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宮部 みゆき 著 『平成お徒歩日記』

d0331556_2005849.jpg 著者は時代小説も書いているが、この本の目的は「江戸の人々が日々感じているはずの地理的距離感を体験しようというところ」にあり、しかもこの企画を本格的に始める前に著者が腎臓結石になってしまい、医者から歩け、と言われたものだから、「歩いて歩いて歩き回ってミヤベの腎臓結石を治そう!という意図」も加わった。
 要するに平成の御代、江戸時代を歩いて感じてみようという企画である。ただこの企画、小説新潮の時代小説大特集号に掲載されるもので、この特集号が年二回、真夏と真冬に刊行される。したがってこの“お徒歩”が「酷暑か極寒の折ばかりを選んで江戸市中を歩き回らねばならない」ことになる。汗をかきながら、あるいは寒さに震えながら歩くことになる。だからお徒歩が、早駕籠に乗りたいと、“的士”(タクシーのこと)に乗り換えちゃう。またよく歩いた後には美味しい地ビールが待っているとか、グルメにも堪能してしまう。
 第一弾が、忠臣蔵で赤穂浪士が吉良を討ち取って、泉岳寺まで歩いた道をたどってみる。第二弾は「市中引廻しの上、獄門」という言葉を時代劇でよく聞くが、その市中引き回しのコースってどこなのよ、ということで、伝馬町牢屋敷から小塚原刑場跡、あるいは鈴ヶ森刑場跡をたどってみる。
 せっかく市中引廻しされるのだから、著者が「毒婦高橋お伝」ならぬ「毒婦みゆき」となって話を盛り上げながら歩いてみる。そして第三弾が箱根の関所のある旧東海道を歩いてみる。これも「毒婦シリーズ」として話を盛り上げる。前回毒婦みゆきは磔にになって処刑されたことになっていたが、磔寸前に逃亡し、箱根へ逃げるという設定にしてしまう。
 第四弾は江戸城一周、桜田門外の変を実感する。さらに第五弾が罪人が島流しにあった八丈島をリゾート気分で訪ね、第六弾が著者がマイコプラズマ肺炎に罹り、病み上がりというこで、著者の地元、本所七不思議をテーマにお徒歩をするという近場ですまし、最後が善光寺と伊勢神宮を訪ねる神仏混淆のお徒歩で締めくくる。
 とにかく暑い、寒いと泣き言の上、早駕籠に乗ってしまい、歩いて江戸時代の距離感覚を感じることがともすれば失われてしまうのだが、そのゆるさが面白い。
 それでも感じることはちゃんと感じ、江戸時代にあったものが今は失われて、殺伐な時代になってしまった「わけ」を考えている。
 本所七不思議をテーマにお徒歩の原稿を書いていたときに、神戸連続児童殺傷事件の報道にふれ、その事件があったところが都市論を専門とする大学の先生が「美しく、便利で機能的ではあるが、遊びというか、余りの部分がない」と言っていたのを思い出す。このような事件というと、決まって郊外の新興住宅地や再開発地域を舞台としているのを思い、それは「本所七不思議」のような場所を持っていないことが原因ではないか、と思う。
 つまり各地に流布する「七不思議」はみな一定の機能を持って、人間と、人間が寄り集まって住む場所に必ず生じる「魔」を吸収し、それを封じるという働きがあったのではないか。もしあの事件の場所に鎮守の森や山の神を祀る神社でもあったら、そういう「魔」を解放して、吸収し、土地の歴史や土地の記憶が闇の部分を中和してくれ、感受性の高い子供たちは救われるのではないいか、と考える。
 これって何となくわかるような気がする。著者の言うとおりこのような凄惨な事件が起こるのは、やたらと整理された郊外の新興住宅地や再開発地域が多い。もしそこには鎮守の森のような場所、怖い伝承、不思議な話の残る場所があったなら、確かに事件は起こらなかったかもしれない。
 大きな木の下にたたずむだけで何かが変わってくる。薄暗いその場所で風でそよぐ葉の音を聴いているうちに、きっと何かが変わっていくのではないか、そう思うのだ。その場所は人の心の中に生まれた「魔」を消し、心を浄化し、いつのまにか敬虔な気持させるはずだ。
 この企画の最後に善光寺と伊勢神宮へ詣るのだが、そのお徒歩がの神仏混淆だと言われても、それでいいのだ、と著者は思う。


 でも、考えてみると、江戸の人たちもそうだったんですよね。敬うべき八百万の神がおわし、尊ぶべき仏様もたくさんおわしまし、お祀りすべきご先祖様もたくさんいますというのが、この国の習わし。実はこれ、がっちりと強固で揺るぎない信念を与えてはくれるものの、実は融通がきかず凶暴な一面も併せ持つ欧米中東の絶対神信仰に比べると、とても穏和で温かい「敬虔」のあり方なのではないかと、近頃ミヤベつくづく考えるものであります。


 余白やゆるさって、人が生きていく上には必要なのだ。



宮部 みゆき 著 『平成お徒歩日記』 新潮社(1998/06発売)
by office_kmoto | 2014-05-29 20:03 | 本を思う | Comments(0)

村上 春樹 著 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』

d0331556_53937.jpg 「色彩を持たない多崎つくる」はどういう意味かというと、彼の高校時代の友だち五人がみな名前に色が含まれていて、彼だけが名前に色彩がなかった。自分の名前に色が付いていないことは、なんら人格とは関係ないが、つくるは自身を取り柄のない「色彩に希薄な」人間と感じていた。
 そのつくるが、東京の大学に入り、他の四人は名古屋の地元に残った。つくるが帰省したとき、四人から絶交を宣言される。


 「悪いけど、もうこれ以上誰のところにも電話をかけてもらいたくないんだ」


 その理由はわからない。つくるは仲間の絶交で、死のうと思う。体型も変わってしまった。つくるは不思議な夢を見る。そこでかれは誰かわからないが一人の女性を求めていたが、その女性は肉体と心を分離することが出来て、一つは別の男に渡すから、残りの一つだけ差し出せるという。しかしつくるは彼女のすべてを求めた。それは彼に耐えられないことであり、かといってどちらも要らないとも言えずにいた。
 つくるは、目がさめてこれが嫉妬というのなのだ、と直感を得る。誰かが愛する女の心か肉体のどちらかか、あるいはすべてを奪い取ろうしていたと思うのである。


 たぶんそのとき、夢というかたちをとって彼の内部を通過していいた、あの焼けつくような生の感情が、それまで彼を執拗に支配していた死への憧憬を相殺し、打ち消してしまったのだろう。強い西風が厚い雲を空から吹き払うみたいに。それがつくるの推測だ。


 つくるは新しい容貌を獲得し、生きることとする。東京の大学には鉄道の駅を造ることを学ぶために出てきて、大学卒業後駅舎建設の仕事につく。
 つくるは三十六歳で独身で、恋人の沙羅は二歳年上の三十八歳。沙羅はつくるの高校時代の話を聞き、仲間から絶交を言い渡されて、死のうと思ったこと。そしてまた生きることを選択したこと。以来他の四人とは会っていないこと。そしてグループから突然放り出された理由はいまだ知りたいと思わないこと、を話した。
 つくるにはその時の傷がまだ残っているのに、忘れ去ろうとしている。その理由も追及しないことが沙羅には理解できなかった。つくるは「なにも真実を知りたくないというんじゃない。でも今となっては、そんなことは忘れ去ってしまった方がいいような気がするんだ。ずっと昔に起こったことだし、既に深いところに沈めてしまったものだし」と説明する。


 「それはきっと危険なことよ」

 「危険なこと」とつくる言った。「どんな風に?」

 「記憶をどこかにうまく隠せたとしても、深いところにしっかり沈めたとしても、それがもたらした歴史を消すことはできない」沙羅は彼の目をまっすぐ見て言った。「それだけは覚えておいた方がいいわ。歴史は消すことも、作りかえることもできないの。それはあなたという存在を殺すのと同じだから」


 沙羅はその四人が何故つくるに絶交を言い渡したのか、その理由を知るべきだと言う。そうでないとつくるとの関係が続けられないと言うのであった。沙羅は今その四人がどこにいて何をしているのか調べ、つくるは彼らを訪ねるように薦める。そしてつくるの巡礼が始まるのである。
 つくるは沙羅から四人の消息を聞く。アオこと青海悦夫は現在名古屋市内のレクサス優秀なセールスマンをしている。アカこと、赤松慶はクリエイティブ・ビジネスセミナーという自己啓発セミナーと企業研修センターを合体させたビジネスを立ち上げ、成功している。クロこと黒埜恵理は結婚してフィンランドにいる。そしてシロこと白根柚木は死んでいた。
 つくるはまずアオ、とアカに会うため名古屋へ向かう。そしてつくるがグループから追放された理由は、シロがつくるにレイプされたからと言う。


 「でもそれはそれとして、どうしてまず僕に直接確かめなかったんだ?釈明の機会くらい与えてくれてもよかったんじゃないのか。欠席裁判みたいなかたちじゃなくて」

 「たしかにおまえの言うとおりだよ。今にして思えばな。おれたちはまず冷静になって、何はともあれおまえの言い分を聞くべきだった。でもそのときはそれができなかった。とてもそういう雰囲気じゃなかった。シロはひどく興奮して、取り乱していた。そのままでは何が起こるかわからなかった。だからおれたちはまず彼女をなだめ、その混乱を鎮めなくちゃならなかったんだ。おれたちにしても百パーセント、シロの言い分を信じたわけじゃない。ちょっと変だと思うところもなくはなかった。でもそれがまるっきりのフィクションとは思えなかった。彼女がそこまではっきり言うからには、そこにはある程度の真実は含まれているはずだ。そう思った」

