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伊集院 静 著 『なぎさホテル』

d0331556_11234874.jpg この本は今年二度読んでいる。もしかしたら私にとって今年一番の本ではないかと感じている。

 プロローグに次のようにある。


 東京での暮らしは、大学生活をふくめて十年余りの時間だった。疲れていた。他人と折り合うことができなかった。家族とも離別した。
 西にむかう切符を買おうとして、ダイヤ表を見あげた時、関東の海を一度もゆっくり見ていないことに気付いた。
 -関東の海を少し見てから帰るか。
 横須賀線に乗って降り立ったのは、逗子の駅だった。ちいさな駅だった。


 缶ビールを手にして砂浜に座っていると、


 「昼間のビールは格別でしょう」


 言葉をかけてきた品のいい老人に安い宿を尋ねると、


 「このうしろも古いですが、ホテルですよ」


 ともかく金のない若者だったから、部屋代などまともに払えなかった。
 「いいんですよ。部屋代なんていつだって、ある時に支払ってくれれば。出世払いで結構です。あなた一人くらい何とかなります」 I支配人は笑って、私が少し旅に行くと言うと、旅の代金まで貸してくれた。
 今、考えると見ず知らずの若者にどうしてそこまでしてくれたのか、わからない。I支配人だけでなくY副支配人女史をはじめとする他の従業員の人たちも青二才の若者を家族のように大切にしてくれた。
 ホテルで過ごした七年余りの日々は、時折、思い起こしても、夢のような時間だった。


 私はこのホテルで大人の男へのさまざまなことを学んだ。人生は哀しみとともの歩むものだが、決して悲観するようなことばかりではないということである。


 著者はあのときのこと夢のような時間といい、それを懐かしむ。


 そこにあった時間はつい昨日のことであるような気もする。今、私は還暦を迎え、作家生業としているものの、あの頃の自分と何がどう変わったのかと考えると、何ひとつ変わってはいないし、むしろあの時の方が、何をするにしても今より情熱があったように思える。飢えてもいた。持って行き場のない怒りをかかえて、うろうろと街を徘徊し、人を妬み、裏切り、失望し、大勢の人たちに迷惑を掛けて生きていた。
 それでも、あのホテルの一室で見つめていた時間の中に、甘酸っぱい匂いがしてくるのは、或る日、突然に迷い込んできた、一人の若者を、家族のような目に見守ってくれた人たちがいたからだろう。その人たちの大半は、今はもうこの世にはいない。わずかに一人の婦人から一年に一度、美しい文字の便りをいただくだけだ。


 とにかくここで出会ったI支配人の発する言葉がいい。こんな人がいるんだ、と思った。私はこのI支配人の言葉が一言一言、次に何を言われるのか、楽しみにページをめくる。そのI支配人が発する言葉を書き出してみる。


 「私は船が好きでしてね。南太平洋は星が綺麗なんですよ。その星を眺めながら一杯やってると、ずっとこうしていたいと思いました。人は、それができる時にやっておいた方がいい。その方が楽しいですよ・・・・・」


 「・・・・そうですね。航海へ出ていた頃が一番良かったですね。いったん海に出てしまえば女房も家族も関係ありませんしな。自由で気ままなもんでした。それに寄港すれば、港、港に美しい女性もいますし・・・・」

 「へぇ~・・・・・、そうだったんですか」

 「はい。これで結構、私、遊んでたんですよね。ハッハハハ」

 そう言ってI支配人は少し顔を赤らめた。
 若い時代に海に出た男が、老境に入って、海のそばで静かに暮らしている姿は何とも風情があるものだ、と思った。

 「ここのところどうですか?あなたも遊んでいますか」

 「えっ?」

 「男の人は若い時には少し羽目を外さなくてはいけません。だって若い時しか、そんなことできないんですから・・・・」

 「でもホテル代も満足に払ってませんし・・・・」

 「いいんですよ。そんなもの。お金がある人が払ってるから大丈夫です。こんな小さなホテルですが、あなた一人のことで困ったりするものですか」

 「は、はい。ありがとうございます。いつかちゃんと仕事ができるようになったら必ずお支払いしますから」

 「礼など言わないで下さい。それに、あせって仕事などしちゃいけません。正直言わせて貰うと、仕事だって、そんなにする必要もないのかもしれませんよ。私、こうしてあなたとお酒が飲めて喜んでるんです」

 「私でよかったら、いつでも誘って下さい」

 「それはありがたい。あなた・・・・」

 「何ですか?」

 「あなた、大丈夫だから」


 この「大丈夫」という言葉、伊集院さんは、『いねむり先生』で色川武大さんからも似たような言葉で言われている。

 「大丈夫、・・・」か、

 こんな言葉をこんな人から掛けられたら、心強い。うれしくなるだろう。


「自分で釣った魚は格別美味しいでしょう」
 そう言いながら笑っていた支配人の顔が浮かんで、私は何から何まで見守られていたので、とただ嬉しがっていただけの己の迂闊さを恥じた。


 「歳を取ると、季節が変わるのが面倒臭く思えることがあります」

 私にはI支配人の言っている言葉の意味がよくわからなかった。

 「目の前を過ぎて行くものが、いろいろやってくれないで、そのままでいてくれないものか、と思うんです。まあ、私、若い頃からなまけ者でしたからね。軽井沢はどうでしたか?」

 「はい。涼しくて過ごし易かったです。気分が少し変わって、いろいろ考えさせられました」

 「あんまり考えない方がいい。なるようにしかならないものです。無理にそうしなくても、何かがなる時は、むこうからやって来るもんです。あなたには、その方がいい」

 私はI支配人の顔を見た。支配人は目を細めて、秋にむかう海と空を見ていた。


 私は自分の人生において、こんな人と出会いがあっただろうか、と思う。自分に優しく接してくれた人がいただろうか、と。
 思い出してみると、一人だけいる。この人と出会ったことで、私の人生観は間違いなく変わったと思っている。そしてその時私にかけてくれた言葉は、時々思い出す。甘酸っぱい記憶と力強さと共に。バーのカウンターに座って、夜を徹して話をしてくれたこともあった。これが美味しいんだ、といって日本酒の銘柄を教えてくれたし、ウイスキーの銘柄も指定して、ショットで飲ませてもらった。
 その人とは2年間付き合った。それ以降お会いしていない。今どこで何をされているのか、まったくわからないけど、出来るならもう一度お会いして、いろいろ話を聞きたいと思うことがある。
 そして私はこれから先I支配人のような人と出会うことがまだあるんだろうか、と思った。ただ年齢的には逆に私自身がI支配人のようにならなければならないのかもしれない。そのとき私はこの人のように人にやさしくなれるだろうか、と思ったりする。
 人のやさしさはその人の苦労と裏腹だろう。出来るものなら私もI支配人のような人に少しでも近づければ、と思った。

