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山口 瞳 著 『青雲の志について - 鳥井信治郎伝』山口 瞳/開高 健 著 『やってみなはれみとくんなはれ』

d0331556_06223293.jpg 山口さんと開高さんの共著である『やってみなはれみとくんなはれ』はサントリーの70年史に収録されたものであるらしい。いわゆる社史であるが、直木賞作家と芥川賞作家の二人を擁するサントリーだからこんな豪華な社史が出来る。山口さんがサントリーの戦前、開高さんが戦後を担当している。
 まずは山口さんの集英社文庫『青雲の志について - 鳥井信治郎伝』は、開高さんと共著である『やってみなはれみとくんなはれ』の戦前史と重複する。ただ新潮文庫版の『やってみなはれみとくんなはれ』には柳原良平さんのイラストがあって楽しい。
 今回は山口さんの『青雲の志について - 鳥井信治郎伝』を中心に書くことにする。副題に鳥井信治郎伝とあることについて山口さんは次のように書く。


 寿屋の社史を書くということは、とくに戦前のそれを書くことは、鳥井信治郎の伝記を書くというのと等しいのである。


 ところで以前鳥井信治郎のことを書いた伊集院静さんの『琥珀の夢―小説 鳥井信治郎』を読んだ。同じ鳥井信治郎のことを書いたものであっても、伊集院さんのこの本と山口さんの本との違いは、寿屋に籍を置いたことのある人間かどうかでだいぶ変わってくる。寿屋の実際いた人間が書く社史の方がサントリーの体質を直に感じ、受け継いできただけにその重みが違うように思える。


 この「変わっている」ということは、私にとってはいいことなのである。「変わっている」ことを愛しているといったほうがいいかもしれない。


 山口さんはサントリーに在籍して他の会社と比べ変わっていることに重点を置く。そしてそのことが鳥井信治郎の人間性から発していることを書く。
 ここで一つ鳥井信治郎が書いた思い出話を紹介する。これは伊集院さんの本にもあった。信治郎が子供の頃、母に連れられて天満の天神さんへ参った。当時そこには多くの乞食が物乞いをしていた。信治郎は施しをした。乞食は大きなジェスチャーでお礼をするが、それが面白くて、ついついそれを見てしまう。その時母親は信治郎を叱り、施しをした後、振り向いてはいけないと強く信治郎の手を引いて先に進むのであった。
 この時信治郎は子供であったから、乞食のお礼の仕方が面白かっただけなのだが、後年母親の行動を思うとき、「陰徳にはお礼はいらない」を教えたものではなかったのだろうかと考えるのである。


 後を振り返って見ようとする心はそのお礼を待つ心であり、物を恵んだのだからお礼をするのが当たり前だとする心で、陰徳を施そうする無私の心持とはおよそ反対の心である。


 そして信治郎は次のように考えるようになる。


 善因の中で陰徳にまさる大きな善果はないといわれる。まことにその通りで極めて小さな心理でもそれを身を以て体現してゆくところに思いもかけぬ大きな真理に到達するものである。


 ここから山口さんは次のように書く。


 私はこの「陰徳あれば陽報あり」も信治郎の人間性、および寿屋の成立と発展を見るとき欠くことのできないものだと思う。


 さらに母親の振り向くな、という教えも信治郎の心の中にどっかり根を下ろしたのではないか、とも書く。それがサントリーという会社の経営資質となったのではないかとも山口さんは書く。


 「後をふりむくな!」
 「前へ前へ進め!」
 そういう具合になっていったのではないか。
 そうでなかったら、寿屋という会社の実態が私には理解できない。寿屋は、いつでも突進するのである。あるときは猪突猛進するのである。あるときは、ドン・キホーテであった。バカバカしいような失敗もあった。何度も倒産寸前に追いこまれた。それでも前を見ていた。後を振りむかなかった。道を拓いていった。それが寿屋の一貫した経営姿勢である。



 山口さんは信治郎のことを追い続けるうちに自分の父親の体温を感じてしまう。信治郎や山口さんの父親にあるその突進力を明治にあって昭和にない「星雲の志」と名付ける。
 サントリーにある突進力は社内にある熱気を生む。それは「変わっている」と同様サントリーに在籍した者しかわからないものだろう。

d0331556_06241449.jpg さて、サントリーと言えば、あるいは開高さんや山口さんといえばやはり広告であろう。その広告について開高さんは次のように書いているのは興味深い。


 政治宣伝にくらべればコマーシャル宣伝などモノの数ではない。その執拗、深刻、苛烈、また人をのっぴきならぬところへ追いつめ追いこみ、殺しあいを煽りたて、そそのかし、しかも責任のありかたがまったく不明だという点で政治宣伝ほど恐しいものはないのである。ヨーロッパは政治宣伝の修羅場であったし、いまもそうであるが、日本には“天皇陛下のために”という唯一最大のキャッチフレーズがあるきりで、それでいっさいがはこばれたから、政治宣伝らしい政治宣伝はなかったのだといってもよい。だからその威力の底知れなさが骨身に沁みてないところがある。今後そうではすまされないのかもしれぬ。沁みたときはいつでも手遅れで、どうにもならなくなっているときであるが……


 最後に『青雲の志について - 鳥井信治郎伝』の巻末にある矢口純、柳原良平、山口瞳の鼎談解説がある。そこで矢口さんがサントリーの大阪プラントに鳥井信治郎の銅像の除幕式で松下幸之助も出席し、信治郎との思い出話が語られた。そこでは幸之助が奉公していた自転車屋での話が紹介されている。修理した自転車を鳥井商店に持って行ったとき、信治郎に「がんばれよ」と言って頭を撫でられた話である。これが伊集院さんの本の冒頭にあるシーンだったのだな、と知る。


山口 瞳 著 『青雲の志について - 鳥井信治郎伝』 集英社(1981/08発売)集英社文庫

山口 瞳/開高 健 著 『やってみなはれみとくんなはれ』 新潮社(2003/09発売)新潮文庫

by office_kmoto | 2019-01-20 06:29 | 本を思う | Comments(0)

