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山口 瞳 著 『少年達よ、未来は』

d0331556_632835.jpg 前回山口さんの判断基準が好きか嫌いかで判断されるのではないか、と書いた。今回それを自ら語られている。


 私には「好き」か「嫌い」か「都会人」であるか「田舎っぺ」であるかという尺度しかなかったが、だんだんプロであるかアマであるかという、もうひとつの尺度が加わるようになったのである。(プロと人殺し4)


 それだけではない。スマートであるかどうか。不自然じゃないかどうか。みっともなくないかどうか。ここで山口さんの師匠である高橋義孝さんの言葉を繰り返す。


 「山口くん、人生というものは短いものだ。あっというまに年月が過ぎ去ってしまう。しかし、同時に、どうしてもあの電車に乗らなければならないというほどには短くないよ・・・・・・それに、第一、みっともないじゃないか」(少年達よ、未来は)


 そういう視線で物事を見ているが、山口さんの視線はどちらかと言えば「小市民的」であり、「瑣末主義」的なところがあるので、滑稽である。まあ大上段に構えて物事を論ずる輩よりははるかにいい。少々偏見もあるが。それが面白い。


 私は偏見の多い人間である。他人からもそう言われるし、自分でもそう思う。(ショック)


 ただ私は山口さんの言うことは身近に感じる。それらを書き出してみる。


 「若さというものは、禁止事項が少ないということではないか」


 こんなふうに、中年とは、禁止事項を設けて生活をせばめてゆくことではないかと思われる。(禁酒考)


 釣りの好きな人は気が短いという。のんびりと釣り糸を垂れているのではなくて、いまかいまかと思ってウキをにらんでいるのだそうだ。
 植物の好きな人間にも同様のことが言えると思う。心がざわざわする。のんびりと桜の枝を眺めているのではなくて、いまかいまかと蕾を睨みつけているのである。
 梅が終り、木蓮と辛夷が咲き、その他もろもろの花がいっせいに咲き、桜になる。とても落ちついていられない。
 仕事をしていても、ついつい庭のほうを見てしまう。違った角度から花を見てみたいと思う。そうやって、ついつい庭へ出てしまう。ちょっとだけ土盛りをしてやったりする。
 そうでなくても、私は、庭に植木を植える空間が残っていると落ちつかない。びっしり植えてしまわないと気が済まない。植木屋は、この庭は、十年経つとよくなるといったようなことを言う。とてもそんなに待ってはいられない。


 庭に植木があるということの有難さは、それによって一年の移り変りがくっきりとわかることである。(春)


 このことはよくわかる。この頃毎日庭の植木を眺めていると、早く暖かくならないかな、とか、花が咲くイメージを思い浮かべることが度々である。そして何度も書いているが、そうした植木の変化は確かに一年の移り変わりを実感してしまう。

 庭に空き地があると何か植えたくなるというのは、気持ちとしてわかるが、ただ狭い庭にいっぱい植え込んでしまうと、栄養が行き届かなくなるし、陽の当たらないものも出てくるだろうから、それは自重している。
 このように「庭に植木を植える空間が残っていると落ちつかない。びっしり植えてしまわないと気が済まない」というのはチャペックの本にもあった。園芸家はせっせと空き地を探してしまう習性がある、と書いていたはずだ。


 私たちが結婚することになったとき、先輩が、こう言った。
 「夫婦が、夫婦としてレールに乗るようになるには十年かかる。隣に寝ている女が俺の女房だと思うようになったのは十年後だった」
 いまから思うと、本当にその通りである。私もそう思う。
 それ以後の夫婦を支えるものは他者である。外的なるものである。夫婦以外の何かが夫婦を支えるようになる。
 共同の敵が夫婦を支える。たとえばそれは病気である。貧困である。戦争である。あるいは子供である。親類縁者である。友人たちである。
 夫婦愛というようなものに実体はないと思う。それは幻である。(やれやれ二十年)


 ところでこの本の「創作の秘密」では、このシリーズの絡繰(からくり)が書かれている。どういうことかというと次に上げる3つのスタンスでこのシリーズを書いていると告白している。
 すなわち、まず「座談会の前後」にある雑談の方が実際の座談会よりも真実があり、面白いということがある。言ってみればちょっとした裏話とか曝露話の方が好奇心がわく。それを書く。
 第二にもともと浅学菲才だから、死んだ気でぶつかって書く。
 そして第三に追悼文を先に書いてしまいたい、ということである。つまり亡くなった人の追悼文って悪いことは書かない。けれど当の本人は死んでいるから、その人に伝わらない。だったら惚れている人には惚れていると先に書いてしまいたいというのである。それに戦中世代の者の常として、明日をも知れぬという思いがいつもつきまとうので、だったら言いたいことは全部言ってしまえと言うのである。自分にとって遺言状のつもりで書きたいと言う。


山口 瞳 著 『少年達よ、未来は』 男性自身シリーズ 6 新潮社(1970/08発売)
by office_kmoto | 2016-03-30 06:35 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『壁に耳あり』

d0331556_610489.jpg このシリーズをここまで読んで思うことは、山口さんは好きか嫌いかで物事を考えるところが多い。そこからいろいろ話を展開していく。
 まあ誰でも嫌いな物は嫌いだし、好きな物は好きなのだが、山口さんの場合、生理的に嫌いな物にものを言う。ただそこには確固たる理由がないときもある。どちらかと言えば感覚的にものを言うところもある。だからときに理詰めで物事を考える人にとっては、その判断理由が曖昧なので納得出来ない場合がありそうだ。しかも厄介なことにそうした判断基準?というのは、その人の経験則で来ている場合多い。だからある程度疑似体験したことがある、それこそ歳を重ねてきた人々には共感を呼ぶ。でなければおじさんが読む週刊新潮にこれほど長く連載されて来なかっただろう。似たような経験を積んできた人や、同世代の人にとっては、それはわかる。それがこのシリーズの面白さではないか、と思う。
 最近よく思うのだが、本ってその人がその年齢にならないと実感できないことって多いんじゃないか。だからこのシリーズのように若い時に読んでも、ぱっとしないことが、今ならわかることが多い。もちろん逆もあるだろう。若い人が書いたことが私には理解できないことだってきっとあるはずだ。ただ私はそんな若者の書いた本を読まないからそれがわからないだけだ。
 で、その私が、“わかる”と頷いてしまったことを書きだしてみる。


 騙されるというのは、こっちにも欲があるから騙されるのである。(詐欺)


