カテゴリ:街を思う( 7 )

東京駅

 以前残っている旧万世橋駅の遺構を使って現代風のお店を入れ、リニューアルオープンしたのを見に行った。ショップなど興味はなかったが、煉瓦造りの駅中や残っている当時の階段、あるいはホームなど、興味深く見た。駅の設計者は辰野金吾である。その辰野が設計した東京駅駅舎が空襲で消失したドームを再現して復元された。再現されてだいぶ時間が経つが、一度見てみたかった。
 丸の内北口から南口方面へ歩いてみる。まずは北口を出たところだ。


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 そして中央口近くまで来てみる。ステーションホテルの入り口が見える。


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 このホテルには昔食事をしに入ったことがある。記憶では、曲がりくねった狭い通路を歩いて、階下を見下ろせば駅の模様が見下ろせた。
 駅前は今整備している途中なんだろう。広場になるのか道路になるのかよくわからないが、工事中の壁やガードレールが邪魔だ。ただステーションホテルの前は大通りの近くまでいけるようになっていて、駅を一望できる。北口から中央口、そして南口を眺めてみた。


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 南口に来て駅に入ってみると、ドームの天井を眺めることができる。


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 これが開業当時と同じというなら、この天井は人々を驚かせたことだろう、と思ってしまう。
 また北口に戻り、自由通路を歩いて八重洲口へ出てみる。途中資生堂パーラーに寄って、休憩する。久しぶりに美味しいコーヒーを飲む。そのまま大丸の地下街に入り、今話題のデパ地下を歩く。夕食のお弁当を買って帰った。
 平日の午後だというのに東京駅は人でいっぱいだった。さすがターミナル駅である。それにしても駅舎の周りは高層ビルがたくさんある。あのビルの窓の奥ひとつひとつに多くの人が働いているんだろう。この人たちが朝夕動き出したとこころを想像すると、ここは人でごった返すのだろう。
by office_kmoto | 2014-05-25 06:20 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

街路樹

 先日川崎で街路樹の枝が折れて、6歳の少女が大けがをしたという事故があった。枝の重さは20キロもあったという。まさに貫井徳郎さんの『乱反射』だな、と思った。
 『乱反射』の場合、人々の「まあいいか」という意識が重なって、木が倒れたことになっているが、今回の事故はこの前の大雪で痛めつけられたのと、もともと腐っていた枝が折れて起こった事故のようである。
 道端に植えられている街路樹がどこまで管理されているのか、あるいは出来るのか、解らないが、いずれにしても木々の緑や花を悠長に眺めていられない。結構街路樹が倒れてきて事故になることが多いようだ。

 私の家の近くにある大きな通りには今、ハナミズキが満開である。この通り、別名「ハナミズキ通り」と称している。このほか、近所の歩道にはかなりの数のハナミズキが植えられている。
 ちょっと前まではこのハナミズキの花はかわいいな、と思っていた。遠くから見ている分には、白やピンクの花がかわいらしく見えるが、近くによって見てみると、それほどきれいな花とは思えなくなった。むしろ“汚い花だな”と思ってしまった。花びらの先端が割れていて、黒っぽくなっているのが特徴のようであるが、それが花を汚らしく見せる。それに妙に造花っぽい。



d0331556_20213018.jpg たまたま読んでいた奥本大三郎さんの『マルセイユの海鞘(ホヤ)』に次のようにあった。


 最近ではアメリカハナミズキが加わった。あの何だか造花のような安っぽい花は日本の風景に合わない気がする。アメリカあたりのペンキ塗り住宅にこそ合え、日本の風土には似合わない。それにあれも植えすぎると花粉症を引き起こし、文字通り「亜米利加洟木」になってしまう。


