11月のあれこれ

 もうすぐ11月も終わる。今月は自身のことは書かなかったので、まとめて書き込んでみる。

 孫が学校から帰ってくると、娘が仕事から帰って来るまで、我が家で過ごす。その間おやつを食べたり、宿題をやったり、テレビのドラマの録画を見たりしている。ときに孫の友達が遊びに来たりして、結構わいわいやっている。
 今時の子供が遊ぶとなれば、ゲームをやったりするのだろうが、如何せん我が家にはゲーム機がない。娘や息子が小さいときは、ゲーム機はもちろんあった。しかし子供たちが大人になったので、ゲーム機など処分してしまっている。
 ということで、孫が家で遊ぶとなれば、何でも手作りで遊ぶものを作ったりしている。昔自分たちが子供の時遊び道具を作って遊んだように、身近にあるものを使って、遊び道具を作る。要するに工作をやる。
 今回クリスマスツリーを作ることにした。もともと我が家にはもうクリスマスツリーも処分してないものだから、孫が作ろうと言って始まったものである。たまたま障子の張り替えをしたとき、障子紙を巻きつけてあるダンボールの芯が出てきたことから始まった。その芯をペットボトルが入っていたダンボール箱で固定して、ツリーに見立てて飾り付けようということことである。
 Seriaへ行ってクリスマスツリー用のモールを3本買ってきて、それを義父が残していったさつきの枝を固定するための銅線を使って傘の骨のようにして、そこに巻きつけた。あとは家にあった色画用紙や折り紙や、牛乳パックを使って飾り付ける小物を作ってみたら、何となくそれらしくなってくる。最初は孫にそうした小物作りを任せていたのだが、それらしくなってくると、教えているだけじゃ物足りなくなり、ついつい凝った小物をネットで検索して作ってしまった。うまく出来ると、それを孫に教えて作らせた。
 出来上がったのがこれである。おおよそワンコインでツリーが出来た。


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 23日に孫の七五三の祈願のため亀戸天神へ行く。天気は昨日と打って変わって快晴となり、予報で出ていた木枯らし一号も吹かずに、お参りにには絶好の日であった。孫は三歳のときもここに祈願に来ているが、あの時撮った写真を見ると、幼かった。
 この春、こちらに来たときは、表情に不安げなところがあったが、今ではごく普通に小学一年生として過ごしている。娘と一緒にこちらの生活を楽しんでいるのがよくわかる。
 家に帰って来て、今日の写真をプリントしたのを見ると、成長したなあとしみじみ思う。
 翌日写真館に行って、記念の写真を撮った。

 Amazonで昨日注文した佐伯一麦さんの本が届く。この本は仙台の出版社で発行された本だ。だからか、ネットで気になる作家さんの新刊が発売されると教えてくれるサービスを利用しているのだが、この本は連絡がなかった。たまたま佐伯さんの新刊が出ているのをネットで知ったのであった。このサービスは地方の出版物には対応していないのだろうか。
 私が利用するhonyaclubだと「出版社よりお取り寄せ(通常3日~20日で出荷)」とある。以前ここで地方の出版社の本を注文したとき、取り寄せまであまりにも日数がかかったため、自動的に注文が取り消されたことがある。もしかしたらここで注文したらまた同じことになるかもしれないし、少なくとも日数はかかりそうであった。ちなみに紀伊國屋書店ウェブストアだと「お取り寄せ(通常、1~3週間で出荷)」とあるので、やはり取り寄せまでは時間がかかりそうであった。ところがAmazonだと在庫を持っていて、昨日注文したら今日届くのである。やっぱりAmazonはすごいな。
 やはり昔本屋に勤めていた頃、お客から地方の出版社の本の注文受けたことが度々ある。その時は通常の注文よりも取り寄せまで日数がかかるかもしれない旨をお客に伝えた上で、注文を受けた。
 注文を受けてとりあえずすることは、当時神田にあった書肆アクセスへ行って、そこで在庫を確認する。さらにやはり当時あった鈴木書店へむかい、そこでも在庫を確認した。この二つの問屋にないと本当に厄介なことになり、入荷まで1か月近くかかることもあった。 お客も呆れ顔で「まだなの?」と言われる。待ってくれるだけ有り難く、時にはキャンセルされることもあった。
 世の中これだけ多くの本が流通している中、お客が求める1冊にも迅速に対応してしまうのだから、昔のことを知っているだけに、今の時代はすごいな、と改めて思ってしまう。

