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南木 佳士 著 『信州に上医あり―若月俊一と佐久病院』

d0331556_5261967.jpg ここで言う「上医」とは中国の古典『国語』の中にある一節「上医は国を医(いや)す」という言葉から取っているらしい。その意味はしっかりした知識と技術を持ち、国や地域の衛生環境や医療行政までも正すのが上医である、という。
 南木さんはそんな医者など天然記念物的だと言うくらい見当たらないととするが、唯一若月俊一が上医と呼んでふさわしい医者だとしている。

 この本は、先日読んだ『八十八歳秋若月俊一の語る老いと青春』よりも前に書かれ若月俊一の評伝である。読むのが前後してしまった。
 私は前回もそうだけれど、この本も若月俊一という医者の歩んできた道や、その人物が知りたくてこの本を読んでいない。これまで南木佳士という作家の書いた作品を片っ端から読んできたその一貫としてこの本を手にしている。だから読み方としては間違っているかも知れない。ここでも若月俊一という人物の生き様にはほとんど触れない。あくまでも南木佳士という作家が書いた評伝としてこの先も書いていく。

 この本は若月俊一の歩んできた道を、その苦難と矛盾を書いた医療従事者に向けの評伝と思えた。
 南木さんは大学卒業後、若月が院長である佐久総合病院に勤めて、現在に至っているのだが、ここに勤めようと思ったことが「若月俊一との出会い」に書かれている。
 昭和51年南木さんは秋田大学医学部の大講堂で若月俊一の講演を聴いた。エネルギッシュな口調で語りかけ、笑顔で語りかけるものの目が笑っていない、若月の姿に何かあるな、と感じていた。若月の著作も読んでいたが、何か裏がありそう思えた。ちょうど大学卒業後、就職先を探していたところだったので、

 「行ってみるしかなさそうだな」

 ということで若月俊一のいる佐久総合病院で働くことになったらしい。その後に次のような文章があって、少々驚いた。


 小説を書き始めた十数年前から、いつか若月の半生記を書きたいものだと思い続けてきた。小説を書き続けることで作家としての視座を確立し、その視点からこの多面的な人物をとらえなおしてみたかった。私にとって小説の修行は若月を描き出すに足る文章力を養うための修練であったと言っても過言ではない。


 南木さんが小説を書かなければならない事情はこれまで書いて来たように、月に何人もの患者の死を看取らなければならない現場の中で、自分の精神のバランスを取るために小説を書くことになったはずだ。それだけだと思っていた。だから小説を書き続けることの修練の先に若月俊一の半生記を書くことにあったとは知らなかった。そのための文章力を養うためだったとは、ちょっと驚きであった。それほど南木さんは若月俊一という人物の不思議さに魅せられたのだろう。ただ具体的にどこにそうさせるところがあったのか、一言も書かれていない。この本の主役は南木さんではなく若月俊一なのだからそれも仕方がない。
 でも小説家の視点で書かれた評伝だけに、妙に作者の個人的な想像が入りすぎているきらいがある。たとえば若月が幼い頃ある程度裕福な家庭に育ち(関東大震災の被害を受けて家は没落したが)、甘やかされて育ったところから、後に見る若月の性格を語る件は、ちょっと断定しすぎではないか。あるいはそれこそ小説家の想像ではないか、と思える記述がある。


 若月俊一を理解しようとするとき、彼が比較的裕福な幼少期を過ごした事実は重要である。ものを見るときの余裕とか、他人を受け入れるときのふところ深さといった体質が、この時期に知らぬ間に身に付いていたのではないかと思えるからだ。人に甘えることを知らないで育った者は他人の甘えも受け入れにくくなるものだ。人望と呼ばれる性格特性はこの他人の甘えを受け入れられるかどうかというところにかかっているものなのである。実際、佐久病院の基礎を築いた医師たちの多くは若月の人柄に惹かれて信州の田舎町に集まってきた人たちばかりだった。


 明らかに小説家が書く文章である。評伝作家なるものが書く文章ではない。言っていることが間違っているとか言うのではない。こう書いてしまうのはやはり小説家の視点を持っているからである。他にも同じ視点で書かれた文章がある。


 時代の本質が見えなかったり、あるいは故意に見ようとしなかった学生にとっては取るに足らない悩みだったかも知れないが、若月の場合は違っていた。いつの世でも、ものが見え過ぎる人は見えない者より不幸な生き方をするものだが、若月の学生生活はまさにそのとおりになった。


 若月のずるさとは、例えば初年兵として参加した満州での実戦で、塹壕から頭を出さず、銃だけ出して撃っていて命拾いをしたなどという類いに過ぎない。転向の場合もそうであったが、自分が大きな力の手先になってしまいそうな状況になったとき、その場をうまくすり抜ける際に発揮される自己保存本能の表れなのである。生きるのにしたたかな自分を、インテリとしてもう一人自分がいささか照れながら「ずるい」と称している。


 このように若月の行動には割とアバウトなところもある。思想至上主義ではなく、人間本位主義なのである。この性格は現在も維持されており、会って楽しければその人物の思想信条は問わない、といったところがある。


 小説家が評伝を書くとこうなるんだなあ、という思いでこの本を読ませてもらった。それは事実をどんどん積みあげていって、結果こうなったという記述だけに終わらない。むしろ何とかして若月俊一の人間性に入り込もうとしていることは感じられる。ただ評伝という枠がじゃまをしてしまい、本来の評伝でありたいのか、それとも小説家の視点で本質に迫りたいのか、それが曖昧で中途半端であった。だから変な具合の評伝になってしまっている。そのため再度若月俊一を描くときは、あくまでも小説家の視点で若月俊一という人物の人間性、その内面に踏み込みたくなったのではないか。『八十八歳秋若月俊一の語る老いと青春』が書かれた理由がここに垣間見える。


南木 佳士 著 『信州に上医あり―若月俊一と佐久病院』 岩波書店 (1994/01発売) 岩波新書
by office_kmoto | 2015-10-29 05:28 | 本を思う | Comments(0)

南木 佳士 著『山中静夫氏の尊厳死』

d0331556_613665.jpg この本は「山中静夫氏の尊厳死」と「試みの堕落論」の2篇が収録されている。ここでは「山中静夫氏の尊厳死」のことを書く。

 婿とになった中山静夫氏が末期ガンであった。中山静夫氏は死後、婿となった家の墓に入るのではなく、自分が生まれた故郷に自ら墓を作り、そこへ入ることを望む。さらに苦しまず死ぬことを医師の今井に要望する。そして今井はそれが中山静夫氏と契約と認識し、初めて尊厳死に望む。中山静夫氏は自分が入る墓を自分でこしらえるために、からだが動く間、病院を出て、墓造りにはげむ。
 今井はこれまで死を看取ってきた患者にやってきたことを振り返る。それは死期の近い患者の家族が望んだりしたことで、それによって死を早めたりしていた。今井はそれを一種の安楽死に手を貸したように思っていた。
 中山静夫氏の要望も同じように、苦しまず自ら死ぬことであったので、今井はそれが彼の望む尊厳死であるならばそれを叶えてやることにしようとた。もちろんそうした尊厳死は主治医や家族をどれだけ消耗するものなのか、今回はとことん付き合ってやろうとしていた。


