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丘沢 静也 著 『マンネリズムのすすめ』 と南木 佳士 著 『山行記』

d0331556_17494389.jpg 丘沢さんの本はいわゆる生きた論を書いたものではない。書名からするとそう思えてしまうところがあるが、要は丘沢さんのエッセイ集である。
 この本のキーワードは「フィット」である。自分が心地よく生きるためには、背伸びせず、身の丈に合った生き方、すなわち、何が自分にフィットした生き方であるかを模索している。


 ひょんなことから、からだの喜びに目覚めた。それまで碌に運動らしい運動をしていなかったのだが、ほぼ毎日のように、近所を三〇分走り、プールで一時間過ごすようになったのである。

 十年一日のごとく、私はひとりで、だらだらと走り、カメのように泳いできた。「より高く、より速く、より強く」などと思わず、記録や勝敗とはまったく無関係。自分のからだに耳をすまして、絶対に無理はしない。加齢とともに運動量こそ減ったものの、同じことを惰性のようにくり返していて、飽きない。気持ちがいい。
 気持ちのいいことは、もう一度やりたいと思う。マンネリズムの快楽。私はマンネリズムの取り柄に気がついた。(バッハなぜ偉いのか)


 がんばらないことが、教養なのだ。限界ぎりぎりまで歯をくいしばるのではなく、自分のからだに耳をすましながら、身のほどをわきまえて、からだを動かす。すると、自分は、世界のなかで呼吸しているのだと感じることができる。世界に対立するわけでもなく、世界のなかに溶けてしまうわけでもない。そういう感覚を毎日味わっていると、心身ともにリラックスしてくる。
 そうすれば、しめたものだ。勝負や競争やギネスブックが馬鹿ばかしくなる。競争社会の競争原理が、人間らしい暮らしにとっては、特殊なものだとわかる。からだの教養という視点からながめれば、この国の学校や社会の異常さが、ますますはっきりと浮かびあがってくる。
 心身ともに無理や競争をしない。このフィットネスのスタイルは、スポーツだけではなく、いろいろな場面で必要ではないか。個人の幸せや社会の豊かさの、たいせつな条件ではないか。怠け者の私は、からだの教養に目覚めてから、以前にもまして、そう思うようになった。(どのようにして私はマンネリズムに目覚めたか)


 こういう話は、社会からドロップアップして、自分の好きなことをしている今の私には心地よい。生き方として、確かにからだに無理がないことは心地よい、と思う。

 ここで言うからだの教養とは頑張らないことを言う。頑張らず力を抜いているときのからだの動きが、からだにとって最高のほめ言葉なのである。
 もともと教養なんて、アダムとイブが知恵の実を食べて、自分たちが裸であることに気がつき陰部を隠したことから始まった。以来、人は他者を気にするようになったと丘沢さんは言う。


 人目を気にすること、無垢でないことを引き受けることから、教養がはじまる。教養とは、自分が中途半端であることをわきまえ、中途半端から落ちこぼれないための、さじ加減のテクニックなのである。だから俗物には教養が必要となる。(なぜ俗物には、からだの教養が必要なのか)


 そのさじ加減がいつまで経っても適当なところが見えず、理想の形がどんどん大きくなって行けば行くほどく切りがなくなってしまっている。このため人は疲れていく。


 (だから)善良な小市民の私としては、自分や理想に目覚めすぎないためにも、からだの教養の俗物でありたい。陶酔や感動を求めるような下品なことはひかえ、無理はせず、中途半端を楽しむ。「筋肉の力を抜いて、意志の馬具をはずし」からだの声を聞きながら、微妙なさじ加減で、小さな快感を味わうのである。(なぜ俗物には、からだの教養が必要なのか)


 ここまで読んでいくと、南木佳士さんが丘沢さんのこの本を読んで影響を受けたと言うのもわかってくる。
d0331556_17503429.jpg ちょうど今読んだ南木さんの『山行記』を読んでいると、その影響があちこちで読み取ることが出来きる。
 南木さんが山登りを始めたのは、パニック障害からうつ病と長いこと悩まされ続けて、そこからの解放に一歩踏み出す形で山登りを始めた、と書いている。それまで自分が生まれた場所が浅間山の麓にありながら、浅間山近辺の山を登ったことがなかったと気がついたのであった。
 『山行記』はそんな南木さんの山登りの記録なのだが、山登りに一所懸命からだを動かしていると、それまであった傲慢な意識が初期化され、脳がからだの動きで得た新しい情報を取り込むことで精一杯になり、余計なことを考えずに済むことを自覚できたと書いている。


 心身の病いはそれまでの生活習慣の習性をうながす、からだからの、つまり内なる自然からの重大なメッセージであると痛感させられた。身の周辺のすべての事象はじぶんでコントロールできると思いあがった脳がいったん強制的に初期化された感じで、病んでいた期間の記憶はほとんどない。ゆえに、まっさらになった脳は五感のセンサーから入力される情報を素直に出力に変換してからだの各部に指令を送るという、原初の働きにもどって活動を再開せざるをえなかったのだ。


 それは、ほうっておくと勝手に不安を醸成する過剰な自意識をもてあました結果、からださえ動かしていれば脳は刻々と入力される情報を出力に換えるのに精一杯で、とりあえず死や病いについて考えずにすむことに気がついた。


 この時「わたし」は「からだ」そのものになっていることに気づいていく。

 丘沢さんの本に戻れば、各所でなるほどと思えることが書かれている。まずは今の日本におけるスポーツの有り様を次のように言うのだが、なるほどと思う。


 この国の体育・スポーツ界のボスや指導者のほとんどは、競技スポーツ出身者である。自分が経験した競技スポーツの特殊性やイデオロギーを、彼らが検討し反省して、修正する気配がない。いまだに、メダル獲得数をスポーツ振興と勘違いしている馬鹿もいる。「より速く、より高く」のためには、たいていのことが犠牲にできると思っている。
 そしてマスコミは、競技スポーツの思想やフォーマットをゆさぶることをせず、逆に、「ドラマ」や「感動」や「ひたむき」とか、「結果をだす」や「仕事をする」などの下品なボキャブラリーで、見世物の競技スポーツをもちあげる。
 こうして不幸なことに、世間では、すべてのスポーツが、競技スポーツを語る言葉で、ながめられるようになる。(どのようにして私はマンネリズムに目覚めたか)


 まだ他にもある。


 テキスト至上主義からちょっと距離をとれば、個性とかオリジナリティは些細なことに思えてくる。森のなかででは、村人たちが歩いているうちに、踏みしめられて自然に小道ができる。用を足すために、あまり遠回りならないルートで、大きな木があるところや、枝が張り出したり、地面に根の背中が露出しているところは迂回し、草に足を取られない歩きやすいところ、くり返し歩いているうちに、自然に道ができる。最初に誰が歩いたのか、道の曲がり方が独特のものであるか、など問題にならない。(森の小道に著作権はない)


 エージングはマンネリズムの別名である。すべてが新しい変化を求めるわけではない。おさまるべきところにおさまろうとするものも、けっこう多い。(エージング-年をとる?)


(プロも顔負けするほどの力量を持ったシロウトが多くなってきたが)これは、なんでもお金に換算してしまう世の中にたいする、皮肉な現象だ。仕事の論理は、どうやら現代では、お金や効率の論理という意味になりさがってしまった。だがシロウトは、お金の論理にも組織の論理にも縛られたりしない。根回しや人脈や会議や接待などのエネルギーをすりへらされたり、判断力や感度をにぶらされる心配もない。だからシロウトは、強い。シロウトは、すごい。(シロウトのすすめ)


 最後にもう一つ。


 この国では、キリスト教徒ではないのに、教会では結婚式をあげる人が多い。キリスト教が世界各地に浸透していった理由は、その教義の力というより、キリスト教徒である西洋人の生活や文化に、豊かで魅力的な雰囲気があったからかもしれない。洋風の暮らしは、キリスト教より普及している。(懐かしい未来の記憶)


 小難しい教義より、単に西洋に対する憧れからキリスト教が広まった、というこの考え方はちょっと目から鱗であった。確かに頭で理解するより目に見えるものに直接魅力を感じるというのは、どこかしっくりくるところがある。こう言われると、案外これが真理なのかもしれないな、と思えてくる。


丘沢 静也 著 『マンネリズムのすすめ』 平凡社(1999/06発売) 平凡社新書

南木 佳士 著 『山行記』 山と渓谷社(2011/04発売)
by office_kmoto | 2015-08-28 17:52 | 本を思う | Comments(0)

