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パタパタ時計

 夜中、虫が鳴いていて、その虫の居場所を探している私がいた。夢である。そのうち段々虫の声が大きくなり、目が覚める。音はまだ鳴り続いている。鳴っていたのは目覚ましであると気がつくのに少々時間がかかった。どうやら現実と夢がこんがらがってしまっていたようだ。
 昨日も夜中の2時半にこれで起こされた。実は私がいる一階の部屋にはまともな時計がない。各部屋時計があるのだが、すべて狂っている。何度時間を直しても狂ってくる。ならば時計を替えればいいのだろうが、ここは義父たちが暮らしていた部屋である。部屋にあるものはすべて義父たちが使っていたものであって、時計もそうである。だから捨てることも出来ずにいる。まあ、狂っている時間は時計ごとにおおよそわかっているので、正確な時間は推測できるので、問題ない。それに時間に追われる身でもないので、アバウトの時間さえわかればいい。
 でも一つくらい正確な時計があってもいいかなあ、と思っていた。そうしたらしまい込んであったデジタル時計があった。それを一昨日出したのである。デジタル時計といっても古めかしいもので、しかもしばらく使っていなかったから、果たしてまともに動くかどうかわからなかった。ただ目覚ましがセットされているとは気がつかなかった。そして昨日の夜中、起こされたのである。目覚ましを後で解除しようと思っていたのを忘れたのである。

 そういえば私にとって懐かしい置き時計がカードローンのCMで流れていて驚いた。YouTubeを見てもらえればわかるのだが(https://youtu.be/35x-zN4F3Fc)


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 この時計デジタル風のアナログ時計である。数字を書いた薄いパネルがパタパタと動くのである。パタパタ時計というらしい。もうこの時計売っているはずがない。(PanasonicでなくNational製である)このCMで使われている時計まだ現役なのだろうか?もっともこのCMでは時計が動かなくてもいいようだから、使えるみたいだが・・・。
 私が持っていたこの時計は私が高校時代初めてバイトして買った時計であった。実家から我が家に、そして会社の事務所のデスクに置いてきた。動かなくなるまで正確な時計であった。
 18の時に買った時計が40年間、途中で使わない時もあったが、とにかく長いことパタパタと時を伝えていた。そしてたぶん寿命だろう、この時計が動かなくなったのは、ちょうど私が会社を辞めなければならなくなった年であった。
by office_kmoto | 2015-10-19 05:49 | ものを思う | Comments(0)

手触りの知識

 昨年、散歩の途中でオレンジ色の花を咲かせている一画があった。それは川の土手を上がる坂道の横の狭い場所に植えられていた。
 狭い場所であったが、これだけたくさん咲いていると華やかに見える。ちゃんと管理する人がいるからこれだけ花を咲かせているのだろう。一見コスモスみたいであるが、普通のコスモスとは違う。
 その後何度もそこを上ってその花を見に行った。そのうち花は散り、種を付けている。その種をいくつか取ってきた。多少後ろめたいところもあったが、まあ花を摘む花盗人ではなく、種数個なので許してもらおうと頂いてきたわけである。
 その種をこの春蒔いて、今昨年見た花を咲かせている。花の前はキバナコスモスという。

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 この一年半、散歩しているときに見かける草木を注意して見るようになった。花を咲かせていると立ち止まって見たりする。そうしているうちに自分が草木の名前を知らないんだなあ、と思うようになった。
 また佐伯一麦さんの作品を読むようになってから、そこに出てくる草木や鳥の名前がいったいどんなものなのだろうと思うようにもなった。それをネットで検索したり、図書館で図鑑を開いて調べたりした。図鑑を開いて、これかなあ、と見当を付けたりするのは楽しいものだと知った。
 草木の名前を覚えたからといって、どうなる訳でもないのだが、自然に知りたいと思って図書館で図鑑を開く行為がものすごく懐かしかった。図鑑で調べる行為が楽しかった。
 もともとアナログ世代の人間が無理してデジタル社会で生きてきたところがある。こうした行為は、慣れ親しんだ元の形に戻っただけのことかもしれない。
 考えてみれば、ここしばらくは処世術として、いやらしい知識ばかり覚えてきた身である。どうやって効率的に出来るか。どうしたらこの状況をうまく切り抜けられるか。どうしたら相手を納得させられるか。あるいは誤魔化せるか。そのための理論武装として覚えてきたものが、頭の中に充満していた。だからこうした生きるために直接関係ない知識を手触りで覚えて、自分の頭やからだをリセットしいる気がする。今は何だかそれを大切にしたい気持ちでいる。
by office_kmoto | 2015-07-27 06:13 | ものを思う | Comments(0)