三上 延 著 『ビブリア古書堂の事件手帖―扉子と不思議な客人たち』

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 久しぶりにこのシリーズの新作を読む。で、扉子って誰?と思っていたら篠川栞と五浦大輔の子供だと知って驚く。二人はいつの間にか結婚して子供が生まれていたのであった。2018年の秋、栞子と大輔が結婚して7年経つという。そして扉子という女の子が二人の間にいる。そうすると彼女は小学生1年くらいか。なんでも栞子に似て友達と外やゲームで遊ぶより一人で本を読むのが好きという。
 話は大輔から本を忘れたままだから探してくれと頼まれるところから始まる。栞子は記憶をたどって本の在りかを見当を付けるが、扉子も一緒に付いて来て本を探そうとする。出来れば扉子には大輔の本を見て欲しくない。そこで扉子の気を逸らそうとして書庫にある本で扉子が興味を持った本の話、その本にまつわる出来事などを栞子が話をするという展開。
 ところがそれらの本はどう考えても小学生には難しい話である。いくらわかりやすく説明しても、このあたりはどうも無理があるように思えた。
 新しい『ビブリア古書堂の事件手帖』は今後こんな感じで扉子に本について話してあげるという展開で続くのであろうか?古本にまつわる話は面白いが、扉子に話してあげるというストーリーだと、ちょっとなあ、と思う。今後このシリーズにつき合うか、考えてしまう。

三上 延 著 『ビブリア古書堂の事件手帖―扉子と不思議な客人たち』 KADOKAWA(2018/09発売) メディアワークス文庫


by office_kmoto | 2019-01-18 05:44 | 本を思う | Comments(0)

マイ・シューヴァル/トーマス・ロス 著 /木村 由利子 訳 『グレタ・ガルボに似た女』

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 マイ・シューヴァルはマルティン・ベックシリーズの著者である。夫のペール・ヴァールーと一緒に書いてきた。しかしペール・ヴァールーは亡くなってしまった。
 マイ・シューヴァルがこの本を出す経緯は訳者のあとがきにあるので書き出してみる。

 本作『グレタ・ガルボに似た女』は一九九〇年の出版である。マルティン・ベックシリーズ最終巻『テロリスト』出版と夫であり共同執筆者であったペール・ヴァールーの死が、共に一九七五年のことだから、マイ・シューヴァルにとってなんと十五年ぶりのカムバックだ。一時は「本を何冊か出したからおいって、なにも一生作家である必要はない」とまで考えたシューヴァルだったが、あるオランダ人作家と知り合い、励まされて、再び筆を取ることになった。そのオランダ人が新たな共作者トーマス・ロスというわけだ。

 訳者はこのコンビでの次の作品が発表される可能性があると書いているが、どうやらこの後はなかったようだ。いずれにせよマルティン・ベックシリーズのファンとしてはこの本は見過ごすことはできない。
 さて、話である。
 ストックホルムを訪問中のオランダ外務省の要人がグレダ・ガルボに似た女からインタビューを受けていた。
 その時もう一件インタビューに来た記者がいると連絡があり、ダブルブッキングの様相を呈してしまう。要人付の報道官が様子を見にホテルの部屋を出た途端、グレだ・ガルボに似た女は写真とビデオでその要人を強請り、300万クローナをせしめ、逃走した。
 フリーライターのペーター・ヒルは元警官で友人オットー・ブロムから法務大臣のスヴェン・オルソンがこのオランダ外務省の要人と親友であり、要人の性的逸脱写真とビデオをネタに強請った女を公安のボー・ウェスターを使い追わせているという情報を得る。
 車のディーラーであるオランダ人のアルベルト・クローネンはフランクフルトのホテルで偶然目にしたスエーデン製のポルノビデオに家出した娘の姿を認め、慌ててストックホルムまで飛んで来た。
 クローネンは娘と一緒に暮らしていたという女を突き止め話を聞きに行ったが、その時グレダ・ガルボに似た女を追っていたペーター・ヒルとかち合う。グレダ・ガルボ似に女はクローネンの娘クリスチーネであった。クリスチーネは恋人のマッツ・ベルイグレンと一緒に逃亡しているようであった。ヒルとクローネンは共同してクリスチーネの行方を追うことになるが、同様に公安のウェスターも彼女を追っていた。
 マッツ・ベルイグレンは父親が自殺することの原因となった三人の共同経営者のうち二人を殺していた。マッツは父親の復讐をしていたのであった。
 とまあ、話はこんなところなのだが、どうも話がちぐはぐである。クリスチーネがオランダ外務省の要人を強請ることと、マッツの復讐劇とクリスチーネがオランダの要人を強請るのと繋がりがうまく見いだせない。要するに話の中に事件が二つあることの意味がわからないのである。その点がしっくりこなかった。
 多分この作品は失敗作なんだろうな、と思った。だから続編は出なかったと見ていいんじゃないだろうか。マルティン・ベックシリーズの完成度が高かったので、ちょっと残念である。

マイ・シューヴァル/トーマス・ロス 著 /木村 由利子 訳 『グレタ・ガルボに似た女』 角川書店(1993/11発売) 角川文庫


by office_kmoto | 2019-01-16 05:45 | 本を思う | Comments(0)

稲垣 えみ子 著 『震災の朝から始まった』

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 これまで稲垣さんの本は2冊読んできた。いずれも東日本大震災をきっかけに脱原発に思い至り、電気のない生活の実践が可能かどうか、実際それをやってみる。稲垣さんが他の口先だけで脱原発を叫ぶ人たちと違うのは、自らそれを実践してみせるところであろう。そうして生活をしてみると、生き方、見方、考え方も変わり、一体これまでのことは何だったのだろうと思われる。一方今の便利で効率的な生活はそうしたエネルギーの無駄遣いがそうさせてくれていることを教えてくれてもいた。
 その原点の東日本大震災に関しての取材記事がこの本だと思っていたのだが、大きな勘違いであった。この本は阪神淡路大震災で被災した人たちがその時どうしていたか、そしてその後どう人生が変わったかのインタビュー記事であった。そうだった稲垣さんはこの時朝日新聞大阪本社デスクにおられたんだ。
 考えてみると私たちは東日本大震災があったことで阪神淡路大震災のことを忘れていなかったか。確かに規模として東日本大震災の方が阪神淡路大震災より大きかった。けれど多くの人々が亡くなり、被災した事実は同じであり、もっと言えば個人レベルでは規模の大小には関係なく、被災したことで苦労されただろうことはみな同じではないかと思う。ついつい忘れてしまっているけれど、阪神淡路大震災が起こったときは、こんなことになるなんてと、間違いなく驚いたものだ。
 この本を読んで、自然災害に遭遇してしまった人々の苦労やその後の人生観の変化をこうした本を読むことで、少しでも共有し、知るべきだと思った。

稲垣 えみ子 著 『震災の朝から始まった』 朝日新聞出版(1999/06発売)


by office_kmoto | 2019-01-12 05:33 | 本を思う | Comments(0)

清水 義範 著 『発言者たち』

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 この本も読みたかった本である。だれのエッセイか忘れたが(たぶん川本三郎さんのエッセイだと思うが)そこに紹介されていた本であった。