半藤 一利 著 『決定版 日本のいちばん長い日』

d0331556_5342637.jpg 戦後70年を迎えて、昭和天皇の玉音放送が録音されたレコードがデジタル化され公開された。今それを宮内庁のホームページで聞くことが出来る。
 この本が映画化され、宣伝をテレビで何度か見ているうちに、原作を読んでみたいと思い読んでみた。
 この本はいわゆる「宮城事件」を扱ったものである。そもそも私はこの「宮城事件」を知らなかった。
 「宮城事件」とは1945年8月14日深夜から15日にかけて、すなわち玉音放送がされるまでの間に、ポツダム宣言受諾による完全降伏を認めず、徹底抗戦を主張する一部陸軍将校たちが皇居の立てこもった事件である。
 昭和20年8月9日に最高戦争指導会議が開かれ、基本的には降伏を受け入れることとなった。
 10日には御前会議が開かれ、鈴木首相から「聖断」の要請を受けた昭和天皇は外務大臣の意見に賛成し、これによりポツダム宣言の受諾が決定された。天皇の意志が決まったのである。
 天皇は降伏を承認し、終戦を決意した。一方阿南惟幾陸軍相は青年将校たちから「兵力使用計画」と題されたクーデター計画の賛同を迫られた。報告に列したのは軍事課長荒尾興功大佐、同課員稲葉正夫中佐、同課員井田正孝中佐、軍務課員竹下正彦中佐、同課員椎崎二郎中佐、同課員畑中健二少佐の6名であった。


 荒尾課長を先頭に彼らは必死に訴え、説明した。具体的には明十四日午前十時に予定されている閣議の席に乱入し、主要な和平派を監禁、天皇に聖慮の変更を迫ろうというのである。たとえ逆賊の汚名を着ようとも、それを覚悟で、こうした行動にでる。なぜなら、万世一系の天皇を頂く君主制こそ日本の国体であり、それを護らなければならぬからである。かれらにあっては、その天皇の一人にすぎぬ裕仁天皇より、国体が優先するのである。
 彼らは、十四日午前中に決行したいと訴えて容易に退かず、議論は二時間におよんでもつきなかった。阿南陸相は天皇の意志に反してはならぬ、と信頼する部下に我慢のかぎり議論をくり返した。そして最後に、午前零時陸軍省において、荒尾大佐に決心を内示するといい、それを承知した青年将校たちは三々五々邸外の闇に消えていった。


 阿南陸相は青年将校たちを含む陸軍全体に「承詔必謹」の態度を示す。すなわち天皇の命令に従え、ということである。
 14日には玉音放送の録音が始まった。15日午前0時過ぎ、玉音放送の録音を終了したころ青年将校は決起した。宮城を守備する近衛第一師団の師団長森赳中将を惨殺して、嘘の命令を出し宮城を占拠した。彼らの宮城占領は成功した。


 宮城を占領し、大臣や参謀総長が同意してなくても、天皇を擁して全軍に令すれば、屈辱の生か栄光の死かと、いまなお去就にまよう各方面の陸軍部隊はただちに意志を統一して蹶起するであろう。そのときにおよんでは、大臣、参謀総長も反対をいわないだろう。そこで陸軍だけの軍事政権を樹立して聖断の変更をお願いする-それが彼らの大計画であったのである。


 しかし玉音放送が録音されてからはクーデターの意味が変わってくる。
 最初は文人たちによって天皇は降伏を受け入れさせられたのだから、天皇を奪い取って、説得し、徹底抗戦を計ろうとするものであった。しかし玉音放送が録音された後、その録音レコードを奪い取ろうとすることに変わったのである。つまり玉音放送がラジオから流れてしまえば、天皇の意志が日本国民全体に伝わることになる。それでは遅いのである。だから宮城を守備する近衛第一師団司令部の師団長森赳中将を惨殺して、嘘の命令を出し、近衛第一師団を巻きこんで、レコードを探したのである。
 今年の8月14日の朝日新聞の朝刊には、当時「録音原盤」を探せという命令に従った近衛兵であった人のことが書かれている。「録音原盤」の原盤を探す理由はわからなかったけれど、命令に従うしかなかったと書かれている。けれど「録音原盤が見つかっていたら、玉音放送が流れなかった」と毎年思うそうである。

 結局、師団長は殺され、その命令が嘘であることがわかり、クーデターは未遂で終わる。そして8月15日正午には玉音放送が流された。
 この本は玉音放送が流れるまでの間のことを一時間ごとに記述し、その間何があったのかこと細かに記載している。一方でさりげなく、そして確信を持って当時の軍部がいかに腐敗していたかを指摘する。さらにあの戦争の責任は軍部だけにあるのではなく、日本国民全員にあったことを書いている。


 しかし、ここの(市ヶ谷台陸軍)住人たちは生々しい大樹を今日は言葉にも筆にもつくされぬ、わびしい、情けない気持ちで眺めた。帝国陸軍軍人としてこれほどみじめな気持で市ヶ谷台に立とうと、誰が予想したであろうか。しかし当然の酬いといってよい。帝国陸軍は昭和六年の満州事変いらの、みずからの野心と横暴と不誠実とから屈辱を甘んじてうけねばならなくなったのである。単なる戦闘集団ではなく、日本のよさ、道徳の規範として、崇高にして栄誉ある軍隊であろうとする意志が忘れられてしまい、純日本的を強調するあまり、一億の日本人は軍人精神にのみ生き、この精神のなかに死ぬべきであると彼ら軍人は思いあがった。こうした狷介な精神がさらに増長されて政治に興味をもつ数多くの軍人を生むにいたった。至誠忠節、戦闘に強きが軍人の第一の条件ではなくなり、むしろ第一線にでることが懲罰であるかのようになった。軍律は弛緩し、軍紀はなくにひとしく、軍全体が亀裂だらけの瀬戸物のように内部批判性を失った。


 阿南惟幾陸軍相はこのことを深く自覚していたようにここでは書かれる。その責任を取って、そして陸軍をこのように終えた責任を取って、割腹自殺した。


 人、機械、軍需、資源すべてにおいて最初から不利であったが、勝利をつかもうとする不屈の闘志によって、戦争はみちびかれてきた。個人的な決意の問題ではない、国民全体の意志の表現であった。


 私はこの考えは正しいと思っている。


半藤 一利 著 『決定版 日本のいちばん長い日』 文藝春秋(2006/07発売) 文春文庫
by office_kmoto | 2015-08-24 05:35 | 本を思う | Comments(0)

本多 孝好 著 『君の隣に』

d0331556_8271183.jpg 『ピーチドロップス』というデルヘリを経営する大学生である早瀬俊と一緒に暮らしている小学生の女の子、進藤翼との関係が『ピーチドロップス』に集まる人物から徐々に明らかにされていく。

 物語は早瀬が大学のキャンパスでスカウトした加納彩愛が、憧れの早瀬の住まいを訪ね、そこに出てきた女の子出てくるところから始まる。

 そしてその加納がカエデとして体験入社したときに相手をした妻のある40代で会社の課長、吉田は、自分の部下が吉田の同期の男からのメールで困っていることの相談を受ける。この件でその男と会った帰りに、デリヘルへ電話を入れる。


 そのときめきの強さは二十代のころとさほどには変わらないと思う。けれども、その相手を一時でも独占しようとすれば、そこには膨大な手間がかかる。距離を詰めて、個人的な信頼関係を交わし、食事をして、ベッドに誘う。社会的リスクや経済的コストを度外視しても、その過程は想像するだけでもうんざりした。私が求めるときに電話で待ち合わせて、私が決めた時間の中で相手をして、その時間が済めば私の生活から消えてなくなる。デリヘルというのは、私にとって理想的なシステムだった。


 ホテルに入る前に二年以上前に会った男と会う。男はレイカという女がお気に入りで、彼女が“裏メニュー”の女性だったと言う。

 星野は小学校の先生であった。自分が担任をするクラスに見覚えのある顔の女の子がいた。レイカの携帯の待ち受け画面の写真にあった女の子であった。女の子はレイカの娘であった。前は進藤翼。非の打ち所がない少女。そしてレイカの本名を進藤渚。
 星野は保護者会のとき渚の母親であるレイカに会えると思うと、不安はあるものの楽しみでもあった。しかし渚の母親として現れた女はレイカではなかった。
 星野はレイカが所属していたデリヘル『レモンドロップス』をネットで探したが見つからず、店が『ピーチドロップス』と名前を変えて営業していることを知る。電話を入れた。レイカはいなかったが他の女性を紹介され、指定されたホテルで待っていた。
 星野はホテルの部屋に入って来た男にさらわれる。星野がレイカを探していることを問われたが、星野が男たちが探している男ではないとわかり、解放される。
 その後星野は新藤渚が住んでいるアパートへ行き、そこにいた早瀬俊と話す。そこでレイカの失踪と早瀬と渚の関係を知る。


