嵐山 光三郎 著 『「下り坂」繁盛記』

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 この本も「週刊朝日」に連載されていたコラムを集めたものだ。こういうコラムは面白いものもあれば、どうでもいいようなものも多々ある。この本をどちらかと言えば、つまらないものだった。ただ人生においての「下り坂」の肯定文章は納得できたし、良かった。

 「時流から取り残される」とは、なんと素晴らしいことだろうか。取り残されてこそ自分があって、生きてきた甲斐があった。いまの時代は時流がいっぱいあって、中高年世代には取り残される条件がそろっている。それなのに、インターネットにはまりこんで時流にとりこまれるのは、とんでもないことである。(序章 「下り坂」の極意)

 登り坂は苦しいだけで、周囲が見えず、余裕が生まれない。どうにか坂を登りきると、つぎは下り坂になる。風が顔にあたり、樹々や草や土の香りがふんわりと飛んできて気持ちがいい。ペダルをこがないから気分爽快だ。そのとき、
 「楽しみは下り坂にあり」
 と気がついた。光や音や温度を直接肌に感じた。鼻歌が出る。なだらかな下り坂をゆっくりとカーブしながら進む快感があった。
 しばらく走ると小さな坂に出る。坂を下ったスピードを殺さず、一気に登っていく。登りつつ「つぎは下り坂だ」とはげましている自分に気がついた。下り坂を楽しむためには登るのである。
 人は、年をとると「まだまだこれからだ」とか「第二の人生」とか「若い者には負けない」という気になりがちだ。そういった発想そのものが老化現象であるのに、それに気がつかない。下り坂を否定するのではなく、下り坂をそのまま受け入れて享受していけばいいのだ。(序章 「下り坂」の極意)

 自転車で旅をすると、上り坂がつらかった。若いころなら登ることができた坂道なのに、途中でへばって自転車から降りて、押しながら登った。
 そのかわり、下り坂は気持ちがよかった。ペダルを漕がなくてもスイスイと進む。
 なだらかな山道を、口笛を吹きながら下って、「人生も下り坂がいい」と気がついた。そうとわかると、還暦後のコツはこれでいこうと決めて、下り坂を楽しんだ。下り坂ほど気分のいいものはない。下り坂の極意を感得すると繁盛した。(「下り坂」繁盛のコツ「平気で生きて居る事」)

 人生を坂道に喩えることはよくある。確かに自転車で坂道を上るときはきつい。しかし坂を登り切って下っていくときの気持ちよさ、ペダルを漕がなくてもスピードが出て気持ちがいい。
 昔、本屋で配達を手伝っていたとき、湯島から本郷へ向かった時のことを思い出す。湯島から本郷のダラダラ坂を上っていくときのきつさは、坂道を上る前にそれなりの覚悟をもって、一気に登っていく。荷台には配達の本が詰まっているからなおさらきつい。
 その時の体調如何で上手く上り切れる時もあれば、途中でバテてしまい止まってしまうこともある。
 配達を終えて店に帰る時は、荷台も軽くなっているし、上り坂が逆に下り坂になるから、一気に降りてくる。この時出来るだけブレーキを掛けないのがいい。これがあるから帰りは楽しかった。天気のいい日は最高であった。
 そんなことを思い出したので、なるほど下り坂はいいはずだ。ところがそれがそう思えないところが人生のむずかしいところだ。相変わらず厄介事を抱え、それが屈託となり、あれこれ考え、悩み、不安になる。なかなか嵐山さんが言うように、「人生も下り坂がいい」とはなれないものだ。

嵐山 光三郎 著 『「下り坂」繁盛記』 新講社(2009/09発売)


by office_kmoto | 2018-09-14 06:00 | Comments(0)

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