NHKテキスト

 よくよく思い出してみれば、NHKのテキストを買うなんて中学校以来ではないか。あの頃テキストを買って、ラジオから流れてくる英語を聞きながら、テキストにある文字を追っていた。何度かトライしたけれど、結局最後までやったことはなかった。
 最近はテレビは基本的にニュースか天気予報しか見ないのだが、新聞のテレビ欄は毎日目を通す。いつも見るニュースや天気予報以外に面白そうな古い映画やドキュメントものがあれば、ビデオに録画しておき後で見る。
 そんな時「100分de名著」という番組があること知った。1冊の本を4回に分けて100分で解説してくれるものだ。テキストも売っているので、それを買い、“視講”?している。これまで4冊ほど本について見てきた。もちろん番組はビデオに録画しておき、好きな時間に見ている。
 この番組はいわゆる名著といわれるものを100分で解説してくれるのだが、100分ということで、上っ面をなでる感じである。でも私にはそれでいい。
 今回もビデオを見る前にテキストを読んで予習し、ラインマーカー線を引いたりして、ちょっとした学生気分になる。懐かしくもなる。勉強しているという感じなれる。
 ビデオを見ていて紹介された名著を読んでみたいと思って、ネットでこの本を注文する。また手元にある名著の著者の関係本を取り出して読んでみたり、このテキストを参考して、あれこれ考えてみたりしている。そうしてみると今までわからなかったことが見えてきたりして面白い。これを勉強といえるのかどうかわからないが、この歳で考えるのはちょうど良い。来月も興味のある名著を解説してくれるので、またテキストを買って、ラインマーカーで線を引いて予習しようと思っている。 
by office_kmoto | 2015-07-25 08:06 | ものを思う | Comments(0)

呆れること

 ちょっと前の朝日新聞のエコを歌うコーナーに「ブックカバー、無駄やめて」という記事があった。


 書店で本を買うとき、「カバーをおかけしますか」と店員から尋ねられたことがある人は多いだろう。汚れを防いだり、読んでいる本を見られないようにしたりするため、定着しているブックカバー。できるだけ紙資源の無駄遣いを減らそうという取り組みも出てきている。


 とまあ、書店で書けてくれるブックカバーを資源の無駄遣いと断罪している。確かに書店でかけてくれるブックカバーは、本の傷みや汚れを防ぐ、あるいは読んでいる本を他人に見られたくないという意識でつけてもらうだけの一過性のものかもしれない。だから無駄だからカバーをかけてもらうのは止めようというのがこの記事であるが、これよくよく考えてみるとおかしなことにならないか。
 たとえば「カバーはいらないです」と断って、会計の後むき身のままその本をもって店を出るかといえばそうはいかないだろう。カバンでも持っていればそこに入れることも可能だが、普通カバーを断ったら、たぶん書店員はビニール袋に本を入れると思う。紙のカバーがエコじゃないと言うなら、だったらこのビニール袋はどうなんだ、と言いたいのである。この記事はカバーを断った後、どうすんの?ということは一切書いていない。書いてあるのは、カバーを断って、包装紙やチラシなど使って自分でカバーを掛けましょうというのだ。
 私は一過性のものであっても、カバーを付けてもらう意味があるなら、無意味ではないと考えるのだが。ここには「本のカバー=無駄」というのが最初にあって話を進めている単細胞的発想があるとしか思えない。
 今、もっともっと大きな無駄があるでしょう。例の新国立競技場。こんなつまらない記事を載せるくらいなら、あれ止めましょうと大々的にキャンペーンをやるべきでしょう。テレビのニュースでやっていたけれど、あの競技場建設費で、スカイツリーが3本立っちゃうらしい。
 こんな記事を書く新聞も単細胞的なら、政策に反対する新聞には広告を出させないように経団連にお願いしようと言う単細胞な国会議員もいる。嫌になるのはその国会議員が私が住む地区から選出していることだ。こいつ以前に国会でセクハラヤジを飛ばしていて問題になったので、私は先の選挙では票を入れなかったが、本当に入れなくて良かったと思う。(もっとも私が票を入れなくても国会議員になっちゃったけど)
 今回二度も同じことを言って、党の幹事長からかなり怒られたと新聞で読んだ。この時だって、マスコミの誘いに乗せられてしまった感が見え見えなのに、なんで同じことを言うかなあ、と思ったものだ。やっぱり馬鹿なんだとしか言いようがない。
 結局安倍総理が謝罪する破目になって、総理の応援団を自認している子分が親分に恥をかかせた形になった。お願いしようとした経団連からも批判され、まったく立場がなくなってしまった。あれ以来ニュースや新聞には出てこないが、どうしているのか。しばらくじっとして、忘れてもらった頃にまた選挙という魂胆なのか。情けない話である。
by office_kmoto | 2015-07-12 06:40 | ものを思う | Comments(0)

