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この1年

 私にとって激動の1年が終わろうとしている。今年は年始めから大変な年になるだろうとは思っていた。そして予想通りそのようになった。ただそれだけのことなのだが、ただ、私の人生の一つのけじめがついたことは間違いない。
 結果は最悪の結果となってしまったが、その結果が後に延びなくて良かったかもしれないと思っている。おそらく後になればなるほど、ダメージは大きくなっていたかもしれない、と思うからだ。

 ということで、もうこれ以上は書かない。平成25年12月27日で私の会社人生の第一幕が終わったのである。来年は第二幕をスタートさせるために、まず充電をして、それから次のステップへ進みたい。そのきっかけが一つでもつかめればいいな、と思っている。足がかりを探したい。
 もうがつがつ働くことはしたくない。後で人を憎むことになるかもしれないので、深い付き合いはしたくない。大切なのは家族であり、友人であり、自分である。そのことを心して動くことにしたい。

 今年は仕事に翻弄され本を読んだというまではいかなかった。でも読めるときは読んだと思う。また本の世界に入り込めるとき、その時だけ、私の心は解放されたことも事実であった。それは四六時中仕事のことを考えなくて済む時間を私に与えてくれたと思っている。
 本もよく買った。今のうちに買っておこうと意識して買ってきた。来年はその本をじっくりと読んでいきたい。
 会社を休んでいるとき、買ってきた本を本棚に収めるため整理した。そのたびに次は何の本を読もうかと迷えるほど、棚には本が並んでいる。ここにこれだけ本があるだけで、私は元気になれそうだ。
 今年は電子書籍端末、Kindleを買って、十数冊読んだことが今までになかったことだ。その使い勝手は思っていたより良く、特に老眼の私には字の大きく出来るのは有り難かった。
 電子書籍は否定はしないけれど、でもやっぱり私は本そのものが好きである。本を手に持っていたい、と思う。手に感じることが出来る本の感触はどうしても捨てがたい。
 そして退職祝いで、ものすごくすてきなブックカバーを頂いたので、これを使いたい。そのカバーの手触りを味わいたいと思う。
 また本を整理していたときに思ったことなのだが、今まで大型本を読むことが出来なかった。それは通勤時間などに本を読むので、どうしてもそうなってしまう。また限られた時間で本を読むものだから、画集などじっくり眺めながら読む本なども読めずにいた。これらの本も大きな本なので余計である。
 来年は家にいることが多くなると思うので、こうした本を進んで手にしたいと思っている。

 今年も残すところあと2日。今年は新しい場所でブログを始めたが、これを充実させて行きたいと思っている。ということで、来年もよろしくお願いします。
by office_kmoto | 2013-12-29 18:26 | 日々を思う | Comments(0)

津村 節子著 『三陸の海』『夫婦の散歩道』 吉村 昭著 『遠い幻影』 将基面 誠著 『無医村に花は微笑む』

 吉村昭さんの作品が好きである。特に歴史小説が好きである。吉村さんが亡くなって、新しい作品が読めなくなったことは重ね重ね残念に思う。
 以前、「吉村昭は、その少ない記録文学の独立峰であった」と書評にある文章を紹介したことがある。この「独立峰」という言葉はまさしく吉村さんをうまく表していると思っている。吉村さんは自らの足で新しい史実を探し当て、それを作品としてきた人である。そこが魅力であった。
 また吉村さんの生活ぶり、考え方など、エッセイなど読んでいると、下町育ちの、古いタイプの男として、魅力的だ。
 その吉村さんの生前を一番よく知っているのはやはり奥様である津村節子さんであろう。しかし吉村さんが亡くなってからは、しばらくの間、津村さんは吉村さんのことについて沈黙を守った。そして吉村さんの死後数年経って、吉村さんのことを小説やエッセイに書くようになった。


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 『夫婦の散歩道』は夫婦がともに作家として苦労してきた歴史や、吉村昭という作家の人間性の一面を教えてくれている。その中の一つが吉村さんが中学生の頃、結核を患い、局部麻酔で肋骨を切る過酷な手術を受けた経験が、晩年になって痛くない日々を過ごせることの幸せが描かれており、それが印象に残る。


 毎朝ベッドの中で、今日はどこも痛くなくて、幸せだなあ、吉村は言っていた。痛くないことがあたりまえの私は、どんなにひどい痛みだったのだろう、と思う。
 かれは中学二年生の時に肋膜炎を患い、旧制高校一年生の時喀血して腸まで結核菌におかされて死を待つばかりになった時に、まだ実験段階にあった胸郭成形手術を受けた。局所麻酔のみで、左胸郭の肋骨五本を切除したのだが、パチン、パチンと大きな音がして、傍らにいたふとった看護婦が痛いと言うとひっぱたいたんだ、手術の痛みを、ひっぱたいた痛みにすりかえようとしたんだが、おれは、イタクナイ!イタクナイ!と叫ぶんで、看護婦は叩けなかったんだとよく笑いながら話していた。


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 『夫婦の散歩道』や『三陸の海』は私の知らない吉村さん作品の裏話や背景など教えてくれ、まだ読んでいないものなど読みたくなってくる。












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 その一冊として『遠い幻影』という短編集を読んだ。
この中の「梅の蕾」を読みたかったのである。
 この作品、無医村であった岩手県の田野畑村で医師として赴任した将基面誠さんがモデルとなっている。将基面さんは医師として田野畑村の日々こと、奥さんを亡くしたことなど、本に書かれている。またそれが読みたくて、急遽ネットで古本を取り寄せる(出版社が倒産していて、古本しか手に入らなかった)その本が『無医村に花は微笑む』である。