 「だからとりあえず僕を切った」


 アカも同じことを言った。つくるが五人の中で一番精神的にタフだったように見えたことも、つくるに冤罪を被せた理由だと知る。
 その後グループの仲間はシロ以外成功し、ある程度幸福であった。しかしシロは違った。名古屋の音楽大学を卒業した後、しばらくは自宅でピアノを教えていたが、やがて浜松市内に移り、一人暮らしを始めた。それから二年ほどして、マンションの部屋で死んでいるのが発見された。

 つくるは五人のグループは何だったのかを、沙羅にシロやアオに会った時に聞いたことを話ながら考える。シロがつくるにレイプされたと言うことに何か思い当たることはないか、シロと特別な親密さを感じることはなかったか、と沙羅から聞かれる。
 つくるは一度もそういうことなかったし、そういうことが起こらないようにしていた、と答える。それはグループ内に男女の関係を持ち込まないことが暗黙の了解となっていたからだ。
 沙羅はしょっちゅう一緒にいれば、お互いに性的関係に関心を抱くようになるはずだで、つくるたちの暗黙の了解は不自然なことだ、と言う。


 「ガールフレンドを作って、普通に一対一でデートしたいという気持は僕にもあったよ。セックスにも興味があった。人並みにね。グループの外でガールフレンドをつくるという選択肢もあった。でも当時の僕にとって、その五人のグループは何よりも大事な意味を持つものだった。そこから離れて何かをするということはほとんど考えられなかった」

 「そこに見事なばかりの調和があったから?」

 つくるは肯いた。「そこにいると自分が何か、欠くことのできない一部になったような感覚があった。それは他のどんな場所でも得ることのできない、特別な種類の感覚だった」
 沙羅は言った。「だからあなたたちは、性的な関心をどこかに押し込めなくてはならなかった。五人の調和を乱れなく保つために。その完璧なサークルを崩さないために」

 「つまり、ある意味ではあなたたちはそのサークルの完璧性の中に閉じ込められていた。そういう風に考えられない?」


 つくるは最後にクロに会うため、フィンランドへ向かう。つくるは十六年前に何が起こったのか、その真相をクロから聞いた。クロはつくるがシロをレイプしたなんていう話は最初から信じていなかったが、シロを護らなくてはならなかったから、つくるをグループから追放した、と言う。


 「そのときには正直な話、とても説明をしているような余裕はなかったの。『ねえ、つくる、悪いけどとりあえず君がユズをレイプしたことにしておいてくれるかな?今はそうしないわけにはいかないの。ユズもちょっとおかしくなっているし、なんとかこの場をおさめなくてはならない。あとでうまく処理するから、ちょっとそのまま我慢していて。そうだな、二年ぐらい』そんなこと私の口からとても言えない。悪いけれど、君は君で一人でやってもらうしかなかった。それくらいぎりぎりな話だったの。そして付け加えれば、ユズはレイプされたのは嘘じゃなかった」。そしてユズは妊娠していた。

 そしてつくるは「シロがあのとき求めていたのは、五人のグループを解体してしまうことだったのかもしれない」と思うのであった。


 高校時代の五人はほとんど隙間なく、ぴたりと調和していた。彼らは互いをあるがままに受け入れ、理解し合った。一人ひとりがそこに深い幸福感を抱けた。しかしそんな至福が永遠に続くわけがない。楽園はいつか失われるものだ。人はそれぞれ違った速度で成長していくし、進む方向も異なってくる。時が経つにつれ、そこには避けがたく違和が生じていっただろう。微妙な亀裂も現れただろう。そしてそれはやがて微妙なというあたりでは収まらないものになっていったはずだ。
 シロの精神はおそらく、そういう来るべきものの圧迫に耐えられなかったのだろう。今のうちにグループとの精神的な連動を解いておかないことには、その崩壊の巻き添えになり、自分も致命的に損なわれてしまうと感じたのかもしれない。沈没する船の生む渦に呑まれ、海底に引きずり込まれる漂流者みたいに。


 完璧な調和などあり得ない。たとえ一時はそうあり得ても、いつかほころびが来る。なぜなら人は成長し、考え方や生き方が変わっていくからだ。むしろ自分たちのグループが完璧な調和の中で存在できたと思った分、その亀裂が始まったとき、その違和感が大きな存在となる。シロはそれに気づいてしまったのだ。そしてこのグループの存在に耐えられなくなったのだ。


 そのとき彼はようやくすべてを受け入れることができた。魂のいちばん底の部分で多崎つくるは理解した。人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、脆さと脆さによって繋がっているのだ。悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ。


 この本の話はこういうものである。
 私は今回の作品では、心の奥底の“井戸の中の暗さ”の中でもがくものが少なかったように思えた。今回は簡単にその方向性を示してしまい、答を教えてしまう。要するに昔のグループ仲間に会って、真相を聞けば、答えがわかってしまうのだ。真相がはっきりしない間は村上作品の特徴であるシニカルな自己批評もあるが、そこまでである。
 深い自己批評が少ないからユーモアも光らない。いやむしろほとんどなかった。私はちょっとひねくれた村上作品のユーモアが好きだっただけに残念である。
 つくるが進むべき道を他の登場人物が指示してしまうようなところが、なんか鬱陶しかった。


(この文章は1年前に、この本が発売されてすぐ書いたものだ。本は前後してしまったが、前やっていたブログにたぶん載せていないと思われるので、ここに載せた。)


村上 春樹 著 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』 文藝春秋(2013/04発売)
by office_kmoto | 2014-05-26 05:51 | 本を思う | Comments(0)

東京駅

 以前残っている旧万世橋駅の遺構を使って現代風のお店を入れ、リニューアルオープンしたのを見に行った。ショップなど興味はなかったが、煉瓦造りの駅中や残っている当時の階段、あるいはホームなど、興味深く見た。駅の設計者は辰野金吾である。その辰野が設計した東京駅駅舎が空襲で消失したドームを再現して復元された。再現されてだいぶ時間が経つが、一度見てみたかった。
 丸の内北口から南口方面へ歩いてみる。まずは北口を出たところだ。


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 そして中央口近くまで来てみる。ステーションホテルの入り口が見える。


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 このホテルには昔食事をしに入ったことがある。記憶では、曲がりくねった狭い通路を歩いて、階下を見下ろせば駅の模様が見下ろせた。
 駅前は今整備している途中なんだろう。広場になるのか道路になるのかよくわからないが、工事中の壁やガードレールが邪魔だ。ただステーションホテルの前は大通りの近くまでいけるようになっていて、駅を一望できる。北口から中央口、そして南口を眺めてみた。


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 南口に来て駅に入ってみると、ドームの天井を眺めることができる。


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 これが開業当時と同じというなら、この天井は人々を驚かせたことだろう、と思ってしまう。
 また北口に戻り、自由通路を歩いて八重洲口へ出てみる。途中資生堂パーラーに寄って、休憩する。久しぶりに美味しいコーヒーを飲む。そのまま大丸の地下街に入り、今話題のデパ地下を歩く。夕食のお弁当を買って帰った。
 平日の午後だというのに東京駅は人でいっぱいだった。さすがターミナル駅である。それにしても駅舎の周りは高層ビルがたくさんある。あのビルの窓の奥ひとつひとつに多くの人が働いているんだろう。この人たちが朝夕動き出したとこころを想像すると、ここは人でごった返すのだろう。
by office_kmoto | 2014-05-25 06:20 | 街を思う | Comments(0)

村上春樹 著 『女のいない男たち』

d0331556_5144326.jpg この6編連作短編は、ある日突然妻や恋人がいなくなってしまった男たちの物語である。


 ある日突然、あなたは女のいない男たちになる。その日はほんの僅かな予告もヒントも与えられず、予感も虫の知らせもなく、ノックも咳払いも抜きで、出し抜けにあなたのもとを訪れる。ひとつ角を曲がると、自分が既にそこにあることがあなたにはわかる。でももう後戻りはできない。いったん角を曲がってしまえば、それがあなたにとっての、たったひとつの世界になってしまう。その世界ではあなたは「女のいない男たち」と呼ばれることとなる。どこまでも冷ややかな複数形で。(「女のいない男たち」)


 どちらにせよ、あなたはそのようにして女のいない男たちになる。あっという間のことだ。そしてひとたび女のいない男たちになってしまえば、その孤独の色はあなたの身体に深く染み込んでいく。淡い色合いの絨毯にこぼれた赤ワインの染みのように。あなたがどれほど豊富に家政学の専門知識を持ち合わせていたとしても、その染みを落とすのはおそらく困難な作業になる。時間と共に色は多少褪せるかもしれないが、その染みはおそらくあなたが息を引き取るまで、そこにあくまでも染みとして留まっているだろう。それは染みとして資格を持ち、時には染みとして公的な発言権さえ持つだろう。あなたはその色の緩やかな移ろいと共に、その多義的な輪郭と共に、生を送っていくしかない。(「女のいない男たち」)


 その時男たちはどうしたか。その対処の仕方の違いがこの本の6編の短編となっている。いずれにしても女に去られた男の姿は哀しい。
 まずは女が去ったわけを探る男がいる。
 「ドライブ・マイ・カー」の家福は、死んだ妻を寝取った男と友人を装い、その男に近づき、妻がその男に、自分にないものに惹かれたものは何だったのか探ろうとする。握手をした男の手の感触から、その手が妻の身体を触れたであろうことを想像するシーンは切実だ。


