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山口 瞳 著 『隠居志願』

d0331556_6193676.jpg 「昼猶聞き」というエッセイで次のようにある。


 私はチューリップという花が嫌いだ。見ていてムカムカする。あの赤だとか黄だとか紫だとかいう花は美しいのだろうか。それがわからない。葉にも風情がない。総じて洋花というものも好まない。
 チューリップを植えた庭を好まない。庭にチューリップを植える人を好かない。その神経がわからない。



 さらに、「私はツツジもきらいだ」という。「従って、サツキも好まない」と書く。こう書かれると猫額庭主人としては、はなはだ困ってしまう。わが庭はサツキ、ツツジがメインで、チューリップも植えている。
 山口さんに気を使う必要はないのだけれど、あえて言わせてもらえば、サツキ、ツツジは義父が残していったものである。それをそのまま引き継いで管理している。チューリップを植え始めたのは、孫が生まれてからである。すなわち孫が一番喜びそうな花がチューリップではないか、ということで、毎年植え始めた。
 山口さんがチューリップやツツジ、サツキを嫌うのは、それがいかにも作り物の庭という風情をだからだろう。このシリーズで度々出てくる山口さんが求める庭は、“雑木林”である。となればチューリップやツツジ、サツキは似合わない。そういうことのようだ。

 次に読んでいてなるほど、と思うことを書き出す。

 才能のない人間はいない。人間は、誰でも、その一人一人が天才である。しかし、自分の才能がどの分野の仕事に向いているか気づかないことがある。
 私は、才能については、そんなふうに考えている。その考えが正しいかどうかわからないのだけれど、そう考えれば気が楽になる。人間だれでも使い道があるといったように-。(才能について)


 確かにこう考えれば、私も何か才能があるのかしら、と思わなくもない。どこか使い途があるのだろう、と思いたいところである。


 東京は(東京ということにこだわるつもりはないが)、東京以外の生まれ育った人がやってくるところになった。東京人でない人が住むところになった。(なるようになれ)


 これは言うまでもないことだが、こう書かれればその通りである。


 万年筆というのは、人間の使う道具としては、まことに不完全なものであり、不自然なものである。そうして、万年筆の生命は、ペン先の先端の、わずか一ミリか0.五ミリのところにある。(万年筆その後)


 万年筆のことを書かせれば長くなるので控えたいところだが、確かに万年筆は不完全な道具である。本当に使いこなせるようになるには、悪戦苦闘しなければ、スムーズに文字が書けない。イライラを幾度も経験し、我慢して使い続けて、それでやっとなじんでくる。それを左右するのがペン先のわずかな部分だ。万年筆が自分のものとなるには、とにかく我慢するしかない。


 意外に思うかもしれないが、流行作家とか文壇の大家というものは、罐詰にならない。彼等は、書くことが商売であり、そのことに習熟しているから、一番いい条件を知っているのであり、そういう部屋を自分で用意しているのである。鴎外、漱石、谷崎潤一郎、佐藤春夫、井伏鱒二、あるいは松本清張、司馬遼太郎が罐詰になったなんて話は聞いたことがない。
 いわゆる罐詰にされてしまうことの多いのは、学者、評論家である。どういうわけか、そういうことになっている。
 さらに、大衆小説を書く人より、純文学の若手作家のほうが、罐詰になることが多い。(いわゆる罐詰)


 これはそうなのかな、と思うだけであるが、確かに大家になれば、自分の書斎をきちんと洩っていて、その余裕もあるだろうから、これが出来るということか。

 さて今回「隠居志願」となっているのだが、山口さん自身、隠居という身分になりたいと思っている。この時山口さんは47歳である。ただ肉体年齢は糖尿病もあって優に60歳を越えている、と言っている。


 特に私たちの年齢の者は、戦時中は苛烈なる受験勉強と軍事教練と学徒動員が同時に課せられ、空襲あり敗戦のショックあり、就職してからは国家再建、会社再建のためメチャクチャに働かされてきた。体にいいわけがない。
 これから、もうヒト花、もうヒト波瀾というのは幻想であるに過ぎず、私にはとうていそんなことは考えられない。
 少年というのは未来を無限と考える男であり、老年になると死から逆算するようになると誰かが書いていた。かりに、還暦から逆算して、あと十二年、ここでヒト花と思うのが誤りのモトであって、最近の高級官僚の汚職事件、すべて四十二、三歳から四十六歳、七歳まで、課長補佐、課長、部次長といったあたりが間違いをおこす。この人たちは、俺は隠居だと思っていれば、あんな馬鹿な真似をせずに済んだはずである。



 平均寿命が男で七十歳なんていうのはマヤカシもいいところであって、これは不当に不自然に生かされているに過ぎない。人生五十年とおもいさだめて、ヤリタイコトヲヤルというのが男の一生なのではないか。そうやって、偶然七十歳まで生きてしまったのが古希であり、古来稀なりということになる。
 つまり、私などもう遅い。すでに終ってしまっているのである。


 そこで隠居するということになる。私も隠居同然の生活をしているので、人がどういう形の隠居を望んでいるのか興味ある。しかし山口さんが言う「積極的隠居論」を読んでいると、これはちょっと勘弁して欲しいなあ、と思ってしまう。まわりからすると、ただうるさい爺さんだ。“いじわるじいさん”である。まあ山口さんらしいと言えば言えるのだが・・・・・。


山口 瞳 著 『隠居志願』 男性自身シリーズ 10 新潮社(19743/08発売)
by office_kmoto | 2016-04-28 06:20 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

安田 隆 著 『安売り王一代―私の「ドン・キホーテ」人生』

d0331556_6443246.jpg 実は我が家は週に3回から4回ほどドン・キホーテに行く。というか、近くにスーパーの「サミット」があり、日々の買い物をそこでする。その上がドン・キホーテになっているので、必然的にドン・キホーテでも買い物をするのだ。
 昔はここは長崎屋であった。衣料品を買うのはここがメインだったのだが、あるとき長崎屋がドンキに変わると知って、正直困ったな、と思ったものだ。
 当時ドン・キホーテとは若い者が買い物をする場所であり、あの狭苦しい売場に詰め込まれ、何があるのかわからないところで買い物などできないな、と思っていた。売っているものも我々が必要とする物ではなく、若者をターゲットとした商品ばかりだろうと思っていたのである。どこかいかがわしさを持っていた。
 ところが長崎屋がドンキとなって、若者のキラキラした衣料品だけでなく、家電から文具、あるいは衣料品、薬、雑貨、そして食品、なんでも売っている。そのうち気になり始め、気がつけば週に何度も通い、電子マネーカードmajica(マジカ)まで作っちゃっている。
 通い出すと面白い。いわゆるスポット商品で今日は何があるのだろうという楽しみさえ覚えている。

 この本によると、今やドン・キホーテは年商6840億円(2015年6月期)。営業利益391億円(同)。従業員数約32000人(パートも含む)巨大小売業となっていて、1989年の1号店開業以来26期連続となる増収営業増益記録更新中だという。近い将来1兆円企業の仲間入りするだろうとのことだ。
 この本はそのドン・キホーテの創業者安田隆さんの書かれたドンキの生い立ちとその商法が簡潔に書かれる。まずは安田さんが小売業に打って出る経歴が書かれる。
 安田さんは小・中学校時代は一貫してガキ大将を通したが、友達はいなかったという。仲間内で群れたりするのは大嫌いだった。勉強も嫌いであったが高校二年の三学期から猛然と勉強しはじめ、慶應大学法学部に入学する。しかし慶應だけに周りの同級生はやたら垢抜けていてかっこよかった。立ち振る舞いも洗練され、親は有名企業の社長や重役だった。それに比べると「自分は田舎のイモ兄ちゃん丸出しで、何のコネも取り柄のない貧乏学生である」「サラリーマンになったらオレは永久にこいつらに勝てないだろうな」と思い、心底羨み、歯軋りし、やっかんだという。


 「どんなことになっても、こいつらの下で働く人間にだけは、絶対になりたくない。ならば自分で起業するしかない。ビックな経営者になって、いつか見返してやろう」


 これが安田さんのビジネス人生の原点となった。しかし一年生のときいきなり留年。親からの仕送りもストップ。バイトで横浜港の沖仲士となり、ドヤ街に寝泊まりし、麻雀三昧の日々を過ごした。なんとか大学を卒業し不動産会社に就職したが十カ月後に会社は倒産し、失業する。特技の麻雀でなんとか糊口をしのいだ。


