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永井 龍男 著 『雑文集 ネクタイの幅』

d0331556_6103918.jpg 永井龍男さんのこの本を読んでいると、ページをめくる度に古本特有のカビ臭い匂いが広がった。奥付を見ると昭和50年6月に発売されている。今から50年ほど前の本だ。だから紀伊国屋書店ウエイブストアの検索にはヒットしない。
 しかしこういう雨の日に読むにはうってつけの身辺雑記だ。
 こういう身辺雑記を読んでいると、確かにそうだよなあ、と今の自分が感じていることを実感できるのがうれしい。


 日曜日は家に引籠る。おのずと、安息日を大切に過す年齢になった。(日曜祭日)


 これよくわかる。毎日が日曜日だからいえることなのかもしれないが、土日祭日どこかでかけるにしても、人で一杯だし、駐車場を探すのに手間取るから、自ずと平日に出かけることが多くなった。


 もみじの葉はことに風に弱く、紅をさした葉は巻きあがり、さらに褐色にちじれて無残に散る。(十年十五年)


 我が家にももみじの木が1本ある。もう葉っぱをすべて落としたが、これが落葉したとき、掃き掃除するのが大変であった。葉っぱが軽いため、まとめてちりとりに入れようとすると、風で巻き上げられ、うまくちりとりに収まらない。しかも箒にまとわりつく。意地になっていると、ちぎれていく。結構厄介な落葉なのである。


 四五年前から、私の家の庭でも、毎年彼岸花が咲く。
 彼岸花というより、この頃は曼珠沙華の方が通りがよいようだが、ちょっと風変わりな秋の花である。この花はほかに、幽霊花とか、死人花とか、捨子花とか、あまり縁起のよくない別名が、土地によっていろいろ付いている。庭に咲かせる花でないことは承知していたが、なにかの折に球根がまぎれこんできたらしい。(赤い花)


 幽霊花、地獄花、死人花の別名は、それぞれ彼岸花の他の花と様子のちがったところや、墓地などに群生する習性から来たものと察しがつくが、捨子花とはどういう訳かわからない。調べてみてなるほどと思った。この草は夏の終り頃に蘭科の植物に似た葉を全部落としてしまい、秋になってから約三四十センチほどの花軸を勢よく空を伸ばす。その上彼岸の頃赤い花を咲かせる訳で葉と花がいっしょの時期というものはない。そこで捨子花という呼名が生まれたのだそうである。(赤い花)


 実は我が家も隣のお寺から迷い込んでと思われる彼岸花が今年出てきた。花は咲かなかったが、葉が伸びていた。最初は何だろう、と思っていたら、お寺の敷地に生えている彼岸花の葉と同じことに気がついたのだ。
 永井さんが言うようにこの花は墓地に似合う花であり、お寺にあっていい花だと思う。彼岸花の別名も面白かった。


 永井さんはうまい文章の書き方という「うまい」を否定すると書く。


 文章の目的は、うまいことにあるのではなく、「正確」な表現でなければならない。その人の思想、感情を出来るだけ正確に表現するのが文章の役目である。また文章は、文章自体でなり立つのではなく、その人の思想、感情の表現として、はじめて形をなすのである。
 だから、その思想なり感情を誤りなく他人に伝えるためには、なによりも正確さが重んじられる。うまい文章を書こうと努力するのは、まちがっている。正確な文章を書こうとすることこそ、根本だと私はいう。
 それならば、正確な文章を書く秘訣とはなにかということになる。
 秘訣は、文章にあるのではなく、表現したい思想なり感情を、しっかりつかむことにある。表現したいものを、表からも裏からも。前からも後ろからも観察して、しっかり自分の手につかむ。
 それから筆をとれば、文章は正確にならざるを得ない。この言葉づかいでは、この気持ちは人に伝えられないとか、この言いまわしではこの思想ははっきり表現されないと自省がわき、言葉の選択にもおのずと力を注がずにはいられなくなる。


 なるほど、そうかもしれない。もともと上手い文章など私にはかけないので、思うがまま書いている。それでも私なりに考えては書いている。今は文章を書くに当たり、考える時間が長く持てるようになったので、昔よりはさまになってきたのでは自分では思っているけれど、もしかしたらまだまだかもしれない。でもこうして本を読んで考え、文章として表現することは好きなので、これからもやっていこうと思っている。


永井 龍男 著 『雑文集 ネクタイの幅』 講談社(1975/06発売)
by office_kmoto | 2015-01-31 06:12 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

古井 由吉 著 『ひととせの―東京の声と音』

d0331556_14492772.jpg 人間の感覚の聡さと、その聴覚と連繋した視覚の聡さは、先祖代々、おもに夜の闇の中で育てられた、と仮に考えるとする。すると、夜の闇が薄れるにつれて人間の聴覚もおの本来の聡さを限られるのは道理であり、その鈍磨のおかげでわれわれはこの騒々しい世の中を生きていられるようなものだが、しかし、今でも変わらず夜の闇に迫られるのは、病人と老人と、生きることに苦しむ人間である。


 都会で生きていると、夜でも明るい。だから暗い夜に忍び寄るかのような物音が聞きづらい。またオフィスで、あるいはマンションの部屋が完全防音となっている。外からの音をほぼ完全に遮断した中で暮らしていると、自然な物音や声さえ遮断されてしまう。人はそうした音を遮断していると身体から変調を来してくる。
 もっとそうした聴覚を鈍化がこの騒がしい世の中を生きてられる術となっているのかもしれない、と思う著者にある意味納得してしまう。


 外からの自然な物音や声を断たれると、身体に変調が来るくらいだから、感覚はおのずと苦しむ。物の感じ方や考え方も変わってくるはずだ。


 著者は空襲の体験からの恐怖、後遺症として、それ以前の音や声を遮断してしまっていると書く。さらに戦後の高度成長期の喧騒が、折々についた声や音を記憶に留めることを阻んでいて、自分の耳は奥の方で聾されているとも書く。
 それでもそんな著者が時折、遠くから聞こえてくる音や声に耳をすまし、季節の音や声を蘇らせることができる。この本はそんな音を頼りに、2003年の東京の音から拾い出した昔の記憶を蘇らせたエッセイである。


