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佐伯 一麦 著 『草の輝き』

d0331556_17232949.jpg 主人公の柊子は大学を卒業して映画配給会社に就職した。親元を離れ一人暮らしを始めた海辺の図書館で一冊の本を手にしたことから、草木染に興味を持ち、見様見真似で自分でも布を染めてみたりしていた。
 柊子は本の著者にどうしても逢いたくなり、工房を訪ねる。以来草木染のことが心から離れず、映画配給会社を辞めて、師匠のいる山形で教えを請うようになる。
 話は柊子が師匠から草木染を教えてもらい、その染めに使う草木を見て、実際に手にし、その中で自然との関わりを描いていく。さらに師匠の周りにいる人たちとの温かい交流も描かれ、その中の一人である、ドキュメントも撮る、移動映写技師の深津に柊子は心惹かれていく。
 話はこの著者のスタイルである短い章で綴られる。そして各章の題が、その時染めに使われる草木の名前となっている。「背高泡立草」、「臭木」、「栗の毬」、「現の証拠」、「末摘花」、「枇杷」、「やぶつばき」、「蕗の薹」、「川柳」、「藍」、「苧麻」、「十草」である。
 このように漢字で書かれると、セイタカアワダチソウもその辺に生えている雑草とは思えない。ちなみに「栗の毬」はクリのイガである。「現の証拠」はそのまま読めば、ゲンノショウコであり、「末摘花」は ベニバナの古名。「蕗の薹」はフキノトウである。「苧麻」がカラムシというイラクサ科の多年生植物。「十草」はドクダミと読ませている。

 これまで読んできた佐伯さんの小説は佐伯さんと思われる人間が主人公となって、その周りに奥様や両親、兄弟と思われる人々が描かれてきた。
 この本の主人公である柊子のモデルは多分著者の奥様であろう。そして深津が著者だ。そういう意味では自身を脇役に描く手法は、どんな気持だったろう、と余計なことを思ってしまった。深津を描くとき、自身をどう客観化したのだろう、と気になった。まして深津は柊子に救われる、受け身の側に回っているので、弱い部分を少ない登場回数で描くのは結構きびしかったのではないか。
 深津の古くからの友人である広瀬が、ストレスで胃潰瘍になってしまった深津を「今まで誰にも相談というものをしたことがなく、頼ることなくひとりで物事を進めてきた。そうした『つけ』が今になってやってきたのかも知れない」と言わせているが、著者の人生もそうであったのだろうか?

 まあ、そんなことは話とは関係ないことかもしれない。
 心に残る師匠の言葉がある。


 「草木染の色は褪色する、のではありません。色は移ろう、ものです」


 「そうですよ。昔からやっていることというのは、難しいことはないの。ただ、単純な労働だけど、手間と労力がかかるから、現代ではあまり行われなくなっているだけで」


 そうそう、柊子が公園の落葉の掃除をしているおじさんのところへ近づき、その老人が発した言葉もあった。


 黒いビニール袋いっぱいに拾い集めた落葉をどっこしょと持ち上げ、火の上に注いだ老人が、近付いていた柊子に向かって、
 「葉っぱっていったって、こんだけ集まるとさすがに重いんだよ。樹の奴もぶらさがってる重しがとれて、身軽になったんでねえがな」
 と目尻に深い皺を寄せて笑いながら言った。


 このおじさんの言葉、似たような言葉をどっかで読んだことがある。記憶に残っているのはその言葉がうまいことをいうものだなあと思ったからである。どこかわかるような気持ちがするのである。


佐伯 一麦 著 『草の輝き』 集英社(2004/10発売)
by office_kmoto | 2014-10-27 17:25 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『月を見あげて』〈第2集〉

d0331556_8151299.jpg 郵便受けに読売新聞が朝日新聞誤報道を暗に批判した小冊子が入っていた。これで二度目である。一度目はその後読売新聞の販売店から電話があり、朝日新聞は信用できないから、この際読売新聞に変えないか、といった主旨であったと思う。

 「『従軍慰安婦問題』、『吉田調書』と誤報があったので」

 「だから?」

 「・・・・・」

 「私はこうした人の弱みにつけ込んで商売する輩が大嫌いなので」と電話を切ったのだが、今度も同じ電話があるだろうか?
 朝日新聞の記事に重大な問題があったことは事実なのだろうが、そこにつけ込んで読者拡大をねらうやり方は如何なものか?やり方がえげなくないか?
 冊子には、読売新聞は今回の問題を一緒に考えるといっているが、だったらこんなことをしないで、“さすが読売新聞!”と言われることをしろよ。わざわざ小冊子まで作ってすることが、これか!、と言いたくなってくる。

 さて、

 この本の第一集は「某月某日」で書いたが二集目はちょっと思うところがあるので、別に書くことにする。「新聞の効用」という文章がある。


 新聞がデジタル端末で読まれることが多くなったが、紙の新聞には記事を読むだけではない使い途がまだ色々とある、と夕食時に連れ合いと列挙してみた。


 そこに列挙された記事を読むこと以外の新聞効用は、窓ガラス拭き、荷物の梱包材のクッション、濡れた靴に新聞紙を詰め込んで水気をとる。子供の頃の弁当箱を包み紙。焼き芋の包み紙、習字の試し書き、とある。
 窓ガラスふきはちょっと前に妻から教えてもらってやったことがある。濡らした新聞紙を軽く絞って拭くと、インクが汚れを落として確かにピカピカになった。わざわざ窓ガラス拭きキットをホームセンターで揃えたのが要らないくらいだった。

 いろいろ思い出すこともある。

 昔、母親が畳の掃除をするときに新聞紙を水につけて、絞った後団子みたいにしてまいて、その後ほうきをかけていた。
 引っ越しなど荷物の梱包材として新聞紙を使うと、それをほどいた後がゴミになって始末が大変である。今はエコ楽ボックスなどという便利なものがあるが。
 私の子供頃の弁当箱もいつも新聞紙で包んであった。おかずの汁が新聞紙にしみ込んでしまうことも度々であったと思い出す。それがなんだか貧乏くさくて嫌だった思い出がある。
 焼き芋の包み紙も新聞紙の方がおいしそうだ。何かの本で読んだが、食べ物の包み紙が新聞紙でなければならない、とこだわっていた人がいたが、その食べ物が何だったか忘れた。
 それと新聞紙の効用で忘れられないのが、本屋でアルバイトを始めた頃、本にカバーをつける練習用として新聞紙を使った。その本屋は今みたいに折って差し込んで、ハイ、おしまいというものではなく、ちゃんとカバー用紙を切り込んで、テープで貼り付けてする手間のかかる方法だったので、ワザが必要だったのである。もちろん今もちゃんとできるが、当時は何枚も何枚も練習用に新聞紙をカバーの大きさに切って、手持ちの本にカバーを掛ける練習をした。店の先輩にそうしろ、と言われたのである。