 私ごとき者にも、子供の教育をどうしたらいいのかという質問が寄せられることがある。子供が悪くてどうしたらよいかわからないという相談をうけることがある。私は、いつでも、こう答える。
 「それは言葉です。いい言葉をつかわせるようにしなさい」
(略)
 私には、そのほかのことはわからない。それでいいと思っている。猫っ可愛がりが一番いけない。わるい言葉をつかったときには、すぐ叱らないといけない。
 そのかわり、子供がいたずらしても、失策をしても叱らない。極論するならば、高校生になったら酒を飲んでも煙草を吸ってもかまわぬと思う。暴力教室をなくす近道はこれだと思う。そのかわり、親や教師に対して失敬な言葉づかいをしたときは、ぶん殴るべきだと思う。
 私は、乱暴で生意気な言葉をつかう子供たちを「現代っ子」などとおだてる教育者や、それを自慢したりする親たちがいるという風潮に腹がたってならぬのである。(言葉)


 私は、男が男らしく生きるために第一に心がけねばならぬことは「主人持ち」にならぬということだと思う。男の主人は、彼自身でなくてはならぬ。「主人持ち」というのは文字通り、女房ことである。
 第二は、筋を通すことではないか。
 第三は、物を値切って買うなということである。値切るのは女の役目である。物を正当に評価することだと思う。(淋しい)


そんな男らしい男を観察すると、


 彼等を支えているものは、一種の「無常観」といったものではないかと思われる。


 と書く。おそらくたくさんの修羅場を見てきた男にとって、どうにもならないことがたくさんあり、諦めるしか方法がないことだってある。それがいわば無常観となって、その男の人生観みたいなものを形成していく。そんな中で生まれた「男らしさ」とはこう言うものだ、と言っているような気がする。


 田舎者というのは、ガツガツしている男、目先のことばかり考えている男、世のため人のためではなく「てめえのために」だけを考える男という意味である。(理想)


 山口さんのこのエッセイにはよく「田舎者」という言葉が出てくる。ことわるまでもないが、この場合の「田舎者」とは都会以外の地方に住んでいる人を指すのではない。


 日本と外国の差異は、一にかかって、日本には国境がないというところから生じてくる。日本には民族問題がない。宗教問題がない。階級がない。
 従って、世界観やら自分の考えやら頑固やらが生じにくいところがある。(外国人)


 私小説を書くということは、すでに他人を傷つけることである。(かにかくに)


 未来は漠然と無限にひろがっているのではなくて、確実に、むこう側に壁があるのである。そのことを認識しなければいけない。
 逆に、むこう側から計算しなければならないと思うのである。そう思って、桜も月も紅葉も大事にしないといけない。見定めておかないといけない。
 そういうと日常の生活が固苦しく息づまるようになると思われるかもしれないが、決してそうではない。
 あと七年だと思ってしまうと、厭なことやりたくない。厭なものは見たくない。厭な奴とはつきあいたくないと考えるようになるから、かえって生活は安気になる。のんびりする。(ハナウタ)


 弱い者に確実に勝つ、あるいは弱い者に勝つことに情熱をもやすふうでないと勝負の世界はつとまらないそうだ。そのためには、常に、弱いと思われて男を研究しなければならないという。逆に、いったん追い越されたら、追いつけるものではない。
 弱きを挫くという言葉は、強きを挫くよりも遙かに真実感がある。現実的に有効だと思われる。(弱きを挫く)


 ところでひとつ気になった風景描写があった。


 御茶ノ水駅を出てすぐ左側の神田川の縁に何軒かの家が建っている。電車から見ると、この家を裏側から眺めることになる。さしさわりがあったら許していただきたいのだけれど、私はそこを通るたびに、それを見るたびに、ああ、あれが人間の住居なのだなと思うのである。ということは、ああいう所に住んでみたいと思うということである。
 おそらく、表側から見ると、すなわち都電通り見ると、かなり堅固な、普通の二階建屋なのだろう。裏から見ると、それが三階建にも四階建にも、また五階建にも見える。上にも下にも継ぎ足していったものだろう。折り重なって建っているように見える。(住居)


 JRの総武線を使っていると、この神田川沿いに建っている家が目に入る。そしていつも気になっている。
 こうして言われてみれば、確かにあそこに建っている家々はあの場所で暮らしている内にあのような家の形になったのではないか、と思わせる。だから「ああ、あれが人間の住居なのだなと思うのである」というのがよくわかる。人が暮らしているというのを実感させる。私も「何か濃密なるものが立ち籠めているという意味あいで言っている」
 しかし山口さんはそこに住みたいなら住めばいいではないか、と言われると、おっかないからできないと言う。確かに地震のときはさぞかし恐ろしいだろうし、火事も下から燃えてきたらひとたまりもない。川べりなので悪臭もひどいだろうし、騒音もひどいだろう。地面の下には地下鉄が走ってもいる。
 でも昔その川沿いの建物にあるバーみたいなところに友人と入ったことがあるが、窓から電車が通るのがよく見えた。眺めとしては良い場所だ、という記憶がある。電車が好きな人にはたまらない場所に思えた。


山口 瞳 著 『壁に耳あり』 男性自身シリーズ 5 新潮社(1969/06発売)
by office_kmoto | 2016-03-26 06:14 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『父のステッキ』

d0331556_8271270.jpg こういう週刊誌の連載エッセイは世相を反映する。ときにここまで言っちゃう?、なんて、今のもの差しから考えれば、それはアウトでしょうと思うところもある。けれどよくよく読んでみると、言っていることは正論である。
 でもこういう言い方が許されるのは、この時期がおおらかな時代であったということではないかと思う。逆に今はそれだけ神経質にならなければならないほど、窮屈な時代になってしまったということか。寛容の範囲がどんどん狭くなっていく感じがしてしまう。
 気負らず、頑固爺がもの申すのだが、でも言った後自分をふり返ってそこまで言っちゃっていいかな、と反省したりする。その人間臭さがいい。何だか不思議なんだけれど、このシリーズ読んでいてホッとしてくる。安心して読んでいられる。


 遊ぶということも、これまた大事業である。(なんの糸瓜)


 総じて「頑固一徹」とみられているひとは、その根に「実生活上の不器用」があるのではなかろうか。鈍ではなくて、そのことに敏感すぎるあまりに、自分の廻りに垣根をつくってしまうのではなかろうか。(白痴)


 すなわち、事業とは必ずある種の正義観に支えられている。あるいは一種のオセッカイである。(遺伝的)


 私は、生きるということは、そういうバカバカしさを敢えて行うところにあるのではないかと思うのである。(不思議な家)