 何十年暮らしていても、たとえそこで生まれ育っても、すっかり馴染めないのが、大都市だと言われる。平生異和感はないつもりでも、いったん窮地へ追い込まれると、見も知らぬ土地に見えてくるおそれがある。宙に浮きかけた心をつなぎとめる、一片の声や音を人は求める。


 懐かしかったのは著者が子供の頃したベイゴマの風景である。


 二人同時にコマを投げ込むやり方があり、この時チッチノーチで始まる。


 そうだった。「チッチノーチ」と言ってベイゴマを樽に張ったシート上に一斉に投げ入れ競い合った。この「チッチノーチ」というかけ声読んだとき、忘れていた声が蘇り、懐かしくて涙が出そうになった。
 このように音や声が聞こえてくる中で思い出すこと、考えることが言葉に表されると、懐かしくて仕方がない。
 きっと私の中には頭の中の引き出しには入っているのかもしれないが、それを取り出せない音や人の声などたくさんあるんだろうな、と思う。それがたとえばこの本のように記憶の引き出しを開けてくれると、何気ないものであっても、次から次へと音の引き出しが開いていく感じがする。

 通夜の精進落としの席でお寿司がよく出される。この鮨のことが書かれていた。


 東京の通夜はどんなに人が集まっても、さびしいというよりか、あっけなくてな、と地方の農村出身の高年者が洩らした。

 だいぶ以前から私が不審に思っているのは、東京で鮨が、江戸前の握り鮨が、通夜にだされるようになったのはいつ頃からのことなのか、ということである。

 私がおおよそ見当をつけたのは、通夜に鮨とは東京でもかなり新しい習慣であり、初めはたいそうわびしい、寒々としたものではなかったか、ということである。煮染めを用意しようにも親類や近隣の女手を集めかねるという大都市人の境遇を思ってのことだが、通夜の果てた後に残りの鮨をぽつりぽつりつまみながらの、感慨に近いものだった。


 なるほだな。

 煮物を出すには、都会ではそれらを作ってくれる「親類や近隣の女手を集めかねる」から鮨になったんだ、というのは妙に納得してしまう。通夜の鮨は、手作りの“おもてなし”が出来ない、都会の“寂しさ”のひとつかもしれない。

 この本を読んでもう一つ知った言葉がある。「夏落葉」である。我が家の隣に大きなタブの木がある。区の保護樹にもなっていて、樹齢何百年か何十年か知らないが、とにかく大きな木だ。
 タブの木は別名「にせ楠」などと呼ばれたりし、「枝葉には粘液が多く、乾かして粉にするとタブ粉が得られる。タブ粉は線香や蚊取線香の材料の1つ(粘結材)として用いる」とウィキペディアに書いてある。
 このタブの木が夏場やたら葉を落とす。我が家の玄関の先にある私道一面に乾燥した大きな葉が広がる。昨年夏場、二日に1回ほど掃き寄せていた。これが「夏落葉」だったんだな、とこれも妙に納得する。
 ネットでさらに調べてみると、夏落葉は常磐木(ときわぎ)落葉とも言われるらしく、俳句の季語にもなっているようだ。これらの常緑樹は緑の葉のまま冬を過ごしたあと、初夏に新葉が出てから古い葉を落とすのだ。
 ネットでは土肥あき子という私の知らない歌人の俳句が載っていて、それが私が夏場掃いても掃いても切りがなく、一休みして汗を拭きながらタブの木を見上げた時感じたイメージにそっくりだった。


 夏落葉  掃除すほど  延びる枝


 常緑樹の落葉と言えば、この冬、我が家にあるさつきが黄色く色づき、葉を落とした。確かさつきは常緑樹だから、葉が色づき、落葉となって落ちることはないと思っていた。もしかしたら昨年、それまで放ってあって野生化したさつきを知識もなしにばっさばっさと剪定してしまったので、枯れてしまうのではないかと不安になった。
 図書館で調べてみると、さつきも落葉することがわかった。私が今まで気付かなかっただけのことである。枝先に残っている葉を見てみると、花芽なのか、葉になるのかわからないがふっくらとしたものが見て取れる。まるで春のために準備しているように見えた。


 季節の変化は何よりの助言者である。


古井 由吉 著 『ひととせの―東京の声と音』 日本経済新聞出版社(2004/10発売)
by office_kmoto | 2015-01-28 14:54 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

庄野 潤三 著 『前途』

 佐伯一麦さんがよく引用する庄野潤三さんの『前途』にある、伊東静雄という詩人が言った言葉が気にかかっていた。
 これはどんな場面で言われた言葉だったんだろう、と思い、『前途』を読んでみた。
 それは主人公の漆山が友人である小高から聞いた話を師である伊藤静雄に話した時、伊東が言った言葉であった。
 その出来事は、小高が海軍予備学生を受けるために父親の許可を得た帰りの夜行列車のことであった。


 神戸からの帰りの汽車で、向いに生れて二月ほどの赤ちゃんを抱いた若い奥さんが座っていて、こういう風に赤ちゃんを抱いているのだけれど、疲れていて、うとうとしかけては子供を落っことしそうなる。
 それで二度、その子を抱いて上げた。その人が僕から子供を受取る時に、袖のところを寄り添うように持って来て、僕の手とその人の手が触れた。赤ちゃんはきれいなあ。ほんとうにきれいなあ。こうして抱いていたら、切なかったよ。


 その話を聞いて伊藤静雄は、


 「小説というのは、いまの話のようなものなのですね。空想の所産でもなく、また理念をあらわしたものでもなく、手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴っていくものなのですね」


 と言うのである。
 これで伊東がどういうときにこの言葉を言ったのかよくわかった。それがわかったとき伊東の言った意味がわかったような気がした。
 この本は終戦間近の頃、日記スタイルで漆山と友人たちの交友を描いたものである。話自体退屈なもので、読んでいて眠気に襲われ、何度か本を落としてしまった。
 しかしその頃の若者も、たとえば女性を見る目など、今と変わらないものなんだなあ、と思ったり、漆山と友人たちがとる行動は、私たちが若かった頃よくやったことと同じで、その描写が懐かしくもあった。
 この小説の題名である『前途』は、伊藤静雄が宿直で酒を飲んで(当時は学校の宿直室で弟子たちを呼び入れて、酒を飲むことが出来たことに少々驚く)自分の愛唱歌である和漢朗詠集にある歌から取られているようだ。