 中秋の名月が必ずしも満月であることないことを先月知ったのだが、その理由がこのエッセイに書かれていた。


 ちなみに、満月というのと月の暦では十五夜のときと思われがちだが、月齢が旧暦と若干ずれていたり、月の軌道が楕円であることなどにより、旧暦十五日と満月の日付が一致しないことがある(というよりも、一致する確率は50%以下)。


 ということらしい。
 ところで私は佐伯さんのエッセイ、私小説を読んできた。特に私小説に関しては、“こてこて”と称した。でももともとエッセイなどで佐伯さんの生活ぶりの一端が紹介され、それを好んで読んできたので、“こてこて”の私小説でも気に入っていた。最初に佐伯さんのエッセイを読んできたので、私小説との境目を感じられず、スムーズに小説の方に入れたような気がする。
 その佐伯さんが考える私小説のあり方が書かれている。それを読んでなるほどな、と思った次第である。
 佐伯さんが高校生の頃ゴッホの自画像を見てから、自分の私小説は自画像を描く作業に似ているというのである。


 ゴッホの絵に美術への目を開かされた私は、自画像には強い関心がある。私が書いている小説も、「私小説」というよりも様々な「自画像」を描く試み、とした方が自分ではぴんと来る。


 だから私小説は自分を認識する行為であるとも言っておられる。

 このエッセイは河北新報という東北で発行されている新聞に震災を挟んで連載が続けられている。あとがきに次のように書かれている。


 直接的な震災の話題はいくぶん後景へと退いたが、かくもか細く脆い足場の上に成り立っていたのか、と厭というほど思い知らされることとなった日常のありがたみに、心を添わせながら小文を紡いだつもりである。


 さらに第三集、四集と続くことを楽しみにしている。


佐伯 一麦 著 『月を見あげて』〈第2集〉 河北選書 河北新報出版センター(2014/07発売)
by office_kmoto | 2014-10-22 08:24 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

伊集院 静 著 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』

d0331556_6252821.jpg ハローワークで求人の閲覧をし、これはと思う会社について相談したら、担当官に「この会社はあなたの経歴からするともったいないと思いますよ」と言われる。自分の経歴がそれほどのものとは思っていないが、こんなことを言われたのは初めてだった。
 今までの自分の経歴を振りかざしていては仕事など見つからないことぐらい、自分の年齢を考えれば充分分かっていた。そんなもんなきに等しいと思ってやっていかなければならないとは思っていた。だからこんなことを言われてしまうと不意を突かれた感じになってしまう。

 “クソ!いい加減なこと言いやがって”

 人がそれまでの経歴や経験を否定して、それでも仕事を探そうとしているのに、何を今さら、と思うのだ。
 私はちょうど伊集院静さんの小説を読み終わって後で、ちょっと精神的にこたえていたので、その言葉でこの会社での仕事をする気になれなくなってしまった。
 生きようとするれば、まともにやっていけない男たちの物語だった。でも自分の気持ちに正直な男たちで、ただ生きるのが下手な哀しい男たちの話であった。

 ユウジは『いねむり先生』のサブローなのだろう。二人とも伊集院静さんの若い頃なのだ。『いねむり先生』は色川武大さんとの出会いを自分の原点として書かれた本であるが、今回はその色川さんとは別に自分の周りにいた去って行った人たちの話である。ただその人たちはどうしようもない男たちで、それでいて訳もなくく愛おしい男たちの話である。読んでいて、その男たちの生きざまに溜息をつき、涙さえ出て来てしまう。


 まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々がいる。なぜかわからないが、私は幼い頃からそういう人たちにおそれを抱きながらも目を離すことができなかった。その人たちに執着する自分に気付いた時、私は彼等が好きなのだとわかった。いや好きという表現では足らない。いとおしい、とずっとこころの底で思っているのだ。
 社会から疎外された時彼等が一瞬見せる、社会が世間が何なのだと全世界を一人で受けて立つような強靱さと、その後にやってくる沈黙に似た哀切に、私はまっとうな人間の姿を見てしまう。


 私はその時、妙な安堵を覚えた。その感情をどう説明していいのかわからないが、相手の気持ちなどおかまいなしに誰彼となく突っかかり、時には手まで出してしまう木暮を見ていて、昔の自分を見ているようで切なくなることがあった。殴られて涙さえ浮かべている相手をなおグズのごとく罵倒することもあったが、本当のグズが誰なのか当人が一番わかっているのだ。
 愚者なのである。それもどうしようもない愚者なのだ。私はその愚者をいとおしく思う。見ていて羨ましく思うこともある。だからほんのつかの間えも、木暮が垣間見せたおだやかな表情と時間が嬉しかったのかもしれない。


 ここで描かれる「まっとうに生きようとすればするほど、社会の枠から外される人々」とは、エイジと、木暮聰一、三村慎吉である。エイジはNスポーツ紙のギャンブル面を担当する記者で、木暮聰一はフリーの編集者、三村慎吉は芸能プロダクションの社長であった。ユウジはこの三人との濃密な時間を過ごしながら、妻を失い、酒を浴びるように飲み、ギャンブルに明け暮れる日々から再生していく。
 ユウジは三人の世界で一緒に過ごし、彼らの生きざまから再生していく。しかし彼らは彼らの生活のままある。ユウジが再生していけばいくほど彼らは離れていく。エイジはユウジの前から姿を消した。


 人間らしく生きようと、つまらぬ安堵を求めたために、こうしてエイジの行方を見失ってしまったのではないか。


 ユウジは新聞社を辞めたエイジを探し求めたが、エイジは見つからず死んでいく。


 「実は・・・・、エイジさん、亡くなってました」
 -えっ?
 私は古閑の言ったことの意味がすぐ理解できなかった。
 「亡くなっていました、とはどういうことだ」
 「アパートで亡くなっているところを大家が見つけたらしいんですわ」
 「大家が?」
 「はい。もう亡くなってかなり日が経ってたらしいですわ」
 「そ、そうなるまでおまえたちはエイジを放っておいたのか」
 私は怒鳴り声に、お手伝いの女が血相を変えて仕事場に入って来た。
 「俺、俺は許さんぞ」
 「す、すみません」
 私は電話を切って、葉色の変わりはじめた窓の外の木々を見ていた。

 私は、エイジが自死をする人間ではないとどこかで信じていた。そんなヤワな男ではなかったはずだ。


 その後福島にあるエイジが好みの夫婦二人でやっている飯屋をエイジの姿を求めてユウジは訪ねる。


 「いや、エイジの最後の様子を知りたくてね」

 「他人に望まれると無理をしてでもそれをしてやる性格があかんかったんですわ。結局エイジは寂しがり屋やったんやと思いますわ」

 「いや、ひとつだけ聞いてもらいたい話があるんです」

 「ほんまはエイジはん、あんたに逢いとうて逢いとうてしょうがなかったんですわ」

 「もういい。会計をしてくれ」

 「ちょっと待って下さい。あんたが偉うならはったことを、エイジはんは誰よりも喜んでましたんや。けど、あんたが偉うならはればならはるほど、エイジはんはあんたに合わす顔がないんやと言うてましたんや」