 この「男らしさ」は、一種の「痩せ我慢」と考えてもらってもよい。(女)


 酔ってくると、私には、すべての人が、世の中全般が、たとえば男女のことにしたって、仮り末代に思われてくるのである。どんなときでも、誰にとっても、こころならずともというのが、実は、本心なのではあるまいか。(仮り末代)


 仮り末代のことは以前書いた。でもあらためて読んでみると、やっぱりしみじみしてしまう。
 人生の哀しみの部分を感じてしまう。だから馬鹿なことでもしなければやっていられないところがある。人が長いこと生きてきた中で経験したペーソスをこのシリーズで味わっている。特に戦争を体験してきた人の話は心打たれる。
 

 「その通りだ。俺も親馬鹿だし、溺愛している。俺たちの親があんなふうだったろう。だから駄目なんだ。それと、ああいう時代を通って、やっとここまで生きてきたろう。その生きているという証拠が、この子なんだ。有り難いと思う。この子が生れたとき、つくづく有り難いと思った。『子を持って知る親の恩』ではなくて『子を持って知る子の恩』なんだ。生きている証であると同時に、この子が生れたときに、戦争になってはじめて俺は力一杯生きていこうという気になった。この子は俺の恩人なんだ」(子の恩)


山口 瞳 著 『父のステッキ』 男性自身シリーズ 4 新潮社(1968/07発売)
by office_kmoto | 2016-03-22 08:30 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

国立がんセンター余話

 南木佳士さんの短篇に次のようにある。


 腐臭の漂う父の周囲には、滅んでゆくものが発する特有の負の気配があり、その場に入ると、だれでも元気を失う。拠って立つ足もとの不確かさを思い知らされる。やがて、廊下ばかりでなく、壁や床を伝わって家中に腐臭が浸透してきて、みなの表情から笑顔を奪う。
 人は必ず死ぬ。
 それを認め、意識し続けるのはとても大切なことだと子供たちも分かっているようだったが、大事なことだらけの日常は隙間がなくて息がつまる。よほど注意しないと、ぴったり積み重ねられた、底冷えのする厚いレンガ壁の内でみな窒息する。(「ぬるい湯を飲む猫」 南木 佳士 著 『熊出没注意―南木佳士自選短篇小説集』に収録)


 この感覚25年前私の母が入院した病院で感じたことだ。病棟全体にこの腐臭が漂っていた。人間って臭うものなのだ、といやが上にも知らされた。
 今やたら香りがもてはやされているが、化けの皮を一枚剥がせば、所詮人間ってこんなものなのだ、と思い知る。
 その匂いが25年経っても忘れられない。
 母の入院した病院は、普段の生活から切り離された、ありのままの姿、形、匂いを突きつけていた。それは普段蓋をして隠してきた分、このように突きつけられると、タジタジとなった。
 ところがこの病院はそうした腐臭が一切感じられない。確かに重篤な患者がいる病室に入ったことがないから、現実はわからないけれど、何度か入ったことのある病室だってものすごく清潔に保たれていた。少なくとも病棟からはあの匂いは一切しなかった。すべてが明るい。これが単に病院の違いだけなのか。あるいは25年という歳月が、このような変化を生んだのか。
 確かに世の中すべての施設が明るく、清潔であることが当たり前のようになっている。暗く汚い、そして臭うことを嫌っている。病院もそれ例に漏れないのだろうか。
 ここに来る患者さんはガンというそれこそ死に直結する病気を抱えている人たちである。その死を感じることが出来ない。
 一階の受付カウンターでは手続きをする人、名前を呼ばれるのを待っている普通の姿の人たちが多くいる。たぶん入院のための一式が入っているだろうキャリーバックを引いている人も多く見かける。まるで空港みたいだ。
 診察室や治療室に向かう途中で、頭に毛糸の帽子を被ったパジャマ姿の患者さんを見かけるが、その患者さんさえ、パジャマ姿じゃなければ、患者さんとはわからないくらいだ。
 「QOL」という言葉がある。ここでは患者さんの生活の質に重きを置いていることを医者の話を聞いているうちにわかってくる。がんとどう付き合っていくか。その上でこれまでの生活の質を落とさないように治療していくにはどうすればいいか、それを最優先で考えると言う。
 25年前の母の時は違った。ガンを治す、この一点に重きが置かれていたような気がする。だから手術をしても、ほとんど無駄な手術であった。結果としてそう言っている。手術をし、余命がいくらか延びても、その延びた分は悲惨であった。
 今、母は手術をしても助からなかったなら、その余命のQOLを確保してやりたかったと、ここにいる患者さんなどを見て思ってしまう。それくらいここにいる患者さんは元気に見えるのであった。もちろん患者さんにはそれぞれつらい事情があることぐらいはわかっている。あくまでもうわべだけを見て母と比較している。
 けれど、それでも母の手術はしなかった方が良かったのではないか、とここに来る度思ってしまうのであった。
 もちろん25年前はそれしか方法がなかったのかもしれない。あれ以医療や薬の進歩が劇的に進んだから、今があるとも言える。そう考えると仕方がなかったのだ、と思うしかない。それがきつい。医療のすばらしい進歩を目の当たりに見てしまうと、昔が酷く思えてしまう。(2016年3月18日)
by office_kmoto | 2016-03-19 06:10 | 余滴 | Trackback | Comments(0)

前田 洋平 著 『国立がんセンターでなぜガンは治らない?―闇に葬られた改革』

d0331556_985229.jpg 私の身近にいる人が今国立がん研究センター中央病院で抗ガン剤の治療を受けていて、各週でここへ通院している。
 この本を手にしたのは単に「国立がんセンター」という表題の一部に興味を持ったからである。正直なところここでの改革がどんなものだったのかを知りたいと思った訳ではない。単にこの病院がある意味を知りたかったのである。


 がん治療の拠点とされる病院には、治せるという希望と同時にここで無理だったら助からないのではないかという恐怖に加え、哀しみと怒り、孤独と喧噪、あらゆる感情が複雑に交錯している。


 序章にこうあるが、たしかにここへ来る人の感情というのはこういう複雑な思いを持っているだろう。
 ところでこの国立がん研究センターの前身である国立がんセンターはひどいものだったらしい。


 国立がんセンターは2010年まで、巨額な赤字を抱え、患者から批判を浴びていた。
 国からの補助金漬けのずさんな経営体質は国会でも批判されていたし、がんの患者団体を運営しているあるがん患者は、「がん難民製造工場」だと揶揄した。
 希望を抱いて受診しても、冷たくあしらわれることも多く、絶望を抱えて病院を後にすることになるのだという。