 「今までやってきたのは家族と共犯の安楽死だったんじゃないかと思うんだ。告知していない以上、本人の意志を正確に知るのは不可能だったから、それはそれで仕方のなかったんだけど、安楽死と尊厳死は、少なくとも違うと思うんだ。分かるかい」


 ちょうど私は自分の身近にがんと闘っている人を見ている。この人は今、がんセンター」と名前がついている病院で治療を受けているので、自分がガンであることはここに来ることになった時点で自らの病気を有無も言わさず知ることとなった。だから告知という問題は最初からクリアしてしまっている。
 私の母の時は違った。時代も30年近くも前のことである。患者にがんのことを知らせるかどうか、大きな問題として家族に突きつけた時代であった。私の母は父の意向でガンであることを知らされず死んでいった。もちろん最後には自分のからだがどうにもならない状態であることを自覚した時点で、自分はがんだと分かっていたに違いないと思っている。しかし母は一言もそのことを口にしなかった。私たちが必死に隠していること。隠して母に嘘をついて、そのことでに苦しんでいることを分かっていたから、母は私たちのことを思って自分の病気を口にしなかったのではないか、と思っている。そしてその母の気遣いがさらに私たちを苦しめた。


 ただ、嘘を支え続けるには体力も気力もいる。真実を支点にした人間関係ならば、その支点をはさんで両者が揺れ合えばいいのだが、嘘はついた方にその責任のすべてがかかってくる。


 これは中山静夫氏の主治医の今井が思ったことであるが、当時はまさしくこの状態であった。
 そしてその死を受け止め方は、


 死という不条理な出来事はふところを大きく開いてすっぽり受け止めるしかなく、理屈で遠ざけようとするほど背後に大きな影となって忍び寄るものなのだ。これは十七年間、死者を看取り続けたきた今井の得た一つの結論であった。


 これもまったくこの通りだと思う。

 この以外に気になる文章があったので書きだしておく。


 小説家に限らず、仕事などというものは結局のところ、なるものではなく、なってしまうものなのかも知れない。


 この思いを読んだとき、山口瞳さんが書いた「仮り末代」を思い出してしまった。


 南木 佳士 著『山中静夫氏の尊厳死』 文藝春秋 (2004/02発売)文春文庫
by office_kmoto | 2015-10-26 06:02 | 本を思う | Comments(0)

荻原 魚雷 著 『書生の処世』

d0331556_675615.jpg スポーツ選手が「勝利依存症」あるいは「競争中毒」という症状に陥って、時に疲労骨折するまで努力してしまうのは、ある種の病気だと指摘している本を読んで著者は自分に置き換える。


 おそらく「活字字中毒」といえる状態の人も、おもいあたる節があるかもしれない。アスリートの反復運動のごとく、何かにとりつかれたように、次から次へと本を読んでしまう。「何のために」という愚問は、活字依存症の人の耳には届かない。
 わたしも好奇心や向学心があるから毎日新刊書店や古本屋に通っているわけではないと自信をもっていえる。ただ、そうしないといられないからそうしているだけなのである。
 目で文字を追っているあいだは、余計なことを考えなくてもすむ。本を読みたいという欲求によって、かろうじて生きているのではないかと思える時期があった。


 私もある意味同じである。しかしこの意見に全面的に賛成はしない。確かに本を読んでいればその世界に没頭できるから余計なことを考えなくていいところはある。けれど現実はどんな時でも、どんなところでもつきまとってくる。それは動かしがたい事実だ。だから本に没頭したって、その意識はいつもつきまとうものだろう。ただ本を読んでいれば楽しいしからそうしているわけで、それ以上でもそれ以下でもない。
 「依存症」なんて大袈裟なことを言うからややこしくなる。そういうことを言うから、本をよく読む人は現実逃避だと言われてしまう。たとえ一時でもそうであるとしても、現実からは絶対に逃げられない。逃避なんてできないのだ。これだけは事実だろう。だから著者のこの本にはいつも「不安」の影がつきまとっているのだ。現実がそこにあるから今の生活に怯えを感じているのだ。
 この本は2011年から2014年までの読書日記なのだが、読んだ本だけの感想だけになっていない。そこに日々の現実がつきまとっている。その中でもっともだなあ、と思ったことがあった。
 2011年と言えば東日本大震災があったわけだが、震災後味わった敗北感を語る場面がある。


 たぶん日本は震災の前から賭に負け続けていた。それでも「まだいける、まだ大丈夫。いつでも取り返せる」と膨大な借金を重ねる道楽息子のような状態になっていたのではないか。遠回りだけど、地道に身の丈に合った暮らしを模索するしかないような気がする。


 これは正しい意見のような気がする。そして著者の言うようにこの震災を何度も振り返る度に「大きな賭に負けた」ことだけは忘れないようにしたい、という意見はまさしくその通りだと思う。最近の日本の政治を見ていると、懲りずにまた賭を始めている気がするのは私だけであろうか。どこか違うような気がしてならない。

 この本の全体に漂うのは「日々の漠然とした不安」である。著者の生活の不安定さがそうさせるのだろうが、思うに不安はいつどこでも生まれる。たった一人の現場責任者がいい加減だったために、住んでいるマンショが傾いて、今度は自分の住んでいるところは大丈夫だろうかと心配しなければならない時代なのだ。
 4年前に起こった地震だって、誰があれほどの甚大な被害を出すなんて思ったか?この著者は東日本大震災以後、自分の生活の不安の上にさらに自然の驚異に対する不安が個人の上にのしかかってきて、さらに不安を増長させているのが感じ取れる。

 こんな文章もあった。


 今の時代の「生きづらさ」は、豊かさや健康志向の裏返しであり、世の中をよくしたいという「おせっかい」が行きすぎている。


 食える食えないよりも、齢を重ねるにつれ、いやでも体力その他の衰えや伸びしろのなさを痛感したり、これまで夢中だったことに飽きたりする。


 無理、と言って降りちゃうこともさせてくれないし、降りれば降りたで、賭に負けたと思われる。
 無理をするなというのではない。無理も必要だ。けれど所詮無理は無理だ。長いこと続くものじゃない。それを強要して長く続かせようととするところに問題がある。自然の摂理に逆らって若さを求めたり、長生きすることを是とする風潮が当たり前になったり、一億総括役社会といって全員に何らかの形で強引に社会に参加させようとするところに問題があり、それが生きづらくさせている。そう思えてならない。人それぞれ生き方の「形」があるはずだ。そう思う。まして老いや体力減退は避けられないし、だったらそれなりの生き方があってしかるべきで、いつまでも大きな花火に付き合えるものでもない。
 さて、著者の古本に関しての記述が面白かった。


