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山口 瞳 著 『ポケットの穴』

d0331556_6501484.jpg シリーズ第二弾である。先ず読んでいて先の『男性自身』とはトーンが違っていると感じた。明らかにひとつの形を見つけて、このシリーズの特徴を、そして往年の山口瞳という作家のスタイルを形付けるものを感じることができた。だから安心してこれか先読んでいける。実は最初のままだったら、ちょっときついな、と思っていたのである。


 どういうときに夫婦喧嘩がおこなわれるかというと、実にどうも不思議なことに、私のほうで誠心誠意、女房のために尽くしてやろうと決意したような日に、突発的にやってくるのである。従って、私としては、何の罪も落ち度もないのに、いきなり頬桁を殴られたような気分になる。無実の罪に泣かなければならない。(夫婦喧嘩)


 サラリーマンの仕事の大半は雑用である。業種によって、部署によってずいぶんそれが左右されるということはろう。時代が進んで仕事が細分化されると、雑用は減ってくるだろう。しかし、現在ではまだ仕事の半分以上は雑用であるといってよい。とくに所属部長は遣手であるときはポンポンと用事をいいつけられるから、雑用はふえてくる。(部屋のなかの家)


 勝負事の嫌いな人がいる。こういう人を、さっぱりした気性の人、堅実な人、こせこせしない人、相手を負かすことを嫌う心の優しい人だと思い込んだら、大間違いである。勝負事の嫌いな人は、ゲームが嫌いなのではなくて、負けることが嫌いなのである。すなわち、心の貧しい人、偏狭な人が多いのである。(女の子


 これらのことは思わず膝を打ちたくなるほど“言い得て妙”だと感心してしまった。もう一つ地下鉄四谷駅の話は、一つの風景として気に入った。


 地下鉄の駅は中央線よりもずっと高いところにあって、そこまで登ってゆくと私はなんとなくホッとする。
 そうやって電車をやり過ごすのは私だけではない。構内の鉄柵にもたれてグランドを見ている人が、いつも何人かはいる。寄りかかっている姿勢で彼等が何台もの電車をやり過ごしいるのがわかる。私はそうはいかない。手押し式撒水車なんか置いてあるのもいい。
 なんとなくホッとするということが生きているということではあるまいか。次の電車はすぐに来てしまうが、それまでの束の間だけは、確実に生きているという実感がある。(地下鉄四谷駅)

 そういえば昔、駅には手押し式撒水車ってあったような。このようにこのシリーズは古いだけに昔の世相を感じることができ、懐かしい場所も出てくる。
 山口さんが庭に来る鳥を呼び寄せようとして、餌場を作った。なかなか鳥たちはここに来ない。その時山口さんは、


 「おい、こら、お前。鳥たち。どうしてここへやってこないんだ。ここはパラダイスだぞ。船橋ヘルスセンターみたいな所だぞ。長生きしたけりゃ来たらいいじゃないか。それに俺はとってもいい奴なんだぞ。殺したりしないぞ。餌はどんどんやるぞ」(鳥たち)


 船橋ヘルスセンターなんて久しぶりに聞いた。子ども頃、夏になると父と母に連れられてよくここに泳ぎに来たものだ。大きなプール縁では当時日焼けすることが健康的に見えるから、サンオイルを塗って横になる男女が多くいた。そのためプールは油が浮いたようにギラギラしていたものである。ヘルスセンターの後はスキーザウルスになったんじゃないかな。確か私の娘が小学校ときここへ学校の行事として行ったはずだ。今はこれもなくなって、ららぽーとになっている。


山口 瞳 著 『ポケットの穴』 男性自身シリーズ 2 新潮社(1966/04発売)
by office_kmoto | 2016-02-28 06:52 | 本を思う | Comments(0)

思い出す

 大臣が受け取った封筒をそのまま内ポケットに入れたかどうか、問題になっていた。渡した相手は大臣がポケットに入れたのを確かに見たという。一方大臣はそんなことをすれば大臣以前より人間の品格を疑われることだからするわけがないという。この場合、渡した相手の言っていることがたぶん正しいだろうと思われるが、私もこのように現金の入った封筒を渡されそうになったことがある。
 本屋時代一緒に働いていた男が、レジの金をくすねていたことが発覚した。男は母親に連れられて謝罪に来た。その時経営者は他に用があったので、私が対応した。
 母親は出来に悪い息子のことを何度も詫び、最後に「これで」と言って白い封筒をテーブルの上に置き、私の方に向けた。
 私はこれが何を意味するのかわからなかった。封筒を開けてみると現金十万円が入っていた。これで意味することを理解した。これで許してくれということである。この場合警察沙汰にすることも出来る訳だが、これで内々に処理してくれということであった。
 私は封筒を押し返し、「これは受け取れない」と母親に断った。
 この後経営者にこのことを報告したが、その時思わぬことを耳にした。「なんで受け取らなかったのだ」と言うのである。
 私もこれを受け取ったらあなたの品格が疑われる。受け取るものじゃない、と言ったはずである。男の処分は最初から警察沙汰にするつもりはなかった。弁済もすませていたので、懲戒解雇の終わらせると決まっていた。だから現金を受け取る理由がないのである。
 今でも思うのだが、この経営者はもしあの場にいたら、きっとこの封筒を受け取っていたのだろう。それこそ迷惑料として受け取るつもりでいたのだ。
 あの時これを受け取れる神経が私にはわからなかったが、今にして思えば、この経営者はそれを受け取れる人格の持ち主だったのだ。成り上がりや、親の威光を借りて経営者や政治家になる人物とは、こういうことが平気で出来る人物なのであろう。
 考えてみると、私とこの経営者との溝はここから始まったのかもしれない、と思うことがある。この後30年近くこの人のそばにいたが、重大な場面で、普通出来ないことを平気でしたり、言ったりする場面に何度も遭遇することになる。その度に「それはおかしい」と文句を言ったが、経営者とすれば鬱陶しかっただろうな、と思う。(2016年2月6日)
by office_kmoto | 2016-02-26 05:29 | 余滴 | Comments(0)