 どうしてこんなことになっていたのか?それは、
2006年議員立法で「がん対策基本法」が成立し、その基本理念の中に「均てん化」が盛り込まれている。それがこのような状況を生み出したと著者は言う。
「均てん化」とは均霑化(生物がひとしく雨露の恵みにうるおうように、の意)。全国どこでもがんの標準的な専門医療を受けられるよう、医療技術等の格差の是正を図ることである。


 全国どこの人でもがんになるのに、住んでいる地域によって、治療の技術に差が生まれるようでは、患者は不安をぬぐえない。そこで、日本中の各地にがん治療の「拠点病院」を整備することが「均てん化」のねらいだった。


 この均てん化政策と国立がんセンターがどうつながってくるのか。すなわち国立がんセンターの役目として、「国立がんセンター中央病院及び東病院は、この指針(がん診療連携拠点病院の整備に関する指針)で定めるがん診療連携拠点病院とみなし、特に、他のがん診療連携拠点病院への診療に関する支援及びがん医療に携わる専門的な知識及び技能を有する医師その他医療従事者の育成等の役割を担うものとする」とあり、国立がんセンターは均てん化政策を推し進める役目を負っていた。
 一方で国立がんセンターの重要な存在意義は先進的ながん研究や治療を進めることもある。ところがこの均てん化は、その意義を失ってしまう結果となってしまった。


 つまり目の前の患者を救うために必要な近々の課題を見つけだし、解決するための先端研究と先進医療を追求するはずの組織が、均てん化政策を意識した標準的な医療に向かい過ぎ、先端医療を開拓するという義務を置き去りにしていたのだ。
 国立がんセンターは、自らの存在意義をなくすことばかりに力を注いでいたということになる。
 実際に国立がんセンターは、本来の大きな役目であった先端的ながん医療の研究、開発において、多くの大学病院に先手を許している。


 さらに、国立がんセンターは病院機能にも問題をかかえていた。
 がん治療だけを専門とするため、合併症をわずらっている患者を受け入れることが難しいのだ。
 高齢化が進む中で、がん患者が糖尿病や循環器疾患を併発しているのは当たり前になっている。にもかかわらず、がん以外の持病を併発した患者を診る体制が整っていなかったのだ。
 がんの治療のために国立がんセンターにやってきたところ、最先端の治療を施してもらないだけでなく、持病を抱えているからといって別の病院を紹介されれば、患者からすれば、追い返されたと感じても仕方がない。
 逆説的だが、がんセンターは、日本の医療政策に適応しきってしまったことが治療や研究レベルが、低くなる大きな要因だった。


 ここで当時民主党の鳩山由紀夫内閣が発足すると、自ら胃がんの手術をこの国立がんセンターで受けたことがある、仙石由人内閣府特命大臣は国立がんセンターの改革に乗り出す。まず理事長に山形大学医学部長で脳神経外科医の嘉山孝正に立候補を促し、国立がんセンターの改革に乗り出させる。
 嘉山は様々な改革を行っていく。嘉山は理事長就任の記者会見でこう述べている。


 「昨日、科長たちに言った。治療成績が全国ビリでも構わない、と。それは、がんセンターにしかできない患者さんを治療するから。各都道府県のがん拠点病院は標準的治療をきちんとやる。それでも治らない場合には、がんセンターが引き受けますよ、ということを掲げる。難治性がん、再発がんは、がんセンターで引き受けるので、その代わり新しい薬を使ったりするから、国民の皆さんも、その支援はお願いしたい」


 それまでのがんセンターは肩書きばかり多い複雑怪奇な組織、税金を使っていると思えないずさんな帳簿管理、得体の知れない工事とそれにぶら下がる業者、厚労省の意図する研究ばかりする研究者など、まさに国立がんセンターは厚労省の従属的な機関に過ぎなかった。
 しかしすべては「がん患者のために!」というスローガンを掲げ、真剣に患者に向き合う改革をセンター内で嘉山は行っていく。
 国立がんセンター時代668億円もの債務を抱えていたにもかかわらず。名称を国立がん研究センターと名称を変え嘉山が理事長に就任した改革初年度に25億円の黒字まで達成し、2010年度業務実績評価では国立高度専門医療研究センターの中で最高の評価を得るまでになっていった。
 さらに嘉山はがんや感染症など国民の健康に重大な影響がある疾患の最先端研究と治療を行う厚労省直轄の機関、国立がん研究センター、国立循環器病研究センター、国立精神・神経医療研究センター、国立国際医療研究センター、国立成育医療研究センター、国立長寿医療研究センターの六つのナショナルセンター(NC)を統合し、現場に即した医療の実現を目指そうとした。嘉山のいる国立がん研究センターはその司令塔となる。しかしこの統合はいわゆる日本の医療のグランドデザインをこれらのNCが担うことになり、厚労省の立場がなくなってしまう。
 結局嘉山が仙石に「厚労省をぶっつぶすつもりでやってもらいたい」と依頼され、理事長に就任したのに、ここにきて嘉山の改革「厚労省が無くなってしまう」という危機感を官僚なり、その利権にぶら下がる政治家、業者の反対があり、二期目の理事長選挙に落選してしまう。
 著者は次のように言う。


 国立がん研究センターの独立行政法人化からはじまるうねりは、医療のグランドデザインを現場が描くのか、官僚、あるいは政治家が描くのかのせめぎ合いだったのではないだろうか。


 さまざまな立場の人・団体の意向や狙いが複雑に交錯した結果、不幸にも多くの人たちが多かれ少なかれ不満を抱かざるを得ない状況を生み出してしまうのが実体なのではないか。


 要するに国立がん研究センターの改革は中途半端に終わったということなのだろうか?
 そうだとしてもここががん患者の最期の砦であることは間違いなく、ここに通う人々の顔を見ていると、ここで助けてもらうつもりで来たという感じが伝わってくる。
 改革が中途半端なものだったのかもしれない。けれど私の近親者が受けているがん治療には、たまたま良好な方向に向かっているからかもしれないが、満足しているようだ。
 ここで治療を受けるにあたり、この本に書かれているように「標準的な治療ではなく、オーダーメード治療も紹介することが最先端医療を」行ってくれている。そう説明があった。またがんの治療が担当医から説明があったとき、医師だけでなく看護師も立ち会って、なんで看護師もここにいるのだろうと、その時思ったが、この本によると、