 たとえば、あるひとりの作家の本を揃えたいとおもう。一冊一冊、地道に集めるか、一括でまとめ買いするか。当然一冊一冊、買いそろえたほうが楽しい。快楽と労力は比例するものだ。


 適度に入手難の作品を追いかけているうちは、古本屋通いも楽しい。好きな作家の未読の本を次々と読破しているあいだは至福といっていい。
 そうした時間は長く続かない。入手しやすい本は半ば揃い、そのうちほしい本はきわめて遭遇率の低い本や手を出しづらい高値の本ばかりなって、そのうち店の本棚を見ても、気持が高ぶらなくなる。


 これもよくわかる。私もある作家のシリーズ本を古本屋を歩いていて、一冊一冊見かけたら値段と相談の上、買い集めたことが何度もある。最初は何もないわけだから、面白いように集まってくる。しかし巻数が揃い出すと、欠けている巻数がなかなか見つからなくなる。貴重な全集などでどうしても古本で見つからない巻数を古本用語で「キキメ」と言ったと思うが、私の探している本は貴重なものではないが、「キキメ」に似た状況に何度かなった。
 こんな時でも昔は根気よく探すしかなかった。時には「日本古書通信」という古本の新聞に古本屋さんが広告出していて、そこに探している本がないか細かく見ていたこともある。当時は購入意思の葉書を出しても、その数が多ければ抽選といった感じであったと思う。古本を一冊買うにも手間と時間がかかった。それでもそうしたシステムで何冊か古本を買った。
 今はインターネットがあるので、探している巻数が簡単に見つかる。特に最近は根気よく本を探すという気力が衰えてきたので、古本屋を歩いて見つからなければ、Amazonのマーケティングプレイスをすぐ使っちゃう。
 そうすれば簡単にシリーズ本がワンクリックで揃う。揃えばその時はうれしいのだけれど、今度は古本屋を歩く楽しみがなくなってしまう。このことに最近気づいて、少々寂しい気持ちでいるのが今なのである。


荻原 魚雷 著 『書生の処世』 本の雑誌社(2015/06発売)
by office_kmoto | 2015-10-22 06:09 | 本を思う | Comments(0)

パタパタ時計

 夜中、虫が鳴いていて、その虫の居場所を探している私がいた。夢である。そのうち段々虫の声が大きくなり、目が覚める。音はまだ鳴り続いている。鳴っていたのは目覚ましであると気がつくのに少々時間がかかった。どうやら現実と夢がこんがらがってしまっていたようだ。
 昨日も夜中の2時半にこれで起こされた。実は私がいる一階の部屋にはまともな時計がない。各部屋時計があるのだが、すべて狂っている。何度時間を直しても狂ってくる。ならば時計を替えればいいのだろうが、ここは義父たちが暮らしていた部屋である。部屋にあるものはすべて義父たちが使っていたものであって、時計もそうである。だから捨てることも出来ずにいる。まあ、狂っている時間は時計ごとにおおよそわかっているので、正確な時間は推測できるので、問題ない。それに時間に追われる身でもないので、アバウトの時間さえわかればいい。
 でも一つくらい正確な時計があってもいいかなあ、と思っていた。そうしたらしまい込んであったデジタル時計があった。それを一昨日出したのである。デジタル時計といっても古めかしいもので、しかもしばらく使っていなかったから、果たしてまともに動くかどうかわからなかった。ただ目覚ましがセットされているとは気がつかなかった。そして昨日の夜中、起こされたのである。目覚ましを後で解除しようと思っていたのを忘れたのである。

 そういえば私にとって懐かしい置き時計がカードローンのCMで流れていて驚いた。YouTubeを見てもらえればわかるのだが(https://youtu.be/35x-zN4F3Fc)


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 この時計デジタル風のアナログ時計である。数字を書いた薄いパネルがパタパタと動くのである。パタパタ時計というらしい。もうこの時計売っているはずがない。(PanasonicでなくNational製である)このCMで使われている時計まだ現役なのだろうか?もっともこのCMでは時計が動かなくてもいいようだから、使えるみたいだが・・・。
 私が持っていたこの時計は私が高校時代初めてバイトして買った時計であった。実家から我が家に、そして会社の事務所のデスクに置いてきた。動かなくなるまで正確な時計であった。
 18の時に買った時計が40年間、途中で使わない時もあったが、とにかく長いことパタパタと時を伝えていた。そしてたぶん寿命だろう、この時計が動かなくなったのは、ちょうど私が会社を辞めなければならなくなった年であった。
by office_kmoto | 2015-10-19 05:49 | ものを思う | Comments(0)

南木 佳士 著『八十八歳秋若月俊一の語る老いと青春』

d0331556_6402892.jpg 若月俊一という人は農村医療に貢献し、南木さんが勤める佐久病院を大きくした院長でもあった人だ。その業績はWikipediaに詳しくある。この本はその若月俊一のインタビューを南木さんがしたものである。南木さんは以前にも若月俊一のことを書いている。そこに次のように書いたという。


 私が佐久病院に来たのは若月俊一という人物に興味を持ったからだった。


 ここでは若月の業績を語らせるのではなく、あくまでも若月の人間性を語らせている。 若月は江戸っ子なんだそうだが、読んでいて、そのとぼけた話しぶりは面白かった。思わずいい意味で“このクソオヤジ”と思ってしまった。
 もう一つ面白いのは、南木さんが太宰治を引っ張り出してきて、若月とその生き方を比較することで、若月の生き様を上手く引き出していることだ。
 太宰治は明治42年生まれ。若月俊一は明治43年生まれ。同じ世代だ。共産党に資金カンパした太宰と共産運動をしようとしていた若月は同じ東大にいたことも不思議な縁として、太宰と若月のどこに違いがあったのか。一方は女性と心中し、一方は大病をしても生き延び、確たる業績を残したその違いはどこにあったのかを、若月が生き残ったことでその違いを上手く言い当てている。


 若月 うん。それで、やっぱり女性が死のうよといったら反対はしないけど、「まあ、もう少し様子を見ようよ。もうちょっと待とうよ」と、僕のことだからきっと言ったね。そして、現実と闘いながらいろいろな悲しみや苦しみを乗り越えていく。死んじゃえばそれっきりだもん。