 ノンフィクション・フリーライターの番匠が、出版社を訪ねた時、「お叱りの手紙」の話を聞いて、巷の発言者の心理に興味を持ったところからはじまる。巷の発言者はまず雑誌などの間違いを指摘する「お叱りの手紙」、さらにテレビの中の発言のひとつひとつに耳を傾け、ちょっとでも間違いがあれば即座に抗議の電話かける「抗議の電話」、さらにささやかな個人通信を作って友人知人に送りつける「わたくし通信」などである。面白いのはこうした発言者が発言者となるその理由の考察である。
 まずは、一体何が目的で、雑誌やテレビの間違いを見つけてお叱りの手紙や電話をするのだろう。その考察がふるっていて面白い。以下書き出してみる。

 差出人の多くは、地方都市在住の、お年寄りとおぼしき人たちである。自分の生い立ちや、昔の職業などが長々と語られていたりする手紙が多いのだが、それを見る限りかなりの高学歴の人々のようである。
 もと教師、というのがかなりの比率を占める。もと公務員もいる。医師、というのもある。
 年老いた女性からのものも少しあるが、その職歴や学歴はわからないものの、これだけの手紙が書ければ大したものだと思えるほど文章がしっかりしている。
 要するに、日本中のある種の老人から、大樹出版ともあろうものが、こんな間違いをしてはいかんではないかという手紙が寄せられるのである。『哲林』ほどの知性派雑誌が情けない、というお叱りだ。
 さて、ある種の老人とは、どういう老人なのであろう。番匠はそこに、やけに興味をもってしまった。
 なんとなく、想像できるような気がした。
 つまり、何らかの知的な職業についていて、今はもう引退している人々である。そして、東京ではなく、地方に住んでいる。そこでは文化人である、という誇りを抱いているのだ。それが、マスメディアの愚かさに業を煮やしている。
 おれがチェックしてやらなければ、若くて無知な連中が、日本中に出鱈目を広げて逝ってしまうではないか、と思っているのだろう。間違いを指摘してやるのが、正しいことを知る者の義務だと思っている。そのことに妙に意欲を燃やしている。
 そういう、田舎の老人が番匠の頭には思い浮かんだ。暇だから、メディアの間違いに目を光らせる時間はたっぷりあるという……。

 何となく言っていることがわかる。こういう自意識過剰な人はやはり年寄りが多いという気がする。なぜか?ここでうまいこと言っている。

 時代は変わる。時代の中で中心的に生きる人間が変わるから。
 故に、時代が変わることを最も好意的に受け入れるのは若者であり、時代が変わることを最も呪うのは老人である。
 老人にとって時代が変わることは、自分たちが否定されることである。そこで老人は変わろうとする時代に対して、命令を下したい願望を抱く。変わるな、と。
 老人は言いたいことを山ほどかかえて不機嫌でいる。

 そういう人物たちはその分野で知識や経験をたっぷり持っているものだから(たとえそれが独善的で古くさくとも)、自分とは違う事実認識や意見などに触れると、不満が爆発して、ものを言ってしまう。そういうことだろう。そのうち自分は社会やマスコミに対するお目付役、天下の御意見番気分になってしまう。マスコミによる誤報や無礼を、とがめ立てることによって、自分がそれを管理しているような気分になっているのであろう。
 一方で自分が不当に扱われているという不満がいつもある。だからいつも不機嫌である。いつも「俺にも言わせろ!」という意識がある。

 公的に発言する立場に立ってはいないことへの、いら立ちがそのことの動機なのだ。

 いつも不機嫌だからちょっとしたことでも気に掛かってしまうのだ。

 そういう人間が、一日中テレビを観続け、そこに礼儀にもとる行動を見つけると、抗議の電話をかけている。

 ここには、人間の発言欲というものがある。つまり、我を見よ、という素朴だが強い欲望だ。人間は、思いがけないほど強く自己を主張したいと願っている。そしてその願いの強さによって、自らをいびつにしてしまうこともまれではない。

 どんな人間でも、己れの意を世界に対して投影したいと、発表欲を持っている。
 なのに、発言の権利というものは、万人に公平には配られていない。金持ちと貧乏人がいるのと同じように、発言権ありの人間と、なしの人間とに分けられている。自分の発言を世に投げかけることのできない人にしてみれば、それはどうにも不満なことなのだ。おれの言うこときけ、と怒鳴りだしたいような気分でいるわけだ。

 もっともこのように半ば迷惑的なところがある自らの発言場所を見出す人間もいれば、今やマスメディアがそういう人間を見出すこともある。

 マスコミ社会は、発言者たちを強制的に生み出すのである。
 一方に、言いたくてたまらない人間たちがいて、一方に、言わせて社会をかきまぜる機関があるのだ。

 開高健さんが新聞が面白くない。唯一面白いのは読者の投稿欄だとエッセイで書いていた。その投稿も言ってみれば発言者の発言場所といっていい。しかしそれも、

 自分が出した投稿が採用されて新聞に名前入りで掲載されたりしたら、えもいわれぬ満足感が味わえるに違いない。ついついマニアのようになってしまい、投稿しまくることさえなりかねない。

 ところで出版社への「お叱り手紙」を書いてくる人々と、テレビ局へ抗議の電話をしてくる人との一番の大きな違いを次のように比較する。これがなるほど、と思ってしまった。

 出版社へのお叱り手紙を書いてくる人々と、テレビ局へ抗議の電話をしてくる人との一番の大きな違いは、前者は地方都市に住んでいることが多く、後者は東京近郊在住であることが多いという点だった。もちろん地方都市からの抗議電話がないというわけではないが、東京近郊がなんと言っても多いのだという。
 多分その理由は、なんとなく地方人にとってはテレビ局というのが身近ではない存在に思えることと、手紙はどんなに遠方に出しても同一料金だが、電話代は遠くへかけるとなると高い、ということによるのだろう。地方都市だとネットワーク局が違うということももちろんあるが。

 さて、ここでどうしても気になるのが、「わたくし通信」である。この「わたくし通信」を書く人、あるいは作る人とは、どういう人なのだろうか?