 医師ができるかぎりわかりやすく説明しても、患者に伝わらない部分もある。だから看護師が加わることによって、患者は医師の説明を身近に感じることができる。
 患者が希望すれば、がん専門相談員や精神腫瘍科医が立ち会うこともできる。医師や看護師が一緒に向き合うことも大切な要素だ。


 と書いている。そういうことであった。看護師も患者の病状の説明を一緒に聞いてくれることで患者の不安の一部でも取り除こうとしてくれている。これも改革の成果の一部のようだ、と知った。


前田 洋平 著 『国立がんセンターでなぜガンは治らない?―闇に葬られた改革』 文藝春秋(2015/11発売) 文春新書
by office_kmoto | 2016-03-18 09:09 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成28年3月日録(上旬)

3月1日 火曜日

 晴れ。

 北風が強く吹き寒い。そのためいつも朝にする散歩を止める。寒さのせいかもしれないが、寒気もしている。調子が良くない。
 昨日から吹いている北風のため、隣にある駐車場の隅に吹きたまっていた落葉が風で流され、庭にたまっている。それを見てしまったので、仕方なしに庭掃除をするが、寒くなってほどほどで止める。
 無性に南木佳士さんの本が読みたくなった。出来ればエッセイがよかったのだが、手元に読む本がない。自選短篇集を引っ張り出し読み始めるた。


3月2日 水曜日

 晴れ。

 中央図書館へ行ってみる。本を4冊借りてくる。

 南木佳士さんの『熊出没注意 南木佳士自選短篇小説集』を再読し終える。

 夕方予習しておいたNHKの「100分de名著」司馬遼太郎スペシャルを夜見る。


3月3日 木曜日

 晴れ。

 国立がんセンターへ付き添いで行く。抗ガン剤の効果が出て来たので、次のステップである放射線治療の説明を聞いてくる。
 その後神田の三省堂本店へ行き、南木佳士さんの自選エッセイ集を購入する。昨日短篇集を読んだので、どうしてもセットで出版されたこのエッセイ集が欲しくなったのだ。

 自宅の最寄りの駅でケーキを買う。いつも買っているシャトレーゼがものすごい人だった。よくよく考えてみれば今日は雛祭りである。ケーキを買ってお祝いするママさんたちがいるわけである。
 仕方がないので、近くにある昔からある地元のケーキ屋さんでケーキを買った。こちらはガラガラであった。この店大丈夫なのだろうか?

 私が寝起きしている1階の居間にも、孫が飾るのを手伝ってくれた、娘の雛人形が飾ってある。この雛人形本当はガラスケースに入った三段飾りだったのを、お内裏様とお雛様だけ残してあって、それを飾っている。
 正直なところ気に入っている。季節の行事としてこういうのはアクセントとなっていいもである。
 これが終わったら、今年は息子の5月人形を出してみようかと思っている。


3月4日 金曜日

 晴れ。

 庭のサツキに今年初めて肥料を施す。新芽がたくさん出ている。シャコバサボテンは剪定を兼ねて悪い葉を取り除く。温かくなったので鉢を外へ出す。
 花粉症がひどい。眼が痒く、鼻水が止まらなくなる。

 真山仁さんの『そして、星の輝く夜がくる』を読み終える。


3月6日 日曜日

 くもり。

 3日遅れの孫の雛祭りを娘のところでする。娘のところへ行くのは1年ぶりか。押上駅で待ち合わせ、スカイツリー・タウンで例年のようにケーキを買う。孫は娘とお揃いで、生意気にも春のトレンチコートを着ている。なかなか似合っていたが、最近の子どもはおしゃれなもんだ。
 押上駅前はスーパーのLIFEとニトリが出来た。その関係で駅前の様相が変わって、一瞬方向がわからなくなった。
 娘が結婚して押上に住むようになって、その後スカイツリーの建設がはじまって、ツリーがどんどん高くなっていく様子を見てきた。それに伴い街も装いを新たにしていく姿を見てきた。その変化にここを訪れる度に驚く。これからもこの街はどんどん変わっていくのだろう。ちょっと駅を離れて歩いていると、更地と建設があちこちで見られた。

 真山仁さんの『雨に泣いてる』を読み終える。


3月7日 月曜日

 久々に雨らしい雨が降り続いた。

 杉浦日向子さんの『隠居の日向ぼっこ』を読み終える。


3月8日 火曜日

 晴れ。

 昨日とはうって変わって良い天気であった。しかも気温も上がって20.8度になった。
 午前中病院に行き、薬をもらって帰る。マイスリーもなくなったので、処方せんに書いてもらう。
 午後からは天気もよく、温かかったので、窓を大きく開けて、座椅子を持ち出し、そこで本を読み始める。心なしか鳥の鳴き声も明るく聞こえてる。花粉症が気になるが、多少鼻がむずむずするものの、外に出ているほどじゃない。花粉症はアスファルトを歩いている時とか、地下鉄の構内とか、どちらかと言えばそちらにいる方が症状が強く出る。家の前が雑木林なので、花粉が地面に落ちても舞い上がらず吸収されるんじゃないか、と思ったりする。
 ここのところからだの調子が今ひとつだったので、こうして外のと空気を入れ、陽に当たるとからだの調子が良くなっていく感じがする。

 杉浦日向子さんの『杉浦日向子の食・道・楽』を読み終える。


3月9日 水曜日

 雨。

 昨日は暖かたのに、一転して真冬の寒さになる。

 今年は暖冬だと言って暖かい日があったり、急に寒くなったり、体調の管理が難しい。今日なんかも、毎日日課にしている散歩に出られないから、からだがあちこちぎくしゃくしている。こわばっている。珍しく肩が凝っている。
 たかが1時間程度の散歩なのだが、これは私が日々過ごすにはからだを良いようにほぐしている。それに庭の手入れが加われば、いい運動になる。それが出来ないから、からだの不調感がある。
 今年ほど春が待ち遠しく思うことは、これまでなかった。花粉症に毎年悩まされるが、それでも早く暖かくならないかなあと強く思う。
 これまで生きてきた中でこう感じたのは初めてだ。これまで同じ冬を当たり前のように過ごしてきているのに、今年はやけに天候不順、寒さがやたらこたえる。おそらく歳をとったせいだ。そしてこれから先ますますその思いが強くなるのだろう。そう思うと、早く暖かくなれ、と願ってしまう。