 これは太宰の心中に関して、若月だったらどうするかを答えた部分だ。ここに若月の生き様のすべてがある。若月はどんなに納得のいかない現実であっても、折り合いが付けられた。そして人間として人を惹きつける魅力を持った人でもあった。したたかさも持っていた。太宰は上手く現実と折り合いが付けられなかっただけのことなのだ。
 この本で南木さんのあとがきがあるが、そこで次のように書いている。


 理想を手ぬぐいで頭に巻き止めながら現実の泥海を犬かきで必死に泳ぎ抜いてきた彼の一見みっともない生きざまこそが、生きる、ということの基本を教えてくれているように思えるのだ。


 たぶんこれが南木さんを惹きつけた若月俊一という人間なのだろう。現実には青い鳥なんていないのだ。でも南木さんは言う。


 理想への欲望は常に失望をもってしかかなえられないのだから。


 南木さんはそれを若月俊一という一人の医者に見出している。
 若月俊一は理想と現実の折り合いを付けて生きてきた。それもとことん迷いながら。今となってはそれは間違いだった、と思える行動もしてきた。(実際このインタビューの中で「間違いだった」とよく言っている)私は若月俊一という人を知らなかったが、一人の人間の軌跡の一端が垣間見える本であった、と思う。


 南木 佳士 著『八十八歳秋若月俊一の語る老いと青春』岩波書店 (1999/03発売)
by office_kmoto | 2015-10-18 06:41 | 本を思う | Comments(0)

平成27年10月日録(上旬)

10月1日 木曜日

 くもりのち雨。

 今日は都民の日だ。それで思い出すのが、カッパのバッジだ。たしかこの日のために売り出していて、いくつか買った。都民の日とカッパが何の関係があるのかわからないが、私にとって都民の日とはこのカッパのバッジである。今でも売っているのだろうか?
 司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の新シリーズ2巻を見る。
 養老孟司さんの『脳と自然と日本』を読み終える。この本いろんなことを教えてくれた。そのことをあとで書くつもりなのだが、多くのことを教えてくれたので、どうやってまとめようか、と悩む。最近文章を書くのに悩むことが多くなった。


10月2日 金曜日

 朝大雨。午後よりはれる。

 爆弾低気圧の影響で朝方かなり強い風と雨が降った。お陰で庭が荒れ放題。鉢植えの朝顔は種を取るためにおいてあるが、それもなぎ倒されていた。
 だから朝から庭掃除に徹する。30リットルのゴミ袋に落葉がいっぱいになった。


10月4日 日曜日

 はれ。

 明治神宮人形感謝祭へ行き、人形供養をする。人形は娘の雛人形である。この雛人形ケース入りで、その分場所をとりじゃまになっていた。それを昨年、ケースを壊し、人形を台座からうまくはがし、解体した。それでお内裏様とお雛様だけを残した。問題は残った人形である。
 こうした人形は簡単に捨てることができない。きちんと供養しなければならない。それで明治神宮で供養してもらうつもりでいた。
 ところが明治神宮は去年代々木公園で発生したデング熱のことがあって、そのまま一年延期となって、今日供養することとなったわけだ。
 地下鉄の明治神宮前でおりて、長い参道を歩き、本殿まで行く。明治神宮へ来るのはもしかしたら初めてかもしれない。かなり立派で広い神社だ。


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 本殿の横にある受付で3,000円を納め、 人形をかたどった「ひとがた」に名前を書いてお祓いをしてもらう。本殿の周りは古ぼけた人形、あるいはくたくたになった人形やぬいぐるみ、捨てられずにそのままになっただろうと思われる人形など、供養してもらう人形やぬいぐるみでいっぱいであった。


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 受け付けてもらった人形を並べる人たちがみんなマスクをしているのがおかしかった。供養してもらう人形はしまい込まれたものが多いだろうから、人形も埃を被っているのだろう。その埃よけのマスクだと思う。
 お守りを一つ求める。病気平癒というやつだ。ガンの治療を受けている人に渡すつもりだ。
 本当は“お守りを買う”と書きたかったが、お金を巫女さんに払ったとき、「1,500円納めて頂きました」と言われたので、“買う”じゃまずいようだ。だから“求める”と書いた。きっとこれでいいのだろう。
 また来た参道に戻る。今日は日が照って暑い。長い参道を歩いているから余計かもしれない。参道入口にある休憩所で妻と二人で豆腐ソフトなるものを食べ、駅へ向かう。
 ちょうど昼時だったので、地下鉄の乗換駅の新宿三丁目でイタリアンのランチをして帰った。


10月5日 月曜日

 くもり。

 午前中妻の定期検査に病院に付き合う。仕事を辞めて良かったなあと思うことの一つに、妻の病院に付き合えることだ。
 小さな会社の何でも屋の事務をやっていると、途中で仕事を抜け出すことは可能だったが、営業中はいないわけにもいかなかった。だから今まで妻一人だけ病院に行かせていた。そして結果だけをあとで聞いていた。悪いなといつも思っていたので、それが出来るようになったことは良かったと思っている。
 今日は朝早くから出かけて行ったので、午前中で帰って来られた。

 養老孟司さんの『手入れという思想』を読み終える。


10月6日 火曜日

 はれときどきくもり。

 朝散歩に出ると、ハナミズキの赤い実がたくさんなっているのが見える。私はこの木の花はあまり好きでないが、この赤い実がなった木は好きである。葉が枯れて落ちているなか、赤い実が映える。

 今日図書館に予約していたDVDと本を借りに行く。その本を今日すぐ読む予定でいた。だから昨日昼に養老さんの本を読み終えてしまい、そのあとどうするか困った。夜読む本がなかった。
 読む本がなければないで、テレビでも見ていればいいのだろうが、それが出来ない。かといって下手に長い本を取り出して読み始めてしまうと、借りてきた本がすぐ読めなくなる。何か手軽な本がないか、自分の本棚から探す。
d0331556_5321492.jpg 南木佳士さんの小さな本『からだのままに』が目につく。ちょうど手頃な本だと思い、本棚から取り出してベッドに横になって読み始める。
 この本も図書館で借りて読んでいるが、手元に置きたい本として古本屋で購入し、本棚に収まっていた。だから今回自分の本として読むことになる。
 自分の本となった南木さんのこのエッセイを読んでいると、こうして静かに生きることの穏やかさに心が安まる。自分もそうしていたいと思うからだ。


 自然そのものの人体にある出来事が起きてしまったら、それ以前の状態には絶対にもどらない。あきらめるとは、そういう事態を明らかに見つめることなのだとからだが教えてくれる。