 彼が立ち去ったあと、家福は待合室の椅子に腰を下ろし、握手をした手のひらを広げ、しげしげと見つめた。そこには高槻の手の感触が生々しく残っていた。あの手が、あの指が妻の裸の身体を撫でたのだ、と家福は思った。時間をかけて、隅から隅まで。それから目を閉じ、深く長い息をついた。いったい自分はこれから何をしようとしているんだろう、と思った。しかしいずれにせよ、彼はそれをしないわけにはいかなかった。


 家福から見れば高槻という男は大した男ではない。そんな男に抱かれる妻の気持がわからない。専属ドライバーとして雇ったみさきをと車の中で話し合う。


 「でも、はっきり言ってたいしたやつじゃないんだ。(略)なのになぜそんななんでもない男に心を惹かれ、抱かれなくてはならなかったのか、そのことが今でも棘のように心に刺さっている」

 「それはある意味では、家福さん自身に向けられた侮辱のようにさえ感じられる。そういうことですか?」

 「そういうことかもしれない」

 「奥さんはその人に、心なんて惹かれていなかったんじゃないですか」
 「だから寝たんです」

 「女の人にはそういうところがあるんです」

 「そういうのって、病のようなものなんです。(略)みんな病がやったことです。頭で考えても仕方がありません。こちらでやりくりして、吞みこんで、ただやっていくしかないんです」

 
 もともと妻のことを何から何まで知っているわけじゃない。家福が言うように「僕らはそんな細かいピンポイントのレベルで行動しているわけじゃないから。人と人とが関わり合うというのは、とくに男と女が関わり合うというのは、なんていうか、もっと全体的な問題なんだ。もっと曖昧で、もっと身勝手で、もっと切ないことだ」だったんだから、わからない部分があって当たり前だ。しかし大枠で理解し合っていると思っていたことが、それがあまりにも大雑把であるが故に、理解し得なかった何かが決壊してまう。
 男は哀しいもので、それでもその理由を探し回る。もちろんはっきりとした答えなど見いだせない。だけど妻が男と寝たことは事実である。今さらその事実を変えられるわけでもない。しかもその妻は亡くなってしまっている。となれば、自らを責めるか、さもなければみさきの言うことを認めるしかない。あるいは「独立器官」の渡海医師のように、半ば強引にそのわけを作ってしまうか。


 すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき具わっている、というのが渡海の個人的意見だった。どんな嘘をどこでどのようにつくか、それは人によって少しずつ違う。しかしすべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。大事でないことでももちろん嘘はつくけれど、それはそれとして、いちばん大事なところで嘘をつくことをためらわない。そしてそのときほとんどの女性は顔色ひとつ、声音ひとつ変えない。なぜならそれは彼女ではなく、彼女に具わった独立器官が勝手におこなっていることだからだ。だからこそ嘘をつくことによって、彼女たちの美しい良心が痛んだり、彼女たちの安らかな眠りが損なわれたりするようなことは-特殊な例外を別にすれば-まず起こらない。(「独立器官」)


 女が去ったわけに、自分自身にその問題があったかもしれない、と考えるのが、「イエスタデイ」の木樽である。木樽は恋人えりかとは小学校からずっと一緒であった。木樽はあまりにもえりかが近くにいすぎたため、男と女の関係になれなかった。


 「それが、あかんねん。子供の頃からよう知ってるからな、服を脱がせたり、身体を撫でたり触ったり、あらためてそういうことをするのが、なんか決まり悪いんや。他の女の子が相手やったら、そんなことないと思うんやけど、パンツの中に手を入れるとか、彼女を相手にそういうことを想像すること自体が、よろしくないことに思えてくる。それはわかるやろ?」


 これは木樽の問題である。えりかには関係ない。木樽の煮え切らない態度にしびれを切らし、えりかは他の男と寝てしまう。
 「木野」でも、妻と別れたその現実を自分の中に理由を設けて「仕方がない」とまず現実を受け入れようとする。


 別れた妻や、彼女と寝ていたかつての同僚に対する怒りや恨みの気持はなぜか湧いてこなかった。もちろん最初のうちは強い衝撃を受けたし、うまくものが考えられないような状態がしばらく続いたが、やがて「これもまあ仕方ないことだろう」と思うようになった。結局のところ、そんな目に遭うようにできていたのだ。もともと何の達成もなく、何の生産もない人生だ。誰かを幸福にすることもできず、むろん自分を幸福にすることもできない。だいたい幸福というのがどういうものなのか、木野にはうまく見定められなくなっていた。痛みとか怒りとか、失望とか諦観とか、そういう感覚も今ひとつ明瞭に知覚できない。かろうじて彼にできるのは、そのように奥行きと重みを失った自分の心が、どこかふらふらと移ろっていかないように、しっかりと繋ぎとめておく場所をこしらえておくくらいだった。


 謝りに来た木野の元妻は言う。

 「傷ついたんでしょう、少しくらいは?」と妻は彼に尋ねた。「僕もやはり人間だから、傷つくことはきずつく」と木野は答えた。でもそれは本当ではない。少なくとも半分は嘘だ。おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ、と木野は認めた。


 しかし十分木野は傷ついていた。ただそれを自身認めたくなかっただけだ。


 そう、おれは傷ついている、それもとても深く。木野は自らに向かってそう言った。そして涙を流した。


 家福はみさきの言葉に黙るしかなかった。渡海医師は拒食症になり死んだ。木樽はアメリカへ渡り寿司職人となった。男と女の関係の破綻は、その関係が深ければ深いほど、大きな傷となる。その傷がこの本の場合、男を苦しませる。(わざわざ男がとことわるのは、もしかしたらこの本は一方的に男の言い分しかあらわしていないからと思うからだ。)いずれにせよその傷を癒やすために、どこに落としどころがあるのか、どこで折り合いがつけられるのか、男たちにいつでもその答えを探させる。



村上春樹 著 『女のいない男たち』 文藝春秋(2014/04発売)
by office_kmoto | 2014-05-21 05:17 | 本を思う | Comments(0)

高山 文彦 著 『エレクトラ―中上健次の生涯』

d0331556_555418.jpg この本は副題にもあるように、小説家中上健次の生涯を追った作品である。評伝といっていい。
 私はなぜ中上健次が作家にならなければならなかったのか。作家として生きていかなければならない理由と、その中上を作家として一人前にさせた編集者の中上にかける執念みたいなものに圧倒されてしまった。そのことを書きたい。たぶんかなり長くなると思う。それだけこの本は衝撃的であった。


 (中上健次が)生まれたのは新宮市新宮六七五八番地。しかし地元の者はだれもそこを新宮とは呼ばず、春日と呼んでいた。春日といえば、新宮ではだれ知らぬ者のない被差別部落であった。昭和二十一年八月二日、その春日で生まれた健次はやがて作家となって春日を「路地」と呼ぶようになる。


 健次は母ちさとにとっては、六番目の子であった。父親は戸籍上木下勝郎となっているが、実父は鈴木留造といい、背中に荊の刺青をしているところから「イバラのトメ」と異名を持つ荒くれ者で、背丈は百七十センチあまりあり、筋骨隆々とした体つき、指の関節はごつごつして木の節のように太かった。「三度の飯より喧嘩好き」と自分からも言っている。
 鈴木留造は三重県の南有馬の被差別部落出身の私生児で、戦後直後の混乱期に流れ者のようにして新宮にやってきた博徒であった。またちさとも八人兄弟の末っ子として生まれ、戸籍上の父親は丸太を曳く馬の下敷きになって死んだ後、母親が別の男と出会って生まれた私生児だった。
 ちさとは木下勝郎と所帯を持ったが、夫を失って終戦前後四人の子供を食わせるために行商人となり闇市に出入りしていたときに留造と出会った。ちさとはまだ二十八歳の女盛りで、留造と夫婦同然のように生活をしていた。しかし留造は自分の男ぶりにものを言わせてよそに女を二人もつくり、一人の女に子を孕ませた。ちさとがそれを知ったのは健次を身籠もって半年を迎えた頃だった。ちさとは自分から留造に三行半を突きつけた。
 つまり健次は母親も父親もよそ者の私生児の血を引く「部落の落ちこぼれの子」だったのだ。


 そうした男と女のありようは、しかし春日では珍しいわけではなかった。留造が静子(もう一人の子を孕んだ女)と所帯をもったのも春日で、ちさとの家から近かった。だからよく顔を合わせた。それはごくありふれた路地の日常である。子をもつ女がよその男のもとに走り、そこでまた子が生まれる。男もまたよその女といい仲になって子が生まれ、新しい所帯を持つか、もたずにまた別の女へ走る。差別の多恨の路地の者たちは蜂のように密を運び、花のように受精した。
 そうしたことがあちこちでくり返されるので、気がついてみればいたるところで血縁関係が生まれ、春日は春日という大きな家のようでもあり、「死んだ者や生きている者らの生命があぶくのようにふつふつと沸いている」(『千年の愉楽』)のような雰囲気をかもしだし、人と人とが蔦のように縒りあわさり絡みつく一本の大きな樹木のようでもあった。


