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木皿 泉 著 『昨夜のカレー、明日のパン』

d0331556_6155079.jpg 自分を歪ませることが生きることだ、と色川武大さんは言っていたが、ある程度歳をとってしまうと、歪んでしまった自分のことをあれこれ考えてしまう。妙に後悔してしまったりする。
 “変わらざるを得なかった”ことを悔やんだり悲しんだりするのは、やはり歳をとった証拠なんだろう。だから逆に“変わらないもの”へのあこがれが生まれる。
 そんなことをこの本を読んで思った。テツコの義父であるギフが言う言葉が身にしみる。


 「人は変わってゆくんだよ。それは、とても過酷なことだと思う。でもね、でも同時に、そのことだけが人を救ってくれるのよ」


 テツコの夫、一樹が亡くなったのは七年前で、その後も、ギフとテツコは同じ屋根の下で、働いては食べ、食べては眠ってと、ただただ日々を送ってきた。最初に割り振りされたはずの立場は、今やすっかり忘れ去られている。なぜ一緒にここにいるのかという理由も、暮らしているうちに曖昧になりつつあった。義父は、いつの間にか<ギフ>となってしまったのに、七年前に死んだ夫は、ずっと夫のままだった。


 人間関係というのは、方程式のように、どんな数字を代入しても成り立つ、というようなものではない。この家の三角形の一辺が突然消滅してしまった。なくなったのに、まだそこにあることにして、何とか保ってきた三角形なのだろう。


 とテツコの同僚の岩井は思った。岩井はテツコと結婚を望んでいた。何度かテツコに結婚しようと言うがテツコはなかなかそういう気持ちになれなかった。


「そろそろ、結婚しようか」と言われても、今のテツコには、さほどありがたい言葉ではなかった。岩井さんが嫌いだとかそういう話ではない。他人と暮らしてゆくということがどういうことか、九年もギフと暮らしてきたテツコにはよく見えるのだ。今さら誰かと暮らしても、何かが変わるということは、おそらくないだろう。むしろ引き受けるべき雑多なことが増えるだけである。
 「めんどくさい」


 テツコが岩井との結婚を考えてしまうのは、ギフと暮らすこの家での生活が心地よいからである。そう、ギフの家は世の中ものすごいスピードで変わっていく中、昔のまま変わらない生活がここに残っていたからである。
 人間、便利さだけで身の回りのことをどんどん変えていくが、それについて行くことに追いまくられ、疲れ、疑問を感じていく。昔あった生活のどこが悪いのかよくわからないままに。
 むしろ昔あった生活の方が時間がゆったりと流れ、季節が感じ、自分がここで生きているという実感を感じられる。そんなものがまだギフの家にはあった。
 亡くなったギフの妻であった夕子がこの家に嫁いでくる前に、ギフの家を訪ねる場面がある。


 寺山連太郎の家は、二階建てや三階建ての新しい家が並ぶ中、そこだけ平屋の古い建物だった。母親は七十坪と言っていたが、その半分ほどが庭で、銀杏の木が植わっている。


 自分がこの家を守ってゆくのに、と思った。ここでなら、自分は生きてゆけそうな気がする。


 ふいに銀杏の実をひとつひとつ拾い集めて、それを洗っている自分の姿が見えた。鼻をすすり、悪臭を我慢しながら、冷たい水で銀杏を洗っている自分は、とても幸せそうであった。


 古い家なのに長年手入れされてきたらしく、まだまだこの先も十分使えそうであった。


 一人息子の一樹が生まれ、一樹との季節の中で過ごす姿が懐かしい。それを読んでいると、ささやかだけど、幸せを感じることができる。


 それでも、夕子は家の用事をするだけで十分に幸せだった。七草を刻んだ粥を食べ、豆をまき、次の朝、その豆を鳥が食べに来ているのを見つけ、春を感じ、桜を見て、苺ジャムをつくる。新緑の匂いに気づき、梅干しを縁側に出しては干し、干してはしまいを繰り返す。折り紙で天の川をつくって見せて一樹を驚かせ、花火をして、スイカを食べて、桃をむいた。小豆を煮て月見だんごをつくり、栗を渋皮のまま煮て瓶詰にし、銀杏を拾って洗い、割って煎って、みんなで食べた。庭を金色に染めた落ち葉を掃いて、白菜を干して樽に漬けた。縁側で冷たい空気を胸一杯に吸うと、気持ちがしゃんとなった。障子を貼り替える時は、一樹と盛大に古い障子を破った。縁側に干した布団はふわふわだった。薄く積もった雪でつくったうさぎの目はナンテンの実で、それを一樹が小さな指で小さな夢中になってつつく。そんなことだけで、夕子は十分だった。


 夕子の会社の先輩、加藤さんが辞めるとき、夕子に言った言葉、「世の中、あなたが思っているほど怖くないよ。大丈夫」というのが、確かにここでの生活が物語っていた。
 その生活がテツコにも引き継がれ、一樹が亡くなっても続いていた。そのことを岩井はギフとテツコのありふれた日常を見て感じたのである。


 草を引いているギフの横で、いつの間にか庭に下りたテツコが、パンパンとシャツをたたきながら物干し竿に干している。暗い部屋から見ると、家の中のものは逆光で全てが暗い影となっているのに、表だけは強烈に明るかった。岩井は台拭き用の布巾を握ったまま、明るい庭で二人が動いているのを、映画みたいだと思った。そして、ギフがあんなに頭を抱えて困っているのは、この生活を失いたくないからなんだ、ということもわかった。自分がテツコに結婚しようと一方的に言い続けてきたことは、無神経なことだったかもしれない。この生活に自分の入り込む隙など、どこにもないのではないか、と岩井は思った。


 ギフの家には暮らしがあった。それはおそらく、そこに住んできた人たちが何年もかけてつくり続けてきたものなのだろう。


 妻を失った夫、ギフ、夫を亡くした妻、テツコが、それでだからこそ、この家での昔のままの生活にこだわる姿は、どこかもの悲しい。確かに岩井がこの家に入り込むのは大変だ。しかし二人とも“めんどくさい”人間だけれど、なんとかこの家は岩井を受け入れようと感じられる。
 この家は時代に流されない分、大きな包容力を持っており、今ここで暮らしているギフとテツコ、そして亡くなった夕子や一樹、さらに岩井まで包んでくれている。
 変わることをベストとしている世の中で、人はどこか変わらないまま残しておきたいものがあって、それに少しずつ変化を加えながらも、根本は変えないところを守っている姿がうらやましかった。


木皿 泉 著 『昨夜のカレー、明日のパン』 河出書房新社(2013/04発売)
by office_kmoto | 2014-03-29 06:19 | 本を思う | Trackback(1) | Comments(0)

写真 その2

 昔の写真を整理してこなかったことを棚に上げてものを言うわけではないが、数多くの写真の中に“お宝”が埋もれているのを見つけると、おお~、となってしまう。こんな写真があったんだ、としげしげと眺めてしまう。
 あった写真は大学時代の私の部屋の写真である。当時から本に囲まれて生活することにご満悦だった私は、部屋中の壁に本棚を置き、そこに本を並べていた。写っている写真には、生まれて初めて買った五木寛之全集や、森有正や高橋和巳全集など並んでいる。あの頃よくわからなくても、一生懸命これらの本を読んでいた。それらの全集は今はない。

 別の写真は、私が会社を辞めるとき、事務所を整理していた頃に見つけた写真である。あのとき私は第三合同庁舎の本屋の店長をやっていた。わずか十坪ばかりの小さな本屋であったが、品揃えはみんな私がやったもので、言ってみれば別の私の本棚みたいなものであった。
 さらに異動で会社で一番大きな本屋に移り、二階のビジネス書と文庫、コミックを任された頃の店の写真だ。棚の品揃えを見ると、低迷していた店の売上げを挽回し、それが軌道に乗り始めたころの写真だと思う。あの頃は何をやってもうまく行き、好き勝手なことをやっていたこともあって、楽しかった。

 まあ、かなり天狗になっていたことは事実で、我ながら自信過剰だったんだな、と当時のことを思い出すと、呆れてしまう。でも、一応結果は出していたから、過剰気味であったにせよ、仕事に自信を持っていた。
 いずれにせよ、全て昔のことで、単に私の一時代の話である。写真はそれを物語っているに過ぎない。それにもうどうでもいいことだ。
by office_kmoto | 2014-03-26 05:49 | ものを思う | Trackback | Comments(0)