 からだだけでなく精神も同じで、何とか元に戻そうとすれば、その分だけ力業が必要になり、無理がかかる。体力や気力があればまだしも、もうほとんど諦めの境地に陥ると、なるがままにまかせる方がいいのではないかと思えてくる。

 “もう、無理はしたくない”

 そんな気持ちで生きている自分がある。
 夕方から図書館で借りた佐伯一麦さんの本を読み始める。


10月7日 水曜日

 はれ。北風強し。

 月に一回の病院へ行く。今日は今月末に胃カメラをやるので、血液検査をされた。
 そのあとシマホに行き、園芸用の土を購入。今週末孫と一緒にチューリップを植えるためだ。
 そのあと食事をして、隣にあるイトーヨーカドーへ行き、冬物のシャツを夫婦二人して購入。買い物も済ませ、帰って来たのが夕方となった。いささか疲れて帰って来た。


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 ところで今日ヨーカドーの中に入っているCan★Doでテープディスペンサーのミニというやつを買ってきた。これがなかなかいい。
 テープディスペンサーって何かというと、セロテープの置き型カッターである。私は書店でもらったカバーを付け直すときに、カバーがずれないようにセロテープで留める。昔書店時代やっていた。当時は業務用のセロテープとをテープディスペンサーを使っていたが、さすがに家ではそんな大がかりなものは入らない。
 ちょっと前までは、薬のメーカーからのノベルティグッズとしてもらった小型のものを使っていたが、これがあまり使い物にならなかった。テープを切るとき、ものが軽いので動いてしまい上手く切れないのだ。そのためテープを切るのに、手で押さえて置いて、もう片方の手でテープを切る羽目になってしまう。そうこうしているうちに、押さえきれずに落として壊れてしまった。
 しばらくはそのままテープをはさみで切って使っていたが、やはり小型のテープディスペンサーがあった方が便利である。それがCan★Doで108円であった。


 これ小さいながらも重みがきちんとあるものだから、テープを切るときも動かずに片手で切れる。(もちろん多少は動いてしまうが、問題なく片手でテープが切れる)108円なら上出来だ。


10月9日 木曜日

 はれ。相変わらず風が強い。
 佐伯一麦さんの『空にみずうみ』を読み終える。いい本で、じっくり味わって読んだ。


10月10日 土曜日

くもり。

 孫と娘夫婦、義理の妹が来る。孫とチューリップを植える。今年は念願の水仙も植えてみた。そして昨日はシクラメンの種を蒔いてみた。ネットで調べたのと同じようにやってみている。果たして発芽するか?何でもシクラメンの種が発芽するには3週間くらいかかるらしいから気長に待ってみようと思う。


10月12日 月曜日

 はれ。

 体育の日。神保町に出てみる。本が見たくなったのだ。地元の本屋が悪いというわけじゃないし、ネットでの情報もそれなりに得ているけど、やはり新刊が多く並んでいる本屋を覗きたくなる。手に取って本を触りたい。さらに新刊でもあるいは既存の本でも知らないものがあるので、それを見てまわるだけでも楽しい。

 “こんな本が出ていたんだ!”

 と思わず立ち止まってしまう。でも買うまでにはならない。昔なら気にかかる本があれば無条件で買ってしまっていた。それが本が増える最大の原因なので、最近はこうして本屋さんに行って気にかかった本は、とりあえず図書館で借りることを覚えた。もちろんすぐ借りられないこともあるが、とりあえず予約しておけば、順番が来ればメールで教えてくれる。こうして予約してある本が今数冊ある。そして今日もここで気になった本を1冊予約する。

 ツタヤが図書館業務やっているのが話題になっている。それが話題になるのは、ツタヤがやるからで、そこには“商売”が見え隠れするからだろう。図書館は公共のものだから、そこにあからさまに“商売”が見えちゃうとまずいらしい。
 でも話題性があるものだから“来客数”が増えたとどこかで言っていた。(図書館に“来客数”とはおかしい。ここは利用者というべきだろう)
 私は役所がツタヤに図書館業務を委託した発想がわかるような気がする。すなわちツタヤはレンタルをやっているので、そうした貸し出し業務のノウハウを持っているだろうから、任せれば、利用者が増えるんじゃないの、といって感じツタヤに任せちゃったんだろうと思われる。利用者が増えた図書館であれば住民も文句は言わないだろう。役所もみんなが利用してくれている、と思えるし。
 結局今の図書館は公共の無料貸本屋であることを証明しているものである。だったらそれなりの利用の仕方をすればいいだけのことで、そう目くじら立てることでもなかろう。図書館にその土地の資料や歴史的資料、あるいは貴重な蔵書を置いてあるならともかく、新規に出来る図書館にそんな意味あいなどあるまい。
 館内に音楽が流れるとか、スタバが入っているとか、いうのを良いという人もいれば、うるさいと思う人いるわけで、いずれも好みの問題だから、そこに折り合いが付くわけがない。ただ少なくと民間企業がやっている以上、そこに“商売”が入り込むのは仕方がないだろう。私は基本的に図書館で本を読むことをしないので、そんなのどうでもよいのである。

 今日は三省堂で1冊文庫本を購入。そして古本を3冊購入。神保町は新刊の情報も得られるし、古本も探せるので、私にはうれしい街である。


10月13日 火曜日

 はれ。

 養老孟司さんの『身体巡礼』を読み終える。

 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』 のDVDの3巻目を見る。ここで聞こえてくる司馬さんの文章を聞いていると、やはり本を読みたくなる。また読んじゃおうかなあ・・・。でも他に読みたい本がたくさんあるし、困ったもんである。
by office_kmoto | 2015-10-16 05:48 | 日々を思う | Comments(0)

南木 佳士 著 『神かくし』

d0331556_681221.jpg 大学の研究室にいた高校時代の同級生が死んだ。その同級生が書いた小説の原稿とその妻からの手紙が送られて来た。その手紙には医学の第一線にいる同級生とは別の姿があったこと。同級生が小説家である主人公に一種の憧れのようなものがあったことが綴られていた。同級生に勧められて主人公の小説を読んだ妻は次のように書く。


 遠慮なく書かせていただきますが、わたしは先生の小説は苦手です。前もって故意に力を抜いて階段を下ってゆくような文章に出会うと、なんだか生きる張り合いがなくなってしまうようでした。(火映)