 「あんただけには生き恥を晒しとうないとエイジはんは言うてましたんや」


 三村慎吉も自分の癌を隠していた。三村の死を知ったとき、ユウジは昔の三村を思い出す。


 -いつだって明るかったもんな、あいつは・・・・・。
 三村の明るい性格のお陰でずいぶん助けられたことがあった。
 誰より助けられたのは妻であった。
 病室に入ってくるなり、いきなり有名ロック歌手のモノマネをはじめて、免疫力が落ちて埃を立てるのさえ注意していた場所でところかまわず動き回り、彼女の頬にキスをしそうなほど顔を近づけ唇を突き出した。騒ぎすぎかなと思った私も、妻の涙を流しながら笑っている顔を見て、ああこんなにも彼女の笑顔はまぶしいかったのだと、そのままにしておいた。
 頬を寄せ合って笑っている二人の顔が川面にきらきらと浮かんでいた。
 「あの何分しかなかったんだな」
 私はつぶやいた。
 二百九間の闘病生活で彼女が心底笑ったのは、あのほんのわずかの時間だけだったのだあらためて思った。
 -あいつ、何もかも知っていたんだ。だから病室に入ってくるなり、あんな馬鹿をやりはじめたんだ・・・・・。

 -救われたのは彼女だけじゃない。むしろ私の方なのかもしれない。


 三村の葬儀の時、ユウジは三村の元妻リツコに非難される。


 「慎吉さんは一から十までこの人の真似をして生きてきたのよ。飲めもしない酒をあびるように飲んで、できもしない喧嘩をして、色男気取りに生きようとしたから、あんなふうになっちまったのよ。私がいくら言っても聞きゃしなかったんだ。やめなって、あんなどうしようもない男の真似なんかすんのはって・・・・・」

 ユウジは何も言わずその席を後にした。


 「連れが亡くなった後、東京去る前に、三村とはきちんと逢って礼を言うべきだった」


 三村のプロダクションにいたカナは言った。


 「三村さんは病気で亡くなったんじゃありません。あなたに誉められたくて、あなたと昔のように過ごしたくて、それがかなわないとわかって生きる気力を失くしたんです」


 木暮聰一が仕事をしてくれたユウジの作品が文学賞を取り、作家への道を歩み始めた。木暮はかつて「私はあなたの小説が読みたいんです。それだけなんです」とユウジに小説を書くことを促し続けていた。しかし木暮にあらぬ噂が立ちはじめる。


 男が男とつき合うのに、その男の評判などどうでもいいことだった。第一、生きているうちにそう何人も、まともな、つき合い甲斐のある相手とめぐり逢うはずがない。


 そう思いながらもユウジはそれを確かめようとするが、木暮は言葉をはぐらかした。そして木暮も癌であり、海に身を投げて死んだことを知る。


 私は特にエイジの身の処し方が、もの悲して仕方がない。エイジは自らの性格からして、ユウジが再生していくことを喜びながらも、そうなれば自分と一緒にいられないことを自覚していたのではないか。エイジがユウジを避けるようになったのは、ユウジのためであると同時に、自分たちがいる世界がどうしようもない世界であることをユウジに改めて知られたくなかったのではないか、と思ったりする。
 あるいはユウジが再生していったように、自分たちもなんとか再生していこう、ユウジに恥ずかしくないように、と思ったのかもしれない。エイジが「生き恥を晒したくない」と言うのも、カナが言った三村の「あなたに誉められたくて」というのがそれを物語る。木暮にしても自分がしたことをユウジには知られたくなかったに違いない。
 一緒にいる頃は同じであっても、そのうち一人が抜け出してしまうと、他の人間は自分と比較してしまう。その時“自分は・・・・”と思っても当然だ。
 いや、もともとユウジはエイジたちの世界の人間ではなかったのだ。

 エイジや三村、あるいは木暮らが言った言葉が、後にユウジが彼らを思うとき反芻されて思い出される時、哀しくなってやりきれなくなってしまった。それが二重括弧で言い表される時、彼らがもういないのである。


 『他人に笑われてなんぼのもんと違うんかい』(エイジ)

 『くたばるまでやったろうやないかい』(エイジ)

 『私はあなたの小説が読みたいんです。それだけなんです』(木暮)

 『おまえさん、博奕はどんだけ打っても所詮博奕でしかないことを覚えとかにゃ、最後はしんどいもんになるぞ』(関西で一、二と評判の高い車券師、七尾壱郎)

 『よう覚えておけ。いくら強い言うても博奕打ちは所詮世の中の二流や。手前が勝てばそれでええんや。そこいらの八百屋かて豆腐屋かて、ええもんこさえてたら他人様に喜んでもらえるやろう。博打打ちは当人が勝ちさえすればそれでええんや。仲間も師弟もあらへん。自分だけが可愛いんや』(七尾壱郎)

 『人間が一番厄介や。何をするかわからんからな』(七尾壱郎)

 『おまえはパチモンや。わしにはわかるんや』(エイジ)


伊集院 静 著 『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』 集英社(2014/04発売)
by office_kmoto | 2014-10-17 06:34 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成26年10月日録(上旬)

10月某日 くもり

 本多孝好さんの新刊『魔術師の視線』を読み終える。
 坂崎重盛さんの以前読んだ本が気になりだしたので、取り出して読み始める。本が面白いので、夜になって、そのまま本を読み続けようか、それとも録画してある映画を見ようか、悩んだ末、本を読み続ける。


10月某日 くもり

 先日胃カメラの後先生が私の胃の中の画像を見ながら、いろいろ食生活のあり方を指導してくれた。曰く、腹八分目に食べる。脂っこいものは避ける。ゆっくり食べる等々。
 要するに今の私の食生活を大きく変えろ、ということである。今までの私は、腹一杯食べ、脂っこいものを食べ、満腹感を十分得ているし、しかも早食いなのだ。
 どうしてこうなってしまったか、その理由はちゃんとある。長いこと会社勤めをしてきて、その中でそういう風になってしまった。
 たとえば昼休み、近所の弁当屋で弁当を買って食べてきたが、それは大体がフライもの多く、量が多い。ガッツリ食べてくれ、という弁当ばかりだ。しかもその弁当をゆっくり食べられない。昼食中に、電話が鳴れば出なければならないし、その時点で仕事が始まちゃったりするし、弁当を食べているときに来客があったりもする。あるいは急いで食べて出かけなければならないときも度々ある。そんなものだから、弁当を開けたら急いで食べる習慣が身についてしまったのだ。何があるかわからないからだ。食事を取ると言うより、エサを取るるという感じでずっと来た。外に出れば立ち食いそば大好き、ときている。