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 将基面さんは、昭和37年に千葉大医学部を卒業して医者になり、以来20年間病院勤めをしてきた人であった。この間産婦人科医療に携わり、昭和47年からの10年間は千葉県がんセンターで婦人科医長を勤めた来た人である。
 そんな医師として輝かしい経歴のある人が“陸の孤島”と呼ばれ、医者の寄りつかない無医村である岩手県の田野畑村の診療所に赴任してきた。それは将基面さんの希望であった。
 将基面さんは満州で生まれた。終戦後収容所生活を強いられ、脱走して帰国した。その間多くの同胞が、飢えや、医療が受けられず次々と死んでいくのを見てきた。将基面さんは「医者がいれば助かったのに」と思わずにいられなかったという。その気持ちが、「いつか無医村で働きたい」という気持ちになり、夢となった。そしてその夢を果たすためにこの田野畑村の診療所への赴任となったのだ。
 赴任する前に村を見たいということで、奥様を連れて田野畑村に来る。当時自宅のあった千葉から田野畑村まで15時間かかったという。しかも冬の雪の多い季節であった。
 将基面さんを招く村長も季節が悪すぎると感じていた。これでは将基面さんの招聘も難しいと思ったということが、吉村さんの小説にも書かれている。
 しかし将基面さんはこの村で働くことを決めていた。ただ奥様を説得しなければいけない。


 同級生や後輩の話では、私が無医村へ行きたいと昔から言っていたというから、妻もおそらく日ごろからそんな雰囲気を察していたのだと思う。私の言動から、いずれそういうことを言いだしてもしかたがないと、漠然と思っていたにかもしれない。だから、つにこういう話を聞く日が来たか、と観念したにかもしれなかった。


 妻はこのとき、「こんな遠い所に来たのかと思ったら、なぜか涙が出てしまう。ただただ遠いということが悲しい」と言った。

 「パパはあそこで働くことが生きがいなの?」
 「うん」
 「それならいいわ」


 こうして将基面さんの村の赴任が決まった。将基面さんの奥様は視察の時、田野畑村には「花が少ないわね」と言った。それから梅の苗木を集め、村へ四トントラックで運ぶ荷物の半分が梅の苗木になったという。その苗木を村の人たちに植えてもらう。
 田野畑村に来た奥様は村の人たちと一緒に山に入ったりして溶け込んでいく。ただこのとき奥様は白血病に冒されていた。千葉のがんセンターや、東京の虎の門病院に検査や治療で入院したりで、田野畑村にいたのは実質3年ぐらいだったという。
 平成元年奥様は亡くなった。

 こんなとき思い出すのは、妻に苦労を掛けたこと、謝りたいことばかりなのはなぜなのだろうか。楽しいこともあったはずなのに、喜ばせたこともあったはずなのに、なぜかひたすらすまなかったと詫びる言葉しか出てこない。とくに田野畑での四年間は妻にとってどうだったのか。夫の思い込みに無理して付き合わせたのではなかったのか。

 葬儀は一月十五日、木更津の自宅で行った。村長、村会議長、収支役、事務長にお越しいただいただけで恐縮していたのに、自宅前の狭い道いっぱいに、懐かしい村の方たちが集まってくださった。こんなに遠いところへ、足の悪いおじいちゃん、膝の痛いおばあちゃんたちまできてくださったのには、もう胸がいっぱいで言葉も出なかった。私は気がつかなかったが、マイクロバス七台に全部で二百人もの人が分乗し、八時間以上かけて来てくださったらしい。


 田野畑村の人々も奥様の死を悼んだ。
 最初は、「おそらくこんな田舎に来る医者は、都会で何かしでかして田舎に逃げ込んで来たのかもしれないという思いが根強くあるのだろう。田野畑でも、ご多分にもれず、といったところがあった」という。それでも将基面さんは医療だけでなく、村の人々の健康まで、さらに村のあり方まで、いろいろ考えていく。そうしていくうちに村の人々から、医師として、慕われていく。奥様も村の人々と生活をし、一緒に山に入ったりするうちに、同じように慕われていったに違いない。だから村の人がこんなにも葬儀に駆けつけてくれたのだ。
 奥様の葬儀に村人がマイクロバス7台で200人以上駆けつけたという話は、吉村昭さんの小説にも描かれている。
 将基面さんは吉村昭さんの小説に自分がモデルになっていることを次のように書いている。

 吉村氏の小説『梅の蕾』は、モデルが誰であれ、感動措く能わざる一級の文学作品である。そして、この貴重な文学作品の成立に、いささかでも関わることができたとすれば、それはむしろ私と亡き妻、そして家族にとってじつにありがたい、得がたい贈り物であり財産であると、今はそう思っている。


 村でたった一人の医師である将基面さんは村人の医療だけでなく、健康、保健、あるいは老人医療に関わっていく。特に田野畑村の村長は村の存続は「教育」だと掲げ、その方針で様々な施政をしていく。将基面さんも同様に保健も医療も、究極は教育だと考え、特に子どものころからの認識が必要だ、と考えていた。
 村で鉄欠乏の貧血症の子どもが多く、その食生活に問題があると考えていた将基面さんは中学生には、子孫への健康という視点で考えなさいと言っている。