食べ物2題

ジャムパン賛歌


 ここのところのマイブームはジャムパンである。先日急性胃腸炎になって、何も食べられなくなってしまい、やっと食べられるようになってから食べたのがジャムパンであった。これがものすごくおいしく感じられ、以来食事で物足りないときはジャムパンを食べている。しかもワンコイン(500円じゃないよ、100円だ)でおつりが来るのだからうれしい。
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 私が食べているジャムパンはパン屋さんで作っているものではなく、スーパーのパン売り場で売っているやつである。ここ最近食べたジャムパンはPasco、ヤマザキ、神戸屋のものである。
 もちろん好みの問題なので、意見はいろいろあろうと思うが、この3つのうち、今一番好きなのがPascoのジャムパンである。ヤマザキのジャムパンはジャムが少ない気がするし、神戸屋のジャムパンはジャムに凝りすぎていて、パンになじまない感じがしている。その点Pascoのジャムパンはジャムがパンになじみ、なめらかである。味もくどくなく、すっきりしている。
 パンを半分に割って、そのパンの端をちぎって、中のジャムを付けて食べるのにちょうどいいなめらかさと量なのである。なので最近はスーパーへ行くとパン売り場へ行き、Pascoのジャムパンがあると買ってきてしまうのである。
 パンといえば昔読んだ五木寛之さんのエッセイで、五木さんがメロンパンに凝っていることが書かれていた。
 五木さんがメロンパンが好きだと書くと、それを読んだ読者が五木さんにメロンパンを送ってくること。それも結構な数が送られてきて、“配偶者”として登場する奥さんにイヤミを言われたことを読んで笑ってしまったことを思い出す。
 私の場合そんな心配は必要ないが、それでもことある度にジャムパンをかごに入れるので妻は呆れている。当分マイブームは続きそうな気がしている。
 パンでもう一つ思いだしたことがある。コッペパンである。子供のころ、近所の駄菓子屋とも言えるし、パン屋ともいえる汚い店があった。お店の横ではもんじゃ焼きもやっていた。そこでコッペパンを売っており、それにピーナツクリームや苺ジャム、それとミルククリームみたいなやつを好みでぬってもらう。
 好みのものをお店のばあさんに言うと、ばあさんは軍手の指のところを切った手で、ピーナツクリームや苺ジャムなど入っている四角い缶からへらみたいなやつですくいだし、半分に割ったコッペパンにぬりつけていく。われわれ子供たちは多くぬって、と頼み込むが、一向に言うことを聞いてくれないものだった。
 代金はいくらだったろうか?とにかく例の軍手の手でお金を子供たちから受け取る。だから軍手がいつも汚れていた。今から考えれば不衛生きわまりないところだが、当時は何とも思わなかったし、それで腹を壊したということもなかった。バイ菌なんていう観念など考えも及ばなかったし、いろんなものを触っては遊んでいたから、充分対菌性があったのだろう。


いなり寿司


伊集院静さんの本に次のようにあった。


 -義母が去ったということは、あの煮物を二度と口にできないということなんだ・・・・。(「夜半の花」 伊集院 静 著 『それでも前へ進む』に収録)


 伊集院さんの酒の肴を義母は週に一度こしらえて届けてくれていたそうだ。そしてその義母が亡くなって、あの煮物が二度と口にできないことを思い、改めて義母の死を実感するのである。
 この文章を読んで、自分にももう二度と口にできないものがあることを思う。それは母親の作ったいなり寿司である。運動会で食べたいなり寿司の味がいつまでも記憶に残っている。給食がない日に弁当を持っていく日が続いたときなど、さすがにレパートリーが尽きたのか、弁当にいなり寿司が入っている時もあった。私が好きだからそうなったのだろう。
 普通の油揚げに包んだもの、わざわざ油揚げを裏返して、豆腐の白い面を見せて包んだものと2色に別れていた。そこに必ず紅ショウガが添えてある。味は余り甘くなく、さっぱりしていた。
 母が死んでからも、外で売っているいなり寿司を何度か食べているが、母の味とは遠く離れたものだった。大体が甘すぎて、味付けも濃い。たぶん似た味には出会えないだろうと思っている。私の中で母の作ったいなり寿司がかなり美化されてしまっているからだ。
 そういえば、私の結婚式の前、会者と打ち合わせがあり、その時に母に関して何か思い出となるものはありませんか、と聞かれたことがある。私は母の作ったいなり寿司のことを話した。そしてそれが実際の式で司会者から紹介された。それを聞いた母は後で私に、「しょうもないことよく覚えていたわね」と言われた記憶がある。あの時も母のいなり寿司が懐かしかったのである。
 母が生きていれば、あのいなり寿司を作って欲しいということも出来ただろうが、今はそれさえも言えなくなってしまった。残るのはあの記憶だけである。
by office_kmoto | 2015-02-13 07:42 | ものを思う | Comments(0)