3月10日 木曜日

 くもり。今日も寒い。

 図書館で借りてきた本を返しに行くのと、新たに予約していた本が2冊入ったというので、もう1冊追加して3冊借りてきた。 
 私のベッドの横には読もうと思っている本が、今読んでいる本とは別に置いてある。この山がいつまでたっても減らない。やっと図書館で借りてきた本を全部読み終えて山が小さくなったと思ったら、また3冊追加される。
 まあ読みたい本が身近にあるというのは、私にとって幸せなことなので、多少鬱陶しさはあるものの、その山を眺めている。

 南木佳士さんの『猫の領分―南木佳士自選エッセイ集』を読み終える。


3月11日 金曜日

 くもり。

 今日も寒い一日であった。今日は「あの日」から5年の目の日である。あの日も寒かった。
 今日は一日、震災関連ニュースをテレビで見ていた。
 午前中、震災1年後にまとめられた地震の様子、津波のすさまじい映像を録画しておいたのでそれを見ていた。このビデオは震災1年後ということで、まだ映像は被害のなまなましさを残している。しかし今日見た5年後の映像はリアルな津波の映像ではなく、復興していく姿を描くことに各局重点が置かれていた。

 きっとそれでいいのだろう。

 私は午前中地震の映像、津波の映像を見たのは、多分今日放送される番組は復興していく姿を描くであろうから、それはそれとして、一方で自然災害の恐ろしさを改めて思い出したいと思ったからだ。そうすることで自然の脅威を自身忘れないようにすべきだと思ったのだ。そしてこの録画された映像は来年も「この日」見るようにしたい、と考えている。
 午後2時46分、私はテレビを映像とともに、頭を垂れた。


3月12日 土曜日

 くもり。

 相場英雄さんの『震える牛』を読み終える。面白かった。


3月13日 日曜日

 くもり。

 なんだかいつまで経っても寒くどんよりした日が続く。

 真山仁さんの『海は見えるか』を読み終える。


3月15日 火曜日

 晴れ。

 何と11日ぶりに太陽の陽が出たという。太陽が出ると陽が長くなったなあ、と思う。しかし今日は北風が強かった。お陰で花粉症がきつい。薬のお陰でなんとかくしゃみがおさまっているが、鼻はむずむずする。目が痒くて仕方がなかった。こういうとき本を読むのはつらかった。
 目もつらかったが、昨日から腰が痛み始めた。ここのところ腰の痛みから遠ざかっていたので、本を読むのにこれも困った。昼間は湿布を貼って、腰を気遣いながらベッドに横になって本を読んでいた。途中何度か目薬をさす。
 
 孫とチューリップと一緒に植えた水仙の蕾がほころび始めた。黄色い花びらが見えてくる。これから暖かくなると言うから、近いうちに咲くだろう。

 山口瞳さんの『元日の客』を読み終える。
by office_kmoto | 2016-03-16 05:48 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『旧友再会』

d0331556_1115089.jpg このシリーズの第三弾目である。さすがにここまで来ると山口さんの文体もテーマも固まってきたようで、読んでいて安心できる。
 この人の小市民的で頑固な生き方は好きである。ただこう人はやっぱり生きにくいだろうな、と思ってしまう。ひとつの生き方を確固として持っていると、そこからはみ出した生き方がなかなかできないからだ。
 時にそういう自分の持っている定規からはみ出している考え方を持っている人に疑問を感じてしまうこともある。私からすればそれはすごく当たり前のように見えるのだけれど、人はそれを何とも感じないこともあるから、厄介である。

 例によって言葉を拾う。


 としをとると、一年の経過が早く感ぜられるという。私は、そのことはまだそれほどはっきりとは感じないが、一年の移り変わりには敏感になっているようだ。樹木の多いところへ引越してきたせいであるかもしれない。
 早いというのではなく、梅の花から梅の花へという「一年間」をくっきり感ずるようになった。(梅林)


 なるほど、こういう感じ方もあるのだな、と思った。私は単に一年が早いというのは歳のせいと思っていたが、樹木の移ろいを年間通して見ていると、その一年をしっかり感じているから、その季節になれば、それが目安となって、一年を実感できるかもしれない。


 しかし、高速道路や有料道路の上を車で走るときは、ここに何か新しいものが出来あがったのではなくて、ここでも何かが消滅した、きっと何かが無くなったにちがいないと思うのである。(無くなる)


 これは山口さんが以前住んでいた麻布の家に高速道路が出来て、家がなくなった。その上を高速で通った時の感想である。
 新しいものが出来ることは、かつてあったものが壊されて、その上に築かれる。昔の風景を懐かしむだけでなく、無くなってしまったことへの郷愁みたいなものはよくわかる。

 山口さんは草野球の監督をよく務める。それは野球が好きで野球をやるのだが、どうやら能力的な問題、年齢的な問題で、監督に押し上げられているようだ。それでも野球が好きだから、そのチームの監督を楽しんでいる。


 会社内の野球は勝てばいいというものではない。全員を出場させ、全員をいい気持ちにさせ、なおかつ、敵に勝つというのが素人野球の監督の役目である。また、それが監督としての醍醐味でもある。(野球人口)


 ちょっと笑える。そういえばこのシリーズ、読んでいて少し笑ってしまうところが多くあった。つまらぬこだわりは、共感とともに笑いを誘うのである。


山口 瞳 著 『旧友再会』 男性自身シリーズ 3 新潮社(1967/07発売)
by office_kmoto | 2016-03-13 11:16 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

大声を出す

 愛知県の社労士のブログで「社員をうつ病にする方法」と称して、社員を合法的に会社から追い出す手法を公開し問題となった。要は会社にとって問題社員の首を切りたいのだけれど、労働基準法等で労働者の首はそう簡単に切れない。また首を切るとしても、いろいろな手続きが煩雑で、面倒である。だったら社員自ら「辞める」と言わせて辞めてもらう方が楽である。そこで嫌がらせをして鬱病にさせ、辞めさせる。パワハラと言っていいかもしれない。その方法をこの社労士が伝授したのだろう。
 このことを知った聞いた時、山本周五郎の「ひとごろし」を思い出した。
 「ひとごろし」は臆病者で知られる双子六兵衛が、妹のかねと二人で暮らしていた。かねが自分が結婚できないのは兄の六兵衛が武士のくせに臆病者だから、誰ももらい手が無いと愚痴る。
 そこで六兵衛は意を決して上意討ちに手を上げる。相手の仁藤昂軒は剣術、槍の名人で、六兵衛など歯が立つわけがない。そこで昂軒に向かって「ひとごろし」と大声で叫び続ける。そう聞けば、聞いた人間は逃げる。それがどこでも繰り返され、昂軒はヘトヘトに疲れてしまう。