 その頃の私のライフスタイルは、徹夜麻雀をして朝帰りし、夕方またゴソゴソ起き出して雀荘に出かけていくという、自堕落を絵に描いたような毎日だった。


 二十代終盤に一念発起しその日暮らしにピリオドを打ち、実業界で勝負しようと思うようになる。軍資金は八百万円あったが、何をしていいかわからない。自分は専門のスキルもないし、不器用、無愛想だし、ファッションセンスもない。残ったのは物を売ることぐらいしかなかったが、何を売ればいいかさえわからない。
 ある日ぶらりと入ったディスカウントストアでこれなら自分でもやれると思う。それではじまった店が「泥棒市場」であった。このような店の名前を付けたのは「とにかく目立ちたかった」のと店の看板が小さく四文字しか入らなかったという事情だという。 扱う商品はバッタ品や廃番品のその場限り商品である。従って売れたからといって追加仕入ができない。これがドン・キホーテの「スポット商品仕入れ」の原型である。さらに商品を仕入れても倉庫があるわけじゃないので、売り場の棚にぎっしりと詰め込みダンボールごと天井まで店に積み上げた。ただこれじゃ何を売っているのかわからないから手書きのPOPを棚という棚に貼りまくる。ここにも“ドンキ名物”の「圧縮陳列」、「POP洪水」の原型が見られた。
 しかし売れる物しか売れない。スポット仕入だから売れ筋など補充できないので、魅力的な商品はなくなり、店はさながらゴミ屋敷のようになっていったという。「泥棒市場」は土俵際まで追い詰められた。
 ある日の閉店間際店の前で値付けシールを一人で貼っていた安田さんに「店はまだやっているんですか?」と声を掛けられる。
 このように夜遅く来店する客は大概アルコールが入っているせいもあって、ゴミの山のような商品でも、逆に面白がってよく買ってくれた。いわゆる「ナイトマーケット」の発見であった。


 ともあれ泥棒市場は「おもちゃ箱をひっくり返したような変わった店」「深夜も営業している」と地元で有名になり、開業数年後には十八坪で年商二億円という超繁盛店に大化けした。
 泥棒市場こそ後のドン・キホーテの原型であるが、流通業における常識から考えると、“禁じ手のデパート”のような店である。
 知識ゼロ、経験ゼロ、人脈ゼロの素人が開業。ノウハウもなしに徒手空拳で金融品、バッタ品など玄人の世界にいきなり飛びこむ。廃番品、サンプル品などを堂々と販売する。倉庫はない。ギュウギュウに商品を詰め込み通路さえ歩けない。さらに夜中も営業する。
 明らかにこれらはすべて、当時の流通業の「非常識」である。それこそ「やってはいけない店の経営」の見本のようなものだ。
 にもかかわらず、素人が始めた非常識な店が、なぜ大繁盛店になった。一体これは何を意味するのだろうか。
 それは、従来の流通、販売、マーケティングの成功法則が必ずしも正解ではない、ということだ。少なくとも、それらの理論が新たな市場や顧客満足を生み出すものではないということの証しともいえる。


 泥棒市場は大繁盛店になったが、それは安田さん個人の店である。単独の繁盛店に過ぎない。これでは多店舗展開ができないと悟った安田さんはより大きなビジネスを目指し、泥棒市場を譲渡し、卸しの会社を設立する。この卸しの会社も大成功する。
 そして泥棒市場で培った安売りのノウハウと卸しで設けた資金と商品でもう一度小売業に打って出る。そして出来上がったのがドン・キホーテである。
 そして紆余曲折(夜遅くまで営業しているために地域の住民から反対運動が起こったり、放火事件があったり)があったが、先に挙げた業績を上げていく。安田さんはドン・キホーテの成功の要因を次の8つを上げる。

 ①ナイトマーケット
 これは泥棒市場で始めたことだが、「夜は非日常感と自由度が高まり、ストレスの発散度も高くなる。だから消費にも直結しやすい」祭りが夜賑わうのと同じだ。日本の人口動態上、シングル層の増大は確定未来として明らかである。コンビニもドンキも、夜十時以降のナイトマーケットの発見と開拓で、この二十数年間一人勝ちのような成長を謳歌することができた。


 ドンキは今どきの若者の「夜の宝探しの場」として、彼らの潜在ニーズを顕著化させた。


 ②CVD+A
 これは「より便利に(CV:コンビニエンス)」「より安く(D:ディスカウント)」「より楽しく(A:アミューズメント」)を意味する。
 世の中には使い勝手のいい店、安い店、あるいは両方を兼ねた店はある。しかしその上に楽しさを付加したのがドン・キホーテだと言うのだ。これはナイトマーケットが祭りの夜的な感覚になることや、この後に示す「圧縮陳列」が売り場をジャングルみたいにし、それこそ宝探し的な楽しさを醸し出すことによる。

 ③トイレットペーパーからスーパーブランドまで
 ドンキは一箇所で何でも買える。

 ④圧縮陳列
 これは先に挙げた効果を生み出すが、一方坪効率を高め、バックヤード不要とする。商品はすべて店頭にあるから流通在庫はゼロ。在庫管理のマネジメント機能を果たす。

 ⑤脇役商品
 知名度はないがしっかりした価値のある商品を需要喚起を起こさせる。そのためにはその良さをPOPでお客に知らしめる。脇役商品はスポット仕入が多いが、その分圧倒的に仕入値が低い。安く売っても高い粗利益率が稼げる。ちなみにドン・キホーテの基本商品政策は、「定番六割・スポット四割」でこれは一号店以来の黄金比率だという。六割で手堅く商売をし、四割のスポット商品で大きな利益を稼ぐ。
 我が家は近くのドンキを利用すると書いたが、このスポットと思われる商品の値段の安さは驚いてしまう。ただスポット商品だけに翌日もあるかというと、もう売り切れていて買えないことも多い。

 ⑥POP洪水
 これまでの説明で言うことはないだろう。あのPOPのドンキ文字は専門に書く人がいると聞いた。もちろんほとんどが手書きだという。テレビで見たのだけれど、このドンキ特有の文字を書く人が、手際よくPOPを書いていくのには驚いたことがある。面白かったのはこの人がプライベートで文字を書くとき、あのドンキ文字になってしまう、と言っていたことだ。さもありなん、と思い笑った。

 ⑦権限委譲と「主権在現」
 小売業の王道と言われる「チェーンストア・システム」は仕入とか情報を本部に集中させ一括で管理する。その方が効率的で、仕入原価も押さえることが出来る。しかしこれは現場は本部の言いなりの「自動販売機」に過ぎないと安田さんは言う。
 ドンキはこれを完全否定し、「主権在現」のスローガンのもと、仕入から値付け、売り場構成まですべての権限を各店の現場に丸投げする。そうすることで“個店主義”を貫く。各売場担当者に大幅な仕入権限と自由裁量が与えられるから、一人一人が個人商店店主となり、売場というゲームの戦場で各人の最大限の力を発揮できることになる。
 この権限委譲というのは創業者の安田さんも例外ではなく、安田さんがまだ体力も気力もあるのに2015年6月末ドンキホーテホールディングス代表取締役会長兼CEO及び国内グループ各社の取締役から引退したのもこの「権限委譲」という考えがあったからだ。そこで安田さんは言う。


 仮に私が七十歳までCEOを続けたら、自ら辞めるという決断を下す自信がない。そうなれば、死ぬまで会社にしがみつくという、最も醜悪な晩年をむかえるかもしれない。世襲などという発想も、頭にチラつき出しかねない。そんな自分を想像するだけでも虫酸が走る。“老害の芽”は、自らきちんと摘んでおかなければならない。
 だからこそ、あえて判断力が確かなうちに勇退しようと決めたのだ。



 ⑧変化への対応力と「顧客最優先主義」
 「主権在現」だから各店、各売場担当はお客のニーズに臨機応変な変化に対応出来る。ドンキにはマニュアルがないという。マニュアルは作業効率は上げるかもしれないが、それに頼っていれば、それは「作業」であり、創造性を伴う仕事にはならないと言う。これだと移ろいやすい客の心理を敏感に読みとれず、変化に対応出来なくなってしまうからだと言う。
 だから徹底した「顧客最優先主義」を愚直なまでに突き詰めてきたと言う。


 さて最後に面白いな、と思ったことを書く。
 安田さんはバブル時代に一切、財テク、土地転がしをやらなかったと言う。安田さんは不動産会社に勤めていたこともあるくらいだから、一丁やってみるかという誘惑にも駆られたことがあったが、今手を出したら絶対にやられる、と直感的にわかったと言う。これは安田さんが若いころ、麻雀で生活していたときに培った「見」(見送ること)に徹するときは徹するということが役立ったと書いている。なんか色川武大さんが書いている文章みたいだ。


 まじめで能力と才能にも恵まれているのに、なぜかビジネスでうまくいかない人がいる。そんな人は、私に言わせると、「見」ができていない。つねに全力疾走でいると、危険を知らせる微妙な変化にも気づかないのだ。彼らは一生懸命であるあまり、自分の墓穴を掘るにも一生懸命になってしまう。