 こういう人たちは、文芸とか、評論などの、いってみればペンでする創造活動が好きで、もしくはそれに自分の可能性を予感しているのだろう。そっちのほうに才能がある、または、あるに違いないと思っている。だから大きな発表欲を持っている。
 ところが、日日の生活に追われてとか、チャンスに恵まれずにとか、時代を超越しすぎていて正当な評価を受けないとか、地方都市にいるため不当に注目されないとか、ハッタリの強いやつばかりが我がもの顔でのさばってしまう愚かな時代だからとかいう理由で、とりあえず大衆の注目をあびる場に出られていない。発表欲を満たす立場にない。
 しかし、発表欲はおさえられない。それをおさえこんでしまっては、我が我である自負を保てない。
 だから、ささやかな個人通信を作って友人知人に送りつけるのだ。ひとつには、それを通じて自分が“書く人間”であることをアピールするため。それから、そんなちっぽけなものでも、出し続けていくならば、いつか世に出るための訓練になるだろうという考えもある。少なくとも、まだ文筆で立つことをあきらめてしまったわけではないという宣言にはなる。
 そして、そのミニ通信がしかるべき人の目に触れて、思いがけないチャンスが到来するかもしれないという夢も、心の片隅にあるに違いない。
 多分、そんなところが、数多くの『わたくし通信』たちが生み出される理由であろう。

 なるほど、これって、もしかしたら私がやっているブログと同じじゃないか、と思われるかもしれない。でも私の場合は基本的な部分では違う。確かにこうしてブログを公開している以上、発表欲はある。けれど発言欲ではない。
 こうしてブログを書いているのは、自分が読んできた本の内容、感じたこと、考えたことを忘れてしまうので、備忘録として活用するために書いている。公開はしているが、売り込みなどする気はさらさらない。
 それに文才があるとはちっとも思っていないから、このブログを読まれる方はきっと悪文に苦労されているだろうな、と思っている。でもそれを修行して文章をうまく書こうなんて思っていない。あくまでも自分自身のためだから、それでいいと考えている。だから人に慮ることもないし、ウケを狙ってブログのアクセス数を増やそうなんて考えてもいない。(最近金をばらまいてツイート数を増やしたどこかの社長さんがいたが)あくまでも好きでやっていることで、それ以上でも、それ以下でもない。この点ははっきりと違います。

 番匠は自らはノンフィクション・フリーライターと称しているから小説を書く人間じゃないことは自覚している。けれど小説はいつか書きたいと思っていた。そしてこうした発言者の生態が面白く感じ、これを題材として小説が書けると思い、書きはじめた。しかしそうそうに行き詰まる。なぜか?そもそも自分がこうして小説を書くこと自体、巷の発言者と同じではないかと感じてしまったからであった。

 小説の根源は、作者の精神の中にある。
 小説とは、その作者からの何らかの訴えかけなのだ。どんな娯楽小説でも、基本的にはそうである。
 だから小説を書くということは、他人に対して、私の訴えに耳を貸せ、と迫ることである。楽しみを提供する代りに、私の発言をきけ、という構造だ。

と感じるであった。

清水 義範 著 『発言者たち』 文藝春秋(1993/10発売)


by office_kmoto | 2019-01-09 05:47 | 本を思う | Comments(1)

佐江 衆一【著】『花下遊楽』

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 この本のことを知ったのは川本三郎さんのエッセイだったと思う。

 川が見たい――突然男は思った。
 「隅田川の方へ行ってくれないか」
 タクシーに乗ると、そういっていた。

 築地の<国立がんセンター>を退院することとなった、新宿の大手書店に勤めていた宇野は、妻が会計をしている最中に、一人で病院を出て、そう言った。
 この話はまず、今みたいにはっきりと患者に癌の告知、余命宣告をしない、ちょっと前の話であろう。
 主治医が癌じゃないと言ったって、国立がんセンターに入院していたのだから、病気は癌に間違いない。それをはっきり本人に伝えず、家族のみに伝えば、当然疑心暗鬼になる。
 宇野は病院にいる妻から逃げ出し、佃島へ向かった。これまで実直に臆病に生きてきた。世間から見れば可もなく不可もない生き方だったろうし、宇野自身冒険をするような生き方はしてこなかった。

 五十七年間の人生の、石ころや水溜はあってもたいして面白味のない平坦な道を、ずいぶん遠くまでとぼとぼと歩いてきてしまった気がする。

 そんな彼が家族をおいて、これまでの生活、これまでの自分から逃げ出すよう佃島に逃げ込む。ここは宇野が生まれた時の浅草の面影が色濃く残っていた。自分はもう長くはないだろうという予感が宇野にはある。まずはあとどれだけ生きられるのか、それを知りたかった。それを知った上で残された時間を自分が思うように生きてみたくなった。そんな考えを後押ししたのが、佃大橋で出遭った女であった。

 ふと、少し離れて、女が佇んでいるのに気づいた。
 渋い茶色のコートを着た女で、襟をたて、黒い革の帽子をきっちりとかぶり、欄干に身を凭せて、川面をじっとのぞきこんでいる。暗い陰りが漂っている。――姿を認めた瞬間、そう思った。
 うつむいている女の横顔に、どこかで見覚えがあった。<がんセンター>の外来待合ロビーで、いくどか見かけた女性だと思いあたった。いつも帽子をかぶっていた。視線を二、三度あわせたこともある。そういえば、さっきも薬局のまえのソファーに、ひっそり腰をおろしていたように思う。
 小柄な女で、四十前後だろうか。少なくとも宇野より十以上若い。
 宇野の視線を感じたのか、女が顔をあげてこちらを見た。彼はちょっと狼狽して、軽く会釈をした。会釈をかえした女の表情がかすかになごんで、彼女も<がんセンター>で見かけた相手だと気づいたようだった。

 宇野は女が自分と同じ癌患者であろう親近感から声を掛け、一緒に佃島を歩くことにした。このあたりは癌という死病を抱えた人間同士の感覚なんだろうな、と推察するしかない。
 昔の佇まいを残す町並みを歩いているとき、女の調子がおかしくなる。町の人に教えてもらった老夫婦が営む宿でしばらく休むことにした。
 その後一度は女と別れた。しかし宇野はそのままその宿で佃島に残ることにした。同じ宿で過ごすことにした。その間強引に主治医から自分の残された時間を聞き出す。主治医は半年と言うが、おそらく三ヶ月程度だろうと予測する。結局自分は助からないから、正月だけは家で過ごすよう、退院させられたことを知る。いやそうであろうとは薄々わかってはいたが……。だったら、

 限られた時間を他の誰でもない自分として生きたかった。医療を拒否して、独りで癌とたたかうことだけが、この齢になって自分が選んだ、唯一、私らしい生き方ではないのか……。

 自宅にも電話は入れた。心配する妻や娘や息子。息子は宇野の今とっている行動は父親らしくないことを電話で言うが、確かにそうであった。でも、残された時間がわずかだからこそ、この時間だけはこれまでとは違う生き方をしてみた。
 しばらく宿を起点にして佃島を歩いた。歩けば歩くほど、宇野が子供頃の過ごした浅草のかつての光景がそこにあった。
 そんな時またあの女に再会する。公園でイーゼルを立て絵を描いていた。宇野はもう宿を引き払い、近くの取り壊し寸前のボロアパートを借りていた。女と佃島を歩き、そのうち一緒にアパートで過ごすこととなる。