 前途程遠 馳思於鴈山之暮雲
 後會期遥 霑纓於鴻臚之曉涙


 「前途程遠し、思ひを雁山(がんさん)の暮の雲に馳す。後会期遥かなり、纓(えい)を鴻臚(こうろ)の暁の涙にうるおす」と読む。
 意味は(渤海の客使が、任終わってその郷国に帰ろうとするときの詩の序)私の前途はまことに遠い旅程で、雁がその門より飛び立つという雁門山にたなびく夕べの雲を思いやることです。君とこの後再会することができるのは、いつのことでありましょうか。この鴻臚館の夜明けの別れに、私は冠の紐を涙でぬらしております。ということらしい。


 『現代の文学18 庄野潤三』 講談社(1974/7発売)に収録
by office_kmoto | 2015-01-25 08:01 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『散歩歳時記』

d0331556_64781.jpg 佐伯一麦さんの『散歩歳時記』を再読する。
 前回読んだときは、この本を図書館で借りた。私が佐伯さんの本を読むきっかけとなったこの本である。今度は自分の本として手に入れたので、再度読んでみた。
 前回は上質のエッセイとして、“いいなあ”と思って読んでいたが、今回も同様であった。
 まえがきで、「私は、自然の風物詩には大いに関心があるが、鳥の初音や希少な動植物を求めて海山へ赴くようなことは余りない。ほとんどが自宅周辺の散歩で間に合わせている」と書き始め、中原中也の「一つの境涯」というエピグラフが自分の気持ちに近いと書く。


 「普通に人々が、この景色は佳いだのあの景色は悪いだの云う、そんなことは殆ど意味もないことだ。人々の心の奥底を動かすものは、却て人が毎日いやという程見てゐるもの、おそらくは人々が称んで退屈となす所のものの中にあるのだ」


 「人々が称んで退屈となす」日常生活の中で、別段特にこちらから探しに出かけて行かなくとも、むこうから自ずとやってくるものをじっと待ち受けて観賞する。本書は、そんな、自称、ものぐさ自然観賞家がこの十二年の間、身のまわりから拾い集めた季節の記録である。


 まあこう書かれても、ただ単に待ち受けていただけでは、何も心には残らない。それが心に残るには、それまでとは違う気持ちのあり方がそこに眼を向かせるのではないか、と思う。


 屈託がなければ、人は樹木を見上げることもなく、夜鳥が上げる啼き声に気付きもしないのだろう。


 私は昨年一年、生活環境が大きく変わり、正直なところ、苦しんだ。その時今まで気付かなかった、風の音、雨の音が聞こえるようになった。
 それから毎日1時間以上散歩に出たことで、家々にある樹木に咲いている花や、道端に咲いている名も知らない花を見る。毎日歩いているから、その変化がわかる。ゆっくりであるが確実に時間が流れている。季節が動いていく。そんなことを肌で、眼で感じることができるようになった。
 おそらくそれまでのように判で押した生活をしていたなら、それを感じることも、見ることもなかったに違いない。
 季節の変化を単に暑い、寒いだけで感じていた。しかし季節は1年という時間をかけて変化し、また元に戻っていく。それは感じて、見ていると長い時間であることを知った。
 それは時間の余裕があるから、そうすることが出来たわけだが、私の場合その余裕は望んで得たものではない。私の屈託はそこから生まれているけれど、最近はその余裕がどういう形で得たかは関係ないように思えるようになった。忘れていたたくさんのことをこの1年思い出し、感じ、考えたからだ。
 幸い私が子供の頃はまだ身近に自然があり、それが遊び仲間であり、遊ぶ場所であり、遊び道具であった。だからたとえ今の自然が限定されたものであっても、昔がそうであったことを思い出すきっかけをくれれば、それだけで広がりを持てる。有り難いことである。
 それは今の私にとって貴重なものである。そしてそれを出来ることなら大切にしたい、と思っている。


 現実が、虚構と分かちがたくなったような現代にあっても、私にとっては、生活の細部が伝える現実の手応えは生の保証として重みをまだ失っていない。そして、虚構の物語の中に自分の体験の細部を埋没させ奉仕させるためには、現実は私にとってなつかしすぎる、と。


 佐伯さんのエッセイや小説が今の自分に合っているのは、この気分をより大切にしたいと思わせるからである。

d0331556_645590.jpg そうそう、いわさゆうこさんの『野の草なまえノート』という本を手に入れた。今、夜な夜なこの絵本を眺めている。名前は聞いたことがあっても、実物を知らない草がこれを見ると、もしかしたらあれがそうなのかもしれない、と思ったりしている。
 春になれば、緑が芽吹き、花を咲かせるから、今度は実物を確かめることが出来る。だから今の私は春が来るのが待ち遠しいのである。





佐伯 一麦 著 『散歩歳時記』 日本経済新聞出版社(2005/12発売)

いわさ ゆうこ 著 『野の草なまえノート―知ってたのしいみてなるほど』 文化出版局(2005/11発売)
by office_kmoto | 2015-01-21 06:06 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成27年1月日録(上旬)

平成27年(2015年)1月1日 木曜日

 くもり。寒い一日で、昼過ぎ粉雪が舞い散る。元旦に雪が降るのは9年ぶりとのこと。

 年賀状が8時半頃届く。例年より早いのではないだろうか。その後メールを書いたり、年賀状を出すのを失礼してしまった人に年賀状を書く。

 昼前に隣のお寺に新年の挨拶に行き、義父の墓前に正月の花を供える。

 ブックオフは20%引きセールをやっているので、散歩がてら寄ってみる。これといって欲しい本がないが、2冊だけ購入。

 私は5年連用日記に読んだ本、購入した本を記しているが、年末読んだ本のことを記入し忘れていたので、それを書き込み、その後ページを最初に戻して、今日購入した本を記入する。
 5年連用日記は面白い。この日記を使い始めて今年で3年目になるが、1ページごと月日が経っていき、最後まで行くと、また最初に戻るのである。当たり前と言えば当たり前なのだが、何かリセットされるような気がしてしまう。
 今年はどんな本に巡り会えるだろうか?