山口 瞳 著 『男性自身』

d0331556_5151646.jpg 山口瞳さんの男性自身シリーズを読み始めた。まずはシリーズ第一巻である。この本は以前読んでいるが、とにかく今年このシリーズを全巻読破を目指しているので、最初から読むことにした。


 もしそれ、非常に注意ぶかい読者であるならば、私が、この随筆ともオトシバナシとも精神訓話ともつかぬもので何を目論でいるかをすでに察知されたことであろう。
 私自身の心構えとしては長篇小説を書いているつもりなのである。もし私に幸運にもかの「白樺派」の如き長寿が許されるとするならば、実にこれは大河小説ともなるはずのものである。(愛と認識との出発)


 と書いているが、私はこの『男性自身』は読んでいて、これはサントリーが昔出していた「洋酒天国」と同じ乗りで書かれているように思えた。
 私は開高健さんの本でこの「洋酒天国」の抜粋を読んだことがあるので、そう感じたのである。たぶんこの「男性自身シリーズ」が書かれ始めた頃は、まだ山口さんがこの小雑誌の編集に関わっていた頃からではないか、と思うから、その調子が余韻として残っていたのかも知れない。どこか「受け狙い」を感じてしまうところもあった。小咄風のそれでいてちょっとエッチな話を加えて、何とか気を惹こうとしている。


 すなわち、現代に於いて一穴主義(女房だけしか女を知らない男)は果して可能であるか、というのがこの大河小説に課されたテーマなのであります。


 と続く。ここが“夜の岩波文庫”と称された「洋酒天国」の乗りなのである。だから女房しか女を知らない男のことを「一穴主義」「軽石」「1DK」「ミシン」とギャグを入れる。その言葉の意味を面白おかしく解説する。「一穴主義」「1DK」はその意味することはわかるだろう。では「軽石」はカカトスルから来ている。ミシンはひとつの穴ばかりつつくところから来ている。(わざわざ解説することもないかも知れないが)
 要するに男と女の話を中心に、なんとかしようとしたのかもしれない。おそらくこのスタイルが今後変わっていくのだろう。いわゆる山口さんらしい文章、内容になるのが楽しみだ。それでも所々に(だからこそ)いい話もある。


 私は夫婦というのはそういうものだと思う。男と女とはそういうものだろう。つまり永久に理解しあえないものだと思う。理解できると思った夫婦に危機がやってくる。突如として“性格の不一致”などと言い出す。
 理解できないという前提があってツトメルところに夫婦が成立するのだろう。(女房)


 後の山口瞳を一癖ある、あるいは堅物で頑固者の作家としての片鱗ももちろんあった。


 むかしは街を単位にして行われたことが、いまはほとんど会社単位・学校単位になってしまっている。旅行・スポーツ・観劇といったものがすべてそうだ。私の子供のころは、野球は近所の人たちを集めてやったものだ。いまはそうではない。
 遊ぶのも食事をするのも買物をするのも医者に行くのも、会社の近所ですませてしまう。こいつがどうにも私には納得がいかぬ。
 近所にトンカツ屋が新規開店したとする。そこへ行ってやるのがエチケットではあるまいか。うまいまずいは問題ではない。おそらく腕のいい職人が金をため嫁さんを貰いノレンをわけてもらって開店したのだろう。その店を応援してやるのが、その街の住人として人情ではあるまいか。(街)


 買物の仕方のなかにもその人の人生観があるのだろう。(人生観)


 しかし「一局の将棋」あるいは「もうひとつの人生」というものは考えたって無駄なことである。空しいのである。なぜなら、棋士は、そう指さなかったのだから。(一局の将棋)


 このシリーズは「週刊新潮」に1963年から31年間、延べ1614回、山口さんが亡くなるまで一度も穴を開けることなく連載を続けたコラムである。変化も楽しみだが、おそらくいろいろなことを教えてくれるに違いない。楽しみである。


山口 瞳 著 『男性自身』 男性自身シリーズ 1 新潮社(1965/05発売)
by office_kmoto | 2016-02-25 05:16 | 本を思う | Comments(0)

南木 佳士 著『ダイヤモンドダスト』 再読

d0331556_5402990.jpg 南木佳士さんの『ダイヤモンドダスト』を今年最後の本として読み終える。(この文章は去年の暮れに書いた)今度は自分の本として。
 読み返してみて、この本に収録されている「冬への順応」はいい作品だ、と思った。南木さんの小説で好きな作品だ。
 この本のことは以前詳しく書いているので、今回は別なところで思ったことを書きたい。


 あたりまえに生きた女が、当たり前に死んでいく。あくまでも第三者でしかあり得ない医者として、ぼくはそういう死に慣れすぎていた。
 死者を見送るとき、いつからか、ぼくは残される者の側に立ってのみ、事を処理するようになった。すでに死亡している患者に人工呼吸器をつなぎ、家族全員が到着するのを半日待ったことさえあった。ようやく遠方からかけつけた家族に向って、たった今、というふうに頭を下げる。見とどけることのできた安堵感が拍車をかける号泣の中で、人工呼吸器のパイプを抜く。心臓や呼吸の停止は、ほとんどの場合、本質的な意味を持たない。死に価値があるとすれば、それを決めるのは、残された者の内に生まれる喪失感の深さの度合いなのではないか、とぼくは思っている。
 ぼくは今、初めて残される者になろうとしている。千絵子が死ぬ。ぼくは残る。千絵子が死ぬ。ぼくは残る-