 仕事を辞めても、相変わらず食べるスピードは速い。よく妻から「食べるのが早すぎる」と注意されている。
 結局私の胃腸の悪さはこういうことの積み重ねでなってしまったことなのだ。確かに薬を変えたことで、今のところだいぶ良くなってきた感じがするし、先生の言われた通り、食事のあり方を注意していると、かなり以前とは違う。これは先生の言う通りにした方がいいのだなあ、と実感している。

 しかしだ。

 油断しているとついつい以前の習慣が出てしまう。今日も妻の買い物に付き合い、昼にラーメン屋に入った。ラーメンと言えばライス、餃子付きが当たり前の私は、それを何のためらいもなく注文してしまった。
 そして注文したものがテーブルに並んだ時点で、これはまずかったな、と思うのである。これを全部食べたら間違いなく満腹になる。そして先生から言われた、腹一杯食べたと思ったら“アウト!”という言葉が頭をよぎる。あなたは腹八分目より七分目の方がいいくらいなのだ、とも言われたはずだ。
 案の定、食べ終わってめちゃくちゃ腹一杯になった。そしてしばらくして胃がもたれてきて、その後ずっとそれが続いた。

 習慣というのは恐ろしい。以後気をつけなければ・・・・・・。


10月某日 くもり

 BSは昔の映画を放映してくれているので、気がつけば録画している。そんなことをしているうちに結構たまってしまっている。
 昨日はそのうちの一つ「居酒屋兆治」を見た。これは山口瞳さんの原作だが、山口さんも兆治の店の客として出演していた。隣にいるのは映画の題字を書いている山藤章二さんと思われる。
 映画は1983年制作されたものだから、今から21年前になる。主演者がすごい。主演が高倉健で、大原麗子、加藤登紀子、伊丹十三、田中邦衛らが周りを囲む。ちょい役で池部良、三谷昇、東野英治郎、大滝秀治、佐藤慶、小松政夫、ちあきなおみ、左とん平、平田満 、小林稔侍、細野晴臣、石野真子、武田鉄矢らである。役柄を考えなければ豪華キャストというべきか。しかしこのうち鬼籍に入ってしまっている役者が多いのに驚いてしまう。
 大原麗子はやはり綺麗だったなあと思う一方、どうしても、「すこし愛して、なが〜く愛して」といCMのキャッチコピーがつきまとってしまった。


10月某日 大雨

 台風が近づいている。一日雨が降り続く。坂崎重盛さんの『神保町「二階世界」巡り及び其の他』を読み終える。この本に刺激されて、新潮社編『江戸東京物語』下町篇を引っ張り出して読み始める。
 こんな雨の日、散歩のガイドブックみたいなこんな本をベッドに横になって読むのは楽しい。少々肌寒いので布団を掛けて読んでいたら、いつの間にか寝てしまった。


10月某日 午前中台風大雨強風

 午前中、通勤時間帯に台風が関東を直撃した。雨風強い外を眺めていると、久しぶりに台風が来ているんだな、と実感する。
d0331556_5592252.jpg 新潮社編『江戸東京物語』下町篇を読み終える。この本は大成建設から資料提供を受けてコラムとして書かれた本らしい。
 読んでいて町の歴史やお祭りの由来など、“へぇ~そうなんだ!”とちょっと驚いたりする。
 この本は資料提供だけれど、企業の広報室などが、自分の会社で扱っているものを書いた本って結構面白い。これらは専門的なことを面白くわりやすく書いてある。






10月某日 くもり

 伊集院静さんの『愚者よ、お前がいなくなって淋しくてたまらない』を読み終える。読んだ後結構こたえた。いい本である。もしかしたら私の中で、今年一番の本かもしれない。


10月某日 くもり

 いま散歩で歩いている道にどんぐりがよく落ちている。ここのは私の家の近くにある親水公園に植えられているどんぐりとは形が違い、細長いものだ。
d0331556_602982.jpg 佐伯一麦さんのエッセイ、『月を見上げて』(河北新報出版センター 2014/07発売)を読んでいたら、佐伯さんがよく木の実を拾ってこられるのが書かれている。佐伯さんところは木々がたくさんある森なのだろうから、私みたいに街路樹として植えられたどんぐりとは違い、いろんな木の実が手に入るのだろう。でも案外木の実を拾うというのは楽しいものだ。落ちている木の実を見ると、ついついそばにある木を見上げて、その実がなっているのを見てしまう。
 今年は草木によく関心を持った年だったと思う。その分都会の中でささやかな自然を感じられた。多分佐伯さんの本を知ったことで、そうした草木に関心を寄せるようになったことも事実だ。草木の名前をもっと知りたいとも思った。

 この本は東北の河北新報という新聞に連載されていたコラムだ。月を見上げ、その月齢を記している。その時の旧暦が書かれている。
 旧暦は祭祀と関わりが強い。だからちょっと興味がある。一昨日皆既月食があったので、久しぶりに月を見たけれど、月の満ち欠けによって細かい呼び名があるようで、今度調べてみようかとも思った。
 このコラムは2010年10月1日から始まったようだ。今も連載されているのだろうか?2011年3月11日もコラムが書かれた。しかしあの震災でこの日のコラムはほとんど読まれることなく“まぼろし”に近い形になったという。
 河北新報も震災で大打撃を受けたと聞いたことがある。一時新聞が発行できなくなったと聞いた。だからだろうか。この日のコラムから新しい次のコラムは4月15日付けとなっていた。
 続いてこのコラムの第二集を読み始める。


10月某日 はれ

 台風がまた近づいている。今度もかなり大型だという。連休後半に関東地方にその影響がでるらしい。
 明日孫の七五三のお宮参りである。少々早いのだが、いろいろ事情があって早めにそうなったらしい。我々は言われるがまま、孫のお宮参りに一緒に行くだけだ。
 娘の旦那のお父さんもお見えになるという。久しぶりお会いすることになる。奥様の仏壇に供えてもらう菓子を買いに行く。
 カメラの準備をする。バッテリーとメモリーの確認も怠りなく、明日に備える。読みかけの本を読もうと思ったがやめにして、テレビの録画を見て寝る。


10月某日 くもり時々はれ

 亀戸天神へ孫の七五三のお宮参りに一緒に出席する。台風が近づいているが何とか天気はもってくれたので助かった。
 娘も息子もここ亀戸天神で七五三のお参りに来ている。
 孫は最初は着物姿に着飾った自分の姿に喜んでいたが、最後は疲れ切ってしまったようだ。やはりまだ三歳である。
 撮った写真をパソコンで見てみると、なんとか記念になる写真あった。


10月某日 くもり

 昨日頂いた旭川のお土産をおやつに食べている。これがおいしい。我々は風月堂の菓子折を持っていったのだが、こういう名があっても、芸のない手土産しかないのが情けない。
 昨日の疲れが残っていたため、今日は本も読まずのんびりする。