 ITバブルのときも「見」を決め込んだ。


 基本的に私の“鉄板手法”は、バブルの時は一切動かず、バブルが崩壊したと見るや、集中的に土地や物件を仕込み、思い切りよく攻め込んで行くというものだ。前述したように八〇年代後半~九〇年代初頭のバブル時代は「見」を決め込み、崩壊と同時に動き出した。ITバブル崩壊もそうだったし、その後の二〇〇八年のリーマンショック後のバブル崩壊時もそうだ。


 今や企業は中国などアジアに進出していくが、安田さんにもそういう話が持ち込まれるらしいが、断っていると書いている。なぜ断るのか。断る理由である分析がなるほど!と思わせる。
 ドンキという業態は日本のように中間流通をうまく使いこなすことで成り立ってきた。また市場が成熟した流通先進国だからこそ成功した。今や日本はGMS(総合スーパー)、SM(食品スーパー)HC(ホームセンター)CV(コンビニ)とありとあらゆる業態がひしめき競い合っている。だから消費者にとって便利で快適なものであるには違いないが、高度に充足された現代の消費者は、どこへ行っても看板を外せば同じチェーン店や売り場ばかりで同質化と画一化に辟易し飽きている。そこに個性的なドンキの生きる可能性がある。
 アジアはまだ流通の発展途上の段階であり、まず消費者に対して「便利と快適」を提供する業態が整備されることが優先事項である。ドンキが出ていくのはそれからだというわけである。これほど自分の会社の姿を見極め、どこで商売が出来るのかを分析する力はすごい。
 安田さんは言う。


 もっとも、おりからの「爆買い」の盛り上がりで、中国からもお客さまたちが大挙して、わざわざ日本のドンキを目指して来ている。少なくとも彼らにとって、ドンキは「日本にあるからこそ価値がある」のだろう。それなのに、こちらからノコノコ中国に出て行くのはいかがなものか、というのが今の私の偽らざる本音である。


 ここも「見」を決め込んでいるということかもしれない。


安田 隆 著 『安売り王一代―私の「ドン・キホーテ」人生』 文藝春秋(2015/11発売) 文春新書
by office_kmoto | 2016-04-24 06:48 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『変奇館の春』

d0331556_6522949.jpg 今回はこれといって気になる文章がなかった。けれど山口さんが度々書いている自分の所の庭を楽しみにされていることは、読んでいて“同好の士”みたいな感じで読ませてもらった。
 「庭の景色」に次のような文章がある。


 ある朝、たとえば食事をしているときに、不意に胸のなかに温かいものがこみあげてくることがある。
 それが何であるかわからに。私にそんな嬉しいことがあるわけがない。いったい、これは何だろう。たとえば恋愛感情のよく似ている。胸が騒ぎ、心がときめく。



 私は、寝るときに、明日の朝、起きたら庭の曼珠沙華を見ようと思って寝たのである。それだけのことだった。


 これが胸のときめきだったとわかり、そうだったと思うと同時に、なんだ、そんなことだったと思うのである。でも草木の花の時期、あるいは新芽の若葉の美しさ、あるいは紅葉の美しい時期というのは短いものである。山口さんが楽しみにしていた曼珠沙華の花の美しい時期がその朝で、それを眺めてみたいと楽しみにしていたのである。
 「所詮この程度」と山口さんは言っているこれど、この庭を眺めるという楽しみはよくわかる。
 山口さんが先生と言っている高橋義孝さんの庭が猫の額程度なので、高橋さんを「猫額庭主人」だと書いているが、この「猫額庭主人」というのが気に入った。私のところの庭もそうであるので、これを今後これを拝借させてもらうと思う。
 「猫額庭主人」の庭は、一年中庭に花が咲いているというわけではない。義父が残していったさつきとつつじがあるだけである。今つつじが満開であるが、散っているのもある。朝雨戸を開けてつつじの状態がどうなっているか、気になる。まだ花がたくさん付いていれば安心し、じっと眺めている。あるいはそろそろ花が咲きそうだと思えば、山口さんの気持ちのようになる。
 つつじにしてもさつきにしても、一年に一回しか花を咲かせない。しかも花の時期は短い。むしろ花のない時期の方が圧倒的に長く、この間月に2回ほど消毒し、肥料を施す。水は毎日やっている。すべてはこの短い花の時期のためである。


 朝起きて雨が降っていると、ああいいあんばいだと思うようになった。水を撒かなくて済むからだ。これからは梅雨時が楽しみだ。(山草)


 これも、毎日の手間を考えれば、雨の日は水まきをしなくて済むので楽が出来るので、私も雨の日はちょっと有難くなる。
 まあ年寄りの暇人が感じることはこの程度のことだけど、楽しみなんて、人それぞれなんだから、それでいいではないか、と思っている。


山口 瞳 著 『変奇館の春』 男性自身シリーズ 9 新潮社(1973/09発売)
by office_kmoto | 2016-04-20 06:54 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

町の素顔を賞味する爆笑珍体験イラストエッセイ

 何のことかとかと言うと、杉浦日向子さんの『東京イワシ頭 』、『呑々草子 』、『入浴の女王』のエッセイ集である。
 杉浦さんの本は初めて読んだ。なかなか面白かった。杉浦さんと一緒にいるのが担当編集者。このシリーズの当初、洋梨のムースのように瑞々しく甘やかに香り立つ外見から」「ポアール・ムース・モリヤマ」と命名された。その後乗り物に乗ればすぐ寝てしまうからノルトスグネール・ポアール・ムース・モリヤマと変わったり、連載5年でどっしりして能天気なのところを発揮して、ポアール・ムース・ビビエンゼ・ド・ホッパー・Mとされたりする。ただ名称が長いので、「ポ」と簡略化されるが、これが彼女の言動と相まって間が抜けていていい感じだった。

d0331556_5483259.jpg さてこの二人の最初の「珍体験」が『東京イワシ頭 』である。最初この題名どういう意味なのかよくわからなかった。この奇妙な書名の説明をこの本の解説者である小泉武夫さんがうまく言っている。


 さて本書は『東京イワシ頭』という奇妙なタイトルを持つ。著者の杉浦さんは「怪しいもの」=「イワシ物件」と位置付けて、バブル末期に東京に徘徊していた魑魅魍魎たる「怪しいもの」を匿名で体当たりで取材した爆笑随筆である。確かに「イワシの頭も信心から」という諺が昔からあって、イワシの頭のようなつまらないものでも信じるとひどく有り難く思う通り、時代の区分なく街にはさまざまなイワシの頭が登場しては消え、消えては登場するから、これを題材にしてその当時の風潮とともにその商道を語ることは、何事にも興味を抱き、話題を欲しがる日本人にとってはとても魅力のある本である。


 要するにこの時怪しげで妙に流行っているところへ二人して行ってみて、それがどんな御利益があるのか、探ってみるということなのだ。まあ怪しいというだけで、常識的におかしいのだが、不思議なものでそれらには即効性の御利益を求めて、人が群がっている。


 そも、イワシとは、流行迷信である。アスファルトのひび割れから生えたヒトヨタケの如く、ビルの屋上に生えたヒメジョオンの如く、翌朝しンなびそうなアヤシゲなものから、結構したたかに花さえ咲かせてしまうものまで、都市の隙間に棲息する雑目ショーバイである。通りすがりの人が、冗談やオフザケで賽銭を投じ、ほんの少しの真面目や本気で、一縷の望みを託す。イワシとは、保証書なしの、シアワセのバラ売り、チーブな幸せ屋なのである。


d0331556_5493914.jpg  さらにバージョンアップしたのが、『呑々草子 』で、「東京」と「御利益」の重荷を下ろし、足の向くまま気の向くまま、のんびりのんきにのんべんだらりと呑むだけ呑んで全国を歩き回る。

 私は杉浦日向子さんの本を読むのは初めてだが、漫画家で江戸の風俗を研究していた人だとは知っている。調べてみると1958年生まれだと、私より2歳年下であるが、ほぼ私と同年代である。だから彼女が昔のことを書いていると、ああそうだった!、と懐かしく思い出すことが出来る。
 『東京イワシ頭 』で鯨を食べに行くのがある。


 かつてそれは、学校給食で無理矢理「食べさせられ」ていた。偏食の肉嫌い故に、給食以外で口にする機会もなく、最後に食べた日から二十年は経っている。しかも、鼻をつまみ、牛乳で一気に流し込む、「ノルマ食い」とて、正確な記憶がない。固くて臭くて、消しゴムみたいにマズイ物だった気がする。その恐怖の正体を、わざわざ今更になって確かめてみようなんて、間抜けな座興である。(鯨食篇)


 確かに我々の給食体験って、おいしいなんていうのはほとんどなかった。鯨とて、私も同じ思いでいる。同じことしていた。牛乳じゃなくて脱脂粉乳である。今はわざわざ当時の給食を食べさせる店もあると聞くが、私も当時の給食を再現した店に行きたいとはちっとも思わない。
 さらにこの『呑々草子 』では次の記述もあった。