 この描写が養老孟司さんの言葉を思い出す。養老さんは死には人称があるという。一人称、二人称、三人称の死があると考えるのだが、ただし一人称の死はあり得ない。自分が死んでしまえば自分の死を見ることが絶対にあり得ないからだ。
 二人称の死とは、「あなた」。すなわち身近な人の死である。そして三人称の死は「彼・彼女」。すなわち生きているときに特別な人間関係がなかった赤の他人の死を意味する。だからその死は客観的に「死」と認識でき、必要以上の感情はそこにはない。
 主人公の「ぼく」この三人称の死に慣れすぎていていたことを自覚する。それでもまだ二人称の死に思いやれる気持ちがあるから芝居をするし、その死に価値があるとすれば残された者の喪失感の深さと思いやれる。
 養老孟司さんも「身内は死にません。身内であればいつまでも生きていると思っているのです」と言う。
 特に大事な人が死んだ場合、その人が死んだということを自分で納得させなければならない、と言っているのを思い出す。このぼくの最後の言葉は、その大事な人が死んだことを何とか自分自身で納得させようとして、やっとの思いで吐き出された言葉に思えた。

 「ワカサギを釣る」では日本の難民医療団の思いがけない実体がさらりと書かれていて、以前はそれを読み飛ばしていた。


 (日本から送り込まれる医療団の)ある大学のチームは若手の外科医に手術のノルマを課し、達成されそうにないと収容されている四万人の難民の中から患者狩りをした。日本にいればせいぜい第二助手くらいしかできなはずの新米医師が、めったにない機会だから、と癌の手術の執刀者に選ばれることも多かった。


 回診のとき、陽に焼けない青白い肌をした日本の若い医者が老婆のベッドの脇にしゃがみ込み、あなたは癌ですよ、治らない癌なのですよ、とおだやかに頬笑みながら、はっきりした発音の日本語で呼びかけた。老婆は落ち窪んだ目を微かに開き、残った体力を出しきるように歯の抜け落ちた口もとに微笑を浮かべ、萎びた乳房の上で合掌した。
 「この言葉、一度言ってみたかったんだよな」
 半袖の仕事着の胸に日の丸のワッペンを付けている医者は、うしろに立つ種村をふり返って無邪気な白い歯を見せた。
 老婆の足にたかるハエに手押しのスプレーで殺虫剤を撒いていたミンは、その頃十分に日本語を理解していた。彼はスプレーを左手に持ち変え、右手で拳をつくった。種村はそれを見て、ミンの横に行き、医者の視線を塞ぐ位置で静脈の怒張した彼の右腕をつかんだ。


 この二つの件に関しては私は何も言えない。作り話かもしれないが、ただ南木さんはカンボジアの難民医療団の一員であった。それだけである。



南木 佳士 著『ダイヤモンドダスト』 文藝春秋(1989/02発売)
by office_kmoto | 2016-02-22 05:42 | 本を思う | Comments(0)

同居する

 今読んでいる山口瞳さんの「男性自身」シリーズに次のようにあった。


 小学六年生になるとき、頭を坊主刈りにしなければいかないのだときかされていた。それは、いまから考えるとまことに滑稽だが、私にとって非常に悲しいことだった。坊主になるというのは、ショッキングな事件であった。(坊主頭)


 これを読んで思い出した。そう、私も中学時代坊主だったのである。私が入った公立の中学校は、男子は坊主頭にさせた。
 小学校を卒業して、中学に入るまでの間に坊主頭にしなければならなかった。これが嫌で私立に行く奴もいたくらいであった。
 坊主頭にするとき、いつも行っている床屋には行かなかった。行けなかったといっていい。恥ずかしかったのである。床屋の人間に笑われる気がしたのである。だから坊主頭にするときは、それまで行ったことのない床屋に行って髪の毛を刈ってもらった。
 坊主頭になった自分の頭を触ったとき、やはりショックだった。そんなことを思い出す。
 中学に入ってもしょっちゅう髪の毛検査が行われ、坊主頭が伸びていると、バリカンで刈られた。とにかく何かとうるさい学校で、しょっちゅう殴られていた。
 中学三年間を坊主頭で過ごした反動で、高校に入ったとたん長髪になり、肩まで髪を伸ばしていた。吉田拓郎が「僕の髪が肩まで伸びて、君と同じになったら~」と歌っていた時代である。
 中学時代厳しい校則に縛られていたので、新設高校に入ったとき、その自由さに驚いたくらいであった。もちろん羽を伸ばして好き勝手な高校生活を送らせてもらった。いわゆるまともな高校生ではなかった。
 私の中にある種の堅苦しさや頑固さと「そんなの自由じゃん」といういい加減さが同居するのは、たぶん中学時代、厳しい校則に縛られていたことと、高校が新設高校で、伝統などというものがない分、自由さの中で生活してきたものから生まれているのではないかと思っている。

 ところで山口さんは他で人体における毛はそこに生えている以上何か意味があるはずだから、例えばヒゲなど剃ってしまうのは自然に反するのではないかと言っている。そして大笑いさせてくれる。