 そういう子供に、「大きくなって結婚するということは、自分の気に入った好きな相手を選ぶということではないんだよ」と言う。男の子だったら、「結婚相手を選ぶというのはね、君、我が子の母を選ぶんだよ」、女の子には、「我が子の父を選ぶんだよ」と、ちょっときざっぽいが、そういうふうに言ってみる。

「その時、君はきっと健康な人を選ぼうとする。それは、我が子も健康であって欲しいと望むからじゃないだろうか。それならば、自分も相手から選ばれるように健康であらねばならない。そう思わないか」というように話して、それで食べ物の話などをもう一度やると、結構みんなまじめに聞いてくれた。
 そのように個体の健康の話をするとき、子どもたちにはむしろ子孫への健康、子孫への責任という視点で考えさせながら、自分の健康をもう一度見直すというようなことを心がけてやってみた。


 将基面さんは村の人々の健康ため尽くしてきた。若い医師も村に戻ってきた。ここに心に去来することがある。

 田野畑へ医者としてきたことを後悔したことは一度もないが、私が自分の思いを通したことによって、たくさんの人を傷つけてきたかもしれないという気持ちはずっとあった。

 子どもたち、親戚、自分の兄弟、それから近所の人など、今までずいぶん不義理をしてきたから、迷惑をかけて死ぬわけにはいかない。六十五歳になってくると、いろいろ考えることも出てくる。早野村長が勇退してもう四年にもなるということもあった。いろいろな意味で潮時というのが、一気に来たという感じだった。

 自分が無医村で働きたいというのが夢であり、それを実践してきたが、それを押し通してきたことによって、迷惑を掛けてしまった人たちがいることを知っていたのである。それを将基面さんは「人を傷つけてきたかもしれない」と感じていたのだろう。どこまでも優しい人だ。こんな人がいるんだ、と思わせる。その優しさはこの本の巻頭写真に奥様の若い頃の写真を最初に持ってくるところにも現れている。
 吉村昭さんが「本書によせて」と文章を書いているが、「小説家である私からみて、この作品は清爽の一語につきる。それは氏の人格をしめすものであり、文章もすがすがしく、読み終えた後、ほのぼのとした思いにひたった」と書き終えている。まさしくその通りだと思った。

津村 節子 著 『三陸の海』 講談社(2013/11発売)
津村 節子 著 『夫婦の散歩道』 河出書房新社(2012/12発売)
吉村 昭 著 『遠い幻影』 文藝春秋(2000/12発売) 文春文庫
将基面 誠 著 『無医村に花は微笑む―亡き妻が遺した「花笑みの村」での村医十九年』 ごま書房新社(2002/08発売)
by office_kmoto | 2013-12-23 17:40 | 本を思う | Comments(0)

佐々 涼子 著 『エンジェルフライト』

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  この本は国際霊柩送還という業務を行う「エアハース」のルポである。国際霊柩送還とは海外で亡くなった日本人を日本にいる家族のもとに戻すこと、あるいは日本にいた外国人を故国に搬送する業務のことをいう。そのためエアハースの社長である木村利惠は世界各国の葬儀関係者とネットワークを持つ。遺体搬送は世界相手なので、利惠たちに過酷な労働時間を求める。昼も夜もない。
 国際霊柩送還の重要な仕事には、遺体や遺骨の処置がある。公衆衛生上エンバーミング(防腐処理・亡くなった人の静脈に管を入れて防腐剤を注入する)していない遺体は航空機で運べない。なので現地を離れる時には必要な処置が施してあるので日本到着後の処置は必要ないとも考えられる。だが航空機で遺体が運ばれる時、航空機内の気圧の影響で、九十パーセント以上が体液漏れを起こす。体内のガスが膨張する。気圧が遺体に負担をかけるのだ。さらに海外から長時間かかって運ばれる際、エンバーミングをしっかりしていないと、日本に戻って来るまでに色素の酸化によって顔色が変化し、つらそうに見えてしまうことが多い。
 また送り手の国側の文化的背景や、遺体に対する考え方や宗教、習俗も影響し、エンバーミングの技術もまちまちだという。さらに遺体が国境を越える際、現地の事情も影響するし、捜査や解剖の遅れや交通事情、政情などが混乱しているのも遺体の状態に左右する。もちろん運搬される交通機関にも影響される。
 国によってエンバーミング技術があまりにもずさんだったり、劣っている場合、戻ってくる遺体の状態が悪い場合も多い。時には臓器移植のため海外に渡った人の遺体がぺっちゃんこの場合もあった。臓器移植のため海外に一縷の望みをかけて出かけたのに、知らぬうちに自分の臓器が抜かれてしまったのもあった。
 利惠たちエアハースは傷んだ遺体を生前の顔つき、姿に出来る限り戻し、化粧を施し、遺体を修復する。そして遺族の元に遺体を届ける。顔の修復にはパスポートの写真を手元に置いて、汗をかきながら一心に化粧や修復を行う。そこには遺体に対する威厳をとことん重視する。そのため遺族の元に遺体を届ける車の運転さえ安全に気を使う。彼らの仕事は、


 いずれにしても長い距離を運んでくる以上、とてもたくさんの人間の手を経て家族のもとへ戻される。亡き人が家族のもとに無事に戻るのは、それら関係する人たちの、なんとかして遺族と対面させてあげたいという素朴な気持に根ざしているところが大きい。