アレ

 朝食に食べる食パンの袋をとめてあるもの、アレなんて言うか知ってます?パンを取り出して、また袋をとめようとするとき、うまくとめられないやつ。
 アレ、「バッグ・クロージャー」というらしい。朝日新聞の記事で知った。
 世の中何気なく普段使っているのだけれど、その名前がなんて言うか知らないやつって、結構ある。別に名前を知らなくても「アレ」で済んでしまうのだが、固有名詞を知らされると、「そうなんだ」と妙に感心する。また名前を知ったことで、ちょっともの知りになったような気分にもなれる。
 本に付いているひものしおり、あれだって、つい最近まで名前も知らなかった。そんなに意識しないで使っていた。ましてあのひも(ちなみにスピンといいます)、東急ハンズで製本用材料として売っていると聞いて、驚いてしまった。
 で、新聞の記事の話に戻ると、「食パンを買うと、袋の口を閉じるところについている、水色や白色の留め具。たぶんプラスチック製だ。もちろん、使い方も役割もわかる。だけど名前は知らない――。ネット上では「食パンの袋を留めるアレ」と、そのまんまの長~い異名を持つ」と始まる。
 埼玉県川口市にある、バッグ・クロージャーを国内で唯一製造する会社の工場で取材する。なんとこれ(アレこれとややっこしいが)警察の鑑識課が、事件現場で採取した資料を袋に入れて閉じ、ラベルに資料採取日や事件名などをこれに記入して使われたこともあったという。
 なるほど言われてみれば便利かもしれない。ということで記事は袋をとめるだけでなく他に用途があるのではないか、とネットで調べてくれる。
 世の中いろいろ考える人がいるもので、アレをレースの糸巻きにしたり、フォークやスプーンを束ねてときに使ったり、写真立てにしてみたり、なんとピアスやネックレスにしちゃう人もいる。まあアイデアいっぱいである。でも写真立てはいいかも。
 この会社ではそうしたアイデアを募集して、アレを130個をホチキスでつなぎ合わせてティッシュボックスを作ったという。
 で、この記事を書いた記者は思うわけである。ティッシュボックスを作るのに、何枚食パンを食べなきゃならないかと。

 私も思いました。

 そうしたら、アレ、2千個入りを1900円で個人向けに販売しているという。記者も「う~ん、ちょっと多いかな」と絶句気味。

 確かに・・・。
by office_kmoto | 2014-05-17 12:32 | ものを思う | Comments(0)

アンカーボルト

 日記を見ると、去年の4月、5月はほとんど本を読んでいない。勤めていた会社が経営する店の身売りで、買ってくれる会社に自分の会社の経営状況などの資料作りの忙殺されていたのが4月で、5月はそれが失敗し、閉店を余儀なくされ、翻弄されていた時期だ。去年の手帳を取り出してみると、そこには書き切れないほど予定が書かれ、関係者の連絡先も余白に書かれている。処理し終わったものはマーカーで消し込んでいるので、ページがピンク一色になっている。