 通学用の、手間暇かけてペッタンコに潰した黒革鞄(あまり薄くて何も入らないから、ノート教科書一式は学校のロッカーに放り込んで置く。当時はペッタンコじゃないと恥ずかしかった。ペッタンコ派以外の生徒には、何故かマジソン・スクエア・ガーデンのロゴ入りのバッグが無気味に流行っていた)(巻の十八 隠居志願)


 そうそうこれやった。鞄をぺっちゃんこにするために、紐でくくり、ぺっちゃんこにしてから、型は崩れないようにお湯をかけて形を固定した。教科書など最初から入れるつもりもなく、当時あてがわれたロッカーに教科書一式全部入れていた。マジソン・スクエア・ガーデンのロゴ入りのバッグも確かに流行っていた。


d0331556_5503792.jpg もう一つ『入浴の女王 』では、


 まず、肌がキメ細かい。ヘチマ(天然植物繊維ボディパフ)、ヘチマコロン(ヘチマの露から作った化粧水)ロゼッタ洗顔パスタ(知らない若い衆も多かろうが、かつて一世を風靡した、クロ子さんシロ子さんの、アニメキャラが全国津津浦浦にその効果をあまねく知らしめた、美白化粧品)、ももの花(手足角質ツルツル、ピンク色のベタベタクリーム)、軽石(かかとの友)で、日毎夜毎、磨き込んだだけはある。(宴の一 銀座「金春湯」)


 あった、あった。ロゼッタ洗顔パスタのクロ子さんシロ子さんのCM。懐かしい。ももの花なんていうべっとりしたクリームも実家にあった。懐かしい!


 『入浴の女王 』のコンセプトは次のようである。


 当・浴JO(タイトル『入浴の女王』の略称)は、各地の繁華街にある銭湯に入浴し、その地のニョショウの一糸まとわぬ赤裸々を観察し、しかる後に、その地のオノコに「我が街」を存分に語っていただこうという企画である。(饗の五 名古屋「三越湯」)


 各地の銭湯に突撃入浴する。やはり京都の銭湯の場面が最高に面白かった。


 舞妓さんの、おっぱい。
 湯気越しの乳首は遠山桜色。小振りの椀を伏せた形の双丘は、嵯峨「森嘉」のからしとうふと言うよりも、聖護院かぶらの白。ぴんと、寒気に張り締まっている。
 一糸まとわぬ舞妓さんを、目の前で、見た。
 男だったら、この眼福に浴する為には、どれほどの大枚を要することか。女というだけで、二百九十円で、存分に観賞出来る。

 午後三時、一番湯。化粧前の舞妓さんがお湯に来る。
 年の頃、十八、九。豊かな地毛で、高々と結い上げた桃割れ。こめかみからおでこの際へ、アンゴラセーターの毛羽だち状の下萌え産毛が、やわやわみっしり生えている。
 ラタンで編んだ飴色の脱衣籠の脇へ、ぴたりしゃがむ。半巾くるくる巻取り、腰紐数本しゅっしゅと解いて、華奢な右肩がすべっとあらわになるや、着物は籠へ三笠山。すらりすくっと生き人形、裸弁天のお出ましだ。
 京都、四条木屋町の銭湯、「明石湯」の女湯には、こんな景物がある。エ、ざまあ見ろってんだちくしょうめ。ばあンつらンあずまッこ(馬鹿な面の東ッ子)小鼻ふくらげ目ン玉まン丸くしてんじゃねえ。みやこびとに侮られらアみっともねえ。

 洗い場では、いそいそそのすぐ隣を陣取りの、しげしげ盗み見の、そわそわそぞろ湯。落ち着きがないったらありゃしない。
 茹でたまごを逆さに立てた顔、切れ長の二重、しなる首、細いなで肩、千鳥の翼の鎖骨。背中は土手の新雪。上半身が、冷水でしめた白玉なら、下半身は蒸しあがったばかりの鱧かまぼこ。楚々とした首肩胸に比し、腰回りが思いの外、たっぷりとなまめかしい。バストばーんウエストきゅヒップぷりりの、蜜蜂モデル「平成ナイスバディ(なんとケーハクな響き!)」とは異次元の、アンタッチャブルな悩殺官能の罪を固めた、仮名書の肉体。
 舞妓さんが京女とは限らないが(と言うよりそうでない場合が多いらしい)、京都千二百年の陰陽術が生んだ芸術品であることは確かだ。男と生まれ、かれに精根吸い取られ、生きる屍、ふぬけになる、至極冥利の悦楽だろう(それはまず、食いつぶすに足る身代がなけりゃ話にならない)。
 「ごっつええチチ。和乳(国産おっぱい)の鑑やね」わし。
 「おンとすっごいきれい。なんていうか、後光がさしてました。みとれちゃいました-」ポアール。
 「そのチチがね~大きかないんだけど、品良く整っててね。てのひらへ、しっぽりこんもり満ちる大きさ。そうさねえ。例えりゃ、皮に独特のコシと香りがあって、中は熱々のジューシィーな肉汁たっぷりの、食いつきゃほとばしる神戸元町『老祥記』のショウロンポウ(豚まん)の味わいかな。その先端には、あらら可愛いベビーピンクのニュウトウ。さながら、ほころびかけた雪中梅か、甘くはじけるチェリーボンボンってネ。そしてそれから、ぐっと下がって、抱きつきたくなる、ぽっとりしたボンジリ」わし。


 基本的に銭湯は玉石混交?で、特に一番湯なぞ、地元のおばさん、おばあちゃんのオンパレードで、その崩れた体型を描写しているが、そんな中で舞妓さんが入浴していれば、そりゃあこうなるわなあ。読む方も本に釘付けとなる。
 さて杉浦さんのことを調べていたら、46歳で亡くなられたという。若い。『呑々草子 』には、


 わしのてのひらの生命線は、生まれつき、とても短い。(巻の十八 隠居志願)


 とある。自分はそう長く生きられないといった感じの記述であった。だからか、早く漫画家を引退し「隠居生活」を宣言されたという。
 隠居生活をすると、世の中一歩も二歩も引いて眺められる。だから書かれていることに、「う~ん、そうかもしれない」と思ったりする。


 言われてみれば、コンビニは都市の皮下脂肪のような気がする。眠らない都市の、眠れない孤独が、皮下脂肪を増やし続ける。退屈な夜中に欲しくないものまで買い込み、もの思う相手のなさをジャンクフードで埋め合わせる。(『呑々草子 』巻の三 ひねもすのたり)


 あくせく中流に背伸びするよりは、のんびり貧乏しよう。もう頑張らなくたっていい。経済大国を支えた所で誰が誉めるでなし。小市民は、いつまでたっても小市民だ。企業や政治家を肥えさせ、われわれは過労に喘ぐばかり。過食で太った経済は醜い。羨望のスタイルが欲しいのじゃない。異常なデブを少し身軽に戻すだけだ。昭和三十年代の、希望に溢れたビンボーが懐かしい。喧嘩のタネとなる貧乏はシンドイけれど、「ちょっと貧乏」が間尺にあって生き易い。(『呑々草子 』巻の十四 ジュリアナじゃ)


 日々のくらしに嗜みが不足している。
 そりゃ道理。今時の人は賢くなっちゃって、嗜まないでも生活に差し障りないから、無駄に嗜まない。無駄を省けば誉められる世の中だから、嗜みなんざ真っ先に省かれちゃう。古銭を磨いたり、蓄音機を直したり、無駄をいじくるのが隠居の仕事。さればこそ、平成の隠居見習いとして、嗜みにいそしもうじゃないか。(『入浴の女王』饗の四 東京浅草「蛇骨湯」)


 座敷なら床の間、茶碗なら糸底なら風情あり。実用をなさぬ部分に、心を込め、気持ちを託す。利を捨て、無駄を喜ぶ機知こそが、江戸の粋ではなかったか。(『入浴の女王』饗の四 東京浅草「蛇骨湯」)


 スケジュールは、しごとには不可欠だが、あそびには無用なものだ。スケジュールとは、時短と省力にためにある。が、あそびは逆に、手間をかけて、濃密なときを醸すものだから、本来カレンダーも時計も必要としない。スケジュールは、ハプニングを極力未然にふせぐが、あそびはハプニングをうまく誘引するための、「とっぴな思い付き」を最優先する。あそびごころとは、無駄をたのしむ機知のことだ。しごとなら迷わず特急だが、あそびなら鈍行、徒歩はなおいい。しごとは結果にあり、あそびは過程にある。(『入浴の女王』饗の十三 東京上井草「大師湯」)


 しごとは経済を肥やすが、あそびは文化を育む。(『入浴の女王』饗の十三 東京上井草「大師湯」)