 いい本であった。手元に置いて、いつでも読めるようにしておきたい本であった。


伊集院 静 著 『なぎさホテル』 小学館(2011/07発売)
by office_kmoto | 2013-10-31 11:26 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

格闘

 土日は今までの本の生活から離れ、パソコンと格闘していた。
 我が家では家族みんなで使うデスクトップパソコンがXPで動かしている。動いている以上、多少問題はあるけれども、本来ならもう少し頑張って欲しいところである。しかしご存じの通りXPのサポートは来年で終わってしまう以上、このままにしておくわけにもいかない。
 長いこと動いてきた分、時代遅れ感はどうしようもなく、スピード、処理能力は遅い。だからサポートも終わってしまうことだし、このパソコンには引退して頂くことにしたのだ。
 ということで、今度はWindows8で動くものとした。その新しいパソコンが土曜日に届き、早速設定をはじめたのである。
 しかしこの設定が簡単にいかない。まずWindows8の動きがよくわからないのだ。なんでこんな面倒臭いソフトにしたんだ、と思わず毒づいてしまう。まず立ち上がりがスターメニューになり、そこからデスクトップに行くのが馴染めない。そしてデスクトップに行けば、「スタート」がないから、デスクトップにアイコンがあるソフトはいいが、ないソフトはどうやって起動すればいいのかわからないのだ。そして「スタート」がないからシャットダウンはどこからやればいいのかわからない。
 また設定やソフトのインストールをやっていると、再起動を要求されるが、いつの間にか「再起動」が、「更新して再起動」に変わちゃっていて、「あれ?オレなんかやっちゃたかな」と慌てるし、まったく困ったものである。
 これでWindows8が悪評なのがよくわかった。そのためWindows8は8.1にバージョンアップしている。
 このパソコンにプレインストールされているのが8で、調べて見ると8.1にバージョンアップ出来ないことはない。その説明をネットで読んでみると、ものすごく面倒である。昔なら出来たかもしれないが、今はちょっと出来そうもない。ただ自分の能力の低下をただ嘆くだけである。仕方がない。後はWindows8に慣れるしかない。
 設定をやるにしても、忘れていることが多く、とにかく時間がかかってしまう。
 とにかくこの連休はパソコンとこのように格闘して疲れ切ってしまう。長いこと画面を見続けた結果、目はショボショボとなるし、最悪である。
 疲れているから適当なところでやめればいいのだけれど、性格柄、気になって仕方がないから、ついつい根を詰めてしまった。


 格闘で思うのは、ちょうど読んだ本のことだ。読んだ本は『私の本棚』という本。著名人の本棚についての思い出や増え続ける本をどう収納するか、その格闘が書かれた本である。


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 とにかく本好きは本が増えてしまう、という問題にどうしても直面せざるを得ないのは自らもそうなので実感できる。


 塵も積もればなんとやらの譬えどおり、日ごと、月ごと、いや年ごとに増え続ける本と、その本を収納すべき本棚を確保する、物理的な人生の戦いがはじまることとなった。(児玉清)


 僕は本屋さんじゃないので家全部を本棚だらけにするわけにもいかず、分類どころかどこに置こうか、という物理的問題に頭を悩ませている。(荒井良二)


 ウエスト回りがゴムの体操着を着るようになった途端ウエストの緊張感がなくなるようなものです。蔵書のメタボ現象が出現しました。(池上彰)


 自分の本が少しずつ増えていくのは、確かに楽しかった。私が自分の本棚を持ったのは高校時代である。本を読む楽しみを覚え、おこづかいをもらったら本を買っていた。それがわずかずつだけど増えていき、まずはスチールの本棚を一棹買って、そこに収める。きれいに収まった本棚にうっとりし、まだ空間があることに安心した。しかしその空間は長いこと持たなかった。まして本好きが狂気を帯びてくると、その増え方が尋常でなくなった。本屋でアルバイトを始め、毎日本を見ていると、欲しい本がどんどん出てきて、バイト代をほとんど本代につぎ込んでしまった。そのため棚がどんどん増えていく。
 結婚するまでに、六畳二間を占領していた私は、そこに本棚を6棹置いていた。さすがに結婚すると、それを持って行くこともできないから、初めて本を古本屋に売ることにした。この時は処分した本の冊数も多かったが、まだバブルの時だったので、結構いい値段で買い取ってもらった。
 今の家は玄関のある一階から二階へ上がる壁際全面が本棚になっている。最初はこれはたくさん本が収納できると感動したが、それもいつの間にか一杯になり、また古本屋に処分した。最近も思い切って処分しているので、私は今まで三回、本を売っていることになる。
 特に最近処分した本はかなりの冊数を売った。本が収まらなくなったからであるが、それよりもあの地震も影響している。棚からはみ出た本が落下したのを見て、このままじゃいけない、と思ったのである。
 金額は昔と違い、二束三文であったが、それでも空間のある本棚は安心できた。この時とにかく本を買うより、棚にある読んでいない本を重点的に読むことを決めたのであるが、やはり少しずつ本は増えつつけている。地震さえなければ、もしかしたら棚一杯になっている方が、本が増えなかったかもしれないな、と思ったりする。


 余白のなさが、最大の抑止力。(小野不由美)


 である。

 今は極力買う本は厳選しているつもりだ。このまま馬鹿みたいに本を買っていると、生きている間に読めない本がかなり出てきてしまう可能性が私にはある。


 もちろんこれまで溜めこんだ本はおいそれと処分するわけにもいかないのだけれど、以前の無邪気な愛着をなくしてしまったのは、たぶん自分がこれから持てる場所や時間があまりにも小さく短く、本だけが増えすぎている、という当たり前の現実に気付かされたからだろう。(内澤旬子)


 私もその現実に気付いている。
 ところでこの本にエッセイを寄せている人たちは、自分の好きな本だけを収めた一棹の本棚に憧れている人が多かった。本がどんどん増えていくことで、日々その収納に格闘している人たちだから、余計にそういうシンプルな本棚を持てることに憧れるのだろう。それもよくわかる。私がもし、身近に本棚を一つだけ置いて、そこに好きな本をだけを置いていいといわれるなら、まず何をそこに収めるか考える。それだけでも楽しそうだけれど、もしそれが完成したら、きっと私はそこから離れないだろう。


