり、働くため生かされているのであって、民の側から広く世に文化を発信するゆとりなどなかった。文化はつねに、領主の楽しみのために調達された。多くの美術工芸品、戯曲、バレエは、富をもち者の嗜好に供され、大半の芸術家は、パトロンのご機嫌をうかがいつつ創作した。
 が、江戸を代表する文化、歌舞伎、相撲、寄席、浮世絵、俳諧、歌舞音曲、釣り、盆栽、書画骨董、旅行、おしゃれ、食道楽。これらの、くらしを彩る、愉悦の数々は、すべて「民」が造ったものである。ばかりか、チープ・ガバメントであった幕府は、本来、自治体が担うべき公共事業(保健・福祉・産業開発)のほとんどを民の私財と自主活動にたよっていたのだ。(江戸の華)

 なるほど、戦国時代のように領地拡大が出来れば、自らの取り分も増えることは可能であったろうが、江戸時代が二世紀半も泰平の下であったことで武士が武士として必要なくなっていた。だから武士がこの時代をリードする役割はなく、文化の担い手にはなり得なかった。それに変わり庶民がそのしたたかさで文化を作っていく。江戸の庶民文化とはこういう背景で出てきたわけだ。

 何をやらしても玄人はだしにこなすけれど、結局「玄人はだし」てえのは、素人を褒める言葉じゃねえか。なんでも出来たけれど、なにひとつとして極め得なかった、つまり、物好きの道楽でしかなかったてえこったろう。(源内先生じたばたす)
 確かに、この通りだ。

 謎の絵師・写楽。しかし写楽のみならず、浮世絵師の殆どが、本来、謎の絵師なのである。素性の分かった人などごく稀で、生没年、本名、出身、経歴はもとより、言ってみれば性別すら、定かではない。
 現代の「美人画」、化粧品会社のCFやポスターの、モデル名や商品名が、人々の脳裡に刻まれる事があっても、その、撮影者に付いては、おおむね無関心なように、浮世絵師も又、裏方の職業だった。(写楽 二百年の呪縛)

 写楽はそのデビューから謎の多い絵師で、その出生など不明な点が多い。だから写楽は誰だ?ということが話題になり、そのため写楽を題材に取ったミステリーもいくつもある。私も好きでそんなミステリーを読んできた。だけどこのように言われれば、現代だって、例えば化粧品のポスターのモデルは見てわかるけれど、その写真を撮った人は知らない。浮世絵師もそういうものだ、と言われれば納得するし、何も写楽だけが謎の多い絵師だったわけじゃなかったのだ。

 いっしょうけんめい。これも、「一所懸命」で、そのむかし武士が、ただ一箇所の領地を死守して生活するのをたよりにしたことに発することばだ。餌をとられまいと、鼻にシワを寄せて、唸る犬のようで、ギスギスと浅ましい。今は転じて、「一生懸命」と使われることが多いが、これとて、一生の間、力の限りを尽くして努力するさまだから、なお気が滅入る。(うれしいことば)

 一所懸命と一生懸命の使い方を以前書いたように思う。森まゆみさんはその違いにこだわらないと、エッセイに書いていたけれど、私はこだわりたい。一つのところを守り通し生活も、一生頑張り続けなければならない生活もどちらもきついが、気分として生きている間ずっと頑張り続けることの方が、きついような気がする。そもそも頑張るということ自体があまり好きじゃないのだが……。

杉浦 日向子 著 『江戸へおかえりなさいませ』 河出書房新社(2016/05発売)


by office_kmoto | 2018-05-26 06:09 | 本を思う | Comments(0)

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