カテゴリ:日々を思う( 142 )

4月21日 日曜日

 晴れ。

 午前中区議会議員と区長の選挙に行く。

 午後より荷風全集の『断腸亭日乗』にある「城東電車」記述がある箇所を書き出す。これが結構大変で、旧字体と荷風独特の言い回し、送り仮名の振り方で苦労する。

 『断腸亭日乗』は摘まみ読みみたいに読んでいる。これまで全集の2巻までしか読んでいないが、これが以外に面白い。

 大正12年9月1日。関東大震災があった日。荷風は書巻を手にしたまま庭に出ている。この書巻とはこの日記である「断腸亭日乗」のことだろうか?揺れは続き船の上に立っているようだ、と書く。
 その1カ月後の10月3日に日比谷公園へ行っている。仮説の小屋が建ち並び、糞尿の匂いが漂いまるで支那の町のようだと書く。
 被災した東京の町を「外観をのみ修飾して百年の計をなざゝるは国家の末路は即此の如し。自業自得天罰覿面といふべきのみ」と手厳しい。
 11月5日には震災後私娼窟が大繁盛していることを書いている。そういえば阪神淡路大震災でも東日本大震災でも震災後いわゆる性を商いとしている職業は忙しかったと読んだことがある。震災のストレスと避難場所では一目が気になるためだという。
 大正15年12月14日。大正天皇の崩御の日が近いことを新聞で知る。その新聞に天皇が食べた物と排泄物を詳細に記載してあるのを読んだ荷風は、この風習は明治天皇から始まったこととはゆえ、「飲食糞尿の如何を公表するの必要ありや。車夫下女の輩号外を購ひ来つて蝶々喃々、天子の病状を口にするに至つては冒瀆の罪之より大なるはなし」と書いている。
 昭和天皇の時も下血のことが毎日報道された。それを報道する理由は天皇の容体をを心配する国民のためなのだろうが、下血の量で一喜一憂するのもどうかと思ったものだ。
 幸い今の天皇は自ら生前退位されるからこういう心配はない。私はこういう形で自らの身の処し方を決められた今の天皇は立派だと思う。
 以上が荷風全集第21巻『断腸亭日乗』の1巻目である。その2巻目(荷風全集22巻)では、昭和2年7月9日に森鷗外の忌日なので墓参りに行く。荷風は墓前に手向けてあった花に名刺が付いているのを目にする。名刺の主は慶應義塾大学部教授文化学院教授与謝野寛とある。与謝野鉄幹である。荷風はこれを見て、「先師の恩を忘れず真心より其墓を拝せむとならば人知れず香華を手向け置くも可なるべし、肩書付の名刺を附け置くは売名の心去らざるが故なり、老狐の奸策さても〱悪むべきなり」と書く。

 だよな。

 墓前に手向ける花に自分の名刺を付けるなんて初めて聞いた。荷風が怒るのも当然だ。
 同年7月24日では芥川龍之介が自殺した記事を電車の中で隣の人が読んでいた新聞で目にする。荷風は芥川とは交際したことがなかったらしい。だから関心はない。「余は唯心ひそかに余が三十六七歳の此のことを追想しよくも今日まで無事に生きのびしものよと不思議なる心地せざる得ざるなり」と書く。これはちょっと笑った。
 さらに文人のゴシップは続く。同年9月22日に夏目漱石の未亡人が漱石の若い頃の失恋ごとを曝露したことに荷風は怒っている。

 「縦へ其事は真実なるにもせよ、其人亡き後十余年、幸いも世人の知らざりし良人の秘密をば、未亡人の身として今更之を公表するとは何たる心得違ひぞや、見す〱知れたる事にても夫の名にかゝはることは、妻の身としては命にかへても包み隠すべきが女の道ならずや、然るに真実なれば誰彼の用捨なく何事に係わらず之を訐きて差閊へなしと思へるは、実に心得ちがひの甚しきものなり」

