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小路幸也 著 『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ 』

d0331556_1317435.jpg 五年連用日記を使っていると、去年の今ごろがおおよそわかってくる。この「東京バンドワゴン」シリーズは毎年今ごろ新作が発売されている。なので今年もそろそろだな、と楽しみにしていて、発売されるとすぐ読みにかかる。
 もうシリーズ9作目だ。さすがに1年に1回とはいえ、9作目となると、この堀田家のの複雑な人間関係は頭に入っている。だから今回はいちいち登場人物相関図を見なくても、話に出てくる名前の人間がどういう人間かわかっている。
 今回もサチさんの堀田家の説明から始まり、話の一話一話、朝の食事模様から話が進んでいく。大勢の家族が好き勝手なことを言う場面は毎度お馴染みだ。勘一の味覚の異常さも同じ。
 家業同様、みんな変わらない。その中で季節が変わり、少しずつ月日が経っていくのだが、その時間がゆっくり流れているので、その変化がわからないし、基本は何も変わらないでいる。サチさん言葉がいい。


 古いものが変わらずに変わらずあるというのは、良きものは時を超えていつまでも残るということです。お人柄もそうですよね。長い年月の間に様々な経験を重ねて変わってしまうところ、薄れてしまうところはあるものの、三つ子の魂百まで。根っこのところでは人間そうそう変わるものではないのです。少しばかり合わないなと思った部分も、年を重ねていけばそれもまた味と思えてきたりもしますよ。


 変わりのない毎日は退屈などではなく、それが心地よいから変わる必要も、そうして代えもきかないものなのですよ。何をどう選ぶかは人それぞれですが、少なくとも我が家は創業当時から変わらないことを選び、こうして古いものに囲まれて時を過ごしているのです。


 家族が多くて、みんなが集まってくれば、家族の誰かか子供を見ているし、その成長を見守っている。家族でなくても深い付き合いがあれば、堀田家は同じように見守ってくれる。
 小料理居酒屋の<はる>の真奈美さんが母親の介護で忙しくなれば、息子の真幸を預かってもいいと勘一は言う。


 「おう、そうよ。ほら真幸の世話が大変ならよ。うちにちょいと置いておきゃあいいんだ。誰かが面倒見るからよ」
 「そうだよ真奈美さん。遠慮なんかしないでよ?」
 青が言って紺も頷きます。そうですよね。我が家には常に人だけはたくさんいますし、子供が泣けば飛んできて皆に知らせるアキとサチもいますから平気ですよ。


 大人にしても、これだけ人が集まれば“暖かみ”があるものだから、誰か問題事、相談事を持ち込んでくる。堀田家の家訓の一つに<文化文明に関する些事諸問題なら、如何なる事でも万事解決>とあるとあるが、文化文明などという大げさな問題でなくても、人が生きている間に生じる問題をこの家族は円満に解決してくれる。そういう暖かさがこの話の世界にあるものだから、毎年新作を楽しみしているのである。


小路 幸也 著 『オール・ユー・ニード・イズ・ラブ - 東京バンドワゴン』 集英社(2014/04発売)
by office_kmoto | 2014-04-28 13:20 | 本を思う | Comments(0)

街路樹

 先日川崎で街路樹の枝が折れて、6歳の少女が大けがをしたという事故があった。枝の重さは20キロもあったという。まさに貫井徳郎さんの『乱反射』だな、と思った。
 『乱反射』の場合、人々の「まあいいか」という意識が重なって、木が倒れたことになっているが、今回の事故はこの前の大雪で痛めつけられたのと、もともと腐っていた枝が折れて起こった事故のようである。
 道端に植えられている街路樹がどこまで管理されているのか、あるいは出来るのか、解らないが、いずれにしても木々の緑や花を悠長に眺めていられない。結構街路樹が倒れてきて事故になることが多いようだ。

 私の家の近くにある大きな通りには今、ハナミズキが満開である。この通り、別名「ハナミズキ通り」と称している。このほか、近所の歩道にはかなりの数のハナミズキが植えられている。
 ちょっと前まではこのハナミズキの花はかわいいな、と思っていた。遠くから見ている分には、白やピンクの花がかわいらしく見えるが、近くによって見てみると、それほどきれいな花とは思えなくなった。むしろ“汚い花だな”と思ってしまった。花びらの先端が割れていて、黒っぽくなっているのが特徴のようであるが、それが花を汚らしく見せる。それに妙に造花っぽい。



d0331556_20213018.jpg たまたま読んでいた奥本大三郎さんの『マルセイユの海鞘(ホヤ)』に次のようにあった。


 最近ではアメリカハナミズキが加わった。あの何だか造花のような安っぽい花は日本の風景に合わない気がする。アメリカあたりのペンキ塗り住宅にこそ合え、日本の風土には似合わない。それにあれも植えすぎると花粉症を引き起こし、文字通り「亜米利加洟木」になってしまう。


 これはここのところ私がハナミズキに対して感じていたことで、深く同意してしまった。別にハナミズキに恨みはないが、この花は近くで見るものじゃないということだけは、最近思うのである。
 奥本大三郎さんは、「日本の街路樹は実につまらん、と思うのである」と言っている。ただ緑を増やすだけの目的で植えるより、せっかく木を植えたのだから、鳥や虫が寄ってくる木は植えればいいのにそうはされていない。自然環境の整備というならそういうところまで配慮して、鳥や虫が寄ってくる木々を植えるべきだというのだ。まさに虫好きの奥本さんが言いそうな言葉であるが、ただそんな木を植えて、鳥や虫が寄ってくれば、住民たちに文句を言われるから、そのような木は植えられないだろう。
 管理が簡単とか、花がきれいだとか、そういう視覚的なところで選ばれた木々が植えられている。ソメイヨシノがよく植えられているのも、日本人のサクラ好きを知っているからで、みんなから喜ばれるから多く植えられているのだろう。しかしソメイヨシノは自然の木じゃない。人工的に作られた木だ。
 奥本さんは「ソメイヨシノはクローンだし、寿命はごく短い。ある時一斉に枯死することを皆知らないのか!と何だか馬鹿々々気がした」と書いている。
 調べてみるとソメイヨシノの寿命は60年ぐらいだという。まさか花が咲いているときに倒れてくることはあるまいが、あるとき桜並木があることを喜んでいたら、急に倒れてくることもあるかもしれない。
 サクラが終わって次はというところで、ハナミズキが選ばれたのかもしれないが、あまり植えすぎる花粉症になるぞ、奥本さんは言っているから、そこは考えて欲しいものである。ただ植えればいいというものじゃない。
 それに街路樹の管理って、国や地方自治体だけに任せておけないところがある。付近の住民も大変なのだ。昔いた店の前に銀杏が植えられていたのだが、秋になると黄色い葉っぱがどんどん落ちてくる。それこそ掃いても掃いても切りがない。その上ぎんなんが落ちてきたら最悪だ。銀杏は東京都の木になっていたはずだが、結構強い木だから、排気ガスでやられない。だから道端に植えられて、多くあるのだろう。しかしあの時期は落ちてくる葉っぱやぎんなんでイヤになり、切り倒してやりたい気分であった。それが出来ないからせっせと掃除をする。そのままだと店の前が汚くなってしまうからだ。
 そういえばサクラが終わって花吹雪が舞っている頃、散歩していたら、付近の住んでいるおばちゃんたちが同じように、「掃いても掃いても切りがないわよね」と話しているのが聞こえた。

