永井 龍男 著 『落葉の上を』
2019年 09月 03日
この世を離れた人を思うにつけて、この世の残った者の頼りなさが、身にしみて感じられる。(階段)
「横顔」では夫婦二人で暮らしているところへ長女が見舞に来て、三人で夕食を囲む。その後長女は帰って行く。その後残された夫婦の会話がいい。
「云うまいと思ったが、やっぱり、少し淋しいよ。雪のせいかな。年のせいかな」
「私だって、同じことです。こういう時は、帰った者の方が得ね」
この気持よくわかる。これは子供たちが独立した親が味わう気持ちであろう。子供たちが家に帰って来ても、子供たちには子供たちの生活があるわけだからそこへ帰って行く。その時親は残された気分になっていくわけだ。
咽喉の入口に薬を塗り、咽喉の外の局部にも薬を塗布、油紙を当てた上から繃帯を巻かれて帰る。油紙が耳のそばでガサガサ鳴るたびに、寒気におそわれた。(竹)
これ、おたふく風邪で病院から帰るとこんな感じだった、と懐かしかった。
人間一人一人に「座」というものが定まっていて、当人がそこに落着いてさえすれば、案外間違いはない。「座」の位置は終始変化するが、その時もなるべく自然にしたがって移動すれば、他人を騒がすような事は起さずにすむ。(座)
言っていることはよくわかる。いつもこうありたいと思うけれど、なかなかこの通りにいかないものだ。
直木三十五が亡くなったのは昭和九年二月二十四日であった。芥川氏が亡くなってから七年たって直木氏が亡くなられたわけだが、菊池寛は二人が亡くなって非常に寂しかった。それでふと思いついて、こういう文学賞をやれば、毎年、芥川、直木の二人の友だちをいろいろ思い出すことになるだろうと思ったのである。(芥川賞・直木賞余談)
永井さんは文藝春秋の社員でもあったから、こういう内情を知っている。
永井 龍男 著 『落葉の上を』 朝日新聞出版(1987/07発売)