10月某日 雨


 朝、カエルの鳴き声が聞こえてくる。雨戸は開けていたが、サッシと障子を閉めてあるにその鳴き声が聞こえるということは、結構近くにいるに違いないと窓を開けて見てみるが、見つからない。考えてみれば、カエルの鳴き声を聞くのも久しぶりだ。
 カエルが鳴くということはもうすぐ雨が降り出すのだろうと思っていたら、すぐ雨が降り出した。台風が近づいているのだ。慌てて葉が茂り始めたシクラメンの鉢植えを玄関に入れる。
 午前中に買い物を済まし、午後から本を読み始める。本は佐伯一麦さんのエッセイ、『月を見上げて』の第二集である。
 今日は早めに雨戸を閉める。夜は録画しておいた「昨夜のカレー、明日のパン」を二回分見る。


10月某日 はれ

 台風一過でいい天気であったが、風の強い一日であった。
d0331556_643751.jpg 今池波正太郎さんのエッセイを集めているのだが、手にした1冊、『作家の四季』(講談社文庫2007/10発売)を読み終える。その中で「俎板と包丁がない家」というエッセイがある。


 家というものは、よほどのことがないかぎり、簡単に移り変えるべきものではない。
 そして、その家において、私の曾祖母の死を祖母が看取り、祖母の死を母が看取ったように、代々の人びとの歴史が家にきざみついていなくてはならぬ。
 子供たちは、無意識のうちに、そうした出来事を脳裡にきざみつけていて、それが成長してからの糧となるのだ。
 などといっても、現代では、そのあたりまえのことが非常にむずかしくなってしまった。家族は分裂し、新しい家をもとめて若い人びとは散って行く。団地やマンションの、そうした新しい家庭には、このごろ俎板も包丁もないところがあるそうな。
 そんな家は、人が住む家ではない。刑務所と同じようなものだ。


 どの町も、どの家も、どの部屋も同じようなコンクリートに囲まれていて、近代設備はととのっているのだろうが、住む人びとは当然、その家、その部屋と同様に規格化されてしまい、これまた規格化された世の中に生きることになる。
 世の中が、おもしろくなくなってくるのも当然だろう。


 団地やマンション、あるいはアパートは確かに規格化された同じような部屋のありようがそのまま住む人と同化してしまい、無機質になってしまうことを言われているのだろう。
 でも一概にはすべてそうだ、とは言えないだろう。暮らし方次第で変わってくるものではないか、とも思う。
 ただ池波さんのように、歴史やその中での人のあり方を大切にする人なら、安易に家を移ることで、それまで連綿と続いてきた家族の歴史が変わってしまうこと危惧されているのだろう。この「連綿と続いた」ことに意味や面白みを見出す人だからこそこのような言い方をされるのではないかと思う。


10月某日 雨

 この秋一番の寒い一日なったらしい。台風が来る度に秋が深まっていく。
 今日は明日出かけるので、ついでに欲しい本を見るなり、探してみようと思い、そのリスト作ってみた。また買い物もあるので、それに付け加えた。
 佐伯一麦さんの『草の輝き』を読み始める。
by office_kmoto | 2014-10-16 06:09 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

坂崎 重盛 著 『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』

d0331556_5572256.jpg この本は以前読んでいる。でも気になって再度読んでみた。この本は坂崎さんがあとがきで言っているように坂崎さんの「『独演会』的、一人フェスティバル的な一冊」で、坂崎さんの自身のスクラップブックみたいな本である。東京散歩、古本蒐集と、今と時間のズレがあるところで、そのズレがちょっと顔を出しているものに興味を持っているところが、読んでいて楽しい。
 スクラップブックだから、内容は雑多なのだが、私が興味があったのは本の後半にある雑文である。

 「ファンタジーとして消費される『懐かしの昭和三十年代』」では西岸良平さんの『三丁目の夕日』から昭和三十年代の話になるのだが、懐かしの昭和といえば、三十年代がやたら目につくと言うのだ。


 十年ほど前くらいだろうか、街の中で「懐かしの昭和」とよく出合うようになった気がする。もちろん、この「昭和」はぼくが関心を抱き続けている昭和初期「エロ・グロ・ナンセンス」の時代の「昭和」でもなければ、「生めよ増やせよ」や「欲しがりません勝つまでは」の戦前戦中の「昭和」でもない。いわゆる「懐かしの昭和三十年代」なのだ。
 この「懐かしの昭和三十年代」が、とくにここ数年、やたら目につくようになったと思いませんか。


 そして昭和30年から33年の間にあったできごと、流行ったものを時系列並べてみた上で、今度逆に30年代を数年さかのぼって同じことを書き出してみると、面白いことに「数年さかのぼるだけで、ぐんぐんと敗戦色が濃厚になってゆく」ことが、確かにはっきりわかる。昭和30年代は大きく時代が変わっていった時代でもあったのかもしれない。
 そして団塊の世代が今になって、自分たちが子供の頃過ごしてきた時代が懐かしめる時代も三十年代なのだろう。

 「東京の悪口-『可愛さ余って』-」で、江戸っ子の悪口や、江戸といえばすぐ「粋だねぇ」と言うの、批判めいて言うのはちょっと小気味よかった。


 だいたいが、「自分は三代続いた江戸っ子で-」なんて口に出して言うご仁がいたら、これは、野暮の骨頂。自分から江戸っ子を気取ったら、それでもう、“東京の田舎者”なのだ。
 生っ粋の江戸っ子って言ったって、もともとが江戸・東京は地方の人間の寄り集まりででき上がってきた町でしょう。それに、三代、四代、あるいは五代なんて、すぐにたつ。
 職人だって、本当に仕事のできる職人は、ただ黙々と自分の仕事を大切にこなしてゆくだけで、ことさら職人ぶった物言いなどしないはずだ。中途半端な職人ほど一丁前の職人づらして、若い者や素人相手に能書きをたれたりする。これは、どんな仕事についても心当たりがあるでしょう。
 それに、私が育った東京の下町の生活の中では「粋だねぇ」なんて言葉、使ったことも聞いたこともない。“粋”なんてベタな言葉、むしろ禁句に近かったはずだ。

 もともと“粋”なんて言葉、花柳界あたりで金の使い方、あるいは男の見栄の張り方関連の言葉でしょう。カタギのふだんの生活の場に登場しなくてもいい。


 私は三代続いた江戸っ子を自慢する人を知っていて、この人が「江戸っ子」とか「粋」という言葉をよく使うのをどこか鬱陶しさを感じていたことがあった。なのでまさしく坂崎さん言う通りだと思うのである。
 もっとも坂崎さんこれらの言葉は、東京を愛するが故の言葉なのだが・・・・。

 「ちゃぶ台繁盛記」のちゃぶ台の話は懐かしい。「きまりが悪い」では「きまりが悪い」という言葉を聞かなくなった、という話なのだが、そんな言葉を使わなくなった理由を最後に言っている。


