2018年 11月 13日 ( 1 )

サマンサ・ワインバーグ 著 /戸根 由紀恵 訳『 「四億年の目撃者」シーラカンスを追って』

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 1938年クリスマスまであと3日という時に、南アフリカイースト・ロンドン博物館の女性学芸員であるマージョリー・コートネイ・ラティマーはトロール船の船長ヘンドリック・グーセン船長から電話をもらう。
 マージョリーは博物館の標本に使える魚をヘンドリック・グーセン船長から貰い受けていたが、この時は標本に使える魚はなさそうと思った時、

 「ぬるぬるした魚の山をくずしていくと、見たこともないようなきれいな青い魚があらわれました。体長は一・五メートル。少し藤色がかった青い表皮には淡い白の斑点があって、全体が玉虫色にきらめいていました。硬いウロコに覆われていて、足のようなヒレが四枚、小さな尾はまるで子犬のしっぽのような奇妙な形をしていました。ともかくきれいな魚で、魚というよりは中国の大きな磁器とでもいうのかしら。でもいったい何という魚なのかわかりませんでした」
 「な?変わった魚だろう?」と老水夫が声をかけてきた。「トロール船には三十年以上乗っているが、こんなのは見たことがないね。網にかかっているのを船長が見つけたときには指にかみつこうとしたんだ。きっと、あんたが気に入るだろうと思ってね」

 この魚が捕れたのはカルムナ川河口の水深四十尋(約七十メートル)の場所だったという。とにかくマージョリーはその魚を博物館に持っていく。魚は硬いウロコを持った硬鱗類のはずだが、硬鱗類の魚はとうの昔に絶滅していて、化石でしか見られない。それが目の前に実物がある。大切な魚に違いない。
 マージョリーは師事しているジェームズ・ブリアリー・スミス博士に連絡を取るがなかなか連絡がつかない。仕方なしにマージョリーは内臓を棄ててその魚を剥製にする。
 一方スミス博士はマージョリーの手紙にあるスケッチを見て驚く。その著書『生きた化石 シーラカンス発見物語(Old Fourlegs) 』につぎのように書いている。ちなみにこの『生きた化石』は後々シーラカンス発見に魅せられた人物たちに読まれ、シーラカンス捕獲に走らせるほど影響を与えた。

 「目をこらしてそれを見た時、頭をガーンとなぐられたような感じがした。そのスケッチの魚はそれまで見たこともないような異様な魚で、それはむしろトカゲに似ていた。そのとき私の頭のなかで爆弾がさく裂した。そのスケッチと手紙を見ているうちに、まるでスクリーンに映されるようにある種の魚が視野に入ってきた。その魚ははるか古代に生存していたもので、今日はすでに絶滅し、わずかに岩石の間に断片的な化石となって残っているものである」

 スミス博士はマージョリーに魚の内臓を保存しておくように返信するが、魚は剥製にするために内臓は棄てられてしまっていた。
 スミス博士はマージョリーの手紙とスケッチを見て、いろいろな本で調べ、その魚が四億年前に生存していたシーラカンスである確信する。そのシーラカンスはスミス博士によって「ラティメリア・カルムナエ・JLBスミス」と学名が付けられた。
 以後物語はスミス博士のシーラカンスに捕獲の物語と変わっていく。スミス博士はどうしても自分の目で生のシーラカンスを見てみたい。内臓をしっかり備えたシーラカンスを分析したい。だから2匹目のシーラカンスを探し求めた。シーラカンスを捕獲の為に賞金を掛けた。しかし2匹目のシーラカンスはその間第二次世界大戦があり、アフリカでの政情不安定などあってなかなか見つからなかった。

 一九五二年、第二のシーラカンス捕獲を心に誓ってから十四年が経過した今、(スミス)夫妻は再び東海岸のシーラカンス捜しに乗り出した。どうしても二匹目が見つからないことにふたりは焦燥感をつのらせていた。

 そしてついに知り合いの冒険家エリック・アーネスト・ハントが5フィート大のシーラカンスを手に入れた。コモロ諸島のアンジュアン島の南東沖ドモニという町に近いところで漁師に釣られた。スミスは南アフリカの首相にかけ合って、政府専用機でシーラカンスを運んだ。
 当時コモロ諸島はフランス領であった。だからそこで獲られたシーラカンスはフランスのものであった。それをスミス博士は知事の言質を取って南アフリカに持ち込んだが、シーラカンスが世界的に話題なってからはフランス政府は黙ってはいられなくなっていく。そして、