 昂軒、仁藤五郎太夫は精根が尽きはてた。宿に着けば「ひとごろし」という叫び声で、客は出ていってしまうし、宿の者も逃げだしてしまう。


 休むことも食事も取れない。さすがの昂軒も最後は腹を切ると六兵衛に音を上げるという話である。
 この場合昂軒がモンスター社員で、六兵衛が会社側と思ってしまったのである。
 でも正直な話、この社労士が教えた手法は、会社側としては程度の差はあるだろうけど、やろうとしているか、実際にやっているような気がする。
 やり方としては陰湿であることはわかっている。パワハラであることもわかっている。それでもあえて言わせてもらえば、このように世の中には大声では言えないけれど、裏で密かに行われていることでうまく回っていくこともあるのではないか。それしか方法がない場合も事の次第ではある。実際私がそういうことをしなければならないポジションにいたので、それがよくわかる。コンプライアンスをうたっても、それだけではうまく回らなくなり、身動きがとれなくなってしまうこともありそうで、この社労士はそれを大声で言ってしまったことが問題になってしまったという気がする。
 大声を出さなければやっていいというわけじゃもちろんないが、ただ声を出さないでいればわからないのに、という思いもある。何だか知らないけれど、最近は言わなくてもいいことを言ってひんしゅくを買う輩が多く感じる。
 たとえばのうてんきで下半身に節操がない国会議員が奥さんが出産した直後に不倫していたと曝露され、謝罪会見をしているのを嫌と言うほど見せられて思ったのだが、あそこでわざわざ他の女性とも結婚後も不倫していたと自ら言ってしまう馬鹿さ加減には呆れてしまう。そこでこれ言う?と思った。わざわざ傷口を広げる必要もあるまい。火に油を注ぐものである。余計なことを言ってしまった。
 それを考えると人気女性レントと不倫していた何も言わないゲス男は頭がいいと言うべきか。もっとも相手の女性タレントが自らのタレント生命を終えることになってしまっても、自らはしれっと芸能活動を続けているのも、すごいな、と思うが、だからこそゲスなんだろう、と妙に納得してしまう。「名は体を表す」とはうまいことを言ったものだ。(2016年2月16日)
by office_kmoto | 2016-03-12 05:37 | 余滴 | Trackback | Comments(0)

笹原 留似子 著 『おもかげ復元師』

d0331556_7403878.jpg この本の企画、出版の経緯は、田口幹人さんの本に記されている。田口さんが本屋にもできる本の企画としてこの笹原さんに本を出版しませんかとお願いした本だという。


 僕は震災以前に、地域活動を通じて笹原さんと出会っていました。そして震災後も、何度かお会いしてお話をうかがう機会があり、辛い時期でありましたが、あのときの行動と経験を、多くの人に伝えるために本にしませんか、とお願いしました。そして、今までのつながりの中で、この企画を理解し、想いを形にしてくれると信じていたポプラ社の土橋恵さんに相談しました。土橋さんは、お話しした直後から社内で調整を進めてくださり、出版にこぎつけることができました。


 これを読んで笹原さんのこの本を読んでみたくなった。
 笹原さんは納棺師を職業としている。岩手で家族と一緒に納棺を行う「参加型納棺」という新しい納棺方法を生みだしている。特に笹原さんがこだわっているのが、「復元」で、そのため職業名を「復元納棺師」と名乗ることもある。


 故人がどんな状態にあったとしても、生前と同じ表情、できるだけ微笑みをたたえたお顔にする。生前と異なるところ、たとえば硬直を解き、顔色や顔つやを変え、においが出ないようにする。交通事故などで身体に損傷を受けた場合にも、あらゆる技術を駆使してお戻しする。
 こうして復元をさせていただいたのちにご家族に対面していただくと、「元に戻った」と驚かれ、涙を流されることが少なくありません。身体がゆがんでしまっていたり、苦悶の表情が浮かんでいたり、生前では考えられないような顔色をしていたり、においが出ているときには、ご家族は故人としっかり向き合うことができません。


 わたし自身、さまざまな経験から、なきがらと対面させていただくことでわかることが増えてきました。苦しい思いをしながら亡くなられたのか、そうでなかったのか。病院でどのくらい頑張られたのか。どんな亡くなり方をされたのか・・・・・。
 肌や舌といった身体の様子や死斑や硬直など亡くなった後に出る症状から、わかることがたくさんあるのです。


 そして、


 わたしがなきがらと接していてかんじること。それは、どんな故人も、おひとりおひとりが、一生懸命生きるとはこういうことだ、と教えてくださっているということです。
 おまえは一生懸命に生きているか、といつも問われている気がします。


 この本の後半は東日本大震災のあと、ボランティアとして復元に関わっていく。そこで見た悲しい光景、そして美しい光景が描かれる。
 笹原さんは2011年3月19日、笹原さんは現場に向かった。


 海のにおいにガソリンが混じったような異様なにおいが漂ってきました。風が吹くとほこりが立ち上がり、遠くはうっすらかすんで見えます。のどがいがらっぽく、目もしょぼしょぼします。


 遠くにガソリンスタンドの大きな看板が見えました。高さは二十メートル近くあったでしょう。その看板の下半分が黒ずんでいました。津波の跡でした。



 津波に揉まれ、激しい損傷をした遺体に対面し、ショックを受けた人々が多くいる被災地に、大切な人を見送る場を何よりも大切にしてきた笹原さんだけに、被災地に向かい、少しでも自分のできることをしたい。そう思って「復元ボランティア」を始めた。
 きっかけは東日本大震災から9日目の陸前高田市で三歳くらいの女の子の変わり果てた姿を遺体安置所で見た笹原さんは、可愛い姿に戻してやりたい、と思う。笹原さんにはその技術があったが、彼女は身元不明だったので、法律上遺体に触ることができなかった。女の子の身体に損傷が見られ、死後硬直が始まっていた。家族が迎えに来て、状態のわるい遺体を見ればショックであろう。笹原さんは「戻してあげたい」と思う。しかしその女の子の遺体は身元不明である以上、法律上遺体に触れることができない。笹原さんは自ら復元納棺師をしている。だからこの子を戻してあげたい、と警察に訴えるが、警察は首を横に振った。
 安置所から離れた笹原さんは女の子を戻してあげられなかったことをひどく後悔する。自分が無力であることを実感してしまう。そして復元ボランティアとしてここで活動していく。大切な人を亡くした家族が泣くために復元があると自覚しながら。
 ここでは安置所の状況が詳しく描かれている。