 まず、第一に、こう考えた。人体における毛は、それが頭髪であるにせよ、腋下であるにせよ、あるいはその他の箇所であるにせよ、何か意味があるのではないか。たとえば、当然毛が生えていなければならない部位に毛がないときに「あるべきところにあるべきものがない」といって軽侮されることさえあるのではないか。もしそれが男子の場合は、最近は「白い巨塔」などと渾名されたりするようだ。(モトヒゲ)


 このギャク冴えている。(2016年1月24日)
by office_kmoto | 2016-02-20 05:46 | 余滴 | Comments(0)

羆 その4

 最後にこの三毛別羆事件を扱った小説がもう一つある。戸川幸夫さんの「羆風」である。それを読んでみた。昭和48年、1973年に小説新潮に発表された作品である。吉村昭さんの『羆嵐』より多少古いみたいだ。
 話はほぼ事件の経緯をたどっているが、普通の小説と違うのは、羆を擬人化しているところである。なので私には違和感がつきまとう。


 大自然には、大自然だけに通ずる法律がある。その法律にふれさえしなければ、どんな侵略も、どんな殺戮も無罪なのだ。


 と思うのは羆であって、すべては羆が“彼”となって、話(事件)が展開される。彼がここでは人間よりも先住者であり、彼が人間を襲うのは、彼にとって人間は自分のテリトリーにある餌であるという大自然のルールで生きているだけなのだ。


 彼の場合、その行為は徴発であって略奪ではなかった。自分の領土にある食物はすべて自分の物であった。


 しかし彼は本当は人間が怖かった。


 袈裟掛けは本当は人間が怖かった。彼の領土内のあらゆる生き物たちは彼を恐れ、彼の怒りに触れないようにびくびくしていたが、人間だけは常に彼の前で胸を張っていた。


 しかし餌不足のため飢餓状態で人を襲わなければならなくなった彼は、自分に怯えた人間の姿をここで見てしまった。

 人間なんて弱い獲物にすぎない。

 こうして彼は人間を襲う。そして人間と対峙する道を選んで死んだ。この物語はそうして終わる。大自然のルールを破ったことで彼は死ぬこととなったのである。


「羆風」(戸川幸夫 著 『戸川幸夫動物文学全集』6巻 講談社(1977/04発売)に収録)
by office_kmoto | 2016-02-19 05:28 | 本を思う | Comments(0)

羆 その3

d0331556_7552547.jpg さらに吉村昭さんの『羆嵐』を再読してみた。
 ここで私は先に読んだ木村さんのノンフィクションと小説の違いをひしひしと感じた。木村さんの本でその事件の経過を知ることが出来るが、村の人々の息遣い、恐怖の感情を感じることは少ない。そういうのはやっぱり小説で感じることが出来るように思えた。

 事件の経過は木村さんの本で知ることができるので、詳しい説明はしない。まずは羆が最初に襲った家の妻を連れ去った後、その遺体を見つけた村民が帰って来たとき、


 傾斜をおりてきたかれらを、区長たちがとりかこんだ。
 「少しだ」
 大鎌を手にした男が、眼を血走らせて言った。
 「少し?」
 区長が、たずねた。
 「おっかあが、少しになっている」


 そして遺体の無残さに恐怖や悲しみを覚えてものの、一方で安堵の気持ちもあったことがこの小説では描かれる。これは木村さんの本にはないことだ。そしてこう書かれれば、不謹慎ながらもそういう気持ちになるだろう、と思えるものであった。


 島川の妻の遺体の無残さは、各家々につたえられた。それは、家族たちに激しい恐怖と悲しみをあたえたが、同時にかれらにひそかな安堵もいだかせていた。遺体の大半が失われていたことは、羆が十分に食欲をみたしたことを意味している。山林中に羆の姿がみえなかったのは、羆が飽食して山中深く去ったためだと想像された。


 ルポやノンフィクションは事実を出来るだけ正確に伝える必要があるので、そこにある人の感情は推測の域を出ないものであれば、排除した方がいい。物語ではないからだ。淡々と事実を伝えていけばいい。しかし吉村さんの小説は事実はもちろん、人としてその時感じたことを、誰でも、そして今でも推測できる感情を語る。これこそ吉村さんの歴史小説の醍醐味ではないだろうか?ルポやフィクションでは語られないそんなものを書きだしてみる。
 羆に対して人間が無力であるこことを感じたときには、次のように書かれる。


 奇妙な感慨が、区長の胸に湧いた。かれは、呼吸をし血液の循環しつづけている自分の肉体の存在を強く意識した。それは、生まれてから食物の摂取によって成長し維持されてきたが、一頭の野獣によって呆気なく死体という物質に変質されるかも知れない。しかも、羆にとって自分の肉体は一個の餌としての意味しかない。


 人々は、未開の地に村落を形成した。かれらは、荒地をひらいたが、土地は、逞しく張った木の根や石塊でかれらの鍬をこばもうとし、冬の寒気と積雪でその生活をおびやかした。それを当然のこととしてかれらは苦痛に堪え、自然にさからうこともなく生きてきた。
 しかし、自然はかれらに大きな代償を強いた。先住者である羆を擁護する立場に立ち、村落の者たちを容赦なく死におとし入れた。それは、村落の者に対して加えられた制裁のように思えた。
 男たちは、自分たちのつつましい努力が自然に無力であることを感じた。土地を開墾し草囲いの家の中で寒気をしのいできた日々が、結局は無為なものであることを知らされたのだ。