わかります。

 都会で自然と共存するというのは、倒木の危険だけでなく、こうした我慢も強いられる。なかなか虫まで気が回らない。


奥本 大三郎 著 『マルセイユの海鞘(ホヤ)』 中央公論新社(2013/12発売)
by office_kmoto | 2014-04-25 20:28 | 街を思う | Comments(0)

横山 秀夫 著 『64』

d0331556_6302933.jpg ロクヨンとは、たった七日間で幕を閉じた昭和64年にD県警の管内で初めて起きた本格的な誘拐事件「翔子ちゃん誘拐殺人事件」を示す符丁である。身代金二千万円をまんまと奪われ、攫われた七歳の少女は無惨な死体で発見された。今だ犯人不詳で、事件は解決していない。
 そしてこの未解決事件の視察に警察庁長官が視察に来るというのだ。被害者の父親雨宮を長官が慰問し線香をあげ、その後ぶらさがり記者会見で刑事部長ポストにキャリア組の有能な人材を据え、本庁との連携のもと、D県警の能力を最大限に引き出してロクヨン捜査に当たる、とテコ入れ策を表明する。

 D県警には警務部と刑事部の内紛があり、ロクヨンに関して警察庁長官が視察に来るというのには、ロクヨンが今だ解決していない刑事部にとって最大の痛い点であり、それを警務部が突っついて県警の主導権を取ることが目的であった。


 事件を解決できる見込みがないことは百も承知の本庁が、ロクヨンを俎上に載せた理由は一つ、もっともらしく形を整えてポスト奪うためだ。見てるがいい。ロクヨンが解決しようが時効を迎えようが、その後もD県警刑事部長の椅子にはキャリアが座り続ける。
 刑事部長ポストがキャリアの指定席となっている警察本部は全国で十に満たない。いずれも大都市圏で、他の大多数の地方警察では刑事部長の「地産」が長い年月守られてきた。もとより本庁の地方支配は、国家警察の完成形に近い。ナンバー1、2の本部長と警務部長をキャリアが総ナメにし、公安を内包する警備部長ポストも然りだ。これ以上の浸食は自治体警察の理念や定義すら揺るがしかねない。刑事部長ポストは、だから地方警察が自治体警察であり続けるための最後の砦なのだ。
 何より人心がぐらつく。地元生え抜き警察官にとって、刑事部長は単なる重要ポストではない。自分たちが達しうる出世の最高地点であり、それはまさしくムラに聳え立つ霊峰だ。自分は無理でも、自分たちの代表が常に頂きに立っている。普遍性がもたらす心理的影響は計り知れない。富士山の近場で育った人間が富士山を抜きに己の人生を語れないのと同じだ。東京支配が際限なく進む中、それでも地方警察官が「我々の組織」「我が県警」と胸を張って言えるのは、ともに巡査から叩き上げた同胞がキャリアと肩を並べ、最高幹部の一人として組織に君臨する現実があってこそだ。
 それを奪うと言うのか。地方警察にたった一つの残されたプライドを引き剥がし、身も心も完全にひれ伏せというのか。
 三上は天を仰いだ。


 D県警察本部警務部秘書課調査官<広報官>警視三上義信はロクヨン事件で当時捜査一課の特殊犯捜査係に在籍していて、「直近追尾班」の一員として身代金の受け渡し場所に向かう父親の車の後を追っていた。
 今は三上は広報官で警務部所属であっても、刑事部として「生粋の刑事」の気持は生きてきた。だから警務部の陰謀に加担する側にいることに悩むのである。
 しかし三上は赤間の策略に元刑事部刑事として不快感を持ちながらも、それに従わざるを得なかった事情がある。三上の娘あゆみが失踪し、捜索願を警部部長に依頼し、その手配を全国の警察にしてもらっている“負い目”があったのである。
 その三上に赤間より、ロクヨンの被害者の父親である雨宮に長官の慰問を受けるよう説得するように命令される。三上は雨宮を訪ねたが、雨宮に長官の慰問の件は断られる。三上は雨宮が長官の慰問を拒むのに何か引っ掛かった。

 ここに「幸田メモ」というものが三上に情報として上がってきていた。幸田の名で思い当たるのは、ロクヨンの「自宅班」にいた幸田一樹であった。その幸田が作成したメモにロクヨンに隠された重要な情報があること。それが公表されると、D県警の刑務部と刑事部の紛争において、刑事部にかなりのダメージを与える情報であることがわかってくる。
 三上は今もロクヨンの専従班である柿沼から「幸田メモ」の内容を聞き出した。柿沼は事件後退職し、行方をくらましていた幸田を未だ監視することで未だにロクヨンの専従班に「塩漬け」されていたのである。
 実は翔子ちゃん誘拐事件の犯人の脅迫電話は公表された二本とは別にもう一本あり、それを警察は記録し損ねたのである。犯人はしたたかで警察が待機している雨宮の自宅に電話をすると自分の声が録音されることを知っており、そのため雨宮の会社に身代金の要求電話してきた。
 しかし犯人は雨宮の自宅に電話をしていたのであった。それを警察が「取り逃がした」のであった。録音するテープレコーダーが回らなかったのである。そのことでNTTの元職員の日吉は焦った。結果翔子ちゃんは殺され、日吉は責任を感じ、以後引きこもりとなる。
 「幸田メモ」とは自宅にもう一本犯人から電話があり、それを「取り逃がした」ことを刑事部長が隠蔽したことを記したものであった。これが公表されると刑事部にとって爆弾となる。刑事部はロクヨンに関して箝口令を引き、一切口を開かなくなる。 
 また刑事部もそのまま黙っていない。警務部の攻撃に対して、刑事部は反撃に出た。同じD県警のF署の留置場で留置係の巡査長がわいせつな行為をしたとリークした。留置管理は警務部の所管であり、そこで不祥事が起こったことが公になったのである。