 そのラインを結びつけるのは利惠たちの仕事だといえる。


 もし家族のひとりが異国で命を落としたら、遺体がどんな状態でもかまわない、一部であってもいい、戻ってきてほしいと願うだろう。まず間違いなく亡くなった人が異国で「さびしがっている」と思い、日本に「帰りがっている」と感じるに違いない。
 要するに人々は、死後の世界などないと口では言いながらも、亡くなった人の心は亡くなったあともまだ存在していると心のどこかで信じているのだ。理屈では明確に線引きできていたはずの生と死の境界線がゆらぐ。日頃漠然と考えている「死」などはただの抽象概念でしかない。具体的な死を前にすれば、頭で日頃思っていた「死」とかけ離れていることに気づくのだ。葬送とは、理屈では割り切れないこのような遺族の想いに応えるために存在しているのであり、エアハースをはじめ世界中の国際霊柩送還の事業は遺族の願いをかなえるために働いているのである。


 国際霊柩送還の現場はその人と家族との関係性を浮かび上がらせる。いつもは人の家族のことなどあまり意識することはないが、国際霊柩送還の現場において否応なく意識されるのは、家族との繋がりだ。誰かが待っていなければ遺体が日本に戻ってくることはまずない。待つ人がいるからこそ、遺体という姿であっても日本に帰ってくることができるのである。亡くなってしまった人は確かに不幸だ。しかし、少なくとも生前は確かな人の繋がりを持っていた人々であるともいえる。
 ある保険会社の社員が言っていた。
 「遺体で戻る人は亡くなったのですから確かに不幸です。でも、不幸であっても日本で家族が待っている。死にざまは生きざま、といいましょうか。やはり、その人がどういう人生を過ごしてきたかは、いざ亡くなってみるとよく表れるんですよ」


 確かに自分の家族が異国で亡くなった場合、何とかして日本に帰したいと思うのは当然である。しかし国外となると、ことはそう簡単にはいかないだろう。だから利惠たちの仕事は遺族たちに感謝される、と思う。しかも戻って来た遺体が傷んでいても、利惠たち仕事によって生前に近い姿に戻されるのだから、ありがたいに違いない。故人を待っていれば待っているほど、そう感じるに違いない。だから利惠たちは遺体に対し謙虚な気持で接するのだろう。だから日本に戻ってきた故人は家族の中でいつまでも思い出として生きつづけることが出来る。
 しかし仕事とはいえ、遺体に直接接する仕事は辛い仕事だろう。著者はエアハースで仕事をする人たちを取材しているうちに、彼らは無意識にその人の残像を記憶から消してしまう、と聞く。多分彼らの精神の防衛機能が働いているのではないか、と著者は考えている。そうすることによって記憶はどんどん上書きされて、遺体としての故人の姿は記憶から消されていく。
 しかしそれでいいのだ。
 エアハースのお陰で日本に戻ることが出来た遺体だが、その故人を偲ぶ家族の思い出は、ほとんどエアハースの姿は出てこない。とにかく遺族と会うと、故人の話が尽きない。そんなときに利惠の姿が彼らに浮かべば胸を引き裂かれる悲しみの記憶が蘇ってしまう。だから、「裏方として彼らは一瞬、人の最も辛い現場に立ちあい、そしてまた裏方として人の目に触れない場所へ戻って行く」。国際霊柩送還士は忘れられるべき人たちでもあった彼らは一瞬、誰よりも亡き人と遺族のためにできることをして、また静かに記憶の中から消えていくのであった。

 今回私は故人を待つ遺族のあり方が気にかかった。私は個人的には葬式不要論者なのだが、それはあくまでも自分自身の問題だと、この本を読んで再確認した。もし自分の家族が、と考えた時、そうはいかないかもしれない。失った家族のことを自分自身の気持ちを整理するため、あるいは失ったということを覚悟するために葬儀が必要かもしれない。もしかしたら葬式というのは故人のためにあるのではなく、残された遺族のためにあるのかもしれない、と思わされた。
 とくに海外で亡くなった人を家族が待つ気持を読まされると、そう思わざるを得ない。これほどまで遺体を日本に戻すことこだわるのはそういうことだろう。遺体は単に遺体ではあるが、そこには、待っている家族の濃密な関係が存在するのである。そんな家族の思いを繋げる利惠たちエアハースの仕事は心を打たれた。
 ところでこの本には東日本大震災のことも書かれている。東日本大震災が起きた17日前の2月22日、ニュージーランド南島のクライストチャーチ付近でマグニチュード6.3の地震が起こり、日本人留学生28人が犠牲になった。利惠は外務省と保険会社の要請で現地に飛ぶ当日3月11日14時46分日本で大地震が発生したのであった。利惠は東日本大震災があった日本でも仕事である以上、ニュージーランドに飛んだ。けれど東北にも手助けに出た。
 その東日本大震災にあった遺体について書かれた記述である。


 「(略)東京等が受け入れ、火葬が可能になるや親族に掘り起こそうという動きが出たものだから、自治体は仮埋葬した全遺体を掘り起こし、火葬することにした。
 だが、再堀作業は容易ではなかった。日本で現在使用されている木棺は火葬に適するように、軽く、燃えやすいようにできている。それゆえ一メートル以上の土の重みや湿気を想定していない。掘り起こされた柩は潰れて崩れた状態にあり、内部の遺体の腐敗は進行していた。
 仮埋葬と再堀の作業にあたった人は、ひたすら死者の尊厳と遺族の気持ちを考えて黙々と過酷な作業を行った。


 土葬のことは、以前東日本大震災のことについて書かれていた本で読んだ。火葬したくても火葬場が足りないので、一時的に土葬したという。しかし遺族は土葬に反対した人が多かったという。その後火葬受け入れが可能になり、再度掘り起こして火葬にしたと書いてあった。
 そこまでは知っていたが、土葬された遺体がどういう状況になったかは知らなかった。これを読んで、そんなことになっていたのか、と知らされた。