 羆の恐ろしさに対して唯一対抗できる銃が、それまで使ってこなかったので、使い物にならなくなった時には、次のように書かれる。


 かれらの心の支えとして残されたのはわずかに銃のみになったが、それもかれらには心許ない存在になっていた。前日に山林内で羆の姿を認めた時、五挺の銃のうち四挺は不発であったし、その夜も至近距離で発砲した射手の銃からも弾丸は発射されなかった。すべての銃がその機能をしめしてみせたのは試射の時のみで、羆になんの痛手も与えなかった。


 そして応援に来た警察官や警察の要請で駆けつけてきた他の村の人々は、自分たちに任せろ、みたいな、それこそみんなで狩りに参加するような気分で最初は意気込んでいたものが、実際に羆に遭遇したわけでもないのに、羆影に怯え、尻込みする。その光景を見てしまった村民の気分も、たぶんそうだろうなあ、と思わせる。


 警察組織の中から派遣されてきた分署長と若い警官が、自分たちと変わらぬ人間であることは淋しかった。


 男たちは、あらためて羆と対抗できるのは羆撃ち専門の老練な猟師以外にないことを知った。


 救援にきた二人の警官と百数十名の他村の者たちにはそれを果す力はなく、六線沢、三毛別の者たちも同じように無力である。集団の力に絶望し、銀四郎という五十歳を越えた男に希望を託そうとすることは不自然かもしれないが、かれらには他に頼るべきものもなかった。


 小説ではクマ撃ち専門の猟師である山本兵吉のこと山岡銀四郎として銀オヤジと称され、暴力的で酒癖の悪い男として描かれる。しかし山道の案内として銀四郎について来た区長は、銀四郎の違う顔を見る。クマ撃ちとして恐怖、クマを撃つことが生活の糧であった男の悲哀さを感じ、それを紛らわすために酒に溺れ、暴力的になるのではないかと思うのである。


 区長は、羆を仕とめた折りにふりむいた銀四郎の顔を思い起こしていた。その顔には血の気がなく、区長は初めて羆撃ちの名手といわれているかれが、死の恐怖とたたかいながら羆と対したことを知った。
 その顔を眼にした区長は、かれの生活をのぞき見たように思った。銀四郎が羆に対して非力な存在であることを自覚しながら、銃一挺を頼りに羆を斃して生きてきたことに気づき、銀四郎に物悲しさも感じた。
 銀四郎が酒を飲んで荒れるのは、胸に巣食う悲哀をいやすためにちがいない。


 こういう描写は小悦ならではのものだ。
 最後に仕留められた羆を銀四郎が村民に食べさせる場面がある。蛋白源に恵まれぬ貧しい食生活をしているかれらは、羆の肉を口にしたかったが、眼前の肉を食う気になれなかった。

 「この肉を食べるのかね」

 「そうだ」
 銀四郎が、即座に答えた。
 男たちは顔をゆがめ、頭をふった。
 「その通りだ。島川と斎田のおっかあを食ったクマの肉が食えるかね」

 「お前らは、仕来りを知らないのか。人を食ったクマの肉は、出来るだけ多くの者で食ってやらねばならぬのだ。どこの村でも、村の者を食い殺したクマを仕とめると、必ず村人総出でその肉を食う。それが、仏への供養だ」

 村民は最初は躊躇していたが、少しずつ肉を口にするようになった。供養もそうだが、羆の肉がここでは本当に貴重な蛋白源であるほど、過酷な生活をしていた彼らを感じさせる描写である。


吉村 昭 著『羆嵐』 新潮社(1977/05発売)
by office_kmoto | 2016-02-16 08:02 | 本を思う | Comments(0)

羆 その2

 吉村昭さんの『羆嵐』というこの三毛別羆事件を扱った小説である。私はどう勘違いしたのか、この熊嵐を羆の襲撃が立て続けに起こったため、それを嵐に見立てて、熊嵐としたものだ、と思っていた。ところがそれは違う。
 羆が山本兵吉に射殺された羆が山から里に橇で下ろされるとき、大暴風雪となった。木村盛武さんの『慟哭の谷―北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』に次のようにある。


 橇を引きはじめてほどない十時三十分ごろだった、それまでの青空は一天にわかにかき曇り、一寸先も見えない大暴風雪となった。この日の最大風速は四十メートルとも五十メートルともいわれている。森林は波のように大きく揺らぎ、巨木が次々と倒れていった。人々は橇をはさんでアリの列のように、吹雪の中をはうように進んだ。


 このように北海道北西海岸を襲った大暴風雪は、夕刻にはやや衰えをみせたが、翌15日も止むことなく続いた。三毛別地方の農民は、これを「熊風」と呼び、後世まで長く語りつがれることとなった。「熊の暴挙が天の怒りに触れ、昇天を阻んだため」とか、「熊の怒りが嵐を呼んだから」とか、農民たちはささやいた。


 ところで撃ち取られた羆が里に下ろされ、大人に交じって熊に何度も棒で叩いた少年がいた。大川春義という人だ。後にこの人が農業を営むかたわらマタギとしてその名を馳せるようになったのは、当時のことが強烈な衝撃となってその報復を誓わせたからであった。
 大川さんは死者一人に対し熊十頭を撃つというのが当初の悲願であった。新聞の記事には次のようにある。


 巨大ヒグマ「袈裟懸(けさが)け」による惨事を目の当たりにし、生涯を熊撃ちに捧げた男がいた。討伐隊が本部を置いた家の息子、大川春義さん(故人)だ。集落に運ばれてきた死骸を春義少年は大人に交じって何度も棒でたたき、弔いの「熊百頭退治」を誓った。けが人を含め犠牲者は10人、1人につき10頭。21歳で猟銃を手にし、46年後の1977年5月に悲願を成就した。
 その夏、事件現場に近い三渓神社に熊害(ゆうがい)慰霊碑を建て、命を奪われた7人の名を黒御影石に刻んだ。碑文には「子供心にも惨事の再来を防ぐ為(ため)、一生を賭して熊退治に専念し、以(もっ)て部落の安全を維持するは己れに課せられたる責務なり」とあり、小さな胸に刻んだ決意がにじんでいた。 (「熊嵐をたどって」第2回)