 健次が八歳のとき、ちさとが土木作業員の男と一緒になるために健次をつれて家を出た。他の兄弟はもう大人なのだから、立派に働いて食べていけるだろう、とちさとは健次一人を連れて隣町の野田で男と同棲を始めた。男は「中上」と書いて「なかうえ」という。
 残された兄の行平は厄介者扱いにされ見捨てられたと思い、頻繁に野田の家へ酒の勢いを借りて押しかけるようになった。倉庫から持ち出した斧を振りかざして「われア、四人ともブチ殺したろか!」と叫び、ちさとらだけがいい生活をして、と罵って行った。
 行平のアルコール中毒はかなり進行しており、訳のわからぬことを言い出していた。昭和34年3月3日、行平は首をつって自殺した。24歳であった。
 行平は卵を産まなくなった廃鶏をどこかで安く買い付け、それをつぶし、肉を切り分けて売り歩いていた。ちさとはその肉を行平からわけてもらい売って歩いた。時には行平はちさとに金も貸してやっていた。だから中上七郎が土建業で大きくなったのも、食えないとき行平が支えてやっていたことになる。その金で健次も食べることが出来たのである。
 この母、父、そして二人から生まれた自分、さらに兄の自殺、そしてそのふるさとが中上健次の“業”となって絡みつき、いつまでも離れない。後に中上健次の妻となる山口かすみと会話で、


 「おれの母親は、母親というより、女だったんだよな。だから、おれには三人の親父がいるんだよ」
 と、恨みごとのように、木下、鈴木、中上と三つの姓をあげて、
 「母親であってくれたら、家庭はもっと違ったんだろうけど・・・・・」

 「木下とは子供を五人もつくってるんだぜ。もう充分に母親として生きなきゃいけない人数じゃないのか。それが鈴木とくっついて、おれを生んで、つぎにいまの親父とできちゃって・・・・。母親がもっと母親らしくいてくれたら、兄貴は死なずに済んだんじゃないか。母親がおれだけつれて再婚なんかしなかったら、首を吊らずに済んだんじゃないか。これは自分のなかの重い問題として、一生抱えていかなきゃならないものなんだ」


 中上健次は母を頭ととする異父兄弟の中で母系一族で育った。「母系一族は、家族を構成しても、イエを構成しない。家庭を構成しない。そのためイエや家庭を基にした父系の日本社会や世間と相容れないのである」。そういう世界で育った中上健次はそれらを自らの“業”として抱え込んでしまった。一時はそれから逃げることで生きてきた。そこから逃げることを“パッシング”(パッシングとは黒人と白人の血がいくたびも混じり合った結果、それをきっかけに差別され、自分たちの土地を出て、白人の土地に移り住んだということである。パッシングとは白人としてパスするという意味で、有色人種が白色人種を装って世渡りすることを指す)と称していたが、「いくら健次がそう言いつくろったところで、真実は、自分がそうしたのではなく、そうさせられてしまった、つまり故郷にはじかれてしまった、という被害の思いが強い」。
 中上健次は、自分が隠してきた、あるいは抱え込まざるを得なかった“業”をどこかでそれを精算しなければ生きていけなかった。それが文学であった。
 中上健次が小説家を目指すにあたり、被差別部落で私生児として生まれてきたこと、その父、そして母ではなく女として生きた母親、兄の自殺、死へのおびえ、肥満へのコンプレックス、いじめを受けてきたことなど、これらをどこかで精算しなければならなかった。皮肉なことに、自分の中にある“業”としてある土壌は、小説の題材としては、稀に見る豊かさを持ってしまったことになる。


 中上健次という作家の登場は、現代文学にとってひとつの事件であったと私は思う。というのも彼は、作家となる宿命を背負ってこの世に生を享け、その宿命を誠実に生きて死んだ希有な作家だったと考えられるからである。これを書かなければ生きていけないというほどのいくつもの物語の束をその血のなかに受けとめて作家になった者がどれほどいるだろうか。健次の場合、おのずから作家となるしかない道をたどってきたのだし、また本人が好むと好まざるとにかかわらず、生まれ育った熊野新宮の被差別部落という場所が、あるいは霊地たる熊野総体が、殺戮されてきた自分らの声や叶えられぬ望みを伝える物語の記述者として健次を選び、彼をこの世に送り出したのではないかと思えてくる。


 そんな中上健次を小説家としてデビューさせたのが河出書房新社の編集者であった鈴木孝一であった。


 「さっきも言いましたけど、ぼくの考えでは、あなたが書きたいことはほんとうは別のところにある。どうしても書きたいことがほかにちゃんとあって、それをまだ書いていないんじゃないか。ぼくはそれを読みたい。読みたいから葉書を出したんです」

 「まだ編集部にはいったばかりの素人だし、ぼくにあなたの作品を載せる権限はないけれど、でも書いてくれたら一生懸命読みます。あなたが書く気がないって言うなら仕方がないけれど、書く気があるならぼくにぜひ読ませてくれませんか」

 「信じていいのか」

 「そんなことはわかりませんよ。だけどぼくは、自分がいい小説だと思うものはいい小説だと思うし、悪い小説だと思うものは悪い小説だと思う。自分の考えは変えません。ただ原稿はちゃんと読む。それしか言えない」

 「それじゃ」

 「待ってますから」
 と、鈴木は言った。


 鈴木は見抜いていた。


 鈴木に言われなくても、ほんとうに書きたいことはわかっている。死んだ兄のこと、わが母系家族のこと、絞め殺してやりたいくらい愛しい故郷のこと・・・・。その根底には、自分が被差別部落の出身者であるという出自の問題がある。鈴木の言うことはなにからなにまで的を射ていたし、それは自分でもわかっているのに、どのように立ち向かっていけばいいのかわからぬまま、なるべく見ないようにしてきた廃疾のような青い痛みだった。


 それを中上健次に書けというのだ。
 それから鈴木は、中上健次に何度も小説を書かせ、鈴木はそれを読み、大量の書き込みを入れて原稿を返してきた。鈴木と中上健次は、何年もそういう関係を続けていった。そしてそのほとんどを没にした。
 そして中上健次が書かなければならなかった自分の出自や血縁を素材にした小説『エレクトラ』を書いたが、鈴木はいつものように大量の書き込みを一切せず、そのまま突っ返した。


 「この原稿は発表できない」

 「これはあなたが作家になろうとする動機だ。あなたはこれを書かなきゃいけなかった。だから作家になろうとしているんだ。しかし、これを書くには、まだ熟していない。だから、おれは発表できない」

 「これがおれにとって、どんな作品なのかわかってるのか」

 「もちろん、わかってるさ。素材の素晴らしさだって。文句のつけようのない素材だし、絶対にこれは書かなきゃいけない素材だということもわかっている。しかし、素材がどんなに素晴らしくたって、いい小説が書けるってものじゃないんだ。これはあなたにとって、とっておきの素材じゃないか。ところが、作品になっていない。素材が素材のまま投げ出されている。この状態で世の中に出したら、あなたは作家として損をする。だから、おれは発表できないと言っているんだ」


 「中上、これはどこにも発表するな。とにかく活字にしちゃ駄目なんだ。活字にしたらあんたが絶対損をするんだから、頼むから、おれをどんなに憎んでもいいから、これだけは活字にしないでくれ。かならずあなたはこの素材で素晴らしい小説を書くんだから、いま出しちゃいけない」
 鈴木は懇願するような口調になった。


 「なにかをあなたは隠している。吹っ切れてないんだよ。自分じゃみな書いたと思ってるかもしれないが、身につけているものを取り払っていない。裸になっていない」

 「おれはずっとあんたにパッシングということを言ってきたよな。おれは紀州から東京にパッシングしてきたんだって、何度もあんたに言ってるよな。いまあんたは殻を割って核をだせと言った。それがどういうことか、わかって言ってるのか」

 「わかるから言っている」

 「ほんとうにわかってるのか」

 「おれはあんたの原稿を読むとき、自分の立場で読んだことは一度もない。いつだってあなたの立場で、あなたがなにを書きたいのか考えて読んでいる。なにを書きたいのか、それが見えないから、こうやって書き込みをしているんだ。おれだって、あんたの作品を載せたくってしょうがないんだよ」

 「それじゃもう一度訊くが、おれがパッシングと言った意味がどういうことか、ほんとうにわかるのか」

 「同じことを何度も言わせるなよ」


 改札を通り抜けると、下りの電車で国分寺まで帰る健次と別れて、鈴木は東京行きの上りのプラットホームに下りていった。階段をくだったとき、急に立ちくらみがしてよろめいた。鈴木は、はじめて猛烈に腹が減っていることに気づいた。無我夢中で話していたから、晩飯を食おうだなんて考えもしなかった。
 きっとあいつも腹を空かせているだろう。なんて自分は気のきかない人間なんだ。昨夜から今日にかけて羽田できつに肉体労働をしてきたばかりの彼に、どうして飯を食おうと言わなかったんだろう。そう思って反対側のプラットホームを見ると、健次の巨体が人ごみのなかにしょぼんり立っている。
 「ナカガミ-っ」
 鈴木の声に気づいて、健次はこちらを見た。
 「悪かったなあ。飯食うのをわすれてたなあ。これから行かないか」
 「いいよ、いいよ」
 と、健次は口を動かしながら、右手を小さく振った。
 「ごめんなあ、気がつかなくて」
 「いいよ、いいよ」
 健次はさびしそうに笑みを浮かべ、また小さく手を振った。
 なにかしら別の言葉を投げかけたくなったが、いくら探しても見つからなくて、プラットホームのあちら側とこちら側で向かいあっているのがつらくなって、視線を逸らした。健次の目も、下を向いた。