 そんな中D県警の刑事部が丸ごと消えた。目崎正人の娘で女子高生である歌澄が誘拐される事件が起こったのである。しかも長官が視察に来る日にである。事件はロクヨンに酷似していた。三上は捜査中の刑事部に潜入する。そしてこの誘拐事件捜査がロクヨンの捜査でもあることを知るのである。


 「これは狂言誘拐の捜査じゃない」

 「お前がもたらした情報が端緒になった。この車は今、ロクヨンの捜査指揮を執っている」

 と捜査を指揮する一課長の松岡から聞く。

 三上の家には無言電話が数度あった。三上と妻の美那子はその電話が家出をしたあゆみからの電話だと思い込んでいたが、そうではなかった。無言電話は警察内の人間にもあった。松岡、三雲、三上、村串、そして目崎と。それは一直線に並ぶ。「マ行」はすべて最近掛かってきた電話であったからこそ、記憶に新しく「噂」にもなり得た。松岡は「マ行」だけに捕らわれるのは危険だと考え、「ハ行」のケツや「ヤ行」のアタマも潰しに掛かり、「マ行」の連続性を確認し、「ヤ行」にはないと見切った。そして結論づけた。この一連の無言電話の最後尾は「メ」であると。
 D県内「れ」で始まる名字はなく、「へ」と「め」も極めて少ない。「め」の項目には「目崎」しかない。


 まったく、なんてことだ。
 五十八万世帯、百八十二万人-。
 一人だった。たった一人で無言電話を掛けていたのだ。「ア行」から始め、そして最近になってようやく「マ行」に辿り着いたのだ。
 一体いつから?三年前か、もっとずっと以前からか。来る日も来る日も、朝も昼も晩も、あの指が分厚い電話帳を捲り、プッシュボタンを叩いていたのだ。爪も皮膚もひび割れ、血豆のように黒ずんだあの人差し指が、それでもなおプッシュボタンを叩き続けていた。「電話の声」を聞くために。電話回線を通して耳にした「犯人の声」を聞くために-。
 同じ声を聞けばわかる。事件当時、雨宮芳男はそう断言していた。警察の捜査に期待したが裏切られた。醜悪な隠蔽の事実も知った。そして事件から八年、妻の敏子が脳梗塞で倒れた。きっとそれからだ。雨宮は看病の傍ら、無言電話を掛け始めた。自分の耳で犯人を捜し出そうとした。敏子が生きているうちに。そう思っていたのかもしれない。声は経年変化する。しかし聞けばわかる自信が雨宮にはあった。訛りのない、やや掠れた三十代から四十代の声。違う。自宅と九つの店舗で、耳に、心に、一生分の苦しみを吹き込んだ脅迫者の声だ。
 気の遠くなる話だ。昭和六十三年当時の電話帳。地方でもあり、名前を掲載することで大きなリスクが生じる時代ではまだなかった。D市のほか三市の個人電話番号を一冊にまとめた「D県中部・東部版」は呆れるほど厚かった。相川に始まり、相沢、青木、青田、青柳、青山・・・・。途中には、佐藤や鈴木や高橋や田中の広大なフィールドが待ち受けている。しかも一軒一度の電話で済むとは限らない。いや、済むことのほうが少なかったのではないか。女の声が出たなら男が出るまで掛け直す。男であっても若すぎる声や年寄りの声なら、中間の世代の同居を疑ってまた掛け直さねばならない。掛けても掛けても誰も出ない番号もあっただろう。それでも雨宮は続けた。敏子が逝ってもやめなかった。復讐心。父親としての責務。妻子の供養。さまざまな思いを胸に電話を掛け続けたのだと思う。そしてそう、遂に聞いたのだ、行き当たったのだ、十四年前のあの日の声に。


 雨宮はロクヨンの犯人が目崎であることを、その声を聞いてつきとめた。目崎がロクヨンの犯人であることを警察にわからせるために、幸田と組んでこの誘拐劇を仕組んだのだ。幸田はあの事件で懺悔した。「幸田メモ」を雨宮に明かして警察の不実を詫び、辞職し、翔子の祥月命日に墓参りを必ずし、雨宮に何かあったら協力することを言い続けていた。
 三上が警察庁長官が慰問に来たいことを雨宮に伝えたとき、雨宮はそれを断った。しかしそれが発火点となった。雨宮が自分自身で目崎を追い詰めたい、と幸田に相談したのだ。ともに警察に蔑ろにさせられた二人が計画を練った。目崎と警察に対する復讐が、長官視察の当日に事件を起こすことに拘った。この日に事件が起これば警察が最も打撃を受けるであろうと考えたのだ。ただ歌澄の「不在」を利用する不確定要素含んだ計画だったため、誘拐が前日になった。


 視察を中止に追い込んだのは、刑事部の憤怒でも不可抗力でもなく、雨宮と幸田の峻烈な意趣返しだった。


 この誘拐事件が解決した後、三上は雨宮の自宅から一番近い公園にある電話ボックスに立つ。ロクヨン以降、翔子が連れ去れた場所が特定されなかったことで、この公園は子を持つ親に忌み嫌われたこともあって、皮肉にも昼夜を問わず、人目を気にせず電話ボックスを長時間占拠することが出来た。雨宮はここの公衆電話を使って、自分の耳だけを頼りに、犯人の声を探し続けた。


 三上は電話ボックスの扉を押した。見てくれはこんなに古いのに、軋み音もなく、すんなりと開いた。若草色の電話機はくすんでいて見窄らしかった。数字のボタンはどれも手垢で黒ずんでいるが、指先が一番当たる真ん中辺りは銀色の地が覗き、鈍く光っていたりもする。本当に使い込むとこうなるんだろう。