 年末にやろうと思っていた朝日新聞に掲載されている漱石の『三四郎』を切り抜き、専用のスクラップブックに貼る作業をまとめてやる。遂に2冊目に突入する。
 新聞を切り抜いていると、同じページに「かたえくぼ」という時事をひねくった投稿があるが、これが面白い。読んでいて思わず笑ってしまう。上手いこと言うもんだ、と思う。後で笑うために今年はこれも切り抜いておこう。
 こうして新聞を切り抜いていると、永井龍男さんみたいだな、と苦笑してしまう。

 我が家はお雑煮など正月料理は夕飯にする。家族それぞれが時間が揃うからだ。妻が作るお雑煮が私は好きで、おかわりをする。従ってお餅を二個食べることになり、それに正月料理が加わるので、食べすぎになるだろうな、とわかってはいた。
 年末に胃腸科の先生に食べすぎは注意して、と言われていたが、まあ今日ぐらいはいいだろうと勝手に考える。それでも例年より控えめだから、それほど問題はないだろう。


1月5日 月曜日

 はれ。今日は多少暖かい。

 義母が認知症になって、年賀状が書けなくなって、我々夫婦が代筆して、それこそ会ったこともない、遠い親戚に年賀状を出すことが、ここ何年も続いている。その親戚から、御主人を亡くして、悲しみに暮れているということが書かれていると、まずかったなあ、と思ってしまう。そもそも喪中のはがきさえ届いていなかったので、そうした不幸があったことさえ知らなかったのだから、仕方がない。向こうも私たちと同じで、親たちの付き合いを子がどこまでかかわればいいのか、わからないところがあったのではないか。まして会ったこともない我々に、喪中のはがきを出し忘れてしまうことだってあるだろう。

 以前読んだ川上未映子さんのエッセイで長いこと会っていない人と挨拶することがあり、その時の会話の流れで「命にまつわる近況」を聞いてしまうこともある。それが怖くて、そういう人たちとの会話が難しいことが書かれていた。
 だからそういう気づかいを出来るだけさけるために、年賀状に自分たちの近況を記すことは大切ではないか、と川上さん思うのである。私もそうだな、とこの意見に賛成した。だから今年の年賀状には、自分の近況を記した。たとえ年賀状だけのやりとりであっても、相手に自分の今をわかってもらえると思ったのである。それは積極的に私のことを知ってもらおうということではなく、単に近況や心境がこうである、ということを書いただけである。それだけである。少なくても私たちのように親戚から来た年賀状で、後から「まずかった」という無用な心配をさせないことぐらいはなるのではないか、と思うのである。
 受け取った年賀状を見てみると、それぞれの“屈託”がさりげなくそこに記されている。それを読んで、これらの“屈託”は私たちの年代にあるものなんだ、と思ってしまう。
 長いこと生きているとそれらの不安、苦しみなど共有できてしまう分、そのまま自分に跳ね返ってくるような年賀状が今年は多かったような気がする。

 今年の年賀状を整理して、筆まめに「受け取り」のデータを入力しながら、そんなことを思ったのである。

 佐伯一麦さんの『散歩歳時記』を読み終える。


1月8日 木曜日

 はれ。北風が強く吹いているが、部屋に差し込む陽の光が、柔らかくしばらく陽の光を浴びていると温かくなる。
 昨年末眼鏡市場で作った妻のめがねが出来上がったという連絡があったので、取りに行く。遠近と中近の二つを作ったのだが、見るところでめがねを変えないといけない手間はあるものの、楽だという。良かった。
 今までのフレームと違うので、私とわからないかも?と言うが、そんなことないだろうと、馬鹿馬鹿しい気持ちで答える。要は新しいめがねがうれしいのである。

 庄野潤三さんの『前途』を読み終える。


1月9日 金曜日

 昨日と同じように北風が強く吹いていた。

 古井由吉さんの『ひととせの』を読み終える。


1月10日 土曜日

 ここのところ天気は変わらずいい天気なのだが、風が冷たくて散歩には手袋が欠かせないでいる。

 妻と散歩に出かけるようになって、今日で5日目となる。今日は近所の図書館まで往復40分ほどかけて歩いて行く。借りた本を返すためだ。
 今月3日、娘夫婦と孫、義理の妹が我が家に集まったが、夜、妻が急に胸が痛いと言い出した。慌てて緊急の病院へ行き、血液検査、レントゲン、CTと検査をしてもらった。結局心臓、肺には何ら問題がなく、診察の結果、「肋間神経痛」と診断された。
 しかしCTで他に問題のありそうなところが見つかる。先生はそれは命に別状ないだろうが詳しくは専門の先生に診断を仰いだ方がいいと言われ、休み明けの月曜日に予約で再度診断をお願いすることとなった。
 この日も血液検査、エコー検査をして、専門医の診断の結果、今より痩せれば問題は解決するとのこと。
 妻は足が悪く、杖をついて歩いているが、基本運動不足である。先生から1日30分から40分ほど歩くこと、それから食事療法をしばらくして3ヶ月後様子を見ようと言うことになり、薬による治療はなかった。その後栄養士の先生に、食事のあり方のアドバイスを受けた。食事療法も極端なことをする必要性までないようで、注意してください、という程度になった。
 以来、妻と散歩するようになったのである。妻は杖をついてゆっくりと歩いて行く。私は歩調を合わせるのが大変だが、近くの親水公園を歩く。あるいは途中横道に逸れて、路地を歩いて行く。
 私は普段散歩するときは気ままに横道に逸れて、この道はどこへ続くのだろうと思いながら歩く。あるいは家々に植えられている木々を塀越しに眺めて歩く。妻は普段自分で車を運転しているため、路地に入ると、地元であるにも関わらず、知らない場所が多いようで、興味津々で歩いている。
 家々の庭には結構いろいろな木が植えられている。だから歩いているとたくさんの種類の木々を眺めることができる。今日通った家にはロウバイが黄色い花を咲かせていた。私はこの花が好きである。


1月11日 日曜日

 今日もはれ。ただしここ数日に比べ風がなく、しばらく日向を歩いていると暑くなってくる。

d0331556_5402458.jpg 昔司馬遼太郎さんのエッセイか何かを読んでいたとき、司馬さんがシムノンの推理小説読んでいて、その人間描写に感心していたのがあった。それからシムノンの推理小説を読んでみたいと思い、古本屋で見つけたとき、買って置いた本が数冊ある。そのうちの一冊、『メグレ罠を張る』を取り出して読み始めた。