 これはここのところ私がハナミズキに対して感じていたことで、深く同意してしまった。別にハナミズキに恨みはないが、この花は近くで見るものじゃないということだけは、最近思うのである。
 奥本大三郎さんは、「日本の街路樹は実につまらん、と思うのである」と言っている。ただ緑を増やすだけの目的で植えるより、せっかく木を植えたのだから、鳥や虫が寄ってくる木は植えればいいのにそうはされていない。自然環境の整備というならそういうところまで配慮して、鳥や虫が寄ってくる木々を植えるべきだというのだ。まさに虫好きの奥本さんが言いそうな言葉であるが、ただそんな木を植えて、鳥や虫が寄ってくれば、住民たちに文句を言われるから、そのような木は植えられないだろう。
 管理が簡単とか、花がきれいだとか、そういう視覚的なところで選ばれた木々が植えられている。ソメイヨシノがよく植えられているのも、日本人のサクラ好きを知っているからで、みんなから喜ばれるから多く植えられているのだろう。しかしソメイヨシノは自然の木じゃない。人工的に作られた木だ。
 奥本さんは「ソメイヨシノはクローンだし、寿命はごく短い。ある時一斉に枯死することを皆知らないのか!と何だか馬鹿々々気がした」と書いている。
 調べてみるとソメイヨシノの寿命は60年ぐらいだという。まさか花が咲いているときに倒れてくることはあるまいが、あるとき桜並木があることを喜んでいたら、急に倒れてくることもあるかもしれない。
 サクラが終わって次はというところで、ハナミズキが選ばれたのかもしれないが、あまり植えすぎる花粉症になるぞ、奥本さんは言っているから、そこは考えて欲しいものである。ただ植えればいいというものじゃない。
 それに街路樹の管理って、国や地方自治体だけに任せておけないところがある。付近の住民も大変なのだ。昔いた店の前に銀杏が植えられていたのだが、秋になると黄色い葉っぱがどんどん落ちてくる。それこそ掃いても掃いても切りがない。その上ぎんなんが落ちてきたら最悪だ。銀杏は東京都の木になっていたはずだが、結構強い木だから、排気ガスでやられない。だから道端に植えられて、多くあるのだろう。しかしあの時期は落ちてくる葉っぱやぎんなんでイヤになり、切り倒してやりたい気分であった。それが出来ないからせっせと掃除をする。そのままだと店の前が汚くなってしまうからだ。
 そういえばサクラが終わって花吹雪が舞っている頃、散歩していたら、付近の住んでいるおばちゃんたちが同じように、「掃いても掃いても切りがないわよね」と話しているのが聞こえた。

わかります。

 都会で自然と共存するというのは、倒木の危険だけでなく、こうした我慢も強いられる。なかなか虫まで気が回らない。


奥本 大三郎 著 『マルセイユの海鞘(ホヤ)』 中央公論新社(2013/12発売)
by office_kmoto | 2014-04-25 20:28 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

スカイツリー展望台

 昨日は我々夫婦の結婚記念日である。ということでかねてから行ってみたいと思っていたスカイツリー展望台へ出かけた。ゴールデンウィーク前の平日の木曜日ということで、多少はすいていると思ったのである。まあ混み具合は我慢できる程度だったので、当日券を買うのに並び、いざ350メートル上にある展望デッキへ向かった。料金は2,060円。
 エレベータを降り、外を見下ろしていると、ものすごい。しかししばらくするとなんか足下がおぼつかない感じに襲われる。この高さが頭の中についていかない感じなのだ。きっとあまりの高さから見下ろしたものだから、頭の中が混乱して、処理ができずにいるのかもしれない。
 それはそうだろう。普段地上1メートルにも満たないところで生活しているのである。それがいっきに350倍以上の高さまで上ってしまったのだ。頭が混乱して当たり前だ。
 心なしか気持があまりよろしくない。 ここまでまで来た以上、その上に行かないわけには行かない。気分がすぐれないが、さらにその上の展望回廊へ1,030円払って上がる。やはり気分がおかしい。おそらく今、普通の日本人が一番高く上れる高さ、ソラカラポイント451.2メートルの高さまでやってきた。
 結局物見遊山で出かけていったが、私達はリピーターとして、もう一度ここへ来ることはないという結論になった。妻がもう一回行っても、見える景色は変わらないでしょう、という意見に深く同意する。変わるとすれば天候の具合で見える範囲が広がること、時間帯によって見える感じが違うことだけで(それが大事なんだ、という声も聞こえるが)、建物の位置などはそうそう変わるまい。
 それでも頑張って写真を撮ってみた。もらったパンフレットには見える方向に何があるのか書かれているが、今日は春がすみがかかっており、遠くまで見通せなかった。撮った写真の数枚。