 「先生が以前利用したデリヘルの店。『レモンドロップス』。彼女はあの店のオーナーでしたが、先生もご存じのように、彼女自身が客につくことがありました。今から二年と少し前。七月の終わりのことでした。彼女はいつものように仕事に出かけた。いつもと変わりなく九十分の仕事を終えて、今から戻るという連絡はあったんです。いつも通りに。けれど、彼女は戻らなかった」


 「詳しいことは何もわかりません。それっきり渚さんは戻らず、翼は唯一の庇護者を失いました。肉親がいないこと翼は、そのままいけば、しかるべき施設に身を委ねることになります。そして翼はそれを望まなかった」


 「レイカさんの、いえ、進藤渚さんの失踪が知られれば、翼さんは施設に預けられる。だから、進藤渚さんの失踪を隠して、あなたが面倒を見ている。そういうことですか?」
 「かいつまんで言うなら」と早瀬くんは頷いた「そういうことになりますね」


 「まあ、先生の世界にもいろいろあるんでしょう。とにかく、この件につおては黙ってもらいます」
 黙っていてください、ではなかった。それは明らかに命令だった。


 「あなたが渚さんに何をしたのか。僕は知っています」


 星野は進藤渚をレイプしていた。早瀬は星野を探そうとしていたが見つけ出せなかった。そうこうしているうちに渚は失踪してしまった。

 満村は元生活安全係にいた刑事だった。早瀬に頼まれて、失踪した風俗嬢のデータを売り渡していた。

 坂巻は早瀬たちに捕まって拷問にあっていた。進藤渚の行方を吐かせようとしていた。坂巻は吉田に“裏メニュー”の女性がいることを教えた男である。そして坂巻は自分の持っている思想で八人の女を毒殺していた。早瀬たちはレイカも坂巻に殺されたのではないか、と疑っていた。しかし坂巻は否定した。
 拷問にあって弱っている坂巻のところに女の子が入って来て、「・・・・・死にたい?」と聞く。女の子は坂巻が殺した女たちに飲ませた毒を飲ませようとする。


 「女の・・・・場所を・・・・知りたいのか」
 「いいよ。それは、いい」
 「何が・・・・・望み・・・・・」
 「何もない。見ていられないから。そうしたいなら、飲ませてあげる」
 「殺して・・・・くれる・・・・のか」
 「うん、いいよ」


 豊は翼に一日だけ恋人のふりをしてくれと頼まれる。もともと好意を持っていた豊はそれを受け入れる。そして翼は豊に母親であると渚に会わせようとする。その前に翼は母親の渚について豊に言う。


 「いつもみんなの中心にいて、一人で輝いている。みんながその輝きに温められて、いつの間にか笑顔になってる。みんなから愛されて、大切に思われている」
 「似ているんだね」
 「え?」
 「進藤とお母さん」
 「似てないよ」と進藤は言った。「似ているんじゃなくて真似したの。私が」


 翼は自分の母親である渚の特技として誰でも好きになれる人だった、と言う。


 「でも誰でも好きになれる人って、残酷よね。誰でも好きになれるってことは、誰のことも好きになれないことだから。誰かを好きになるって、その人を選択することでしょ?その人以外の人を選択しないってことでもある。うちのお母さんは、それができなかった。誰でも等しく好きになって、誰でも等しく愛したの。特技って言ってたけど、あれはたぶん、一種の病気だと思う。精神的なものか、脳機能の問題かは知らないけど、医者に診てもらえば、それらしい病名がついたんじゃないかな」


 この時翼の母親、渚はあと数ヶ月の命だった。その病気がわかったのは四年前。そして渚の周りにいて、渚に恩を感じていた早瀬たち三人の時間を止めた。自分が消えることで、翼を守ってもらおうと考えたのだ。


 大切な渚さんがいなくなった。三人はまだ小学四年生の彼女の娘をまず保護する。そして渚さんの行方を捜す。けれど、どれだけ探しても見つからない。どれだけ待っても連絡はない。死んだというなら諦めもつく。弔い、悼み、区切りをつけることができる。けれど死んだわけですらない。ただ、いなくなっただけ。手がかりもなく、情報もない。彼らの胸の中に、渚さんはずっと留まり続ける。溶けることのない氷像のようなその面影がある限り、彼らは全力で娘を守り、助けるだろう。
 相手の中に、自分の愛情があることを前提にして初めてかけられる魔法。とても黒い魔法だ。


 父親もいない幼い娘を思って三人は渚がいつか帰ってくる。だから渚の家も店も守ってきた。そして翼も母親が帰ってくる場所を守るため、大人たちに目を付けられないよう、良い子なることにした。
 しばらくすると早瀬は渚がさらわれた言い出した。早瀬は犯人捜し始め、二年以上かけて男を捜し出した。男は何人もの女を殺していたが、渚は殺していなかった。男がすべてを喋る前に翼は男を殺した。早瀬たちは渚も男に殺されたのだと思い始める。それまで止まっていた時間が動き出してしまった。魔法が解け始めようとしていた。
 翼は早瀬以外の二人は新しい生活を始めているのに、早瀬はまだ新しい生活が出来ないことを母親に言う。


 「だから・・・・早瀬くんも解放してあげて」

 「早瀬くんには無理だよ。母さんが、確かに死んだっていう証拠がない限り、早瀬くんはどこにも行けない」

 「ここにだって、できるかぎりこないようにした。でも、もう無理だよ。まだひょっとしたら死んでないかもしれない。そんな小さな希望と一緒に生きている早瀬くんを、私は見ていられない。何より・・・・・生きている母さんにこのまま二度と会わせないなんて、そんなひどいこと、私にはできない」

 「俊が好きなんでしょ?前からそうだった。今もそう。そんな気持ちを抱えながら、別の恋人を作るほど、あなたは不誠実な人じゃない」
 「そうだよ。だから、解放して。早瀬くんを母さんから解放して」
 「そうしたら、俊は出て行くわよ。あなたのもとを離れて、ここに来る。ここで私を看とったら、どこか違う土地に流れていくでしょう。二度とあなたのもとには戻らない」
 「それでもいい」
 「それじゃ、私はあなたに何も残せないじゃない」
 「いっぱいくれたよ」
 進藤は叫ぶように言っていた。
 「母さんは私に、いっぱいくれたよ」
 渚さんは力なく首を振った。
 「いい暮らしはもちろん、普通の暮らしも、まともな暮らしもさせてあげられなかった。最後に好きな人までさらっていきたくない」


 病室の入口に早瀬俊が立っていた。翼が呼んだのだ。そして抱き合う母親と娘を見て、早瀬と豊は病室を出た。


 「早瀬さんは、これからどうするんです?」
 「僕はしかるべき場所に帰るよ」
 「うん。僕にとってそれは、渚さんの隣。それが僕のしかるべき場所」


 そして豊も思う。


 僕らはあまりにも違い過ぎた。普通の家で、普通に育った僕なんか思いもつかないものを進藤はその小さな体に詰め込んでいた。君の隣にいたい。そう願うには、僕は幼過ぎた。てんで子供だった。けれど、いつか大人になったとき、僕が進藤の隣にいたっていい。進藤にとって、僕の隣がしかるべき場所であったっていい。その未来は、絶対にあり得ないものではないはずだった。


 話はデリヘルに関わる人間たち、早瀬たちと仲間、そして翼との関係を少しずつ明らかにしていくミステリー仕掛けのストーリーであるが、そこで働く女たちの生き様、あるいはデリヘルで働く女だからということで、歪んだ思想の犠牲になってしまうことを擁護する早瀬の言葉は優しい。そして最後はミステリーから離れて悲しい愛の物語に変えて、甘い感傷を与えて終える。その当たりは本多さんらしいな、と思った。


本多 孝好 著 『君の隣に』 講談社(2015/06発売)
by office_kmoto | 2015-08-19 08:28 | 本を思う | Comments(0)

平成27年8月日録(上旬)