 なかなか面白かった。

 モンマルトルで連続して5人の女性が殺害された。犯行は金品を奪うでもなく、暴行が目的でもない。動機も5人の女性の関係も、そして犯人像もまったく見えなかった。
 メグレは毎月開かれるパルドン医師の夕食会に夫婦揃って招かれ、そこでもう一組ゲスト、精神医のティソオ教授を紹介される。そこで今回の犯人をお互い探っていき、二人で犯人像を組み立てていく。
 話が進むうちに、犯罪者たちが自分のやった犯罪を自慢したがる欲求があるのではないか、という見解になる。


 「かりに誰か他の人間が逮捕されて、いわばまあわれわれの殺人犯の地位におさまりかえり、犯人が自分の栄誉のように考えているものを横どりしたとしたらどうでしょう・・・・・」

 「恐らく確かに」とティソオは答えた。「-あなたの目ざす男は自分のものを横どりされたような気持に襲われるでしょうな」


 それを逆手にとって大がかり“罠”がかけられ、犯人のあぶり出しが始まっていたのである。
 そして犯人は6人目の女性、女性警察官を襲ったが、失敗し、初めて犯人につながる証拠をメグレたちは手に入れた。


 ちょっとメグレシリーズを読んでみたくなった。江戸川区の図書館にはこのシリーズが閉架書庫書(普通には閲覧できないみたいだ)に眠っているようで、いずれ予約して借りようかと思っているが、まず自分が持っているメグレシリーズを読んでからだな、と思う。


ジョルジュ・シムノン著/峯岸久訳 『メグレ罠を張る』 ハヤカワ・ミステリ文庫 早川書房(1991/09発売)


1月13日 火曜日

 はれ。

d0331556_67871.jpg 吉村昭さんの『夜明けの雷鳴』を読み終える。久しぶりに吉村さんの歴史小説を読んだ。
 私が集めた吉村さんの小説やエッセイでまだ読んでいないものがたくさんある。今年は全部とまではいかないまでも、多く読みたいものだと考えている。吉村さんだけではない。シリーズものなど集めるだけ集めて読んでいない作品が結構ある。それも長年かけて集めてきたもので、その時は今読めなくても歳をとって時間の余裕ができたらじっくり読もうと思ってきたものだ。
 昨年からそうした時間が出来たわけだが、自分の本を読まずに図書館で本を借りまくってきたので、それが手つかずに終わってしまった。今年はそれを控えて、自分の蔵書を中心に読んでいきたいと思っている。
 文字が小さいとか問題はあるけれど、読めないわけではない。
 昨年はとにかく数をこなそうとというところがあったが、今年はじっくり読みたいと思っている。

 一太郎のバージョンアップ2015のパンフレットが届く。毎年毎年バージョンアップだ。これじゃ、まるで年度更新みたいだ。
 私はこの原稿を一太郎で書いているけれど、今のバージョンでも機能を使い切っていない。だいたい新しい機能がどれほどのものなのか。疑問である。あってもなくてもいいもんじゃないか、と思っている。問題なく文章が書ければいいのだから、不要なバージョンアップなど要らない。私はもう何年もバージョンアップをやっていない。

吉村 昭 著 『夜明けの雷鳴―医師高松凌雲』 文藝春秋(2000/01発売)


1月15日 木曜日

 雨。

 永井龍男さんの『雑文集 ネクタイの幅』を読み終える。日記に読んだこの本のことを書いていたら、昨年の同じ日を見ると、「退職」と書いてある。

 そうだったか。あれからもう1年経ったんだ。

 実際は一昨年の12月には仕事を終えていた。書類上1月15日だっただけのことである。
 とにかく1年経ってみて、これはこれで良かったんだろうな、と思える。もっともそう思うしかなかったのだから仕方がない。
 この1年は長かった。いや1年というのは長いものだと実感した。それは私の中での時間ではなく、季節という“くくり”でそう思ったのである。
 季節の移ろいは1年の中で少しずつ変わっていっていくことを知った。仕事以外にそうして時間が過ぎていく感覚は長いことを忘れていたので、それはある意味新鮮だった。
 たぶん時間に流されることは今も昔も変わってはいないと思うが、昔は時間に流されることに苛立ちを覚えていた。しかし今は時間に流されることが、ある意味心地よい。だからこの感覚は大切にしたい。
 これからどうしたいのか、焦りはあるが、この1年考えたことをもっとも大切にして生きていきたい、と思っている。
by office_kmoto | 2015-01-20 05:57 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『石の肺―アスベスト禍を追う』

d0331556_10201262.jpg 佐伯さんは作家になる以前から、飯の種として電気工をしており、作家になった後も十年間は二足の草鞋を履いていた。
 1984年3月に渋谷のビルに英会話学校が移転してくることになり、その改修工事に携わった。予算と工期が短いことで天井は落とさず、連日天井裏に潜り込み電気工事した。天井の上にあるコンクリートには当然のように、防火、防音のためにアスベストが吹き付けられていた。アスベストの一部は剥がれ落ちて積もっていた。いわゆるここは建設業者言うところの「やばい現場」であった。


 あるものは、かすかに洩れてくる光にキラキラと光りました。


 パタパタと作業着に付いた埃をはらうと、塵埃に混じってアスベストの細かい繊維が陽にキラキラと光ったものです。
 首元からチクチクしたものが入らないように、薄手のタートルシャツを作業着の中に着込むのですが、それでも、家の風呂に入ったときには、湯が沁みるので、膚にほうぼうに無数の細かい傷が出来ているのに気付かされます。


 結局その時アスベストの曝露によっておこる胸膜炎(当時は肋膜炎と言った)をおこし、筆一本になることを余儀なくされる。
 この本は佐伯さんが曝露したアスベスト渦がどういうものであり、またアスベストに苦しむ人々が訴訟を起こし、救済を求める現在、もう一度アスベスト渦を考えてみようとするものである。