 あれから1年たったんだ。

 と思った。店の身売り用資料は、経営状況だけでなく、従業員の履歴、勤務状況、職歴、給与も含まれ、そこには私も含まれた。つまり私も“売られる”わけで、その“売られる”人間が“売られる”ための資料を作っているというおかしなことをやっていたのである。
 買う側の会社がある溜池山王へ何度も足を運び、求められた資料を持って行った。
 顔合わせみたいな感じで初めて経営者と溜池山王のビルに二人で行ったとき、相手は百戦錬磨のスタッフで望んでいる。だからおべんちゃらがうまい。うちの店のことや経営者を持ち上げる。
 もともと個人商店に毛が生えた程度の会社の経営者であるからプレゼンなど出来る人ではない。経営能力の乏しい、お坊ちゃまで、いつもちやほやされることに無上の喜びを感じる人だったから、持ち上げられたことで気分がよくなって、うまいこと話を持って行かれてしまう。きっと浮かれていることを見抜かれていたに違いない。勝負はこの時点で決まっていたのかもしれない。
 話は予定より時間がかかりはじめ、私はこれはダメだな、と思っていた。経営者は焦り始め、相手の会社の担当者と、話が潰れれば、店をたたむしかない、と言い出す。店をたたんでしまえばお店を買うことができなくなる、と脅しているつもりだったのだろうが、相手からすればちっとも痛くない。もともと話を持ちかけてきたのはそちらでしょう、と言いそうであった。むしろ焦ってくれれば、安く叩くことができると踏んでいたかもしれない。脅かしが脅かしにならず、逆に足下を見られる結果を生んでしまうことさえわからない無能な経営者であった。
 店はこの経営者が言うとおり、潰れた。同時に店のスタッフはその犠牲となった。私は後始末のため、後になっただけのことである。この人の経営能力なさの犠牲になるのはいつも従業員であった。
 この店が潰れるとともに会社の経営は一気に悪くなる。
 辞めさせられたスタッフのために残っている有給休暇を消化した後に退職することにしたのだが、一度それを認めた経営者は、他のところで専門家に聞いてきた話を持ち出し、有給休暇を与える必要はない、と言い出す。その根拠はお店がなくなってしまったのだから、それを履行しなければならない義務を負うところがなくなったからだ、というのだ。私は店はなくなったけれど、会社は残っているから、その義務を負うし、すでに有給休暇消化後を退職日をとする勧奨退職通知書に印鑑を押している。だからそんなことは絶対に許されない、と主張する。私は会社の専門家に相談した。その人も経営者の言動に怒り、プロとして許せないから、浅知恵を吹き込んだ奴を訴える、と言われた経営者は慌てて、そいつはただの総務の人間で、専門家でも何でもないことを白状した。経営者は自分の都合のいい部分をつまみ食いして、スタッフの有給休暇の分の給与を払わなくてもいいんだ、と考えたことがわかった。
 それで話が終わったものと思っていたら、今度は勧奨退職通知書に印鑑を押したのは、私であって、自分は知らなかったと言い出したのである。開いた口が塞がらなかった。確かに私は会社の印鑑を預かっている。けれど経営者の決済なしに印鑑を押す権利を持っていないことぐらい、自分の立場をわかっている。このときもきちんと決済をもらった上で印鑑を押している。
 私は強く経営者にこの言動の撤回を求め、そうしなければお店の原状復帰の工事には関わらない、と言った。これは計算ずくで言った。私がその工事の段取り、立ち会いをしなければ何も出来なくなることをわかって言っていたのだ。だから経営者は言葉がでなくなり、最後は原状復帰の工事に関わるのは「業務命令だ!」と脅かした。もちろんそんな脅かしなど怖くもない。私は再度撤回を求め、それがなければ何もしない、と言い張った。
 しかし工事のための業者の手配を私の名前ですでにやっている。だからここで私が手を引いてしまえば、その人たちに迷惑がかかる。いずれの業者も顔見知りだから、そんなことは出来なくなっていた。
 結局撤退工事までは仕方がないので関わることにし、後のことはその後に決めようと思っていた。このときから私はこの人にはもうついて行けない、「おしまいだな」と思い始めていた。
 このお店の撤退に関わる損失はさらに会社の経営を悪化させ、私は残務整理を完全に終えてから、ここを去ろうと決めた。
 結局会社を身売りすることとなる。しかし魅力の乏しい会社であるため、買い手がなかなかつかない。幹部の従業員に会社を買ってもらおうと経営者は話を持って行ったが、その人も会社の価値がほとんどないことを見抜いていた。二束三文の数字を出し、それらなら引き継ぐと言ったらしい。
 金に汚い経営者は自分が投資した金をなんと回収したくて仕方がなかったようで、折り合いがつかなかったと聞く。時に私の処遇を持ち出し、このままだと歳をくった私を放り出すしかなくなってしまい、それは忍びないから、何とか引き受けてくれないかと、同情を誘って、自分のペースで話を進めようとしていたという。ここでも私はだしにされてしまった。
 結局昔経営者が昔雇っていた従業員で、今は自分で会社を経営している人に買ってもらった。私は引き継ぎをし、事務整理をして、年末に会社を去った。
 最後は挨拶もしなかった。相手も一言もねぎらいの言葉を発しなかった。
 後で聞くところによると、経営者はその人に泣きついて会社を買ってもらったらしい。しかももらうものはしっかり念書まで書かされ、請求されたという。私の退職金は会社を買ってくれた人が払ってくれた。
 これも後で聞いたことだが、私の退職金は払いすぎだ、と経営者は口を挟んだそうである。自分が払ったわけでもないのに、まだ経営者づらしていたらしい。馬鹿らしくて何も言う気になれなかった。
 経営者は新しい会社の会長になっているらしく、まだちやほやされて浮かれているらしい。
 経営者は社史を書くと言っていた。どこの世界に経営者自ら自分の会社の社史を書くやつがいるのだ、と思う。しかも自らの経営能力なさでつぶしてしまった会社の歴史など書いたら、馬鹿にされることがわからないらしい。それとも社史と言っても、自分の功績を自慢げに書くのかもしれない。あの人ならやりそうである。その功績がどれほどのものか知らないが、自分の会社のことを顧みずに、好き勝手にやれたのは、辞めさせられた従業員が会社のために頑張ってきたから出来たことであることを、この人は死ぬまでこのことをわからないだろう。
 あの人は経営能力もないが、社史をまとめる能力も多分ない。だから社史はまぼろしで終わるのではないかと思っている。そんなものないほうがいい。