 と書く。
 昭和3年7月14日では、偏奇館の近くにある山形ホテルに独り者の荷風は食事に行くことが度々書かれているが、この日果物を煮た皿の中に蠅が入っていた。当然不愉快になり、もう二度と山形ホテルには行かないと書く。けれど後になって山形ホテルに食事に行っている。独り身の荷風としては自宅の近くの食事処は必要に迫られるところであったから、いつまでも怒ってばかりいて居られなかったのだろう。
 同年8月24日には、荷風の下書きした原稿が溜まってしまったので、処分のためそれを燃やした。けれど近所から苦情が来たものだから、通っている病院の帰り、たぶん隅田川だろう。そこへ風呂敷ごと捨てる。しかし原稿は浮いてきてしまい、船頭にすくい上げられる。荷風は間違って落としたと嘘を言って原稿を受け取る。原稿は水を吸って二倍ほど重さになり、持ち帰りに苦労したことが書かれる。
 で翌日、前日の失敗を繰り返さないため、風呂敷を解いて紐で束ねた原稿を永代橋から捨てた。今度はうまくいった。そして28日にも同じように永代橋から下書きの原稿を捨てている。
 ふともしこの原稿が誰か拾い上げていたら、と思った。荷風の『ふらんす物語』は製本前の印刷されたときに発禁となった。だから本当なら本として存在しない。けれど出版元の博文館の社員がそれを持ち出して、自分で製本したものが出回り、これが古本業界では横綱級の貴重本となっているらしい。となれば、もしこの時荷風の捨てた下書きの原稿を拾った人がいたなら、と思ったのである。
 昭和4年3月11日の記述。三越呉服店でエレベーター事故があり死傷者が出た。三越は死傷者と新聞社に口止め料を出した、といつも行く酒館太牙の女給から聞いた。荷風は「新聞社は平常好んで個人の秘密を訐きながら三越呉服店の珍事の如きは金銭のために之を記載せず、その陋劣憎むべく厭ふなり」と書いている。
 まあこんなことは今でもよくあることだろう。
 ところで昨日池袋で八十七歳の老人が運転する車が100キロ近いスピードで赤信号を無視し横断していた人を次々になぎ倒した。その事故で三歳の女の子とその母親が死亡している。で不思議なのはこの事故の報道で男は昔の肩書き付のフルネームで「さん」付けで報道されていることである。これがよくわからない。警察が現行犯逮捕しなかったから、容疑者にもならいものだから、こういう報道の仕方になるという。
 私には孫がいる。だから幼い子が亡くなる事故を聞くと、その事故が理不尽なものであればあるほど、怒りを抑えられない。大体87歳になって(しかも足が悪いとニュースで聞いた)車を平気で運転しているなんて信じられない。アクセルが戻らなかったと男は言っているらしいが、戻らなかったのは自分の足で、その弱った足でブレーキとアクセルを踏み違えたのだろう。年寄りの運転で事故を起こすお馴染みのパターンだ。そんな年寄りの犠牲になった幼い命に、怒りを覚えない方がおかしい。なんで警察はこの男を現行犯逮捕しなかったのだろうか。それでなくとも年寄りの運転ミスによる事故が増えている。こういう事故を二度と起こしてもらっては困る。抑止力のためにも警察は即刻逮捕すべきだったのではないか。
 これを書いている時神戸の市営バスが横断歩道を渡っていた人をはね、二人が死亡したというニュースを見た。運転手は現行犯逮捕された。バスの運転手は逮捕され、元通産省の幹部は逮捕されないのはおかしいではないか。それとも年寄りだからか。
 いずれにせよ、子供が事故や事件に巻き込まれるのを聞くのは忍びがたく、今回も年寄りが起こした事故は怒りを隠せないので、荷風が書いている三越のエレベーター事故の顛末に半ばこじつけて書いてしまった。


by office_kmoto | 2019-04-21 19:55 | 日々を思う | Comments(0)

憂鬱

 電車の車掌や床屋の職人や、あるいは巡査、といった、いわば「目上」の職業の中に、自分より年下の人があらわれるようになったころから、私は年をとり始めたのだと思う。


 これは伊丹十三さんの本(伊丹 十三 著 /松家 仁之/中村 好文/池内 万平 編 『伊丹十三選集〈2〉好きと嫌い』岩波書店 2019/01発売)の中にあった文章だ。そうなのだ。何時の頃からか、私と関わってくる人たちが、自分より若い人になっている。それが何時の頃からだったのだろう、と思うと、やはり50を超えた頃かもしれない。そして今や私と関係のある人はほとんど年下になりつつある。それだけ自分が歳をとったということだ。だからといって自分より年下の人たちを見下すことは出来ない。お世話になっていれば敬いもするし、感謝もする。ただ出来ればそういう人たちは自分より年上であって欲しいところがある。なぜならそういう人たちが自分より年下であることが、かえって自分の未熟さを思い知ることになってしまうからだ。
 そんな自分より若い先生にかかりつけの歯医者さんがいる。
 今、永井荷風の『断腸亭日乗』を摘まみ読みしているが、そこに風邪をよくひく荷風が描かれる。
 誰でも歳をとると体調不良が多くなるが、荷風も同様だったようで、そんな記述を読むと、身につまされる。まったく厄介なことだよなあ、と同情しつつ読んでいる。特に歯痛に関しては、自分も長いこと悩まされてきたので、深く同情してしまう。そして自分もまた歯に悩まされることになった。

 先日前歯の差し歯が取れてしまった。慌てていつも診てもらう歯医者さんに電話をして着け直してもらった。その時私は自分の歯に長いこと悩まされ来たので、毎日ケアをしているのに、それでも必ずどこかおかしくなる、と先生に愚痴ってしまった。それが自分だけに思えて仕方がなかったのである。だから他人は私みたいに歯で悩まされていないのだろうか、と先生に聞くと、「そんなことはないですよ。皆さん、苦労されています。特に年齢を重ねるとその悩みが大きくなる」と言う。それがどこか同情にも聞こえ、素直に受け取れなかったところがある。
 そして今回は付けてみるけれど、たぶん差し歯にしている土台の歯がかなり痛んできているので、遅かれ早かれこのままでは使えなくなるというおぞましい言葉を聞く。そうなると当時1本10万円かかっている差し歯がおシャカになるというのである。
 そしてそれが無情にも早く来た。土台の歯が痛んでいるものだから、付けてもらった差し歯がぐらつき始めたのだ。そのためまた歯医者さんに行くと、もうダメですと宣告された。 
 結局このまま前歯の抜けた“歯欠けジジイ”になるか、10万円掛けた差し歯を捨ててブリッジを掛けるかの選択を迫られる。さすがにジジイでもまだ“歯欠けジジイ”にはなりたくない。それに前歯の一本がないだけでも、ものを食べるのに苦労する。そのためうまく咀嚼できないまま飲み込むことになり、ただでさえ胃腸が弱いのに、そのままだともっと胃腸に負担をかけることになりそうな気がする。ということは二者選択と言いつつも選択肢はないに等しい。
 差し歯の土台を再来週抜くことになり、抜いた後“歯欠け”のままにしないため、今日は仮歯の型を取った。久々に大がかりなことになる。そして費用もそれなりにかかることになる。いずれのことを思うとかなり憂鬱になる。


by office_kmoto | 2019-04-05 20:59 | 日々を思う | Comments(0)