 ある時期までは社会全体が確実にアスベストの恩恵を受けながら、いまとなってはその実物をろくに知ろうともしないで、被害ばかり言い立てている、そんな世間の風潮に対する疑問の思いもありました。


 また現場で働いていた人たちは言葉にするのが苦手な人々なので、作家となった自分が書くしかない、という思いに駆られる。
 こうして取材を進めていくうちに、アスベスト問題は、この国の現在噴出している、企業や国の隠蔽体質。談合。いじめ。耐震構造偽装疑惑。差別問題。雇用格差。棄民政策-そうしたものの原点ともいえることにも次第に気付いていく。
 そもそもアスベストとは何か。
 アスベストという物質はとても便利なもので、鉱物であるにもかかわらず繊維のように柔軟性があり、布や糸のようで、しかも、燃えない、腐らない、錆びないなど、とても安定して丈夫なものである。しかも今に至るまで、代替品もいろいろ開発されているが、アスベストにとって代わる物質は見つかっていない。


 あらためて、アスベストの持つすぐれた性質を挙げてみますと、熱に強くて、火に燃えにくく、引っ張っても切れにくい。絶縁性が高くて電気を通さず、しかも、外形はフレキシブルで柔軟性があります。酸にも強く、アルカリにも強い。これだけ丈夫で、なおかつ形を変化させられる物質はありません。
 こうした特徴があるため『奇跡の物質』と呼ばれ、さまざまな局面で重宝されてきました。
 ちなみに、9・11で倒壊したワールドトレードセンタービルはアスベスト使用が禁止されたために、建物の四十階近くまで工事中だった耐火被覆材のアスベストを全部取り除いて新材料に変えたために倒壊したとも言われている。

 しかしアスベストの悲劇は、これが不死であり、一度体内に取り込まれたアスベスト繊維は排出されにくく、不断に細胞に悪影響を及ぼし、最初の曝露より20年から40年のタイム・ラグを置いて、肺癌や悪性中皮腫を発病させる。


 アメリカの映画スターのスティーヴ・マックィーンの死因はアスベストによる悪性中皮腫だったのですが、それは、車やバイクが好きだったマックィーンはレースに良く出ていて、そこで身に着けたマスクや耐火服に使われいたアスベストが原因ではないかといわれています。


 そういえば映画「タワーリング・インフェルノ」でスティーヴ・マックィーンは耐火消防服を着ていた。

 さて。

 このようにアスベスト渦が騒がれるようになるまで、国などは防火などに率先して使用することを求めて来た。そしてその犠牲になったのは、アスベストを生産する工場、アスベストが吹き付けられた建設現場で働く職人である末端にいる人々であった。これらの人々は過酷な労働条件の中、低賃金で働かされ、挙げ句の果てに肺癌や悪性中皮腫で亡くなっていった。
 ここにアスベスト渦の問題を大きくしない国や企業の隠蔽体質を見ることが出来るし、過酷な労働条件、低賃金などに差別や雇用格差を見出すことが出来る。
 過酷な仕事環境、低賃金は職人たちの働く意欲を損ない、末端で働く労働者のモラル次第で、建設現場の仕事はどうにでもなってしまう状況を生む。これが一時話題になった耐震構造偽装疑惑につながることとなる。
 だから佐伯さんは次のように言う。


 工場の労働者や建設業の職人というものは、これまでずっといたのだけれども、しかしいつからか日本の社会はそういう存在を忘れようとしているか、“透明人間”のように見ないようにしてきたところがあるのではないか、といまぼくは思います。
 石綿肺に対する補償は、その犠牲の上に日本の高度成長が成り立っていたものだとすれば、“高度成長補償”のような意味からも必要なのではないでしょうか。

 
 今わざわざ昔あった天井を剥がし、配管を露出させ打ちっぱなしたお店などよく見かける。しかしそこが昔からある建物であればコンクリート天井には当然アスベストを使っていただろうし、いくら撤去したといっても、完全とは言い切れない、という。
 特に最近はリフォームとかリノベーションとか言って、昔の建物をお洒落に変えるのが流行っているが、そんな店に行く機会があれば、建設業者でなくてもアスベストを吸ってしまう可能性がある、という話がここに載っている。
 以来私はお店に入るとき天井を見上げることが多くなった。

 この本は佐伯さん自身の抱えているアスベスト渦のルポであろうが、今ひとつ踏み込みが浅い感じがぬぐえなかった。佐伯さんがアスベスト渦に苦しんでいる一人として、もっと深く踏み込んだものが読みたかった。
 佐伯さんはアスベストのルポなのに、いたるところで自分自身の経歴を書きたくなるようである。
 この本の著者のプロフィルに「現代における希少な私小説作家として知られる」と書かれるくらいだから、仕方がないのかもしれないが、だったら佐伯さんの小説に出てくる主人公のような、普段の生活の中でアスベスト渦に苦しむ描写があっても良かったのではないか。
 この本で「ぼくは、想像力で物語を作ることができるタイプではなく、自分の見聞や体験を元に作品を作り上げるタイプ」と言っているのだから、惜しい気がする。


佐伯 一麦 著 『石の肺―アスベスト禍を追う』 新潮社(2007/02発売)
by office_kmoto | 2015-01-15 10:22 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『246』

d0331556_631867.jpg まずこの文庫本を手にとって思ったことは、しおりとなる「スピン」の色が黄色であることに気がついた。新潮文庫のスピンは普通茶色である。最近新潮文庫の新刊を買っていないので、もしかしたら色を変えたのかもしれない。と思ったが、この文庫、装画もかっこよく、凝っている。だから文庫にある統一感から少しでも離れようとして、スピンの色を変えたのかもしれない、と思ったりする。
 さて、本のことである。


 夕暮れどき、西の窓を開けると、国道二四六号線とその上の首都高速道路の向こうに、赤く大きな太陽が沈んでいくのが見える。ビルとビルの狭い隙間に、どこかの連山が顔を覗かせている。高速道路上を、車たちが夕陽を浴びながら疾走していく。やがて、空気は薄紫に染まってくる。


 西の窓に眼をやると、濃い藍色の山々を背に、国道二四六号線の上に架かる高速道路を、ライトをつけはじめた車が流れるように走っている。それを見ているだけで、瞬く間に二、三時間過ぎてしまう。ビールの缶が机の上に並んでいき、ホロッとした気分になってくる。