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 まずは当日券を買う前に一枚

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 たぶんおきまりの東京タワーを見下ろした写真 飛行船が飛んでいた


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 真ん中の白いのが東京ドーム。


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 東京ゲートブリッジ


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 両国国技館


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 アサヒビールの雲のような形をした奇妙な形のオブジェ


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 浅草寺周辺


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 言問橋


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 桜橋


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 展望回廊内


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 ガラス床から下を覗く


 これらの写真を選んでいただけで、また頭の中がおかしくなってきた。帰りは自宅の近所の花屋さんで花を買って帰った。
by office_kmoto | 2014-04-18 09:45 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

浅草

 正式に退職して今日で5日経つ。仕事を失うなんて思いもよらなかったので、ここのところの日々の過ごし方は、こんなにのんびりしていいのかな、と思うくらいのんびり過ごしている。昼間から部屋で足を伸ばして、お茶を飲みながら本を読む。その本の会話の心地よさに酔いしれる。周りからあれこれ指図されたり、依頼されたりすることもなく、自分の時間をゆっくりと味わっているという感じだ。
 しばらくはこんな感じで過ごしていこうと思っている。だってこれまで頑張ってきたんだから、そのくらい心の休養があってもいいはずだ。
 15日の朝、携帯にメールが入る。誰かと思えば、在職中にお世話になった税理士さんからだ。その日が私の正式な退職日だと覚えていてくれ、「お疲れ様」という言葉とこれまでお世話になりました、という言葉が書かれていた。
 私の退職日を家族以外覚えてくれているのはこの人しかいない。こういう人を得たことは、それまで自分がしてきたことを全否定された人間としては、ものすごくうれしかったし、有り難く思えた。

 一昨日は孫たちと恒例の浅草へ初詣に行ってきた。孫と会うと私ははしゃぎすぎて、夜はいつもぐったりしてしまう。この日もそうであった。孫と会っていると、日々の鬱憤が忘れられ、その日を目一杯楽しんでいる。それはそれで私たち夫婦にとって貴重な時間なのだ。孫がいてくれたおかげで、私たちは楽しい日々を過ごさせてもらっている。
 浅草は子供の頃から馴染みのある街である。父親と母親によく連れてきてもらった。花やしきで遊んだ。なぜ浅草なのかと言えば、父親が当時競馬をやっていて、ここに場外馬券売り場があるから、馴染みの街だったのである。その関係で錦糸町もよく連れて行ってもらい、駅ビルにある不二家に連れて行ってもらった。
 私の子供の頃はちょっと路地裏に入ると、どちらもまだ薄汚れた街であった。私が生まれた年は「もはや戦後ではない」と言われた年であったが、それでもどこか戦争の残滓が残っていた。町並みも商店街も、闇市まがいのものがあったし、映画館にはピンク映画の大きな看板がかかり、ストリップ劇場では主演する女優の生々しい写真がかかっていた。夕方近くになればピンサロの前にはあちこちで客引きが立ち、ネオンがギラギラしていた。子供の私にはそれらが大人の世界と写り、その通りの近くを通るだけで怖かった。
 浅草寺の境内には、片足をなくした軍服を着た傷痍軍人が杖をつきながらアコーディオンを弾いて、物乞いをしていた。それも怖くて仕方がなかった。
 どちらの街もそんな猥雑で混沌として、しかも妙なちぐはぐさが記憶に残り、私には忘れがたい街となっている。
 だから浅草というと気になって仕方がない。今でも江戸の雰囲気や下町の風情を残している街だ。そこに子供の頃にすり込まれた記憶が残っているものだから、興味がある。ただ私の興味はあくまでも風情であって、より深い芸能や寺の歴史ではない。


d0331556_124451100.jpg ちょうど半村良さんの『私の浅草案内』を読んでいた。浅草の連作短編集である。装画は酒井不二雄さんのボールペン画である。懐かしい。私は酒井さんの画集を二冊持っているが、不意に思いだして手に取ることがある。酒井さん絵はこの本にはぴったりだ。
 とにかくこの本は、会話が洒脱で、ほのぼのとしてくるし、人生の言い得て妙な言葉や思いが、つい、「うん、そうだよな」と思わせる。久しぶりに読んでいて心地よいと感じた。また知らない言葉使いも出てきて、死語になっている言葉や浅草ならではの古典落語からとった言葉など、察しがつくものもあれば、まったく意味がわからないものもある。それらを後でネットで調べながら、なるほど、と感心したりする。