3月10日 土曜日

 晴れ。

 今日やっとうちのウメが咲く。今年は去年と比べいっぱい咲いている。


d0331556_06301267.jpg



d0331556_06305255.jpg



d0331556_06312636.jpg



 昨日は東京で春一番が吹いたという。天気予報でそれを聞いて、遅いなと感じた。自分の中で春一番って、2月の中旬から下旬あたりにあるイメージがあったからだ。でも3月でも問題ないようだ。その違和感は、今、もうだいぶ暖かくなってきているから、いまさらというところから生まれているのかも知れない。
 当然今は花粉がピークで、くしゃみ、鼻水、目のかゆみに悩まされている。こんな時に孫と一緒に外でバトミントンをしたり、自転車で公園巡りをしたりするものだから、余計に症状がひどくなる。まあ仕方がない。
 何度もテッシュで鼻をかみながら、くしゃみも何度もして、本を読むが一向に進まない。そっちの方が気になってしまう。
 こんな時に本を6冊も借りてきてしまい、果たしてこれら2週間で読めるのかしら?と自分でも呆れている。しかも一冊は600ページほどある本である。孫が面白がって、借りてきた本の総ページを計算する。それが2,365ページもあり、「馬鹿じゃないの」と呆れられる。だよな、と自分でも思う。
 しかし面白そうな本ばかりである。気になって仕方がない。今読んでいる本を読んでから読もうと思っていたが、その本が面白くない。日本における洋食の発祥について書いた本だが、いつ、誰が牛肉を食べたかとか、コロッケは誰が作ったとか、とんかつがどこの店が最初にメニューとして出したかとか、カレーは……、とか考えてみればどうでもいいことで、そう思うと気が乗らず、投げだしてしまい、借りてきた本の1冊を手に取り読み出してしまう。こっちの方が面白い。孫も本を借りてきているので、一緒に本を読む。
 結局読んでいた本は借りてきた本を読んでから、また読み直すことにする。

by office_kmoto | 2019-03-11 06:32 | 日々を思う | Comments(0)

春に3日の晴れなし

 ここのところ晴れが続かない。雨の日が多い。一昨日は晴れたのに、昨日は曇り空で、今日は朝から雨が降っている。
 しかし間違いなく暖かくなってきており、千重オオムラサキは落葉していた枝に小さな葉をのぞかせている。さつきは蕾が少しずつ大きくなってきている。そしてウメのつぼみが大きく膨らませ、もうすぐ咲くだろう。


d0331556_07420891.jpg



 昨年秋に植えたチューリップは葉を膨らませた形で伸びてきている。ユリも生長はおそいけれど、しっかり葉を出しているし、水仙も芽を出してきている(うちの水仙は遅咲きなのだろうか)。そういえば昨日は啓蟄だった。少なくとも庭の草木を見ていると、春はもうそこまで来ているようだ。もうすぐまた趣味の園芸が出来る。

 今年はシンビジュームが豪華に花を咲かせた。いくつもの花芽が出ていたのを喜んでいたけれど、実際花を咲かせると、これを買ってきたときのように、いやそれ以上に豪華に花を咲かせている。しかも株分けしたもう一つの鉢もしっかり花を咲かせ、かなり満足している。そして驚いたことに親の鉢にはもう一つ花芽を延ばしているのを見つけた。思わず、「元気じゃないか、おい!」と声を掛けたくなってくる。
 親の鉢は一階の出窓に、子の方は二階の出窓に置いてあるが、そこで写真を撮ったら逆光でうまく写真がとれず、仕方がないのでわざわざ外に出して撮ったのがこれである。


d0331556_07425236.jpg



d0331556_07425889.jpg



d0331556_07430462.jpg



 しばらくは花を楽しめるはずだが、また来年も豪華に咲かせるように、昨年やって来たような管理をしようと今から考えている。

 我が家の草木は年に一回しか花を咲かないものばかりで、そこまでの時間の方が圧倒的に長いから、こうして花を咲かせてくれると、おもわずやったね、という気分でうれしくなる。その長い管理の月日を忘れさせてくれる。

by office_kmoto | 2019-03-07 07:45 | 日々を思う | Comments(0)