新潮社編 『私の本棚』 新潮社(2013/08発売)
by office_kmoto | 2013-10-30 10:34 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

高村 薫著 『冷血』〈上〉〈下〉

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 本当に久しぶりに合田雄一郎シリーズを読む。


 《スタッフ募集。一気ニ稼ゲマス。素人歓迎》


 井上克美は闇サイトに書き込む。
 それを戸田吉生は読み、克美と会う。書き込みになる《一気ニ稼ゲマス》とある以上、普通の商売などではない。克美はかねてから目をつけていた郵便局のATM強盗を企て、仲間を募っていたのだ。それに吉生が乗ったのだ。建設現場からユンボを持ち出しATMを狙ったが、失敗した。もともと成功する確率が低い場所にあったATMであった。克美は仕方がないのでパチンコ景品交換所を襲おうとしたが先客がいたようで、それを諦めコンビニを襲う。
 吉生はひどい歯痛に悩み、克美が以前知りあいが行っていた高梨歯科医院を紹介しようとしたが、吉生は歯医者ならもっと金がありそうだと提案し、その歯医者を下見する。
 その歯医者が休診日があったこと。家族で出かけようとしていたことを知り、歯科医院の自宅に空き巣に入ることを計画する。そして夜中に歯科医者の自宅に忍び込むと、留守であったはずの家に家人いた。克美はいつも持ち歩いていた“根切り”を振り下ろし、主人の高梨亨の頭をたたき割った。さらに不審な物音に気がついた妻の優子を羽交い締めにし、キャッシュカード暗証番号を聞き出してから、同じように“根切り”を振り下ろした。克美はそれだけで気が済まず、ほぼ最初の一撃で息絶えていた二人の頭に枕をかぶせて更に“根切り”を振り下ろし、とどめを刺した。
 二階には二人の子供が寝ていた。吉生は子供は自分がやると言って克美から“根切り”を受け取り、部屋に入り、そのままそれを振り下ろした。二人ともほぼ即死だった。
 克美と吉生は、キャッシュカード奪い、4日間で16回コンビニあるATMから1,200万円引き出し、二人は別れた。
 一家四人が無惨に殺され、現金1,200万円が奪われた凶悪事件であったが、その捜査陣の割り振りをするのが合田雄一郎であった。登場は昔の如く、レザースニーカーで登場するのが懐かしかった。
 雄一郎は犯人像を考えてみると、


 せっかく下見をしながら、狙いを定めた家が留守になる日を一日間違える程度抜けている雑な頭の持ち主が、スイッチ一つで殺人マシンに切り換わる。
 これは、ひょっとしたら素人か。


 しかし犯人は簡単に割れる。まず井上克美の名前が浮かんできた。克美が持っていたGT-Rが何者かにぼこぼこにされているのに目撃者おり、克美がそれを引き取らせた自動車整備工から井上の名前が割れた。井上は以前暴行で逮捕されていたが、その時の被害者である、克美と一緒に暮らしていた大村里枝が高梨歯科医院通っていたのである。
 さらに事件後、克美が乗り捨てた盗難車から戸田吉生の指紋が出てくる。戸田の名前がわかれば前歴もすぐ出てくる。吉生が持病の歯痛持ちであることがわかり、歯科医師会に一斉手配をかけた。そして逃亡先の神戸で吉生は見つかった。逮捕時、吉生の歯はかなり悪化しており顔が変わるほど腫れていた。吉生の逮捕で克美の犯行も明らかになり、公開捜査が行われ、克美も逮捕された。
 しかし捜査陣は克美と吉生の犯行の動機が分からなかった。捜査の過程は次のようだ。


 現金があるかどうかわからない家。ただ確実に留守だというだけの家。そんな家に押し入る理由は、それが歯科医の家だから。子どもが附属へ行っているから。上品そうな暮らしだから。それだけの理由があれば十分だった。


 ひょっとしたらATMを狙ったのは克美かもしれない、というのだった。そしてさらに、克美の盗難はある日突然スイッチが入る。盗むのに理由はなく、金が欲しいわけでもないが、スイッチが入ったら半月ぐらいは止まらない。あれはビョーキなのだ、とも。


 事実、ほとんど行きずりに近い深夜押し入って一家四人を殺し、金品を奪った犯行には、どんな謎もない。動機は金。夫婦を殺したのは口封じ。子ども殺しは騒がれないため。殺害をためらった形跡もない、まるで強盗の教則本だった。またさらに、過去の被疑者供述調書に垣間見える感情生活や思考回路のほうも、絵に描いたような世間への不満と鬱屈に満ちていて、逆に個性が描きづらい。雄一郎自身、一定の人間像を想像できるような、できないような、いつになくあいまいな心地であり、だからこそ生きた本人と相対する必要を感じる。


 井上克美のほうが地方都市のある種の典型的な家庭崩壊の産物なら、こちら(戸田吉生)は教育熱心な親の期待に押し潰されたらしい受験戦争の敗者。逮捕時の、刑事相手の通り一遍の供述だから、判に押したような子どもっぽい精神構造であり、行動原理ではあった。


 いつものことだが、どんな家族も外から見える姿と実際は違う。まして事件に遭った家族は衝撃でゆがみ、崩れ、外部の視線によって浸食されてゆくのだと思いながら、雄一郎はしばしば耳を傾け、<流し>という自身の見立てに変更を加える必要があるか否かを思案した。


 とにかく捜査陣の質問に対して、克美と吉生はのらりくら、「分からない」「覚えていない」「何となく」と答え続けるのであった。ここで上巻が終わる。
 とにかく一家四人殺しの被告二人は捕まり、下巻はどういう展開になるのだろうと思い、読み続ける。犯人たちは「殺すつもりはなかった」「殺すという発想がなかったので生死も考えなかった」「金が欲しかったのではないが、眼の前にあったから盗んだ」強盗の認識さえ否認。あるいは「殴りたい気分だったから殴った」「殺そうという思いがなかった」「殺そうという思いがなかったので、被害者が生きているか死んでいるかも考えなかった」と、とにかく二人の動機がわからず、単に事件の犯人だけは彼らに間違いないことだけが確実なだけであった。