 まず私が言い得て妙だ、と思った言葉をいくつか書き出してみる。


 でも人生という奴は、どうしてこういつも人の不意をつきやがるのか。油断を見すかして小突かれたような気分だ。(一文の酔)


 好きでないものを大事にしなければならない。大切ではないものに頼らなければいけない。思春期にいた私は、それを不潔だと感じた。(へろへろ)


 「でもよ、わがままって、本音でやったらあんなにきたねえもん、ねえだろう」(祭りのあと)


 人生なんて、行けば行ったで見る景色が違ってくるものなんだろう。(祭りのあと)


 初詣へ行ったとき、仲見世通り歩いたとき感じたことは、とにかくここはゆっくりと歩くところなんだ、ということであった。人の歩き方がゆっくりだ。それはここを歩く人が店を眺めながら、あるいは立ち止まったりするからそうなる。しかしだからといって、それにいらだつことがない。


 いつもふしぎに思うのだが、浅草という土地には今の東京のせかせかした歩きかたがない。みんな普通通りゆっくりした歩きかたをしている。(冗談ぬき)


 だいたい浅草というのは少し歩きにくい町だ。参詣人や観光客が集まってくるのだから、みんな気をゆるめて歩き方も遅くなる。左右に並んだ商店を丹念にのぞき込み、まっすぐ歩かない。
 でも土地の人たちは、そういう人々のおかげで繁昌しているのだという意識をしっかり持っていて、いくら心急いでも決して人の肩に触れるような歩き方はしないのだ。
 ぞろぞろと左右に揺れながら歩く人々の間を柔らかく縫い、それでいて素早く移動して行く。先祖代々人ごみで暮らしている生活技術のひとつだろう。(朝から晩まで)


 そんな浅草の風景を描写している文章で、“いいな”と思ったものを書き出してみる。


 「そうなんだよ、浅草は若え者でも何かてえと昔ばなしになっちまう」(鳩まみれ)


 浅草へ住みついて気がついたのだが、小柄な人が目立つ。
 昔の日本人の寸法がここにかたまって残っているような気がしてならない。ことに中年から先の女性が小柄だ。
 京都でもそんな印象を受けたことがあるが、和風の古い家並みには、キリッとした小柄な女性のほうがいい絵になる。脚が細長くてずんずんらでっかいのは、のっぽのビルを背景にしていないといい絵にならない。それに、あんなにでっかい女性たちが、いっせいにおばあさんになりはじめたらどんな景色になるんだろう。六尺豊かなおばあさんなんて、威勢がよすぎる。(朝から晩まで)


 「観音さまの初詣はこれで五十五年目ですよ」
 「そりゃ大変なもんですね」
 「でもこの歳じゃもう危くてね。だいぶ早いけれどこの時間にきて、除夜の鐘のころは家で留守番ですわ。倅と嫁が孫を連れて夜中に来るんです」
 私はそばを食べおえていた。
 「おしあわせそうで結構ですね」
 「いや、人ごみじゃ足に自信がなくなりましたからね」

 なるほどそう言えば、足弱なお年寄りの姿が多い。いつもなら裏の道を抜けるのに、老紳士の言葉で雷門をくぐり、仲見世の真ん中をゆっくり歩いてみた結果、同じようなひと足早い初詣をしている人がたくさんいるらしいことが判った。(冗談ぬき)


 「やっぱり浅草はいい」

 「どうしていいと思う」

 「風の吹きようがよそより遅いからさ」
 「なるほどね」
 私もそれは共感できるところがあった。ファッションも景気のよしあしも、よそとかわらず敏感にうけとめる町だが、それでいてうけとめたあとの形がしっかりむかしとつながっている。だからどんなに新しいものをうけとめても、激しい形にならない。これが赤坂や六本木あたりだと、新しいだけで昔の色はあとかたも残さない。(寒い仲)