 「十年前に……逢いたかったわ……」

 「去年の秋、ようやくあの人と別れましたけれど、死は怖くないのに、独りでいるのがとても怖くて、どう生きていいのかわかりませんでした。宇野さんにはじめてお会いして、心が決まりましたの。あの旅館で襖越しに話をして、翌朝、独りで佃大橋をもどりながら、心の中の橋を思いきって渡ってしまえばよいのだと気づきました。あの人との歳月から離れて本当に独りになるには、わたしを閉じこめてしまう場所が必要だったのです。……あれからまだ迷いましたけれど、眼をつぶる気持で橋を渡って、わたし、逃げてきました」

 と女の過去を聞くこととなる。宇野と女は癌の痛みに耐え、お互いいたわりながら、それでも二人はお互いを求め合っていく。
 読んでいて感じたのだが、宇野と杉京子の存在感が稀薄なのである。物語ではお互い同じ癌で苦しみ、痛みに耐え、残された時間がわずかなことを共有する関係であり、そこにお互いの過去が絡み合って、男と女関係が濃密になるのであるが、それでもお互いの影が薄い。
 ただよく考えれば、病で残された時間がわずかな男と女の関係はそれほど濃密にはなれないかもしれないから、これでいいのかもしれない。

佐江 衆一【著】『花下遊楽』文藝春秋(1990/10発売)


by office_kmoto | 2018-12-28 07:03 | 本を思う | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『春に散る』

d0331556_06220620.jpg この小説は新聞掲載時にずっと読んでいた。だから単行本になってもわざわざ買わなくてもいいかな、と思いそのままにしていた。ところが前回沢木さんのエッセイを読んでいて、この話について語っているところが数カ所あり、読んでみようかな、という気になった。

 話は元ボクサーである広岡仁一がアメリに渡ってから40年ぶりに日本に帰るところから始まる。
 広岡は日本のボクシングの不正なジャッジ(ちょっと前に奈良判定なるものが話題になったが似たようなやつである)に愛想尽かし、26歳の時アメリカに渡ったり、ボクシングを続けたが、自分の能力に限界を感じ、ボクシングを辞めた。以来苦労しながら、ホテル経営をするようになり、それなりの資産を残していた。心臓に持病を持っていたこともあり、日本に帰ろうとふと思うのであった。
 日本に帰って、ボクシングの試合を観戦している時、かつて所属していたボクシングジムの会長の娘、令子に会う。令子は会長の後ジムを継いでいた。
 その後広岡はかつて所属していたボクシングジムで一緒に練習に励み、世界チャンピオンを目指していた四天王と呼ばれていた仲間を訪ねる。しかし広岡を除く三人はうらぶれた生活をしていた。広岡は一軒家を借入、彼らを呼び、かつてジムの寮で一緒に暮らしていたような生活を始める。
 四人が集まり、「元ボクサーの老人ハウス」と茶化されながら「チャンプの家」と名づけたシェアハウスであった。
 四人がそろったことで祝いの会をしている時、若いチンピラに絡まれる。ただチンピラは歳老いたとはいえ世界チャンピオンを目指した元プロボクサーにかなうはずもなく、あっけなく蹴散らされる。ただそこにプロボクサーのライセンスを持つ若者がいた。ファイティングポーズを取りながら、広岡に迫ってくるが、広岡のクロスカウンターによって倒されてしまう。この若者こそ翔吾であった。ここで上巻が終わる。

d0331556_06223972.jpg 下巻はその翔吾が四人のもとで、彼らがかつてそれぞれ得意技として持っていたテクニックを教わり、自らのボクシング生活を再スタートさせるところから始まる。
 翔吾は父親がボクシングジムを経営していたが、父親の方針に反発し、ボクシングを止めていた。翔吾はあの時の広岡たちの強さに驚き、弟子入りしたのであった。一方広岡たちも翔吾に自分たちのボクシングを教えることに生きがいを感じ始める。
 翔吾はもともと高校生チャンピオンであったが、四人の教えを身につけることによって、さらに実力を増し、まずは令子のジムに所属するボクサーをスパーリングではあるが、倒し、試合でも勝っていく。
 ところが広岡は翔吾の仕種で網膜剥離ではないかと疑い検査を受けさせると、網膜裂孔であった。このままボクシングを続けていると、網膜剥離になり、ボクシング人生は終わる。翔吾は世界チャンピオンタイトル戦を控えていた。試合は翔吾の希望もあってそのまま行われ、翔吾はタイトルを奪う。翔吾の右眼はほとんど視界がなくなっていた。
 結局翔吾は世界チャンピオンになって、そのあと一試合もなく引退し、アメリカに広岡のように渡ろうとする。その広岡は持病の心臓発作を起こし、意識が遠のくところで物語は終わる。

 上下800ページ以上ある長編であるが、2日で一気に読み終えた。話の設定はある意味陳腐だし、沢木さんのノンフィクションに比べると、こんな話しか書けないのかな、と思うところがあったけれど、決して嫌いではない。だって2日で読み終えたくらいだから。


 老いをどのように生きたらいいのか。つまりどのように死んだらいいのか。たぶんそれは、どのように人生のケリをつけたらいいのかということにつながるものなのだろう。


 この物語がたとえ陳腐であっても、広岡は自分の人生に自身でどうケリをつけていくか、その一点で読むことが出来たといっていいかもしれない。


 「しかしね、親というのは、意識するかどうかは別にして、どこかで、自分の命を子供に分け与えることを受け入れた人がなるものだと思います」


 「君のお母さんもそれは覚悟の上だったはずです。ただ、君の成長をこれ以上もう見られないのだと悟ったとき、きっと深い悲しみを覚えたことでしょう。しかし、親が自分の子供のために命を投げ出すこと、あるいは奪われることは少しも苦ではないと私は思います。無残なのは、意味もなく命を奪ったり奪われたりすることです。奪ったり奪われたりしたあげく、もっと無残なことをするようになる」


 これは広岡がいたジムの会長真田の言葉である。令子の父親だ。この人いい味をだした人物で、魅力的だ。この物語では広岡の思い出として出て来ないが、この言葉をとってみてもものすごく存在感がある。だからこそ、広岡たち四人は真田を慕ったのであった。


沢木 耕太郎 著 『春に散る』〈上〉 朝日新聞出版(2017/01発売)

沢木 耕太郎 著 『春に散る』〈下〉 朝日新聞出版(2017/01発売)

by office_kmoto | 2018-12-26 06:25 | 本を思う | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『作家との遭遇 全作家論』