写真

 私がカメラをやるようになったのは、中学生の頃だ。写真部に入ってからのことである。当時はまだモノクロ写真の時代で、科学実験室の奥に現像室があり、そこで写真の現像を教わった。写真部に入るまで、実験室のこんなところに現像室があるなんて知らなかった。以来放課後になると、その現像室に毎日入り浸りで、撮ってきたどうでもいい写真を現像していた。写真を撮るより現像の方が面白かった。
 高校に入って、やはり写真部に入ったが、先輩と大喧嘩をしてしまい、辞めた。そこで自宅の押し入れを改造し現像室を作ってもらい、撮ってきた写真を現像して楽しんでいた。当時新小岩に現像に必要な消耗品、現像液や定着液、印画紙、その他諸々売っているお店があり、そこへ月に一回程度行くのが楽しみであった。今で言う“グッズ”がいっぱいあり、どれも魅力的だった。
 高三のとき、私は推薦で早々と大学を決めてしまったので、以来バイトをしたりして過ごしていたが、クラスメイトが大学に出す願書にはる顔写真を撮ってくれと言うので撮ってやった。写真がただということで、せこい友人ばっかりだったから、結構何人もの写真を撮った。しかし私が写真を撮ってやったやつはみんな大学を落ちてしまい、浪人となった。
 写真は高校を卒業してからやらなくなった。個人的にきつい時代を過ごしてきたので、そんな余裕がなかった。写真を撮ることもしなくなったので、現像もやらなくなった。時代はモノクロ写真からカラー写真が一般的になっていった。
 再び写真を撮るようになったのは、妻と付き合うようになってからで、そして長女が生まれてからは、ほとんど毎日長女の写真を撮っていた。
 当時、私は大手町の第三合同庁舎(今の国税局)の地下にある売店の本屋で働いていた。お店の前が写真屋さんであったこともあって、安く現像してくれたし、富士フイルムからもらえるノベルティグッズをもらったり、撮った写真を額入り全紙サイズにしてくれるキャンペーンをやっていて、それに当たったようにしてくれ、幼い頃の子供達が二人並んでいる写真を大きくしてもらったこともある。二つほど子供達の大きな額入りの写真が今もある。
 そのうちにバイトに来ている写真学校に行っている男の子に、リバーサルフィルムというのを教えてもらった。スライド写真である。写真現像時にマウントしてもらい、スライドプロジェクターで壁に映して見るのである。これも一時凝った。まだビデオが家庭に出回る前のことである。
 そのうちビデオカメラが出回り、子供達も幼稚園、小学校と行事があるときは、もっぱらビデオカメラを持つようになり、写真から遠ざかっていく。

 写真はカメラにモータードライブを付けていたから、ばかすか撮っていた分、その枚数は半端なものじゃなくなっていた。写りのいいものはアルバムに貼っていたが、そうでないものがやたら残ってしまっている。
 そこに妻が独身時代、会社の同僚と撮った写真がやはり整理されないまま残っており、それを眺めていたら、私と付き合っていた頃の写真も出てくる。それが結構あるのに驚いてしまったが、如何せん30年近く経ってしまったものは、こんなこともあったのか、と忘れていたことが多い。記憶が曖昧になっている分、今となってはきちんと整理することもできない。だからただ眺めるだけである。
 
 ちょっと前に実家に行ったとき、親父が亡くなった母親の写真が写っているアルバムを整理していた。そこにあったのは色あせたモノクロ写真であったが、写真がセピア色になっているのが時代を感じさせ、いつもきれいなデジタル写真では絶対に感じることができない、時の流れを一緒に見せてくれる。
 私たちの写真もだいぶ色あせてきている。そのうち母の写真のようにセピア色となって、さらに時が経っていくのだろう。写真は整理する必要はないと決めた。ただいつでも見られるようにしておこうと思った。
by office_kmoto | 2014-03-25 17:25 | ものを思う | Trackback | Comments(0)

許せないことをどう処理するか

 以前から書けるなら書いておきたいと思うことがあった。しかし何度か書いてみたがどうも気持ちが先走ってしまい、うまくまとまらない。何を言いたいのか自分でもわからなくなってしまう。それだけ腹立たしいのである。
 この歳になって人を許せないと思うことは結構きつい。それを抱えてしまう自分がまるで呪縛でもあったように、いつまでもつきまとうのである。
 その人を許せないと思うことが、気持ちを重くしている。それは自分が差し出してきた年月の長さである。そしてその人がしてくれた仕打ちがあまりにも自分勝手であると思うからである。さらに最もへこんでしまうのは、その人間についてきた自分に意味を見いだせなくなってしまったことである。
 忘れようとしてもむくむく頭をもたげるときもあって、その時はどうしようもない。こんなことをこれから先ずっと抱えていくのはごめんだなと思うのだが、それを消し去る方法が見つからない。

d0331556_5531164.jpg 伊集院静さんの大人の流儀の4巻目が出た。今回は「許す力」となっている。許すことのできない人はどうやって生きていけばいいのか、伊集院さんの考え方を述べている。


 口惜しさ、無念を抱いて生きている男女は大勢いる。
 だから“倍返し”などというバカな言葉が流行するのである。報復は報復を生む。たとえ報復しても気持ちが晴れるわけではない。
 ましてや“許せない相手”の不幸を願うようなことは最悪である。


 そうなのである。結局許すことができないから、相手に不幸を願ってしまうのだ。罰が当たればいい、と思うのだ。そしてそれを願う自分が嫌になってしまうのである。私が許せない相手のことを、どうして許せないのかを書こうとすると、その相手に不幸をどこかで期待してしまう自分を見出してしまい、情けなくなってしまうのである。これが書けない理由である。
 伊集院さんは言う。


 人が人を許す行為の中には、どこか人間の傲慢さが漂う。いや漂うのではなく、根底に人が人を上から見る発想があるのではないか。
 そう考えると、人や人の行為を許せないで、いつまでもその人のこころの中に、許せないという感情が残るのは、むしろ人間らしいこころのあり方なのではないかと思う。


 だから、


 許さなくてもいいのではないか。それもあなたの生き方だから・・・・。
 と思う。
 むしろ自分に消すことのできない感情があることを個性だと捉えた方がいいかもしれない。


 私は許せないものを抱えたら、その大半は許さなくていいと思っている。許してあげられない自分を嫌いになる必要もない。


 私が思うに、人は誰でも生きて行く限り、許せない行動や許せない相手と、必ず出逢うのではないか。


 生きている限り、許せないものに出逢ってしまう。許せないものに出逢うのが生きることである。


 毎度のことながら、その“渦中”に自分がいると、「そんなこと言ったって」と思うし、今は「はい、わかりました」となれない。許せないことがあってもそれでいいと言われても、そのままにできないところが問題なのである。


 許すという行動はかほど感情を必要とする。ただおぼろであるが、許すという行動、許すことでそこから何かがはじまることはたしかなような気がする。
 “許すことで起きる活力”“許す力”というものがあるのではないか。


伊集院 静 著 『許す力―大人の流儀』〈4〉 講談社(2014/03発売)
by office_kmoto | 2014-03-21 05:54 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

生き方論

d0331556_6213764.jpg 城山三郎さんの『無所属の時間で生きる』という本を読んだ。無所属の時間とは、(どこにも属さない一人の人間として、)人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間のことを言う。これ読んで、じゃあ、今の私は何処にも属していないし、そうした時間を過ごしているわけだから、この時間は私自身を大きく育てている時間なんだ、と思っていいことになる。
 ところが、そうは思えないところがある。だってその渦中にいる人間として、何物にも属さないことは、不安だけがむくむくと頭をもたげ、こんなことをしていていいのか、と毎日感じている。
 そこで城山さんはこの無所属の時間の過ごし方をちゃんと書いている。


 無所属で、あるいは無所属の気分で生きようとするとき、こわいのは、けじめが失われることである。
 それまでの枠からはみ出し、気ままに自由に生きられるのはよいが、はみ出したままとめどがなくなり、本体がなくなってしまう心配がある。
 自分を守り、育てあげるためにも、やはり、ある種のけじめが必要なのではないだろうか。