 仮に井上や戸田に動機や犯意と呼べるものがあったとしても、前後の脈絡や必然を欠いたばらばらの断片として空洞に投げ込まれているだけであり、そんなものを一つ二つ拾いだしてみたところでほとんど意味はない。空洞であっても、強盗や人殺しはできるし、犯行の様態や結果が変わるわけでもない。動機が有ろうがなかろうが、強盗は強盗、殺人は殺人であり、被害は被害なのだ。いったい自分たち警察も検察も社会も、この被疑者たちに何を求めているのだろう。欲しいのは、彼らをともかく刑場に吊すための理由ではないのだろうか。


 「では一応、完落ちということですか」

 「正確には、落ちるほどの中身がないと言ったほうがいいんでしょうが、検事もこれ以上つついても何も出てこないと判断したようで」


 余計なものを付け足すことなく、ありのままを記録すればよい。犯人性と殺意に疑問の余地がない以上、動機や犯意などの構成要素について分からない部分が残ったとしても、そちらのほうが事実なら、それでよいというのが、雄一郎の結論だった。


 確かに犯罪には動機らしきものがあって、それが故に犯行が行われ、そしてその動機が、情状酌量の余地があるとか、あるいは病気、生活環境でやむを得ないとか、裁判で明らかにされることで、その刑の根拠となる。


 「分からない」「覚えていない」「何となく」の連発では事件の真の動機、真相が分からなかった。しかし警察としては基本的に、被告人が被害者を殺したことが確実ならば、有責性はそれで十分。


 この本を読んでいると、なんでもかんでもこれが事件の動機で、真相だ、ときちんと説明できるとは限らないのかもしれない。時に“脳の暴走”が起こし得る事件もあるかもしれないし、身体が勝手に動いてしまったこともあるかもしれない。それが不可解な行動が事件を起こすのかもしれない、と思ったのである。
 そもそもこの事件最初から動機や理由など存在しない。著者はそれを示すことで現在の捜査、裁判が何でも動機を求める傾向に限界があることを提示しているのではないか、と思ったりする。
 そしてもっと突っこんで言ってしまえば、刑を決める時、動機や状況、あるいはそれまでの生活環境などで、刑を考慮することがどこまで可能なのか。その必要性をどこに求めるのか。それをばっさりと否定することで、この場合はどうするのよ?と言っているように思えた。そしてこの事件に関して言えば、たとえまっとうな動機や理由があっても、死刑以下には絶対にならない以上、それに何の意味があるのか。犯罪に動機や理由に何が意味があるのか、これが著者が提示したかったことではないか、と思うのだ。
 それを思うと、私は何度も溜め息が出て、この本を置いてしまった。
 事件の重大性や残虐性は、ことの成り行きでそうなってしまっただけで、その時の思いは犯罪とはまったく別のところあったことを知らされると、戸田が言う言葉が重くのしかかる。


 《どれもこれも、いまは些細なことに思えるけど、消えねんだ。一つ一つはかたちもないほど下らねえことでも、記憶についたシミみたいに消えねんだ。そうだ、だから南町田の駅から温泉施設まで歩く途中、井上の姿が見えなくなったときも、無性に胸が痛くなった。たぶん、津の国道沿いで親に置き去りにされたときの感じを思い出したんだろ。逆に、池袋で出会ったときから、なんだかんだ言っても、あいつはいつも俺を待っていてくれたしな。べつに待っていなければならない義理もねえのに、だ。この、誰かに待たれている感じって、分かる?誰かが待っていて、会えば当たり前のように一緒に飯食ったり、移動したり。みんな、当たり前すぎて考えたこともねえんだろうけど、ずっと一人で生きてきた人間には、誰かに待たれているというのが、なんか骨がくすぐったいような感じでさ-。うまく言えねえけど、あの一週間の俺は、妙にウキウキして仕合わせだったんだ。だから少しでも井上の役に立ちたかった、井上の負担を分け合うために、ガキ殺しを引き受けた-とまで、言う気はないけどな。あの一週間が、俺の最初で最後のクリスマスだったのは確かだ。だからあの一家には申し訳ないけど、あまり後悔してねえんだ、俺-》


 雄一郎はこの事件に取りかかる前に医療過誤事件に関わっていた。医療過誤事件で家族を失った遺族の喪失感を次のように理解する一方で、克美と吉生の場合は誰もその喪失感を感じない人間であったことを思い知るのであった。


 そして、喪失としての死は、喪失であるゆえに慰めや思い出や感謝の言葉で賑やかに埋められ、ときには謝罪や金銭で埋められて送られるのだが、事故や事件では死が死のまま、喪失が喪失のまま、むき出しで放り出されるほかない場合がある。そうだ、人間が耐えられないのは、事故や事件の悲惨ではなく、事故や事件ゆえに死の喪失が慰めや祈りで順当に埋め合わされる機会を失い、むき出しのままそこにあることではないだろうか。死が、生きている自分たちの足下に空っぽの穴を開けて横たわっていることではないだろうか。

 はて、死がそういうものなら、一家四人殺しの被告二人が、自分たちの犯した殺人について苦しみや懺悔の気持ちをもたないのも、そういう奇異なことではなかったが、一方彼らの未来の刑死もまた、誰にも喪失感で迎えられることがないのだった。


 今回シリーズ最新刊を読んだが、実は前作を読み忘れている。やっぱりこれも読まないとならないな。そして昔読んだ合田雄一郎シリーズをもう一度読み直したいとも思った。


高村 薫著 『冷血』〈上〉〈下〉毎日新聞社 (2012/11/30 出版)
by office_kmoto | 2013-10-23 16:09 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

散歩

 一冊の本を読む終えて、次に用意してある本を手にする。用意とは、本にカバーを掛けることである。それは市販のブックカバーをかけたり、あるいはお店でもらったカバーをかけ直したりしたものである。
 そして次はその本を読むのであるが、そのときその後に読む本を用意する。
 このときが問題なのである。何を読むか、本棚から物色するのだが、目に付いた本が準備したある本より先に読みたくなるのである。つまり次に読む本があるにも関わらず、こっちの方が気になってしまうのである。いつもそうである。
 次に読む本を準備しておくからこういうことになる。一冊読み終えてから、次の本を探せば、こんな迷いもないのだが、性格柄かついつい次のを準備してしまうのである。
 でも新しい本を読むという、この段階が楽しい。楽しいから迷いが生じるとも言えなくもない。