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 この本は沢木さんによる作家論を集めたものである。あとがきに次のようにある。

 フリーランスのライターとなった私が、作家と「遭遇」する場は「酒場」以外にもうひとつあった。「文庫」の解説を書くという機会を与えられるようになったのだ。

 普通文庫の解説はさらっと人の印象など書いて終わるものだが、沢木さんの場合は、そうした解説を書くというのをチャンスと捉えて、その作家の全作品を読み直して自分なりの「論」を立てるという。だから原稿の枚数も通常の解説の域を超える長さになるという。
 でもこのようにしか本を読めないとなるとかなりきつそうだ。本を楽しむということから程遠いような気がしてしまうが、沢木さんは違うのだろうか?
 実際読んでいるとかなり重い。

 ここに挙げられた作家たちで、興味があった作家は山口瞳、色川武大、吉村昭、瀬戸内寂聴、そしてアルベール・カミュである。
 瀬戸内寂聴の作品は読んだことがないが、『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』は実際に読んでみたくなった。
 アルベール・カミュは高校生の頃読んだきりだが、代表作の『異邦人』『ペスト』はもう一度読み直したいな、と思っているので、興味深く読んだ。この沢木さんの大学の卒業論文は特にカミュの生い立ちを何も知らなかったから、その生い立ちと1930年に発症した結核が後のカミュの行動、作品に多大な影響を与えていたことを知る。

 カミュの作家としての特異性ということを考えるとき、植民地に生まれ育ったということと、極めて貧しい労働者の家に育ったというふたつの事実は、確かに見逃すわけにはいかない。

 彼が終生「富裕さ」から遠くにいたことは確かである。とりわけ幼少期から、青年期にかけて彼は貧困のさなかにあった。カミュにとって「貧困」は二重の意味をもって現れた。ひとつにそれは、惨めさと醜さであり、空も希望もない生活に結びつく、真の不幸である。しかし、一方で貧困は、太陽と空と海に結びつくとき、光をより輝かせ、肉体の喜びを激しく燃え立たせる。そのとき、「貧困は豪華」なものとなる。それはいわば貧困の「裏」と「表」なのである。

 カミュは幼少期は確かに貧困であったけれど、そこには自然があった。自然の中で生きてる充実感を思う存分味わっていたことも事実であったのだろう。貧困は克服されなければならないけれど、だからといってあの中にあった生きることの自由さは失いたくないという思いもあった。その貧しくても「生」を謳歌した幼少期を沢木さんは「神話期」と称している。

 カミュにとって、貧しさは克服されなければならないものであっても、その克服によって逃れ去ってしまうかもしれない、あの「生」の自由さと輝きは失いたくないとも思える。カミュの政治哲学の曖昧さは、貧困に対するこの心の揺ぎによっている。

 後にカミュが積極的に共産党に参加するのは、貧困は改革されねばならないということであったが、一方でその改革のため全体主義が横行するなら「貧しさ」の中にあるあの自由さと「輝き」を失ってしまうと考えるようになり反共的になっていくのもその揺らぎによる。
 一方結核による死の恐怖は、

 カミュにとって、若くして「死」に直面せねばならなかったという事実は、拭っても拭っても消え去らぬものとして、彼の肉体に深く刻みこまれた。彼は一生、この「早すぎる死」から逃れることはできなかった。もちろん、彼は結核から回復していくのだが、そのとき出会った「死」を重く引きずって歩んでいかなければならなかったのだ。例えば、そのとき彼の全作品が「死」を中心とした宇宙以外を、ほとんど対象としえなかった点にもあらわれている。彼の創作は、基本的にすべて「死者の物語」である。

 そして人の死は成熟していく最終過程にある。ところがカミュは幼少期である「神話期」への激しい回帰願望があるものだから、成熟を拒む意識があった。

 彼は死を恐れることによって、「成熟」することをも恐怖した。成熟はこの甘美な追憶の世界から、決定的に彼を引き離してしまうからだ。「成熟」とは、「神話期」の世界への回帰不能性を自覚的に生きていくことだ。

 これによってカミュの中で幼少期と結核による死の恐怖がカミュの中で微妙に絡み合っていることを知った。

 さて順番は前後してしまったが、作家論として山口瞳さんについて書かれた「論」みついて思ったことを書く。
 山口さんには自分だったらしない人の行為を強く否定するところがある。それはエッセイを読んでいてミットモナイ、田舎者とあからさまに言うところに見ることができる。沢木さんはその否定には「激しさや鋭さだけでなく、ある必死さが感じられる」と書く。それを司馬遼太郎さんが「命がけの癖論家」と称したが、沢木さんは次のように書く。

 私にはその評言の核心はやはり「命がけ」というところにあるように思われる。「拒絶反応」といい、「非寛容」というが、いずれにしても山口瞳の否定には、どこか「命がけ」のところがある。

 通常ここまで強い否定をすれば危険さえ伴う可能性がある。だから自らの安全を考えれば黙殺すればいいのだが、それをあえて言うところに山口瞳の美学があり、ときにそれを「よくぞ言ってくれた」と心地良く思う人がいるから山口瞳は支持されるのであろう。

沢木 耕太郎 著 『作家との遭遇 全作家論』 新潮社(2018/11発売)


by office_kmoto | 2018-12-23 06:15 | 本を思う | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『銀河を渡る 全エッセイ』

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 沢木さんにはこれまで「全エッセイ」と称する本が2冊文藝春秋社から出ている。今回は何故か新潮社から出ているので、あれ、と思った。
 まあ、どこの出版社から出てもいいのだが、出来れば同じ「全エッセイ」なら同じ装丁でシリーズみたいになっているからそろえてくれれば見栄えもいいのにと思ったのだ。

 さて、この本は沢木さんのエッセイを、歩く、見る、書く、暮らす、別れるのカテゴリーに分けてそれぞれ章を設けてまとめてある。そういう意味では読みやすかった。
 いくつか気になる文章があったので書き出してみる。
 沢木さんといえばやはり旅について書かれた文章が気にかかる。

 心に残る、という言葉がある。それとよく似た言葉に、心を残す、というのもある。心に残るという言葉が、あるものが自分の心に棲んでしまうことだとすると、心を残すというのは、自分の心をある場所に残し、棲まわせてしまうことだと言えるかもしれない。(心を残して、モロッコ)

 しかし、遅かったかな、と思わざるをえなかった。来るのが遅かったかな、と。少なくとも、私が二十代のときに訪れていたら、まったく異なるマラケシュに遭遇できていたにちがいなかった。
 ――遅れてしまったか……。
 だが、あらゆる旅人は常に間に合わない存在なのだ。たとえ、二十代のときに訪れていたとしても、たぶん「遅かった」と思っただろう。旅人は宿命的に遅れてきた存在にならざるをえないのだ。(心を残して、モロッコ)