 英ちゃんはシャッターの施錠を確認すると、本堂のほうへ歩き出した。仲見世の人は、店をしめたあと、たいてい観音さまへ夜のご挨拶に行く。(国木屋)


 土地の人たちが祭りに熱中するわけが判ってきたような気がする。祭りの準備やあと始末にこと寄せて、そんな相手と力をあわせながら、昔ながらの関係を保っているのだ。(祭りのあと)

 
 ついでにほかの著者で浅草について語った印象的な文章もあげておく。


 「朝顔市が終れば鬼灯市か・・・・。いいね、花が季節を教えてくれるなんて」

 -本当だわ。この街は花が季節を教えてくれる街よね。(伊集院 静 著 『浅草のおんな』)


 昔浅草という町は、そういうお互いのおせっかいがなければ、うまく暮してゆかれなかったのかも知れない。たいへんなお金持ちも、とびきり強い権力者もいなかったし-つまり、ごくお人好しの弱い庶民が、なんとなく肩を寄せあって住んでいたところだから-どうしても、世話焼きが必要になってくる。(沢村 貞子著『私の浅草』)


 今、時間もあることだし、休日にとらわれず出かけられる。人ごみを気にしなくてもいいので、もう少し暖かくなったら、もう一度浅草界隈に写真でも撮りに出かけようかな、と思っている。ちょうど昨年買ったカメラの使い方を覚えている最中だからいいかもしれない。


半村 良 著 『小説 浅草案内』 新潮社(1988/10発売)
伊集院 静 著 『浅草のおんな』文藝春秋(2010/08発売)
沢村 貞子著『私の浅草』 暮しの手帖エッセイライブラリ- 暮しの手帖社(2010/11発売)
by office_kmoto | 2014-01-20 12:46 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

秋葉原からお茶の水、そして大手町

 一冊の本を読み終えると用意してある次の本をすぐ手に取る。そしてその後読みたい本を棚から物色する。なので本を一冊読み終えると、その読み終えた本、その後読む本、さらにその後読む本と三冊手元にあることになる。
 本を読み終えたので続いて新しい本を読み始める。いつもその出だしが問題となる。ここで“面白そうだ”という予感を感じさせてくれると、うれしいし、楽しく読めるような気がする。どうやら今回の本は面白そうである。
 今はとにかく小説が読みたい。だから続けてこの本を手にした。この本は以前から読みたいと思っていた本である。ただちょっと古い本で、書店では手に入らない本であった。
 たまたま昨年の暮れ、最後の外回りの帰りに神田の古本屋街を歩いていたとき、店の前にある均一本の棚でこの本を見つけ、手に入れた。
 そういえばここの古本屋さんのこの棚で以前にも探していた本を見つけた。ここは私にとってお宝がある古本屋さんなのである。今日帰りにここに寄ってみようと思った。

 今日は半月ぶりに秋葉原に行く。今日社保の資格喪失したので健康保険証を返えさなければいけないのだ。郵送で返却してもかまわないのだが、久しぶりに外に出たいという気持ちもあったし、会社でなく事務組合に頼むのだから、直接お願いに行った方がいいと考えたのだ。
 資格喪失など退職の手続きは本来なら会社でやってもらうのが筋だろうが、会社の母体が変わりごたごたしているはずなので在職中に自分の退職関係の書類を作っておき、手続きを依頼しておいたのである。
 自分の退職関係の書類を自分で作らなければならないのも変な話だが、経営母体が変わらなければ、自分がいた会社が会社の体を成さないし、変われば変わったでごたごたしているのだから仕方がない。
 秋葉原に来て、今まで通っていた書泉とブックオフをのぞいてみた。書泉は目新しく感じなかった。ブックオフでは伊集院静さんのサイン本を見つける。105円也。
 その後とぼとぼとお茶の水方面へ歩いて行く。今日は昨日までと違っていい天気で多少暖かい。人は急ぎ足で歩いているように感じるほど、私はゆっくりと歩く。急ぐ必要がないからだ。そう言えば、最近時計を気にしなくなった。時間の感覚がなくなった訳ではなく、それはそれでちゃんと自覚しているつもりだが、時計を気にしないのは細かい時間に左右されない生活を送っているからだろう。だから人々の歩き方を見ていると“大変だな”と思ってしまう。
 お茶の水は調剤薬局激戦区で悪戦苦闘してきたのはホンのつい最近のことなのだが、それさえも嘘みたいだ。かつて会社がやっていた調剤薬局は楽器店に変わり、“夢の後”さえ残っていない。
 自分たちがやって来たことが形として何も残っていないというのは、かつてここで頑張ってきたあかしが何もないことである。思い出として思い出すにしても、今ここにある建物などからすぐさかのぼれない寂しさがある。
 まあ、こんなものなのだろう。所詮足下がしっかりしていたところで頑張ってきたわけじゃない。何かあればすぐ倒れてしまうほど危ういところでやってきたのだから、こうなって当たり前というところか。
 