 このように大川さんの偉業は熊の捕獲数だけでなく子ども時目撃した羆の犠牲になった人たちを祀る慰霊碑を、その氏名を記して自費で建立し、寄贈したこともある。
d0331556_6391722.jpg その大川さんをモデルにした小説が吉村昭さんの短篇にある。「銃を置く」である。ここでは大川さんは弥一郎となっている。
 弥一郎の父与三吉は三毛別の区長であった。
 

 悲惨な事件の記憶は与三吉の胸に深くきざみつけられ、殺された者たちの位牌をつくって線香を絶やさず、生まれつき気性の強い弥一郎に、
 「成人したら熊撃ちになって、六線沢で殺された七人の供養をしろ」
 と、口癖のように言った。


 父は、弥一郎に、
 「死んだ七人の一人十頭ずつ、七十頭のクマを撃て」
 と、きびしい口調で言った。


 これが大川さん(弥一郎)の目標となった。小説では七十頭目の熊を仕留めた時、かれは山中に入るのをやめるつもりでいたが、その記念会や感謝状を贈られたとき、自分の決意とは別に、ここまできたら百頭仕留めるべきだと励まされ、彼もその記録を達成するまで猟を続けようと思う直す。
 しかし六十歳を過ぎた頃から、山を下るとき激しい疲労を感じ、銃の重みにも苦痛を覚え、百頭は無理かもしれない、と何度も呟きはじめる。
 そして百頭目を仕留めた時、


 弥一郎は、ライフル銃を手に熊笹を踏みしめながら歩いていった。
 二百メートルほどはなれた位置からの発射だったが、かれは、銃弾が羆の胸に吸いこまれるように食い入ってゆくのを感じた。確かな手ごたえであった。が、長年の習性で、かれは熊が生きていることも予想し、引金に指をあてたまま、慎重な足どりで倒れている熊に近づいた。
 かれは、足をとめた。七十貫近くの羆で、弾丸は肺臓に命中していて、鼻孔から血が流れ、掌がひらき爪も伸びている。毛の色艶が良いが、他の雄と雌を争った時の傷なのか、片方の耳が半ば千切れていた。
 緊張をといたかれは、近くの大きな石に腰をおろし、羆を見つめた。百頭目の羆を射とめたことに満足感をおぼえたが、念願を果たしたと思うと、筋肉がゆるんだような疲労も感じた。
 かれは、山中に一歩でも足を踏み入れると、煙草をすわない。煙の匂いが羆に気づかれることをおそれるためだが、今度は羆を追うことはないのだから禁を破ってよいのだ、と自ら言いきかせ、リュックサックから煙草を取り出し、マッチを擦った。


 百頭目を仕留めた時、弥一郎は息子にライフルを渡した。
 町では百頭記念の感謝状と記念品を受けたが、その時熊が町に出て来た。もう銃を置いた弥一郎に子ども頃の悲惨な記憶が甦る。自信はないが気力を奮い立たせ、挑んだ。


 「やってみましょう。ただし、これが最後です」


「銃を置く」(吉村 昭 著 『海馬』 新潮社(1992/06発売)新潮文庫に収録)
by office_kmoto | 2016-02-14 06:43 | 本を思う | Comments(0)

羆 その1

 朝日新聞の夕刊に連載されている「をたどって」シリーズで、「熊嵐をたどって」(全5回)があった。これは北海道三毛別で起こった羆が村民を襲った史上最悪の事件を扱ったものだ。記事を見てみたい。第1回は次のように始まる。
 
 
 事件は1915(大正4)年12月に起きた。惨劇の舞台は日本海に面した北海道苫前(とままえ)町の中心部から内陸に約24キロ入った三渓地区(旧三毛別〈さんけべつ〉)。六線沢と呼ばれ、15戸の開拓農家が入植した御料農地を巨大な1頭のヒグマが6日間にわたって襲った。
 最初は9日の朝だった。主人の留守中、妻と預けられていた子どもを殺し、10日夜には2人の通夜の席を襲った。さらに近隣の人たちが避難していた下流の家も襲撃し、胎児を含む5人を殺した。人々が去っても家々を荒らし、残った遺体を食った。
 討伐隊が組織され、14日の朝、射殺された。仕留めたのは熊撃ち名人の孤高のマタギだった。推定7~8歳のオスで、重さ約340キロ。胸元から背中に「袈裟懸(けさが)け」と呼ばれる弓状の白斑があった。