 この本は2012年第10回開高健ノンフィクション賞受賞作品だ。私は開高さんファンであるが、この賞の作品を読んだのは初めてであった。


佐々 涼子 著 『エンジェルフライト―国際霊柩送還士』 集英社 (2012/11/30 出版)


by office_kmoto | 2013-12-20 10:27 | 本を思う | Comments(0)

感謝と挨拶と古本

 九段下に来ると、帰りに必ずこの喫茶店に寄る。ここに来るのは保健所、区役所、法務局のどこかに用があるときだ。
 この喫茶店に入る前に振り返ると、道が上り坂になっており、靖国神社の大きな鳥居が見える。二階に上がり窓際に座り、外の通りを見下ろす。歩道を歩く人は寒そうだ。今日は午後から雨になり、雪に変わるかもしれないという。
 もうここに来るのはこれで最後だろう。最後だから、いつものようにこの喫茶店に寄ってみようと思ったのだ。
 そしてこれで社長から仰せつかる仕事もこれで最後になるだろう。この人には本当に失望していたので、これでこの人との関係も終わると思うと、ほっとする。

 コーヒーを一口飲んで、持ってきた年賀状を書き始める。もう文面と住所はパソコンで印刷してある。いつもならここに一言付け加えて投函するのだが、今回は退職したことを書こうと思っていた。しかし妻に新年早々、人を心配させることは書かない方がいいと言われる。そんなものかと、思いつつ、退職のことは書くのを止めた。
 私の退職のことを知っている人には、お世話になったお礼を書き、後は例年通りにする。

 年賀状を書き終わり、近くにあったポストに投函する。そのまま神保町の方へ歩く。古本屋の店の前に出ていた棚やワゴンを何気なく見て行く。これといって目的の本があるわけでもない。しかしこういう時に探していた本が見つかるものだ。山口瞳さんの「男性自身」で日記シリーズというのがある。この日記シリーズは全三巻あり、最終巻を先日見つけた。そして今日、このシリーズの1、2巻を見つけ、これでこの日記シリーズ全部揃ったことになる。しかも各210円とお買い得。一応携帯のメモ帳を確認する。ここにはこの「男性自身」シリーズで私の持っていないものが書いてある。ダブっていないかどうか確認したのだ。間違いないことを確認して、2冊持って店の中に入り会計する。
 思いもよらず、探していた本が見つかると、何かうれしい。しかも2冊いっぺんにだ。ちょとしたご褒美のようにも思えた。

 山口瞳さんの本を確認しようと携帯を取り出したときメールが入っていることを知る。税理士のMさんからだ。電話が欲しいとある。
 会社はこのたびのごたごたでMさんと顧問契約を解除した。だからその会社の従業員である私も、これまでのように相談することが出来なくなった。でもMさんは私には個人的に税務などの相談に乗ってくれると言ってくれた。有り難いことである。それでちょっと甘えさせてもらい、今回の年末調整でわからないことを質問していた。
 電話をすると先日の質問事項を調べてくれ、教えてもらった。Mさんもこの時期忙しい筈なのに、顧問契約がない会社の従業員である私の質問の答えをいろいろ調べてくれたらしく、うれしい限りだ。何度もお礼を言う。
 会計の素人の私が曲がりなりにもこうして仕事をしてこれたのは、Mさんのおかげである。Mさんが親切丁寧に教えてくれたから、何とかやってこられたのだ。
 またMさんは個人で税理士事務所を開設しているので、その生き方は、考え方はきびしい人であった。私はMさんのものの考え方、人の見方などにかなりの部分で影響を受けてきた。また今回の会社のごたごたで、いつも私の味方をしてくれ、最後まで助けてくれた人でもある。だから近いうちにお礼に伺わないといけないと思っている。

 「さゝま」に寄って最中の詰め合わせを買う。S図書に挨拶に行くためだ。K社長、T君のお礼を言う。O君は外に出かけていて会えなかったが、T君に伝言を依頼する。
 ここも今までのように来ることもないだろう。S図書のみなさんには会社が本屋から撤退した後も、お付き合いしてもらい今日まできた。見本の雑誌をもらったり、本を売ってもらったりした。もう何年の付き合いだったろう。20年くらいなるかもしれない。
 今日も見本の写真雑誌と出版社の宣伝雑誌をもらった。本当はこのまま家に帰る予定であったが、この見本誌、待合室に置いてもらっている。これを家に持ち帰って、また明日持って会社に来るのは重いし、面倒なので、いったん会社に寄って、雑誌を置いてゆく。ついでに今日取ってきた謄本も自分の机の引き出しに入れておく。明日社長の自宅に何も言わず郵送してしまうつもりだ。
 
 本当は今日は有給を取っていたのだが、面倒な頼み事を早く終わらせたかったので、午前中、それに使った。
 用が済んだので、雨が降る前に家に帰ろうと、急いで駅に向かった。
by office_kmoto | 2013-12-18 21:22 | 人を思う | Comments(0)