伊集院 静 著 『旅行鞄にはなびら』

d0331556_06151582.jpg
 この本はヨーロッパの絵画を巡る紀行文である。ヨーロッパ各地にある美術館や画家のアトリエなどを訪れている。読んでいると伊集院さんは印象派の画家が好きなようだ。私は印象派の絵は嫌いではないが、今ひとつ思い入れがなく、そんな画家の絵を見ていると、甘いチョコレートを手にした感じがしてしまう。だから伊集院さんの思うことを何となくそんなものか、と言う感じで読んでいた。
 ただこの本は絵画に関する記述だけでなくその旅の道筋で見かけた花の記述があってどちらかというとそちらに気にかかる。
 私はエッセイなどに草や木々の記述がある人の文章が好きだ。それも何げなく見るとそこに花を咲かせているというのがいい。

 人が花に目をむけるのはどんな時なのだろうか。
 人生の或る歳月を積み重ね、日々の時間がゆっくりと流れはじめた人たちが花に目がむく理由は何となくわかる。先述したように花の持つ懸命さにこころを動かされるのかもしれないし、ひとつ季節がめぐって、また咲いてくれる花のたしかさや時間への郷愁もあるのかもしれない。(岸部の花)

 伊集院さんのエッセイが好きなのもそういうところがある。何でも伊集院さんが草花や木々の花が好きなのは伊集院さんの母親が摘んできた花を挿しているのをよく見ていたからだという。

 現代社会はめざましい勢いで変化しているという人がいる。進歩向上しているという人までいる。それほど変化しているなら、私はついて行けないと感じる時がある。この頃、私は、そんな変化について行く必要なんかないのではと思う。と同時に、人類の歴史の中で急に世の中が変わるなんてことはなかっただろうし、これからもないのではと思う。(ゴッホとアーモンド)

 歳をとると世の中に後れをとっていくという、一時的な不安がある。けれどあくまでも一時的だ。私など“もういいじゃないか”と思うことにしている。そしてそう思うと、この伊集院さんのいうことはもっともだと思うのだ。
 でもこれはあくまでも歳をとったから言わせてもらえることだと思う。

 人の記憶とは案外と喜々としていたものは少なく、何かを失敗したり、悔やんだ出来事の方が頭に残っているような気がする。そう考えると、人間の生は哀切を軸に成り立っているのかもしれない。(白いアトリエ)

 先に言ったことが歳よりの慰めごとで、歳をとったことで言わせてもらえることと書いた。ただ歳をとった分悔やみごとはその分蓄積していて、それが悔やまれ、これが結構苛まれる。

伊集院 静 著 『旅行鞄にはなびら』 文藝春秋(2005/07発売)


by office_kmoto | 2019-02-05 06:17 | 日々を思う | Comments(0)

1月12日 土曜日

 曇り。

 今日東京で、今年初めて雪が降った。降ったと言ってもちょっと舞った程度。
 たまたま買い物から帰って来てテレビを付けたら大学ラグビー選手権の決勝戦をやっている。明治対天理で22-17と明治が優勝した。実は明治がここまで勝ち残っているとは知らなかった。
 大学ラグビーが気になるようになったのは明治に入る以前であった。
 高校を卒業して、推薦枠でもらった大学に入ったのはいいのだが、すぐ辞めてしまった。もともと大学に行きたいという強い意識があったわけじゃなく、高校時代に大学の推薦をもらったため、受験勉強をしなくて済むという安易な気持ちで入った大学だったため、入学してみて、何か違うという思いが強くなり、そのうち大学に行かなくなり、辞めた。ただその後何をしていいかなんて考えていなかったため、翌年今度は自分の意思で再度大学受験をしたが、世の中そんなに甘くない。受験に失敗する。
 とにかく大学にもう一度入ろうと早稲田にある予備校に翌春から通い始めたが、如何せん一度途切れた緊張は復活することなく、なかなか勉強に身に入らない。本ばかり読んでいた。予備校に通うものの、当時予備校の近くの本屋の上にあった喫茶店に入りびたっていた。さすがに正月明けになると焦り始め、その喫茶店で参考書を広げ勉強していたとき、テレビに映し出されたのが、ラグビーの大学選手権決勝であった。1月15日は成人式の日であった。映像には観客席に晴れ着姿の女性たちが映し出されていた。当時成人式は1月15日と決め打ちで、ラグビーの大学選手権決勝もその日と決まっていた。同じ二十歳でも、喫茶店に入って参考書を広げている自分とあまりの違いに、我ながら呆れていた。
 試合は早稲田の華麗なパスワークで勝利した。あの当時の早稲田のパスワークは本当にきれいで、そのままゴールになだれ込む。一方明治は愚直なまで正面突破の試合展開であった。もっともそれが明治のラグビー精神で、今日の試合でもボールを持った選手がひたすら前に突進するのを見て、まだこの精神は生きているんだ、と感じたが、なんか懐かしかった。
 春に大学に入ってからは、当然明治を応援することとなり、早明戦はいつもテレビで見ていたが、いつの間にか見ることもなくなった。そのうち明治は決勝戦に名を連ねることもなくなり、それが22年間そうであったことを今日知った。
 母校が優勝するのは喜ばしいが、私にとってラグビーの大学選手権決勝はそんな苦い思い出と共にある。


by office_kmoto | 2019-01-13 06:47 | 日々を思う | Comments(0)

1月6日 日曜日

 新年あけましておめでとうございます。

 今年は平成最後の年となるから、世間もいろいろと騒がしい年になるんだろうなと思います。幸いそうした喧噪から離れて暮らしているので、この1年もそんな世の中の喧噪を眺めながら暮らすことになるはずだし、そうでありたいと思っています。
 今年も昨年同様読んだ本のことを書いていくのでよろしくお願いします。


by office_kmoto | 2019-01-06 06:20 | 日々を思う | Comments(0)