 もっとも、無所属の身である以上、普段は話相手もなければ、叱られたり、励まされたりすることもないので、絶えず自分で自分を監視し、自分に檄をとばし、自分に声を掛ける他はない。


 この時間をただたんに、ボーッとしていては、ダメだということなのである。何のことはない。組織に属することにおいて律せさせられることを、無所属になったら今度は自分自身でやらなければいけない。それが無所属であるが故に自己鍛錬になると言っているだけのことである。単に無所属の時間を謳歌しているだけじゃ、いけません、ということなのである。
 しかし悲しいもので、どんなに自由になっても、どこかでこのままじゃダメだと思って、人はいろいろ、自らに規制をかけてしまうのではないか。だからそれをわざわざ言うべきものでないような気がする。そうしないと安心できないのだから。

 いわゆる「生き方」論というのは、それを語る人の経験則から導き出されるものであろうと思われる。どういう生き方があるにせよ、語る人の人柄、生き様から好みが分かれていくのではないか。私の場合、城山三郎さんの文章から感じ取れるのは、先生と称する人たちが言う言葉と似ている。どこか説教臭く感じられ、それは今の私には“重いな”と感じるのである。
 一方色川武大さんの エッセイを読んでいると、高見からものを言っていない。だからこの人の話は安心して入ってくる。それはまず色川さんが無学で怠惰で不良少年だと自称していて、さもダメ人間がどう生きてきたかを語るように見せるからかもしれない。実際はいくつかのエッセイを読んでいるとシャイで、博学で、勤勉で、まじめな人なのだとわかるが、同じ生き方を語る演出としては色川さんの方が取っつきやすい。これも色川さん流のやりかたなのであろう。


 俺の実感としては、実生活では、負け星が先、それから勝ち星。
 先に負けておいた方が、勝ちやすいということが、まず第一にあるだろうな。これは単なる打算じゃないよ。先に一勝しちゃうと、あとが辛い。一勝はわりとたやすくさせてくれるかもしれないが、連勝はなかなかさせてくれないよ。(「うらおもて人生録」)


 聖人君子よりは、私のような不良分子の方が生体実験動物としては適当な気もするのです。(「不良少年諸君」)


 後の話をしやすいように、まず自分はダメ人間だったと見せること。それが色川さん流の負け星を先に見せてしまうことであり、そうすることで読む側を引き込んでいくのだ。

 色川さんは、自分は世間一般の人々がすることをしてこなかったのだから、その人達が受けられる権利は自分は持ち得ない人間だとする。


d0331556_6225375.jpg 私はその前に落伍者乃至失格者なのだと思っていた。それで、自分でも、他の皆と同じような権利を持つことを恥じた。失格者なのだから、皆と競争はできない。自分を主張してはいけない。(『いずれ我が身も』)


 放っておくと育ってしまう部分があるが、それは外側だけにしておいて、内実は、四十歳の不良少年、五十歳の不良少年、それでいい。みっともなくても仕方がない。そうして不良少年のまま死ぬ。不良少年としてでなく死んだら、私の一生は失敗だったということになる。(『いずれ我が身も』)


 私自身の生き方に関しては、人生如何に生くべきか、というよりも、自分はこう生きるより仕方がない、これ以外には生きようがない、とみきわめがつく生き方をしよう、そういうふうに思っていて、それは決意のようなものになっている。
 それで、その行為を選ぶ前に、じっと立ちどまって長いこと自問自答する。まるで亀のように愚鈍だが、他の人の例は参考にはならない。自分の在り方を決定するのは、自分だけだ。もっともそれもなかなか自分ではたしかめられない。考えるといったって、何を考えたらよいのかわからなくなってしまう。
 結局、自分の本能、気質、そんなものが決定権を握ることが多い。自分は、よかれあしかれ、他人とはちがう。他人と一律には考えられない。(『いずれ我が身も』)


 別の本ではその生き方をフォームと称して語っている。


 フォームというのは、これだけをきちんと守っていれば、いつも六部四部で有利な条件を自分のものにできる、そう自分で信じることができるもの、それをいうんだな。
 ちがういいかたをすると、思いこみやいいかげんな概念を捨ててしまってね、あとの残った、どうしてもこれだけは捨てられないぞ、と思う大切なこと。これだけ守っていればなんとか生きていかれる原理原則、それがフォームなんだ。
 だから、プロは六分四分のうち、四分の不利が現れたときでも平気なんだ。四分わるくても、六分は必ずいいはずだ、と確信してるんだね。またここで、四分わるいからといって揺れてしまったんではなんにもならないからね。(「うらおもて人生録」)


 そぎ落とされた原理原則は、その世界だけで通用するものだ。だから、傍から見ればそれは歪んでいることになる。でもプロはそのフォームが最重要なんだという。


 プロということは、それで生きるために、どこかを歪ましているわけだからね。その歪みを、ふだんは元に戻したい。
 けれども烙印を押されたように、その歪みがとれないんだ。それがプロです。特殊な職業ばかりじゃない。サラリーマンだって、商人だって、その世界に本格的に入れば、皆そうなんだよ。一生に近い間、その種目で飯を喰うとなると、無色透明じゃ居られない。鍛錬して自分をどこかを異常な状態にしなければならない。

 今のこの社会でちゃんと自立するためには、お互いどこかの部分で、プロにならなければならない。
 だから歪んでいない人間なんか、一人前の社会人には居ないんだよ。(「“本物男性”講座」)


 人間というものは、水平にバランスがとれているものじゃなくて、皆、どこかかたよっているんだよ。ただ、そのかたよりかたが、仕事と関係あるところでかたよっていると、変な人と思わない。仕事でないところにかたよっていると、変人だ、ということになるがね。本当は、変人タイプの方がゴツくて確かな肌ざわりがあるね。(「うらおもて人生録」)


 みんな生きていくために“歪み”を生じてしまっているのだ。同じなんだ。ただその“歪み”を計るものによって、判断が変わってしまうものなんだと言っている。

 色川さんのエッセイに感じられるのは、人を見ている目がやさしいことである。それはどこの世界にいるかは関係ない。むしろスネに傷を持っている人にやさしい目を向けている。
 色川さん自身がスネに傷を作くらなければ満足に生きていけなかったから、簡単に他人を笑ったり見下したりしたりしない。むしろ私もあなたと同じですよ、と接してくれるような気がする。こういう人は人に対して優しくなれる。自分も自ら厳しく律していて、人にもそれを求める人と、これしか生きようがないんだから仕方がないじゃないですか、と言ってくれる人と、人はどちらに心を開けるだろうか。
 伊集院静さんの『いねむり先生』を読んでいると、色川さんが伊集院さんを含め、あらゆる人に慕われるのはここにあるような気がする。「それでいいじゃないですか」と言ってくれれば、人は安心できる。色川さんは一途に自分の生き方を押し通してきた人だからこそ、説得力がある。
 ただ、自らを落伍者、あるいは失格者と悟るには、常人が想像を絶するほどの苦しみと哀しみを味わったに違いない、と想像する。伊集院さんの本を読んでいると、色川さんと深く接すれば接するほど、その優しさの裏にある影の部分を感じるところがある。
 でもかなり無茶苦茶なことをやってきた人だからこそ、どんな人にも寛容になれる。苦しみをとことん味わってきた人だからこそ、どんな人にも優しく接することができる。そんな風に思うのである。そういう人を慕わないわけがない。そんな人に助けられていると感じれば、感謝もしたくなるのもわかるような気がする。

 先日BSで「拝啓色川先生」というドラマをやっていた。これはたぶん伊集院静さんの『いねむり先生』を題材としているんだろうな、と見ていたが、はたしてそうであった。『いねむり先生』はその前に地上波でもドラマとして放映してた。ドラマの出来はこちらの方が良かった。このときは色川武大さんの役を西田敏行さんが演じていた。西田敏行さんの方が色川さんの雰囲気をよく出していたように思える。
 いずれのドラマも色川さんの人間性に触れた人たちが、「先生、先生」と慕っていた。そのわけもここにある。実は私も城山さんのエッセイより、色川さんのエッセイの方に魅力を感じるのは、寛容さ、優しさが感じられるからである。それが今の自分には心地よい。
 ところでこのBSのドラマを見ていて、色川さんが“旅打ち”と称して、全国各地で競輪をする旅を伊集院さんとするところがある。その時色川さんが仕事のための原稿用紙や筆記用具、資料などを入れている大きな紙の手提げ袋を持ち歩いていた。鉛筆を削るために手動式の鉛筆削りも入っていた。このとき、原稿は鉛筆で書いているんだな、と思った。その映像が頭に残っていたので、次の文章を読んだとき、ちょっと以外であった。


d0331556_624199.jpg 私は毎日、(自転車で)周辺部を走り廻って小さな商店をのぞいた。本屋と文房具屋は必ずのぞく。特に文房具屋は、それなりに器具が新式になっていくので私のような者には楽しい。おそらくブティックをのぞく女性と同じ顔つきをしているのだろう。