これから・・・・

 仕事を辞めると、たぶん時間が有り余って仕方がないかもしれない。その時間をうっちゃるために、何かやるべきことを探しておかないと行けないと思っている。
 まあ、読みたい本がたくさんあるので、まずほとんどがその時間に費やされる可能性が高い。ただ一日中本を読み続けることはちょっと難しいかもしれないな、と思う。
 で、あれこれ考えてみると、まずかみさんがやっていたことの手伝いはしばらくの間やろうと思っている。特に今一階の部屋を独り占めしているので、ここぐらいは掃除はやろうと思うし、移ってからは実際やっている。天気のいい日は窓を大きく開けて、自分の布団を干したりしている。
 窓を開けて外の空気を部屋に取り込むと、寒気が入り込むが、それでも外の空気が気持ちいいことを知る。掃除機を部屋中かけまくる。今は平日の日中はここにいないので、埃などほとんどないが、それでも掃除が終わった後は、やっぱり気持ちいいものだ。
 干してあった布団を日が陰る前に取り込む。夜その干した布団に入り込むと、ほのかに暖かく、ふっくらして柔らかい。これがものすごく気持ちいいことを知ったので、休みになると、天気が良ければ、せっせと布団を干したりしている。これからも掃除、布団干しは続けられそうだ。
 後はこのパソコンだ。いつも使うソフトは難なく使いこなしているが、このパソコン無理して買ったおかげで、結構高機能で、しかも付属ソフトもいいものが入っている。面白いものもあるようなので、それを使ってみたい。とにかくマニュアルを読むのが大嫌いなので、今までは使えるソフトしか使ってこなかった。要するにこれまで何とか使いこなしていたソフトを使っていただけなのである。これからはきちんとマニュアルを読んでチャレンジしてみたい。
 デジタル一眼だってそうだ。せっかく持っても、単にシャッターを押すしかしていない。カメラのあっちこっちにボタンがあって、それを使えばいい写真が撮れるのにもったいない。これもちょっとずつ使ってみたい、と考えている。
 考えてみれば今年は高額商品を買ったり、買い換えたりした。このノートパソコンは昨年だが、デスクトップを買い換えた。ブルーレイレコーダーもだ。canonの一眼レフは今年だ。
 退職すれば収入も激減する。これらのものはそんなにほいほい買えるものじゃない。それを今年は買った。実は今年はもしかしたら仕事を辞めなければならないかもしれない、と予感がしていたのだ。会社の経理をやっていれば、そんなことはいち早くわかるというものだ。だから買い換えなければいけないものは今年中に何とかしないといけない、と思っていたのだ。
 そして来年からはそれを使いこなすための時間が出来てくる。だったらそれを利用しない手はない。まして新しいものは機能が豊富だから、面白いんじゃないか、と思っている。
 本にしてもそうだ。今年は仕事に振り回されて、読んだ本は100冊ちょっとだ。でも買った本はその1.5倍の冊数になる。それは意識して買った。これからは今までのように見境なく本も買えないぐらいわかっている。だから今のうちに読みたいと思う本を買ってきたのだ。
 そうそう今年から5年日記をつけている。日記といっても私の場合、読みおえた本、買った本を記録しているだけだが、これが年を変えてまた1月1日からスタートする。これもどんな本を読んだか記録として残るので楽しみだ。

 一昨日岩手県の盛岡市にある古本屋さんから本が届いた。ネットの「日本の古本屋」から検索して、探した本だ。最初Amazonのマーケットプレスから探していたが、この本結構値がはる。そこに送料の250円を加えると簡単に2,000円を超える。ちょっとためらってしまう。そこで久しぶりに「日本の古本屋」にいってみると、この本が手頃な値段であり、しかも送料入れて、1,760円となる。これはここで買いだな、と思ったのである。その本が届いたのである。
 いつも思うのだが、地方にある古本屋さんから、たった170円の送料で自分の手元に届くなんて“すごいな”と思うのである。岩手県の盛岡市など170円で行くことなどできない。
 届いた本を手にする度に、「おまえは盛岡市にあったんだ」と言いたくなってしまう。ホンとネットというのは便利なもので、有り難いものだと思う。

 昨日近所のブックオフに、私が持っているCDを売り飛ばしに行った。CDは昔買ったもので、もちろん今は聞いていない。掃除をしていて邪魔だったのだ。ついでに読んでつまらなかった本も数冊一緒に売った。
 計算をしてもらって、値が付かない本があると言われる。その値の付かない本は山口瞳さんの「男性自身」シリーズの一冊だ。実はダブってしまったものなのだ。値が付かない理由は古すぎるからだと言う。
 でも普通の古本屋さんだと500円から600円くらいしているんだけど、店がそう言うのだから仕方がない。持ち帰るのも面倒なので処分してもらう。

 さて今週は給与計算、年末調整、法定調書作成、給与支払い報告書など作成するものがたくさんある。郵便局にも行かなきゃならないし、法務局も行かないといけない。忙しい一週間になりそうだ。今週は有給が取れるだろうか?せっせと頑張って休みを取るぞ!
by office_kmoto | 2013-12-16 20:57 | 日々を思う | Comments(0)

退職

 会社を辞めることとなった。会社都合による解雇なのだが、私自身ももうこの会社にはいられないと精神的苦痛を感じていたので、ある意味双方合意した部分があるかもしれない。
 会社を辞めることになると、会社に置いてある私物を片づけなければならない。長いこと勤めていると、いつの間にか私物が増えている。もっとも私の場合、事務職なので、お気に入りの文房具が主流となる。細かいものだが、それでも昨日まで紙袋2つを持ち帰っている。紙袋を持ち帰ってくると、本当に仕事を辞めるんだな、と感じる。