 聞かなくなったレコードが実家にあり、父親に処分を頼まれる。そして私も本棚にかつて聞いたレコードがある。もうプレーヤーもないし、おそらくこれらのレコードを聞くこともないだろうと思い、一緒に処分することにした。
 ネットでレコードを買い取ってくれるところがあったので、申込みをすると、梱包用のダンボール一式を送ってきた。この梱包用ダンボール一式がすごい。ダンボールはもちろん、布粘着テープ、そして「買取申込書」を記入するためのボールペンまで付いてくる。申込書を書き込み、レコードを梱包し、後は所定の宅配業者に電話をすればもう記入済みの搬送用伝票まで持って来てくれるという。とにかく至れり尽くせりで、ここまでしてくれているのに、処分が目的でほとんど価値などないレコードを送ってしまうことに恐縮してしまう。

 図書館で借りた本を返しに行く。借りた本は4冊だった。それを二週間で読むわけだが、これまでだと4冊くらい一週間ほどで読み終えられるのだが、今回は返却日ギリギリまでかかってしまった。本が読める時間がこの春以降少なくなったためである。それでも本が読める時間が限られている中で、少しずつ本を読むのも悪くはないな、と思い始めている。
 これまでような一日中本が読めるというのは、ある意味しまりがなく、ダラダラした感が拭えない。しかし空いている時間で本を読むというのは、それなりの緊張感が伴う。それにじっくり時間を掛けて本を読んでいると、その本への愛着感というか思い入れが深くなり、案外いいものじゃないかと思うようになった。
11月のあれこれ_d0331556_12492802.jpg そんな夜に佐伯一麦さんの『麦の日記帖』(プレスアート 2018/11発売)を読む。副題には「震災のあとさき2010-2018」とある。この間の佐伯さん日記である。
 日記と言っても雑誌に連載されていたもので、佐伯さんのさりげない日常が綴られている。読んでいる内にこれまで読んできた佐伯さんの身辺小説を読んでいるように感じられた。でもそれらの小説がどう佐伯さんの日常に係わっていたのかが多少わかって興味深かった。また『鉄塔家族』の親方がいつも「けつねうどん」注文していた食堂がなくなってしまったことを知り、読んでいる私も残念だなと思えるのがおかしかった。それだけこの小説が好きな証拠であろう。
 実はこの本で密かに期待したのは、東日本大震災での佐伯さんの被災状況を詳しく知りたかったし、それをどう感じ、その後どう対応したのかも詳しく知りたいところがあったが、ここでは深く震災には触れていない。けれどあの時のこと、そしてその後は仙台在住であることで、触れないわけにはいかないところがあって、その時々震災、被災した知人、友人のことをさりげなく触れている。そういう機会が多いことで、震災被害の甚大さを伝えているといっていい。


 一路、北上川河口の葦原へと向かう。運転手さんに震災のことを訊くと、「だめ」「全部流されちゃった」と言う。「でも、身内に亡くなった人がいないから、まだいい」とも。途中、大規模仮設住宅をいくつか通り過ぎる。まだ家に入れない人たちが多くいるのに、東京オリンピック招致で沸いているこの国は、やはりおかしい。


 この記述は2014年2月に多分連載雑誌に載ったのだろう。今年も大きな地震が起きたし、台風や集中豪雨で大きな被害を出した。それらの自然災害に被災し苦労されているいる人が多くいる中、相変わらず「2020東京オリンピック」と騒いでいるし、それだけでなく、今度は大阪で万博をまた誘致する。この国はなにかお祭りをやっていないと成り立たない国なのかと思ってしまう。いつも経済効果とかなんか言って、何かを見つけ、それだけを頼りに走り続けないといけない国になりつつある。しかもそれはいつも外国人相手だ。外国観光客を頼りするしかないのか。それでいて、いつでもウエルカムと言いつつ、一方でオーバーツーリズムに悩まされ、我慢している。
 おかしいというより狂っているとか言いようがない。

by office_kmoto | 2018-11-28 12:50 | Comments(0)

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