12月31日 月曜日

晴れ。

 年明けに読もうと思う本を昨日今年最後に図書館で借りる。年末というのに結構な人がいたのに驚く。カウンターで手続きしていると、借り入れカードの5年更新が近くなっていると言われ、更新手続きをする。その間、もう5年経ったことを改めて思う。
 仕事を辞めて、図書館で本を借りることを始めたのが5年前だった。この5年間どれだけ本を借りただろうか。200冊近くか、それ以上か。以来自分の蔵書と図書館で借りた本をこの間読み続けた。その生活が変わることなく5年続いた。
 ところが今年はその変わらなかった生活が大きく変わった。だからこの年末やっと終わったな、と思う。何とか乗りきったという感が強い。確かに大変だったけれど、思い返してみれば、その分楽しいこともたくさんあった。笑うことも多かった。それを思うと良かったんじゃないか、と思う。
 そんな中ずっとやりたいと思っていたことの一つできた。来年もまたやりたいと思っていることが一つでもできればと思っている。
 今年もあと数時間で終わる。このブログを今年も読んでくださった方、お付き合い願い有難うございます。来年も相も変わらず書き込んでいきますのでよろしくお願いします。


by office_kmoto | 2018-12-31 22:10 | 日々を思う | Comments(0)

12月15日 土曜日

 晴れ。

 出久根達郎さんが新規の本を読むときに億劫になるときがある、と書いていた。
 ほぼ毎日本を読んで暮らしているが、同じような気持になることが度々あって、次に読む本がなかなか決まらないときがある。本を手にして数ページ読んで、これは今の気分じゃないと、諦め、違う読んでいない本を探し出す。何度か同じことを繰り返している内に、以前読んでお気に入りとなった本を手にして、また読み出すことになる。そんな本を読むと、心が落ち着く。
 会社勤めをしていた頃は、とにかく次から次へと新しい本を手にしていたが、今は新しい本ももちろん読むが、これまでほとんどしたことがなかった、本を読み直すということもよくするようになった。お気に入りの本を何度も読み直し、やっぱりこれだよな、という気持になる。そうした同じ本を何度も読む行為をするのは、やはり歳をとったせいかもしれない。必ずしも新しい本を次から次へと読む必要などないし、また読んだからそうそう感動するわけでもないのだから、これはこれでいいと最近は思っている。
 それで手にしたのが南木さんの自選エッセイ集である。
 あとがきに次のようにある。


 還暦記念出版として初春に『熊出没注意 南木佳士自選短編小説集』を出し、初秋になって対をなすこの本が完成しました。二冊とも版元がこれまでまったくつきあいのなかった幻戯書房になった理由は、活字媒体に発表済みの小説やエッセイのすべてを読み込んで的確なアドバイスをくれ、品格のある本作りこだわる職人気質の若い編集者との出会いがあり、彼女がこの出版社に在籍するゆえんです。還暦という古めかしい言葉が呼び寄せてくれた新しい縁です。


 私はこの幻戯書房から出ている本が好きである。そのラインナップを見てみるといかにもこだわっているというのを感じることが出来る。ただ難点は本の値段が高いということだ。だけど南木さんのこのあとがきにあるように「品格のある本作りこだわる職人気質」がこの出版社にあるようだから本の値段が高いのは仕方がないみたいだ。


 記憶の海の底に沈んでいたはずの小石が、ある日ぽっかりと海面に浮かんでくることがある。季節、時間に関係なく、俗世の波に波長をあわせて揺れる海面に、石は確かに浮いてくる。

 (略)

 狭い庭で泥遊びをしている子供たちを寝転んで眺めていた春の昼下がり、まどろみかけた私の脳裏にまた小石が浮いた。あっ、と出かかる声を慌てて飲み込む。陽はあくまでもうららかなのに、小石の周辺に広がった波紋は背筋を下って腰のあたりに冷感を誘う。(骨折の少年)


 開高健さんは確かそんな小石が浮かんでくるとき、「ちぇっ」と言っていた。要するに何の脈絡もないときに、ふと昔の失敗ごとを思いだし、苦い気分になることを言っている。こういうのって確かにある。それは忘れていただけに、ふと脳裏に蘇る過去の不始末は苦々しい。
 厄介なのはそれらがいまさらどうしようもないことなのである。自らの軽率な行動や発言が人間関係を壊してしまったと思っていただけに、いつまでもしこりとし残り、後を引く。なんであんなことをしたのだろうとか、言っちゃたんだろうか、といった感じで。不愉快極まりないのである。そんな時蒲団を被ってしまいたくなる、と開高さんは言っていたはずだ。よくわかる。おそらく長く生きてきた分こういう「小石」は脳のどこかにいくつも残っていて、ふとしたときに浮かび上がり、苛むことが多くなるのだろう。

 南木さんのエッセイ集を読み終えて、次に本を読むリズムが付いた。ちょうどブックオフオンラインで注文した新刊が2冊届いたのでそのうち1冊読み始める。あと1冊古本が届く筈だからこのあと続いて読めそうな気がする。
 宮部みゆきさんの新刊が出たので、楽しみに最寄りの駅前にある本屋に行ったのだが、在庫がなく、がっかりした。毎度のことだけど、寂しい限りだ。仕方なしにネットで注文した。