 私はこの事件を吉村昭さんの小説『熊嵐』で知っていた。ただこの羆による惨劇の全容を明らかにしたのは、事件後だいぶ後になるらしい。


 全容が初めて世に出たのは50年後だ。地元の旧営林署に勤務していた木村盛武さん(95)=札幌市在住=が「獣害史最大の惨劇苫前羆(ひぐま)事件」として旭川営林局誌に発表した。事件の凄惨(せいさん)さと忌まわしさから残された資料は乏しく、人々が口をつぐむ中、4年をかけて数少ない生存者や子孫を探して証言を集め、図解や写真を添えてまとめた。


d0331556_17295690.jpg まずはこの木村さんの書いた 『慟哭の谷―北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』を読んでみた。
 この本は二部構成になっている。一つはこの羆の襲撃事件の全容。そして後半はその外の熊害を明らかにし、熊が人間を襲うのはどういう時か。その熊とどう付き合っていけばいいのかを語っている。今回は後半部に関しては省略する。
 さて事件の概略は先に新聞の記事を引用した通りだが、この本ではより具体的に記述されている。
 人里離れた開拓部落では、河も雪に埋もれ使えなくなる。そこで氷橋(すがばし)という橋を河の上に作る。その作業を村民みんなで行っていた。この日(大正4年12月9日)、太田三郎もその作業に加わっていた。太田家では妻のマユ、寄宿人の長松要吉(通称オド)、三郎夫婦が預かっていた子供幹雄がいて、この日家にいたのは妻のマユと幹雄だけだった。
 オドが帰って来たとき、囲炉裏の片隅に幹雄が前屈みで坐り込み、声を掛けてもじっとしたままだった。


 -返事がない。オドは幹雄の肩を揺すりながら顔を見た瞬間、ハッと息を飲んだ。
 幹雄の顔の下には固まった血が盛り上がり、しかも喉の一部は鋭くえぐられているのだ。さらに側頭部には親指大の穴が開き、すでに息はなかった。


 太田の妻マユがいない。


 その血糊の手形やおびただしい血痕からみて、抵抗しながらも激しく逃げ回った様子がうかがえた。どうやらマユはその場で一部食害されたらしく、夜具は、おびただしい鮮血に染まっていた。熊は入り込んだ場所からマユをくわえて連れ去ったらしい。窓枠には頭髪が束になって絡みついていた。足跡は血痕とともに向かいの御料林に一直線に続いている。


 村民たちはマユを探し始める。捜索隊は林内を150メートルほど進んだところにあるトドマツの根元あたりが黒く盛り上がっていた。熊は近くにいたが、捜索隊が発砲したあと去って行った。もう一度トドマツの辺りへ捜索隊は向かった。


 熊の姿はすでになく、血痕が白雪を染め、トドマツの小枝が重なったところがあった。その重なった小枝の間からマユの片足と黒髪がわずかに覗いている。くわえられてきたマユの体はこの場所で完膚なきまでに食い尽くされていた。残されていたのは、わずかに黒足袋と脚絆をまとった膝下の両足と、頭髪を剥がされた頭蓋骨だけであった。衣類付近の灌木にまとわりつき、何とも言えぬ死臭が漂っていた。誰もがこの惨状にただただ息を飲むばかりであった。
 夕刻五時ごろやっとマユの遺体は太田家に戻った。



 太田家では幹雄とマユの通夜が行われたが、この時羆は太田家を再び襲った。


 幹雄の母チセは、肩をおとしながらも持参してきた清酒を参列者に注ぎ回り、二回目の二人目に注ぎ足そうとしたそのとき、ドドーンという物音とともに遺体を安置した寝間の壁が打ち破られ、黒い大きな塊が立ちはだかった。居合わせた誰もが、無残な死を遂げた二人の亡霊が出た、と直感した。
 たちまちランプが消え、棺桶はひっくり返されマユと幹雄の遺体が散らばり、異様なまでに生臭い息づかいがあたり一面をおおった。
 「熊だ!」


 羆は太田家を襲い損ねた。ただ“熊は獲物があるうちは付近から離れない”
 わずか十数分後、明景安太郎家を襲った。まず妻のヤヨを襲い、顔と頭に咬みつく。さらにここの家が安全ということで非難してきた太田家の寄宿人オドの腰に襲いかかり、オドの腰の辺りに激しく咬みつき尻から右股の肉をえぐりとり、右手に爪傷を負わせる。さらに羆は明景安太郎の三男金蔵を一撃で叩き殺し、やはり同じように非難してきた斉藤石五郎の三男巌、四男春義を襲う。春義はその場で叩き殺された。さらに熊は斉藤の妻タケを見つけ襲いかかる。


 執拗な熊はタケを見つけ、爪をかけて居間のなかほどに引きずり出した。タケは明日にも生まれそうな臨月の身であった。
 「腹破らんでくれ!腹破らんでくれ!」
 「喉食って殺して!喉食って殺して!」
 タケは力の限り叫び続けたが、やがて蚊の鳴くようなうなり声になって意識を失った。
 熊はタケの腹を引き裂き、うごめく胎児を土間に掻きだして、やにわに彼女を上半身から食いだした。


 明景安太郎の長男力蔵は穀俵に身を隠して、この悲惨な光景を、そして熊が立てる音を聞いていた。


 力蔵は隠れながら、むごたらしい殺戮の音を聞くまいとした。だが聞くまいと焦れば焦るほど、断末魔のうめき声と救いを求める婦女や子どもの叫び、人骨を咬み砕く音が耳を打った。また、見るまいと思っても、熊は目と鼻の先、顔はいつしかそちらに向いてしまうのであった。
 バリバリ、コリコリ・・・・・・
 あたかも猫が鼠を食うときのような、名伏しがたい不気味な音がする。と同時に、耳打つフウフウという激しい息づかい、そして底力のあるうなり声。力蔵は恐怖に全身が硬直して声も出せず、やがては自分の番だとあきらめきっていた。