 妙に昔を懐かしがる傾向は老化の始まりとも言うが、そればかりではないと思う。昔が良かったのは、これまでの生き方に無理があり、疲れてしまったからで、時間が今よりものんびり流れていた時の方が、思い出すことも癒やしになるのである。
 もう少し杉浦さんの本を読んでみたくなった。


杉浦 日向子 著 『東京イワシ頭 』(新装版)講談社(2012/05発売)講談社文庫

杉浦 日向子 著 『呑々草子 』(新装版)講談社(2012/06発売)講談社文庫

杉浦 日向子 著 『入浴の女王 』(新装版)講談社(2012/07発売)講談社文庫
by office_kmoto | 2016-04-17 06:09 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成28年4月日録(上旬)

4月1日 金曜日

 曇り。風が強い一日だった。

 ビデオに録画しておいたNHKの「100分de名著」司馬遼太郎スペシャルを全4回見る。その前にテキストも全部読んで予習した。私にとってこういうのは、ちょっとした勉強した気分にさせてくれ、久しぶりに気持ちいい緊張感を感じさせてくれる。
 番組でも取り上げられている『この国のかたち』の1巻を読み終える。

 庭にある千重オオムラサキが昨日うっすらと蕾が紫色になっていたが、今日見たら昨年の秋に落葉して葉がなくなっていたところに、青葉が伸び始めていた。それも一晩で一気に伸びた。

 以前近所でガソリンスタンドをやっていた人がそれをやめて、スタンドを更地にして畑にしていた。しばらくは野菜や花を作っていたが、ここ数年何もせず荒れ放題になっていた。
 今年その土地の整地が行われ、地鎮祭が行われた。家が建つようだ。その整地された土地の隅に以前植えてあった水仙が残っていて咲いていた。
 ところがそれを掘り起こして持っていった奴がいて、無残に掘り起こされたまま捨てられているのが数本あった。荒々しく掘り返したようで、球根がいくつも割れていた。それが捨てられたままになっていたのだ。
 しかしよく見るとまともな奴もある。きっと掘り起こしたとき花が付いていなかったため、捨てられたのだろう。葉は元気である。そのままじゃダメになるか、家が建てば踏みつぶされる可能性がある。可哀想なので二つほど持ってきて、先日庭に植えた水仙の横に植えた。植え替えたうちの水仙同様、来年花を咲かせてくれればいいのだが。


4月2日 土曜日

 曇り。

 ここのところ天気がはっきりしない日が続く。陽射しが出てもすぐ曇ってしまう。
 それでもサクラは満開になっているというし、明日以降天気もはっきりしないというから、先日のリベンジというわけで、急遽錦糸公園へ花見に出かける。
 花見の前に腹ごしらえと思い、駅ビルの中にあるレストラン街の店に入ろうとメニューが置いてあるウインドウを眺めていた。その時いきなり十四、五人の男どもがやって来てわいわい言いながら、席の予約を先にしてしまった。
 店はそれほど広いわけでもない。お昼時で混んでもいたが、メニューを見ているときは、待っていれば次当たり大丈夫だろうと思っていたところに、先に予約されちゃったものだから、何だか無性に腹が立ってきてしまったのである。もちろんさっさと決めなかった私たちが鈍くさいのだが、このお昼時にいきなり十四、五人はないだろう、と思った。この団体のために、店は席を作るのに苦労している。店側の配慮としては出来れば一緒の席にと思っている。けれどそれぞれの席に違うお客が座っている以上、たとえ一つ席が空いても、十四、五人座れる席など他を待っていなければ作れない。だからお客が出ていって席が空いてもなかなか我々は入れない。彼らの席を確保されるまでお預け状態であった。
 出来れば店を変えたかったのだが、お昼時である。どこでも混んでいた。待っている人がたくさんいた。結局待っているしかなかった。
 やっと我々の席が出来て中に入れば、この団体がわいわいがやがややっているからうるさい。
 私の怒りはどんどん増幅していく。収まらない。とても食事をしている気持ちになれず、残して出てきてしまう。
 ある意味、私の怒りは不当であることはわかってはいる。順番だからたとえ十四、五人の団体がいればそれが先である。だけどもし私がこの団体ならこのお昼時いきなり団体で小さな店に入れば他のお客に迷惑を掛けるだろうから、予約をいれるか、少し時間をずらすなりすると思う。席を作ってくれるのに時間がかかるし、席が決まって料理の注文が一気に入るから、あとのお客は席にやっと着いても注文した料理が出てくるまでまた時間をかけることになる。店の従業員もてんてこ舞いだから、対応もおざなりになる。実際そうであった。

 歳をとれば本来穏やかになっていいはずなのだが、私はなかなかそうなれないところがある。また一度自分の中で怒りが発生すると、それを静めるのに時間がかかるようになってしまっている。性格もある。結構引きずる方なのである。なのでせっかく花見に来ても、怒りが収まらず、公園内を一回りして帰って来てしまった。カメラを持っていったが、一枚も写真を撮らなかった。

 夜花粉症がひどくなる。


4月3日 日曜日

 雨のち曇り。

 司馬遼太郎さんの『この国のかたち』の2巻を読み終える。
 続いてこのシリーズを読みたくなったので、これまで借りていた本とDVDを返却し、3巻以降全部借りてくる。
 今回中央図書館で借りたのだが、このシリーズは棚に並んでいない。別の書架で管理されていて、申し出て出してもらう。そのためか借りた本はこれまでと違いきれいな本であった。司馬遼太郎さんの本となれば借りる人は多いだろうから、出し入れが激しいだろうくらい想像がつく。実際このシリーズの1、2巻はかなり痛んでいた。スピンもだいぶ使われたから短くなってしまっていて、その役目を果たさなかった。今回はそういうことはさすがになかった。

 新しく朝日新聞に連載される『吾輩は猫である』の切り抜きを専用のスクラップノートに貼る。


4月4日 月曜日

 雨のち曇り。

 司馬遼太郎さんの『この国のかたち』の3巻を読み終える。

 もう少しでつつじが咲きそうだ。赤い蕾がかわいい。週末孫が来る予定だが、咲いている花を見せられればいいのだが。


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4月5日 火曜日

 雨のち曇り。

 とにかく天気が悪い日が続く。

 司馬遼太郎さんの『この国のかたち』の4巻を読み終える。

 私は今年の9月で60歳になる。今日国民年金保険料を8月までの分まとめて前納した。これで年金保険料はすべて納めたことになる。
 国民年金のことを勉強したことがあったが、ほとんど忘れてしまった。ただ私が大学生の時は、今みたいに強制加入となっていなかった。後に合算対象期間になっていたんじゃないかな。とにかく40年は納めていないが、それ近く納めてきた。仕事を辞める前は天引きで年金保険料を払っているという自覚はそれほどなかったが、離職後自分で納付することになってみると、わずか2年ちょっとだったが、納めるということを実感していたので、やっと終わったか、という気分である。しかし40年というのは長い。


4月6日 水曜日

 晴れ。

 久しぶりに晴れの一日だった。
 午前中私の実家に行って、君子蘭を一鉢持ってくる。実はこの君子蘭は義父が株分けしたやつをもらったものであった。ところが肝心の我が家にはその君子蘭が残っていなかった。義父が生きていた時はあったのだろうが、死後誰も管理するものがいなくなってしまったので、枯れたのか、処分したのか、とにかく一鉢もなくなってしまった。
 それで実家にあった一鉢を持って来たわけだ。里帰りである。君子蘭が好きというわけではないが、まあ実家に義父の残してきたものがあり、それを持ち帰りたいと言うことだけである。

 午後から毎月行っている病院へ行く。6月に大腸の内視鏡検査の予約を入れる。
 私が相変わらず早食いが治らないことで、妻から先生に相談した。私がいつも妻から口うるさく言われているのだが、長いことの会社勤めで身についてしまったものだから治らない。それで先生から注意してもらおうという魂胆である。
 もちろんきつく言われる。調剤薬局で薬剤師にも同じように言われた。彼はまだ理解があって、「長いこと会社勤めをしているとどうしてもそうなりますよね」とか「私も妻からそう言われます」とも言ってくれた。けれど「やはりそれは治した方がいいですよ」と「30回咬みましょう」とアドバイス。
 で、そのあといつものように昼食を取る。試しにゆっくり食べてみる。さすがに一口ずつ30回数える気にはならないが、意識してゆっくり食べてみる。
 そして夕食も同様にやってみた。そうしたらいつも出るゲップがでない。お腹も張らない。このため夜はなかなか寝付けないのだが、すぐ寝られたようだ。
 まだ2回しか試していないので、疑っているけれど、もしかしたらこれはいいのかもしれない、と思い始めた。明日から意識して食事をゆっくり取ることをしてみようと思っている。
 シマホでは赤土を買う。庭の土が雨で流れているところがあるので、そこに補填する予定だ。