 さて。

 今日は散歩がてら近所の図書館に行ってみようと思う。久しぶりである。というか今日の散歩は別な意味がある。
 子供の頃、母親の買い物に一緒に行った道を歩いてみようと思ったのだ。
 実家の近くにはスーパーがないので、バス通りに出て、そこにあるスーパーに行くのである。歩いて20分ほどだろうか。母はいつも買い物かごをさげて歩いて行く。私もお菓子でも買ってもらうつもりで、一緒に歩いた。
 そんなことを思いだし、あの道にあった友達の家がやっているお菓子工場やお店など、今はどうなっているのか知りたくなったのである。
 私が小学校の同級生がやっていたお菓子工場とは、かりんとうとクッキーであった。かりんとうは揚げたてを子供のおこづかいで買えるほど安く売ってくれた。クッキーは割れてしまったものを袋にいっぱい詰まって売っていた。かりんとう工場は今も残っているようで、友達の名前が残っていた。クッキー工場の方は何もなく、一戸建てが建っている。
 家が肉屋を営んでいた友達もいて、そこでやはり揚げたてのコロッケなど食べた記憶があるが、今はお店はなくなっていて、普通の家になっていて、友達の名前が表札にかかっていた。
 揚げたてのコロッケと言えば、やはり小学校の頃、友達と一緒に通っていた学習塾の帰りに、スーパーの一角にあった肉屋に寄って、揚げたてのハムカツやポテトフライである。それにたっぷりソースをかけてもらって、食べながら帰ったことがよく思い出す。熱くてなかなか食べられなかったことや、あの味はいつまでも忘れられないものだ。今はスーパーもなくなっているので、その肉屋もない。
 その友達の家は砂糖の精製工場をやっていて、大きな工場が二つあったが、今は何もなくなっていて、やはり一戸建てがいくつも建っていた。その友達の家に遊びに行くと、よくカルメラを作ってくれた。砂糖を温めて、溶けたところで重曹を入れて、プーッとふくれた、あの光景を思い出す。あれも美味しかった。
 母親がよく行っていた通りから奥に入ったところにあったスーパーも今はない。ただ建物はどういうわけか半分残っていて、スーパーの名前が中途半端に残っている。もちろんペンキなどはげてしまっていて見るも無惨な姿になっていたが。
 小学校の検診に来ていた歯医者もその途中にあった。歯科医院という立て看板があったが、どちらかと言えば普通の一軒家で、待合室は薄暗く、大きな柱時計がかかっていて、時報の音が大きく響いていた。いっぺんに2本も歯を抜いてしまう藪医者で、ここを出たときは口が血だらけだった。もちろん今は何もない。向かいにあった床屋もなくなっている。
 通りに出てみる。下駄を売っている履き物屋は今も残っている。ここで下駄を買って、大学時代それを履いて通っていたこともある。歌にある“下駄を鳴らして奴が来る”あの感じである。さすがに腰に手ぬぐいはぶら下げなかったが。下駄は履き慣れると、素足に気持ちいいものである。
 図書館は昔のものではない。建て替えられて、コミュニティー広場となってしまって、明るい。昔は全館薄暗い書庫は本で埋まっていて、いかにも“図書館”といった感じだったが、今は本の冊数もかなり減ってしまっていて、昔あった文学全集など一冊もない。閲覧室もほとんどなく、昔のように暑い夏にここに来て勉強などできないだろうな、と思った。やはり来るべきじゃなかった。
 今日はかみさんがいないので昼飯を買っていかないとならなかった。何を買うかはもう決めてある。サンドイッチである。ここはサンドイッチだけで、ここで作って売っている。フルーツサンドが最高にうまい。それとコロッケサンドを買う。
 途中公園に入って、ベンチに座り、フルーツサンドをほおばる。クリームに挟まれたフルーツが美味しい。クリームもそれほど甘くなく、パンもふわふわで柔らかく、やっぱり思っていた通りであった。コロッケも、パンの柔らかさとコロッケの衣のさくさく感が口の中で面白いほど感じることが出来る。これはコンビニのべちゃっとしたものとはまるっきり違う。しかもコンビニよりも安い。
 公園には誰もいなく、木々の葉がいっぱい茂り、風に揺れているのを眺めて、美味しいサンドイッチを食べていると、幸せだなあと思ってしまう。今日は歩いてここまで来て良かったと思う。
 そう言えばこの先に本屋さんがあったはずだと思い、先に進んでみたが、ここのやはりなくなっていた。店があれば何でもいいから本を買おうと思っていたのだけど、残念であった。
 携帯の歩数計を見てみると、8,641歩、5.1キロ歩いた。予想通りなくなってしまった建物、お店が多かったが、それでも懐かしいところもあったし、楽しかった。今日はここを歩いて良かった。
by office_kmoto | 2013-10-19 15:32 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

文藝春秋 編 『吉村昭が伝えたかったこと』

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 この本は平成23年9月の文藝春秋の臨時増刊号を再編集したもので、文庫オリジナルと言っている。しかし私にはどこが再編集されたのかよく分からなかった。
 それでもこの本を読んだのは、9月22日の毎日新聞書評に取り上げられていて、また読み直してみようかな、と思ったのである。
 その前にこの書評が吉村昭という作家を好意的に見ていて、自分の贔屓の作家がこのように取り上げられると嬉しいのでそれを書き出してみる。


 記録文学という文学の一分野がある。「史実にこそ、人間のドラマがある」。事実の重みっを信じて、作家の想像による創作演出をあえて抑える。徹底した取材と調査により、人間社会が現実に経験したこと、引き起こしたことを確定して、それによって人間や社会とは何物であるかを、えぐり出す文学である。


 そして「吉村昭は、その少ない記録文学の独立峰であった」とこの書評では言う。とにかく吉村さんのエッセイなどを読んでいると、その資料集めは徹底していることがわかる。資料集めは大変そうであるが、吉村さんはそうでもないことをこの本で言う。


 なんか私はね、自分が探していると、向こうから史料が顔を出してくれるような気がする。だからよくね、資料探し大変でしょうって言われるけど、そうでもないんです。これはどこにあるなって感じると、そこに行くとあるんですよ。向こうでちゃんと待っててくれているような感じがする。


 そうは言っても、実際現地へ足を運ばなければならないし、その前にきちんと下調べしないと、探すべき史料は見つからないだろう。物語のディテールを埋めるために、吉村さんは日本中を歩きまわっている。それは歴史の資料としては些末なものであっても、物語には必要なものだから、集めるのは大変だろうと思われる。見つからなければ書かない主義の人のようであったから、必然的に寡作の作家となった。