 母が植えた実家の藤が隣まで枝を伸ばしてしまい、切ってくれないかと言われたそうだ。それに物置が傾いてしまっていて、これも遅かれ早かれ隣人から苦情が出て来そうなので、これも撤去した。お陰で狭い庭が広く使えるようになり、小さなプランター棚を置く。ここのところ父は小さな鉢植えを買って楽しんでいるから、ちょうどいい。
 小さな庭も出来、土を入れ替えておく。2~3日後実家に行くとその庭にパンジーなど買ってきて植えていた。

 我が家のシンビジュームは元は一鉢だったのを株分けしてもう二鉢になっている。いわば子のシンビジュームは、まだ充分に大きくなっていないのでずっと花は咲かないでいた。それが今年、なんと親のシンビジューム共々花芽を付けている。
 今まで育て方が悪かったのか、花を付けるのは数年おきにだったのだが、今年は陽の当たる場所に鉢を移し、肥料も定期的に与えたきたから、それがよかったのかもしれない。これからもこうして管理すれば、まだまだ先も楽しめるかもしれない。これはちょっとコツを覚えたかも……。
 シャコバサボテンとシクラメンは今年、家の外装工事にかかる前におこなわれた高圧洗浄で痛めつけられてしまった。数年かけて育てて来たシクラメンは全滅。シャコバサボテンもかなり痛めつけられてしまったが、何とか持ち堪えて今、花を咲かせている。業者が大丈夫と言ったのでそのままにしてしまったが、気を利かせて鉢を避難させればよかった、と後悔している。

 今写真館で写真を撮ると、写真そのものを買うだけでなく、ファイルを買うことが出来る。これが出来るのは撮った写真がデジタル化しているからだ。だから七五三の写真を台紙に貼ったものを買わなくても、データーでもらったファイルを自分で印刷して、市販の台紙に貼れば、かなりいいものが出来る。
 わが孫の七五三の写真も写真館で作ってもらった記念写真を1冊買ったが、もう1冊は自分で作ってみた。もともと写真はプロが高画質のカメラを使って撮っているから大きく伸ばしてもかなりきれいなものが出来る。これだったら写真をデーターだけ買えばよかったかな、と娘と言う。
 その台紙をAmazonで購入した。それが注文した翌日に届く予定だったのが、届かなかった。それもわざわざメールで今日届きますと送ってくるから、それを待っていたのだが……。メールには配送状況を確認出来るアドレスがあったのでそれを見ると近所まで荷物が来ているのがわかるから、これだと明日には届くな、と思っていても翌日も届かなかった。メールを送ってきて今日届くと言っていたのに届かないので、いったいどうなっているだろうと思いカスターマズセンターに確認すると近所まで来ているけれど、配送に時間がかかっているとある。今日届かなければ翌日になるので待ってくれと言う。それと配送状況のデータは業者によって詳しく表示されないという。なんだかよくわからないが、要するにAmazonでも把握出来ない業者を使って荷物を運ばせているということなのか。
 その日も結局荷物は届かず、翌日また本日中に届きますとメールか来たから、今日こそは大丈夫だろうと思い、待っていても一向に届かない。配送状況を見てみるとなんと不在で荷物を持ち帰ったと表示される。おいおい今日は一日家にいたぞ。それでなんで不在なんだ。しかも不在票も郵便受けに入っていない。これはおかしい。再度カスターマズセンターに再度メールで問い合わせをする。すると一部の配送業者では荷物が多く回りきれないとき、システム上「不在のため持ち帰った」と表示されるという。なんということだ。その上不在が表示されていたら再配達をこちらが依頼しろという。やれやれ。天下のAmazonがこんな不具合をそのままにして平気でいることが不思議であった。
 それでお詫びとしてプライム会員を1カ月延長するといって何とかしのいでいる。
 こんなことがなければ待っていればいずれ届くだろうと思っていたはずだ。しかもこの時期荷物が多いのはよくわかっているから余計である。
 今日届きますというメールはAmazon側のサービスなのだろうが、二度も送ってきて二度とも届かなかったとなれば、おかしいと思わない方がおかしい。しかも配送状況を確認すれば、不在でもないのに不在だったというから、それは問い合わせの語調が厳しくなるのは仕方がないではないか。たぶんこういうのって他でもあるんだろうな、と思いネットで調べてみるとやはりある。そしてどうしてそうなっているのか説明しているサイトがあった。
 今、配送業者は今パンク状態で、大手配送業者がAmazonから撤退することも検討されている。そこでAmazonは大手業者だけではカバーしきれない地域の配送を請け負う「デリバリープロバイダ」を使っているらしい。


 「デリバリープロバイダ」とはTMG、SBS即配サポート、札幌通運、丸和運輸機関、若葉ネットワーク、ファイズ、ギオンデリバリーサービス、ヒップスタイルの8社の総称で、大手業者撤退騒動を経て、さらに利用されるようになったようです。一見すると小回りがききそうなデリバリープロバイダですが、ヤマト運輸や日本郵便といった大手業者では当たり前のサービスを提供できないという問題点があります(http://the360.life/U1301.doit?id=2751


