阿刀田 高 著 『漱石を知っていますか』

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 この本は阿刀田さんの『知っていますか』シリーズの最新作。いわゆる文学作品を阿刀田流にやさしく、おかしく解説した本である。
 今回は夏目漱石。

 そのプロセスを作品の中で見ることにおいて、深いものを含んでいる。夏目漱石という大作家の多彩な可能性と周到な瀬踏みを含んでおり、これ以後の名作の萌芽がすべてこの作品の中に潜んでいる。
 「こんなスタイルはどうかな」
 苦悩するプレゼンテーションであった。率直に言って<猫>以前の短編は弱点が多過ぎる。プロの作品としては落第点に近い。<猫>とほとんど同時に書かれた<坊っちゃん>、これが小説らしい小説のスタートであった。<猫>で小説の多様性を模索して地下水脈を造り、<坊っちゃん>でその一つを形で示した、ということだろうか。多くの花が、このあと<猫>の上に形を採って咲いていく。(猫の近道を訪ねて <吾輩は猫である>ほか)


<六角評価図>
 A ストーリーのよしあし。
 B 含まれている思想の深さ。
 C 含まれている知識の豊かさ。
 D 文章のよしあし。詩情の有無も含めよう。
 E 現実性の有無。絵空事でも小説としての現実性は大切だ。
 F 読む人の好み。作者への敬愛、えこひいきもここに入るだろう。
 (それぞれ5点満点としている)

 『吾輩は猫である』の採点はAのストーリーのよしあしが1点数と低い。つまりストーリー性がない、ということであろう。総合得点で19点となっている。

 だから、

 あえて言おう。<猫>は第一章を読めばだいたいわかる。

 としている。

 「小説の技をちりばめて<坊ちゃん>ほか」では、

 <吾輩は猫である>はかなりの読者をえて一通りの成功となった。しかし漱石は納得しなかったろう。<吾輩は猫である>は小説としてどこか歪なのだ。ストーリーらしいストーリーはないし、イマジネーションも乏しい。登場人物もあまりにも身辺に近く、小説的な現実感を欠いている。もう少し小説の基本的パターンを踏むほうがよいのではないか。
 これを<坊ちゃん>で補おうと努めた、と私は推測したい。それが実作者の考なのだ。すなわち<坊ちゃん>にはストーリーは、ある。パターンと言えば、善玉と悪玉……月並みだが、あこぎにならない程度にこれはあったほうがおもしろい。初めのうちはどれが善玉でどれが悪玉か、わからないけれど次第に明らかになって、やがて活劇となる。みごとなほど小説のパターンである。

 (略)

 しかし、漱石はそれでも満足しなかったろう。あえて私の愚考を述べれば、漱石は、
 ――深さが足りない――
 芸術としてどうなのか。文学はもっと真摯なテーマを、真摯に問うべきものではないか。小説を深く勉強した漱石はみずからに足りないものを鋭く見出し、次に、芸術論をちりばめた<草枕>に挑んでいく。こういう道筋をたどったのではないか。私にはそんなふうに見えるのである。

 「坊ちゃん」の六角評価図は総合得点で19点。このなかでBの含まれている思想の深さが最低の2点となっている。

 次の「おみくじを引こう<草枕>ほか」では、「坊っちゃん}の成功に物足りなさを感じていた漱石が「草枕」へ移行していく経緯が阿刀田流で語られたが、ここで同じことをもう少し詳しく書いている。

 英文学者としてスタートした漱石は小説家になりたかった。四十歳を前にして意図的にその道へ挑んだのだが、この少し遅れた揺籃期、漱石の思案と方策を実作者として愚考してみれば、まず書きやすい身辺雑記と豊富な知識をもととして<吾輩は猫である>を書いて成功し、しかしその一方で、
 ――小説ってもう少し大衆が喜ぶストーリーが必要なんじゃあるまいか――
 この考えに立って<坊ちゃん>を創った。人気を集めたが、これは軽く、俗っぽい。
 ――オリジナリティがほしい――
 そのころはやっていた人情風俗を描く小説とは異なるものを、芸術の本質に迫るものを、ストーリー性を含ませながら描いたのが<草枕>ではなかったのか。この三作はホップ・ステップ・アンド・ジャンプ、揺籃期の三部作と見ることはできないだろうか。