 実在がなければ言葉の居場所はない。言葉がある必要はない。
 かくして言葉は消えてゆく。


 私たちが懐かしいと思うものが言葉と一緒になくなっていくのは、ちゃぶ台しかり、その実在がなくなったしまったからなのだ。

 「『焚き火系』文芸の人々と作品-その燃え跡めぐり」では焚き火をとんと見かけなくなったということから始まり、それを文芸作品から懐かしむ話である。
 焚き火といえばちょっと前までよくやっていた。今はやれ、火が危ない。煙が迷惑だ。とか言って、ほとんど焚き火ができなくなった。ものを処分するのには焚き火は便利なもので、昔はやったものだが。
 私が子供頃は学校の校庭でキャンプファイアーなどやったものだが(実は大嫌いだったが)、今はきっとそれさえもやらなくなっているんだろうな、と思う。
 私が焚き火といえば思い出すのは椎名誠さんたちが繰り広げる馬鹿騒ぎを思い出すが、山口瞳さんが庭の落葉を掃き集め焚き火にしていた光景を書いたエッセイなども思い出す。確か火の後始末を忘れて、ちょっと大騒ぎになったんじゃなかったかな。

 ということでこの本はスクラップブックだけに、脈絡もなくいろいろなことを教えてくれたし、思い出せてくれた。


坂崎 重盛 著 『神保町「二階世界」巡り及ビ其ノ他』 平凡社(2009/10発売)
by office_kmoto | 2014-10-10 06:06 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

本多 孝好 著 『魔術師の視線』

d0331556_1062498.jpg 本多 孝好さんの『魔術師の視線』を読み終える。久々に本多さん本を読んだことになる。もともとこの人寡作な作家なので、仕方がない。

 話はフリーのビデオジャーナリストの楠瀬薫のところに諏訪礼が訪れる。かつて礼は〝超能力少女〞として世間を騒がせた。しかし薫はその超能力の嘘を暴いた。礼はそのため世間からバッシングを受け、葬り去られた。
 その諏訪礼が薫のもとを訪ねてきたのである。ストーカーに追われているという。薫は礼をどう扱っていいか戸惑うが、礼の家庭はその超能力が嘘であることがばれて、メデイアから葬り去られて以来、崩壊していた。
 薫は礼をこのようにしてしまった責任の一端は自分の取材にあると一種の罪悪感から、礼を守ることになる。
 ただ薫は礼の言うストーカーが自作自演の嘘ではないのか、と疑いを持つ。しかし薫は自分たちをつけている男を目にした。
 薫は雑誌の編集者だった頃の上司の編集長で、今は探偵をやっている佐藤友紀に相談する。薫は彼女に礼の父親と礼の超能力をトリックで演出した元超能力のパフォーマーの宮城大悟を探してくれるよう依頼していた。
 友紀の話だと、その男は友紀と同業者ではないか、という。つまり薫たちを見張っているのではないか。当然薫たちを見張らせる依頼者がいる。
 礼が持ち前の指先の器用さを使って男のスマホを盗み出し、最後の通話履歴の番号に自分のスマホから電話をかけてみたがつながらなかった。
 そして佐藤友紀が死んだ。心不全であった。そのうち薫のスマホに電話が入る。聞き覚えのある女の声が聞こえてくる。八木葉子だった。八木は今回の組閣で大臣となった寺内隆宏の不倫相手として薫が暴露した女であった。
 たまたま薫が属するフリージャーナリストたちが集まる会社の仲間が今回大臣となった寺内を取材していた。薫が寺内の不倫記事を書いたことがあったので、薫から寺内に関してレクチャーを受けていた。
 その仲間から八木葉子がレズであり、相手が佐藤友紀だったと知らされる。もともと寺内を調べろと言ったのは、編集長の友紀であった。薫は混乱する。
 さらに仲間が寺内のことを調べていると、二人の人間の不審死が浮かび上がってくる。薫たちは寺内に話を聞きに行く。そして一人の男が浮かび上がる。宮城大悟である。
 薫は宮城大悟に会い、寺内の回りにいた二人の人間の死、そして佐藤友紀の死の真相らしきことを聞き出す。そこで分かったことは諏訪礼は本者の超能力者であったということである。


 この作品の中心に置かれるのは「視線」である。楠瀬薫の視線の動かし方。その見るものは、編集者時代上司の佐藤友紀が欲しいと言っていた人の見方であった。
 薫が子供の頃両親が離婚し、薫の扱いに困った両親の言葉を聞いたとき、薫は言葉をなくした。


 「だから、人の顔色をやたらとうかがっていた。この人は今、何を考えているのか。機嫌はいいのか、悪いのか。自分に対してどんな感情を持っているのか。何に対して関心を向けているのか。そういうことをね、じっとひたすら観察していた。ずいぶん長く感じたけど、実際にはそんな時期は三、四ヶ月くらいだったと思う。親へのショックと、環境が変わったのとで、頭がパニックになっていたんだろうね」


 薫が持つ視線のあり方はそのとき生まれた。それを宮城大悟に見抜かれる。


 「さっきからあなたは僕の目を見ていない。視線の動く方向、瞳孔の収縮、瞬きの回数。それらを観察しているだけだ。僕の顔も見ていない。唇の動き、頬の歪み、表情の作り方。それらを観察している。手の組み方、足の組み方、コーヒーを飲むタイミング、マグカップを戻す場所。可愛そうになるくらい必死に目を配っている。わかりますよ。よくわかる。僕も勉強しました。そうすれば人というものがわかると思って、人の付き合い方がわかると思って、勉強した。あなたもそうなんでしょう。そうしなければ、他人と交われなかったんでしょう?それで人をわかった気になって、これまで生きてきたんでしょう?」


 だから薫は自分たちをつけていた男の視線のありかたに敏感に反応し、その男が自分たちを見張っているとわかったのだ。


 見えるということは、どういうことでしょう?