 吉村昭は「休まない作家だった。正月以外は、日々取材と執筆に勤しんだ」が、この理由(史実の森に分け入って探す。見つからねば、いつまでも書かない)で寡作となった。


 しかしこうして苦労して集めた史料による歴史的新事実は、他の作家に自由に使われているという。


 だが、吉村ほど作品の品質を信頼されていた作家もいない。同業作家は当たり前のように吉村作品を踏み台にして引き写した。歴史的事実に著作権はない。苦労して史実を見つけた吉村は、いつも割を食っていた。


 日本人の理性を保つために、この希有な作家は「記録」に生涯をかけた。


 さて、この本のことも書かないといけない。私は吉村さんが『関東大震災』を執筆した動機の考察が興味深かったので、それを書いてみる。
 吉村さんが『関東大震災』を書いたのは、大震災から半世紀が経った、昭和47年から48年にかけてだという。この時代日本は経済成長が著しく、バブルの饗宴に向かっていた時代だった。バブルへ向かう時だったから日本人は浮かれ始めたいた頃だ。金儲けに夢中で、日本という地震大国の恐ろしさなど、どこ吹く風といった頃だった。
 吉村さんはそんなとき、もう一度自分たちが生きている日本に潜む地震の恐ろしさを思い起こさせる機会をつくりたい。それが『関東大震災』の執筆へと駆り立てた動機だったろう、というのである。


 もし今大震災が起きたら、日本人はどういう事態に捲き込まれ、いかに人間性をゆがめられ、何に直面するのか。
 そのことをつたえるために、半世紀前の記録を掘り起こしたのである。


 その一つが、震災は否応なく善良な人間をすらもかならず間違った方向へ変えるということを全員がしっかりと認識すべきだというメッセージなのである。


 この本で吉村昭氏が主張したかったのは「震災の恐ろしさ」=「理性を失った人間の恐ろしさ」であるということを。


 この本を読んで、東日本大震災から1年経った頃、あの震災、津波の映像をまとめたものをNHKで放送していて、それをを録画しておいたので、見てみた。
 ここには自然災害の恐ろしさを目の当たりに見ることが出来るが、「理性を失った人間の恐ろしさ」は見ることが出来ない。もしかしたらこれは映像では見ることが出来ないのかもしれないな、と思ったりする。そもそも人間の恐ろしさなど、放映しないだろう。
 今は被災した人々の復興が最優先だから、それが完了するまで、裏の事情など明らかにされないのではないか、と思う。(震災関連の本を読んでいると、多少書かれていることもあるが)
 でも思うのだ。いつか、良いことも悪いことも、何もかも明らかにされることで、震災に対する“心構え”が生まれるのではないか、と思う。
 「過去のデータで未来が分かりますか?」とロック歌手の大御所が総理大臣に扮して、ふざけたことを言っているCMが今盛んに流れているが、そんなことはない。人間は過去に対して賢くなれるが、未来に対して愚かなのである。だから過去のデータは少しでもよりよい未来のための礎になる。教訓になる。そのための歴史はあるのだ。
 だから吉村さんの『関東大震災』を読んでいるが、もう一度じっくり読んでみるのもいいかもしれない、と思った。

文藝春秋 編 『吉村昭が伝えたかったこと』 文藝春秋(2013/08発売) 文春文庫
by office_kmoto | 2013-10-17 05:28 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

不幸

 沢木耕太郎さんの短編である「天使のおやつ」という作品がある。
 幼稚園に通っていた娘が滑り台から突き落とされ、亡くなった。その父親である木村は娘の死の責任を誰に取らせたかった。例えば最初に娘を診た医者、娘を突き飛ばした少年、監督不行届と施設に危険な遊具を放置していた責任で園長を・・・。
 しかしどんなことをしても娘が帰って来るわけではない。悪いとすれば娘をそこに預けた自分たちではないか、さえ思うようになる。そして「責任を取らせるべきなのはあの滑り台だ」と思い、木村は滑り台を切り倒すことを決意する。
 木村が深夜、幼稚園に忍び込み、バーナーで滑り台を切り落としているとき、片腕の警備員に見つかってしまう。しかし警備員は木村の事情を聞き、「今夜は、冷えるなあ」といってその場を離れていく。
 その警備員の右腕がないのは、大学時代ホームに落ちた男の子を助けたとき、右肩から先を電車にひかれ、切断したからという。


 「後悔はしていないんですか」

 「後悔?」

 「人を助けなければよかったというような・・・・」

  すると、男はあっさりとした口調で答えた。
 「もちろん、してるよ」

 「・・・・・」

 「よけいなことをしなければよかったってね」

 「・・・・・」

 「あんたの娘さんにも夢があったように、俺にもやりたいことはあったからね」

 「警察から表彰状をもらったけど、俺が本当にほしかったのはメダルだった。柔道のメダルがほしかった」

 「・・・・・」

 「でも、誰にも文句は言えないだろう」

 「・・・・・」

 「誰に文句を言ったらいい?ホームから転落した男の子に?俺の腕の骨を粉々にした電車に?ブレーキを間に合わせられなかった運転士に?」

 「・・・・・」

 「こんなことを言ったら、怒るかもしれないけど、文句をつけられる相手がいるだけ、あんたは幸せかもしれない」


 最近世田谷の踏切で、意識を失った年配の男性を助けるために、遮断機の下りた踏切に入って、男性を助け、自分の命を失った女性の“勇気”を総理大臣から一般の人々まで讃えている。
 確かに自らの命を顧みないで男性を助けた勇気は、賞賛されてしかるべきだし、誰しも出来ることじゃない。

 しかし、

 その彼女の行動を勇気ある行動とだけ、決めつけていいのだろうか?うまく言えないけれど、何かがおかしいと思わざるを得ない。
 彼女の行動を勇気という言葉だけでかたづけられるのか。人の命を助けることは尊い行為だが、彼女の行動は、どこかむちゃがあったのではないか、と思えてしまうところが私にはある。女性と一緒にいた父親が助けに向かおうとした娘に「無理だ」と言って引き留めたことが、そう思わせる。