 羆は討伐隊を尻目に悠然と暗闇に消えた。
 大討伐隊が組織されたが惨事から三日経っても熊の姿を捉えることができなかった。ここで熊狩り本部は一大決断を迫られる。


 「林内には餌がない。狙われるとすれば開拓小屋と遺体以外にない。熊は飢えているから必ずやってくる。この際心を鬼にし、遺体を囮にする以外に手はない」


 襲われた六遺体を囮にして羆を撃とういうのである。食べ物を餌にして獲物を引き寄せる方法は確かにあったが、まさか遺体を餌にしてしまうのは、これ以上仏に苦しみを与えあるのは忍びないという意見もあったが、事態は一刻の猶予もなかった。しかし遺族は反対しなかった。いや出来なかった。それほど事態は深刻化していたのである。
 果たして羆は姿を表したが、様子を察したのかそのまま暗闇に消えた。

 熊撃ちの一行に「宗谷のサバサキの兄」というあだ名を持ち、常に軍帽をかぶり、日露戦争の戦利品という銃を駆使して山野を歩き回っていた山本兵吉がいた。彼は鬼鹿村は温根の沢の住人で、鉄砲撃ちにかけては天塩国にこの人在りと評判の高く、“宗谷あんちゃん”と親しまれていた彼は若いころ、樺太で熊をサバサキ包丁で刺し殺したことから「宗谷のサバサキの兄」と呼ばれていた。
 彼は羆を見つけた。山本は銃を二発撃ち、弾は羆の心臓近く、頭部を貫通し死んだ。


 熊の様相たるや、苦痛に悶えて食いしばった顎は舌を咬み、頭部の金毛を朱に染めて怒髪天をつくの感があった。熊は金毛を交えた黒褐色の雄で、身の丈二・七メートル、体重三百四十キロもあり、胸間から背にかけて、袈裟掛けといわれる弓状の白斑を交えた大物である。推定七、八歳、前肢掌幅二十センチ後肢掌長三十センチ、その爪はまさに鋭利な凶器であった。頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。これほど特徴のある熊を誰も見たことはないという。
 隊員たちは仇討ちとばかりに、棒や刃物で殴りつける者、蹴りつける者、立ち乗りして踏んづける者、口を開けてなかを覗き込む者、果ては肛門に棒きれを突っ込む者まで出た。憎しみを込めた仕置きは熊が仕止められた現場から引き出されまで間断なく続けられた。


 この事件を著者が検証をしているが、この羆の恐ろしさがよくわかる。抜き出してみる。

 1.火煙や灯火に拒否反応を示さない
 2.遺留物があるうちは熊はそこから遠ざからない
 3.遺留物を求めて何度でもそこに現れた
 4.食い残しを隠蔽した
 5.最初に味を覚えた食物や物品に対する執着強い。トウキビが四度も集中的にねらわれたことや、婦女子の衣料がことさら被害を受けた
 6.行動の時間帯に一定の法則性がない
 7.攻撃が人数の多少に左右されない
 8.人を加害する場合、衣類と体毛を剥ぎ取る
 9.加害中であっても逃げるものに矛先を転ずる
 10.厳冬期でも、冬ごもりしない個体は食欲が旺盛
 11.手負い、穴持たず、飢餓熊は凶暴性をあらわにする


木村 盛武 著 『慟哭の谷―北海道三毛別・史上最悪のヒグマ襲撃事件』 文藝春秋(2015/04発売) 文春文庫
by office_kmoto | 2016-02-12 11:46 | 本を思う | Comments(0)

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 私が今寝起きしている一階の部屋は、義父や義母が生活していた場所だが、二人がいなくなって、しばらくは誰もここで生活をしなくなった。
 家というのはそこで暮らす人がいなくなると、とたんに古ぼけてくる。痛みが出てくる。もちろん掃除はしていたが、動かなくなるものも出てくる。部屋の隅には蜘蛛の巣が張っていたりする。このままだとまったく一階は使えなくなるので、私が二階から下りて来た。
 一人でもそこで寝起きしていると、部屋は生き返る。もちろん細かいメンテナンスもしたし、掃除もこまめにしている。
 ただ掛け時計だけはどうしようもなかった。それぞれの部屋にある時計がみんな狂っている。進んでいたり、遅れていたり、正確な時刻を刻んでいるものはなかった。
 できるだけ部屋も部屋にあるものも、義父たちが暮らしていたままにしているので、時計もそのままにしていた。まあ正確な時間を刻まなくてもそれぞれの時計が5分進んでいる、10分遅れているとその状態を把握していれば、その時刻から逆算すればほぼ正確な時間がわかるから、問題ないといえば問題ない。それに時間に追われる生活をしている訳ではないので、そのままにしていた。

 甥っ子の結婚式の内祝いのカタログが届いた。今はこうしたお返しの仕方が一般的になっているようで、重い引き出物を持って帰るのを考えれば、これはこれで有り難い。
 こういうのってちょっとわくわくしながら何かないかな、と見繕うが、たいていはなにもない。ほとんどが家にある。といって何も申し込まないのももったいないし、失礼だから、妻と考えて、掛け時計をもらうことにした。今流行の電波時計にした。それを一階の掛け時計と替えた。
 式のときに引き出物としてもらったカタログと、後で結婚式の写真を整理して送ったお礼ということで、またカタログが送られてきたので、2台申し込んだ。
 今はこの2台の掛け時計が居間と和室にかかっている。仏間にはそれまであった時計の内、何とか正確な時間を刻む時計を1台残した。時計は捨てずに電池を抜いてしまっておく。
 正確な時刻を刻む時計はやはりいいものだ。どこか引き締まる気がする。時間が正確でないというのは、どこか間延びしてしまうのかもしれない。それに今の時計のデザインは洗練されているから、部屋のいいアクセントになる。
 時計が正確な時刻を刻むようになってから、また部屋が生き返ったような気がした。(2016年1月16日)
by office_kmoto | 2016-02-09 04:55 | 余滴 | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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