 なるほどそういうことなんだ。何となくAmazonが困っている状況が目に浮かぶ。

 もう一つネット注文で問題があった。ブックオフオンラインである。注文していた吉村昭さんの古本が商品に問題があって売り物として扱えないから、ただであげますと送ってきた。まあ無料なのは有り難い。以前も同じことがあって、本のカバーが少し破れた程度で、ちっとも気にならなかったので、今回もその程度だろうと思っていた。ところが送られて来た本はどうやら図書館か何らかの資料室から盗品ではないかと思える本が送られて来た。その本が盗品ではないかと思ったのは、背表紙の下に図書館などで使う分類表を剥がした跡がくっきりと残っているのだ。
 図書館ではよく不要な雑誌や本をリサイクル本として無料で持って行っていいというのも確かにある。けれど吉村昭さんの本をリサイクル本にいくら何でもしないのではないだろうか。だからこれは盗品の可能性が高いと睨んだのだ。
 その上ページをパラパラめくっていると、薬のPTPシートが落ちてくる。飲みかけの薬が挟まっていたのだ。さすがにいくら無料でもこの本は気持ち悪くて手元に置いておけない。それで事情をブックオフオンラインに説明した。するとお詫びのメールが届き、着払いで送り返してくれと梱包材料と宛名の印刷したものを送ってきた。で、そのまま送り返した。
 Amazonにしてもブックオフオンラインにしてもサービスとしてしてくれたことが、ちょっとした不手際があだとなってしまった事例であった。それが二度続いたものだからちょっと詳しく書いてみた。
 ただ手間はかかったけれど、いずれも問題は解決したのでよかった。

 今日は今年最後の胃腸科へ行く。そのあといつものようにヨーカドーとシマホに行く予定。来週の月曜日は半年に一回の歯医者である。本当は11月行かなければならなかったのだが、何かと忙しく来週になってしまった。そうこうしているうちに今年も残り半月となった。


by office_kmoto | 2018-12-15 09:16 | 日々を思う | Comments(0)

11月のあれこれ

 もうすぐ11月も終わる。今月は自身のことは書かなかったので、まとめて書き込んでみる。

 孫が学校から帰ってくると、娘が仕事から帰って来るまで、我が家で過ごす。その間おやつを食べたり、宿題をやったり、テレビのドラマの録画を見たりしている。ときに孫の友達が遊びに来たりして、結構わいわいやっている。
 今時の子供が遊ぶとなれば、ゲームをやったりするのだろうが、如何せん我が家にはゲーム機がない。娘や息子が小さいときは、ゲーム機はもちろんあった。しかし子供たちが大人になったので、ゲーム機など処分してしまっている。
 ということで、孫が家で遊ぶとなれば、何でも手作りで遊ぶものを作ったりしている。昔自分たちが子供の時遊び道具を作って遊んだように、身近にあるものを使って、遊び道具を作る。要するに工作をやる。
 今回クリスマスツリーを作ることにした。もともと我が家にはもうクリスマスツリーも処分してないものだから、孫が作ろうと言って始まったものである。たまたま障子の張り替えをしたとき、障子紙を巻きつけてあるダンボールの芯が出てきたことから始まった。その芯をペットボトルが入っていたダンボール箱で固定して、ツリーに見立てて飾り付けようということことである。
 Seriaへ行ってクリスマスツリー用のモールを3本買ってきて、それを義父が残していったさつきの枝を固定するための銅線を使って傘の骨のようにして、そこに巻きつけた。あとは家にあった色画用紙や折り紙や、牛乳パックを使って飾り付ける小物を作ってみたら、何となくそれらしくなってくる。最初は孫にそうした小物作りを任せていたのだが、それらしくなってくると、教えているだけじゃ物足りなくなり、ついつい凝った小物をネットで検索して作ってしまった。うまく出来ると、それを孫に教えて作らせた。
 出来上がったのがこれである。おおよそワンコインでツリーが出来た。


d0331556_12260900.jpg



d0331556_12265256.jpg



 23日に孫の七五三の祈願のため亀戸天神へ行く。天気は昨日と打って変わって快晴となり、予報で出ていた木枯らし一号も吹かずに、お参りにには絶好の日であった。孫は三歳のときもここに祈願に来ているが、あの時撮った写真を見ると、幼かった。
 この春、こちらに来たときは、表情に不安げなところがあったが、今ではごく普通に小学一年生として過ごしている。娘と一緒にこちらの生活を楽しんでいるのがよくわかる。
 家に帰って来て、今日の写真をプリントしたのを見ると、成長したなあとしみじみ思う。
 翌日写真館に行って、記念の写真を撮った。