 テレビでは色川さんが持っていた筆記用具はみすぼらしい感じであったが、実は色川さんは最新式の文房具に興味があったんだとは意外であった。
 この文章は『喰いたい放題』という食に関するエッセイにある。このエッセイも面白かった。色川さんは健康のため食事制限をしなければならない身なのだが、食べることが大好きな人なので、その葛藤が面白い。


 しかし、なにはとももあれ猛烈な胃袋だそうで、ばりばり消化してしまって臆するところがない。こういう全般的な喰べすぎの時代には、胃腸の機能がいいということは欠陥に近い。喰べたものが皆、血となり肉になる。


 この本は食のエッセイであるが、高級食材、高級料亭、レストランなどを絶賛していない。もちろん付き合いでそういう場所で会食することが多いと思うが、それでも、


 この喰べ物は、普通の基準ならば何点、とそこらへんから離れず居たい。ものを喰べるのに初心というのはおかしいが、妙にハネあがらずに、日常の喰べ物を大切にしていきたい。
 そうしてとくたま、夢のようにおいしいものを喰べたい。


 この姿勢がなんとなくうれしくなってしまう。大好きな食べ物を前にして、食事制限などしなければならない身ではあるけれど、それでも何とかうまくバランスをとろうと頑張っているのが微笑ましい。
 それでもどうしてもダメなものがある。


 もっとも、禁酒、禁煙、禁ばくち、禁女性、すべて実行するつもりにはなっている。それどころか、中には順調に軌道にのりかけているものもある。ところが、それ等の手前に、一番健康によくない仕事というものを禁ずる必要が横たわっており、しかし仕事をしなければ生きていくことができない。
 しても、しなくても、よいことはあり得ず、進退がきわまって、つい、そろそろと身体をだますようにして少しずつ仕事をしてしまう。そこが不徹底だものだから、諸事、つきつまらない。


 ここでも仕事が健康に一番悪いと言ってくれている。


城山 三郎 著 『無所属の時間で生きる』 新潮社(2008/04発売) 新潮文庫

色川 武大 著 『色川武大 阿佐田哲也全集』〈12〉 ベネッセコーポレーション(1992/11発売)

色川 武大 著 『いずれ我が身も』 中央公論新社(2004/03発売) 中公文庫

色川 武大 著 『喰いたい放題』 光文社(2006/04発売) 光文社文庫
by office_kmoto | 2014-03-18 06:39 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

3月日録(上旬)

3月某日 雨

 今日は孫のひな祭りに呼ばれる。先月から保育園に行って、お昼寝の時間が家にいるときより早くなっているので、ちょっと早めに来て欲しいと言われ、ほいほい出かけていく。
 いつものようにお店で好きなケーキを買って行く。孫はケーキが大好きだ。チョコレートのものとクリームのものを母親と半分ずつするつもりなのか、二つ選んでいる。
 娘夫婦の家に着き、孫がはしゃぐのを一緒になってはしゃいでしまう。保育園に行くようになってから、いろいろできることを次から次へと披露してくれる。言葉もいろいろ覚えていて、ますます小生意気になって、大人顔負けである。
 お寿司を食べ、その後買ってきたケーキを食べ、おなかがいっぱいだ。孫が眠たくなる頃を見計らって、帰る。ひな人形がかわいい。いつまでこの人形を見ることができるだろうか?
 家に帰ると、ネットで注文した古本が届いていた。これで3冊きちんと揃った。


3月某日 雨

 午前中「椅子王国」から椅子が届く。抹茶色のオフィスチェアだが、部屋の感じと違和感がなくて良かった。やはり座り心地がいい。腰も楽だ。オフィスチェアにしては値段が高かったが、長く使うのを考えれば、いい買い物をした。
 この「椅子王国」はかなり親切なサイトだ。椅子が家に届くまで、何度もメールが届き、きちんと手配してくれている。礼状も入っていた。明らかにひな型があり、そこに私の名前を入れれば礼状が出来上がりというやつであったが、それでもお手数だけどきちんと説明書を読んでくれ、不具合、気づいた点があれば気軽に問い合わせてくれ、と心遣いがありがたい。いいサイトで買ったな、と思えた。椅子を買うなら、お勧めのサイトだ。


3月某日 くもり


 図書館で借りていた本3冊返しに行く。2冊は読んでのだが、もう1冊は読めなかった。その本はヨーロッパ中世の差別された人々を書いた本であった。もちろん興味があったから、借りたのだが、もうこうした専門的な本は読めなくなってしまったようだ。やっぱり学生時代とは違う。借りていて読まないのはなんか申し訳ない気持ちだが、今の私の気分というか、状態では小説、エッセイを中心に読んでいきたいので、仕方がない。
 ちょっと図書館で本を借りるのは休もうと思う。というのも自分の本棚に読みたい本がたくさんあるし、また読み返したい本を数多くあるので、本棚から引っ張り出そうと思う。


3月某日 はれ

 父親のところへご機嫌伺いに行く。先日撮った孫の写真、父親からすればひ孫の写真を見せる。ちょうどその時叔父が訪ねてきた。叔父と会うのは久しぶりである。叔父は私より一回り上で、今は仕事もリタイアしている。
 話を聞いていると、叔父はどうやら時間をもてあましているようで、仕事をしていない私に対して、どうやって1日を過ごしているのか、を聞いてくる。
 私は確かにうまく1日の時間を使えてはいないけれど、時間をもてあましているとは感じていない。叔父が言うような1日が長いということはない。パソコンをやったり、本を読んだり、散歩に出たり、買い物に付き合ったり、録画してあるビデオを見たりしているうちに、1日が終わる。もう少しうまく1日を使いたいところなのだが、なかなかうまく行かないのが現状である。叔父と年齢の差がそうさせているのか、よくわからないが、まあ退屈はしないで済んでいるだけでもありがたいのかもしれない。


3月某日 雨

 一日中雨だ。外に出ることなく、可処分時間を本を読んで過ごす。文庫本を1冊読み終え、その次を手にした。寒い。いったいいつになったら暖かくなるんだろうか?


3月某日 晴れ 風強し

 区役所にある職業紹介へ行ってみる。どんな仕事があるのか参考程度に閲覧してみる。そして一つサンプルとして求人をしている会社について相談してみた。担当の方は年配の方で、結構親身に話してくれた。
 その後、区の中央図書館が近くにあるのでそこによってみる。初めてである。以前から行ってみたいと思っていたので、今日はどちらかと言えばこちらがメインだ。
 中央と言うくらいだから、区で一番大きな図書館である。さすがに蔵書の数が多い。割と最近できた図書館なので、棚の配置もゆったりととってあって、落ち着いた雰囲気である。これはここに居たら1日過ごせそうと思える。しばらく本を借りるのを休もうと思っていたが、色川武大さんの全集があったので、2冊借りてくる。
 行きはバスで区役所まで来たが、帰りは歩いて自宅へ向かってみる。歩いてもそれほど距離があるとは思えなかったので、次からは歩いてここまで来てみようかと思う。来たときはやたら風が強かったが、帰りはおさまっていた。いつも行っている床屋に寄って、明日お願いして帰った。


3月某日 はれ

 久しぶりに神保町へ行ってみた。探している本はあるのだが、結局見つからなかった。というか、探しているうちにだんだん面倒臭くなってしまった。本の量が多いこと。それは古本に限らず、新刊書籍も同じで、家に引っ込んでいる生活をしていると、その量を見ただけでくらくらしてしまったのである。
 ぶらりと寄ったくらいなら、気軽さもあるのだが、今日は本を探しに行く目的で出てきたわけで、せっかく出てきたんだから、何か収穫がないと困るといった気負いみたいなものが、気持ちを重くしていく。
 もうわざわざ本を探しに出かけるのは止めようと思う。結局疲れるだけだ。もしかしたら本との出逢いは、気兼ねのないものがいいんじゃないか、と思ったりする。本屋さんや古本屋さんに寄ったら、そこにあったというのがいい。