 中上健次と鈴木孝一とのやりとりは壮絶な戦いであった。いくら中上健次が小説家として素晴らしい土壌を持っていても、それを表現できる能力が備わっていなければ、その素材を生かせない。鈴木に余すことなく書け、と言われて書いたものでも、まだだと言われれば、けんか腰になるのも当たり前である。しかし思うのだが、そういう理解力と状況判断が出来る鈴木と出会わなければ、中上健次という小説家は生まれなかったはずだ。鈴木は当時若かったが、中上を見る目は厳しい中にも、その可能性を見出していたのである。だから何度も作品を没にし、出来上がった作品を自分を憎んでもいいから、発表するなと言うのである。
 そして出世作の『十九歳の地図』が「文藝」に載った。この作品は芥川賞の候補にも選ばれ、健次は興奮して「どうかな、芥川賞とれるかな」と鈴木に尋ねるが、「無理だな、とれないよ」とけんもほろろに答えて知らんぷりを決め込んだ。


 意地悪を言っているのではない。しんからそう言っていた。作品としてはたしかに完成度が高い。といって、抜きん出て優れているというわけではない。このような作品を書けるまでになったのだから、この先どうにか作家として食っていけるようになるだろうと、ほっとしたというのが正直な感想だ。そして健次には内緒にしていたのだが、もうそろそろ健次と離れてもいいころではないかと思っていた。


 喫茶店で向かいあった鈴木を見て、健次は心配そうに顔をしかめた。もともと痩せてはいるが、眼窩があらわになり、頬もげっそりこけている。
 「だいじょうぶか、顔色がわるいよ」
 「ああ、まあ、だいじょうぶだよ。心配してくれなくても平気だよ」

 「おれ、『文藝』を辞めようと思っているんだ」

 「なんだって?」
 
 「だから『文藝』を辞めようと思っているんだ。寺田さんには言ってあるんだけどね、出版部に行かせてもらえないかって」
 「どうして辞めなきゃいけないんだ」

 「おれを見捨てるのか」
 と健次は言った。
 その声は静かだったが、明らかに怒気をふくんでいた。つづいて出てきた声は、近くの客もびっくりしてふり返るくらい、堰を切ってあふれたような大声だった。
 「おい鈴木、なんとか言えよ。おれを見捨てるのか!」

 「仮に少しでもおれに、あなたをどうのこうのする役目があったとしたら、それはもう終わったんだよ」
 「つまらんことを言うな。なんで辞めなきゃいけないんだ」
 「芥川賞の候補になって、いろいろ雑誌の編集者が集まるようになったんだから、それでいいじゃないか」
 「おれはまだ信用できる編集者とめぐり会ってないんだよ。これからすごい小説を書いて、押しも押されない作家になろうとしているところなんだぜ。どうしてそんなときに辞めるなんて言うんだ」
 「役目が終わったからさ」
 「おれがおまえを男にしてやる。男にしてやるから辞めるなよ」
 「いいよ、べつに。男になんて、してもらいたくないから」
 「なんだとお・・・・・。おまえ、やっとおれがひとり立ちしようとしているときじゃないか」
 「だから言っているんだ。いまのあなたはいろんな雑誌から依頼がきて、もう原稿を没にされる作家じゃなくなった。おれみたいな人間とつきあうのは、やめたほうがいいよ。このあいだ『蝸牛』を書いてもらったけど、おれとつきあってるとどうしてもあなたはおれのことを気にして、作品に力がはいりすぎて逆に萎縮した感じになってしまう。ほかの編集者と仕事をして、のびのび書いたほうが、あなたのためになるよ」

「八月には本も出ることだし、いいじゃないか。編集者はいくらでもいるんだから、新しい人とつきあったほうが、いい小説が書けるよ」
 「だから信用できる編集者がいないって言っているだろう。あんたが辞めたら、いったいだれがおれの担当をできるんだ」
「もうあなたは心配ない。おれは『十九歳の地図』のとき、みんなが評価するのが悔しかったんだ。これは評価して、ほかのは評価しないのかよ、ってさ。それまで書いてきた作品については全部ネグレクトしやがって、『十九歳-』だけ持ちあげるのかよ、どういう見方をしているんだよ、ってね。完成度はもちろん『十九歳-』のほうが格段に高いけれども、志としてはそれまでおれが没にしてきた作品のほうがうんと高いんだ。そういう志が隠されているから『十九歳-』の価値があるわけで、『十九歳-』ひとつをとっていくら評価したってしょうがない。それはジャーナリズムが騒ぐことであってね。だけどもう、これからは大丈夫だよ。きっとすばらしい小説を書くよ」
 健次は黙りこんでしまった。


 それでもまだ書ききれてないものがあると、鈴木は思っていた。だから最後に言うのである。


 「最後に、言っておきたいことがある。出版部ではあなたの本をつくることになるけど、書き下ろしはなかなかできないだろうから、最初の原稿の段階で話をすることはもうないだろう。それで話しておきたいと思ってさ」
 いつもとは違う鈴木の雰囲気に、健次はつぎの言葉を待った。鈴木は世界的にその名と作品が知られた日本の作家を幾人かあげて、この人たちは被差別部落の出身という話があるが、もしそれがほんとうだとしたら、その事実を隠して書いている彼らを自分は絶対に認めない、と言った。

 すると健次はすぐ察したように、顔色を変えて、
 「おまえ、わかって言ってるんだろうな」
 と、ほとんど立ちあがりかねない気配をみせて、鈴木をにらみつけた。
 「わかってるから言っている。おれは最初から気づいていたんだよ、パッシングの話を聞いたときから。もうこんなことを言う機会もなくなるかもしれないから、こうして会って話そうと思ったんだ」
 「おれは東京に出てきて、人にそういうことを言われたのははじめてだ。相手はわかっていても、直接そういうことを言うのは、あんたがはじめてだ」
 「失礼な言いかたをして、済まないと思うよ。ただ、おれが言いたいのは、それを暴露しろということじゃないんだ。書く気持のなかで隠すな、ということだよ」
 「そんなことは言われなくたって、わかってるよ」

 「だから、わかってるって言ってるだろう。おれは作家だよ」
 鈴木は胸を張る健次を見て、小さく笑った。
 「いいんだそれなら。それだけを言っておきたかった」
 「あんたはいつも、おれに喧嘩を売るみたいだったよ」
 と、今度は健次が笑みを浮かべて、
 「おれにかなうと思うか?」
 「ふっ飛ばされても、そばの石ぐらい投げてやるさ」
 鈴木は健次を見た。
 ふたりして笑った。


 この二人のやりとりを読んでいると、こうまでして小説を書かなければならないのか。こうまでして小説を書かせなければならないのか、と思ったのである。そして鈴木はあまりにも長く中上と蜜月が続いたものだから、自分と一緒にいると、中上がのびのびと小説が書けなくなっていることを感じている。だから中上のために身を引くことを決める。普通、編集者は新人を発掘し、注目を浴びるまで育てて、最後に一緒にその喜びを分かち合うのが編集者冥利だと思うのだが、鈴木はそれを拒んだ。もう自分の役目は終わったと言うのである。
 それに対する中上の「おれが男にしてやる」という言葉。それこそ一緒にやってきたのだから、これからも一緒にやっていこうという気持。それまで苦労してきたし、苦労させてきたのだから、中上の言葉は、武骨な分、その感謝の気持ちが直に伝わってくる。
 別れ際「あんたはいつも、おれに喧嘩を売るみたいだったよ」、「おれにかなうと思うか?」、「ふっ飛ばされても、そばの石ぐらい投げてやるさ」という言葉を掛け合い、ふたりして笑ったところは、涙が出てくる。これと同じ会話が鈴木が会社を辞めようと思うことを中上に伝えた時にもある。


 「おれが、あんたを男にしてやるよ」

 「だれからも男になんかしてもらいたくねえよ」

 「あんた、おれの本、出したか?辞めるなら、出してから辞めなよ。おれだって、あんたの言うこと聞いてきたじゃないか」


 そして鈴木の忠告を聞いて、芥川受賞作の『岬』が生まれた。中上の担当編集者となったのは「文學界」の高橋一清だった。高橋は鈴木より先に中上とコンタクトを取っていた人物で、その高橋が「文學界」に戻ってきて、鈴木のあとの担当編集者となった。


 健次のもとへは、多くの賛辞が寄せられた。そのなかでいちばんうれしくて、照れくさかったのは、鈴木孝一からもらった電話である。鈴木は「文學界」が発売されてすぐ読んだと言い、「『岬』読んだよ。ほんとうによく書けているよ。とうとう梅干しの種の殻を割ったじゃないか。おれは素直にうれしいよ」
 珍しく声をはずませるので、あの鈴木が本気でそう言ってくれているのかと健次もうれしかったが、ありがとうと言うのも恥ずかしくて、
 「あんたに褒められたら、不安になってきたよ」
 クックックッと、鳩のように笑ってみせた。
 鈴木はそのあと高橋一清にも電話したようで、鈴木さんから電話があってお礼を言われましたよ、と高橋から教えられ、なんだか身内みたいな言いかたをしてくれるじゃないか、とむずがゆかった。電話で鈴木は『エレクトラ』の一件について、自分の不明を愧じなきゃいけないな、などと話していたが、あの深夜におよんだやりとりがなければ『岬』は生まれなかった、と健次は思う。


 この本は図書館で借りて読んだ本であったが、私はこの本を手許に置いておきたいと思う。どこかで探そうと考えている。それくらいすばらしい本であった。



高山 文彦 著 『エレクトラ―中上健次の生涯』 文藝春秋(2007/11発売)
by office_kmoto | 2014-05-18 05:57 | 本を思う | Comments(0)