 見えないものを知ること。


 諏訪礼が偽物の超能力者であったと、バッシングを受け、その後の世間の目も描かれる。


 薫はさっきの視線を思いだした。悪意のない好奇。圧倒的な優越。決して自分が傷つくことのない場所から振るわれる暴力のような視線に、礼はこれまで何度となくさらされてきたのだろう。


 そこから感じるのだった。


 人はその本質において野次馬だ。


 彼らを動かしているのは、市民としての義務感でも、人としての正義感でもない。


 振りかざされている無意味な正論だった。それは正論であるがゆえに反論のしようがなく、無意味であるがゆえに対応する気が起きなかった。


 そして諏訪礼。


 魔術師が見つめる先を見てはいけない。釣られてそこを見てしまえば、目くるめく嘘の世界に連れ込まれるだけだ。そう思って薫は、魔術師の視線の先を見ようとはしなかった。もっと素直にそこを見ればよかった。今となれば、薫はそう思う。答えは最初からその視線の先にあった。ある意味で礼は、自分にだけは嘘をついていなかった。そう考えて薫は、一人笑みを浮かべた。


 薫は一緒に暮らしはじめた礼を見て、「何か不可知な力が礼から自分へ向けられているかもしれない」と感じる。礼のフォーカスが自分に向けられたとき、自分は急性心不全で死ぬかもしれないと思うのである。


本多 孝好 著 『魔術師の視線』 新潮社(2014/09発売)
by office_kmoto | 2014-10-06 10:09 | 本を思う | Trackback(1) | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『鉄塔家族』 『還れぬ家』

 私は『還れぬ家』を読んでから『鉄塔家族』を読んでしまった。『鉄塔家族』を読んでいて、本当はこちらから先に読むべきだった。『還れぬ家』は『鉄塔家族』の続編と言っていいものだと思う。いずれも“こてこて”の私小説といっていい。
d0331556_5352336.jpg で、まず、『鉄塔家族』から。


 その「山」は、遠慮がちな東北人の里山にふさわしいかのように、百メートルにわずかに及ばず、標高九十九メートルの一見なだらかな丘陵とも見える姿をしている。

 その「山」の頂上には、比較的平坦地に恵まれているためか、建った年代の異なる三本のテレビアンテナ用の鉄塔が横並びに建っている。

 折しも、まだ街中にはその槌音は及んでいないが、長老の鉄塔のすぐ傍らで、デジタル放送用の新しい鉄塔の基礎工事が、胎動をはじめている。


 小説家・斎木と草木染作家・奈穂は、斎木の実家の近くに戻ってきた。そこは街のシンボル「鉄塔」の麓にある集合住宅であった。ここで山に来る鳥たちの鳴き声を聞き、草木染めに使う植物たち見つけながら二人はここで暮らす住人たちや鉄塔工事の職人たちとふれあっていく。
 ここではごくごく当たり前の日常が淡々と描かれる。さらに山にある自然が生活の一部となってかけがえのないものとして描かれる。
 斎木夫婦たちが住人たちと一緒に自然とふれあい、新しい塔が少しずつ出来上がっていくのを共に眺め、季節が移ろっていくだけのことなのだが、当たり前の日常を緻密に描かれているために不思議と自分もここにいるような感覚になってくる。
 大事件が起こるわけでもない。何かを悟ったような思いにさせるわけでもない。ただここで生活していて、斎木夫婦がふと思うことが、読む側に“すとん”と心に浸みてくる。

 私は私小説というのは実は嫌っているところがある。私小説というのは、作家の悩みや苦しみを、実体験で描かれる分、どこか重い。
 人を描けば、その人の心の内を描くことにもなり、当然そこにはその人が持っている「屈託」が描かれる。人々の平穏な日常につきまとう過去の暗い影も描かれる。それがときに嫌だな、と思うことがたびたびある。
 しかしこの小説のように、当たり前の日常を、短い節をいくつも積みあげて、場面をさっと切り替えていくことで、私小説によくあるどろどろした部分がいつまでもしつこく心に残らないですむように工夫されている。
 節をいくつもつなげ、単調になりがちな日常をちょっとした変化を持たせることに成功している。だからこれほど長い小説でも飽きがこなかった。
 またこうした手法だとそれが読む側に「澱」を残さなくすむ。むしろ里山にある自然の描写と一緒になって、癒やしとさわやかさを残す。さらりと書かれた文章が妙に心に残るのである。


 斎木は、家出同然に上京して、親子の血のつながりを否定するように生きてきたが、それでも逃れられない不思議な親子の紐帯があることを思い知らされた気がしたものだった。


 今の世の中は、老いも若きも、甲高く軋んだ嫌な声を挙げて苛立っている人の声がやけに耳につく、と思った。


 病院では病人は当たり前だが、街中で健康そうに暮らしていると見える人たちの中にも、こうやって病を宥めながら生きている者は多いんだな、と今さらながら当たり前のことを知らされた気がした。


 同じ風景に見えても、人によっては、そこに時を見ていることを奈穗は知った。


 生きていくためには、努力が必要なのだ、


d0331556_5361957.jpg 『還らぬ家』では、昔は両親と兄弟で暮らしていた家が、子供たちは家から離れていった。しかしその家はいつでも還れない。子供たちとっては「屈託」のある家となってしまっていた。子供たちは親の些細な一言から家を離れていくことになってしまった。そして父と母だけが暮らす家に帰ろうとしなかった。


 ともかく、あの家には、子供たちは誰も還ろうとしない。


 光二も高校生のとき親に対する反発から家出同然で上京したが、また両親のいる仙台に戻ってきた。ここからが、『鉄塔家族』のその後みたいな形をとる。父親が認知症となり、父を介護する母親を夫婦二人で助けることとなった。父が入院することとなり、家のことができなくなった母は夫婦二人で守ってきた昔ながらのしきたりを光二たちに頼む。

 土地にはそれぞれのしきたりがというものがあり、その中で生きていくことを選んだ人生もある、と思えるようになった。


 しかし、

 私が、少しの不便さに目をつぶってでもこの山に住んでいるのは、そうした子供の頃のよい記憶がある土地だということが大きかった。十八歳のときに飛びだした故郷に、やむなく三十を過ぎてから戻ることとなり、その風景とはどうにか和解できるようになったが、人との和解はまだ難しい、と私は思っていた。


 光二は作家であった。自分の父の認知症介護のこと、還れない家のこと、戻ってきて自分の心の葛藤を小説に書き始めた。
 この小説の面白いところは、作家である光二が認知症の父を中心に家のこと、そして還れない理由などを、読者は「追っかけ再生」見ているようにこの小説を読むことになるのである。そしてそれが追いつくいたときが2011年3月11日であった。
 結局家は子供たちだけでなく、父親も亡くなって帰れなくなったことを書いた時点で、東日本大震災が起こった。この大震災のため、この小説は同時性を帯びる。
 光二は家に帰れない自分の思いを綴ったこの小説を書いてきたが、人の力の及ばない大きな自然災害で家を離れざるを得なくなってしまった人たちのことを思うのである。
 私小説の限界みたいなものを感じてしまうのである。こんな自分の「屈託」ばかりを綴っていていいのかと・・・・。


 家に帰れない個人的な思いをずっと綴ってきた私にとって、外からの力(東日本大震災)によって家に戻ることが有無を言わさず不可能になった者たちの姿を前にすると、我が身のことだけにかまけてきたようで自省させられるものがありました。


 「まだ起きてたの?

