2019年 08月 05日 ( 1 )

八木 福次郎 著 『新編 古本屋の手帖』

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 著者は月刊誌「日本古書通信」の編集に長いこと携わって来た人である。この「日本古書通信」は一時購読していたことがある。開高健さんの古本を探していた頃である。開高さんの本を神保町の古本屋さんで探し回っていて、それが見つからず、この「日本古書通信」に広告を出していた古本屋さんの目録にその本があり、注文のハガキを出した。当時はまだネットがなく、広告にある本を手に入れるにはハガキを出して購入希望を出すのである。応募者が多い場合抽選になる。このシステムを使って数冊開高さんの本を手に入れたが、外れたものをあった。
 さて、この本である。内容は神保町の古本業界史と、古本屋や出版の有り様、そして著者が「日本古書通信」時代に係わった作家たちの思い出がつづられている。興味深かったのは、関東大震災後の古本屋業界と円本の話であった。

 関東大震災の座談会の発言のなかでもあったように、古本屋をやめようと考えた人も大分あったが、その直後から本を求める人が古本屋に殺到した。東京に集中していた出版社、印刷、製本業が潰滅状態になって復旧には時間がかかる。その点古本屋は焼け残った店や本もあったことと、地方からの仕入れですぐにでも補給することができた。需要と供給の関係で必然的に値上がりもした。定価以下で売られていた新しい本も、定価以上に売れていく。それまでに出た本が出版界の復旧まで絶版本になったのである。復旧してもすべての本が再刊されるわけではなく、出版をやめた出版社も少なくない。
 このような古本ブーム時代は、二、三年間は続いたようだ。しかし、その間に古本に対する考え方が、古本屋も一般読者の間でも大きく変わったことは事実で、失われた資料を収集、保存することへの関心も高まった。
 出版界も一年か一年半で復旧すると新しい出版物が市場に出廻るようになり、古本界は後退を余儀なくされるようになってきたが、この二、三年間に蓄積した資力や販路の拡張はその後に続くもので、この大災害を機会に古本業界は大きな飛躍をした。

 震災で本や資料をだいぶ失った。そのためそれを求める人たちが増え、古書即売展が盛況となった。

 古書即売展も、関東大震災を契機として急激に回数が多くなった。それまでの古書展のあらましを記すと、現行行われているような即売展が東京地方で開かれた最初は明治四十二年十一月、横浜の浜港館で開かれたのが最初と言われている。

 そして東京で始めてのデパート古書即売展が日本橋白木屋で開催されたらしい。こうして、

 関東大震災によって喪失した資料、文献を収集する意欲が盛りあがって、それはやがて昭和初期の円本時代につながっていく。

 こうして集められた資料が、円本全集の資料になったのである。

 さらに時代は、昭和初年で、当時の経済界は大恐慌時代であった。出版界も不況にまきこまれ、起死回生の脱出口をさぐっていた時、大正十五年十一月、改造社の『現代日本文学全集』に発表された。いわゆる一冊一円の円本である。出版界はその無謀さに一驚したが、読書界は本に飢えていたから、この企画を歓迎した。また円本の企画に使う資料、文献は震災後集められていたから、円本時代を築くのであった。
 野口冨士男さんの『わが荷風』に円本ブームに触れている。

 円本ブームというような現象がなかったら、文学書が一般家庭に入るということすらなかったろう。そういう意味では、あの時代の円本ブームは、現在のテレビや週刊誌の浸透にほぼ通じるものがあったといえる。

 ちなみに、

 出版界に円本全集時代が華々しく到来し、その数二百種に及んだという。

 しかし、

 数年たつとやがて円本の材料も尽き、一方で読書界もくたびれてしまうと、結局一場の夢、無慙な末路を迎えた出版社が多かった。

 売れ残った円本はかなりの数だったと聞く。今でも時たま古本屋さんの均一本の中にそんな円本の端本を見ることができる。
 そんな円本合戦の最中に岩波文庫が誕生した。岩波書店は円本全集の波に加わらなかったが、岩波文庫発刊の辞、「読書子に寄す」で激烈な文章で円本を批判しているのが、岩波書店らしい。

八木 福次郎 著 『新編 古本屋の手帖』 平凡社(2008/10発売)平凡社ライブラリー


by office_kmoto | 2019-08-05 06:33 | 本を思う | Comments(0)

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