 人が形として残せるものっていったい何があるんだろう、とふと思う。

 そのまま坂を下りて、本屋街に出る。時間は十分あるからゆっくり歩いて、本を見て回る。やっぱり大きな本屋さんは見て歩くだけでも楽しい。結構長い時間ここにいた。吉村昭さんのコラムが集まった新書版の本を一冊買う。あと古本屋さんでこれも探していた吉村昭さんの文庫を見つけ購入。期待していた古本屋さんの均一本の棚には今回欲しい本がなかった。その後近くにある神田税務署まで行き、確定申告の用紙を取ってくる。
 ここまで来るともう大手町に近い。私はここで6年間本屋の店長をしていたので、土地勘がある。ちょっと歩き疲れたので、お茶でも飲もうと地下に潜るが、やっぱりというか当然というか、昔あったお店はない。あるのは一杯飲み屋ばかり。ここはサラリーマンや公務員が多くいる場所であるから、夜になると騒がしいのだろうと想像する。この時間、夜に向けて準備中の店が多い。諦めてそのまま地下鉄に乗り家に帰る。途中またブックオフにより、森まゆみさんの本を一冊買う。
by office_kmoto | 2014-01-16 20:07 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

万世橋駅

 9月14日にmAAch ecute(マーチエキュート) 神田万世橋が、旧万世橋駅の遺構を使った商業施設がオープンした。この万世橋駅のプラットホームの跡は、中央線から昔から見える。
 ここがオープンすると、旧万世橋駅跡が見ることが出来るというので、行ってみたかった。
 万世橋駅は100年以上の前の建造物である。こんなものがこの変化の激しい秋葉原の一画に一部でもまだ残っていたこと自体すごい。
 これだけ古いものだからか、ここに来ている人たちは心なしか年配者が多いような気がする。私たちのように夫婦二人連れが多かった。
 万世橋駅は1912年(明治45年)4月1日に営業を開始し、中央線の起点の駅として一時はかなり栄えた。駅舎は最近リニューアルされた東京駅の赤レンガ駅舎を設計した辰野金吾の設計による。それだけでも由緒正しい駅跡である。
 当時の万世橋駅の雰囲気を伝える絵はがきが、駅構内であったショップで売っていたので買ってみたのがこれである。

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 万世橋駅は東京市電(路面電車)の乗換ターミナルとして栄え、神田須田町周辺は銀座と並ぶほどの賑わいを見せた。
 しかし中央線が東京駅まで開通し、万世橋駅が起点でなくなったこと。関東大震災で初代駅舎は焼失し、須田町交差点が移転し、駅前通が裏通りなってしまったことなどで、人の流れが変わった。
 昔神保町の歴史を調べていたとき、現在のさくら通りが神保町のメインストリートであったことを知った。それが関東大震災後、復興のため作られた靖国通りに取って代わられた。靖国通りは須田町交差点につながっているから、須田町交差点が移動したのはそのためだろうか?