3月某日 はれ

 昨日もそうだったけれど、外に出ると鼻がむずむずする。目が涙目になる。いつもの花粉症が始まったようだ。やれやれまいったなあ。
 少々スランプ気味。


3月某日 はれ

 義母が施設に入所したので、家で使っていたベッドが誰も使わずそのままになっている。ごっつい介護用ベッドなので場所を取っているので処分することにした。
 最近郵便受けによく入っている不要品回収業者のチラシを見て電話をし、見積もってもらうと5万円かかるという。正直その金額に驚いたが、業者のあんちゃんが言うには、大きいし、電動であることから、壊して廃棄するするにあたり出るゴミが違うなど手間がかかるためその金額になるという。私は明らかにふっかけられていると思ったので、このベッド壊すより、お宅の方でリサイクルで売れるじゃないの?、と聞いてみると、介護用ベッドの需要はそれほどないらしい。要するにうちみたいにベッドを買うのではなく、ほとんどがレンタルしているからと言う。
 確かに年寄りのベッドはいつまでも使うものじゃないから、その方が合理的かも、と思う。うちみたいに30万近くしたベッド買う方が今日日珍しいのかもしれない。しかし処分だけで5万円は痛い。
 そこでこのベッドを買ったシマホに電話をしてみると、新たにベッドを買った人は、どんなベッドでも4,000円で引き取ると言う。そこで私のベッドを買い、要らなくなった介護用ベッドを引き取ってもらうことにした。
 私はそれほどベッドが欲しいとは思わなかったが、腰が悪いこともあるのだから、ベッドにした方がいいと妻に以前から言われていた。不要品のベッドの処分に困っていたので、そのため新たに自分のベッドを買うのはどこか釈然としないが、妻がそう言うなら、ということで私のベッドを購入する。
 今度はフランスベッドの折りたたみ式のものを買った。


3月某日 はれ

 このときイトーヨーカ堂にいた。レストラン街で食事をして、店を出て携帯を見ると2時45分だった。もうすぐ2時46分になるので、黙祷をお願いします、と館内放送がある。それぞれのお店の人たちが店の外へ出て黙祷をしていた。
 あの日私は昼休みを終え、歯磨きをしていた。その時地震を感じたが、最初いつもの地震と同じように軽い感じで、それを感じていた。しかし次の瞬間ものすごい勢いで揺れ始め、事務所のコピー機や棚が動き出し、ファイルなどが落ちた。
 しばらくして外に出て見ると、電線が大きく波打ち、高層ビルがまるでスローモーションビデオを見ているかのように左右に揺れているのが見て取れた。生まれて初めて、地震が怖いと感じた瞬間であった。このときはこの地震がこれほど甚大な災害をもたらすなど思いもよらなかった。
 あれから3回この日を迎えるが、思い出すのはこのときであり、寒い中歩いて家に帰ったことである。人々が同じ方向へ流れていく異様な光景の中に自分もいた。


3月某日 はれ 暖かい

 庭にある観音竹を鉢植えから直接地面に植え替える。観音竹が大きく育ちすぎて、鉢がパンパンになっていたからである。地面に穴を掘るなんて久しぶりのことだ。そこに鉢を壊して(鉢いっぱいに根がはりだしているので壊すしかなかった)観音竹を取り出して、剪定して植え替えた。心なしか窮屈さから開放されて喜んでいるように見えるからおかしいものだ。ついでにさつきも剪定してやる。
 私の剪定方法はまったくの素人なので、葉っぱが重ならないようにしてやるだけだ。だから本当にそれが正しいかどうかはわからない。でもさつきにせよつつじにせよ、小さな花芽をたくさん持っているから、今年もいっぱい花を咲かせてくれそうである。
 午前中こんなことをやって、庭の整理などして終わった。午後からは暖かいので、窓を開けて、座椅子を窓際に持ってきて、今さっききれいにした庭を眺めながら、本を読む。
 妻に花粉症なんだから窓を開けると、部屋中花粉が舞うことになるから、ちゃんと閉めなければダメだと言われたが、どうやらここにいても大丈夫のようなので、日が陰るまでここで過ごす。幸い妻は午後から整形へ電気をかけに行っているので、うるさく言われないで済む。


3月某日 くもり

 伊集院静さんの「大人の流儀」の新刊が出たので、駅前の本屋さんで購入。ついでにホワイトデーのためにケーキ屋さんによる。ここのケーキ屋さんのシュークリームが美味しいので、それが食べたいと妻が言うのでそれを買う。レジのカウンターに豆大福があったので、自分用に一つ加える。花粉症がひどい。あっという間にポケットティッシュを二つ使ってしまう。
 家に帰り、色川武大さんの全集を続いて読む。個人全集を読むのは久しぶりだが、たった一冊でも苦労する。まあ作家一人のすべてをこの全集に収められているのだから、簡単に読めては失礼なことだ。


3月某日 はれ
 相変わらず花粉症がひどい。花粉症の何が辛いかというと、鼻水が何処でもかまわず流れてくること、くしゃみも同じように出てくる。その上眼が痒くて仕方がないことだが、何よりもそれによってものすごく疲れてしまうことなのだ。もちろんだるさの原因は薬にもあるのだが、とにかくだるくて仕方がない。

 今世の中は新型万能細胞であるSTAP細胞の論文に不自然な点がある問題で騒いでいる。新聞記事を読んでいると、「重大な過誤」「疑義」「極めてずさん」「不適切」「体をなさない」という言葉が踊っているが、要するにこの論文はいい加減だったということを言っているだけであって、それをいくつも言葉を並べているだけのことだ、とわかる。
 一方で「不正にあたらない」「単純な間違い」と擁護の言葉も見受けられるけれど、そもそも不正をしちゃいけないものだろうし、間違いだってあってはならないものではないか。それを「不正にあたらない」「単純な間違い」と、意図的かどうかだけの問題にすり替えている。当の本人は「やってはならないという認識がなかった」と言って、“やっちゃった”ことを認めているんだから、話にならないでしょう。
 そういえばそれより前に佐村河内某の書いた曲が自分で書いたものでなく、ゴーストライターが書いたものだと、そのゴーストライターと佐村河内某が会見を開いて、お互い言い合いをやって、訴えるとかなんとか言っていた。ただこいつら二人は「やってはならないこと」をやってしまったことをどこかに置き忘れてものを言っているのではないか。
 いずれも見苦しい。たぶんこの人達はもうこの世界ではやっていけないだろうな、と思ってしまう。そう思うと一時「リケジョ」とか「日本のベートーベン」とかもてはやされるために人生を棒に振ってしまった代償ってそれに見合うものだったのだろうか。それだけ世間の賞賛は魅力的ということか。太く短くとはこのことかもしれない。
by office_kmoto | 2014-03-16 06:17 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

川上 弘美 著 『古道具 中野商店』

d0331556_558405.jpg 午後から読みかけの本を読み始める。パンツの話が面白かったので、この人どんな小説を書く人なんだろうと思い、適当に手にした本だ。適当と書いたが、表紙の絵が気に入って選んだ。川上弘美さんの『古道具 中野商店』という本。この“古道具 中野商店”というのが縦書きのゴム印を押したように真ん中にあるのが面白い。
 話はゆったりと時間が流れるお店で働く人たちが繰り広げる話だ。それぞれが生きることが不器用な男と女がお互いの気持ちのちょっとしたすれ違い、もどかしさを描いている。ただ波瀾万丈で、波あり谷ありの起伏の激しい話ではなく、ごくごく平凡な日常中で起っている話になっている。お店が扱うのが骨董ではなく古道具というのがミソかもしれない。


 新しかったりこぎれいだったりすることが、価値を減らす、へんな世界。


 読んでいてもどかしいな、とは思ったりするけれど、案外男と女の機微というのはこんなものじゃないか、と思ったりする。


 丸山って、文鎮みたいなのよ。マサヨさんは言ったのだ。ヒトミちゃんも、そう思わない。男が上にのっかってくるときって、文鎮に押さえられている紙に自分がなった気分にならない。