 世田谷の弦巻という町に住み、三軒茶屋に仕事場を持つ私は、都心に向かうのに常にこの246を使う。タクシーやバスはもちろんのこと、地下鉄に乗る時さえ、246に沿って都心に向かっていくことになる。いまの私にとっては、この246が「うち」から「そと」の世界につづく唯一最大の道であるのだ。


 だから書名が『246』なのである。
 沢木さんは日記を書かないという。そしてこの本はある年の1月から9月までの中途半端な時期の日々をつづったものである。それを次のように言う。


 単に日記、ダイアリーとだけ言ってしまうとなんとなく落ち着きが悪い。それとは異なるエッセイ風のところもあるからだ。日記風エッセイという意味ならダイアリアル・エッセイだろうし、日付のあるエッセイというならクロノロジカル・エッセイかデイティッド・エッセイとでもなるのだろうが、日本語としてはどれも耳慣れない単語を用いなくてはならない。あるいは、いくらか正確さは欠くにしても、クロニカル・エッセイの方がわかりやすいかもしれない。年代記というほど大袈裟なものではないが、いま読み返してみれば、間違いなく私のささやかな「歴史」は記されている。


 この期間、『深夜特急』、『血の味』、『馬車は走る』の校正をやり、『キャパ』の翻訳を始めている。『深夜特急』の校正、ゲラを見て、「もしかしたら、『深夜特急』はかなりいい本になるかもしれない」と思う。
 校正はかなり苦労しているのがうかがえるが、、それが終わり沢木さんの手を離れ、本になると、自分の本が他人の書いた本以上に無縁なものになるという。


 もし、著者としての喜びがあるとすれば、このようにしてすべてが自分の手を離れ、一冊の本として眼の前に現れてくるまでの、一カ月か二カ月のあいだの期待に満ちた日々にこそ存在するのかもしれない。だが、完成された本が眼の前に出てきた時、それを手に取り、触れ、一度パラパラと頁を操ってしまうと、あとのことは、本の売れ行きも、批評も、遠い世界の出来事になってしまう。少なくとも、私はそうなのだ。文庫本を出すために間違いがないかどうか確かめる、という機会でもないかぎり、まず読み返すことはない。他人の書いた本以上に無縁のものになってしまう。


 そういう意味で、沢木さんにとって無縁になってしまったかもしれないこの本を読んでみると、なるほどな、とか、そうなんだ、と感じることが書かれている。
 沢木さんは一時期、ニュー・ジャーナリズムの旗手と呼ばれていたが、普通言われているジャーナリズムと自らの違いを次のように言う。


 ジャーナリストとは、「いま」という時代に深い爪痕を残すために、永遠を断念する者だという言い方さえできる。しかし、私はやはり、永遠とまでいかないにしても、時間に耐えられるものを書きたいという思いを捨て去ることができない。だが、にもかかわらず、私が雑誌に書き、新聞に書いていることは確かなのだ。つまり、私はジャーナリズムに身を置きながら、常にジャーナリズムからの逃走を試みている者だったのだ。


 あるいはノンフィクションとフィクションの違いはどこになるのか。小説である『血の味』を執筆している時に思ったことが書かれているが、それは興味深い。


 ノンフィクションとは、かつてあったもの、あるいはあると信じられるものを描き出せばいい。対象はこの世のどこかにあるのだ。しかし、フィクションの場合は筆を下ろすまで本質的には何も存在しないのだ。書くことであらしめねばならない。どこにもないものを書くということが、常にあるもの、あったものしか書いてはならないという戒律に縛られてきた私には、恐ろしい行為のように思えてしまう。


 沢木さんは娘さんが生まれたとき、『深夜特急』への旅に出てしまった。そのため知人から「一番可愛い時を見るのを逃した」と言われ、以来、娘さんが寝るときに自ら創作した“お話”をしてあげている。その話や、娘さんとのやりとりが微笑ましい。
 あるいはハードボイルド小説を読んで、主人公に必要な条件を「普通ではあるが平凡ではない。ハードボイルド・ヒーローの感性に必要な条件は、恐らくそれである」と言い切っているのが、確かにそうだな、と思った。
 映画の感想では、「再会の時」という映画を見て、

 かつての日々をなつかしみながら、しかしそこに戻ることはできないということはよくわかっている。友情は、もう何も生みはしないが、何かが生まれるはずだという幻想もない。悲しみは極限まで行かず、喜びも爆発しない。皆が優しくほほ笑み、さようならと言って別れていく・・・・・。

 こんな風にして『再会の時』の主人公たちもひとつひとつ思い出を失っていったのだろう。


 と書くが、私はこの映画は見たことがないが、ただ昔の友人と会うときというのは、確かにこんな感じだな、と思った。
 後は言葉を例の如く拾い出してみた。


 言葉は、踊りの終わったあとでしか必要とされない。


 何かに向かって一直線に突き進んで行っちゃった人たちに対する、独特の尊敬が生じる。


沢木 耕太郎 著 『246』 新潮社(2014/11発売) 新潮文庫
by office_kmoto | 2015-01-11 06:05 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『ノルゲ Norge』

d0331556_12224916.jpg ノルゲ(Norge)とは「ノルウェー」のノルウェー語名らしい。主人公のトオルは留学生の妻についてきた夫であった。この物語は1年間ノルウェーでの生活が淡々と描かれる。
 妻は学生である以上、学生としての仕事があるがトオルは日本から引き続いている執筆の仕事はあるにせよ、それ以外はこれといってやることがない。だからこの国での人々の生活を観察しながら、半ばボーッとしながら過ごしていく。それでもそうした時間は人生において貴重な時間でもあることを実感する。