 彼らが感動するのは、すでに、中国や香港だけでなく、台湾にもタイにもマレーシアにもシンガポールにも高層建築群は存在しており、高速鉄道がある国も珍しくなくなっている。彼らはそういうものではなく、日本人にとってはなんでもないこと、つまり、清潔なこと、親切なこと、おいしいことといったようなものに心を奪われているらしいのだ。

 日本の政治家たちは、依然として沸騰するアジアの中心にいたいと願っているらしい。それはそれで悪いことではない。しかし、アジアで最初に高度経済成長を遂げ、いまはその終焉の中にいる日本にとって、目指すものはあくまでもアジアの経済発展の中心になろうとすることではないような気がする。(鏡としての旅人)

 かつて私はこう書いたことがある。
 旅には「夢みた旅」と「余儀ない旅」との二つがある。人は「余儀ない旅」を続けながら、時に「夢みた旅」をするのだ、と。
 しかし、近年は、その「夢みた旅」も大きく二つに分かれるのかもしれないと思うようになった。
 ひとつは自分が自分の足跡を残す旅であり、もうひとつは誰かが踏み残した足跡を辿る旅である。(足跡――残す旅と辿る旅)

 大きな旅の多くが誰かの足跡を追う旅、辿る旅になってしまっている。(足跡――残す旅と辿る旅)

 沢木さんのする旅とはいわゆるツーリストとしての旅ではなく、ジャーナリストとしてあるいはノンフィクション作家として、誰かを足跡を辿る旅が多くなっていることだろう。それが職業柄多くなってしまったことに、少々無念さがあるのだろうか。
 だからか、次のように書く。

 もしかしたら足跡を残す旅と足跡を辿る旅とのあいだには、あまり差がないのかもしれない。まっさらと思えている前途にも、見えない点線がついていて、それを無意識に辿っているだけかもしれないからだ。(足跡――残す旅と辿る旅)

 言い訳がましいく聞こえるけれど、これはその通りではないかと思う。まっさらな旅などあり得ないのは真実であって、どこかで誰かの影響を受けてその旅が始まるのはやむを得ないのではないか。
 次に本に関する文章。

 あるとき、年長の作家にこんなことを訊ねられた。
 「もし家に本があふれて困ってしまい処分せざるを得ないことになったとしたら、すでに読んでしまった本と、いつか読もうと思って買ったままになっている本と、どちらを残す?」
 当時、まだかなり若かった私は、質問の意味がよくわからないまま、考えるまでもないという調子で答えた。
 「当然、まだ読んだことのない本だと思いますけど」
 すると、その作家は言った。
 「それはまだ君が若いからだと思う。僕くらいになってくると、読んだことのない本は必要なくなってくるんだ」
 そして、こう付け加えた。
 「でも、君たちにとっても、実は大事なのは読んだ本なんだと思うよ」
 「そういうもんでしょうか」
 私はそう応じながら、内心、自分は読んでもいない本を処分ることなど絶対にできないと思っていた。
 だが、齢をとるに従って、あの年長の作家の言っていたことがよくわかるようになってきた。そうなのだ、大事なのは読んだことのない本ではなく、読んだ本なのだ、と。
 文書を書いていて、あの一節をここに引用してみたらどうだろうと思いついたりするのは、当然ながらかつて読んだものの中にしかないということもある。読んだことのない本から引用することはできない。しかしそうした実際的な理由ばかりでなく、暇な時間に、ふと読みたくなるのが、新しい本より、かつて親しんだ作家の何度も読んだことのある本だということが多くなってくるのだ。(キャラバンは進む)

 これは年長の作家の言い分に分があると思う。それは歳をとればとるほどそう思う。実際自分の本棚でも、棚に残してあるのは読んだ本たちだ。
 まだ読んでいない本でも、それを読み終えてまた本棚に戻すかどうかの基準は読んで何らか気にかかる文章がある本たちであり、少なからず感動なり、感心した本たちである。なんでも本棚に戻すわけにはいかない。そんなキャパシティがない。
 ただ残念なことにまだ読んでいない本が多く棚にある。
 私には本に関して強迫観念がある。これを今読まなくてもいつか読みたい。けれどその時この本が手には入るとは限らない、ということを知っている。
 本屋に勤めていた頃、本がすぐ品切れ、重版未定、ちょっと古い本だと絶版という状態になるのを、短冊(注文票)にベッタとその旨のゴム印が押されて帰って来るのを見ていたからである。そしていったん新刊書店で手に入れそこなった本を古本で探すのは、今みたいにインターネットが普及していない時代だったから、古本屋を歩いて探すしかなかった。その苦労(それはそれで楽しかったけれど)を実感しているので、本を見たらまず手に入れてしまうことだと思い続けた結果、読んでいない本が本棚に溜まってしまった。これでもだいぶ処分したのだけれど、まだそれなりにある。それを一所懸命読んでいる。だからどうしてもこのブログに載せる本は古くなるのだ。
 あと沢木さんが言うように私も最近はとみに新しい作家の本を読むより「かつて親しんだ作家の何度も読んだことのある本だということが多くなってくる」傾向があり、改めて昔読んだ本を読み返すことが多くなった。

 どうしておまえたちはすべてのものに教訓を求めるのか。ひとつの話を聞く。どうしてそこに教訓があるなどと考えるのか。教訓を引き出すということは、そこですべてを終わりにして安心するということだ。あるいは、ひとつの事件が起きる。すると、その出来事の一端が露わになっただけで、すぐわかったような顔をして、たんなる思いつきをしゃべりはじめる人がいる。そして、その事件から教訓なるものを引き出し、ひとりよがりの説教をして幕を下ろそうとする。物事によっては教訓などないものもありうるのだ。あるがままの話。あるがままの出来事を、ただ受け入れるより仕方がないものもあるのだ。もしかしたら、教訓など引き出せない方が普通だとさえいえるかもしれないではないか……。(教訓は何もない)