 ここには“不幸”がたくさんある。

 この彼女が亡くなったことも不幸だし、もし仮にこの彼女が父親の言うことを聞いて、助けに行かなければ「助けられたかもしれない」と後悔されたかもしれない。助けに行かなかったことが一生、彼女につきまとうかもしれない。それも不幸であろう。
 しかし目の前で娘が亡くなる状況を目撃しなければならなかった父親も不幸であったはずだ。そして彼女は人の命を助けるために、自らの命を差し出したのだ、といって彼女の死を無理に納得せざるを得ない家族も不幸である。
 さらに意識を失って倒れてしまった年輩の男性も、彼女の命を引き受けて、これから生きていかなければならないのも、不幸なことである。これはこれでかなりきつい。

 断って置くが、私は彼女の行動を非難しているわけではない。結果として、彼女の勇気ある行動が、残された人たちに不幸を招いている可能性があることを考えてしまうのである。それは命を引き換えに人を助けた彼女が望まないことであろうけど、彼女の死を、その瞬間から、引き受けなければならなくなった人のことを考えると、私はいたたまれなくなるし、マスコミが双手を挙げて彼女を行動だけを賞賛するだけで済まないものを、残していってしまったことを考えるべきではないか、と思うのである。


沢木 耕太郎 著 『あなたがいる場所』 新潮社(2013/09発売)新潮文庫
by office_kmoto | 2013-10-08 15:29 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

山の上ホテル

 昨日はまた山の上ホテルである。はっきり言ってここにはあまり来たくなかった。そんな気持ちが先に立つので、家を出てから胃が痛み始める。というか、昨日から、今日のことを思うと、眠れなくなり、いつもにまして睡眠不足となっていた。
 ここに来るのが嫌なのは、会社の行く末に不安を覚えるからで、その相談をあれこれするために、関係者が集まり、話し合いをするのである。
 たぶん結論など出ないのだ。こうしていくんだ!、という方針が決まれば、私たちはそれに従うしかないのだが、それが決まらない以上、先に進めない。すべて上の決断にかかっている。
 以前も同じであったが、いつも折衷案を模索ばかりしていて、落としどころを見極められず、時間ばかりたってしまい、焦るだけであった。私も同じように時間だけがむなしく過ぎ去っていくのを一緒になって焦っていた。だから胃が痛い毎日を過ごしていたのだ。
 しかしよくよく考えてみると、私が一緒になって焦る必要などどこにもないのである。それを勘違いしていた。
 長いこと会社の事務をやって数字を知っていると、いつの間にか経営側にいるように思われる。それこそ会社の経営に関わっている人、と思われてしまっている。また長いこと会社にいるものだから、会社の事情をよく知っている。だから時に、上からも下からも重宝され、いいように使われてきた。しかし私も一従業員でしかない。
 厄介なのはそういう視線が、自分の中で増幅し、「これはやらなければ」と自分の中で、持たなくてもいいものを持ってしまうことである。馬鹿な話である。決していい気になっている訳ではないが、私がやらなければ、という意識が、ババを引いてきた。
 それがある程度時間がたってわかったので、今回はドライに割り切っていて、そこまで踏み込む必要はないと考えている。決まったことを粛々とやっていけばいい、と思っている。どう転んでも、これから先の私には今までのようであり得ないのだから。
 山の上ホテルに来る前、一時間ほどまえにお茶の水に着いていた。約束の時間に行くには、胃がおかしいので、他で休んでいた。
 お茶の水は好きな街だけれど、だんだんここに来るのが嫌になりつつある。正直困ったな、と思っている。
 たばこを二本吸ってから、店を出る。信号を渡り、大学を突きって、ホテルの前の道にでた。ロビーには誰もいない。一人椅子に座り、待っていた。
 話はやっぱり結論が出ない。昼食時刻になったので、ホテルのレストランで食事をしたが、ちっとも美味しくなかった。
 私の中でこのホテルはいい思い出としてきっと残らないだろう。ホテルにしてみれば、こんなに嫌われて迷惑だろうな、と思ってしまう。きっとこういう場所は他の人の人生においていくつもあるのだろう。
by office_kmoto | 2013-10-06 05:51 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

新海 均 著 『カッパ・ブックスの時代』

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 私が初めてカッパブックスを見たのは、小学生の頃であった。叔父が大阪から東京にいる兄である私の父親を頼りに出てきた。叔父は仕事が決まってからもしばらく私の家にいたのだが、その叔父がカッパブックスを読んでいたのである。松本清張の作品だったと思う。私は本というのはいろんなサイズのものがあるのだな、とその時思ったものだ。
 私がその頃手にしていた本は、確か近所の本屋さんから毎月配達してもらっていた児童版の世界文学全集だけだった。親が読むように買ってくれていたものである。サイズはA5版だったと思う。後は「小学○年生」の雑誌だった。だから新書サイズの本があることが驚きであった。
 同じ頃だったと記憶しているが、どういうわけか本屋さんの棚を見て、文庫がぎっしり詰まっていたのに驚いた記憶がある。こんなサイズの本もあるんだ、と思ったのだ。
 私は小学生の頃は本など読まない悪ガキだった。読んでもマンガだけだったから、それ以外目もくれなかった。だから本にいろいろなサイズがあるのが驚きだったのである。
 本を読む楽しみを覚えたのは高校時代である。その頃松本清張の作品もよく読んでいた。もちろんカッパブックスである。
 そういえば最近カッパブックスの棚を見ないな、と思っていたら、2005年にカッパブックスの新刊が停止したことを知った。

そうなんだ。

 ということで、私もカッパブックスは懐かしい。だからこの本を読んだ。著者はカッパブックスの最後の編集員だった人である。だからカッパブックスの歴史とカッパブックスの版元である光文社と他の出版社との関係史が面白く書かれている。
 カッパブックスは1954年、光文社の神吉晴夫を中心に、まったく新しいコンセプトをもった新書として誕生した。岩波新書(1938年創刊)を意識したものであった。

 
 徹底したアンチ教養主義を掲げ、「岩波新書」にとっつきにくさを感じていた、いわゆるインテリとは違う、新たな読者層を掘り起こし、圧倒的支持を得て第一次新書ブームを巻き起こす。


 昔書店員だった頃、客注品を光文社に取りに行ったことがある。護国寺でおり、光文社がどうして講談社の隣にあるのか、ちょっと不思議であった。当時は一ツ橋にある集英社と小学館のようなものなんだろう、と思っていた。まあそういうものであるが、この本を読んで光文社と講談社との関係を詳しく知った。
  光文社はその講談社の子会社・日本報道社を引き継ぐ形で、1945年10月1日、社員数15名で急遽創立された。
 この日本報道社は、太平洋戦争終了後、講談社が、「戦犯出版社」として指弾され、活動できなくなることを危惧してトンネル会社として作られたもので、古本屋でたまに見かける東都書房などもそうである。もともと講談社は「大日本雄辯會」という。この名前からして、講談社が戦争協力出版社として儲けていたことがわかる。講談社は音羽御殿と呼ばれるくらい、その建物からして仰々しいのである。