 私の手許に1本のアンカーボルトがある。お店の看板を支えていたボルトの1本である。工事は最終段階に入っていて、外の看板を取り外す工事に立ち会っていた。クレーン車を使って看板を取り外すことになるのだが、店は駅前にあるため、昼間は警察の許可が下りず、夜の10時過ぎから大型クレーン車2台で看板撤去の工事が始まった。目立ちがり屋の経営者を象徴するように看板がたくさん付けられていたが、ひとつひとつ看板が取り外され、ビルは丸裸のようになった。
 その工事に立ち会っていた私の靴に当たったものがある。当たった瞬間転がり、暗がりでよくわからなかったが、その先を目をこらして見てみると、さっきまで看板を支えていたアンカーボルトであった。ボルトの先はきれいに切断されていた。私はそれを手に取り、ポケットにしまった。
 それを所有してどうなるものではないが、ふとこの店の責任者であった彼に見せてやろうと思った。彼は経営者にこの店をダメにした人間として濡れ衣を着せられて辞めていった。もちろん彼の責任ではない。長いことこの店で頑張ってきた人間だから、店をたたむことになって、苦しんだろう、と思う。撤退にあたり最後まで店をきれいにしていった。
 彼とは一度撤退後会ったことがある。その時このアンカーボルトを見せてあげれば良かったのだが忘れてしまった。その後メールで、私が会社を辞めることを知らせ、返事に「また飲みましょう」と書いてあったが、その後音沙汰がない。メールには何だか複雑な事情がかれていたし、多分仕事も忙しいのだろうと思って、私も連絡を取っていない。
 仕事を辞めてから何度かメールをしようと思ったが、出来ずにいる。だからいつまで経ってもアンカーボルトは私の手許に残ったままである。
 きれいに切断された断面を指でなぞってみる。多少指先に引っかかる部分があるが、それがこのアンカーボルトも支えていたもの、看板だけでなく、人も、ものも、そして店全体を強引に引きはがされた証拠みたいに思える。
by office_kmoto | 2014-05-12 06:39 | ものを思う | Comments(0)

活版

 だれの本だった忘れたが、校正刷りのことを“ゲラ刷り”というが、この“ゲラ”というのは、もともと「活字組版を入れる長方形の盆」のことをいうらしい、と書いてあった。
 それで思いだしたことがある。
 私が大学時代最初に本屋でアルバイトをしたとき、自転車で本の配達をやっていた。新橋という場所柄、会社に本を配達することが多かったが、ついでにそこで働いている人たちが注文した本や雑誌を届けることもある。
 そんな中、業界新聞の印刷をしているおじいさんのところへ月二度ぐらい定期購読の雑誌を届けに行った。
 そこは活版が壁一面に並べられ、いくつもの輪転機が回っていて、大きな声を出さないと聞こえないところであった。部屋にあるものすべてがインクで汚れ、それが部屋全体を暗い感じにさせていた。
 そのおじいさんは指先を切り落とした軍手をはめて原稿を見ながら活字を組んでいた。軍手はインクで汚れていた。
 私が持ってきた文芸誌をうれしそうに見て、お金を払うためにその汚れた軍手を外し、財布を取り出した。今度は逆に指先だけがインクで汚れているのが印象的であった。
 時には仕事の切りのいいところまで待たされることもあったが、私はそのおじいさんが組んでいる活字の版を眺めるのが好きで、待たされることが苦でなかった。それにおじいさんは私に気をつかって、それほど待たせなかったと思う。