8月5日 水曜日

 はれ。

 東京で5日連続猛暑日が続いていて、なんでも統計を取り始めて、その記録を更新したそうだ。明日も予報では35度を超えるといっているので、この記録はまだ更新し続けるみたい。


 さて今日は病院がお盆休みに入る前に行っておこうと早めに行く。10月末に胃カメラの予約を入れておく。
 帰りにイトーヨーカドーへ寄り、中にある八重洲ブックセンターで小泉八雲の文庫本『怪談』を購入。実は古い版で『怪談』は持っているのだが、100分de名著の解説していた池田雅之さんの新編が出ていたのでこちらを読むことにしたのだ。これを読んで旧編を読み比べてみてもいいかもしれない。
 昨日BS11で「とことん歴史紀行」で八雲の特集を2時間スペシャルとしてやっていたので、録画しておいた。それを午後より見る。なかなかきれいな風景が映し出されていて、興味深かった。これは永久保存版として残しておこうと思っている。

 とにかく暑くて嫌になる。完全に夏バテ気味だ。何もする気になれない。
 そんな暑い日が続く中で、唯一良い点は蒲団を干しておくのに向いているということか。
 今日も朝から蒲団を干して、夕方取り込む。このままだと蒲団が焼けているので、冷房の効いたベッドに敷いておく。夜、横になると蒲団がふかふかで気持ちがいい。明日も暑くなるんだろうな、と思いつつ寝る。


8月6日 木曜日

 はれ。予想通り東京の猛暑日6日と更新。

 今日は明日届く予定であった一階の居間のカーペットを取り替えるために、古いカーペットを取り外す。古いカーペットは本来なら粗大ゴミとして出さなければいけないのだろうが、お金がかかるので、細かく切り刻んで、燃えるゴミとして出すことにする。切り刻んでいるうちに汗だくとなる。
 切り刻み作業が終わったら、明日届くカーペットが一日早く届く。続けて取り替え作業が出来たので良かった。ただ中腰を続けたので腰が痛くなる。やれやれ・・・・。
 夜いつも飲んでいる胃薬と、ミオナールとロキソニンを飲んで、モーラステープを貼って寝る。

d0331556_18102486.jpg 池波正太郎さんの『食卓の情景』(新潮社 1980/04発売 新潮文庫)を読み終える。ここのところ小泉八雲の関係本ばかり読んでいるので、気分転換だ。


 食べること、ねむることとの幸福。
 人間の生活を突きつめて行くと、この二つにしぼられてしまう。
 また、私は、仕事も生活も、すべて、この二点へしぼって行くようにしている。(京都の稽古)
 まさしく池波さんのその至福を楽しんで、この本を読んだ。


8月7日 金曜日

 はれ。

 なんと東京の今日の最高気温が37.7度だったという。8日連続猛暑日となった。


8月8日 土曜日

 くもりときどき晴。

 どうやら今日は猛暑日とはならなかったようだ。とはいえ30度はゆうに超えているので暑いのは変わらないのだが。
 娘家族が遊びに来る。


8月9日 日曜日

 くもりときどき晴。

 午前中近くの親水公園にある子供用の水遊び場で孫と遊ぶ。

 朝日新聞に連載されている沢木耕太郎さんの「春に散る」を毎日読んでいる。この小説は隠退したプロボクサーが昔の仲間を訪ねているところを書いているが、今日の連載分に次のようにあった。


 もしかしたら、これは老いた元ボクサーの問題ではなく、老いた元若者、老いた元壮年の男の問題なのかもしれない。
 老いをどのように生きたらいいのか。つまりどのように死んだらいいのか。それはたとえ金があってもなくても問題の質は変わらない。心臓発作という突発事に見舞われなかったとしたら、いずれ自分にもゆっくりとではあっても訪れてきた問題なのかもしれない。たぶんそれは、どのように人生のケリをつけたらいいのかということにつながるものなのだろう。


 これは現役を退いたあとの自分の人生にどうケリをつけるかは、きっと誰であっても同じことだろう、と思った。


8月11日 火曜日

 はれ。連続猛暑日が落ちついたと思ったら、今日また35.5度だったという。

 本多孝好さんの『君の隣に』を読み終える。


8月14日 金曜日

 くもり。

d0331556_18112773.jpg 小川糸さんの『今日の空の色』( 幻冬舎 2015/08発売 幻冬舎文庫)を読み終える。
 自宅のリフォームのため、一時的に鎌倉に住むことなり、そこでの生活が中心に書かれたエッセイ集である。鎌倉と東京の暮らし方の比較が面白かった。


 ここには、昼と夜の境界線がしっかりあって、夜は、きちんと真っ暗になる。


 東京にいると、勘が鈍るし、失うのもすごく多いと実感した。


 防犯とか虫対策とか、とにかく、自分の身は自分で守らなくちゃいけない。
 東京の方が、ぼんやり生きていてもなんとかなる面が多いかも。
 私も、東京に出るとなんだか気が緩んでしまう。


 浪江を訪ねて、東日本大震災の原発事故で仮設住宅に住まなければならなくなった人たちを見て語る著者の言葉が心に残る。


 今まで仕事を持っていた人達から職や生きがいを奪うことがどれほどの罪か。改めて考えさせられる。
by office_kmoto | 2015-08-18 18:13 | 日々を思う | Comments(0)

『ロセアンナ』と『ロゼアンナ』

d0331556_525035.jpg マルティン・ベックシリーズの新訳がまた出ていたので、読んでみる。最初書名を旧訳のままロゼアンナと思いこんでいて、この本の書誌をネットで取ってみようと検索したのだが、出てこない。よくよく書名を見てみると、ロセアンナとなっている。新訳は濁らない。不思議に思っていたら、あとがきに次のようにある。


 前の訳本のタイトルは『ロゼアンナ』だったと記憶する読者がいるかもしれない。そのとおり、英語から訳されたROSEANNAはロゼアンナと、SEの音が濁音だった。スウェーデン語にはザジズゼゾの濁音がなく、サシスセソとなるので、まずタイトルから原語に忠実に『ロセアンナ』と訳すことにした。


 なるほどこれで納得した。
 もう一つ違う情報を得ていたことも知る。それは著者たちのことである。二人は夫婦だと思っていた。それは旧訳の訳者の情報による。旧訳のあとがきに次のよう書かれている。


 ヴァールー=シューヴァル夫妻を評して、“ミステリー界に君臨するキングとクイーン”と呼んだのは『ナショナル・オブザーヴァー』紙である。


 ところが彼らは夫婦でなかったという。これも新訳のあとがきで知ったことであった。


 著者たちペール・ヴァールーとマイ・シューヴァルの関係は結婚ではなかった。共同生活、リビング・トゥゲザー、同棲である。それは当時の先端を行く生き方で、ペールはマイと出会ってからしばらくして当時の妻と離婚しているが、二人の息子をもうけた後もマイとは結婚の形をとらなかった。
 ペール・ヴァールーとマイ・シューヴァルがカップルとわかると、日本ではすぐヴァールー=シューヴァル夫妻と紹介されてしまったが、二人はむしろ堂々と結婚しないことを選んでいたのである。実際スウェーデンではこの二人が結婚していないことは周知の事実であり、取り立てて云々されるようなことではない。対等なカップルで、あくまでも経済的に自立した二人だった。


 著者たちが結婚していようといまいと、夫婦であろうとなかろうと、基本的にどうでもいいことなのだが、まあ、そういうことらしい。要するに新訳の訳者はわざわざ新しい訳で出す以上、これまで間違いや勘違いを正したいというところなのだろう。これまでのように英語版からの訳ではなくて、スエーデン語から直訳にこだわっている以上、当然なのかもしれない。
 さらにスエーデン語のこの本では、マルティン・ベックの妻の名前であるインガは出てこなくて、ただ“妻”としか出てこないそうで、実際この新訳ではただ“妻”と記述している。これも新訳のあとがきに次のようにある。


 マルティン・ベックの専業主婦の妻に関しては否定的な描き方である。子育てから手が離れるようになってからも働こうとしないと手厳しい。主婦の座にふんぞり返っている妻にマルティン・ベックはうんざりしている。この本では彼女は最後まで妻としか言及されない。先に訳した四作目の『笑う警官』の中では彼女にはインガという名前がつけられているが、最初のこの作品の中では一度も名前が出てこない。まるでこれからの夫婦関係を暗示するかのように。