 私はこのエッセイ集のなかで「この季節の小さな楽しみ」、「ありきたりのひとこと」がちょっとしたコラムのようで、しかもほっこりさせる文章だと思っていて気に入っている。
 「この季節の小さな楽しみ」では、沢木さんが仕事場へ通う途中に今川焼きの店が出ていて、駅前より住宅街のここの方が個数が売れることや、母親と娘は沢木さんの本を読んでいることなど話す。母親がカタカナが多くて苦戦していたようだけれど、聞けば、後半は山の名前と人名の区別がつくようになったようです、と聞いて大笑いし、その晩はとても幸せな気分になったことが書かれる。
 時たま売り切れているときもあって、売り切れて良かったなあと思う一方で今川焼きを食べたかったなあ、と思うのであった。
 「ありきたりのひとこと」では、仕事場に向かうエレベーターに宅配便の若者と一緒になる。一日の配達数など聞いて「たいへんだね」、「頑張って」と声を掛けると、その若者は帽子をとって軽く会釈しながら「ありがとうございます」と言った。たったそれだけのことなのだが、その若者の返事がとてもいい気分にさせてくれたことを書く。
 沢木さんの父親が亡くなったとき、幼い男の子と母親が焼香に来てくれた。その時母親が、沢木さんの父親がエレベーターで男の子と一緒になるとよく声を掛けてくれ、それがその子にはとても嬉しかったようだったことを聞く。
 これも先の宅配便の若者同様ありきたりの言葉が声を掛けた方、掛けられた方とも一瞬の温もりをもたらすことを感じることが出来る。ちょっとした短編風で良かった。
 それで思い出すことがある。
 娘は昼間は仕事に出ているのでインターネットで注文した荷物を直に受けとることが出来ない。そのためその荷物の受けとり場所が我が家になっている。娘は頻繁にネットで注文するから、宅配便の業者が一日に何度も来る。そのため荷物を受け取るとき業者と少し話をすることが多くなった。彼らとの話はちょっとしたことだなのだけれど、心に残る。たとえば要らないレコードを運んでもらったとき、業者は「高く売れるといいですね」と言ってくれたり、荷物を受け取るとき「またお願いします」とその業者に直接注文した訳でもないのにそう言ってくれる。それだけのやりとりなのだが、沢木さんの言うようにいい気持になれる。

 最後に「お・も・て・な・し」のことが書かれていたのでそれを書く。例のオリンピック招致の時のプレゼンである。

 だが、「お・も・て・な・し」が気恥ずかしかったのはそれだけが理由ではなかった。「もてなし」に「お」がつけられている。なんだか、そのことによって、彼女のスピーチが、味より外見や雰囲気で会食の店を選んでしまう、社用の接待係の台詞のように聞こえてしまったのだ。

 たぶん真の「もてなし」の精神とは、「おもてなし」をしているなどということをあからさまに示さないところにあるのだろう。社用の接待係のように、いかにも「接待している」ということを相手に伝えなければならないというのではないかぎり、「もてなし」は、しているかしていないかわからないくらいのさりげなさをよしとするはずだ。

 異邦の人を迎えるのに必要なのは、過剰な「おもてなし」ではなく、「お」のない、ごく普通の「もてなし」であるだろう。そして、その「もてなし」は、偶然の出会いによる親切心から出たものであっても、また、計算に裏打ちされた商売心から発したものであっても、「相手の身になる」ということが基本であってほしい。(「お」のない「もてなし」)

 「もてなし」に「お」を付けるのはそれを言っているのが女性だからとも言えるし、敬語的意味合いも含めそう言ったのだろうとも考えられる。ただどうであれ、あのプレゼンが胡散臭いのはオリンピック招致が商売がらみの匂いがてしまうし、下心丸出し感がぷんぷんする。
 「もてなし」に「お」を付けるのもそういうことなんじゃないかと思う。もっとも東京オリンピックに疑問を持っているものだからそう感じるのかもしれないが……。

沢木 耕太郎 著 『銀河を渡る 全エッセイ』 新潮社(2018/09発売)


by office_kmoto | 2018-12-21 06:57 | 本を思う | Comments(0)

伊集院 静 著 『誰かを幸せにするために―大人の流儀〈8〉』

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 いささか食傷気味と言いつつ、第八弾までつき合ってしまっている。

 3・11の時、東北にいた人たちは、津波で自動車が堤防を越えて流されている映像を誰一人見ていないのである。悲惨な街の姿を見るのは一ヵ月も先のことだ。災害にしても、戦争にしても、巻き込まれた人たちは、その実態を知らないのが本当のところだろう。(悲しみ淵で)

 これは言われみればそうだ、と思う。被災者となった人たちがその被害状況を知るのは後のことだろうし、逆にそれをリアルタイムで見ることが出来た我々は結局傍観者だったかもしれない。

 世の中には、目に映らない場所で、誰かが誰かのためにひたむきに何かをしているものだ。(誰かのために生きる)

 人は悲しみと上手く折り合うということは容易にできない。それは追憶というものが、前触れもなくあらわれ、残された人を狼狽させ、戸惑わせるからである。(生きていれば)

 人を狼狽させるのは悲しい思い出だけじゃない。過去における些細な失敗、不始末も時にそうさせる。南木佳士さんはそれを「記憶の海の底に沈んでいたはずの小石」と呼んだ。記憶、追憶は時に厄介なものになる。

 人間が生きるということは、どこかで過ちを犯すことが、その人の意志とは別に起こるのである。(優しい時間)

 この文章は日馬富士の引退会見を見ているところから始まる。伊集院さんは日馬富士を何度か見かけていて、挨拶されたこともあると書いている。その度に節度ある態度に感心したと言う。
 これを読んで被害者の貴の岩が今度は付け人に暴力を振るい、自分が引退にまで追いつめられたことを考えてしまう。
 日馬富士が貴の岩に暴力を振るったのは、もしかしたら本質的に悪いのは暴力を振るった日馬富士でなく、貴の岩の態度だったのではないか。貴の岩の体質的にそうした自分勝手で、我が儘なところがあり、それをたまたま目にしてしまった日馬富士の注意が行きすぎてしまっただけのことではないか、と思ってしまうのである。少なくとも伊集院さんの目は節穴じゃない。その伊集院さんが日馬富士の態度を感心しているのである。そんな日馬富士が理由もなく手を上げるわけがない。それを今回の貴の岩自身の暴力沙汰が証明したのではないか。ババを引いたのは日馬富士であったかもしれない。
 そしてもっと言えば旧貴乃花部屋の体質にこうした不遜な態度をとることを容認するものがあったのではないか。実際貴の岩以前にも付け人を殴った力士がいたではないか。 元親方がいくら暴力反対の態度を言っても、自身の部屋の力士が暴力沙汰を起こしている以上、その教育が出来ていなかったわけだし、もしかしたらそうした我が儘や不遜な態度は元親方の貴乃花にあったのではないかと思ってしまう。少なくとも一連の騒動以来元貴乃花親方の態度にはそんなものがちらほら垣間見られた。今になって見れば、あの人は指導者には向いていなかったのかもしれない。

伊集院 静 著 『誰かを幸せにするために―大人の流儀〈8〉』 講談社(2018/11発売)


by office_kmoto | 2018-12-16 06:06 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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