アレ

 朝食に食べる食パンの袋をとめてあるもの、アレなんて言うか知ってます?パンを取り出して、また袋をとめようとするとき、うまくとめられないやつ。
 アレ、「バッグ・クロージャー」というらしい。朝日新聞の記事で知った。
 世の中何気なく普段使っているのだけれど、その名前がなんて言うか知らないやつって、結構ある。別に名前を知らなくても「アレ」で済んでしまうのだが、固有名詞を知らされると、「そうなんだ」と妙に感心する。また名前を知ったことで、ちょっともの知りになったような気分にもなれる。
 本に付いているひものしおり、あれだって、つい最近まで名前も知らなかった。そんなに意識しないで使っていた。ましてあのひも(ちなみにスピンといいます)、東急ハンズで製本用材料として売っていると聞いて、驚いてしまった。
 で、新聞の記事の話に戻ると、「食パンを買うと、袋の口を閉じるところについている、水色や白色の留め具。たぶんプラスチック製だ。もちろん、使い方も役割もわかる。だけど名前は知らない――。ネット上では「食パンの袋を留めるアレ」と、そのまんまの長~い異名を持つ」と始まる。
 埼玉県川口市にある、バッグ・クロージャーを国内で唯一製造する会社の工場で取材する。なんとこれ(アレこれとややっこしいが)警察の鑑識課が、事件現場で採取した資料を袋に入れて閉じ、ラベルに資料採取日や事件名などをこれに記入して使われたこともあったという。
 なるほど言われてみれば便利かもしれない。ということで記事は袋をとめるだけでなく他に用途があるのではないか、とネットで調べてくれる。
 世の中いろいろ考える人がいるもので、アレをレースの糸巻きにしたり、フォークやスプーンを束ねてときに使ったり、写真立てにしてみたり、なんとピアスやネックレスにしちゃう人もいる。まあアイデアいっぱいである。でも写真立てはいいかも。
 この会社ではそうしたアイデアを募集して、アレを130個をホチキスでつなぎ合わせてティッシュボックスを作ったという。
 で、この記事を書いた記者は思うわけである。ティッシュボックスを作るのに、何枚食パンを食べなきゃならないかと。

 私も思いました。

 そうしたら、アレ、2千個入りを1900円で個人向けに販売しているという。記者も「う~ん、ちょっと多いかな」と絶句気味。

 確かに・・・。
by office_kmoto | 2014-05-17 12:32 | ものを思う | Comments(0)

5月日録(上旬)

 5月某日 はれ

 孫が来たので孫と遊ぶ。一緒にファミレスで食事をし、その後施設に入っている祖母を訪ねる。
 しばらくそこにいて、帰ってきてから予定していた誕生日パーティーを行う。プレゼントを渡し、喜ぶ顔を見てから、ケーキを食べる。
 夕食は、スシローから持ち帰ったお寿司を食べる。回転寿司とはいえ、結構美味しい。みんなで食べるからだろう。予約したお寿司を受け取るために、お店に行ったが、ものすごい混みよう。駐車場に入る道から車が並んでいる。結局路駐して、お寿司を受け取る。店内もものすごい人だ。さすがゴールデンウィークだ。持ち帰りにしてよかった。
 久しぶりに孫と風呂に入った。何をするにしても孫はみんな遊びにしてしまう。


 5月某日 はれ

 孫と朝顔の種をまくための種床をつくる。朝顔は去年入谷で買った朝顔に出来た種だが、果たして今年も花を咲かせてくれるだろうか。ネットで育て方を調べているが、種まきは少々早いかもしれない。孫と一緒にやりたかったので、強引にやってしまった。
 昼食を一緒に食べてから別れる。孫といるのは楽しいのだが、歳にくせにはしゃぎすぎてしまう。別れたあとぐったりしてしまった。


5月某日 くもり

 昨日作った種床に、昨日から水につけてふやかしてある種をまいてみた。
 今日は何故か一日中頭痛に悩まされる。バファリンを飲んで、横になる。


5月某日 くもり時々雨

 今日は5月だというのに寒い。歳をとると寒さに弱くなるような気がする。昨日よりましなのだが、頭痛が続く。
 写真の整理をしたり、ビデオの編集をする。

5月某日 はれ

 早川良一郎さんの『散歩が仕事』という文庫本を読んだ。そこに次のような文章があった。


 定年退職とは、サラリーマンの文化勲章のようなものだと思っている。


 確かに定年退職とは、その人の一生をかけて会社勤めを全うしたのだから、勲章をもらえる価値ぐらいあるというたとえなのだろう。となると私の場合、サラリーマン人生を強制終了させられたので、勲章をもらい損ねたわけだ。
 私のサラリーマン人生を強制終了させた人物は実際に文化勲章をもらった人である。もともと勲章なんて興味も関心もなかったが、この人が叙勲したことによって、文化勲章なんてますます「胡散臭い」ものだと思うようになっている。社会に貢献という意味で叙勲の対象となるなら、この人はその功績と見なされた会社を自分の経営能力のなさでつぶしてしまった人である。そんな人間に勲章を与えているのである。だから勲章なんて意味のないもので、せいぜいその人間の葬式の時に一緒に飾るであろう“飾り物”なのだと、と思っている。


5月某日 はれ 強風

 図書館のちょっと先にマルエツがあり、その2階に100円ショップのSeriaがある。今日はそこで消しゴムとパソコンの液晶画面を拭くクリーナーを購入する。
 店内を見てみると、まあいろんなものがある。みんな100円なのにいつも驚く。昔よく小物を入れるケースや書類入れなど買った。買ったときはこれで整理出来ると思って買っているのだが、そこに入れるのが面倒臭い。結局 ゴミとなってしまった。だからこういう収納関係のものは、興味があり、後ろ髪を引かれるけど、買わないことにしている。
 朝顔をあんどん作りのするためのツルをはわせるものもちゃんとある。もちろん100円だ。うちの朝顔が成長したらこれを買おうと決める。
 会計をしようとレジに向かうとめがねケースが目につく。そういえば私のめがねケースが壊れてしまい、買わねば、と思っていたところであった。近いうちにめがね屋さんへ行かなければと思っていたところであった。しかしわざわざそこまで行かなくてもここにある。しかも100円だ。まあ、100円だからちゃっちいものかと思ってしまうが、手に取ってみると、どう見ても100円には見えない代物だ。だから買った。
 家に戻りめがねをそのケースに入れてみる。ケースはかなりしっかりできている。とても100円には見えない。これはいいかも。めがね屋で買えば1,000円近くする。これで十分だ。壊れても100円だから仕方がない。
 そうなのだ。この100円ショップでものを買ってしまうのは、値段もさることながら、100円だから長持ちしなくても諦めがつくというところにあるのではないか。それにちょっと便利そうと見せるところもその気にさせる。よくある便利グッズみたいな胡散臭いものとは違い、割と堅実的なものが100円であるからついつい買わされてしまう。


5月某日 はれ

 今まで隅にほっぽり出されていた義父が残した君子蘭を陽の当たる場所に移し、肥料と水をちゃんとやっていたら、葉がすくすく伸びて、花芽を付けている。さつきもいくつも花芽を持っている。
 私のやっていることはガーデニングというほどのものではない。庭にある義父の残した植物にちょっと手入れをしているだけである。
 今までは見向きもしなかったものであるが、土を整え、肥料をやり、消毒をしてやると、ちゃんと花が咲く。それだけ手を加えないといけない植物ってどうなのよ、と思わなくもないが、狭い庭に閉じ込められている中では、そのくらいしてやらないといけないのかもしれない。おかげで庭を掃いたり、水をあげたりすることが、私の日課になっている。
 我が家はお寺の裏側にあり、大きな木からいろんなものが落ちてくる。掃いても掃いても切りがない。昨年まではそのことに腹を立てていたが、今は仕方がないじゃないか、と何故か寛容になっているのも、余裕が出来たからだろう。
 今日も明日ゴミの日なので、庭や玄関先を昨日と同様に掃いてまとめておく。


5月某日 はれ

 今日は朝いつものように起きて、書きかけの文章を書き上げる。これでこの文章を書くのに3日かかったことになる。
 今まで小出しに、私が会社を辞めることになった経緯を書いてきたが、いつかきちんとまとめてみたいと思っていた。それを書いていたのである。
 会社が左前になり始めたのが去年の今ごろであり、ちょうど1年経ったことになる。会社を辞めて5ヶ月たったが、実質仕事から離れて半年となる。そろそろ私の中にある“澱”を出しておくのにはちょうどいい時間が過ぎたように思えたのだ。
 思ったよりコンパクトにまとまった、と思う。(それでも長いが)これでかなりすっきりした。もうこれ以上書き加えることはない。いやこれ以上書くと、恨みつらみばかりになってしまい、自分が惨めになる。だからこれ以上は書かない。


5月某日 はれのちくもり

 昨日帽子を買った。毎朝散歩に出ているが、この頃日射しが強くなっている。なので帽子を被った方がいいように思えたのだ。
 私は帽子を被ることをしない人である。似合わないと思っている。でも似合う似合わないより、現実的に物事を考えることにしたのである。
 その帽子を被って今日はハローワークへ失業の認定へ行き、その後古本屋さん巡りをする。