 実際、子育てが一段落したマルティン・ベックの妻は、ベックの健康状態に口うるさく、ベック自身うんざりしている場面が何度も出てくる。後にベックはこの妻と離婚することになる。
 さて、話である。
 閘門(水位に高低のある水路を閘室と呼ばれる領域に仕切り、同じ高さにまで水を溜めて船を昇降させる装置のこと。水を張ったエレベーター。これにより、大きな船も小さな船も湖や運河の高低差に関係なく運航できる。旧訳では単に水門と書いてある。)の底にたまった泥を掻き出していた浚渫船が女性の遺体を泥と一緒に引き揚げた。
 女性は誰で、どこで殺されたのかわからなかった。検視の結果、女性は性交時過剰暴力に関連する絞殺死で、大量の膣内出血をしていたことがわかる。
 そのうち女が閘門を通り過ぎた観光船で殺され、投げ込まれた可能性が出て来た。そのため閘門を通った船の乗客、船員たちから身許を探り出す。乗客は世界中に散らばっていたが、照会の結果、女はアメリカ人の図書館司書で、名前はロセアンナ・マッグローと判明する。ただロセアンナを誰が殺害したのかわからない。船の乗客、乗務員を調べたが該当者が見つからない。事件は膠着状態が続く。
 マルティン・ベックは船が観光船であることから、多くの乗客が写真や八ミリを取っているはずで、そこにロセアンナが映っているかもしれない。もしかしたら犯人も映っている可能性があるのではないか、考え、観光客から写真、八ミリを集め出す。そしてそこには確かにロセアンナが映っていた。さらに八ミリにはロセアンナに寄り添うハンチング帽をかぶった背の高い男が映っていた。ベックたちはこの男が事件に関係しているとにらむ。ただこの男はこれまで調べた乗客名簿に該当者がなかった。そのうち船が観光客だけでなく、途中で客を乗り込ませ、降ろすことを知り、男はその一人であることがわかってくる。
 そして八ミリから起こした手配写真から、男の所在をかぎつける。ベックは彼を尋問するが、男は殺しを否認する。ベックは男が犯人であると確信していたので、ベックはロセアンナに似た婦警を使って罠をかけ、現場で取り押さえる。


 新訳はスエーデン語からの直訳であることのこだわりが所々見える。ただどうしてもこの新訳が好きになれない。もちろん好みの問題だろうが、文章が短く、ぶつぶつ切れてしまっているように感じてしまう。その点旧訳はやはり訳者が熟練している。
d0331556_526788.jpg 前回も言ったが、ベックや彼の同僚との会話シーンは、彼らが警官だけに、荒々しい言葉づかいをうまく使った男性である旧訳の訳者が方がリアルに感じられる。
 今回はグンバルト・ラーソンは登場しないけれど、コルベリもラーソンに負けず口が悪いので、旧訳の方が良かった。
 ちょっと不思議だなと思ったのは、新訳がこれだけこだわっているにもかかわらず、旧訳の方が多少ページ数が多い。しかも旧訳は新訳と比べ文字が小さいだけに、原稿用紙にすればかなり枚数が多いのではなかろうか、と想像する。
 旧訳はスエーデン語から英語、そしてそこから日本語に翻訳された。その関係でスエーデン語に該当する言葉を当てはめるため、描写が細かくなるのかもしれない。でもその分丁寧なんじゃないか、なんて思ったりする。


マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー 著 / 柳沢 由実子 訳 『ロセアンナ―刑事マルティン・ベック』 KADOKAWA(2014/09発売) 角川文庫


マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールー 著 / 髙見 浩 訳 『ロゼアンナ』 角川書店(1993/11発売) 角川文庫
by office_kmoto | 2015-08-11 05:34 | 本を思う | Comments(0)

柴田 信 著 『ヨキミセサカエル―本の街・神田神保町から』

d0331556_19513143.jpg 今さらこの本を読んでも仕方がないのかもしれない、と思いながら、先に読んだ本の関係で、この本がどんな本であったかな、と読み直してみた。昔を思い出すのいいかもしれない、と思った。
 実は自分の本棚にこの本がまだあると思っていたのだが、いくら探しても見つからない。ということは今さら必要ないと思って売りとばしてしまったのだろう。それで図書館で借りた。
 瞠目する一文がある。


 もともと書店も他の商店と同じですから、企業として利益をあげ、拡大再生産を目指すのは当然です。なぜこんな当り前のことを言うかというと、書店は文化と美談に弱く、ときどき企業論理が通らないことが起こるからです。


 これまったくその通りで、すぐ書店が“文化”を担っているように話をすり替えるところがある。それだけで特別な商売と思ってしまう奴がいる。そうした“文化”を担っているから、たとえ利益幅が薄くても、やらなければならない、という自虐的な発想をするところがある。
 たまたま扱っている商品が本でというだけで、たとえそれが“文化”を担っていようと売ってなんぼのものである。企業論理がそこに働いて当然なのである。
 だいたい書店で働いている人間が「本が好き」という、本に特別な感情を抱いている人間が多いから、本だけは特別と思いこむところがあるのではないか。自分たちを「書店人」なんて呼ぶのもその現れだろうと思う。自分たちの職業に“人”とつけて、いかにも特別な職種みたいにかっこつけているけれど、「だから、なに?」と言いたくなってくる。お客を差し置いて自己主張が強すぎる。
 面白いことがある。この本に書かれているのだけれど、読者に本を買った動機を聞いて、その理由が広告を見てとか、書評を見てとかあるのだが、書店人に勧められて本を買ったというのはなかったという。そんなものである。おそらく今も変わらないのではないか、と思う。でもそれでいいと思う。先の本にも書かれていたけれど、書店員は“黒子”でいいのである。

 この本が書かれた当時も今と同様に、書店は厳しい経済環境、激しい変化の中に置かれていて、こんな時どうすればいいのか、その「生き残り論」がここに書かれている。
 たとえば、“変化にゆるがず即応する現場”とは?では次のように書かれる。


 これは真に“基本に戻って店頭を見直す”という、私ども店にとっての現代書店論ともいうべき意味を持ちます。つまり究極のところ、私どもの店の本来の仕事が「読者と本との出逢いを演出し、読者の求める本を速やかに調達すること」であり、そのことを、日々継続するという困難な日常性を通して私どもは熟知しています。であるとするならば、環境の変化がどうであれ、周辺の整備がどのように進もうとも、私どもの店に読者を存在させるという書店の未来の業務の、いま以上システマティックな構築を急ぎ、それを確かなものにしなければならないのです。“本を仕入れて本を売る”、この日常性を視座にする限り、私どもはどのような変化にも主体性をもって効果的に即応できると認識するからです。


 柴田さんの発想は先に読んだ本でも「現段階をとりあえず是として容認」して、そこからどう考えるか、という姿勢をいつも取る。ここでもそれは変わらない。その上で「原点に帰る」ことを言う。すなわちお客のニーズに応えるということである。


 本は、不特定多数の読者から、それぞれの欲求に応じて選択されその大部分が書店の店頭で求められます。その選ばれ方、求められ方は、多品種少量という商品の性格上、個別的でさまざまですが、店頭に立ってその要因を極めていくと、本の持っている“力”そのものによって選ばれ、求められて行く姿が見えてきます。
 書店は、この選ばれ方、求められ方に応じた店づくりを第一義的な仕事と考えています。つまり、自店の顧客が求めているであろうと予測される本を、品揃えという形で店頭に表現します。そしてそこから、本来持っているであろう本の力に、さらに付加価値をつけるためのいろいろな商行為が行なわれます。整理整頓と整備接客、補充、仕入れから展示、そして返品と商品管理、もっと言えば人材の育成までも含めた全ての手段が店頭で本が売れていくための作業なのです。


 ここである。すなわち書店員の仕事は「自店の顧客が求めているであろうと予測される本を、品揃えという形で店頭に表現します」であり、カリスマ店員が勧める、あるいは書店員が選んだ本を押し売りすることではないということである。だから私は書店員は黒子に徹するべきと思っている。


 もともと本ほど販売予測がつきにくい商品はありません。逆にだからこそ特化政策がとれるとも言えます。鋭い感覚で売れ筋をつかみ、毎日毎日の繰り返しの作業の中から棚を揃えるしかない。


 だから「消費者に一番近い人が仕入れた、その仕入れが的確だ」ということになる。売る人が仕入れ、展示し、全部管理すれば、お客のニーズに応えることになる、というのである。
 だから(だからだから、とくどいが)、“売る人が一番の主役”と柴田さんは言う。