 夕方、東京ガスから電気自由化による勧誘が電話である。ちょっと考えているので、話を聞くことにした。疑問点もいくつかあるので聞いてみようかと思っている。


4月7日 木曜日

 雨。

 今日は予想通り雨。花散らしの雨である。

 司馬遼太郎さんの『この国のかたち』の5巻を読み終える。


4月9日 土曜日

 晴れ。

 娘が中学時代の友人の出産祝いに駆けつけ、そのままこちらに泊まることとなった。


4月10日 日曜日

 晴れ。

 孫にポケットデジカメを渡し、自由に写真を撮らせた。いつも自分は被写体になっているから、たまにはこういうのも面白いんじゃないかな、と思ったのだ。こういうときデジカメというのはフィルムの枚数とか、現像とか心配しなくてもいいから、好き勝手にさせることが出来る。とにかく好きにシャッターを押せばいいと言うと、自分でお気に入りを見つけて撮っている。
 それをパソコンで見てみると、案外面白い写真が撮れていたりする。大人では考えないような写真を撮ったりする。
 今朝黄色いチューリップの花が咲いたのでそれを撮っていたし、自分の足元を撮ってみたり、道路にサクラの花びらが散って落ちているのを撮っていたりする。遊びであることは間違いないのだけれど、それでも大人にない発想みたいなものがあって、パソコンで撮った写真を見てみると驚いたりする。


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 それにしても子どもというのは物覚えが早いものだ。昨日OneDriveに写真をアップするに当たり、新しいフォルダーを作ったのだが、孫にそのフォルダー名を教えながら打たせると、すぐ覚える。
 最初は言われるままキーボードを打っているのだが、同じ操作だとわかると、教えている私の手を払いのけて、自分でやっていく。こうやって子供たちはどんどん新しいことを小さい時分から覚えていくのだろう。
 それに較べ、自分たちの物覚えの悪さを思うと、つくづく歳をとったことを感じてしまう。


4月11日 月曜日

 曇り後晴れ。

 昨日とうって変わって寒くなる。
 昨日から花粉症がひどくなってどうしようもなくなる。なので、今日は一日家にいる。赤いつつじが咲き始めた。今年は確かに花が多い。

 司馬遼太郎さんの『この国のかたち』の6巻を読み終える。これで全部このシリーズは読み終えた。


4月12日 火曜日

 晴れ。

 波多野聖さんの『本屋稼業』を読み終える。この本は紀伊国屋書店創業者田辺茂一を小説にしたものである。読んでて田辺茂一のことに興味を持つ。彼が書いた本が、彼について書かれた本など探してみる。
 こういうときネットというのは便利である。検索作業が楽だし、これはという本をその場で図書館で予約できる。2冊ほど探し出し、予約を入れた。


4月15日 金曜日

 晴れ。

 昨夜9時26分、熊本で震度7の大地震が起こった。甚大な被害が出ているようだ。一夜明けた今日、先日「ブラタモリ」でやっていた熊本城も石垣が崩れ、城の屋根瓦も崩れ落ちている。シャチホコも落ちたらしい。番組中で言っていたが熊本城は西南戦争で西郷軍の攻撃にも耐え、落とせなかった城であったが、自然災害にはさすがに耐えられなかった。地震は本当に恐ろしい。

 図書館に借りた本を返却するのと、予約した本3冊借りてくる。その後図書館の近くにあるコーナンでまた赤土を買う。店内に入ると東京消防庁の人が立っていて、「地震に備える」というパンフレットを配っていた。やはり熊本の地震を意識して配っているのだろう。

 今日は風が強かったので、庭に買ってきた土を補填するのは明日にする。

 山口瞳さんの『展覧会の絵』を読み終える。

 つつじが満開となった。千重オオムラサキも八分咲きというところか。


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by office_kmoto | 2016-04-16 06:25 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

須田 桃子 著 『捏造の科学者―STAP細胞事件』

d0331556_1959342.jpg 理研から幹細胞研究の基礎分野から大きな進展があったとして、案内があった。どんな内容の発表なのか、この時点で何もわからなかったので、著者は故笹井芳樹・CDB副センター長にメールを送り、その返事が以下の通りである。


 記者発表については、完全に箝口令になっています。
 しかし、一つ言えることは、須田さんの場合は「絶対」に来るべきだと思います。


 記者発表は小保方晴子・研究ユニットリーダーによるSTAP細胞の記者会見である。そしてこのSTAP細胞がその後事件として、捏造であったことが判明していく。この本はその事件の過程を取材した記録である。
 私はこうしたことに不勉強なので、詳しいことは理解できない部分があるが、読んで知ったことをまず書いてみる。
 まずSTAP細胞という名称は論文が2013年3月10日にネイチャーに投稿したときに初めて使われたという。詳しくはSTAP細胞(Stimulus-Triggered Aquisition of Pluripotency=刺激惹起性多能性獲得細胞)ということだ。
 この論文は、マウスの細胞に弱酸性溶液にさらすなどのストレスを与えるだけで、何も手を加えなくても細胞が受精卵に近い状態に初期化(リプログラミング)され、ES細胞やiPS細胞(人工多能性細胞)のように、体のあらゆる細胞に分化する能力を持つ万能細胞に変化したとの内容だ。
 それで細胞の初期化とは何かというと、


 ヒトを含む動物の体は、血液や筋肉、神経など、さまざまな種類の細胞で構成されている。少し発生が進んだ受精卵(受精胚)の中の細胞は、体をつくるすべての種類の細胞に分化する、多能性(万能性)という能力を持っている。しかし、生まれた後の動物の体細胞は、すでに血液や神経、筋肉など、一定の役割を持った細胞に分化していて、全く異なる種類の細胞に勝手に変化することはない。体細胞の時計の針を巻き戻し、受精卵に近い状態に逆戻りさせることを「初期化」と言う。


 初期化によって万能性を持った細胞として、ES細胞やiPS細胞がよく知られている。STAP細胞とこれらの細胞との違いは、STAP細胞には万能性はあるが、ES細胞やiPS細胞のようにほぼ無限に増える自己増殖能がない。そしてSTAP細胞がES細胞やiPS細胞との大きな違いは、STAP細胞には胎盤に分化する能力があるというのが理研のプレリリースや記者会見で強調された。
 しかしこうした衝撃的な発表からそれほど時間が経たないうちに、データの切り貼り、写真の使い回し、違うデータ写真を使うなど、論文に様々な疑義が次々と出てくる。
 理研は華々しい発表から一転してこれに対応しなければならなくなった。調査委員会など設置され、論文に関わる疑義を調べはじめる。そして論文にいくつかの捏造があったことを認定していく。論文の上にあるデータ改ざんはSTAP細胞の存在の有無にかかわっていく。そして小保方さんの「STAP細胞はあります」という会見になる。
 しかしこの本を読んでいると、どんどんSTAP細胞の存在が怪しくなっていくのがわかる。STAP細胞の存在が危うくなっていく中、彼女としてはそう言うしかなかったのだろうな、と思えるが、もともとSTAP細胞の論文が発表された当時から、科学者からいろいろな疑問がついていたらしい。実際STAP細胞の論文は科学史に残るスキャンダルになっていく。
 しかし理研は論文の疑義を調査するよりも、STAP細胞の存在確認を重点的に進めていく。


 論文によれば、STAP現象とは、分化した体の細胞が刺激を与えることによって初期化し、万能性を獲得する現象だ。STAP細胞を発生が少し進んだマウスの受精卵(胚盤胞)に注入すると、元の受精卵由来の細胞とSTAP細胞由来の細胞が全身に混じったキメラマウスが生まれる。その際、胎児だけでなく胎盤にもなるのがSTAP細胞の特徴だ。
 STAP細胞から、万能性と自己複製能を併せ持ち、ES細胞に似た「STAP幹細胞」ができる。STAP細胞からSTAP幹細胞が得られることも初期化が確認できれば、STAP現象の証明を完了したと言える。
 キメラマウスの作製は、細胞の万能性を評価する最も厳密な方法だ。テラトーマができるとか、培養皿の中でさまざまな細胞に分化することは、傍証と位置付けられる。キメラマウスさえできれば、それをもって完全な万能性が獲得できたと判断できる。


 ただ、


 弱酸性溶液で刺激を与えた細胞で万能細胞に特有の遺伝子(Oct4)が働き、緑色に光るところまでを理研が再現できているものの、万能性の証明となるテラトーマ実験とキメラマウス実験の再現報告はなく、存在の証明はできていない。