5月某日 雨

 昨日は歩きすぎたので、雨も降っていることだし、一日中家にいる。昨日手にしたお宝を検証する。
 なんと言っても永井龍男さんの『石版東京圖繪』である。美しい本だ。昭和42年初版となっているから47年前に出版された箱入りの本である。箱の背の部分は多少染みがあるが正面はセロファンがかかっていたためか、極めてきれいである。もちろん帯もきれいだ。そして本を取り出してみるとクロス装で川上澄生の版画が中央に押し込まれている。この本は川上澄生の装幀挿画で作られているのだ。またページとは別の紙質にものに版画が数枚組み込まれている。当時の値段で定価が650円となっている。当時の650円が今の価値にするとどれだけになるのかわからないが、おそらく今この本を作るとなると、その手間暇考えればかなりの値段になってしまうだろう。今ではこんな洒落た本を見かけなくなってしまったから、そうした意味ではこのような本は古本でしか見られないかもしれない。
 もう1冊森まゆみさんの『不思議な町・根津』である。この本も1922年初版とあるから22年前の本とは思えないほど状態が良い。カバーの手触りが心地よい。この本は実は文庫本で持っていて、読んでもいる。でもこのカバーの手触り、挿画の単行本ならではの大きさが気に入って手にした。出版社は山手書房新社である。久しぶりにこの出版社の名前を見た。この出版社細川隆一郎の名をはせた出版社である。もちろん今はない。


5月某日 雨

 昨日図書館から予約の資料(こだわっている)が準備できたとメールがある。喜国雅彦さんの「本棚探偵」の最新刊である。できればすぐ読みたいので、昨日から本を読んでいない。新しい本を読み始めると、しばらくの間その本にかかり切りになってしまうからである。
 しかし今日は朝から雨なので、図書館に行くのが躊躇われる。かといって、自分の本棚にある本を手にしてしまうと、ちょっとの間読めないし、どうしよう、とつまらぬことで悩んでしまう。しばらく天気の様子を見て、雨はまだ降りそうな天気であるが、今はやんでいる。意を決して図書館へ向かい、本を借りてくる。ついでに土屋賢二さんの本も2冊借りて、また雨が降らないうちに急いで家に帰る。これで2日本なしで過ごさなくても済む。
 これから梅雨になるので、こんな状況が続くことも考えられる。図書館の本と自分の本をどうやって読むか、うまい具合に配分しないと、本なしの日がまたできてしまう。要注意だ。
 庭を見たら、朝顔が芽を出していた。さつきが白い花を付け始める。
by office_kmoto | 2014-05-16 05:06 | 日々を思う | Comments(0)

川上 弘美 著 『晴れたり曇ったり』

d0331556_10552691.jpg 図書館で本を借りるようになってから川上さんを知った。以来数冊読んでいる。そのほとんどがエッセイである。この人の持つ不思議さに惹かれている。
 どうやら私とあまり年代は変わらないようで、失礼ながら、おばさんであろう。だけどそうしたおばさん的感覚はもちろんだけれど、少女的感覚も失っていないというか、うまく同居しているところが面白いのだ。ちょっと奇妙な感じで。
 この本には川上さんが小説を書くときに大事にしていることが書かれていた。


 小説を書くとき、内容や筋道について曖昧なままでいいのだが、「雰囲気」だけははっきり決まっていないと書き始められない。たとえば「笑えばいいのか悲しめばいいのか判断のつかない微妙な雰囲気」だの、「道端の空き缶を蹴ってみたがはずれて気まずい雰囲気」だの、「世の中全部を許してしまいたくなるうきうきした雰囲気」だの。


 これを読んだとき、川上さんのエッセイが持っている感覚がここにあるんだな、と思ったのである。その“雰囲気”がエッセイを面白くしているのではないか、と思った。その“雰囲気”はもちろんおばさん的発想もあるのだけれど、どちらかというと、少女的なのだ。そのギャップが素敵である。
 おばさんであろうと少女であろうと、女性であることで感じられる“雰囲気”は、男である私には何事にも新鮮に写る。身近にある美しさやいとおしさ、あるいは優しさを改めて書かれると、なるほど、そうかもしれない、と思ってしまう。


 女の子はどんなに幼くても、お洒落なのである。高価なものは別に必要ないけれど、いつだって工夫あるすてきな自分の姿を見せたいものなのだ。


 これうちの三歳になったばかりの孫が生意気にもそんなことをしている。ちょっとお出かけするときに、おもちゃのネックレスを引っ張り出し、その中から今日の気分で選んで身につけてきたり、髪飾りを自分で選んで、母親に付けてもらったりしていることを聞いた。
 美しさを感じ取る感覚も、やさしさも、なるほどなあ、と思ってしまう。


 きれいさでいえば、美術館のものにかなうはずがない。きれいと思う心は、いつもなにがしかの思いと結びついている。


 家のことはさほどしない。それなのに正月ばかりはそれらしい支度をまがりなりにもおこなうのは、実家で重箱をあつかった頃のやすらかな思いがあるからなのだった。美しいという言葉は当初肉親への愛をあらわしていたと聞く。美そのものをあらわすようになったのは室町時代以降だった、と。わたしの重箱を人さまが見ても、さして美しいとは感じないだろう。こどもの頃、家のものがさまざまに美しく思えたのは、室町より前のひとびとが口にしていた「美しい」という言葉の意味に倣っていたのである。


 今になって振り返ってみると、「当事者になることの大変さがわかっている人」と、「わかっていない人、つまり当事者になったことのない人」の、二種類の人がいました。
 大変さがわかっている人って、きっと、人生のどこかで困難にぶつかって、その当事者に自分もなったことのある人です。だから、他人が困難のさなかにいる時は、静かに相手を見守ってくれる。自分の経験から。


 とにかく、このような普段の生活の中にあるものや、人との関わり合いが新鮮なので、私は川上さんのエッセイを楽しみながら読まさせてもらっている。



川上 弘美 著 『晴れたり曇ったり』 講談社(2013/07発売)
by office_kmoto | 2014-05-15 10:58 | 本を思う | Comments(0)

アンカーボルト

 日記を見ると、去年の4月、5月はほとんど本を読んでいない。勤めていた会社が経営する店の身売りで、買ってくれる会社に自分の会社の経営状況などの資料作りの忙殺されていたのが4月で、5月はそれが失敗し、閉店を余儀なくされ、翻弄されていた時期だ。去年の手帳を取り出してみると、そこには書き切れないほど予定が書かれ、関係者の連絡先も余白に書かれている。処理し終わったものはマーカーで消し込んでいるので、ページがピンク一色になっている。