 マサヨさんにそう言われて、かつては自分もぺらぺらとした紙で、ずっしりした文鎮に押さえつけられたことがあったような気分になってきた。
 「タケオって重いかな」だんだん酔ってきたらしい。そんなことをわたしは聞いていた。


 こうやって死ぬまで一生、不安になったり怖がったり茫然としたりして過ごしてゆくのかと思うと、今すぐ地面に寝そべってぐうぐう眠ってしまいたいくらい、気が重くなった。でもそれでもタケオが好きだった。好きをつきつめるとからっぽな世界にいってしまうんだな。わたしはぼんやり思った。


 のたれ死にしているタケオのことを思うと、ちょっといい気味だった。いい気味、という気分はすぐ消えて、そういうことを感じるのって、めんどくさいな、生きるのって、ほんと、めんどくさいな、と思った。恋愛、もうしたくないな。肩凝り、なおるといいな。貯金、今月はけっこうできるかも。小さな泡みたいに、少しずつ思った。


 しばらく沈黙がきた。
 ごめん。
 小さな声で、タケオが言った。
 え。
 ヒトミさんに、おれ、ひどかった。ごめん。
 タケオは言い、頭を下げた。
 いや、わたしこそ、子供で。
 おれも。
 しばらく、二人で、なんだか頭を下げあっていた。
 酔っぱらっているせいか、涙腺がゆるくなっている。うつむいたまま、ちょっと泣いた。いちど泣きはじめると、そのままどんどん、泣けた。
 ごめん、タケオは何回も言った。悲しかったよ。わたしが答えると、タケオはわたしの肩に手をまわして、少し抱きしめた。

 「やめないで、どんどん行っちゃえー」とマサヨさんは、タケオの方を人指し指をつきだしながら、酔いのにじんだ声で言った。


 もどかしく、ちょっと悲しいが、それでもそのことがいつのまにか幸福感を感じさせる話であった。


川上 弘美 著 『古道具 中野商店』 新潮社(2005/04発売)
by office_kmoto | 2014-03-12 06:00 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

震災からもうすぐ3年

d0331556_6502010.jpg 伊坂幸太郎さんの『仙台ぐらし』というエッセイを読んでいたら、次のような文章があった。


 先行き分からない上に、原発事故なる問題もあるのだから、絶望的になるなというほうが無理がある。これから状況が落ち着いてくれば、また別の種
類の不快な悩みが出てくる可能性がある。心無い人が現われ、被災地の人が苦しめられるような予感もある。


 伊坂さんは仙台で暮らしている。だから東日本大震災を直に体験している。この文章は震災1ヶ月後に書かれた文章だ。“嫌な予感”は予想通りあったことを、私は他の本で知った。知ったと言うより、「やはり」という気持ちの方が強い。それは震災直後の混乱の中で行われた行為、復興という美談に隠れた、いや公にされない陰の部分。それは美談一色で塗りつぶされた報道にはない、“嫌な部分”である。




 d0331556_6514779.jpg本は石井光太さんの『津波の墓標』という本である。


 窮した者たちの一部はやむを得ず、コンビニエンスストアの窓ガラスを割って陳列された食べ物を取ることがあった。飲み水がない場合は、自動販売機を壊して缶ジュースを持ち出したし、コートや長靴がなく外を出歩けない場合は、アウトドアショップやアパレル店が狙われた。


 とはいえ、現地ではこうした盗難は「現状ではやむを得ないこと」として目をつぶろうとする空気があった。店から商品を盗み出すことは違法だが、津波の被害を受けた町では寒さをしのぎ、食べ物が行き渡ることが最優先されなければならない。そのため、暴力的な略奪でない限りは、地元の警察も消防団なども必要以上に追求しようとはしなかったし、またそこに人員を投入する余裕もなかった。
 だが、被災地で起きていた略奪はそのように割り切れるものだけではない。食糧以外のもの、たとえば高級ブランドを売る店のドアがこじ開けられ、有名海外ブランドのバッグが奪われたり、銀行や郵便局のATMから現金が奪い取られたりしたこともあったのだ。警察庁の発表では、震災発生から六月末までの約3ヶ月半、岩手、宮城、福島で起きたATM強盗の現金被害額は約六億八千万円に達している。


 「一日歩いていれば、あんなガキはいくらでも見ることができるよ。あくまでも噂だけど、遺体についているダイヤの指輪を盗むやつとか、郵便局から札束をごっそり盗むやつとかもいるらしい。盗みだけならまだしも、若い女の子を襲っているという話さえある。津波で家も家族も失った女の子がレイプでもされようものなら、二度と立ち上がれなくなっちまう」
 死体から所持品を盗む人がいるという噂は頻繁に囁かれていた。大半は噂の域を出ないものだと思うが、それが当然のように語られるほど窃盗は多発していたのである。


 彼ら(野次馬)は恋人をともなったり、友達とともに一台の車に便乗してやってくると、窓からカメラを出してシャッターを押しつづける。そして車を降りると、勝手に半壊した民家に入って行き、「すげー」とか「絶対、死体あるぞ」などと言いながら遺された家具を漁るのだ。


 当初、避難所では全員が団結して助け合って生活をしていた。だが、そこでの暮らしが長引くにつれ、子供たちの間ではたまった鬱憤を晴らすように、いじめが横行するようになった。


 「今は、親たちも自分の子供のいじめに注意を払っている余裕がありません。市の関係者は避難所の運営や遺体捜索に忙殺されていますし、避難所に残っている人たちもその手伝いなどで忙しく働いています。震災の日から十日間一度も休んでいないという人だって大勢いるのです。残念ながら、子供は放置されており、それがいじめに拍車をかけることになっているのです」震災から二、三週間経つと、被災地では自分で撮った津波の映像をCD一枚数百円から千円ぐらいで売り歩く人間が現れていた。


 今回の震災でマスコミはボランティアと地元住民の関係を美談としてばかり語っていたが、そのボランティアにしても半ば興味本位で参加した者もある。


 現実的には、ボランティアの数が増えれば増えるだけ、地元の人との衝突も多くなっていった。 
 地元住民がよく怒りをあらわにしていたのが、ボランティアが物珍しそうに被災地の写真を撮ることことだった。携帯電話のカメラやコンパクトカメラで瓦礫を撮影するだけならともかく、記念写真のように集まってVサインをしたり、「すげー、すげー」と言って通りがかる人までビデオカメラで撮影したりしていたことが許せなかった。


 ボランティアにきた人たちだけではない。被災者がボランティアび来た人たちに対して礼儀を欠くということもあった。


 「避難所で暮らす男性に何度も性的嫌がらせを受けたんです。働き方が悪いと難癖をつけられては体を触ってきたり、みんなの前で突然いやらしいことを言ってからかってきたり・・・・」

 「そのことは避難所の管理をしている人に言ったんですか」と私は訊ねた。

 「もちろんです。そしたら、『避難所の人たちは家を失ってつらい思いをしているから仕方がない』って言われて片づけられました。他の被災者に相談しても、あっちは地元の結束があるから助けようとはしてくれません」


 マスメディアは震災以来、被災者を悲劇の主人公として扱ってきた。それはそれで間違いではない。だが、それがあまりに過剰になりすぎたために、彼らは何をしても許されるという事態が一部で起きているのではないか。


 伊坂さんは次のようにも言っている。


 理不尽な出来事に巻きこまれた人には、その当事者とならなければ分からないことがたくさんあるに違いない。「想像力」ととても大事なことだけれど、それは安易に使ってはいけない言葉のように、感じてきた。僕には、大きな被害に遭った人たちの大変さは、ずっとわからないままだと思う。

 もうすぐ震災から3年になる。


伊坂 幸太郎 著 『仙台ぐらし』 荒蝦夷(2012/02/18発売)

石井 光太 著 『津波の墓標』 徳間書店(2013/01発売)
by office_kmoto | 2014-03-09 06:57 | 人を思う | Trackback | Comments(0)