 「今後、本年末まで、モザンビークとマダガスカル間のインド洋海域にあるフランス領コモロ諸島でシーラカンスを採取するのはフランス人科学者に限るものとする。フランス人以外の科学者が探検することは全面的に禁止する旨を――同地フランス当局はすでに発表している」
 シーラカンスはフランスの魚になっていた。

 以後シーラカンスはフランス人科学者によって解明されていく。締め出された恰好になったスミス博士は自らの知力の衰えを感じつつあった。(もともと虚弱体質であった)1968年、70歳のスミス博士は致死量のシアン化物を飲んで自殺している。
 シーラカンスが他の地域にも生息している可能性があった。中米における先スペイン時代の古代文明圏の神への奉納品としてシーラカンスとみられる置物が見つかっている。

 地元で――ということは、おそらく中米沖で、シーラカンスが獲れたのだ。遠く沖に出ていけば、コモロ諸島と同じ条件の海域、つまり岩が多く、火山性の洞窟があり、水深の深い海域はいくらでもある。世界中のこうした深海のどこかにもシーラカンスが暮らしていて、ただし今までは適切な捕獲方法を知らなかっただけだ――こう考えて何の無理があるだろうか。
 ハンス・フリッケは、この可能性を否定しない。「コモロだけがシーラカンスの生息地だとは考えられない。誰にもみつからないといいのだが」

 そしてインドネシアのやはり市場でシーラカンスが見つかるのである。
 さて、シーラカンスの発見は何が貴重なのであろうか。たぶん四億年前に絶滅したと思われているものが、ほとんど進化もせずに生存している事実であろう。この本ではこのことには触れていない。
 それよりもシーラカンスを研究することが「失われた鎖の輪(ミッシング・リング)」の解明に役立つと考えられたのだ。
 チャールズ・ダーウィンは人間の祖先はサルであり、その祖先は爬虫類であり、さらにその祖先は魚類にさかのぼるというのであった。ダーウィンやウォレスといった19世紀の博物学者に率いられた科学者は、陸生生物の真の元祖には、呼吸する能力と、陸を歩く足が不可欠だと確信していた。

 科学者はジグソーパズルの細片を集めるように徐々に証拠をそろえはじめ、絶滅した動物の化石を利用することで進化論の正しさを証明していった。欠落部分である「失われた鎖の輪」のなかでも特に大きく欠けていたのは、海中の魚が陸に上がって暮らしはじめたメカニズム――文字通り、進化の歴史での「最初の一歩」のメカニズム――だった。海の生物と陸の生物をつなぐ証拠が見つかれば、進化論の正しさは一気に強化され、世界は神が創造されたとする「特殊創造説(クリエーショニズム)」を打破することができるはずだった。

 シーラカンスの発見はその「最初の一歩」を見いだせるものかもしれない、という期待があったのだ。そういう意味では生きた化石であるシーラカンスは貴重であったのだ。シーラカンスを細かく分析していくと、進化の過程に見られる兆候があったが、結局、

 最初の「歩く魚」決定選手権のチャンピオンの座はまだ空席のままだ。

 最後にシーラカンス争奪戦にあたり日本が度々出て来る。しかしそこには札束で頬を叩くかのように、金にものを言わせてシーラカンスを捕獲しようとする日本の水族館や企業が嫌らしく書かれる。
 さらに、

 ある気がかりな噂が流れはじめたのが、ちょうどこのころだった。シーラカンスのことが中国にまで伝わっていて、金目当ての漢方医が、この魚の脊索に入っている体液を一滴飲めば不老不死が約束されると言いはじめていたのだ。こうしてシーラカンスは日本人を仲介にして闇市場で取り引きされ、買い取った中国の開業医は、体液一滴につき千ドルという途方もない値段で客に売りつけているというのだ。シーラカンス一匹の脊索には透明で琥珀色したこの体液が三リットルほど入っていることから、魚の価値はおそろしいほど跳ね上がった。

 という記述もあった。ふと、高校時代の世界史の先生が言った冗談を思い出してしまった。あの時は北京原人だったが。シーラカンスは北京原人よりはるかに古い。その効能は北京原人の比じゃない。
 とにかく何に使うにせよ、金に目がくらむ人間たちの乱獲を恐れてしまう。今は厳しい規制がかかっているようだ。

サマンサ・ワインバーグ 著 /戸根 由紀恵 訳『 「四億年の目撃者」シーラカンスを追って』 文藝春秋(2001/07発売) 文春文庫


by office_kmoto | 2018-11-13 05:57 | 本を思う | Comments(0)

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