 出版流通の世界でも書店が主役であることは間違いありません。自信を持ってよい時代です。
 そして、その書店の中でも、店頭に在って毎日の日常業務を行なう最前線の店員こそ主役中の主役なのです。


 では具体的にお客のニーズに応えるにはどうすればいいのだろうか、という話になってくる。多品種少量でしかもさまざま売れ方をする本は、「法則性」や「個別性」をつかむのは難しい。しかも粗利益率が低くしかもそれがほとんど固定されているので、収益を上げるためには商品回転率を上げるしかない、という宿命を負っている。
 そこで出てくるのが「単品管理」である。
 今では当たり前の「単品管理」であるが、当時、もしくはそれ以前の本の仕入れは、前回売れた記憶があるという、具体的な数値で現されたものではなく、あくまでも経験値と勘で行われていた。そういう時に「単品管理」を提唱した柴田さんのこの本は、当時書店人に教科書的な意味あいを持つ本であったのだ。
 言っておくが、この本が書かれた時代は、まだPOSレジが出始めた頃であり、今のようにコンピューターでデータ管理が出来る前の時代の話である。だからすべてマニュアルによる「単品管理」をしなければならない時代の話である。

 ここで思い出話をすると、実は私も書店時代、この「単品管理」を手作業でやっていた。これがものすごく大変な作業であることがおわかりであろうか。柴田さんが言うように、本は「多品種少量」である。毎日新刊が次から次へと出版される。それを一品一品管理するのである。しかも手作業で。
 店頭の本にはスリップという二つ折りの栞みたいなものが付いている。お客がレジに本を持ってくると、店員はまずこのスリップを本から抜く。
 スリップは片側がその本の注文書になっており、もう片側が売上データとなり、そこに報奨金がついたものもある。これを切り分けて、売上データの側を数えるのである。大体営業が終わってからの作業となる。
 書店は本だけ売っている訳じゃない。雑誌もある。これも毎日、仕入数、返品数を統計ノートに書き込んで、その差引が実際に売れた数として、毎日記録する。もちろんこれも営業時間外に行う。
 休日もこれらのデータ作り、スリップの管理を自宅で行っていた。
 スリップはデータとして記録したら、100枚まとめてゴムでくくり、出版社送る。報奨金が付いていれば後で郵便為替で微々たる報奨金が送られてくる。報奨金が付いていない売上スリップも、出版社送る。特に大手出版社で、多くのベストセラーを出している出版社には、自分ところの店のデータ(売り上げ実績)を知ってもらうために郵送した。ただそれが新刊配本に反映したと実感したことはなかったが、当時はそれも仕事と考えていた。
 とにかく休日返上で「単品管理」のデータ作りをしたのだが、それがすぐ役立つ訳じゃない。データの集積をしなければならないため、半年、1年、あるいは2年してやっと役立ってくるのである。
 それまで黙々と地道なデータ作りをしていると、確かに数値として仕入が出来るようになることは事実であった。そしてこうした手作業は(当時の書店業務はそのほとんどが手作業であった)、実際にその本を手にするだけに、あるいは手を動かしたこと、手に触れたことで、その本に関するデータが、それこそ身についていく。そして手から覚えた記憶は今でも残っている。
 今のようにPOSレジでバーコードをさっと読み取って、後で資料としてデータを読む以上にリアルに実践的であったと思う。それこそマニュアル作業の美徳のようなものであった。


 スリップ管理による売上げ冊数と発注冊数、返品商品の指名など綿密に行なううちに、売れと仕入れの量的なバランスがとれ始め、同時に売れ筋の法則性が見えてくるようになります。そこまでいきますと、質の把握ができるようになります。つまり、スリップ管理を綿密に行ううちに自然発生的に単品管理が広い範囲でできるようになり、それは従業員の飛躍的な商品知識の向上をもたらすはずです。


 理想とするプロの書店員とは、豊富な商品知識に支えられた計数感覚を身につけるというふうに、明瞭な像を結んで、その仕事と同じようにうまずたゆまず地道におし進めるべき重要な施策なのです。


 一冊の本の指名に加えて、その売行速度、調達日数、現在在庫をふまえた「量」の感覚を持ちながら、つまり、適正な商品知識に支えられた計数感覚を身につけることが、書店員がプロになっていく最低条件なのです。


 当時はこれを行える書店員がプロとなり得たが、今は仕事の形態も変わっているのでまったく違う形で書店のプロの形があるのかもしれない。
 もちろん変わらない、いや変えられないものはあるだろうが、私はこの本を昔はそうだったなあ、という感じで読んだだけである。

 ところで、この本の書名「ヨキミセサカエル」って何かご存じであろうか。
 昔のレジスターは数字のキーの横にこのこの八文字のキーが別にあり、それに売上ジャンルや入金分類を割り当てて、統計のため使ったのである。実は私も知らなかった。たまたま会社の倉庫にあった古いレジを見たとき知った。しかし最初、この八文字のキーが「良き店栄える」の意味だとぴんとこなかった。
 今はこんなおまじないみたいなものは最初からないのだろう。


柴田 信 著 『ヨキミセサカエル―本の街・神田神保町から』 日本エディタースクール出版部(1991/02発売)
by office_kmoto | 2015-08-07 19:54 | 本を思う | Comments(0)

石橋 毅史 著 『口笛を吹きながら本を売る - 柴田信、最終授業』

d0331556_1581661.jpg この本は著者の石橋さんが、岩波ブックセンターの代表であり、書店業界では知らない人はいない柴田信さんに何度もインタビューをし、“普通の本屋さん”とはどうあるべきかをその信念を聞き出している。
 たとえば“カリスマ書店員”という訳のわからない店員がいる。あるいは“本のコンシェルジュ”を置いている店もある。
 私は“カリスマ書店員”とか“本のコンシェルジュ”っていうものほど胡散臭いものはないと思っている。柴田さんもこれらに批判的で、この人の言っていることがもっともで、現実的で、それが本屋さんであろう、と思える。
 カリスマ書店員とは、「まったく話題になっていない本をその店独自のベストセラーに仕立て上げ、取材に来たメディアに成功譚を語る書店員」で、要するに本好きの自己陶酔型の人間が、ただ1冊の本だけに力を注ぐ店員のことを言う。こういうの「本が好き」と公言する人間に多い。そんな人間が書店員になると、こういうカリスマ書店員の予備軍となる。こういう奴は読者にとってお節介きわまりないのだ。本当の意味での書店とは、置いてあるすべての本を商品としているのが書店であり、それを客に提供するためには、売場づくり、棚づくり、仕入れの方法、それらをおこなう源泉である資金を含めて、すべてが十全に機能することを目指すのべきである。これは、一人の従業員が独力で為し得ることではない。むしろ一人の店員の販売力がクローズアップされるような書店は、それら土台ができていないことを曝けだしているようなものではないか、と柴田さんは言うのである。


 「本を売る」っていうのはね、「俺は本が好きだ」とか、「私は本を誰かに手渡すことに使命を感じる」とか、それも悪いことじゃないですよ。でも、それだけじゃないって言いたいのね。むしろ、そんなことじゃ成り立たないんじゃないかな。皆が気持ちよく、なるべく嫌な思いをしないで働けるか、そういう労務管理の話のほうが、先にあるんですよ。本が好きだってだけじゃ、本を売るという行為は成立しなかった。私にとっては、ずっとね。


 理に適った仕組みのなかで本を売ることができたとき、はじめて快感があるのね。自分の好きな本だけじゃなくて、嫌いな本も興味がない本もあって、全部売るのが書店ですから。好きとか嫌いとか、手渡す使命感とか、そういう個人的なことじゃ支えきれない部分に取り組んでいくにこそ、書店をやっている本質がある。従業員もそうだし、資金の問題もそうだし、店だけじゃなくて、町のことを全部含めて。


 卵やナスやカボチャを売る小売商と同じ、小商いだと思っている。小商いに伴う小狡さ、小賢しさも、全部あって柴田サンなんだってことだよね。いつも人文社会書の今後や、出版流通のことを考えてっていうわけでもない。そういうことも、自分が小商いをやっていくためにあるものだから。


 いまの不況を乗りきったら、なんかいいことが起きるぞと、期待しているわけ。それはもう、屈託なく思っているわけよ。だから、今日はこうやって、来月はこうやってって、気持ちのいいことを探している。小商人はみんな、そうじゃないかと思う。ただ、たまたま扱っているのが文化的なものなんで、出版社とか、周りもそういう人が多い。それに合わせながらも、根っこでは小商人としてやっている。