 「なんだか目が冴えてしまって」

 「そういえば、地震以来、不思議と疲れないよね」

 「気が張っているからだろうな。後でがっくりとこないといいんだけど」

 「何だか、いまでも揺れているような気がして、まるで船からおりたときみたい」

 「ああ、おれもトイレに座ってるときなんか、初期微動で揺れてるような気がすると、自分の心臓の鼓動が伝わっていたりして」

 「わたしもそう。さっきもお風呂が揺れてるのを見て、あっ揺れているって一瞬思っちゃた」


佐伯 一麦 著 『鉄塔家族』 日本経済新聞出版社(2004/06発売)


佐伯 一麦 著 『還れぬ家』 新潮社(2013/02発売)
by office_kmoto | 2014-10-02 05:37 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成26年9月日録(下旬)

9月某日 はれ

 予定していた胃カメラ検診に行く。ここの先生にお世話になるのは初めてだ。のどの麻酔のして、診察室へ。点滴をされ、先生がこれから麻酔薬を点滴に入れますから、と言われて気がつくと、ここに横になった時はついていた機械のランプがすべて消えていた。検査は既に終わったのだと知る。胃カメラを飲んだ記憶がまったくない。
 検査の結果は逆流性食道炎と多数のポリープ、表層性胃炎、十二指腸潰瘍瘢痕があるとのこと。まあある程度わかっていたことであった。
 食道と胃をつなぐ部分が本来きちっと閉まっていなければならないところが緩んでいるので逆流性食道炎になってしまっているんだろうと言われる。
 また薬を出され、二週間後目立ったポリープを取って病理検査に出したので、その結果を聞きに行くことになる。
 検査は午前中かかり、家に帰ってきたが、なんだか疲れた。
 田山花袋の『東京震災記』という昔読んだ本をまた読む。


9月某日 くもり

 どうやら風邪をひいたみたいで、鼻水が出て、熱っぽい。

 吉村昭さんの『関東大震災』を読み終える。この本は以前にも読んでいるが、今回、宮武外骨さんの本を読んでから、関東大震災って作家はどう感じたんだろうと興味を持ってしまった。それで田山花袋の本を読み始め、最後の吉村さんの本まできた。これをどうまとめるか、悩んでいる。
 ここのところ本は読むものの、それをまとめるのが面倒になっていて、なかなか文章に出来ずにいる。付箋の付いた本がたまっていく一方だ。

 山口正介さんの『江分利満家の崩壊』を読み始める。


 9月某日 くもり

 彼岸の入りだ。隣にあるお寺に彼岸花が一斉に咲いている。彼岸花というのは不思議な植物だ。この時期急に伸び始め、葉もなく、いきなり花を咲かせる。
 確か樋口清之さんの『逆・日本史』だったと思うが、昔飢饉の時食べるものが何もなくて、この彼岸花の根が食料となったことが書いてあったと思う。あるいはこの根は危険なもので、下手に食べると死んでしまうというようなことが書いてあったと思う。(あくまでも自分の記憶なので確証はないが)

 昨日図書館で借りてきた佐伯一麦さんの2冊の内『還れぬ家』を読み始める。


9月某日 はれ

 墓参りと実家の仏壇に花を手向けに行く。
 相変わらず風邪をひいていて、市販の風邪薬を飲んでいる。薬のせいでやたらとのどが渇く。頭もボーッとしているし、身体もだるい。
 佐伯一麦さんの『還れぬ家』を読んでいたが、あまりページが進まなかった。

9月某日 はれ

 シクラメンがまた葉を出し始めた。今年も育ってくれそうだ。このシクラメンもう何年も前に買ったものだが、また花を咲かせたいものだ。
 佐伯一麦さんの『還れぬ家』を読み終える。続いて借りてきた同じ佐伯さんの『鉄塔家族』を読み始める。A5版の大きな本で、550ページ近くある読み応えがある本だ。

 散歩で歩いている土手に出る坂道にキバナコスモスがたくさん咲いている。もう盛期は過ぎたようで、種ができているものもある。
 我が家は春、夏、冬に花を咲かせるものはあっても秋がない。来年はうちでも植えてみようかと、種を少し頂いてきた。それと彼岸花の球根ももらったので、来年は秋でも我が家にもこの時期、花がありそうだ。


9月某日 雨

 台風崩れの熱帯低気圧のおかげで天気がめまぐるしく変わる。風も強く吹いているので、庭に葉がたくさん落ちてしまっていている。明日は晴れると言うから、庭の掃除をしなければならない。
 朝顔の種が出来上がっている。明後日、孫が家に来るので、孫に取らせようとと思う。

 佐伯一麦さんの『鉄塔家族』を読み終えた。


9月某日 はれ

 娘夫婦が孫を連れて来る。孫の七五三の写真をもらう。詳しいことは分からないが、今は記念撮影と貸衣装がセットになっているとのこと。先に記念写真を撮って、その後お宮参りとなるらしい。だから記念写真が先にくることになる。
 孫のお宮参りは来月の予定だそうだ。ジジババもいそいそと出かける予定。

 我が家は、娘も息子もわざわざ写真館など行かず、記念写真はすべて私が撮った。私の趣味が写真だったこともあり、自分ですべてやりたかったのである。
 撮った写真を六切と言ったかな、とにかく専用の台紙に合ったサイズで現像し、貼り付けて作った。七五三も小学校、中学校、高校、大学、そして成人式の時も自分で撮影して記念写真を作った。
 今回、孫にもお宮参りに行ったときに写真を撮って、それを台紙に貼って記念写真を作ってやろうと密かに計画している。なので、近いうちにヨドバシに行って、専用台紙を買ってこようと思っている。


9月某日 はれ

 息子より本多孝好さんの新刊『魔術師の視線』を借りて読み始めた。

 先日行ったクリニックへ胃カメラの時取ったポーリープの結果を聞きに行く。問題なし。逆流性食道炎の薬が少し変わった。

 私が通っていた虎ノ門にあった歯医者さんが、私の家の最寄り駅に近いところへ移ってくる。移転のはがきはもらっていた。今日行ったクリニックの近くに開業するみたいだ。帰りに、その先生とばったり会った。
 この先生、もともと私の家の近くにある駅前で開業していたのだが、それがちょっと場所を変え、そして虎ノ門に移り、そしてまたこちらに戻ってきたのである。どうしてこうも転々とするのかよくわからないが、いろいろ事情があるらしい。
 虎ノ門にはもう通いきれないので、かかりつけ医をやめようと思っていたのだが、近くに戻って来られるなら、どうしようかと迷っている。
 とりあえず今日は、またお世話になるかも知れないので、「今後ともよろしくお願いします」と挨拶はしておいた。

 9月はめちゃめちゃだった。思うように本は読めなかったし、体調もおかしい日々が続き、後半は風邪をひいてやっと治ってきたかな、という感じだ。おかげでそれまでの生活リズムが狂ってしまった。ブログの文章もほとんど書けなかった。来月はちゃんとしたいものだ。

 「司馬遼太郎の街道」の3巻を購入。ついでに雑誌の「kotoba」の2014年秋号も購入。開高健さんの特集だ。Honya Clubのポイントがたまっていたので、それを使って、2冊で2,000円となった。
by office_kmoto | 2014-10-01 06:14 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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