 結局理研はSTAP細胞を再現できなかった。


 「STAP細胞」はES細胞か、培養されたそれに近い細胞だった可能性が高いという結論が自然だ。


 小保方さんに、「ES細胞と非常によく似ているけど、ちょっと違うものを作る」という明確な意図が感じられると、その悪質さを語る人も出てくる。
 この本を読んでいると、著者は理研とスタンスが違うのを感じる。理研はSTAP細胞存在のあるなしをはっきりさせることで、論文の疑義を一気にはっきりさせようとした。 一方著者はSTAP細胞にある疑義を追求していくけれど、どちらかというと小保方晴子という人の資質、さらにこんな彼女を理研が研究ユニットリーダーとして雇用した理研の体質を追求していく。
 読んでいると、小保方という女性はどうやら適当に誤魔化し続けた人生を送ってきたように思えるし、自らの上司としての先生たちをいいように利用し、渡り歩いてきた感じがしてしまう。
 理研も理研自体政治的な駆け引きが前面にあり、一発逆転を狙っていたところがあり、それがSTAP細胞であったようだ。そのためSTAP研究は特別待遇で、内部で十分な検討の機会がされない状態であったようだ。
 そして著者は何よりも論文の捏造に重点を置いているように思えた。でも次の文章を読んでいると、なるほどと思った。 


 科学は長年、論文という形式で成果を発表し合い、検証し合うことで発展してきた。本来、STAP論文こそ、STAP細胞の唯一の存在根拠なのである。研究機関自らが、社会の関心のみに配慮して論文自体の不正の調査を軽視し、先送りしたことは、科学の営みのあり方を否定する行為ともいえよう。理研の対応は科学者コミュニティを心底失望させ、結果的に問題の長期化も招いた。何より理研は、「信頼」という研究機関にとって最も大切なものを、失ったのだ。


須田 桃子 著 『捏造の科学者―STAP細胞事件』 文藝春秋(2014/12発売)
by office_kmoto | 2016-04-13 20:03 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『変奇館日常』

d0331556_6483444.jpg 変奇館とは山口さんが借金をして作った自宅のことである。この家どうやらかなり奇抜な家らしく、実験的な家であるようだ。そんな家を次のよう言う。


 私の家が出来あがってから三年にちかくなる。この家を、永井荷風の偏奇館の真似をして変奇館と名づけた。すなわち私は変奇館主人である。(変奇館その後)


 さて、今回はそんな変奇館主人、山口さんの生き様から引っ張り出してみる。

 私にとっては、ミットモナイことは悪いことだという観念が、かなり強烈に存在するのである。(褒める)


 これは元々山口さんの行動規範である。


 私の年齢は、胃カメラによる胃の検査を必要とする年齢と言っていいだろう。友人の半数は、それを経験しているか、もしくはそれが必要なのだけれど逃げているといった状況である。胃カメラを飲みこむくらいなら死んだほうがマシだと言ったりする。(胃の検査)


 そうなんだよなあ、と思う。若い頃など自分が胃カメラを毎年飲むなんて考えもしなかったし、ましてお尻からカメラを突っ込まれなんて想像もしなかった。私は今年もこの両方の検査が待っている。


 文房具や事務用品が好き。いまでも伊東屋とか文祥堂とか丸善なんかの前を通り過ぎるときに胸がときめくような思いをする。
 私思うに、これはひとつには私が劣等生であったせいではないかと思う。文房具の専門店へ行って、ノートや鉛筆を買うと、それだけで何がしかの勉強をすませたような気分になってしまう。(私の好きな二)


 この文章を読んだ時、そうかもしれない、なんて思った。私も文房具が大好きで、必要以上に持っている。


 薬は科学的であって冷たい感じを持つ人がいるかもしれないが、私にあってはそうではなくて、薬には何か夢がある。病気が治るということは別の人間に生れ変ることであって、そういった変身の術のような夢がある。それから薬には何かマヤカシの感じがあって、そういうマヤカシが好きでないことはない。薬にはマヤカシの感じがあるからこそ、縁日には薬売りが出たのだと思う。(私の欲しいもの)


 私も毎食後薬を飲んでいるが、薬に夢があるとは思えない。ただマヤカシ感はある。毎日飲んでいても一向に症状が改善されないし、かといってそれを止めればひどくなるという一種の恐怖感もあるから止められない。それが私が薬に持つマヤカシ感である。
 次の文章はもっともだ、と思えるもの。


 論をなす人には生活が無いと書いたが、実際は、これは、生活が無いから論をなすとしたほうが正しいだろう。(泣いている赤ん坊)


 梅を見に行く。来年も見に行くだろう。庭の樹木の生長に驚く。私を生かしているモトになっているのは、そういう、ちょっとしたことであるように思われてならない。(梅を見に行く)


 よく生きることの意味を問う本や話があるけれど、そういった大上段に構えて論を為しているものを読んだり、聞いたして、果たしてどれだけ役立つのか、と思うことが度々ある。生きていくというのは、こうした日々の変化、あるいは日々やらなければ、と思うことが、その人を生かしているというのは大賛成である。それがやりたいから、それを見たいから、生きているでいいではないか。


山口 瞳 著 『変奇館日常』 男性自身シリーズ 8 新潮社(1972/10発売)
by office_kmoto | 2016-04-09 06:50 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

サクラ 

 今日はこちらの公立小学校の入学式だったようで、ピカピカの一年生が親と一緒に学校に向かう光景を見かけた。ぴょんぴょん跳ねているのが可愛い。小学校の前を車で通ったときサクラが満開になっているのが見えた。今年は入学式にサクラが満開になったのでいい入学式となったのではないか。
 なんでも明日は天気が崩れるらしいので、サクラは散ってしまう可能性があるという。

 そんな余韻が残っていたので、近くの親水公園を散歩するとき、カメラを持って出た。親水公園にはたくさんのサクラが咲いている。いい写真が撮れたので、載せる。


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by office_kmoto | 2016-04-06 20:31 | 余滴 | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『天下の美女』

d0331556_533779.jpg 「正論を吐く男」で次のようにあった。


 AとBが酒を飲んでいる。AがBにからんだとする。クダを巻くでもいい。
 この場合、たいていは、Aの言うことは正しいのである。正論である。
 酒を飲んでカラムというときに、間違ったことを言いだして因縁をつけると思われがちであるが、決してそうではない。酒を飲んで、どうかして、遂に正論を吐くにいたるのである。
 (略)
 酒のうえの話にかぎったことではなくて、体が弱ってくると世論を吐くようになる。また、老齢になると、正論党になる。つまり頑固オヤジである。
 頑固オヤジが嫌われるのは、曲ったことを言うからではなく、正しいことを言うからである。曲ったことなら聞き流せばよい。正論だから、耳に痛い。従って煙ったくなるということになる。


 ただし、正論党というのは、言わなくてもいいことを言ってしまう、という傾向がある。嫌われるのは、そのためだ。堪え性がないという傾向もある。だいたいにおいて、痩せている。


 しかし、正論党は、やはり、言わなくてもいいことを言ってしまう傾向がある。吉行さんの言われるように「世の中というのは、あまり本当のことをいっちゃいけないところで成り立っている点がある」と思われる。「お前は正しい。しかし、それはイカン」というところがある。


 これは山口さんと北杜夫さん、そして吉行淳之介さんとで鬱病について話し合った時の吉行さんの言葉である。
 これは何となく居酒屋でよく見かける光景ではないか、と思うが、でも確かに本音を言えない窮屈さが今の世の中にはある。
 それでも先に読んだ荻原魚雷さんの「厄介だが天晴れ」の言葉を思い出し、それをこのシリーズで期待している。

 この巻の圧巻は1970年(昭和45年)11月25日の三島由紀夫の陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地における割腹自殺の事件から三島由紀夫という人間を山口さんは七回にわたり書いていることである。たぶん一回が一週だろうから七週にわたって、山口さんが考える三島由紀夫という人間を書いたことになる。事件ことがショックで頭から離れなかったという。そこで山口さんが見た三島由紀夫という人間像を書き始め、三島由紀夫という人物はたぶんこういう人物だったのではないかと考える。これが山口さんらしい三島由紀夫像に思えた。
 山口さんは事件の三年ほど前に寿司屋で三島由紀夫と会った。


 三島さんは、トロを注文した。トロ以外食べないのである。その感じは、どうにも、異常だった。(「なぜ?」一)


 それが十回ぐらい続いた。
 いかにも三島さんらしいと思う人がいると思う。私も、いかにも三島さんらしいと思う。(「なぜ?」二)


 山口さんは三島由紀夫が「寿司屋における初歩的なマナー」を知らないのであると書く。どういうことかというと、マグロは仕入値が高く、それでいて儲からない。ひところマグロは寿司屋にとって赤字になるといわれた時期もあった。しかしマグロは寿司屋にとって目玉商品でもある。そのマグロばかり食べてしまう客がいれば、品切れになる可能性がある。そうすれば目玉商品のない寿司屋は店じまいしなければならない。それを山口さんは知っているから、マグロを注文する時は遠慮しいしいという具合になる。ところが三島由紀夫はマグロばかり食べている。山口さんは三島由紀夫がそんなことを知らないで、平気で食べられる姿が「異常」に見えたのである。そこから、