 自分がいなくなった事務所に私の痕跡が残っているのが嫌なので、紙類はシュレッダーにかけ、他はせっせと捨てている。
 棚を整理していたら、この仕事に就く前に、一週間だけ簿記の講習へ通ったことがある。そのとき使った教科書としての簿記の本が出てきた。考えてみれば、この本のおかげで私はこの仕事を続けてこられたわけだから、さすがにこれは捨てることは出来ず、家の本棚に収めた。
 もっとも一週間で簿記を覚えることなど出来るわけがない。あくまでも基本中の基本だけをこの本で覚え、後は実務で長いことかけて覚えてきたのだ。
 引き継ぎで、次に来る税理士に仕事の内容を説明できるなんて、やはり年数のおかげであろう。

 今まで人の退職の事務手続きをやってきた。最後は私が自分の退職手続きの書類を用意するとは思わなかった。何か変な感じだ。でもこれでいいのかもしれない。他人に自分のことを任せることが出来ないので、自分でやった方が安心だ。

 お世話になった人たちに、メールで自分の退職を知らせることを昨日から始めた。いつもなら簡単に了解したという内容の返事しか来ないのに、さすがにみんなが「お疲れ様でした」と書いてくれたり、来週事務所に伺うと書いてくれたりする。有り難いな、と思う。
 今年閉店した店にいた責任者にもメールを書いた。私のために「退職祝い」をやってくれるという。しかも当時のスタッフにも声を掛けてくれるという。わざわざ私のために申し訳ない気分だが、現在会社と何の関係もない昔の仲間そう言ってくれる。
 それに比べ、どこかの社長は、そんなそぶりさえ見せない。人間性を疑ってしまう。普通これだけ長く会社にいたんだから、「お別れ会」なものでもやるでしょう。せめて音頭取りぐらいやって欲しかった。その上で会社の都合で辞めさせられるのだから、会社主催のそんな会に出られる雰囲気でない、と断りたかったな。もしかしたら私がそう言うだろうと察していたのかもしれない。
 それだけでなく、この社長さんは最後までこき使ってやろうという気持ちなのか、あれしろ、これしろとうるさい限りだ。この人、私がいなくなったらどうするんだろう。だれも自分の要求を聞いてくれる人がいなくなり、最後は自分一人やるしかなくなることになる。まあそれもいい。自業自得だ。
 来週にはまだ退職を知らせていない人がいるので、その人たちにメールを書こうと思っているし、特にお世話になった人には自分から赴いて、挨拶をしなければいけないな、とも考えている。

 アルバイトを除き、人生初の退職日まであと2週間ばかり。後腐れなく会社を去りたい。
by office_kmoto | 2013-12-15 06:10 | 人を思う | Comments(0)

貫井 徳郎 著 『乱反射』

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 久坂部羊さんの新刊を読んでいた。この本はこれまでの久坂部さん作風とはちょっと違っていて、その分面白味に欠けた。
 その本にこの出版社が出している他の作家の広告あり、この本に目が行った。

 面白かった。

 事故は風の強い日に起こった。街路樹がその風で倒れ、二歳の子供が下敷きになり死亡した。その事故の真相を父親であり、地方新聞の記者であった加山が追う。原因は誰でも心当たりのある、小さな罪の連鎖だった。

加山聡
 家族旅行へ急ぐ加山は、家庭ゴミを車に積み、サービスエリアで捨てる。罪悪感はあっても、「まあ、一回だけならいいか」と自分の行為を正当化する。

三隅幸造
 定年退職後心の寂しさ紛らわすために犬を飼う。その犬が、散歩で いつもと同じ街路樹の根元に糞をする。幸造は腰痛のためかがむことができず、糞を置き去りにしていく。街路樹の根元なら通行人が踏んでしまうこともないと言い訳をし、自らの罪悪感を軽減する。

安西寛
 体質が弱いためよく風邪を引く。病院に行きたくても昼間は混んでいる。そこで、待ち時間が少なくて済む夜間の救急の窓口へ行き、診察してもらう。最初、こんなに空いているならば自分ひとりぐらいかまわないだろうと思った。この裏技を大学で知り合った女の子が調子を崩したので、夜間の窓口へ行けば、すぐ診察してくれる、と教える。それがこの女の子の友人を通じて広がり、夜にやってくる患者が増えた。

小林麟太郎
 市役所道路管理課の小林麟太郎は街路樹の根元に置き去りにされていた犬の糞を一度片づけたことがあるが、次にこの街路樹の剪定に来たときに、また糞が溜まっていた。もう二度と糞の片付けなどごめんだと思い、剪定をせずにこの街路樹から離れた。いずれこの街路樹は伐採されるのだから、剪定などしなくても構わないと思う。
 さらに市民から街路樹の根元に犬の糞が溜まっているという苦情を受け、三度この街路樹に向かう。糞の始末をしている時に、生意気な子供達に「犬の糞を片付ける仕事は嫌だな」と言われ、麟太郎のプライドが傷つき、まだ根元に糞が残っているにも拘わらず、そのまま放置した。

榎田克子
 克子は車庫入れが苦手であった。今家にある自家用車さえ車庫入れに苦労していた。しかし妹の麗美が今の車はかっこわるいから、もう少し大きめの車にに買い換えようと父親に提案する。克子は大型になればますます車庫入れが難しくなるのをわかっていたのにもかかわらず、車の買い換えを受け入れざるを得なかった。そして案の定、車庫入れがまくできないことに苛立ち、その場に車を放置して家の中に入ってしまった。道路は克子の車で渋滞する。