 以前南木さんのエッセイか何かに似たような文章が書かれていたはずだ。読者から南木さんの小説を受け入れられない部分を綴ったものだったと思う。あるいは南木さん自らこのことを感じておられたのかもしれない。いずれにしてもこの文章は南木さんが描く物語を的確に伝えている。だから頑張って、歯を食いしばって生きている途上の人には受け入れられないところがあるかもしれない。
 でも南木さんがこのように「前もって故意に力を抜いて階段を下ってゆくような文章」を書くようになったのは、それ以前に自分の力以上に生きてきた結果、精神的な病気になり、生き方を転換するしかなかったからだ。
 ときたま南木さんの物語には、「なんでだよお」という言葉を慟哭のように声を上げる場面がある。その声が上げられるときは、いつもと同じように生きていたのが、どこかで歯車が狂い始めるたときである。自分の許容量以上なってしまったときに発せられる。
 その結果、スローダウンをからだが求める。それまでの生き方が過酷であればあるほど、そうなっていく。
 今の私は現実の変化に南木さんのように「なんでだよお」と思う時と、いやこれからはこれで良いんだ、と思う自分がいる年齢になった。だから南木さんが描く物語に共感するのである。


 不幸も出来事なら奇跡も出来事だ。出来事が入り組んで人生が織られてゆく。(神かくし)


 「起きてしまった出来事はそれをそっくり身にまとうしかありません。そうやってみんなとんでもない老人になってゆくんです」(濃霧)


 劇的なことはなにもいらない。向こうからやって来るものをかわしたり引き受けたりするだけでたくさんで、先に起こるかもしれない事態に積極的にかかわるつもりも毛頭ない。(火映)


 一歩踏み出す元気があるときはとりあえずその気に身をもたせかける方が楽だ。(底石を探す)


南木 佳士 著 『神かくし』 文藝春秋(2005/04発売)文春文庫
by office_kmoto | 2015-10-14 06:10 | 本を思う | Comments(0)

阿刀田 高 著 『阿刀田高の楽しい古事記』

d0331556_653933.jpg  小泉八雲の関係する本を読んで出雲に興味を持っている。もともと出雲って、どんな歴史を持っているのか知りたかった。特に古代の神話に興味がある。ただ私の能力では古事記を読めるわけがない。それでこの本を買っておいたので、ちょうど良い機会だから読んでみた。
 とにかく古事記に記されている神様は、いくら阿刀田さんがはしょって説明してくれてもやたらと多くて頭が混乱してしまう。
 で、この本をで出雲に関する記述をかいつまんでみると以下の通りになるようである。今回はこの本を読んで知り得たことだけを書く。

 まずイザナギノ命(伊弉諾尊)とイザナミノ命(伊弉冉尊)という神様がいて、この二人が日本の国土を作ったらしい。イザナミノミコトは亡くなって、イザナギノミコトの左眼からアマテラス大御神(神天照大神)が生まれる。右眼からはスサノオの命(素戔嗚尊)が生まれた。
 スサノオの命はわがままな神様で高天原から追放される。そして降り立ったところが出雲の鳥髪山(現在の船通山)で、その土地の守護神であったオオヤマツミの娘クシナダヒメ(櫛名田比売)が八岐大蛇の生贄にされることを聞いて、大蛇退治をする。これが八岐大蛇退治の話だ。その大蛇の尾から出てきたのが草薙剣(くさなぎのたち)でそれが古代天皇の権威たる三種の神器の一つとなる。スサノオの命は櫛名田比売を妻とし、出雲に留まることになる。
 大国主命と言えば因幡の白ウサギが有名だがその因幡の白ウサギと大国主命との関係は、次のようになる。
 大国主命には兄がたくさんいて、大国主命は末っ子で兄たちの“ツカイッパ”をやらされていた。大国主命の兄たちは因幡のヤガミヒメにぞっこんで妻にしたいと思っていた。そこに皮をはがれたウサギがいて、性根の悪い兄たちは、「痛むのか?だったら塩水浴びてから、よく風の当たるよう高い山のてっぺんで寝ているといいぞ」と言う。皮をはがれたままで塩水を浴びれば、ひどいことになる。
 そこに大国主命が通りかかり、真水でからだを洗い塩気を落とせば傷も癒えるだろうとアドバイスする。傷が癒えたウサギは大国主命がヤガミヒメをめとる人だという。
 当然兄たちは大国主命を許せない。それでスサノオの命のいるところへ逃げることとなる。
 そして大国主命はスサノオの命の娘、スセリビメを妻とする。(大国主命はたくさんの妻をめとったみたいだ)
 その後出雲は大いに栄えた。しかしアマテラス大御神は自分の父母にあたるイザナギ、イザナミの二柱が作った大八島が出雲を中心に大いに栄えるのを喜んだが、そもそも大八島はアマテラス大御神の長男であるアメノオシホミミが治める国だったので、国を譲れ!ということになる。これが有名な“国譲り”話である。阿刀田さんよれば、「高天原という強い勢力が出雲を中心に繁栄している地域を支配しようと画策した・・・・」ものだという。
 ところが地上に降臨することになったアメノオシホミミは、地上が国を譲れ、譲らない、ともめているのを見て、嫌になり、この大役を息子のニニギの命(邇邇藝命)に譲ってしまう。これが天孫降臨である。ここで、話として天皇家が初めて地上に降りてきたことになるわけである。

 これらの抜き出しは、もともとかなりわかりやすく古事記を解説した本なのに、さらにそれを私が興味のある部分だけさらに抜き出したので、かなりざっくりしたものとなった。しかし出雲に関する説話の内容を覚えておくにはこれでいい。


阿刀田 高 著 『阿刀田高の楽しい古事記』 角川書店 (2000/05発売)
by office_kmoto | 2015-10-08 06:54 | 本を思う | Comments(0)

阿刀田 高 著 『地下水路の夜』

d0331556_5334367.jpg 「なにか好きな数字を頭に浮かべてごらん。言っちゃ駄目だよ」
 「なんでもいいの?」
 「うん」
 「「浮かべたわ」
 「それを三倍にして。3をかけるんだ」
 「ええ」
 「それに1をたす」
 「ややこしいのね」
 「それをまた三倍する。もっとややこしい」
 「頭、使うじゃない」
 「このくらいなら血管の流れをよくするレベルだ。それに最初に考えた数をたして」
 「暗算まちがえそう」
 「いくつになった」
 「83」
 「じゃあ、最初に考えたのは8だね」
 「当たり」(たずたずしい)


 これいろいろな数字でやってみると、たしかに最初に思い浮かべた数字になる。

 この本は「たずたずしい」、「親指の秘密」、「花酔い」、「月を見るまえに」、「男と女の学校」、「頭のよい木」、「偶然奇談」、「花を訪ねて」、「朗読者」、「芳香の女」、「言葉の力」の12篇の綺譚集である。
 これらの不思議な話はまず話の基軸となるアイデアがものを言うのだろう。その思いつきがどれほど不思議かによって話が面白くもなるし、だめにもなる。阿刀田さんはいつもそんなアイデアを探しているようで、そのアイデアの探し方に関してのエッセイも幾つか書かれている。