 話はちょっとずれるが、明治通り、昭和通りと「明治」「昭和」という年号の付く大通りがあるのに、なんで「大正」通りというのはないのだろう。実はちゃんとあるのである。靖国通りが大正通りなのである。


 新宿から両国橋までを東西に貫く靖国通りの別名は大正通りといった。

 明治通りは、関東大震災の復興事業として計画、建設された初めての環状道路である。

 同じく昭和通りも、関東大震災の復興事業として計画、建設された道路で、当初は「幹線一号」と呼ばれた。後藤新平が主導した原案では、道幅を一町(六十間、約109メートル。四十間説あり)とするものであったが、常識はずれの道幅だとして、現在の二十四間(約44メートル)道路い縮小して昭和3年(1928)に完成している。「幹線一号」の昭和通りと「幹線二号」の大正通り(靖国通り)は、当時の東京の下町を十字に交差した形になっていた。
 昭和天皇は、昭和通りに象徴される復興計画の縮小をずっと悔やんでいたらしい。震災から六〇年後(昭和五十八年)の記者会見でも、「震災のいろいろな体験はありますが、一言だけいっておきたいことは、復興にあたって後藤新平が非常に膨大な計画を立てたがいろいろの事情でそれが実行されなかったことは非常に残念に思っています。もし、それが実行されていたら、おそらく東京の戦災は非常に軽かったんじゃないかと思って、今さら後藤新平のあの時の計画が実行されなかったことを非常に残念に思います」と述べたほどだった。

 昭和天皇が「非常に」という言葉を四回も繰り返したことに、天皇の後悔の念の深さを感じるのである。

参考図書
竹内 正浩 著 『カラー版 地図と愉しむ東京歴史散歩』 中央公論新社(2011/09発売) 中公新書


さて。

1936年(昭和11年)に鉄道博物館(後の交通博物館)が併設され、駅舎を鉄道博物館に譲り、昭和18年11月1日に駅は休止された。

 万世橋からこのmAAch ecuteを見てみるとこんな感じだ。この風景は昔から見られたが、以前と違うのは神田川沿いにオープンデッキが設けられたことだろうか。

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 中に入ってみると、天井が低い。今はここにデザイナーショップみたいなものがあって、カフェなどおしゃれな飲食店がいくつか入っている。私たちはこういうお店が苦手なので、ただ眺めて通り過ぎる。途中オープンデッキに出られる。オープンデッキから万世橋を見ると、こんな感じである。こっちから万世橋方面を見ることなど今まで出来なかった。

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 また構内に戻って今度は二階へ上がってみる。二階は旧万世橋駅時代のプラットホームを整備し、展望デッキにしているのだ。その二階へ上がる階段である。これが「1912階段」と呼ばれ、旧万世橋駅開業時からあるものをそのまま利用してる。

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 つまり100年前にこの駅を上り下りした人たちと同じ階段を我々も上り下り出来るのである。 そんなことを思いながら階段を一歩一歩上っていく。時の汚れが、階段に染みついていて、100年という歴史を感じさせる。
 二階に上がると両端に中央線がすれすれに通る展望デッキになっている。走ってくる電車をこんなに身近に見られるのである。

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 私は身近にある歴史的建造物が好きで、その由来など訪ねると、わくわくしてしまう。日本は何でも古いものを壊して新しいものをそこに建ててしまうが、こうして昔のものを残しつつ、今風に使い、公開するのは大賛成である。
 後は復活した東京駅を近々見に行ってみようと思っている。
by office_kmoto | 2013-09-29 16:20 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

男坂

 大きな鳥居から中に進むと、あでやかな山門がある。こんなお盆の時期に、ここへ参る人はさすがに少ないようで、山門から中が見渡せる。
 それでもお参りする人もいて、山門を通る時、みんなが必ず頭を下げていく。またここから出て行く時も立ち止まり、振り向いて頭を下げて帰って行く。
 私はこのとき不思議な感覚にとらわれ、頭を下げることを忘れて、中へ入ってしまった。
 さすがにこの暑いお盆の時期である、参拝する人は少ない。一組の家族が社殿の前で写真を撮っている。お宮参りのようだ。暑いから赤ん坊はかわいそうだ。そう言えば私の孫もこの時期にお宮参りをした。何よりも孫のことばかり気にかかり、自分たちの汗をぬぐうことさえ忘れて、孫のことを気遣った。
 せっかく来たのだから本殿に参っていく。それから境内を歩き、奥に進んでみた。金網越しから、ビルが下に見える。ここは台地の端に建っていることが、はっきり分かる。ビルよりも高い場所に立っているから、心地よい風が通る。私は涼を求めるため、しばらくここに立っていた。