 電話帳の「ア行」から順に電話を掛けまくり、「め」まで来るまでのことを考えると、その気の遠くなる作業を黙々とさせるのも執念であろうし、公衆電話の数字のボタンが手垢で黒ずんでいても、指先が一番当たる辺りだけが銀色に鈍く光っているのを見れば、さらにその執念を激しく感じさせる。親が子を思う気持ちの強さがその執念を生み出したのだ。


横山 秀夫 著 『64』 文藝春秋(2012/10発売)
by office_kmoto | 2014-04-23 06:31 | 本を思う | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『からっぽを充たす』

d0331556_14232843.jpg 最近は作家が書いた、本について書かれたものは読まなくなったが、昔はその手の類いは結構読んでいた。というのも自分が何を読んだらいいのかわからなかったので、ちょっとした読書案内的に、次に読む本を探すための参考として読んでいた。今はそういうのは面倒臭くなってしまい、必然的にそういう本から遠ざかった。だからこの手の本を読むのは久しぶりである。
 この本が面白く読めたのは、単に本の内容だけを紹介した本ではなく、取り上げられた本が佐伯さん心の中にある本について書かれたものである。つまり佐伯さんの心象風景にある本棚から取り出された本の話なのである。この本の書き出しに次のようにある。


 私の心の中には、簡素な本棚がひとつある。
 幅は五十センチほどで、三段の棚が付いている。黒い塗りはところどころ剥げ落ちて、木目があらわになっている。大人の腰ぐらいの高さしかないその本棚に収まっている本は、一日で眺めることができる。赤や青い背表紙の児童書、カバーの取れた文庫本や新書、さまざまな大きさの単行本、箱入りの全集の端本、実用書や専門書も混じっている本の数は、百冊あるかないかだろう。
 これから私は、その小さな本棚から、愛読した本を一冊ずつ取り出して、本にまつわる思い出を綴ってみようと思う。本文の内容だけでなく、紙やインクのかすかなにおい、挿画の色合い、装幀の感じ、表紙の汚れ具合、実際に手に取ったときの手触り、重み、そのときの自分の心持ちも振り返ってみたい。


 ふと自分が心の中で本棚を持った場合、どれくらいの本の数になり、それを収めた本棚はどれくらいのサイズになるだろうか、と思う。佐伯さんから比べれば、私が読んだ本の数などたかがしれている。佐伯さんが百冊に満たないと書くなら、私の本棚はもっと小さな本棚になりそうだ。いつかそうした本棚を作ってみようかな、と思ったりする。
 この本では佐伯さんの心の中の本棚にある本を、実際に「我が家の図書館」と称している本棚から取り出してくる。話の進め方は、思いだしたこと、人、あるいは風景から、その本を取り出してくる。あるいは逆に本から、人や風景を思い出す。だから本そのもの紹介は、ほんの数行なのだが、それが佐伯さんの心に残って、濾過された文章なので、読む方はそれだけで心に響く。
 たとえば、石井桃子の『ノンちゃん雲に乗る』から、


 ノンちゃんは、みんなから「いい子」「紫式部」とまで呼ばれるような子だが、おじさんは、心配そうに眉をよせてこう言う。「それは、気をつけなくちゃいけない!」「あたしは、えらい、あたしは『いい子だ』と思っていると、かならずつまらない人間になる。それは、じつにふしぎなことだけれど」


 あるいは魯迅の「故郷」から、


 「希望というものは、本来あるともいえないし、ないともいえない。それはちょうど地上の道のようなものだ。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」


 こんな文章を紹介されると、本が読みたくなる。うれしいことにこの本の最後に紹介された本がきちんと書名と出版社など書かれて一覧になっている。この本を読んでから、実際に読んでみたいな、と思わせる本を手帳に書き込んだ。また魯迅やスタインベックの短編集は実際持っているのだが、未だ読んでいない。本棚の奥から引っ張り出して、いずれ近いうちに読んでみようと思った。特にスタインベックの短編集は開高健さんも賞賛していて買ったもので、引っ張り出してみるとかなり焼けている。奥付を見てみると昭和56年となっている。今から33年前に買っていた文庫本だ。古ぼけてしまうのも当たり前だ。それに字が小さい。これは読むに苦労しそうだ。


佐伯 一麦 著 『からっぽを充たす』 日本経済新聞出版社(2009/11発売)
by office_kmoto | 2014-04-20 14:25 | 本を思う | Comments(0)

スカイツリー展望台

 昨日は我々夫婦の結婚記念日である。ということでかねてから行ってみたいと思っていたスカイツリー展望台へ出かけた。ゴールデンウィーク前の平日の木曜日ということで、多少はすいていると思ったのである。まあ混み具合は我慢できる程度だったので、当日券を買うのに並び、いざ350メートル上にある展望デッキへ向かった。料金は2,060円。
 エレベータを降り、外を見下ろしていると、ものすごい。しかししばらくするとなんか足下がおぼつかない感じに襲われる。この高さが頭の中についていかない感じなのだ。きっとあまりの高さから見下ろしたものだから、頭の中が混乱して、処理ができずにいるのかもしれない。
 それはそうだろう。普段地上1メートルにも満たないところで生活しているのである。それがいっきに350倍以上の高さまで上ってしまったのだ。頭が混乱して当たり前だ。
 心なしか気持があまりよろしくない。 ここまでまで来た以上、その上に行かないわけには行かない。気分がすぐれないが、さらにその上の展望回廊へ1,030円払って上がる。やはり気分がおかしい。おそらく今、普通の日本人が一番高く上れる高さ、ソラカラポイント451.2メートルの高さまでやってきた。
 結局物見遊山で出かけていったが、私達はリピーターとして、もう一度ここへ来ることはないという結論になった。妻がもう一回行っても、見える景色は変わらないでしょう、という意見に深く同意する。変わるとすれば天候の具合で見える範囲が広がること、時間帯によって見える感じが違うことだけで(それが大事なんだ、という声も聞こえるが)、建物の位置などはそうそう変わるまい。
 それでも頑張って写真を撮ってみた。もらったパンフレットには見える方向に何があるのか書かれているが、今日は春がすみがかかっており、遠くまで見通せなかった。撮った写真の数枚。