 「人間はカフカがいい」
 「なによ、それ」
 「可もあり不可もあり、だ」(男と女の学校)


 これなど思いついた時は面白いと思われたのかもしれないが、単にオヤジギャグで酒を飲んでいなければ言えないギャグだ。
 今回読んでいて感じたのは、これが書きたかったからこの短篇を書いたんだな、と思えるところがあり、だからこのようなアイデアだけが浮きだってしまっている、感じを受けた。
 例によってこうしたアイデアを元に男と女の関係を描いているのだが、その関係もどうも堅苦しい。お互いの気持ちを察するのはいいのだが、まどろっこしいし、不自然なのだ。もうちょっとスムースになれないものか、と思ってしまう。アイデアが堅いから必然的に二人の関係も、能書きが多くて、鬱陶しい。
 私は阿刀田さんは男と女の関係をあまりうまく描けない人だと思っている。そこにある不自然さは、どこか違うよな、と思っている。男と女の機微は理屈では推し量れないものがあって、それをどう表すか問題となるのだが、阿刀田さんはそれを小道具で周りを固めていき、お互いの気持ちを推し量ろうとする。そこに登場する人物の行動がちぐはぐでも、何となくわかるよなあ、というものがあるじゃないか。それを描き切れていない。もう少し素直に書けば良いのにといつも思う。
 それは表現の仕方にも現れる。阿刀田さんは「つきづきしい」とか「サムシング」とか「ビヘイビア」という言葉をよく使うが、「つきづきしい」など普段使わない。「ふさわしい」、「調和がとれている」、「しっくりしている」と書けばいい。「サムシング」とか「ビヘイビア」だって、「何か」とか「行動」とか「ふるまい」と書けばいいじゃないかと思ってしまう。


阿刀田 高 著 『地下水路の夜』 新潮社(2015/04発売)
by office_kmoto | 2015-10-03 05:34 | 本を思う | Comments(0)

平成27年9月日録(下旬)

9月16日 水曜日

 くもり。

 JRの架線や施設に連続して放火した男が捕まった。自称ミュージシャンと言っているが、この男の供述が理解できない。
 放火はやったが、業務妨害をしたとは思っていない、と。行為と意識がこの男にはつながらないらしい。
 こういうことを時々聞くことが多くなった。例えば首を絞めたけど、殺す意志はなかったとか言うやつ。首を絞めるという行為は殺すことではないか。JRの施設に放火すればそのまま業務妨害になる。どう考えても行為と意識は連続しているはずなのに、それを説明する言葉は断絶してしまっている。それを考えなかったいうほど馬鹿なのか。そうではないような気がする。
 こういう言い方は、もしかしたら裁判で使われるのかもしれない。一つの行為を認めるけれど、意識は別。そんな意識はなかったといえば、罪が軽くなる。こういう輩は保身のためには頭が働くのだろう。彼らにはそれが裁判の前から始まっていることなのだろうか。


9月17日 木曜日

 雨。

 朝から雨が降り続いているので、外にも出ずに本を読み続ける。こういう鬱陶しい日でも夢中になれる本があるだけでも有り難い。
 午前中は昨日から読み続けている文庫本を読み終え、午後から新しい本(といっても古本だけれど)をベッドに横になって読んでいる。
 そのベッドの隅には次に読む予定の本が置いてある。私はいつも次の本を近くに置いておく。
 居間にあるパソコンの横には付箋の付いた読み終えた本2冊がある。読んだ本の感想などパソコンに書き込むために置いてあるのだが、書き込むのは本を読むようにスムーズにいかないので、こういうことになる。読んで、書いて、そのあと本棚にしまう。
 居間にはもう一つテーブルがあるのだが、そこには図書館に返す本が積んであったり、買ってきたばかりの本があったりする。
 こう書いてみると、部屋中に本が置かれていることになる。

 本を読んで疲れたので、ノートを取り出しこの文章の下書きを書き始める。書き始めたら万年筆のインクがでなくなった。インクがなくなったようである。新しいカートリッジを取りだし、入れ替える。この行為が単調な一日ちょっとした変化であった。(インクが出なくなったので、今日初めてイラだったから)

 沢村貞子さんの『わたしの台所』を読み終える。

9月18日 金曜日

 雨。

 国勢調査をパソコンで回答する。今回からインターネットで出来るようになったようだ。先日調査員という人が来て、インターネットで回答する場合の手引きとログインパスワードの入った紙を郵便受けに入れていった。パスワードの扱いが雑と新聞に載っていたけれど、確かにセキュリティの問題を考えればどうなのか、と思わなくもないが、まあ便利にはなった。
 国勢調査といえば、五木寛之さんの昔のエッセイを思い出してしまう。最終学歴を大学中退の場合、高卒になってしまうことにためらう場面だ。今回は最終学歴の記載はなかった。学歴の記載なんか意味のないことが浸透してきているにかもしれない。


9月19日 土曜日

 くもり。

 今年は今日の土曜日を入れて5連休となり、5月のゴールデンウィークに対抗して23日までの休みをシルバーウィークと称している。この連休天気もまあまあのようで、秋の行楽シーズンに突入という感じだ。

 森まゆみさんの『鴎外の坂』を読み終える。


9月20日 日曜日

 はれ。

 お彼岸なので義父の墓に墓参りに行く。そのあと実家に行き、母の仏壇に線香をあげに行った。

 御神輿と山車が家の前の道を練り歩いていた。昨日から祭り囃子が聞こえてている。御輿を担いでいる人も、山車を引いている子供たちも少ない。けれど威勢のいいかけ声が聞こえてくると、窓からその模様を眺めてしまう。規模とか関係なく、お祭りというものは、どこか人の気持ちをわくわくさせる。
 昔子供のころは町会の御神輿を担いだ。御輿を担ぎながら、途中何度も休憩があり、アイスクリームやジュースなど何度も食べさせてくれ、飲ませてくれるのがうれしくて、子供たちは結構率先して子供御輿を担いだものだ。今は子供の数も少なくなり、御輿を担ぐことよりも、面白いことが沢山あるから、祭りに参加する気にもなれないのだろうか?
 当時の町会の会長さんが銭湯を営んでいて、御輿を担ぎ終わると、子供たちに銭湯無料券をくれた。それもうれしくて、一番風呂を目指して、みんなで銭湯にも行ったことを思い出す。
 町の銭湯がどんどんなくなっていく中、その銭湯はまだ営業していて、先日も3時前に通ったら、お年寄りが銭湯が開くのを待っていた。


9月21日 月曜日

 はれ。

 今日は敬老の日。孫、娘夫婦とランチをする。そのとき孫が描いた私たちの似顔絵と、ビーズで作った腕輪をそれぞれもらう。だんだん敬老の日が違和感なく受け入れられるようになった。
 ランチといって普段食べない洋食を、その時は美味いと思い食べていても、あとで胃にくる。妻と二人で食べるいつもの粗食がいまからだにいちばんあっている。とにかく量が食べられない。医者からも腹八分目から七分目にしろと言われているから、それを実戦していたら、ますます量が食べられなくなってしまった。なによりも脂っこいものがだめだ。


9月23日 水曜日

 くもり。

 シルバーウィークも今日で終わりだ。
 朝郵便受けから新聞を取り出すとき、もう秋なんだなあ、と感じさせる。朝の空気がひんやりしている。隣から彼岸花の赤い色が見える。どこからか金木犀の香りがほのかに香ってくる。

 昨日も今日もサンダーバードを見てしまった。昔のバージョンとと新しいバージョンの二本立て。でも私はやっぱり、昔の方がいい。手造り感がたまらない。ところで新バージョンでよく出てくる「FAB」って何のことなんだろう?