 この本の書名となっている「口笛を吹きながら本を売ろう」とは柴田さんが芳林堂書店で店長をしていた頃の部下だった人が言った言葉の受け売りと断った上で、さらに言う。


 表向きは口笛を吹きながら売ろう。ということは、それを支える強い仕組みが裏側にある、ということね。そういうなかで仕事をしよう、と。そのためには帳面を揃えよう、品切れ本はリストにしておこうとか、本を売る、ということをちゃんと為してゆくための仕組みをつくっていった。
 「本を売る」とはそういうものだ、っていうのが私の底にあるから、よその書店で「本のコンシェルジュ」とかって言葉が出てくると、ちょっと笑っちゃうんだよ。読者に何かを指南するとか、書店員が目立つ必要はない。黒子なの。うちの(岩波ブックセンター)白井店長も、そういう発想だよね。客に教えたりなんかする立場にあると思っていない。


 何でも肉付けしないと、届かない時代なのかな。書店も、そういうのが増えたよね。ほんとうは、自分のところのお客を見ながら本を仕入れて、並べて、棚をつくっていく。書店がやれることは、せいぜいそのくらいなの。ところがそれじゃ売れないからいろいろ肉付けをしたくなるのが、いまですよね。


 要するに書店というのは、他の小売業となんら変わらない。そしてそれを営む者、働く者は、売ってなんぼのものであり、お客が買っていってくれて初めて商売が成り立つものだ。たまたま書店が“文化的で、高尚なもの”を売っていると勘違いさせるもの、つまり本を売っているものだから、“カリスマ書店員”とか“本のコンシェルジュ”とかいう訳にわからないものが出てくるのだ。柴田さんははっきり言い切る。

 基本の“き”は、これを売って生活していくことだけですから。


 だから“カリスマ書店員”に実体感が感じられない。何故なら彼らは特定の商品としての本の魅力にとりつかれてはいるが、彼らには資金繰りの苦しみが根っこないから、自分がとりつかれた本しか目が向かない。すべての本、すべての商品を売ることに目が向かない。経営とは資金繰りをやることなのだ。
 この出版不況の時代、どうしても書店員はこれからも本を客に手渡す仕事をしていきたいんだ、という悲観的なことばかり考えるところがある。そもそもそれ自体奢りである。手渡すなんていうことではなく、買ってもらえればいいだけのことである。そのための手段として、本を紹介する店員がいて、コンシェルジュがいるならいいのだが、そうではなくて、そいつ等が一人歩きしてしまっているところに問題がある。彼が彼らの使命を全うしているだけの存在であればいいだけのことだ、と思う。本を選ぶのはあくまでも読者である。どうしてこういう押し売りが流行るのだろう。
 本屋大賞なんていうのもそうだ。本屋の店員がなぜ本を選ばなければならないのか、よくわからない。毎日たくさんの本に“触れている”から、本のことを知っているからか。そんなの理由にならない。内容の善し悪しはまったく書店員と関係ない。
 それに書店員が選んだ本は独りよがりで、基本的に面白くない。何故ならそれは思い入ればかりで、独善的だからだ。だいたい出版関係者が本の善し悪しを決めること自体、おかしな話で、読む人が決めるればよい。


 「よく売れる本」というのは、あれこれと宣伝して必要以上に買われていく本のことじゃないし、売れっ子がいい作品を書いた場合だけでもない。世の中にいうべきことを、ちゃんとした言葉で表現した本、きちんと編集した本なら、買っていくお客はいるんだ、ということだよね。これはうわべの理想論じゃなくて、たしかにそういう本はいまだって、長く、じっくり付き合っていくほど売れるんですよ。


 そのためには、普通に徹しなくちゃいけない、と思ってるわけ。普通にやってちゃ売れないから、あれこれ売ろう、これをくっつけよう・・・・そういう浮気をすると、良書に出合う、良書と付き合い続ける、という売場の本分から外れてっちゃうと思ってるの。そこからすっかり遠ざかった店が、たくさんあるじゃない?


 そう、だから柴田さんは「普通の本屋をやってきたし、これからもやっていく」と言う。柴田さんにとって普通に本屋をやっていくことは“カリスマ書店員”を作ることでもないし、“本のコンシェルジュ”を置くことでもない。今まで地道にやってきた経営を主流に本屋を維持していくこと、それだけであろう。
 それを押さえた上で、これからの本屋はどうあるべきかを考える。それも大義名分ではなく、あくまでも自分のところ本屋を維持していくための手段としてである。


 私はいままでどおりの毎日をやり続けて、いずれ、なんかの拍子でガポッと儲かる瞬間が来るのを待っている。それまでは、なんとかしのぐ。そうやって来たわけだけど。


 私だって、自分さえよければいい。それが本音です。商売というのはそういうもんだと思っていますから。


 経営って、全然ロマンチックじゃないのね。理想より、リアルな問題のほうが先なの。本を手渡す前に、来月の給料を払ったり、ほうぼうへの支払いを済ませたりするのが仕事だからさ。


 この泥臭さが商人である。本屋も他の小売業と何ら変わらないのだ。
 どうも本屋の店員は他の業種と比べ、前へしゃしゃり出ることが多すぎる。それもたった1冊の本の思い入れだけで、それ以外、中身がない。普通の会社ならこんな社員は叩かれるのに、それが許されているところがある。自分の立場をわきまえ、身の丈でやっている普通の人であるべきである。

 そしてどの業種にもある寡占化の問題について柴田さんも触れている。本屋も町の本屋が次々と消え、大書店がのさばるようになってきている。


 資本主義社会というのは、大きな資本のところが何でもできるようにしたら、普通のところは勝てないんです。書店は、自分では商品をつくらない。だからこそ誰もやれたんだけれど、資本がないと勝てない世界にしちゃったら、多くの人には無理な話になるよね。


 つまり本屋はわずかな資本しかない人でも出来る商売であった。だから一時は2万軒を越える本屋があった。
 本そのもが多様性のあるものだから、書店もいろいろなタイプが出来上がっていい。身の丈にあった工夫をして、普通にその本屋の個性を出してきた。地域性も不可欠だ。それを柴田さんも認めている。だから次のように言う。


 「大きな資本のところしか書店ができなくなったら、たぶん本の世界はまずいよ、ということだよね」


 最後にへえ~、と思ったことを一つ。柴田さんが初めて書店業についたのは芳林堂書店だったという。かつて住んでいたアパートの隣人が芳林堂書店の創業者・齋藤芳一郎のいとこであったという縁から、1965年4月、芳林堂書店に入社した、という。
 その芳林堂書店の創業者・齋藤芳一郎が目標にしていたのが『紀伊国屋に追いつけ追いこせ』だった。そして齋藤の先生となったのが書泉の創業者酒井正敏で、帳面も見てもらっていたし、当時書泉の主役が専門書だったので、芳林堂書店も同じになった、という。
 これを読んであの酒井さんが芳林堂書店創業者の先生であったのか、と思ったのである。私はこの人に一度会っている。私がいた本屋の近くに書泉ブックタワーが出来ることになって、酒井さんの方から書泉の幹部を引き連れて挨拶に見えた。その時は単に挨拶だけだったと思うが、何を話したのか全く覚えていない。
 その後書泉が出来てしばらく経ってから、店内で社長さんの姿を見かけたことがある。そこいらにいるおじいさんみたいなラフな恰好で、店内を見ていた。おそらく様子を見に来たのだろう。
 その後書泉は身売りして、それまでとはまったく違う毛色の書店になってしまい、われわれ昔の書泉を知る者としては、悲しい姿の本屋となってしまっている。
 芳林堂書店も一時勢いがなくなってしまったようで、本店であった池袋の店も売却されなくなったという。


石橋 毅史 著 『口笛を吹きながら本を売る - 柴田信、最終授業』晶文社(2015/04発売)
by office_kmoto | 2015-08-02 15:14 | 本を思う | Comments(0)

平成27年7月日録(下旬)