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 まずは当日券を買う前に一枚

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 たぶんおきまりの東京タワーを見下ろした写真 飛行船が飛んでいた


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 真ん中の白いのが東京ドーム。


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 東京ゲートブリッジ


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 両国国技館


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 アサヒビールの雲のような形をした奇妙な形のオブジェ


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 浅草寺周辺


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 言問橋


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 桜橋


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 展望回廊内


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 ガラス床から下を覗く


 これらの写真を選んでいただけで、また頭の中がおかしくなってきた。帰りは自宅の近所の花屋さんで花を買って帰った。
by office_kmoto | 2014-04-18 09:45 | 街を思う | Comments(0)

古いものを引っ張り出す

 録画してたまっていたビデオをせっせと消化する。先日やっていた松本清張の「時間の習俗」を見た。松本清張の作品は昔カッパブックスをよく読んだけれど、その原作のテレビドラマはほとんど見ない。読んだ本の内容を忘れていることもあるが、テレビはどこか原作と違うような気がするのである。それでも『点と線』と『砂の器』は良く覚えているし、作品として傑作だと個人的に思っている。その『点と線』で犯人を捜す刑事である三原警部補と鳥飼刑事が再び登場するのがこの「時間の習俗」である。だから見たのだ。テレビは原作から時間を現在に戻してあるし、話も多少変えている。
 で、そのビデオを見ていたら、カメラが出てきた。犯人は写真を持ち出し、アリバイを工作をする。現場から遠く離れた場所にいたことを証明するために。三原警部補はカメラをキャップをしたまま空押しし、フィルムのコマを進め、再度戻ってその神社の神事を撮った写真を複写したのではないか、と疑う。
 その時使われていたカメラが私の持っていたCanonのAE-1だったのである。テレビではCanonの文字は消されていたがAE-1の文字は残っていた。だからすぐ自分が持っていたカメラだとわかったのである。
 もちろん今はこのカメラは使っていない。先日押し入れの掃除をしていた時に、カメラのキャリーバッグが出てきて、このカメラを発見した。まさしく発見である。もう30年以上使っていなかった。今は同じCanonの一眼デジカメを持っているので、このカメラを使う機会などない。結局本体のみ本棚にオブジェとして飾った。あとはそのままキャリーバッグにしまったままだ。
 ところで一眼デジカメを掃除するために、シリコンクロスが欲しいなと思っていたのだが、テレビを見て、自分の持っていたカメラが出てきて思いだしたのである。キャリーバッグにカメラのお掃除キットが入っているはずだと。急いでバッグを開けてみると確かにあった。シリコンクロスも大きいものがある。広げてみると汚れも殆どないし、変な匂いもしない。これを使うことにした。ひょんなことから思い出すことがあるものである。

 
 古いものを引っ張り出すということでは、一昨年から使っていない文章が残っていることが気にかかっている。
 このブログを始める前に自分でサーバーを置いてブログをやっていたのだが、サーバーが調子悪くなったことと、仕事で振り回されてブログに掲載する余裕がなかったことで、昨年5月で止めた。そしてこのブログを7月に始めたのだが、以前読んだ本で使っていない文章が数多く残っている。これを何とかしたいな、と思っているのである。
 ただどこまで前のブログは掲載したのか曖昧になっていて、自分では掲載したと思っていたのが、データを見るとその記録がない。でも確かに掲載したようなあと引っかかるのである。
 それと昔のブログのスタイルと今は変えているので、そのまま使えないところがある。だから書き直さなければならない。その手間を考えちゃうと、そのまま破棄してもいいかな、とは思うが、でももったいない気もする。時間はあるので、これから残った文章を書き直して掲載しようかとも考えている。
 私の記憶違いならかまわないが、もし昔読んだよ、という文章があったら許して頂きたい。もっともこのブログ、数あるブログに埋もれてしまっているはずだから、そんなことわからないだろうけど・・・。
by office_kmoto | 2014-04-17 06:10 | ものを思う | Comments(0)

4月日録(上旬)

4月某日 はれ 消費税8%初日

 お花見は今日が絶好の日だと言っていたので、妻と二人で隅田公園に行ってみた。平日の昼間なのでそれほど人ごみはないだろうと思っていたのだが、甘かった。
 甘い見通しで、のんびりと昼から出かけ、まずソラマチでお弁当を買い、そのまま浅草へ出たのだが、言問橋に出てみてものすごい人に驚いた。
 平日の昼間の時間を自由に使えて、お花見に出かけられる人がこんなにも多いのに、その一人である私はちょっと安心する。

 ただ桜は満開できれいであった。桜の下にあいている場所を探し、座り込んで二人で買ってきた弁当を食べた。写真もたくさん撮ってきた。


4月某日 花散らしの雨

 昨日は天気がよかったので、シンビジュームとスパティフィラムの植え替えをやってやった。それと庭に空いている場所の土を掘り返し、土を軟らかくして、肥料をまいたりして、土作りをした。
 そして今日は雨が降り続いている。散歩も庭の手入れもできず、朝からパソコンで文章を書いたり、読んだ本のことを書いたりし、午後からは本を読み始める。まさしく晴耕雨読である。雨だと花粉症が楽だ。花粉症って結構疲れる。疲れが溜まっていたのか、いつの間にか寝てしまった。本の続きは夜となった。
 明日図書館に本を返せにいけるかなあ。


4月某日 はれ急変して雨

 ハローワークに行き、そのあと区の中央図書館に行く。読みたい本がいっぱいだ。帰りも歩いて帰ろうと思ったが、昔ねんざした足首が急に痛くなり、バスに乗って帰る。家について30分後天気が急変し、大雨になった。バスに乗って良かったかも。


4月某日 はれ

 昨日は4月だというのに寒かった。天気も荒れ模様で、強い風が吹いたり、雷雨になったり、これで完全にサクラは散ってしまうだろう。
 孫と一緒に植えたチューリップが咲いている。球根を植えたのは去年の暮れ。孫は砂遊び感覚で球根を植えていた。孫にピンクと黄色の花が咲く球根を一つずつ分けてやる。娘の家でも咲いているらしく、水をあげる係は孫らしい。そんな写真がメールで送られてきた。
 娘は家にいる頃は、花など育てるのはめんどくさい、と言っていたが、母親になって、子供に花を育てることを興味を持たせるようになってから、一緒のその成長を楽しんでいるようだ。チューリップのあとは去年入谷で買った朝顔の種を植えると言っていた。うちも朝顔を植えるために、準備はしておいた。来月、また孫と一緒に蒔ければと思っている。


