木内 宏 著『礼文島、北深く』

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 古い本である。33年前に買ってからずっと本棚に読まずに収まっていた。ただ棚を見る度に気にはなっていた本でもある。
 今この本を読んでも、当時とはだいぶ状況が変わっているかもしれないし、あるいは今も変わらず同じ時間が流れているかもしれないが、そのあたりはわからない。
 でも北限の島の厳しい自然の中で生きている島の人々は読んでいて、J.M.シングが描く『アラン島』を彷彿させる。あの本も北の寒さが厳しい島民の生活の悲喜こもごもが描かれていて、ふと懐かしくもなってきた。
 さて、礼文島である。日本最北端の島で、樺太を間近に望む国境に島だ。

 ……俺は、あのとき、わかっていながら領海内へ入って行った。いったい、あれはなぜだったろう。粕谷船頭は短くなった煙草を、小さな舵のわきに置いた灰皿に無造作にひねった。
 ……密漁してやれというはっきりした目的意識があったわけではない。たいいち満船だった。それ以上無理して釣る必要などなかったのだ。それなのに、俺は、ちょっとだけでいい、ほんのちょっとだけでいいから、いっかい樺太の海に縄を流してみたい、そう思ったに違いないのだ。それは、なにもあの日に限ったことではなかった。樺太の島肌がはっきり見えてくる領海ラインに近づくと、なぜかいつも、もっと近くへ寄ってみたいという甘い誘惑にかられるのだ。島が手招きしているみたいな気がするのだ。あの島で生まれたわけでもないし、身寄りがいるでもない俺が、どうしてそうなるのか、まったく不思議な話だ……。

 それは、

 そのおばさんは樺太からの引き揚げ者だった。昭和二十年九月、磯舟に毛が生えたような粗末な木造船に何十人も鈴なりになって、命からがら逃げ帰った。
 島には彼女のような樺太からの引き揚げ者が少なくなかった。なかには礼文とはもともと無縁だったが、ここが樺太に近い土地だというだけの理由で定着した人もいた。私はそれら何人かの人たちに会ったが、すでに老境に達した彼らの話に共通するのは、サハリンという異郷の地になった樺太が未だに外国であるという実感を持てず、ふつふつとした望郷の思いを抱きつづけていることだった。朝起きると、まず窓を開け、あるいは高みに登って北の空を見る、と何人もの人から聞かされた。

 どこで暮らそうと同じことといいながらも、意識の根っ子は海の向こうにつながっているのだ。これを望郷の念と片づけてしまうのは簡単だが、それだけではないように思う。日露戦争から昭和二十年までは樺太が日本で一番北の島であり国境の島だった。敗戦で礼文がまた国境の島になった。ここから先へは行けませんというどんづまりになった。もはや進むべき先のない断崖絶壁に立たされた人々の意識のなかには、なんとかして出口を見つけたい、何かを突き破りたいという切なる願望があるのではないか。それは引き揚げ者の抱く気持ばかりではなく、この島自体が放つ、緊張感をはらんだひとつの雰囲気のようなものにさえなっている気がした。

 毎朝窓を開ければ樺太が間近に望むことができる島だ。かつてそこで暮らしていた島が見える。毎日そこにある。だからこそ、この島の漁師はそこへ引き込まれるが如く、領海を越えたくなるのかもしれない。
 いずれにせよ、礼文島は今国境の島となった。島が持つこれ以上先には行けない、出口のない閉塞感は島人をしてその脱出口を模索しているのではないかと著者は推察する。
 この島は鰊が来ていた頃は多くの人がこの島に来た。けれどその鰊が来なくなってから、島での生活が厳しくなっていく。だから漁のできない冬には出稼ぎに出る人が多くなっていった。

 「三十年前までだら、この島は内地から雇人が来た土地だよ。それが今はどうだ。出稼ぎ、出稼ぎで冬は寂しいものさ」
 「そうですね。確かに人の姿が少ないですものね。玄関が板で打ちつけられている家をずいぶん見ましたよ」
 「島じゅうだら、三、四百人も行ってるんでねべか」
 「漁師の三人に一人の割合ですかね」

 北海道庁の資料「季節労働者の推移と現況」を見ると、礼文島は函館周辺の渡島半島や積丹半島、留萌地方などと並び、北海道で最も出稼ぎの労働者の多い地域のひとつであることがわかる。しかも、その九割以上が零細な沿岸漁民である点で、北海道全体のなかでも際立った特色を示している。町役場の推計だと約三百五十人、漁師二・六人に一人が出稼ぎに行っている勘定になる。

 著者は出稼ぎはしなければしない方がいいに決まっている。しかし島に留まって生活を続けていくのとどちらが楽であろうか。著者は言う。

 だが、そんなふうに思うそばから、待てよ、出稼ぎが辛く、島にとどまるほうが楽だと単純にいえるだろうか、とも考えてみた。いや、どちらが楽というものではない。この島に生の根をおろすかぎり、一時的に出稼ぎに行こうが、島にへばりついて暮らそうが、人間の払う苦しみの代価に差はないのではないか……。

