2018年 09月 20日 ( 1 )

佐藤 優 著 『十五の夏』〈上〉

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 『国家の罠』でこの人が東京地検の検事とやり合う場面を読んで、この人はかなり肝っ玉が据わっている人だと感じたことを覚えている。
 その著者が15歳の時、高校一年生の時に、一人で東欧からソ連へ一人旅に出かけたときの話がこの作品である。15歳の少年が一人で東欧へ旅しようなんて普通思わない。それをやったわけだから、なるほどあの時感じた肝っ玉が据わっていると感じたのも当然なわけだ。
 話は1975年の高校一年の夏休みに東欧と、当時まだソ連と呼んでいたロシアへ旅行したときの話である。東欧はまだこの時、ソ連の影響がかなり濃厚に残っていたはずだ。国家が国民に大きくのしかかった時代である。国が国民を監視し、そのことを気にしないとならない国々であった。
 旅をするにもいろいろな制約があり、細かい手続きをしないとプラン通りの旅が出来ない国々でもあった。
 そこへ行きたいと思う高校生はすごい。両親も高校入学のご褒美として資金援助する。また高校の先生も日本と社会体制が違う国を見ておくことはいいことだとして応援してくれた。
 旅行の準備のため相談に行った旅行会社の女性社員も社員の立場を超えて、あれこれ旅の裏技を伝授してくれる。それでも旅は出来る限り自分ですることを彼に言う。
 彼にはハンガリーに文通している友人がいるのでその友人をハンガリーに訪ねていくことになる。そこからソ連に入るプランだ。
 お金を節約するために運賃の安いエジプト航空でエジプトに入り、そこからスイス、西ドイツ、チェコスロバキアとポーランドを経由してハンガリーに入っていく。飛行機の中で会社の社長はエジプト航空を利用したことを褒め、この旅が彼の人生にいい影響を与えるはずだと言う。旅の途中彼に親切にしてくれた人々も、彼が高校生の一人旅であることを聞き、驚くが、この旅が彼の人生に良い影響を与えるはずだと同じように言ってくれる。
 日本の東欧のガイドブックでは、旅がしづらいことが書かれていた。確かに旅のしにくい国もあったが、実際そこを旅してみると人々はやさしく、親切であった。
 そんな人々の温かさを感じつつ旅をしていると、日本人の団体旅行の添乗員の意地悪さが際立ってしまう。
 ブダペストのホテルで日本人団体旅行の中にいた大学教授夫妻と親密になる。その時、

 僕たちが話をしているところに日本人の添乗員が近寄ってきた。
 「あなたは個人旅行ですよね」と僕に尋ねた。
 当たり前のことをどうして訊くのかと不思議に思ったが、僕は「はい」と答えた。
 「実は、ここは団体席で、食事は人数分しか準備していないので、あなたは別の場所に行ってほしいんだけど」と添乗員が言った。
 福井先生の奥さんの顔色が変わって、「1人くらい増えても問題ないじゃないですか。追加料金は払います」と言った。添乗員が返事をする前に、僕は「わかりました。それじゃ失礼します」と言って、テーブルを離れた。福井先生夫妻が申し訳なさそうな顔をしている。添乗員は、僕が団体に紛れ込んで、ただ食いでもすると思ったのだろうか。腹が立ってきた。こんな奴がいるところで、食事をしたくない。

 訪ねていく国々の人々が一人旅で苦労している彼をあれこれ助けてくれているのに、同胞の日本人の大人の態度がこれである。読んでいて嫌になってしまう。
 それでもハンガリーでは文通をしていたフィフィと親交を温める。彼は観光名所を訪ねるより人々の生活模様を見たいと、人々の中に入ろうとする。人々の中に入ってみて、なまの生活ぶりを実感していく。このあたりは、たとえば清水義範さん夫婦のパッケージツアーとは違うところだし、最近清水さんの旅行シリーズが面白味に欠けるのもこのあたりに限界があるのかもしれない、と思ったりした。そういう意味で、この旅行記は時代を経ているけれど面白い。
 フィフィから書店に日本語を話す店員がいることを聞き彼は会いにいく。その時の彼が感じたことは重要なことだと思った。ここまで感じられる旅が出来るのもすごい。

 「第二次世界大戦まで、ハンガリー人は生活していくためにドイツ語の知識が不可欠でした。戦前に教育を受けた人はハンガリー語とドイツ語のバイリンガルです。戦後、ドイツ語は必要なくなりました。ドイツ語の代わりにロシア語が必修科目になった。小学生からロシア語を勉強します。しかし、日常生活で用いる機会がないので、かつてのドイツ語のようには定着していない。1956年にソ連が入ってくるまで、ソ連を嫌う人とソ連に好感を抱く国民の比率は半々でした。しかし、ハンガリー動乱で国民の圧倒的多数がソ連を嫌いになった。そうなると知識人は、ロシア語やソ連事情について一生懸命に勉強するようになりました」
 「どうしてですか」
 「ハンガリーが生き残るために、ソ連との関係が死活的に重要だからです」
 生き残るために外国語の勉強をしなくてならない状況があるということだ。好奇心でしか外国語の勉強について考えていなかった僕には、書店員の話がとても衝撃的だった。

 フィフィと別れ、彼はルーマニアに入る。あのチャウシェスク時代のルーマニアである。国民も節約を求められていたこの国は観光客には旅をしにくい国であった。
 その後ソ連のキエフに入り、モスクワに入ったところで上巻は終わる。
 この紀行記は著者が15歳の時旅したときのことを思い出して、あるいはメモや記録をもとに書かれたのだろうと思われる。出来るだけ15歳に近い時期に書かれたものとして書きたかったのだろう。当時の「僕」が近々の「僕」に感じられるよう苦労されている。ただ国や人々の分析や、歴史などどうしても今の自分が出て来てしまい、惜しいなあ、と思った。もちろんそうした大人の分析は貴重であるし、考えさせられるのだが。でもそれは仕方がない。上手くバランスがとれていればいい。
 下巻が楽しみである。

佐藤 優 著 『十五の夏』〈上〉 幻冬舎(2018/03発売)


by office_kmoto | 2018-09-20 06:57 | 本を思う | Comments(0)

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