4月某日 はれ Windows XPサポート終了日

 テレビは小保方さんの会見ばかりでうんざりする。STAP細胞が存在しようが、この人の論文でやっちゃたことは、悪意はなくても故意であり、意識的である。知らなかったと言って許される立場の人じゃないでしょう。
 それよりWindows XPサポート終了の話の方が興味があるんだけどなあ。Windows XPはそれこそ“枯れていて”その分安心感があったし、使いやすかった。いいOSだったんだけどなぁ。こういうソフトこそ残して欲しかった。


4月某日 はれ

 録画しているビデオがたまっちゃっている。黒田官兵衛も、モヤモヤさまぁ~ず2もあるし(これ、ばかばかしくて好きなのだ)洋画も何本もある。今日は百舌シリーズもやるし、清張の「時間の習俗」も懐かしいから予約したし、いったいいつ見ればいいのだ。本を読むことを最優先にしているから、いつまで経っても見れずにいる。
 久しぶりに秋葉原に行く。しかしヨドバシまでだ。それから先は今の私にとって“鬼門”なので行くつもりもない。
 掃除機を買うために出かけた。


4月某日 はれ

 死んだ義父が残していったつつじが花を咲かせる。このつつじ私がここに来て一度だけ花が咲いているところを見ただけだった。その後、義父が亡くなってから、庭の管理をする人間がいなくなったため、残っていたつつじ、さつきはどんどん花数が少なくなり、このつつじに関してはまったく花を付けなくなってしまった。
 私はこのつつじが普通に知られているつつじとはだいぶ違い、大輪の花を付け、紫がきれいな花だなあと思ったもので、それ以来その記憶だけが残っていた。なんという種類のつつじか知らないが、昨年の秋から私が暇になって、庭の手入れなどし始めたら、やっと今年咲いてくれたのだ。その期間は長いけれど、きっと花の咲いているのはそれに比べればずっと短いのだろう。それを思うと、少しでも長く咲いてほしいな、と思う。最初蕾を数えたら6個くらいだったが、11個花が咲き、あと2個蕾がある。良かった。
 赤い小さなつつじは満開となった。


4月某日 はれ

 ハローワークへ失業の認定へ行く。別に問題なし。今日は認定を待つ人が多かった。午後から図書館で借りてきた佐伯一麦さんのエッセイを読み始める。その後たまっているビデオを見た。明日もその続きだ。
 そうそう家にある百日紅がまだ芽を出さないで、枯れ木の状態ままだ。まさか本当に枯れているんじゃないかと心配になる。他の木々は青葉を出しているのに、この木だけ真冬の状態だ。Yahoo!知恵袋を見てみると、ベストアンサーに選ばれた回答に次のようにあった。

 サルスベリは一番遅く芽生えて、一番早く落葉する、怠け者の木として有名です。
芽生えはまだまだ、関東では5月半くらいかな。

 そうなのか。待ってみよう。


4月某日 はれ


 石焼き芋の声が聞こえる。

 なんかおかしくないか?今は朝8時半頃である。こんなはさ早くから石焼き芋って売るもんかな、と思ったのである。録音された「いしや~きいも」をビブラートさせ、走り廻るのは結構だけれど、どう考えたって平日の朝から焼き芋を食べる雰囲気じゃない。
 こんな朝から焼き芋を売るためには、石を焼かなければいけないから、もっと早くからスタンバイしていることだろうと察してしまうが、頑張っている割には成果が見いだせないような気がする。
 小一時間ほど焼き芋の声は聞こえたが、そのうち聞こえなくなった。やっぱり成果はなかったのだろう。
by office_kmoto | 2014-04-16 05:16 | 日々を思う | Comments(0)

宮部 みゆき 著 『火車』

d0331556_2049417.jpg 昔は、親や兄弟に、小言を言われながらも頭を下げてお金を借りに行ったりしていたが、今は無人のATMにカードをつっこめば誰にでも貸してくれる。「誰にでも」という部分は、便利だが、少し寂しい気がする。(木皿 泉 著 『二度寝で番茶』)


 銃で撃たれ休職中の刑事、本間俊介に亡くなった妻の親戚である栗坂和也が訪ねてきた。婚約者の女性が急にいなくなったので、刑事である本間に探して欲しいというのである。
 和也が探して欲しいという女性は関根彰子という。
 結婚生活を始める前に何かと物入りで買い物をしなければならないから、クレジットカードを作った方がいいと和也は彰子に言う。幸い和也は銀行に勤めているので、同僚に頼べば、簡単にカードを作ってくれる。その同僚から彰子が自己破産していることを知らされる。そして和也は彰子にそのことを聞くと、顔が真っ白となり、翌日和也の前から姿を消した。
 本間はまず関根彰子の痕跡を探る。まず彰子が勤めていた会社に寄り、写真付きの履歴書を手に入れ、次に自己破産の立会人となった弁護士を訪ね、詳細な事情を聞く。弁護士は多重債務者の実情を説明してくれた。彼らは決していい加減な人間ではないという。むしろ真面目すぎるくらいだから、そういう状況に陥ったと言う。


 実際には、傍目からは「ちゃんと計算ができる」と思われていた人間たちが、多重債務者になってゆくのだ。真面目で気に小さい、几帳面な人たちが。


 (あたし、どうしてこんな借金をつくることになっちゃったのか、自分でもわからないようね)
 関根彰子は、溝口弁護士のそう言ったという。どうしてこんなことになったのかわからない、と。
(あたし、ただ幸せになりたかっただけなのに)


 いったん返済不能に陥って、夜逃げまがいに逃げていっても、そのままでは債務からは逃げられない。さらに悪い方へ転がっていくのである。


 逃げていった先で落ち着き、子供を学校に通わせたり、新しい勤め先を見つけて就職したりするために、もとの場所から住民票を動かす。と、貸し金業者のほうでちゃんとそれをチェックしていて、押しかけてくる。学校の門のところで張っていて、登下校する子供をつかまえたり、尾行して家を突き止めるようなことさえした。
 「だから、住民票を動かすことができないんです。それだと、まともな職にはつけませんよ。住まいを確保するんだってたいへんです。選挙権も、事実上ないと同じでしょ?そんな土地の国民健康保険にだって入れないですよね。結局、坂を転がるように、悪いほうへ悪いほうへいってしまうんです」