 光文社という社名は講談社の初代社長・野間清治が、大日本雄弁会と講談社をひとつにしようとして、考えた名前で、野間はいたく気に入っていたという。ついでながら、「光文」というのは昭和になるとき、新しい年号が「光文」だと、東京日日新聞(現・毎日新聞)の宮廷番記者がすっぱ抜いたため、宮内庁があわてて昭和に変えたという、いわくつき(?)の社名でもある。


 とにかくカッパ・ブックスは「岩波新書」をかなり意識したところで、岩波の持つ教養主義とは違う路線を歩む。すなわちそれはほぼ無名の作者を掘り起こし、宣伝をばんばん打って、ベストセラーを生み出していく。作者が無名であること、あるいは本を書いたことのない人間に文章を書かせることは、作者のみではかなり難しい。だから光文社の編集部員たちが、多くのアイデアを出し、作者の文章を徹底的に直していく。この本を読んでいると、時には編集部員たちが文章をかなり書き加えていたのではないか、思わせる。
 だから本における作者のオリジナリティはどこまであるのだろうか、と疑問を持ってしまった。もっと一冊の本の完成には、作者だけでなく、編集部員たちのアイデアも加わって成り立っているものだろうから、問題はないのだろう。要は面白ければそれで良い。
 これが神吉晴夫の言う「創作出版」なのだ。


 私は自分が感動した作品でなければ出版しない。-いや、したくなかった。
すこし気どったいい方をすれば、私はペンを持たない作家なのだ。小説家がペンで自分の感動や恋を描くように、ペンを持たない作家・神吉晴夫は、ほかの人の作品で、自分自身の感動を表現するのである。


 全く無名の学者の原稿に感動し、自分自身が激しく燃え上がったのだ。宣伝の重要さを知り、無名であることの大切さを知り、世のなかをお騒がせする「創作出版」への萌芽である。


 とにかく神吉イズムでカッパブックスで数々のベストセラーを出すことができた。しかし、たぶんこういう事態になると神吉の“独裁”が目に余るようになったのだろう。その経営手法、成果主義や神吉思うままの抜擢人事に、労働組合が1970年に反旗を翻した。労働争議が会社全体を覆う。しかも皮肉なことに、組合のリーダーたちを採用したのは、ほかならぬ神吉だった。神吉は才能を重視するため、その才能があれば、学生運動経験者と知っていながら平気で採用したのだった。争議は長く続いた。そしてこの泥沼争議を嫌い、多くの人材が光文社を去って行った。


 こうして、光文社争議をきっかけに、「カッパ・ブックス」のDNAはさまざまな出版社にばらまかれた。新書は文字通り「群雄割拠」の時代に突入し「新書時代」を形成した。カッパの方法論は、多くの出版社にまたたく間に伝播していった。


 これが面白かった。具体的にはまずは1970年の祥伝社の設立である。


 祥伝社の社名は、小学館創業者の相賀祥宏の名前を「祥」の字を借りた。このことからも、小学館資本の力の入れようが窺える。


 これには「光文社争議で頭を悩ましていた講談社資本が驚いただろう」と著者は書いている。
 そして新書サイズのノンフィクションシリーズ、「ノン・ブック」が立ち上がった。その70年12月15日の創刊の辞にはこう記されている。


 既成の価値に対する不安と疑い-これが現代の特色です。
 まさに、“否定(ノン)”の時代と申せましょう。


 また光文社を去って行った人たちは、多湖輝、井深大、山崎富治という強力なメンバーの出資を得て、資本金2000万円で株式会社ごま書房を創立している。
 他に青春出版に移って、新書版の「プレイブックス」を作ったり、さらにそこから独立してKKベストセラーを立ち上げて、「カッパ・ブックス」に対抗して、カッパを喰ってしまうワニを商標に「ワニブックス」を創刊したりする。
 主婦と生活社に移って、「21世紀ブックス」を立ち上げた人間もいたり、角川書店、産経新聞出版局で新書作りに関わる者もいた。
 そしてこの争議でさっさと社長を辞めてしまった神吉晴夫は、一時産経新聞社出版局顧問に身を置いていたが、次のプロジェクト、かんき出版に向けて準備を開始していた。
 神吉晴夫が作った出版社だからかんき出版なんだ、と初めて知った。しかしかんき出版はどちらかといえばビジネス書を中心に出す出版社なので、それまでの神吉晴夫とは違う。これはかんき出版の準備がほぼ整っていた頃、1977年1月24日未明に神吉晴夫が死んでしまったから、出版社のカラーが変わってしまったようだ。
 とにかく光文社の争議によって、会社を去って行った優秀な編集員が、あたらしい出版社立ち上げたり、既存の出版社で新書作り携わることで、新書ブームを何度か起こしていくきっかけになったのだと思うと、不思議なものだな、と思ってしまう。またそれぞれ成功して、各社でベストセラーを作っていくのは、カッパブックスのDNAが下地となって、日本の出版界を賑わしたと思うと、“すごい”と思わざるを得ない。
 カッパ・ブックスやごま書房のように潰れてしまったものもあるが、今も新書は百花斉放である。このように新書が未だに活気があるのは、カッパ・ブックスのDNAが散らばったことによるが、別な要因を著者が言っていたのも興味深い。


 なぜ出版社は市場が飽和しているにもかかわらず、新書を出しつづけるのか、その背景には長期の出版不況とデフレによる読者の低価格志向がある。インターネットの普及は情報洪水をおこし、読者の関心を細分化している。さらに新刊ラッシュと書店のスペースの縮小で単行本の短命化が加速し、少しでも長く新書コーナーに置いてもらえるのが出版社にも書店にもメリットがあるということだろう。出版社にとっては原稿の枚数が少なく一冊ごとのカバーデザイン料もかからないうえに、紙代も安く済み、ローコスト商品として経済効率性に依存している。


新海 均 著 『カッパ・ブックスの時代』 河出書房新社(2013/07発売)河出ブックス
by office_kmoto | 2013-10-03 15:26 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

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