 社会人になって、大手町で役人相手の小さな本屋で働いたが、その店でははがきや名刺の印刷も請け負っていた。役人は転勤や異動が多いらしく、律儀にその知らせをはがきで知らせる。名刺も部署などが変われば、刷り替える。年賀状や喪中のはがきもその時期になると、注文が来た。まだパソコンで簡単に印刷できる時代でない話である。
 その注文を受けて、原稿を印刷屋さんに持って行く。その印刷屋さんは当時、知り合いとなった、神田村界隈でいつもうろうろしていた印刷屋さんから紹介してもらった。
 そこは10畳ほどの小さな印刷屋さんで、路面に面し、扉はいつも開けっぱなしであった。はがきや名刺など小さな印刷物を請け負っていた。輪転機が二台置かれているので、中は狭い。その周りには固定された版組がいくつも並べてあった。
 私はここにいるのが好きで、インクの匂いを嗅ぎ、鉛の活字をいつもしばらく眺めて、店主と話し込んでいた。鉛でできた活字が欲しいなと思ったことがあったが、もらいそこねてしまった。
 暇なときは、よく文庫本を読んでいる人であった。本は印刷屋さんが神田村の問屋街にあるので、事欠かない。知り合いが多くいるので、安く本を買えると言っていた。棚の一つには文庫本がたくさん積まれていた。
 その後この小さな印刷屋さんは神保町の再開発で立ち退き、靖国通りを渡ってすぐ奥にあるマンションの一室に引っ越していったけれど、マンションの新しさとインクで汚れた機械などが釣り合いが取れない感じであった。やはりあの狭い路地に面した場所がふさわしいな、と思ったものである。
 そのうち私は異動になり大手町の店を去った。

 今は活字を一文字ずつ拾って版を作ることなどほとんどやっていないだろう。みんなコンピューターの画面上でやるのではないか。名刺やはがきなどは印刷屋さんに回さなくても自分でできる時代である。新橋の業界新聞の印刷所にいたおじいさんや神保町の小さな印刷屋さんの主人のインクで汚れた手をもうを見ることはできないかもしれない。インクで汚れた机の上にあった手許を照らす電球の光が懐かしい。

 ちょっと古い本を買ったとき、ページの文字が多少浮き上がっていることを感じることできる本がある。あるいは文字が一部かすれていたりしたする。明らかに活版で印刷されたもので、そんな本を手にしたときは思わずページを指でなぞってみたりする。これでインクの匂いでもすれば文句がないのだが、如何せん古本にはそれは望めない。ただ文字の肌ざわりを感じたとき、昔活版印刷の現場をちょっと見ていたからか、うれしくなってしまったものだ。今はそんなページにのっている文字を感じることはほとんどない。本のページをめくるとき、ページの文字に触れてしまったときのちょとした違和感を思い出す。
by office_kmoto | 2014-05-10 06:18 | ものを思う | Comments(0)

古いものを引っ張り出す

 録画してたまっていたビデオをせっせと消化する。先日やっていた松本清張の「時間の習俗」を見た。松本清張の作品は昔カッパブックスをよく読んだけれど、その原作のテレビドラマはほとんど見ない。読んだ本の内容を忘れていることもあるが、テレビはどこか原作と違うような気がするのである。それでも『点と線』と『砂の器』は良く覚えているし、作品として傑作だと個人的に思っている。その『点と線』で犯人を捜す刑事である三原警部補と鳥飼刑事が再び登場するのがこの「時間の習俗」である。だから見たのだ。テレビは原作から時間を現在に戻してあるし、話も多少変えている。
 で、そのビデオを見ていたら、カメラが出てきた。犯人は写真を持ち出し、アリバイを工作をする。現場から遠く離れた場所にいたことを証明するために。三原警部補はカメラをキャップをしたまま空押しし、フィルムのコマを進め、再度戻ってその神社の神事を撮った写真を複写したのではないか、と疑う。
 その時使われていたカメラが私の持っていたCanonのAE-1だったのである。テレビではCanonの文字は消されていたがAE-1の文字は残っていた。だからすぐ自分が持っていたカメラだとわかったのである。
 もちろん今はこのカメラは使っていない。先日押し入れの掃除をしていた時に、カメラのキャリーバッグが出てきて、このカメラを発見した。まさしく発見である。もう30年以上使っていなかった。今は同じCanonの一眼デジカメを持っているので、このカメラを使う機会などない。結局本体のみ本棚にオブジェとして飾った。あとはそのままキャリーバッグにしまったままだ。
 ところで一眼デジカメを掃除するために、シリコンクロスが欲しいなと思っていたのだが、テレビを見て、自分の持っていたカメラが出てきて思いだしたのである。キャリーバッグにカメラのお掃除キットが入っているはずだと。急いでバッグを開けてみると確かにあった。シリコンクロスも大きいものがある。広げてみると汚れも殆どないし、変な匂いもしない。これを使うことにした。ひょんなことから思い出すことがあるものである。