 そして本間は弁護士に履歴書の彰子の写真を見せたが、まったくの別人だった。関根彰子になりすました人間がいたのであった。
 本物の関根彰子はどこにいるのか。彰子に成り変わった女は誰なのか。
 本間は栗坂和也から姿をくらますまで住んでいたアパートで偽彰子のアルバムを手に入れ、さらに戸籍を調べる。
 最初はわからなかったが、そのアルバムに一枚のポラロイド写真がはさまっていた。洒落た洋風の家の前に制服を着た女性が二人写っていた。調べていくうちのこの家は住宅展示場のモデルハウスであることがわかってくる。そこからさらにたどっていくと、傘下にある別会社の社名に本間は引っかかった。どこかで聞いたことがある社名であったのである。
 思いだしてみると、彰子が自己破産が認められ免責が決まったあと引っ越した川口のマンションを訪ねた時であった。
 彰子は家財道具一切を残して急にここを出て行った。ただ処分されなかったものがダンボールに残されており、そこにその会社のカタログが残っていた。
 本間はその会社を訪ね、彰子に入れ替わったのが、新城喬子という名の女であったこ
とがわかる。
 新城喬子とは何物なのか?そして関根彰子とどう入れ替わったのか?入れ替わるにあたり、関根彰子のパーソナルデータをどう入手したのか?謎はさらに深まってゆく。
 本間が新城喬子のことを調べてわかったことは、喬子の親は住宅ローンの返済に行き詰まり、債権回収業者に追いかけられ、家族は離散していたのであった。やっと手に入れた結婚も、自分の戸籍を動かしたことで、業者に自分の居場所を知らせることとなり、、自分だけでなく、夫や夫の両親にも嫌がらせが及び、結婚3ヶ月で離婚した。喬子は何者かに入れ替わらなければこの返済地獄から逃れることができなかった。


 君たち二人は同類だった-
 本間が思ったのは、そのことだった。関根彰子と新城喬子。君たち二人は同じ苦労を背負っていた人間だった。同じ枷をかけられていた。同じものに追われていた。
 なんということだ。君らは共食いしたも同然だった。
 



宮部 みゆき 著 『火車』 新潮社(2009/06発売) 新潮文庫

木皿 泉 著 『二度寝で番茶』 双葉社(2010/10発売)
by office_kmoto | 2014-04-14 20:57 | 本を思う | Comments(0)

マッチ

 隅田公園に花見に行ったとき、浅草に出て、喫茶店で休憩した。ここはたぶん昔からある喫茶店の様で古めかしい。昔使っていた生活用品をアンティークな飾りとして置いてある。
 カウンターにここに店のマッチが置いてあった。最近この手のマッチを見ることがなくなった。確か山の上ホテルで箱入りマッチを見たのが最近だったと思う。
 昔は喫茶店に入ればテーブルに灰皿が置いてあるのが当たり前だったが、そんな喫茶店を見かけることもなくなった。コーヒーチェーン店ではマッチを置いてあるところを見たことがない。スタバは全面禁煙だったはずだ。
 私はここで喫煙をどうこう言うつもりはない。ただ喫茶店が昔の様な風景でなくなったことがさびしいな、と思っているだけである。ちょっと暗めの店内で煙草の煙が立ちこめる、そんな風景が懐かしいのである。今は店全体に太陽光を取り入れたり、いかにも清潔な明るさばかりを追求した店ばかりになってしまい、お茶してる、あるいはランチしている、みたいな何処へ行っても同じような店ばかりでつまらない。
 マッチの話であった。私は昔喫茶店のマッチを集めていた。当時は喫茶店のマッチは個性的で、デザインも良く、柱の間にある長押に並べてみると結構いい飾りになった。
かなりの数を集めていたと思う。それだけ喫茶店に入っていたということだ。
 松浦寿輝さんに「マッチ」というエッセイがある。


 つい仕方なくあの凡庸な百円ライターのたぐいを持ち歩いているけれど、本当は煙草には、マッチで火をつけたい。
 理由は簡単で、マッチの棒の先には炎がともるからだ。ライターにだって炎がともるだろうといわれるかもしれないけれど、あんなもの、ガスが燃えているだけで、そこには炎の魅惑も神秘もありはしない。木片がゆっくりと燃えてゆくにつれ、ゆらゆら揺らめきながら親密な熱と光を発散しつづける、あのマッチの火こそ、本当の炎というものだ。


 そういえばペーパー・マッチというやつもあった。あれもわたしが好きである。本を開くように表紙をめくり、ボール紙の小片をちぎって火をつけて、また畳んでポケットにしまう。あのぺったりした、はかない風情がなかなか良いのである。


 そうそうペーパー・マッチもあった。ちょっとせこくて、しかしかっこよくて、よく西部劇でペーパー・マッチを一本引きちぎり、靴の横ですって火を付けるシーンがあった。
 最近は何でも百円ライターとかチャッカマンとかお手軽に火を付けることが当たり前だから、たとえば仏壇のローソクに火を付けるにしても、そうである。マッチを擦って、火を付けることがなくなった。
 マッチを擦って、燐の燃える匂いと煙を感じ、ローソクに火を付ける。火がついたらマッチを振って火を消す。燃えさしを持つ手から立ち上る煙が懐かしい。その燃えさしの処分にちょっと困ったりしてね。
 人類が生まれて初めて火を手にしたときのことを想像したり、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵にあるローソクの火の荘厳さなど見ると、百円ライターなど本当にただガスに火がついているだけだ、と思ってしまう。
by office_kmoto | 2014-04-11 06:36 | ものを思う | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『散歩歳時記』

d0331556_6291046.jpg 1月末から図書館で本を借りるようになって、もう10冊近く図書館の本を読んでいる。私はとにかくエッセイが大好きで、エッセイのコーナーの棚を眺めているだけで楽しくなってしまう。
 せっかくここで本を借りるのだから、今まで読んだことのない作家さんのエッセイを読んでみようと決め、何冊か借りている。この本もその1冊だ。