 Amazonで昨日注文した佐伯一麦さんの本が届く。この本は仙台の出版社で発行された本だ。だからか、ネットで気になる作家さんの新刊が発売されると教えてくれるサービスを利用しているのだが、この本は連絡がなかった。たまたま佐伯さんの新刊が出ているのをネットで知ったのであった。このサービスは地方の出版物には対応していないのだろうか。
 私が利用するhonyaclubだと「出版社よりお取り寄せ(通常3日~20日で出荷)」とある。以前ここで地方の出版社の本を注文したとき、取り寄せまであまりにも日数がかかったため、自動的に注文が取り消されたことがある。もしかしたらここで注文したらまた同じことになるかもしれないし、少なくとも日数はかかりそうであった。ちなみに紀伊國屋書店ウェブストアだと「お取り寄せ(通常、1~3週間で出荷)」とあるので、やはり取り寄せまでは時間がかかりそうであった。ところがAmazonだと在庫を持っていて、昨日注文したら今日届くのである。やっぱりAmazonはすごいな。
 やはり昔本屋に勤めていた頃、お客から地方の出版社の本の注文受けたことが度々ある。その時は通常の注文よりも取り寄せまで日数がかかるかもしれない旨をお客に伝えた上で、注文を受けた。
 注文を受けてとりあえずすることは、当時神田にあった書肆アクセスへ行って、そこで在庫を確認する。さらにやはり当時あった鈴木書店へむかい、そこでも在庫を確認した。この二つの問屋にないと本当に厄介なことになり、入荷まで1か月近くかかることもあった。 お客も呆れ顔で「まだなの?」と言われる。待ってくれるだけ有り難く、時にはキャンセルされることもあった。
 世の中これだけ多くの本が流通している中、お客が求める1冊にも迅速に対応してしまうのだから、昔のことを知っているだけに、今の時代はすごいな、と改めて思ってしまう。

 聞かなくなったレコードが実家にあり、父親に処分を頼まれる。そして私も本棚にかつて聞いたレコードがある。もうプレーヤーもないし、おそらくこれらのレコードを聞くこともないだろうと思い、一緒に処分することにした。
 ネットでレコードを買い取ってくれるところがあったので、申込みをすると、梱包用のダンボール一式を送ってきた。この梱包用ダンボール一式がすごい。ダンボールはもちろん、布粘着テープ、そして「買取申込書」を記入するためのボールペンまで付いてくる。申込書を書き込み、レコードを梱包し、後は所定の宅配業者に電話をすればもう記入済みの搬送用伝票まで持って来てくれるという。とにかく至れり尽くせりで、ここまでしてくれているのに、処分が目的でほとんど価値などないレコードを送ってしまうことに恐縮してしまう。

 図書館で借りた本を返しに行く。借りた本は4冊だった。それを二週間で読むわけだが、これまでだと4冊くらい一週間ほどで読み終えられるのだが、今回は返却日ギリギリまでかかってしまった。本が読める時間がこの春以降少なくなったためである。それでも本が読める時間が限られている中で、少しずつ本を読むのも悪くはないな、と思い始めている。
 これまでような一日中本が読めるというのは、ある意味しまりがなく、ダラダラした感が拭えない。しかし空いている時間で本を読むというのは、それなりの緊張感が伴う。それにじっくり時間を掛けて本を読んでいると、その本への愛着感というか思い入れが深くなり、案外いいものじゃないかと思うようになった。
d0331556_12492802.jpg そんな夜に佐伯一麦さんの『麦の日記帖』(プレスアート 2018/11発売)を読む。副題には「震災のあとさき2010-2018」とある。この間の佐伯さん日記である。
 日記と言っても雑誌に連載されていたもので、佐伯さんのさりげない日常が綴られている。読んでいる内にこれまで読んできた佐伯さんの身辺小説を読んでいるように感じられた。でもそれらの小説がどう佐伯さんの日常に係わっていたのかが多少わかって興味深かった。また『鉄塔家族』の親方がいつも「けつねうどん」注文していた食堂がなくなってしまったことを知り、読んでいる私も残念だなと思えるのがおかしかった。それだけこの小説が好きな証拠であろう。
 実はこの本で密かに期待したのは、東日本大震災での佐伯さんの被災状況を詳しく知りたかったし、それをどう感じ、その後どう対応したのかも詳しく知りたいところがあったが、ここでは深く震災には触れていない。けれどあの時のこと、そしてその後は仙台在住であることで、触れないわけにはいかないところがあって、その時々震災、被災した知人、友人のことをさりげなく触れている。そういう機会が多いことで、震災被害の甚大さを伝えているといっていい。


 一路、北上川河口の葦原へと向かう。運転手さんに震災のことを訊くと、「だめ」「全部流されちゃった」と言う。「でも、身内に亡くなった人がいないから、まだいい」とも。途中、大規模仮設住宅をいくつか通り過ぎる。まだ家に入れない人たちが多くいるのに、東京オリンピック招致で沸いているこの国は、やはりおかしい。


 この記述は2014年2月に多分連載雑誌に載ったのだろう。今年も大きな地震が起きたし、台風や集中豪雨で大きな被害を出した。それらの自然災害に被災し苦労されているいる人が多くいる中、相変わらず「2020東京オリンピック」と騒いでいるし、それだけでなく、今度は大阪で万博をまた誘致する。この国はなにかお祭りをやっていないと成り立たない国なのかと思ってしまう。いつも経済効果とかなんか言って、何かを見つけ、それだけを頼りに走り続けないといけない国になりつつある。しかもそれはいつも外国人相手だ。外国観光客を頼りするしかないのか。それでいて、いつでもウエルカムと言いつつ、一方でオーバーツーリズムに悩まされ、我慢している。
 おかしいというより狂っているとか言いようがない。

by office_kmoto | 2018-11-28 12:50 | 日々を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


by office_kmoto
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る