 納体袋は、家族を捜しにくる人たちために、上の部分だけファスナーが開けられ、お顔が外に出ていました。脇には、身元確認に役立ててもらおうと衣類や小物がビニール袋に入って置かれています。血がついたり、汚れていたり、すべてが一様に砂だらけでした。
 体育館の床とは別に、ステージの上にもなきがらが並べられていました。こちらは身元が判明したなきがらだと警察の方が教えてくれました。その数は六体ほど。家が流されてしまっているから、家に連れて帰りたくてもできないのです。
 体育館は二十四時間、開けておくわけにもいきません。管理の必要上、当直の警察官を残して午後五時には閉まってしまいます。ようやく見つけた家族のなきがらを、置いたまま避難所に帰らなければなりません。
 家族を亡くした人たちは、プライバシーのほとんどない避難所で暮らしていれば、涙に暮れることもできません。泣き声を人に聞かせては申し訳ないと、多くの人が耐えているということでした。そもそも、家族が見つかっていない人もたくさんいました。そんななかで、自分の家族が見つかったとしても喜ぶわけにもいかない。
 棺にも入れられず、家にも連れて帰れず、なきがらのそばについていてあげることもできない。大切な人を亡くした悲しみを吐きだすこともできず、見つかったことを喜ぶこともできない・・・・・。
 津波で大切な人を亡くしたご家族は、三重、四重、五重の苦しみを抱えていたのでした。どれほどつらいか、どれほど悔しいか、どれほど悲しいことか・・・・・。わたしは、言葉が見つかりませんでした。


 このような似たような文章を読んだことがある。やっと家族が見つかっても、素直に喜べない。あるいは声をあげて泣きたくても、避難所にはまだ家族が見つからない人も多くいるから我慢しなければならない。

 多くの死を見てきた笹原さんでも、これほど多くの死が一箇所にあることは経験したことはなかった。何時間も掛けて遺体を復元していくうちに、笹原自身の心が折れ始めていく。そんな笹原さんを支えたのが一緒に来たボランティアの人であり、後悔しないように精一杯やることを教えてくれたあの女の子。さらに復元ボランティアを応援してくれる全国人々。そして被災された人々であった。
 笹原さんは津波で亡くなったお嬢さんを復元し、家族に対面してもらった後、その子のおばあちゃんに手招きされる。


 「あなたのこの手は、これからたくさんの悲しみに出会うんだね。頑張れるように、おばあちゃんが魔法をかけてあげる。頑張れなくなったら、これを思い出して。わたしは、ずっとあなたを応援しているから」


 この時笹原さんも連日のように辛い現実と対峙して苦しかったという。精神的にも肉体的にもギリギリの状態だった。そんなときこのおばあちゃんに魔法をかけてもらった。


 おばあちゃんのやさしさに懸命に涙をこらえながら、わたしはいいました。
 「ありがとうございます。もう一度、わたしの手に魔法をかけてもらえませんか。それから、今だけ涙を流してもいいですか?」
 おばあちゃんは、小さな身体でわたしを抱きしめてくれました。わたしは子どもに戻ったように、心地よいぬくもりのなかで泣きました。ひとしきり泣いたあと、おばあちゃんはいいました。
 「さあ、行きなさい。次の人が待っているんでしょう」


 各章のはじめに笹原さんが描いたお母さんや、お父さん、子供たちの顔がある。たぶん水彩で描かれたものだと思うが、どれもみんなやさしい笑顔である。これがよかった。


 子どもって、本当にすごい。亡くなっても、微笑んでそこに横たわっているだけで、癒されるのです。安置所に詰めていた警察の方は、見回りをしながら、何度もふたを開けて見ておられました。かわいい、かわいい、と。警察の方も、悲しい場面ばかり見ていて、さぞつらかったと思います。心の癒しが欲しかったはずです。
 ほかのご家族や、まだ家族が行方不明で安置所を捜し回っている人たちからも、かわいい、かわいい、と声が上がりました。




笹原 留似子 著 『おもかげ復元師』 ポプラ社(2012/08発売)
by office_kmoto | 2016-03-10 07:46 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

森 まゆみ 著 『「谷根千」地図で時間旅行』

d0331556_4324876.jpg いわゆる江戸開幕以来の谷根千のいろいろな地図を使って、この地域の変遷を語っている本である。森さんにとってはホームグランドであるから、説明が詳細だ。ただやはりここの地形、建物など詳しく知っている人でないと感慨はそれほどわかないのではないか。私など読んでいて、ふ~ん、といった感じで読んでいた。それに仕方がないとはいえ、やはり地図が小さい。だから本文で説明されているところを探すのに苦労してしまう。
 小さいけれど地元で暮らしてきた人たちの手書きの地図はいい味を出している。こういう昔の記憶をたどって地図を書いてみるのも面白そうだ。ふと自分も子ども頃のことを思い出して地元の地図を書いてみようかな、と思った。書いているうちにきっと面白いことを思い出しそうだ。
 時々散歩のとき、ここは昔○○だったような、と思いながら、まったく様相を変えてしまった通りを歩いていることがあるので、是非やってみたい。

 やはり私の興味は森鴎外の『雁』に注がれる。森さんは言う。


 それにしても『雁』には明治一三年の東京がなんと美しく描かれていることだろう。坂があり、池があり、街があった。まだ車も市電も走っていない。どこに行くのも歩いて行く時代だった。だからこそ見えるものがあり、起こりえることがあった。
 それを地図で照らし合わせてみていくと、自分があたかも明治に飛んだようにすら感じられる。


 確かに岡田はよく歩いている。その道筋を地図で追ってみると、この辺りを歩いていたんだな、と思う一方で、神保町方面まで歩いて行くことが、散歩なのか、と思ってしまう。
 
 ところでこの本は図書館で借りた本を読んだ。本を開くとページが割れる。最初これ製本が甘いのかな、と思った。だってこの本出版されたのが、去年の7月である。いくら図書館で借りられる本とはいえ、それほど時間が経っていないのに、これじゃ後が大変だな、と思ってしまった。しかしページをめくると、赤糸が見える。つまり赤糸で綴じられている。糸綴じだ。図書館の本だから表紙が剥がせないが、背表紙を上から見てみると、和本みたいな綴じ方になっている。背なしコデックス装である。なかなか洒落ている。これのお陰で見開きの地図がきれいに開いて見ることができた。


森 まゆみ 著 『「谷根千」地図で時間旅行』 晶文社(2015/07発売)
by office_kmoto | 2016-03-07 04:35 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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