安達道洋
 道洋は病的な潔癖症であった。彼は樹木診断士であった。市の街路樹の診断を任される会社に勤める。街路樹の診断とは街路樹が弱っていないか、根腐れしていないかを診断する。それによって街路樹が倒れないことを確認するのであった。
 道洋は委託を受けた街路樹の根元に犬の糞があることを見て、身動きができなくなってしまった。そしてこの樹の診断をしなかった。

田丸ハナ
 専業主婦を娘から馬鹿にされ、自分の存在感を娘に示すため、道路拡張による街路樹伐採に反対する。仲間と街路樹伐採反対の実力行使を行い、伐採業者でない安達道洋たちが樹木の診断に来たにも関わらず、それを阻止する。

 そしてその街路樹が倒れ、義父のお見舞いに来ていた、加山聡の妻光恵と一人息子の健太を襲う。健太は死亡した。

 父親である加山聡はその原因を追及する。道路拡張計画があるにも関わらず、地権者との話し合いが進まなかったこと。さらに身勝手な理由でその街路樹伐採に反対運動がおこり、その計画が進まなかったこと。
 その樹の根元に犬の糞を置き去りする人間がいたこと。
 その糞を苦情が市民から出ていたにも関わらず、それを処理しなかった市役所の人間がいたこと。
 街路樹の状況を診断し、樹が倒れないかどうかを調べる業者の一人が過度の潔癖性になり病んでいたこと。その樹木診断士は根元にあった犬の糞のせいで、その樹を診断しなかったこと。
 事故現場には救急の窓口がある病院があったが、たまたまその日の担当医が内科専門の医者であったこと。多くの患者でてんてこ舞いしていることをいいことにして、急患を断ったこと。
 しかもその夜に診察待ちをしていた患者は軽い症状の患者たちであった。夜間に診察してもらえば、昼間みたいに待たなくてすぐ診察してくれると吹聴した人間がいて、以来夜間の救急の窓口に患者が増えたこと。
 そして救急車が他の病院へ行こうとしても、渋滞で動けなかったこと。それは車庫入れがうまくできず気が動転し、運転を放棄し車を放置した結果起こった渋滞であった。
 加山聡は自分の息子を殺してしまった原因を作った人間に会い、責任と謝罪を求めるが、みな加山が死んだ子供の父親であることに驚き、戸惑い、多少の罪の意識が芽生えるが、むしろ開き直り、最後は自分には関係ない。責任はないと、自らの罪を認ず、自己防衛に走る。


 健太の死に責任がある人物を突き止めたのに、その罪を追及しきれない。法律ではなくモラルでは、罪ある人を糾弾することができないのだ。そんな冷然たる事実に突き当たり、加山は絶句した。身勝手さを罪として問えない現実が、ただただ悔しくてならなかった。


 「おれがこれまで健太の死に責任がある人と何人も会ったことは話したろ。みんな、同じだったんだ。みんな、今のじいさんと同じことしか言わなかった。誰ひとり自分の罪を認めず、どうして咎められなきゃならないんだと開き直った。それが現実なんだよ。誰も自分が悪いなんて思っていないんだよ」


 「夜間の病院が混雑する原因を作った人だ。おれはその人に、自分の身勝手な行動が健太を殺したとは思わないのかと訊ねた。そうしたらその人は、思わないと答えた。おれはその人をぶん殴るべきだったのかな。お前のせいで健太は死んだだと、泣き喚くべきだったのかな。でもそれなら、殴るべき相手は他にもいるんだよな。みんな少しずつ身勝手で、だから少しずつしか責任がなくて、それで自分は悪くないと言い張るんだよ。おれは誰を責めればいいのかわからなくねってきた。世界中の人全部が敵で、全員が責任逃れをしている気がする。おれたちの悲しみや苦しみをわかってくれる人は、世の中にいないのかもしれない。そんなふうに考えると、怖くて悲しくてしょうがないんだ。なあ、光恵、そうじゃないか?」


 こんなことならいっそ、顔の見える誰かひとりの犯罪であった方がまだましだとすら、最近は考えている。犯人を罵倒し、殴り、そして一生恨み続けられるなら、それも生きていくための原動力になるだろう。それなのに加山には、健太を殺した犯人の顔も、責任の所在も、事故の原因すらも、何ひとつわからないのだ。これほど悔しいことがあろうか。こんなにも無力感を覚えさせる現実を、加山はどうしても受け入れられずにいた。


 そして加山はコンビニで買ったウーロン茶を飲んで、おにぎりを食べて、そのゴミをゴミ箱に入れようとしたとき、自分が以前にも同じように、こうしてどこかでゴミを捨てようとした光景が甦るのであった。

 その瞬間、


 「ああああああああああ」
 体ががくがく震え始めた。口からは、意味をなさない声が漏れる。あのときの自分は、誰かに似ていないか。そうだ、加山が恨み、心の中で非難し続けた人々と同じだ。己のちょっとした都合を押し通し、それが巻き起こした波紋の責任など取ろうとしない人たち。自分だけがよければいいと考え、些細なモラル違反を犯した人たちは、ゴミをサービスエリアで捨てた加山と同類だった。加山もまた、彼らと同類の人間だったのだ。
「ああああああああああ」
 声が漏れ続ける。体の震えは収まるどころか、ますます激しくなった。

「・・・・・おれだったのか。おれが健太を殺したのか」
 加山は己の手を見た。

 両手を見ながら、加山は力尽きるまで絶叫し続けた。


貫井 徳郎 著 『乱反射』 朝日新聞出版 (2011/11発売) 朝日文庫
by office_kmoto | 2013-12-11 16:10 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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