 書店に入って、大げさな惹き句の帯を巻かれ、色とりどりの派手な衣装を纏っている新刊書の群れを眺めたときに、文学書はそれほど売れなくても、図書館に置かれて読まれるぐらいでちょうどいいのではないか、と心から思わされた。


 上質のエッセイを読んでいると、急いで読む必要もなく、内容のように、ゆっくりページをめくり、“いいなあ”と思ってしまう。まえがきに次のようにあった。


 「普通に人々が、この景色は佳いだのあの景色は悪いだの云う、そんなことは殆ど意味もないことだ。人々の心の奥底を動かすものは、却て人が毎日いやという程見てゐるもの、おそらくは人々が称んで退屈となす所のものの中にあるのだ」


 と、中原中也の「一つの境涯」のエピグラフを記して、著者の気持ちと同じであることを書き、ありふれた日常にある、ふと忘れていたことが書かれている。


 今年もせいぜい日常の細部に思いを寄せることで、この世に生きてあることの現実性を強め、その印象が濃厚となり、それが詩句の美しさにつながるような表現を心がけたい。


 確かに著者が暮らしていたところは、仙台の近くの、自然がすぐ近くにある場所では、季節の移ろいを感じることは身近であろうが、そうでなくても、庭に植えられて草木やそこに集まる鳥たちの鳴き声に耳をすまし、人々の言葉の中に季節を感じことができる。人と接するとき、そこにある程度人生を過ごしてきた人の人生を思いやることができる。ささやかだけど、けれど確かにそこにある生き方が感じられて、一つの物語を見出せる。それが何とも心地よく、人間って、何も目新しく、きらびやかなことばかりに目を奪われることだけではいけないんだな、と思わせる。自然や年月から、ふと発せられた言葉が、何気なく、さりげなく、そして重みを感じさせてくれる。それだけで心が浄化される気がしてしまう。


 現実が、虚構と分かちがたくなったような現代にあっても、私にとっては、生活の細部が伝える現実の手応えは生の保証として重みをまだ失っていない。そして、虚構の物語の中に自分の体験の細部を埋没させ奉仕させるためには、現実は私にとってなつかしすぎる、と。


 「小説というのは(略)空想の所産でもなく、また理念をあらわしたものでもなく、手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴って行くものなのですね」


 と庄野潤三が『前途』という小説で書いた伊東静雄に助言を披露する。


「このごろ土の匂いがするようになってきたから、随分と春らしくなったみたい」


 そんな折、文章講座の生徒さんに「雁風呂」という春の季語にもなっている言葉を教わった。
毎年晩秋の頃、雁が渡ってくるとき、小さな木片をくわえて来る。広い海の上を飛んでくる途中で疲れたときに、それを海上に浮かべて一休みするためにである。
 そして、無事に津軽の上空に達したときに、もう必要のなくなった木片を落としていく。それが大変な数で、外ヶ浜の海辺は、その木片で覆われるほどになる。
 越冬した雁たちは、春になると再び木片をくわえて北の国へ帰って行く。ところが、海岸には、おびただしい木片が残される。それは、日本で越冬した期間に、網や猟師の手にかかったり、事故にあったりして、命を落とした雁たちの木片なのである。
 外ヶ浜の土地の人々は、哀れにも犠牲になった雁たちを供養する意味で、汀に残された木片を拾い集めて風呂を焚き、風呂に浸りながら雁たちの冥福を祈る。それが「雁風呂」の謂われだ。


 そうして私は、ずっとサラリーマン生活を送ってきた父は、いまようやく心置きなく川べりを歩くことができる境遇になって、その長い年月得られなかった川歩きの愉しみをむさぼるように味わっているところなのかもしれない、と気付いた。ムキになっているようにも見える父の川べりの散歩は、心の何処かで幼年時代の記憶をさぐり、生の根源を覗きたくなるような何か闇雲な情熱と結びついているようにも思える。
 父もまた、川の前で、一個の人間に立ち帰ろうとしているのだろうか。


 普通イカの旬といえば冬だが、このスルメイカは今の時季が逃せない。小ぶりながら、身がやわらかで甘くておいしい。麦の穂が稔るころ美味となるので、「麦イカ」とも呼ぶという。


 黒いビニール袋いっぱいに拾い集めた落ち葉をどっこいしょと持ち上げ、火の上に注いだ老人が、「葉っぱっていったって、こんだけ集まるとさすが重いべよ。樹の奴もぶらさがってる重しがとれて、身軽になったんでねがな」と目尻に深い皺を寄せて笑いながら言った。
 木の葉をすっかり落としたポプラの幹がすっきりと直立して天空を指していた。それを見やりながら、私は老人の言葉を味わった。


 何度も繰り返していると、小学生らしい女の子が近付いてきたので、柄杓を手渡した。やや照れながら、水琴窟に水を注いだ彼女は、水滴音が聞こえ出すと、あっと息を呑み、目を輝かせながら聞き入った。その顔を可愛いと見つめ、何かと騒がしい今の世の中にあって、じっと耳を澄ます機会を得たことを貴重に思った。


 今の私には、自然とふれあうこと、季節を感じることが書かれている本が心地よい。 窓を開ければ、小さいながら庭を眺められ、その手入れをしたくなり、落ち葉を掃いたり、剪定をしてやったり、肥料をまいてやったりしている。そのためか義父が残したつつじやさつきにはたくさん花芽がついている。義父が死んでから、長いこと花をつけなかったつつじも、今年は6つほど花が咲きそうだ。ほんの少し手をかけてやれば、草木は生き生きとしてくるものだと実感する。今の私はそれができる。
 近くの川も散歩することにした。人間の手で固められた川であるけれど、川べりを歩けば、確かに土の上を歩いているという感覚が足の裏で感じられる。川べりのフェンスからは手が届くほど近くに川が流れているのを見ることができるし、この時期土手にはつくしがいくつも芽を出していた。
 生きていくことは本当に難しい。自分の身近にある大切なものを差し出さないと生きていけない。そしてその代償は差し出したものとバランスが取れていないことが多い。失ったものの方が多い。だからこそ、それを少しでも取り戻したいと思うから、こうした文章に揺れてしまうのかもしれない。そして失ったものは結構身近にあるのである。


佐伯 一麦 著 『散歩歳時記』 日本経済新聞出版社(2005/12発売)
by office_kmoto | 2014-04-06 06:33 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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