古本関係の本2冊

 古本関係の本を2冊読む。一冊はマーク・プライヤー 著 『古書店主』、もう一冊がアリソン・フーヴァー・バートレット 著 『本を愛しすぎた男―本泥棒と古書店探偵と愛書狂』である。
d0331556_1026242.jpg 『古書店主』ははっきり言って面白くなかった。主人公ヒューゴー・マーストンは元FBIのプロファイラーで、現在はパリのアメリカ大使館に勤務し外交保安部長として要人・来賓の警備の指揮を執っている。話はセーヌ左岸の“ブキニスト”と呼ばれる古書露天商が並ぶ場所で、ヒューゴーが友人の老ブキニスト、マックスから古書を二冊買ったあと、マックスが拉致される現場を見てしまったところから始まる。
 ヒューゴーがマックスをいろいろ調べているうちに、彼がナチ・ハンターだったことがわかるが、その後別のブキニストたちも消えていく。話はナチの話から、麻薬の勢力争いと展開していくのだが、結局古本とはそれほど関係なくい物語であった。
 書名の『古書店主』とあるから、古本にまつわるミステリーと期待して読んでいたので、古本ミステリーにある不思議さやおどろおどろしいものが感じられなかった。強いて言えばこれまでの古本ミステリーにない銃撃戦が新しかったかな、と思われるけど、どうもそれは古本ミステリーには似合わないような気がする。

d0331556_1027242.jpg 『本を愛しすぎた男―本泥棒と古書店探偵と愛書狂』の方が興味深く読めた。こちらは副題にある通り、本泥棒と古書店探偵と愛書狂の関係を書いているノンフィクションである。著者が本泥棒とビブリオディック(古書探偵)に興味を持った経緯は次の通りである。ここに登場する本泥棒はジョン・ギルギーで、古書探偵が古書店主ケン・サンダースである。
 2005年、サンフランシスコ在住のライターである著者が、友人からピッグスキン(豚皮)の皮表紙に真ちゅうの留め金がついた五キロ以上もある立派な装丁の本を預かるところから始まる。それは友人の自殺した弟が女友だちからやはり預かっていた本で、「彼女が勤め先の大学の図書館から持ち出したまま返し忘れた本だから、匿名で返却してほしい」というメッセージがついていたそうだ。著者は人脈をフルに使って、その本が1600年代に書かれたドイツ語の『薬草図鑑』であり、三千ドルから五千ドルもする稀覯本であることを突き止めるが、図書館に問い合わせると、司書から「当図書館の蔵書ではございません」という返事が届く。
 納得のいかない著者は『薬草図鑑』を預かったまま、稀覯本をめぐる世界について調べ始める。古書業界の意外なしきたりや「愛書狂(ビブリオマニア)」と呼ばれる一部のコレクターの奇妙な生態など興味が尽きなくなる。その興味をさらに湧かせるのが本泥棒の話であった。
 ではなぜこの図書館は盗まれた(この場合返却し忘れた)本を自分のところの蔵書ではないというのであろうか。


 ケン・サンダースによれば、稀覯本の盗難事件の難しさは、多くの古書店主が被害にあったことを公表したがらない点にあるそうだ。本がいかに巧妙に盗まれたかは関係ない。被害にあった店がじゅうぶんに警戒していなかったのだと、古書業界で、さらに貴重書籍専門の図書館司書のあいだで噂されることが問題なのだ。数百万ドルの取り引きが握手ひとつで行われる古書業界では信用が第一だ。盗難の被害を公表すれば、信用できない店としてブラックリストに載せられることもあるかもしれない。当然、それを危惧する古書店もあるだろう。「盗難にあったという汚点がついてしまったら、一巻の終わりだ」とマッキトリックも言った。確かに古書店はコレクターから売却を依頼されて、高価な愛書を預かることが多い。盗難されやすい店という評判が立てば、商売に直接影響が出る。


 著者はケン・サンダースと話しているうちに、本泥棒のジョン・ギルギーのことを知る。これが面白い。彼がどうやって本を盗んだのか。そしてその動機は何なのか。


 今の私をつき動かしているのは、サンダースの物語とギルギーの物語への興味と、ふたりが正反対の人生をどんなふうに送り、どんなふうに関わり合ったかを突き止めたいという思いだ。そして、ほかにも答えを出そうとしていることがある。なぜギルギーは本に対してあれほど情熱的なのか、なぜ本のために自分の自由さえ危険にさらすのか、そしてなぜサンダースはギルギー逮捕にあれほど躍起になっているのか、店の経営を危うくしてまでなぜそうするのか。私はその答えを導きだすために、ひとりひとりと多くの時間を過ごし、ふたりに共通する領域(本の蒐集)の奥の底まで探検することにした。


 まずはギルギーの本の盗み方である。彼は高級百貨店チェーンのサックス・フィフス・アベニューのクリスマス商戦用店員となる。そこはギルギーにとってほぼ理想的な職場であった。ギルギーが仲間入りしたいと切に願ってきた富裕層の人々(必ずしも学歴や教養があると限らず、大きな書斎があるわけでもないが)とふんだんに話す機会が持てたからである。しかもそこで顧客のカード情報を手に入れることができた。その番号を使って本を盗んでいく。古書店に在庫を電話で問い合わせ、その在庫があると盗んだカード番号を告げていったん電話を切る。そしてそのクレジットカードがカード会社から使用許可が出たことを確認した上で後で取りに伺うと言う。


 その年の春、ギルギーは月に一冊か二冊くらいのペースで本を盗んだ。彼は盗むのもうまかったが、それを正当化するのもうまかった。彼は私にこんなふうに説明した。高級古書店の棚に並んだ高価な本を眺めていると、店主の個人コレクションのように見えてくる(実際は違う)大した金持ちだ!こんなにたくさん持っているなんて!自分は一冊の本を買うのに、大金を払わないといけなない。なんて不公平なんだ。一万ドルや四万ドルや五十万ドルの値がついた本は、彼には手が届かない。彼は「正当な義憤」を感じる。どうやって手に入れようかと考える。そして、自分こそ持つにふさわしいと思った本は、自分のものにする。

 だから、自分の貴重書籍のコレクションが別のコレクターや古書店主よりも劣っていると思ったら、世界は「不公平」だと考えてしまう。そして彼流の「仕返し」をする。


 ABAA(アメリカ古書籍商組合)のホームページの記事で本泥棒を五つのタイプに分類しているという。まず、盗まずにいられない「窃盗狂」の泥棒。金欲しさに盗む泥棒。怒りにまかせて盗む泥棒。出来心で盗んでしまう泥棒。自分のために盗む泥棒、というわけだ。ギルギーは最後の「自分のために盗む泥棒」といっていいだろう。
 そこで著者は「ギルギーが抱いている自分の稀覯本コレクションを人から賞賛されたいという強い欲求は-かなりいき過ぎてはいるが-異常とは言えない。多くの点で、ギルギーはほかのコレクターとそれほど違わないように見える」と言う。


 コレクターは蔵書が増えれば増えるほどもっと欲しくなるものだが、この点でも彼はほかのコレクターと同じだった。コレクターの口癖の通り、本を蒐集していると飢餓状態にいるようなもので、一冊手に入れたからといってもうそれで満足ということにはならないそうだ。


 しかし彼らは、本を自分のものにせずにいられない。走り出したら止まらないのだ。


 ギルギーが稀覯本コレクターと大きく違う点は、本を盗む犯罪を繰り返すという点だ。しかし「多くのコレクターは蒐集という行為を通して自分のイメージを構築するが、ほとんどの人は一線を超えたりしない。どんなに欲しくても盗んだりしない」コレクターが泥棒へ変貌するには、道徳的にも倫理的にもかなりの飛躍が必要である。しかしギルギーはその一線を超えた。それは本をただで手に入れることが、彼流に言えば-本の魅力がさらに増すことにもなるからだ。それがギルギーが本を次から次へと盗む理由であった。


 彼を一言で表せと言われれば、次の三つを信じている男と答えるだろう。(1)稀覯本のコレクションを所有することが自分のアイデンティティの究極の表現であると信じる男。(2)そのコレクションを手に入れるためならどんな手段も公平かつ正しいと信じる男。(3)そのコレクションを一目でも見れば、人はそれを蒐集した男、つまり彼を賞賛するだろうと信じる男・・・・・。