 人は、ただぼんやりしていたり、無為の時間を持つってことも大事だと、この年になって痛感している・・・・。


 従って自分はここでの生活者ではない。だからここで暮らしている人々との間に隔たりが生じてしまう。


 自分にとって外国で暮らすことは、結局の所、たとえ話の現実の中で生きているようなもので、決して事物そのものにはたどり着けないようなもどかしさも覚えた。


 それでも実際暮らしてみてわかることが実感できる。たとえば冬至が持つ意味である。我々日本人は日照時間が一番短い日。あるいは夜が一番長い日として、暗く寒い日がこの日であること、ある意味「堪える」という感がある。しかしノルウェーでは長かった夜がこれから少しずつ短くなり、太陽の光が戻ってくる日として「冬至祭」を祝う。つまりこれから太陽の光が少しずつ戻ってくるのだという、明るい兆しを喜ぶのである。なるほどな、と思った。
 またイースターなどのキリスト教の行事が「異教時代の春祭りの祭事の要素がキリスト教の復活祭と合体しているのだろう、と想像された」と書かれているが、それが実感としてわかってくるのも、ここで暮らしてみてその意味がわかるんだろうな、と思われた。
 私は大学時代、ヨーロッパ中世のことをかじったことがある。キリスト教が中世に広まった理由の一つとして、キリスト教がそこにあった、それまで民衆が大切にしてきた習慣や行事を取り込んで、変化し、そうした変化があったから民衆はキリスト教を受け入れやすかったからだと知っている。しかし知識として知っていてもそれを生活の中で実感するのとはまた違うんだろうな、と思われた。
 もう一つある。ムンクの『叫び』である。あの顔を歪めた男の背景にある赤色は実際のノルウェーの空の色なんだそうだ。


 あのときおれは、ムンクの『叫び』に描かれている、頭髪のない一人の人物が両脇をしっかり押さえ、目も口もいっぱい見開いている姿の背景で、激しくうねる空の色の赤は、画家によって強調されたものではなく、空気の澄んだノルウェーの実際の空の色による叫びだったのだ、と深く納得させられたのだった。
 そして、いまのおれは、頭髪のない人物が絶叫しているかのような姿は、自然をつらぬく叫び声に耐えているものだとムンクが説明していることを、リーブに教えられて知っていた。外界の叫び声が自身の内側に雪崩れ込んでくるのを耳を塞いで必死に堪えている姿が、逆に声を挙げている姿と等しくなってしまう。この世に産み落とされた人間の素顔のようにも、また、さっきまでの自分も含めた、今の世にも当てはまる危機に瀕した人間の矛盾した姿のようにも、おれには思えた。


 現地で暮らしてみなければ実感できないことがたくさんある。


佐伯 一麦 著 『ノルゲ Norge』 講談社(2007/06発売)
by office_kmoto | 2015-01-06 12:24 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

佐伯 一麦著 『旅随筆集 麦の冒険』

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


d0331556_1544374.jpg 昨年、一番収穫だったのは、佐伯一麦さんを知ったことだと思っている。佐伯さんの小説、エッセイにはまって以来多くの本を読んできた。
 前にも書いたが私小説というのはあまり好きじゃなかったのだけれど、佐伯さんが書く私小説はすんなりと入っていける。
 内面のどろどろした葛藤や苦悩をあからさまにさらけ出されるのは好きじゃない。それを読んでいると、そのまま自分に跳ね返って来てしまうのが嫌だった。
 佐伯さんの小説も葛藤や苦悩、諦念などが描かれるが、それ以外に季節や人、草木などが細かく観察するように描かれ、それらを思いやる気持ちに癒やされていく。「袖振り合うも多生の縁」ではないが、そうしたかかわり合いがいいのだ。そこから思う言葉が好きだ。


 天命と思い切れる人生はどれほどあるのだろう。


 佐伯さんがゴッホの絵に傾倒していることは以前読んだ本で知ったが、ゴッホの自画像を見て、佐伯さんが書いている小説も、「私小説」というよりも様々な「自画像」を描く試み、とした方が自分ではぴんと来る、と言っている。
 ペンネームに「麦」の字を使っているのもゴッホに拠るという。


 ゴッホは、麦畑のように、誰にとってもありふれた見慣れたものを仔細に観察して描くことの大切さを、事あるごとに、弟テオに宛てた手紙に書いており、実際多くの麦畑の絵を残している。そのゴッホの精神に表現の基本を教えられたことから、自分のルーツを見る思いで、まわりに拡がる麦畑をずっと眺め渡していたいたのだ。


 とにかく佐伯さんの本には草木、鳥などの名前がたくさん出てくる。そして細かくそれらを観察し、中に描かれる。読んでいるといつの間にか自分ももう少し木々や草の名前、鳥の名前など知りたくなってくる。散歩などしていて、街路樹の名札が付いていることがあるが、ついついそれが気になるようになった。我が家の隣はちょっとした雑木林みたいになっているが、そこに鳥たちが木の実などをついばみに来る。窓から外を見ているときなど、その鳥たちが近くで見るこことが出来る。なんていう名の鳥なんだろうと気になるようになった。
 そんなこと知らなくても大勢に影響のないののだろうが、知れば人生に面白味がつくような気がする。

 
 とはいえ、それを享受するには、植物や鳥の名前を知らなかったら、それは単なる草花であり、木であり、鳥であるだけで、風景の中に埋もれてしまっていることだろう。目の前にあったとしても、特別気に留めないでいることが多いだろうから。けれども、一度注意して名前を覚え知ったものは、風景から浮かび上がってこちらに飛び込んでくる。名前を知らないために見過ごしてしまっていることが、自分にもまだまだたくさんあるにちがいない、と私は山を歩く度に想像する。


 だから、季節ごとに草木を愛で、鳥たちを待ちわびる。


 私にとって、季節は待ち人であり友でもある。


 庄野潤三さんの『前途』という小説に師である詩人の伊東静雄が言ったという言葉が書かれる。


 「小説というのは、(略)空想の所産でもなく、また理念をあらわしたものでもなく、手のひらで自分からふれさすった人生の断片をずうっと書き綴っていくものなのですね」


 この言葉佐伯さんの他のエッセイにもあった。私もこの言葉気に入っていて、確か以前に書き出したと思う。佐伯さんはこの言葉を「小説というものの核心をこれほど美しいイメージで語った言葉を私はほかに知らない」と書いている。
 小説に限らず、人が創ったものに人生が顔を覗かせているものは、きっと味わいがあるのだろう、と思いたい。
 この庄野潤三さんの小説を読んでみたくなったので、図書館借りてきた。この正月読んでみようと思っている。


佐伯 一麦著 『旅随筆集 麦の冒険』 荒蝦夷(2012/09発売)
by office_kmoto | 2015-01-01 15:48 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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