 司馬遼太郎さんの『街道をゆく』の37巻(朝日新聞社2009/4 朝日文庫)を読む終える。


9月24日 木曜日

 くもり。

 シルバーウィークは天気に恵まれたが、休みが終わったらまた天気が悪くなるようである。
 菊池信義さんの『装幀思案』を読み終える。


9月25日 金曜日

 雨。

 南木佳士さんの『ふつうの医者たち』( 文藝春秋 2003/02発売 文春文庫)を読む。


9月26日 土曜日

 雨のちくもり。

 佐伯一麦さんの『日和山―佐伯一麦自選短篇集』を読み終える。


9月27日 日曜日

 雨のちくもりのち晴れ。

 今日は中秋の名月、十五夜だ。朝方雨が降っていて、雨が止んだあとくもりが続いたので、今日は月を見ることができないな、と思っていたら、夕方から晴れてくる。
 月は雲の合間から見え始めた。今年は何だか無性に月が見たくなったので、雨が止んで曇り始めたころから、その雲がとれないかなあ、と期待していた。

d0331556_5465481.jpg 吉村昭さん『わたしの流儀』(新潮社1998/05発売)を読み終える。このエッセイは以前文庫本で読んでいる。今回単行本で手に入れたので、改めて読んでみた。
 久しぶりに吉村さんのエッセイを読むが、やっぱりいいなあ、と思う。この頑固ともう一方にあるやさしい目が何とも言えない。そんな吉村さんの日常における点描なのだが、読んでいてホッとする。
 また歴史小説の取材などから得た“余話”も興味深い。
 おもしろいことが書かれていた。


 文章のはじめに「おはようございます」と書いてあって、それから用件が記されている。手紙なら「おはようございます」などと書くことがないが、ファックスなら即時性があるので、このような文章が使える。(ファックス)


 この文章は吉村さんの自宅にファックスを入れたときの話である。原稿を出版社にファックスで送ることの便利さを覚えつつ、一方で出版社からはこのように用件が書かれたものがファックスされる。多分朝方なのだろう、用件に入る前に手紙でも書くように「おはようございます」とあいさつが書かれている。
 今やメールやLINEでも当たり前のように書いている。確かに手紙では書けない挨拶がリアルタイムで相手とやりとりできる時代である。それこそ目の前にいて挨拶するのと同じ感覚だ。
 時代によって相手とのやりとりの仕方が変わるのと同時に、そこにある文章も変わって行っているんだな、感じた。
 物を表す言葉も変わっている。


 ある雨の夜、帰宅して折りたたみの傘を洋室の隅に置き、娘に、
 「蝙蝠をそこに置いたから、明日ひろげて乾かして・・・・・」
 と、言った。
 娘はどきりとしたように、部屋の隅を見つめた。気味悪そうな表情をしている。(ポット)

 蝙蝠とは傘のことである。「蝙蝠」と言われて、娘さんは部屋の隅にコウモリがいると思ったのだろう。
 昔当たり前のように使われていた言葉が違う言い方になっていることはよくある。そんな言葉を吉村さんは「衰弱語」と言っている。ここでは魔法瓶をポットと言うようになったとも書かれている。
 また使い方が変わったため、その言いまわしも変わって行くこともある。


 小説で電話をかける描写をする時、「受話器を手にしてダイヤルをまわし・・・・・」と書いていたのを、今では「プッシュボタンを押し・・・・・」と書かなければならない。(もしもし)


 我々からすると何だか“めんどくせえなあ”と思ってしまう。「まわし」言えば、私などいまだにテレビのチャンネルを変えてもらうとき、「チャンネル回して」と未だに言っている。


9月29日 火曜日

 はれ。

 南木佳士さんの最新刊『薬石としての本たち』を読み終える。
 庭のさつきにたぶん今年最後の肥料を与える。さつきには来年のための小さな花芽が出ている。来年の5月までこのまま過ごすことになる。来年もたくさん咲いてくれるよう根元に肥料をまいた。
 夕方から区の中央図書館へ出かける。南木さんの本で紹介されていた養老孟司さんの本が読みたくなったのだ。そして司馬遼太郎さんの「街道をゆく」のDVDを見つけたので、それを2本借りてきた。このビデオ、昔NHKで放映されていたのだが、私は見損なっていた。以前から見たいと思っていて、一時は購入も考えたが結構値段がする。それが図書館にあったのだ。借りないわけがない。

 頭痛がひどくなりしばらく図書館の椅子で休んでから家に帰る。いつもの頭痛だが、そもそも図書館に出かける前から頭は痛かった。無理して出てきてしまったのがまずかった。それがひどくなった。家に帰りそのまま横になる。


 9月30日 水曜日

 はれ。

 何だか頭が重い感じが一日中していた。用心のため一日中家にいる。
 昨日借りてきたビデオを見る。今回借りてきたのは「街道をゆく」の新シリーズの方だった。最初のシリーズは1巻から貸し出し中だったので、巻数が揃っているこちらから借りた。まあ別に続き物ではないので、どこから見てもいい。
 このビデオは司馬さんが歩いた街道の映像とその街道について司馬さんが書いた文章の一部をを朗読している。
 ここにある司馬さんの文章の形容詞はとことん研ぎ澄まして書いたものだから、聴いていると、荘厳さえ感じられる。陳腐な形容詞はただうざったいだけで、ない方がいいけど、ここまで推敲された言葉はそれだけで歌となり詩となる。
 まずは1巻だけを見たのだが、こうした文章を朗読されると、またこの「街道をゆく」を読みたくなる。けれどもう43巻も読む気力もないなあ。だからこのビデオ見て、映像と司馬さんの文章を堪能しようと思う。
by office_kmoto | 2015-10-01 05:50 | 日々を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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