 私は、ここで、三島さんが世事に疎い人であったということと、世間に気兼ねしない人であったことを、はっきりさせておきたい。(「なぜ?」三)


 三島さんは、気兼ねしない人だった。しかし、一般庶民というのは、世間に気兼ねすることでもって生きているのである。
 私は、寿司屋へ行ったら、どうしたって、その店の経営と職人の立場というものを考えないわけにはいかない。(「なぜ?」三)


 と書く。事実この時、マグロばかり注文する三島さんを職人は困った顔をしていたという。そういう気兼ねしない三島由紀夫の見ることが出来るもう一つの事件を山口さんは紹介する。
 谷崎潤一郎賞の授賞式で選考委員が座る席に一番演壇に近い席を当時の文壇の重鎮である舟橋聖一と丹羽文雄を譲りあって、その席が空いた。そこへ遅れてきた三島由紀夫がすっと座った。


 その様子に、悪びれるところは微塵もなかった。臆するところがなかった。それがいかにも三島由紀夫であるというふうに私の目に映った。
 気兼ねするしないという段ではなく、むしろ、颯爽としていた。(「なぜ?」三)


 山口瞳さんが見た三島由紀夫という人は、こういう人であった。だから、


 私は、ほとんどの人が、三島さんの死の決意に気づかなかったのは、このような三島さんの性癖というか無頓着というか、他人とはおおいに異なる神経のためだったと思う。悪趣味な家を建てようが、裸の写真をとらせようが、シャンソンを歌おうが、軍服を着て観兵式の真似をしようが、いかにも三島さんらしいということで見過ごしてきてしまったということに原因があるように思われる。もし、これらのことが、すべて最後の自決にいたる伏線であったとするならば、たいした演出家、たいした役者といわないわけにはいかない。昼行灯の大石内蔵助以上の役者である。(「なぜ?」四)


 と書く。で、三島由紀夫があのような自決をしたのかいくつか理由を推測しているが、その中で、


 三島由紀夫は、戦争中であったならば、自決あるいは自殺をしなかったはずである。このことは非常に明瞭である。三島由紀夫は、平和だから、昭和元禄だから自決したのである。三島由紀夫を殺したのは「平和」である。(「なぜ?」六)


 これは山口さんの当時書いていた小説のテーマであった。戦争も人を殺すけど、平和も人を殺すのだ。そういう現実を戦後山口さんは見ていたのである。
 山口さんは三島由紀夫の自死は戦中派の徒労感でなかったのかと推測するのである。


 三島さんは、すぐれた小説というだけでは我慢が出来なかったのだろうと思う。傑作であると同時に、売れる小説(当たる芝居)でなければならなかった。それがスターの宿命であって、三島さんは、名作であってベスト・セラーであるような小説を書く自信を喪っていたか、あるいは、そのことに疲れてしまったのではなかろうか。(「なぜ?」七)


 山口さんは徹底的に戦争を、その体験者として非難する。


 戦争はあったほうがいいか。軍隊組織はあったほうがいいか。冗談じゃない。マッピラゴメンである。赤線は復活したほうがいいか?馬鹿なことを言うもんじゃない。昔はよかったか?戦前の日本はよかったか?ちっともよくはない。
 いまのままで、いまの日本で結構だ。
 風呂敷包みの中味は、ねえ、きみ、とってもこわいんだよ。(忘れもの)


 山口さんは電車の棚に忘れられる風呂敷包みに見立てて、その中身には「戦争」が包まれている。それが忘れられている、現在の平和にある不安をこのように言う。
 ひとごろしは戦争だけではないということをこの「男性自身シリーズ」でいろいろな場面で言ってきている。武器だけが人を殺す訳ではない。人がいるだけで、その人の言動が人を殺すという事実が平和の中にはあるということを言っている。あるいは平和の中で求められるもので、その追求による疲労感も人を殺す。三島由紀夫もそうであったと考えていた。

 平和でも人を殺すのだということを自覚しつつも、それでも戦中派の山口さんがこれまでの人生の休息を求める文章は、ホッとする。


 私は歳月を思わないわけにはいかなかった。その歳月は、たとえば温泉旅行とは無縁であるような、血腥いような、熱り立っているような、息急き切って駈けているような年月だった。私も女房も、少しは骨休めをしてもいいだろうと思った。(花梨)


山口 瞳 著 『天下の美女』 男性自身シリーズ 7 新潮社(1971/07発売)
by office_kmoto | 2016-04-05 05:36 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

荻原 魚雷 著 『閑な読書人』

d0331556_5333642.jpg たぶん荻原さんの本は全部読んでいると思う。表紙の裏には著者とこの本の案内がある。


 大学在学中にフリーライターの仕事をはじめ、そのまま中退し、現在に至る。原稿料だけでは暮らしていけない。足りない分は我慢したり、古本を売ったり、アルバイトをしたり。好きな時間に寝て起きて、古本屋をまわって、一日中、本さえ読めれば……。
身軽な自由業を続ける著者が、その心根を吐露しながら、大好きな昭和初期の文人、古本やまんがについて語る。本の本であり、ニートのための本でもあり、そして昭和の文人魂も味わえる、珠玉のエッセイ集。


 いわゆる雑文集なのだが、第1章の「フリーライター」では自身の生活をふり返る。ギリギリの生活をしながら、いつの間にか自分の生活スタイルを作っていく。


 下り坂から転がり落ちないようにブレーキを踏みながら、日々をすごす癖がついた。おかげで、その日暮らしとその場しのぎと気晴らしとひまつぶしは得意となった。(隠居願望)


 それでいてしっかり次のよう言う。


 ほどほどでいいという発想は、経済の敵である。人間がもっと貧欲でギドギドになってくれないと、経済はうまく回ってくれない。(隠居願望)


 第3章の「魚雷の教養」は今までの荻原さんのエッセイとしては異質だ。どうやら受験生に向けて書かれた文章のようで、荻原さんにしては身分不相応な感じがしないでもない。まあエリートコースに進もうとしている受験生に対して、荻原さんが読んできた本から「こんな生き方もありますよ」といった感じで言っている。そこに次のような文章があった。


 本に関する悩みもしくは質問で「何を読んだらいいのかわからない」というのがある。「何でもいいから読めばいい」といいたいところだが、それでは答えにならない。読みたい本を見つけることは、読書の楽しみのひとつだ。そして本を探す力は、わからないこと、知らないことを調べる能力にもつながるとおもう。


 本の話でいえば、書店や図書館に行って、本の表紙や背表紙を見ること。最初は本に興味がなくとも、本に囲まれた空間にいるうちに、そこに何が書かれているのか気になる本、読みたくなる本が見つかるかもしれない。本を読むことの楽しさを知れば、無理強いしなくとも読むようになる。(魚雷の教養)


 これは確かにそうで、私も本屋や古本屋、あるいは図書館で本を眺めるだけで、この本にはいったい何が書かれているのだろうとか、こんな本があるんだ、といつも新しい発見が出来る。


 もう一つ。


 ただし、頑固者は、常に妥協せず、自分の感覚で押し通す人というような意味合いもあり、「厄介だが天晴れ」という見方もなくはない。(魚雷の教養)


 これは今読んでいる山口瞳さんの「男性自身」シリーズで感じること。
 第4章の「男のまんが道」では“確かに”と実感していることである。


 男はいつか中年になる。気力も体力もおとろえ、「このままでいいのか」と悩む。若いころの失敗は、いい経験になることが多いが、中年は失うものが大きい。中年になると、自分の可能性や能力にたいして、若いころよりもシビアな計算ができるようになる。(男のまんが道)


  第5章の「程よい怠惰」では、


 長年、本を読んでいるうちに、だんだん自分の選書眼のようなものができてくる。どんなに名作といわれても、好みから外れている本にはなかなか手が出ない。自分の価値基準でその本のよしあしをすぐ決めてしまう。読書の幅が狭くなる。(ぼんやり迷読)


 これもまさしくその通りだと思ってしまう。同じ系統の、同じ作家の本ばかり読んでいちゃまずいな、と思うが、この歳になってチャレンジ精神を発揮して、毛色の違う本を読む気になかなかなれないものだ。荻原さんが言っている通り「負荷のかかる本を読み通すのは時間や体力がいる」からである。その負荷に耐えきれない。
 ときにそれじゃまずいな、と思うこともある。だから図書館で本を借りるようになってからは、せっかくこんなに本があるのだから、今まで読んだことのない作家さん本も読んでみようと思い、何冊か手にしてきた。そして新たなお気に入りの作家さんが私の中に生まれたことも事実である。
 でも好きで本を読んでいるのだから、好きな作家の本や自分の興味にあるものを読んでいたい、とも思うのである。


荻原 魚雷 著 『閑な読書人』 晶文社(2015/11発売)
by office_kmoto | 2016-04-02 05:36 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

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