 あれから1年たったんだ。

 と思った。店の身売り用資料は、経営状況だけでなく、従業員の履歴、勤務状況、職歴、給与も含まれ、そこには私も含まれた。つまり私も“売られる”わけで、その“売られる”人間が“売られる”ための資料を作っているというおかしなことをやっていたのである。
 買う側の会社がある溜池山王へ何度も足を運び、求められた資料を持って行った。
 顔合わせみたいな感じで初めて経営者と溜池山王のビルに二人で行ったとき、相手は百戦錬磨のスタッフで望んでいる。だからおべんちゃらがうまい。うちの店のことや経営者を持ち上げる。
 もともと個人商店に毛が生えた程度の会社の経営者であるからプレゼンなど出来る人ではない。経営能力の乏しい、お坊ちゃまで、いつもちやほやされることに無上の喜びを感じる人だったから、持ち上げられたことで気分がよくなって、うまいこと話を持って行かれてしまう。きっと浮かれていることを見抜かれていたに違いない。勝負はこの時点で決まっていたのかもしれない。
 話は予定より時間がかかりはじめ、私はこれはダメだな、と思っていた。経営者は焦り始め、相手の会社の担当者と、話が潰れれば、店をたたむしかない、と言い出す。店をたたんでしまえばお店を買うことができなくなる、と脅しているつもりだったのだろうが、相手からすればちっとも痛くない。もともと話を持ちかけてきたのはそちらでしょう、と言いそうであった。むしろ焦ってくれれば、安く叩くことができると踏んでいたかもしれない。脅かしが脅かしにならず、逆に足下を見られる結果を生んでしまうことさえわからない無能な経営者であった。
 店はこの経営者が言うとおり、潰れた。同時に店のスタッフはその犠牲となった。私は後始末のため、後になっただけのことである。この人の経営能力なさの犠牲になるのはいつも従業員であった。
 この店が潰れるとともに会社の経営は一気に悪くなる。
 辞めさせられたスタッフのために残っている有給休暇を消化した後に退職することにしたのだが、一度それを認めた経営者は、他のところで専門家に聞いてきた話を持ち出し、有給休暇を与える必要はない、と言い出す。その根拠はお店がなくなってしまったのだから、それを履行しなければならない義務を負うところがなくなったからだ、というのだ。私は店はなくなったけれど、会社は残っているから、その義務を負うし、すでに有給休暇消化後を退職日をとする勧奨退職通知書に印鑑を押している。だからそんなことは絶対に許されない、と主張する。私は会社の専門家に相談した。その人も経営者の言動に怒り、プロとして許せないから、浅知恵を吹き込んだ奴を訴える、と言われた経営者は慌てて、そいつはただの総務の人間で、専門家でも何でもないことを白状した。経営者は自分の都合のいい部分をつまみ食いして、スタッフの有給休暇の分の給与を払わなくてもいいんだ、と考えたことがわかった。
 それで話が終わったものと思っていたら、今度は勧奨退職通知書に印鑑を押したのは、私であって、自分は知らなかったと言い出したのである。開いた口が塞がらなかった。確かに私は会社の印鑑を預かっている。けれど経営者の決済なしに印鑑を押す権利を持っていないことぐらい、自分の立場をわかっている。このときもきちんと決済をもらった上で印鑑を押している。
 私は強く経営者にこの言動の撤回を求め、そうしなければお店の原状復帰の工事には関わらない、と言った。これは計算ずくで言った。私がその工事の段取り、立ち会いをしなければ何も出来なくなることをわかって言っていたのだ。だから経営者は言葉がでなくなり、最後は原状復帰の工事に関わるのは「業務命令だ!」と脅かした。もちろんそんな脅かしなど怖くもない。私は再度撤回を求め、それがなければ何もしない、と言い張った。
 しかし工事のための業者の手配を私の名前ですでにやっている。だからここで私が手を引いてしまえば、その人たちに迷惑がかかる。いずれの業者も顔見知りだから、そんなことは出来なくなっていた。
 結局撤退工事までは仕方がないので関わることにし、後のことはその後に決めようと思っていた。このときから私はこの人にはもうついて行けない、「おしまいだな」と思い始めていた。
 このお店の撤退に関わる損失はさらに会社の経営を悪化させ、私は残務整理を完全に終えてから、ここを去ろうと決めた。
 結局会社を身売りすることとなる。しかし魅力の乏しい会社であるため、買い手がなかなかつかない。幹部の従業員に会社を買ってもらおうと経営者は話を持って行ったが、その人も会社の価値がほとんどないことを見抜いていた。二束三文の数字を出し、それらなら引き継ぐと言ったらしい。
 金に汚い経営者は自分が投資した金をなんと回収したくて仕方がなかったようで、折り合いがつかなかったと聞く。時に私の処遇を持ち出し、このままだと歳をくった私を放り出すしかなくなってしまい、それは忍びないから、何とか引き受けてくれないかと、同情を誘って、自分のペースで話を進めようとしていたという。ここでも私はだしにされてしまった。
 結局昔経営者が昔雇っていた従業員で、今は自分で会社を経営している人に買ってもらった。私は引き継ぎをし、事務整理をして、年末に会社を去った。
 最後は挨拶もしなかった。相手も一言もねぎらいの言葉を発しなかった。
 後で聞くところによると、経営者はその人に泣きついて会社を買ってもらったらしい。しかももらうものはしっかり念書まで書かされ、請求されたという。私の退職金は会社を買ってくれた人が払ってくれた。
 これも後で聞いたことだが、私の退職金は払いすぎだ、と経営者は口を挟んだそうである。自分が払ったわけでもないのに、まだ経営者づらしていたらしい。馬鹿らしくて何も言う気になれなかった。
 経営者は新しい会社の会長になっているらしく、まだちやほやされて浮かれているらしい。
 経営者は社史を書くと言っていた。どこの世界に経営者自ら自分の会社の社史を書くやつがいるのだ、と思う。しかも自らの経営能力なさでつぶしてしまった会社の歴史など書いたら、馬鹿にされることがわからないらしい。それとも社史と言っても、自分の功績を自慢げに書くのかもしれない。あの人ならやりそうである。その功績がどれほどのものか知らないが、自分の会社のことを顧みずに、好き勝手にやれたのは、辞めさせられた従業員が会社のために頑張ってきたから出来たことであることを、この人は死ぬまでこのことをわからないだろう。
 あの人は経営能力もないが、社史をまとめる能力も多分ない。だから社史はまぼろしで終わるのではないかと思っている。そんなものないほうがいい。

 私の手許に1本のアンカーボルトがある。お店の看板を支えていたボルトの1本である。工事は最終段階に入っていて、外の看板を取り外す工事に立ち会っていた。クレーン車を使って看板を取り外すことになるのだが、店は駅前にあるため、昼間は警察の許可が下りず、夜の10時過ぎから大型クレーン車2台で看板撤去の工事が始まった。目立ちがり屋の経営者を象徴するように看板がたくさん付けられていたが、ひとつひとつ看板が取り外され、ビルは丸裸のようになった。
 その工事に立ち会っていた私の靴に当たったものがある。当たった瞬間転がり、暗がりでよくわからなかったが、その先を目をこらして見てみると、さっきまで看板を支えていたアンカーボルトであった。ボルトの先はきれいに切断されていた。私はそれを手に取り、ポケットにしまった。
 それを所有してどうなるものではないが、ふとこの店の責任者であった彼に見せてやろうと思った。彼は経営者にこの店をダメにした人間として濡れ衣を着せられて辞めていった。もちろん彼の責任ではない。長いことこの店で頑張ってきた人間だから、店をたたむことになって、苦しんだろう、と思う。撤退にあたり最後まで店をきれいにしていった。
 彼とは一度撤退後会ったことがある。その時このアンカーボルトを見せてあげれば良かったのだが忘れてしまった。その後メールで、私が会社を辞めることを知らせ、返事に「また飲みましょう」と書いてあったが、その後音沙汰がない。メールには何だか複雑な事情がかれていたし、多分仕事も忙しいのだろうと思って、私も連絡を取っていない。
 仕事を辞めてから何度かメールをしようと思ったが、出来ずにいる。だからいつまで経ってもアンカーボルトは私の手許に残ったままである。
 きれいに切断された断面を指でなぞってみる。多少指先に引っかかる部分があるが、それがこのアンカーボルトも支えていたもの、看板だけでなく、人も、ものも、そして店全体を強引に引きはがされた証拠みたいに思える。
by office_kmoto | 2014-05-12 06:39 | ものを思う | Comments(0)

活版

 だれの本だった忘れたが、校正刷りのことを“ゲラ刷り”というが、この“ゲラ”というのは、もともと「活字組版を入れる長方形の盆」のことをいうらしい、と書いてあった。
 それで思いだしたことがある。
 私が大学時代最初に本屋でアルバイトをしたとき、自転車で本の配達をやっていた。新橋という場所柄、会社に本を配達することが多かったが、ついでにそこで働いている人たちが注文した本や雑誌を届けることもある。
 そんな中、業界新聞の印刷をしているおじいさんのところへ月二度ぐらい定期購読の雑誌を届けに行った。
 そこは活版が壁一面に並べられ、いくつもの輪転機が回っていて、大きな声を出さないと聞こえないところであった。部屋にあるものすべてがインクで汚れ、それが部屋全体を暗い感じにさせていた。
 そのおじいさんは指先を切り落とした軍手をはめて原稿を見ながら活字を組んでいた。軍手はインクで汚れていた。
 私が持ってきた文芸誌をうれしそうに見て、お金を払うためにその汚れた軍手を外し、財布を取り出した。今度は逆に指先だけがインクで汚れているのが印象的であった。
 時には仕事の切りのいいところまで待たされることもあったが、私はそのおじいさんが組んでいる活字の版を眺めるのが好きで、待たされることが苦でなかった。それにおじいさんは私に気をつかって、それほど待たせなかったと思う。

 社会人になって、大手町で役人相手の小さな本屋で働いたが、その店でははがきや名刺の印刷も請け負っていた。役人は転勤や異動が多いらしく、律儀にその知らせをはがきで知らせる。名刺も部署などが変われば、刷り替える。年賀状や喪中のはがきもその時期になると、注文が来た。まだパソコンで簡単に印刷できる時代でない話である。
 その注文を受けて、原稿を印刷屋さんに持って行く。その印刷屋さんは当時、知り合いとなった、神田村界隈でいつもうろうろしていた印刷屋さんから紹介してもらった。
 そこは10畳ほどの小さな印刷屋さんで、路面に面し、扉はいつも開けっぱなしであった。はがきや名刺など小さな印刷物を請け負っていた。輪転機が二台置かれているので、中は狭い。その周りには固定された版組がいくつも並べてあった。
 私はここにいるのが好きで、インクの匂いを嗅ぎ、鉛の活字をいつもしばらく眺めて、店主と話し込んでいた。鉛でできた活字が欲しいなと思ったことがあったが、もらいそこねてしまった。
 暇なときは、よく文庫本を読んでいる人であった。本は印刷屋さんが神田村の問屋街にあるので、事欠かない。知り合いが多くいるので、安く本を買えると言っていた。棚の一つには文庫本がたくさん積まれていた。
 その後この小さな印刷屋さんは神保町の再開発で立ち退き、靖国通りを渡ってすぐ奥にあるマンションの一室に引っ越していったけれど、マンションの新しさとインクで汚れた機械などが釣り合いが取れない感じであった。やはりあの狭い路地に面した場所がふさわしいな、と思ったものである。
 そのうち私は異動になり大手町の店を去った。

 今は活字を一文字ずつ拾って版を作ることなどほとんどやっていないだろう。みんなコンピューターの画面上でやるのではないか。名刺やはがきなどは印刷屋さんに回さなくても自分でできる時代である。新橋の業界新聞の印刷所にいたおじいさんや神保町の小さな印刷屋さんの主人のインクで汚れた手をもうを見ることはできないかもしれない。インクで汚れた机の上にあった手許を照らす電球の光が懐かしい。

 ちょっと古い本を買ったとき、ページの文字が多少浮き上がっていることを感じることできる本がある。あるいは文字が一部かすれていたりしたする。明らかに活版で印刷されたもので、そんな本を手にしたときは思わずページを指でなぞってみたりする。これでインクの匂いでもすれば文句がないのだが、如何せん古本にはそれは望めない。ただ文字の肌ざわりを感じたとき、昔活版印刷の現場をちょっと見ていたからか、うれしくなってしまったものだ。今はそんなページにのっている文字を感じることはほとんどない。本のページをめくるとき、ページの文字に触れてしまったときのちょとした違和感を思い出す。
by office_kmoto | 2014-05-10 06:18 | ものを思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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