 坂を下りた。まっすぐ一直線に、長い坂だ。「男坂」というらしい。坂を下りて上を見上げると、神社はかなり高い場所にあることが分かる。この坂を下りる人、上る人。この坂はここでは日常のあるべき風景なのだろう。坂を上るときは、これから何かをしに出かけるのだろうか。坂を下りる人は何かが一段落して、帰って行くのだろうか。そんなことをあれこれ思わせる坂である。
 私は江戸川の下町で育ち、現在もここで暮らしている。ここは下手をすれば海より低い場所であり、息を切らせて上り下りする坂など見かけない。だから坂に非常に興味がある。坂のある生活風景にあこがれていたところがある。
 下りた坂を再度上ってみる。結構きつい。一歩一歩足を運び、上を目指す感じだ。
 上り切って境内に戻る。
 お金を入れると、中にいるロボットの獅子舞が取ってくれるおみくじがあったので、やってみる。

 「小吉」だ。

 今の私にぴったりかもしれない。凶じゃないだけありがたい。
 中には邪心を捨てろ、損得で物事を考えるな、と書いてある。思いやりの持つ努力をすれば周りと良い関係が築る、ともある。
 これでも今まで、自らの邪心を完全に捨ててまではいかないかもしれないが、まずは人のことを考え、場合によっては自分を殺してきた。損得で言えば損ばかりしてきた。その結果、疲れてしまい、精神も身体を壊してしまったのに。それでもまだそれを求めるのか、とも思う。

 日差しは相変わらず強いが、境内は静かだ。私はここから去ろうと、足を来た道に向ける。
 山門を出ると、そこから出て行く人は振り返って立ち止まり、一礼して帰って行く。みんがそうしている。なぜだか知らないが私も同じように振り返り、一礼していた。
 先を進んだとき、街中でどこでも見かける若い女性が黒い日傘を差して山門へ向かっていた。彼女は境内に入るのだろうか。そして山門を前にどんな行動を取るのか、知りたくて私は足を止める。私の中では彼女は今風の女性みたいだから、そのまま山門を通り過ぎるのかな、と思っていたのである。
 彼女は山門前で立ち止まり、日傘をたたみ、ごく普通に頭を下げてから、境内に向かった。
 
 一瞬さわやかな風が吹いた感じがした。

 近くにもう一つ「男坂」のある場所を知っているので、そこにも行ってみる。通りの奥に入った道で、道に沿ってすずかけのきが何本も植えられている。坂はその先にある。大学時代この道を何度も通っていたが、ここまで奥には来たことがなかった。道の端に小さな石があり、「男坂」と彫ってある。急な坂だ。ちょうどお昼時で、サラリーマンやOLがこの坂の階段を下りていく。あるいは上ってくる。ここでもこの坂は日常なのだ。
 しかし坂では急がない。ゆっくりと下り、ゆっくりと一段一段上って行く。平坦な道を歩くのとは違い、急げない。急げないこともないが、ただここはあまりにも坂が長いため、そうせざるを得ない。
 坂を人生にたとえることがよくある。わからないわけでもないが、たとえて自分の人生に似ていると、思うことは好きじゃない。そういう教条的な発想が好きじゃない。たとえられて、そうだなと納得してしまうほど、人の人生はパターン化していないだろう、と思うからだ。誰もそんなに簡単にたとえられるほど、ちゃっちい生き方をしているはずがない。
 坂は坂であり、そこに居る人には日常であり、よそ者にとって一つの風景でしかないはずだ。私は風景としてこの坂を見たかった。
 私は坂を下まで下りて、振り返り、長い階段を下から眺めていた。日傘を差している二人の女性の後ろ姿が、てっぺんにあった。それは小さかった。
by office_kmoto | 2013-08-18 06:44 | 街を思う | Trackback | Comments(0)

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