7月16日 木曜日

 台風11号の影響で、雨。

d0331556_6202610.jpg 小泉節子さんの『思い出の記』を読み終える。

















7月18日 土曜日


 くもり時々雨。

 娘夫婦が孫を連れて遊びに来る。孫は暑いのに元気一杯だ。
 天気はころころ変わり、雨が降ったと思えば日が差したりする。日差しが出ると大きな虹が出ていた。
 夜花火をやる。孫は浴衣を着て、大はしゃぎであった。
 家族で花火などもう昔のこと思っていたのが、孫が出来てまた同じように出来るとは思ってもいなかった。時の流れは、あの時の子供が母親となって、花火ではしゃいでいる自分の子供の姿を見つめている。そして自分は孫と遊びつつ、昔子供たちとした花火を思い出す。

 南木佳士さんの『神かくし』を読み終える。


7月19日 日曜日

 はれ。

 今日関東地方は梅雨が明けたそうだ。今日今年初めてセミの声を聞く。


7月20日 月曜日

 はれ。

 鉢植えの朝顔がやっとひとつ咲く。どうも今年は鉢植えの朝顔はうまく行かなかったようだ。あまり蕾がないのである。期待できないかもしれない。


7月21日 火曜日

 はれ。

 今日も暑くなること間違いなしといった感じで朝から気温が高い。今年は昨年と違い暑さがやけにこたえる。やはりひとつ歳をとった分、体力がなくなったのだろうか。
 午前中実家に行って、その後庭の掃除などしたのだが、ちょっと前なら一気にやってしまったものが出来なくなってきている。途中で休憩が必要になった。
 まあそれもからだの調子を聞きながらやっていることで、無理は出来なくなったということなのだろう。
 暑さのおかげで本を読むことが出来ずいるのが問題と言えば問題だが、それも仕方がない。


7月22日 水曜日

 はれ。

 午前中実家に行き、古いパソコンデータを引っ張り出す。主に写真なのだが、これをどうするか、いろいろ考えた。一番いいのはいつも持っているスマホで見られるようにした方がいいと考え、古い写真をOneDriveにアップした。スマホでも見られるので喜ばれる。


7月23日 木曜日

 雨。

d0331556_6315977.jpg 100分de名著の「日本の面影」の第四回目のビデオを見る。これで今回の解説はおしまいだ。なかなか面白かった。この解説のおかげで小泉八雲のことについて書きたいことがあるので、これから少しずつまとめていこうと思っている。

 さて、今日の朝日新聞の生活欄に給食の思い出が書かれていた。投稿している人は50代から60代とほぼ私と同年代だ。読んでいると、あの頃の学校の先生は、どんなものでも残さず食べろ、と強要した。残した者は、食べるまで居残って食べさせられたものだ。
 投稿された文章を読んでいると、こうした給食のあり方は、逆に嫌いな食べ物を作ったのではないか、と思ったりする。
 脱脂粉乳なんて、熱いうちに一気に飲まないと、表面に膜が張ってしまい、ただでさえ飲みにくいものが、余計に飲めなくなった。だから嫌々最初に一気に飲んだものだ。給食に牛乳が出たのはいつの頃だったろうか。勿論ご飯などなく、いつもパンであった。
 誰もが好きだった思うものが、ワンタンスープと揚げパンのセットだろうか。
 当時の給食が楽しめる店があると聞いたことがある。だけど懐かしいかもしれないが、正直なところ食べたいと思わない。

 今日は妻の誕生日である。昼から錦糸町に出掛け昼食を食べる。その後ちょっと歩いて北斎茶房という甘味処へ行き、あんみつなど食べて帰った。


7月27日 月曜日

 はれ。

 二日続けて猛暑日となった今日、午前中出掛けたのだが、顔から汗が噴き出し汗だくとなる。秋葉原によって、ブックオフで南木さんの単行本と他に文庫を一冊購入。その後ヨドバシに行ってマウスパッドを購入し、MAG-LABで50枚入りのBlu-rayディスクを購入。ここで売っているメディア媒体はとにかく安い。メーカーの50枚入りだと3、000円近くするのだが、ここではその半値である。もちろんノーブランド品である。以前はこんなに安いもので大丈夫?と思ったが何ら問題なく使えるので、ここで買うことにしている。
 午後から以前ネットで注文していた本が届いたというので、買い物ついでに本屋に取りに行く。
 夕方風呂に入り、枝豆にビール、その後パスタと、夏の夕食をとる。こう暑いと飲めなくてもビールがうまい。それにこの時期やっぱり枝豆でしょう!枝豆は夏に食べるに限る。
 とにかくここしばらく生活のペースが乱れてしまい、本がまったく読めないでいる。この酷暑にバテているかんじだ。とにかく暑いので、冷房の効いている部屋に閉じこもって、映画のビデオを見ている。今日は「ターミネーター3」を見た。このシリーズ何度見ても面白い。
 それと珍しくドラマを見る。「ナポレオンの村」という。神楽村という“限界集落”にスーパー公務員が村おこしをする話だ。こういう話は好きだ。村が少しずつ元気になっていくのを、その村の風景とともに楽しい話になっている。ちょっと楽しめそうだ。

 以前アルバムを整理していたことを書いたが、古いアルバムの背表紙がとれてしまいなくなっているものがあった。これを補強しないといけないと思っていて、代わりのものを探していたが、適当なものをがなかった。
 たまたま妻が注文したAmazonの梱包用の箱が、長さがピッタリであることに気づく。アルバムの厚みにダンボールを切って、切り込みを入れて折り込んでみるとピッタリである。アルバムそのものは薄い焦げ茶色なので、ダンボールで違和感がない。
 父や義理の母が亡くなった妻や夫の写真があるアルバムをよく見ていたことがあったが、写真というのは人生のある一瞬を切り取ってそのまま残している分、懐かしくもあり、愛おしいものであることを、このアルバムを整理していて思った。そういう意味では何か人生の整理を始めた見たいな感覚に陥ってしまったが、まあそうかもしれないな、と思った。実際かなり以前から写真の整理は気になっていたことで、それが出来たことは良かったと思っている。


7月29日 水曜日

 くもり時々はれ。

 ここのところ、暑さのためとにかく本が読めなくて、本を読むペースが完全に狂ってしまっている。だから今日は朝から頑張って読みかけの村上春樹さんの『村上さんのところ』を読み終える。そうすることで何とか今までのペースを取り戻したかった。
 一度崩れた生活のペースというのは、なかなか元に戻りにくい。意識して元の生活に戻すことをしないと、このままズルズル行ってしまいそうである。明日も今日みたいな生活をするつもりだ。


7月31日 金曜日

 はれ。今日も暑い一日だった。

d0331556_637880.jpg ラフカディオ・ハーンの『新編日本の面影』を読み終える。ハーンに関してちょっと書きたいことがあるので、しばらくはハーンの本を読む予定。
 それにしても今月は本が読めなかった。暑さのせいとちょっとした夏バテがここに来てこたえている。














 鉢植えの朝顔が本格的に咲き始めた。


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 花が咲かない理由をネットであれこれ調べてみると、どうも肥料のやり過ぎだったみたいだ。確か去年も同じことをした記憶がある。自分の気持ちとしては、がんがん肥料をやって元気に花を咲かせて欲しいというつもりだったのだが、どうもそれがまずかったらしい。来年は考えて肥料をやることにしたい。

 志賀直哉の3ページほどの短篇に『朝顔』というのがある。
 主人公は朝顔を毒虫に刺されたとき、葉っぱを揉んでその汁が薬になるので朝顔を植えていた。
 歳をとって早起きをするようになって朝顔の花が咲いているのが見られるようになった。


 私は朝顔をこれまで、それ程、美しい花とは思つてゐなかった。一つは朝寝坊で、咲いたばかりの花を見る機會がすくなかつた爲めで、多く見たのは日に照らされ、形のくづれた朝顔で、その弱々しい感じから私はこの花を餘り好きになれなかつた。ところが、此夏、夜明けに覺めて、開いたばかりの朝顔を見るやうになると、私はその水々しい感じを非常に美しと思うやうになつた。カンナと見比べ、ジュラニアムと見比べて、この水々しい美しさは特別なものだと思つた。朝顔の花の生命は一時間か二時間といつていいだらう。私は朝顔の花の水々しい美しさに氣づいた時、何故か、不意に自分の少年時代を憶ひ浮かべた。あとで考へた事だが、これは少年時代、既にこの水々しさを知つてゐて、それ程に思はず、老年になつて、初めて、それを大變美しく感じたのだらうと思つた。


 まったく私と同じで、花が開いた朝顔は夏の朝のすがすがしさを伴って、本当に瑞々しいと思う。
by office_kmoto | 2015-08-01 06:45 | 日々を思う | Comments(0)

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