 たぶんギルギーは自分の本のコレクションを人に見せびらかしたいはずだ。そして自分はこの本を所有する資格のある人間だと思っているはずだ。ただ自分のコレクションが絶賛されることを夢みているギルギーは、それを見せびらかしたくてもそれが出来ないジレンマに苦しんでいた。本が盗品であるからである。そんなことをすれば捕まってしまうし、コレクション失ってしまう。だから自分のコレクションに加える本はどれも他人が目にすることはできない。しかしギルギーが本を盗みながら自分のコレクションを充実させてきた。それが彼の野心であり目標であったはずだ。著者はギルギーが「そこそこの成功をおさめた幸せな人間に思えてきた」と妙な感慨に陥っている。
 一方サンダースはもう蒐集していないと言ったが、本の仕入れとは蒐集の代行行為であり、店に並んだ本は蔵書の一部に過ぎないと彼も認めている。彼は毎日本を売っているが、それ以上買っている。
 要するにコレクターもギルギーのような泥棒も愛書狂であることは変わりがない。本に対する偏執狂的なこだわりは同じである。要はその本を手に入れる手段の違いだけになってしまう。だから著者がギルギーを「そこそこの成功をおさめた幸せな人間に思えてきた」と感じてしまうのもわからないわけではない。
 また本泥棒を捕まえるサンダースにしたって、同じ愛書狂であることがわかる。本泥棒も古書店主もどちらも同じ愛書狂でその差は紙一重であるということである、ということがわかってくる。
 コレクターというのはどこかコレクションに異常性を持っていて、それはときに興味のない人にはわからない世界である。


マーク・プライヤー 著 /澁谷 正子 訳 『古書店主』 早川書房(2013/12発売) ハヤカワ文庫

アリソン・フーヴァー・バートレット 著 /築地 誠子 訳 『本を愛しすぎた男―本泥棒と古書店探偵と愛書狂』 原書房(2013/11発売)
by office_kmoto | 2014-03-05 10:34 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

「理不尽」の収め方

d0331556_6341619.jpg 齋藤 一郎さんの『出版営業百ものがたり』 を読んだ。この人のコラムを業界紙で読んでいたことがあった。
 私も書店時代多くの出版社の営業マンと会って、話してきた。当時は今よりせせこましい時代じゃなくて、顔なじみの人が来れば、喜んで隣りあった喫茶店に誘い、仕事の話だけでなく、馬鹿話をして長時間店をあけても問題がなかった時代であった。仕事の息抜きみたいなところが私にはあった。日によっては一日に何人もの人が見えて、さすがにもうコーヒーは飲めないというときもあった。
 著者の斎藤さんが言うとおり、彼らは「アポイントなしに突然訪ねる出版営業」なのでそういうことになる。この本を読んで面白かったのは、雨の降る日の営業は総武線沿線のお店を訪ねることが多いと書いてあった。雨に濡れずに営業できるとなれば駅ビル内の本屋さんなんか最高だったろうと思ってしまう。私のいたお店はその沿線上にあったことはあったが、外に出ないとならなかったから、果たして雨の日はどうだったんだろう、と思いだしてみるが、記憶にない。
 営業マンはお店にある棚の本を整理し、破れた帯など棚の奥にあるのを取り除いたり、カバーを替えたりして、在庫をチェックし、欠品を注文書に書き込む。そして新刊案内をして、追加注文を取っていく。まさしく「営業というものが、そもそもアナログなのである」を地で行く。
 この本を読んでいて、ふと昔出会った出版社の営業マンの顔が浮かんだ。何人もの営業の人と会っていたが、特に思い出すのが新潮社のMさん、NHKのKさん、日本経済新聞のKさん、情報出版センター出版局のTさん、名前は思い出せないけれどPHPの女性である。これらの人は今でもいくつか思い出すことが出来る。新潮社のMさんは三和図書のOさんを通して知りあいになり、香港でもお世話になった。よく「店長、店長」と言って、天下の新潮社の営業が、小さな店の人間である私を相手にしてくれた。NHKのKさんもやはり三和図書で知りあい、私のことをよく「おまえなあ」と言って、ざっくばらんにいろいろ話をしてくれた。日経のKさんもよく店に来てくれ、夜、酒も飲みに行った。店に越乃寒梅があるからそれを飲みましょうよ、と言って飲んだ。皆さんバリバリの営業マンや出版社の幹部だった。そして一癖も二癖もある人たちだった。私は当時若かったから、ほとんど子ども扱いだったけれど、それでもやさしくしてくれた人たちだった。
 その中で情報出版センター出版局のTさんはおそらく私と同年代だったと思う。でも彼が一番話したかもしれない。それだけ店に来ていたということだろう。あの頃の情報出版センター出版局は椎名誠をデビューさせ、出す本、出す本が売れていった頃だ。それに実際あの頃の椎名誠は面白かった。新刊が待ち遠しかった。
 椎名誠さんの新刊が出るとなると、実物見本を持ってきて、「これです」と私に見せ、私が当時椎名さんのファンだったので、その見本をくれたりした。だからまだ書店に並ぶ前に椎名誠さんの本を読んだことになる。
 彼は自分で出版社を起こしたいと野望を持っていて、そのための資金を稼ぐために遠洋漁業に出て行った。たぶんその夢は果たせなかったのだろう。しばらくして証券会社の営業をやっていると聞いたことがある。私の結婚式のとき、夜ホテルにお祝いの電話を掛けてきてくれたのも彼であった。
 みなさんもういい歳になっていることだろう。会社も辞めておられるだろう。こうして思い出すと、もうお会いすることも出来ない分、妙にあの頃が懐かしくなってしまう。

 出版の営業は、日本全国津々浦々まわるわけだから、その苦労話はこの本を読んでいるとよくわかる。


 胃薬は長い友達である。告白すると、僕は書店の何人かと一緒に作った「胃・十二指腸潰瘍友の会」の正会員なのである。(想像力のない人)


 それでもささやかな楽しみ方もあるようで、それを読んでいると微笑ましい。


 関西へ出張した帰り道に限って、新幹線はグリーン車を利用することにしている。近頃は格安チケットを売る店が増え、これを使うと大阪~東京間でも、正規に買った指定券との差が出る。さらに少額を足すと、グリーン車に乗ることができるのだから有り難い。


 会社から切符を支給されてしまう場合は無理だが、そうでない時はみんな格安切符を買って、昼飯代にしたりしている。出張族のささやかな余録なのである。(グリーン車盗難記)


 今はどんどん街中の書店がつぶれていく時代である。だから営業で回るための地図がどんどん変わっていくと言う。


 本が売れないと言いつつも、相変わらず新規出店が多いことに驚かされる。一方では毎年1000軒を越す書店が廃業や転業をしているのだから、書店を回る出版営業の地図はは、書いては消しの繰り返しである。


 ところで、営業でよく行っていたお店の店長さんが斎藤さんに会いたいと会社まで来た人の話が身につまされた。


 「実は、お店を辞めてしまったんですよ」

 店長の役目は終わったんだと、彼は静かに話した。六十歳近くなってから転職しなければならなくなったというのに、彼の口からは店の悪口を聞くことはなかった。そんな馬鹿な話があるものかと思うが、返す言葉がないのだった。
 「三十年以上、夜遅くまで店にいたでしょう?辞めてみて初めて、家の近くにこんな店があったのかなんて驚いてみたり、何でもすごく新鮮に思えるんですよ。乗換えの駅で初めて降りてみたりね。とても面白いんですよ」と店長は明るい笑顔で話した。(「あるリニューアル」)


 「役目」か・・・。

 人にはそれぞれ役目があって、それが終わった時が“引き際”なんだろうけれど、問題はその幕の下ろし方だ。自分から幕を下ろすなら、納得ずくだろうが、人によって強制的の下ろされた場合だ。
 世の中にはこうした理不尽さがつきものだと、伊集院静さんなら言いそうだ。しかし、たとえ結果として最終的にそこに落ち着くとしても、その真っ只中に自分がいるときは、そうした悟りの境地というか、諦念みたいな気持ちにすぐなれないと思う。まして人生の大半をそこにつぎ込んでしまった人間にとっては、そうそうそんな境地にはなれない。
 そして役目を強制終了させられた人もそうだけれど、その話を聞く人もやりきれないだろう。私も今、この店長さんと同じ境遇に身を置いているので、それがよくわかる。
 自分も今まで仕事が最優先してきたことで、感じ、見えなかったものが、出来ることを確かに新鮮ではあると人に言っているが、ただ言ってしまったあと、どうしても寂しさを伴ってしまう。もしかしたらそれを言うことで、自分自身なんとか折り合い付けようとしているのではないかと思ってしまう
のである。


齋藤 一郎 著 『出版営業百ものがたり』 遊友出版(2010/02発売)
by office_kmoto | 2014-03-04 06:38 | 人を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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