 厳しい自然。苦しい生活。どんづまりの国境の島。著者が島を歩いて、そこにあるゴロタ石だけを置いただけの墓や墓を作らず、寺の納骨堂に骨を預ける人が多くなっている現状を見て、島民たちはいつかこの島から出ていくことを前提にしているように思えてくる。島に永住しようとする気持が人々に稀薄だと思えてくる。島での生活は、仮の宿ではないかと著者は思うのであった。

 にもかかわらず、仮の宿という言葉が頭を去らない。
 島の人々の多くは、心のどこか片隅に、そう思えてならないのだ。その思いはゴロタの浜の墓地を歩いたときから、私は胸の底に澱のようにこびりついている。

 人々にはある時期を境に自然石を置いただけの質素な墓を作らなくなった。寺の納骨堂にただ預けておくようになった。それは自動車が急速に普及しはじめ、スーパーに冷凍食品が並べられるようになり、プラスチック製の高速ボートがはばを利かすようになった時期と一致していた。
 島の生活がいっけん便利になり、日常生活の質が都会に近づけば近づくほど、人々の脱出願望はふくらみ、百年の間、内に潜在しつづけてきた仮の宿の意識が、はっきり自覚されるようになった、ということだろうか。

 「島を捨てることは、だれもが考えてきました。建前はみな地域振興が大切だといいます。私だってそう思います。しかし、島でかせいだ金は、極論すれば、札幌に出した子弟への仕送りに使われているんです。まったく地域に還元されていない。札幌の人口が京都を抜いて百五十万人になった、大都会だと自慢していますが、札幌の力だけでなったのではない、その陰に離島や山村の血の滲むような犠牲があるんです。鰊時代も現代もこれは変わらない。歴史的宿命みたいな気がします。そういう私も、一時期仕送りが三人重なったことがあって苦しかった。いくら働いても底のないバケツでしたよ」

 この島民の言葉は考えさせられる。島で稼いだお金が島に還元されず、島を出て都会に行く子供たちのために使われる。大都会はそうした犠牲の上に成り立っているんだな、と思わされる。
 一方島でもインフラが整備され生活はしやすくなってはいく。時代がそうさせる。島民の生活スタイルも便利になってはいく。しかし人は一度その便利さや豊かさ(形ばかりのものかもしれないが)に触れてしまうと、より良い生活を求めてしまう。さらにより良い生活を求めてその代償の支払いに追いまくられる。こうして人々は島から出ていく。

 ちょっと時化ただけで木の葉のように揺れた二百トン級の連絡船に替わり、千トン級のフェリーボードが就航したのが九年前。同じ年に電話がダイヤル式になり、それから三年後に礼文空港が完成し、稚内から一日一便、十九人乗りのツインオッター機が飛んでくるようになった。
 そのころから島の生活は目に見えて変わりはじめた。ひと口でいえば、ゆったりした時間の流れが、いたるところで破壊されていったのである。それはいわば形だけの都市化だから肉眼でよく見えた。その破壊された時間が、冬になると時々昔に還るのではないかと錯覚することがある。フェリーが欠航した島が孤立する数日間だ。そんなとき人々は、ただじっと水平線に目を凝らし、「ひっでえ時化」と誰にいうともなく呟いては、ストーブの薪をかき回す。そんな瞬間の人々には、二十年前と同じ穏やかな表情が戻ってくる、と彼はいつも不思議に思う。
 マイカーがあたりまえになり、フェリーが大型化し、ダイヤル通話になり、空港が開設され、と確かに離島の抱える不便さは一面では解消された。だがはたしてそれで人々の暮らしの質が豊かになっただろうか。

 都市化の波は確かに多くの恩恵を島にもたらしはした。しかし、ゆっくりした時間の流れが奪われたことで日常がせわしくなり、生活の質自体は脆くなった。「ひっでえ時化だ」と呟いて沖を見つめ、薪ストーブをかき回す瞬間の人々の表情が不思議な安らぎたたえるのは、古い時代の自分たちの時間をとりもどしたいという意識が、彼らの内に潜んでいるからではないだろうか……。

 電気がきたので、八軒の漁家は競ってテレビを買い、洗濯機を求め、冷蔵庫をそろえた。陸の孤島が一気に文明がもたされた。ところが皮肉なことに、電化生活が可能になったら、とたんに人々は冬の宇遠内を棄てた。これは北部の鮑古丹の浜でも同じように見られた現象で、離島における経済発展のひとつの法則とでも思いたくなるほどだが、とにかく便利さを手に入れた人は、さらにその先にあるより大きな便利さを追求し、あるいはその代償の支払いに追いまくられるかのように、冬がくる前に東海岸や船泊湾に面した村落へと移動するようになった。その結果、宇遠内は夏だけの漁業生産基地に変じたのである。

 北海道や東北の人間が、よりよい生活を求めて東京に動くという図式とそれはなんら異なるものではない。根っ子にあるのは、人間だれでもついて回る快楽を求める本能である。

木内 宏 著『礼文島、北深く』 新潮社(1985/01発売)


Commented by こちらはかもめ at 2019-05-24 14:50 x
木内さんの御本が紹介されているとは・・・。

うれしくなりました。
by office_kmoto | 2018-11-07 12:53 | 本を思う | Comments(1)

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