 ちなみに六角評価図では総合得点で20点と阿刀田さんが言う揺籃期の三部作としては一番点数が高くなっている。まあ意図して作風に漱石なりの考えを反映したものであるなら、そうなる。しかしAのストーリーのよしあしとEの現実性の有無は2点となっている。

 次の「絢爛豪華な文章で <虞美人草>ほか」で漱石は朝日新聞に入社し新聞小説を書き始める。その第一発目が「虞美人草」である。内容は飛ばして、六角評価図では総合得点で20点。評価もそれぞれ平均値となっている。
 さらに「小説は男と女のことを書くもの <三四郎>ほか」になる。
 何と言っても三四郎が熊本から出て来て京都で相乗りとなった女と一緒に宿に泊まることになった翌朝、もんもんとして結局気を使い朝を迎えたのに、女から投げかけられた言葉、「あなたはよっ程度胸のないかたですね」は読む度に応えただろうなと思ってしまう。
 これに対して阿刀田さんの言い分が面白く、まったくその通り!と以後の漱石の作品を上手く付いている、膝を打ちたくなる。

 ――もし、あのとき、もっと意志を強く持っていたら――
 男がほぞをかむ。先走ってしまうが<三四郎>は、このことをそれとなく語っている小説だ。さらに先走れば、このあと<三四郎>とともに三部作を構成する<それから><門>も……登場人物もストーリーも異なっているけれど、見ようによっては、“よっ程度胸がなかった”ことの結果なのかもしれない。

 “もしあのとき”はこの後のいわゆる後期三部作にも通用するのではないか。
 ところで阿刀田さんは「三四郎」を、

 広田先生の理屈は漱石の魅力の一つ、と読むべきだろうが、本道は三四郎を軸とする恋愛未満。「アイ・ラブ・ユー」もなければ口づけ一つないけれど、心と心の微妙なからみあいを描いて……見えにくいことを描いてするところがない。
 ――今どきはやらないかなあ――
 とも思うが、恋には“よっ程度胸のない”ときもあるものだ。そして小説はとは、“男と女のことを書くものです”という箴言もあるようだ。<三四郎>はそれに応えている。

 と書く。まあ、言われてみれば、確かにもどかしい部分はあるかも知れない。それでも六角評価図では総合得点で25点と高い。それぞれ平均値以上である。
 「さざ波は渦となって一点へ<それから>ほか」となるが、ここでも阿刀田さんは、

 ――漱石は男と女のことを書かせて、迫力のある作家なんだなあ――

 と書く。六角評価図では総合得点で28点と最高得点になっている。ここから漱石の姦通小説本領発揮だから、まあそうかもしれない。

 第7章は「深読みしてくれますか <門>ほか」である。
 個人的なことを言わせてもらえば、私は漱石の作品でこの「門」が一番好きなのだが、阿刀田さんは厳しい。

 <門>は文学的に、またさっかの思索として中味の深い小説と評されている。そんな解説をよく目にする。しかし、それを知るには相当に深読みしないと無理なのではあるまいか。小説として楽しむには、
 ――暗いんだよなあ――
 なにを汲み取ったらよいのであろうか。

 とある。そうかなあ、とは思うが……。
 そのため六角評価図では総合得点で20点となっている。とくにEの現実性の有無が2点と低い。
 長くなりそうなのと、あとこれといって書くこともないので、単に六角評価図だけを書き出す。

 『夢十夜』は27点
 『彼岸過迄』は19点
 『行人』は23点
 『こころ』はやはり28点
 『道草』は20点
 『明暗』は未完なので評価不能

 となっている。『夢十夜』の点数が高いのは阿刀田さんが夢に関して思い入れが強い点がそう評価するのではないか。そして『こころ』はそうでしょう。これは仕方がない。 私は『こころ』のことになるとは三浦しをんさんの『舟を編む』を思い出してしまう。誰だっけ?名前は忘れたけど、先生のあんなに長い遺書が送られて来たら引くようなあ、という台詞。まさしくその通りだと大笑いしたことを思い出す。

阿刀田 高 著 『漱石を知っていますか』 新潮社(2017/12発売)


by office_kmoto | 2018-06-24 05:36 | 本を思う | Comments(0)

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