 
 古いものを引っ張り出すということでは、一昨年から使っていない文章が残っていることが気にかかっている。
 このブログを始める前に自分でサーバーを置いてブログをやっていたのだが、サーバーが調子悪くなったことと、仕事で振り回されてブログに掲載する余裕がなかったことで、昨年5月で止めた。そしてこのブログを7月に始めたのだが、以前読んだ本で使っていない文章が数多く残っている。これを何とかしたいな、と思っているのである。
 ただどこまで前のブログは掲載したのか曖昧になっていて、自分では掲載したと思っていたのが、データを見るとその記録がない。でも確かに掲載したようなあと引っかかるのである。
 それと昔のブログのスタイルと今は変えているので、そのまま使えないところがある。だから書き直さなければならない。その手間を考えちゃうと、そのまま破棄してもいいかな、とは思うが、でももったいない気もする。時間はあるので、これから残った文章を書き直して掲載しようかとも考えている。
 私の記憶違いならかまわないが、もし昔読んだよ、という文章があったら許して頂きたい。もっともこのブログ、数あるブログに埋もれてしまっているはずだから、そんなことわからないだろうけど・・・。
by office_kmoto | 2014-04-17 06:10 | ものを思う | Comments(0)

マッチ

 隅田公園に花見に行ったとき、浅草に出て、喫茶店で休憩した。ここはたぶん昔からある喫茶店の様で古めかしい。昔使っていた生活用品をアンティークな飾りとして置いてある。
 カウンターにここに店のマッチが置いてあった。最近この手のマッチを見ることがなくなった。確か山の上ホテルで箱入りマッチを見たのが最近だったと思う。
 昔は喫茶店に入ればテーブルに灰皿が置いてあるのが当たり前だったが、そんな喫茶店を見かけることもなくなった。コーヒーチェーン店ではマッチを置いてあるところを見たことがない。スタバは全面禁煙だったはずだ。
 私はここで喫煙をどうこう言うつもりはない。ただ喫茶店が昔の様な風景でなくなったことがさびしいな、と思っているだけである。ちょっと暗めの店内で煙草の煙が立ちこめる、そんな風景が懐かしいのである。今は店全体に太陽光を取り入れたり、いかにも清潔な明るさばかりを追求した店ばかりになってしまい、お茶してる、あるいはランチしている、みたいな何処へ行っても同じような店ばかりでつまらない。
 マッチの話であった。私は昔喫茶店のマッチを集めていた。当時は喫茶店のマッチは個性的で、デザインも良く、柱の間にある長押に並べてみると結構いい飾りになった。
かなりの数を集めていたと思う。それだけ喫茶店に入っていたということだ。
 松浦寿輝さんに「マッチ」というエッセイがある。


 つい仕方なくあの凡庸な百円ライターのたぐいを持ち歩いているけれど、本当は煙草には、マッチで火をつけたい。
 理由は簡単で、マッチの棒の先には炎がともるからだ。ライターにだって炎がともるだろうといわれるかもしれないけれど、あんなもの、ガスが燃えているだけで、そこには炎の魅惑も神秘もありはしない。木片がゆっくりと燃えてゆくにつれ、ゆらゆら揺らめきながら親密な熱と光を発散しつづける、あのマッチの火こそ、本当の炎というものだ。


 そういえばペーパー・マッチというやつもあった。あれもわたしが好きである。本を開くように表紙をめくり、ボール紙の小片をちぎって火をつけて、また畳んでポケットにしまう。あのぺったりした、はかない風情がなかなか良いのである。


 そうそうペーパー・マッチもあった。ちょっとせこくて、しかしかっこよくて、よく西部劇でペーパー・マッチを一本引きちぎり、靴の横ですって火を付けるシーンがあった。
 最近は何でも百円ライターとかチャッカマンとかお手軽に火を付けることが当たり前だから、たとえば仏壇のローソクに火を付けるにしても、そうである。マッチを擦って、火を付けることがなくなった。
 マッチを擦って、燐の燃える匂いと煙を感じ、ローソクに火を付ける。火がついたらマッチを振って火を消す。燃えさしを持つ手から立ち上る煙が懐かしい。その燃えさしの処分にちょっと困ったりしてね。
 人類が生まれて初めて火を手にしたときのことを想像したり、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵にあるローソクの火の荘厳さなど見ると、百円ライターなど本当にただガスに火がついているだけだ、と思ってしまう。
by office_kmoto | 2014-04-11 06:36 | ものを思う | Comments(0)

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