藤沢 周平 著 『周平独言』(新装改版)
2019年 03月 24日
ただし人情といっても、善人同士のエール交換みたいな、べたべたしたものを想像されるにはおよばない。人情紙のごとしと言われた不人情、人生の酷薄な一面ものこらず内にたくしこんだ、普遍的人間感情の在りようだといえば、人情というものが、今日的状況の中にもちゃんと息づいていることに気づかれると思う。
現代は、どちらかといえば不人情が目立つ時代だろう。企業が社員を見捨てたり、ささいなことで隣人を訴えたり、親は子を捨て、子は親を捨てる。
だがそういうことは、いまにはじまったことではないだろう。昔も行われたことが、いまも行われているのである。
まして人間そのものが、どれほど変ったろうかと思う。一見すると時代の流れの中で、人間もどんどん変るかにみえる。たしかに時代は、人間の考え方、生き方に変化を強いる。たとえば企業と社員、嫁と姑、親と子といった関係も、昔のままあり得ない。
だが人間の内部、本音ということになると、むしろ何も変っていないというのが真相だろう。
小説を書くということはこういう人間の根底にあるものに問いかけ、人間とはこういうものかと、仮に答えを出す作業であろう。時代小説で、今日的状況をすべて掬い上げることは無理だが、そういう小説本来のはたらきという点では、現代小説を書く場合と少しも変わるところがない、と私は考えている。
ただ時代小説には、表現上の一種の約束がある。現代小説とは一線を画す独自のスタイルがある。私は、時代小説を普通思われているように型にはまった狭いものとは考えたことがなく、さきに述べたような理由から、テーマを現代にとったり、手法の上でも現代小説に近い試みをやってみたりする。しかし、そこを譲ってしまうと、時代小説が成り立たなくなるという一線があって、表現の上のその約束は、やはり大事にしたいと思う。
はじめての方に、時代小説には閉鎖的な一面があるかも知れないと書いたのはそういうことを指すわけで、時代小説に限界があるとすれば、それは中味ではなく、形式の中にひそんでいるはずである。
しかし、それほど窮屈に考える必要はないので、時代小説であるためにまもるべき一線といっても、それを壁のようにかたいものと考えることはない。のびちぢみもし、押せばへこむ柔軟な線である。そしてその中でどんな試みをしようと自由である。ただ、どんなに新しい衣装を着せようと、時代小説は時代小説で、だから現代小説で書いてもいいということにはならなし、またその必要もないのである。(時代小説の可能性)
長々と引用した。これはなぜ藤沢さんが書く小説がなぜ現代小説でなく時代小説なのかを説明した文章である。これを読んでいると、小説が人間の根底にあるものを書くものであれば、時代小説であれ、現代小説であれ、それは単に“器”の問題であるというわけだ。たまたま藤沢さんは時代小説という“器”で人間を描いているということである。
そして時代小説はその時代の有り様、風景に拘束されるけれど、それを窮屈に感じることはないと考えている。守るべき一線さえ守っていれば、そこに様々な手法で物語を構築出来ると言うのだ。
考えてみると、現代小説があらゆる可能性を実験するのはいいのだが、結局小難しくなってしまい、何を著者が言いたいのか、なかなかつかみにくい部分がある。
まあ、それはそれで面白いことは事実であるが、そんなに面倒なことをしなくても時代小説という“器”を利用することによって、そこに人の有り様、ここで言う「人情」を落とし込むことによって、むしろわかりやすく人に訴えかけてくる。そこが時代小説の魅力といっていいのではないか。
もちろん歴史的背景をきちんと把握した上での舞台設定は大変だろうが、我々が知っている舞台背景がそこにあることは安心できる。むしろ現代小説では無茶苦茶な舞台設定を理解することに一苦労させられる。
今時代小説が受け入れられるのはそういう点にあるのではないかと考えたりする。まして現代がモラルハザードの状態に陥っているところに、時代小説の中で「人情」が、かつてそこにあったんだということを思い出させてくれるから、それは受け入れやすい。
私には、流行というものが持つそういう一種の熱狂がこわいものに思える。人を押し流すその力の正体が不明だからである。それがダッコちゃんにも結びつくが、戦争にも結びつく性質を持っているからだろう。
筋道をつければこういうことで、以上は流行というものについての私の基本的な考え方ということになるが、それでは私はいつもその筋道に照らして、流行を白い眼でみているのかというと、そうでもない。なんというか、ほかにもっと理屈抜きの流行嫌いの気持がある。(流行嫌い)
これは藤沢さんが流行り物が嫌いな訳を書いたものである。このエッセイには幾度も流行り物が嫌いだと書いているが、まあ、理屈はそうであろうとも、要するに偏屈だと自身も認めている。
彼らはじつにいい顔をしているのだ。高名なお師匠さんとか、政治家などにありがちな構えがひとつもなく、彼らはありのままの顔をさらしている。彼らは語るべきほどのものを持たない。自慢できるのは、せいぜい可愛いい孫ぐらいのものかも知れない。それなのに、ありのままのその顔がすばらしいのは、彼らの顔の背後に、ずしりと重い人生が重なって見えるからだろう。
人生を肯定的に受け入れ、それと向き合って時に妥協し、時に真向から対決しながら、その厳しさをしのいで来たから、こういういい顔が出来上がったのである。えらいということはこういうことで、そういう人間こそ、人に尊敬される立場にあるのでないか、私は思ったりする。実際人が生きる上で肝要なのは、そういうことなのである。
こういう質朴で力強い生き方にくらべると、世にえらいと言われる人のえらさには、夾雑物が多すぎるように見える。(えらい人)
この文章は藤沢さんが小学校での講演を依頼されたときに思ったことだ。そのとき小学生が藤沢さんの話を聞くのは、藤沢さんが“えらい人”と思われているからではないだろうか、と考える。でも本当に“えらい人”とはどういう人をいうのか、それを書いた文章である。
私は所有する物は少なければ少ないほどいいと考えているのである。物をふやさず、むしろ少しずつ減らし、生きている痕跡をだんだんに消しながら、やがてふっと消えるように生涯を終ることが出来たらしあわせだろうと時どき夢想する。
だが実際にはそうならず、私がこの世におさらばした後のもやはり若干の物を残るだろう。そのことを私は、ある意味では醜態だと思い、気味悪いことだと思うのである。(書斎のことなど)
これ、実に私もそう考えている。身内で亡くなった人の持ち物を整理をしていると、本当に人はいろいろな物を残すものだ。当の本人は急に亡くなってしまったから、まさか自分の身のまわりを人に任せるなんて考えてもいなかったろう。もしかしたらそのうちと思っていたかもしれない。そんな身内を見てきているから、元気な内に自分の身のまわりを整理しておくべきと考えてしまう。
サルスベリは、庭にステッキを突き刺したような恰好でひと冬を越し、生きているのか死んでるのかちっともわからないなどと言っているうちに、五月になると突如として芽を吹き、その芽は枝になり、葉をつけた。((初夏の庭)
また書かれた文章の表現方法でも丁寧だ。例えば「人々」と続ける場合、藤沢さんは「人人」と書く。これ、慣れないとこれ結構戸惑う。
藤沢 周平 著 『周平独言』(新装改版)中央公論新社(2006/10発売)