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ガブリエル・ゼヴィン 著 『書店主フィクリーのものがたり』

d0331556_5343152.jpg ナイトリー・プレスのアメリア・ローマンは営業のためアリス島へ渡るところから物語ははじまる。訪ねる書店の看板には、


 アイランド・ブックス
 島の本屋
 創業1999年
 アリス島唯一の優れた文学書籍販売
 人間は孤島にあらず。書物は各々一つの世界なり


 と書いてある。まあこんなことを看板に掲げるのだからこの本屋の主人の偏屈さがわかろうというものだろう。店主はA・J・フィクリー。妻の故郷であるこの島で二人で本屋を開業した。「本屋のない町なんて町じゃない」と彼らは言う。その妻も事故で亡くし、A・J・フィクリーは余計に偏屈になった。
 ある日彼が所蔵していたエドガー・アラン・ポーの稀覯本『タマレーン』が盗まれた。この時から島の警察署長ランビアーズとの関係が生まれる。
 そしてその後店内に2歳と1ヵ月の女の子がいた。名前はマヤ。マヤが持っていた人形エルモには安全ピンで留めた紙片があった。


 この書店のご主人へ
 この子はマヤです。二歳と一カ月になります。とてもお利口で、歳のわりには言葉をとてもよく知っていますし、愛らしい、とてもよい子です。この子には本好きな子になってほしいと思います。だから本がたくさんあるところで、そういうことに関心のある方たちのあいだで育ってもらいたいのです。わたしはこの子をとても愛していますが、これ以上面倒を見ることができません。この子の父親がこの子の人生に立ち入ることはありませんし、それにわたしには助けてくれる家族もいないのです。もう限界です。
 どうぞお願いを
 マヤの母


 マヤの母親、マリアン・ウォレスの死体が灯台の近くで打ち上げられた。
 A・J・フィクリーはなんだかんだと言いつつ、妻の姉イズメイの助言を得ながら、マヤを自分で育てることにする。マヤはA・J・フィクリーの影響を受けて本好きな女の子に成長していく。偏屈オヤジのA・J・フィクリもだんだん変わっていき、偏屈さがなくなっていく。アメリア・ローマンも恋しくなり、二人は“感性を共有”することで結婚し、マヤと三人で家族となる。
 ほとんど本を読んだことのない警察署長ランビアーズもA・J・フィクリーの影響や勧められる本を読むことで、警察で読書会を開くほど本好きとなっていく。

 A・J・フィクリーの妻の姉イズメイには売れない作家のダニエルという夫がいる。A・J・フィクリーとアメリアの結婚式の帰り、車の中で一つの真実が明かされる。一つはマヤの父親がダニエルであること。そのことで二人は車中で口論となり事故逢う。イズメイは脚を幾つも骨折し、大手術をする大怪我を負う。ダニエルは死んだ。
 警察署長ランビアーズはそんなイズメイに恋心を持つ。ランビアーズはイズメイの部屋で子供用のリュックサックを見つけ、その中にあのドガー・アラン・ポーの稀覯本『タマレーン』があった。しかも表紙にはクレヨンでいたずら書きがされていた。しかしランビアーズは本をリュックサックに戻しジッパーを閉めそれを見つけた場所に戻した。


 ランビアーズは、警官というものは、年を取るにつれ、二つの道のうち一つを選ぶものだと信じている。彼らは、ますます独善的になるか、ならないかのどちらかなのだ。ランビアーズは、若い警官だったころほど、いまはおかたくない。人間というものはいろいろなことをやるものだ。たいていはそれなりの理由があることもわかってきた。


 そしてイズメイからランビアーズにもう一つの真実が明かされる。もちろんランビアーズはイズメイがあのポーの稀覯本を持っていることをわかっている。
 マヤの母親マリアン・ウォレスがこの島にやって来て、イズメイに少しのお金が所望した。そのためイズメイはA・J・フィクリーからポーの稀覯本を盗み、マリアン・ウォレスに渡す。その本を売ればお金になると言って。しかし出所のはっきりしない本は売れなかった。しかもマヤがその本にクレヨンでいたずら書きをしてしまった。そして翌日マリアン・ウォレスは自殺した。

 一方A・J・フィクリーが失神する。自分が言おうとする言葉が出てこないことに気づく。アメリアの助言で検査を受けると「多形性膠芽腫」で、余命2年と診断される。手術には莫大なお金がかかることもわかった。A・J・フィクリーは大して生きられないのにお金をかけて手術し、アメリアとマヤを「文なしにしたくはない」とランビアーズに相談しながら言う。しかしアメリアは手術を勧め、そのためにポーの稀覯本がオークションに出された。クレヨンでいたずら書きがされても、その本は価値があった。
 しかしA・J・フィクリーは死んだ。島の唯一本屋の存続が危うくなった。アメリアは店を売りに出し、マヤと二人で暮らす道を選ぶ。そしてその店をランビアーズとイズメイの二人が引き受ける。
 アメリアはアイランド・ブックスをランビアーズとイズメイに売ってから、数年後ナイトリー・プレスを辞め、大型書店の書籍仕入担当の職を得る。彼女は退社に当たり、アイランド・ブックスのデータベースを次のように記す。


 <イズメイ・パリッシュ(もと教師)とニコラス・ランビアーズ(もと警察署長)。ランビアーズは本の売り出しがうまい。ことに文学的犯罪小説とヤング・アダルト小説はお手のもの。高校の演劇部の顧問だったパリッシュは、優秀な作家のイベントを催すには、頼りになる人材である。店にはカフェ、ステージがあり、すぐれたネット販売のサイトがある。これらはすべて、A・J・フィクリーによって築かれた堅固な基礎の上にたてられている。このもと店主の好みは、文学に傾いていた。店には、いまだ厖大な文学作品の在庫もあるが、現店主たちは売りたいと思う本しか仕入れない。私はアイランド・ブックスを心から愛している。私は神を信じない。信奉する宗教もない。だが私にとってこの書店は、この世で私が知っている教会に近いものだ。ここは聖地である。このような書店があると、ブック・ビジネスの前途も安泰であろうと自信をもっていえる気がする-アメリア・ローマン

 アメリアは後半の個人的感慨は戸惑いを感じ削除するが、それが彼女の気持ちの重要な部分でもあろう。

 この本は2016本屋大賞、翻訳小説部門の第1位になった本である。いかにも本屋の店員が好きそうな話となっている。こうして話の展開を書いていると、面白そうにみえるのだが、とにかく展開がまどろっこしく、私には結構読むのが大変だった。しかし本好きには、本に関する会話にいいものもあった。


 「本というやつは、しかるべきときがくるまで、読み手が見つからないことがあるんだね」(A・J・フィクリー)


 「おれは警官を二十年やっているがね、いいかい、人生でたいてい悪い目が出るのは、タイミングが悪かった結果なんだよ、いいことというのは、タイミングがよかった結果なんだ」(ランビアーズ)


 「こういうものは決して公平にはいかないもんだよ。だれでも、自分の好きなものが好きなんだ。それはすばらしいことでもあり、ひどいことでもある」(A・J・フィクリー)


 「よくわからないけどな、イジー。いいかい。本屋はまっとうな人間を惹きつける。A・Jやアメリアみたいな善良な人間をね。おれは、本のことを話すのが好きな人間と本について話すのが好きだ。おれは紙が好きだ。紙の感触が好きだ。ズボンの尻のポケットに入っている本の感触が好きだ。新しい本の匂いも好きなんだ」(ランビアーズ)


ガブリエル・ゼヴィン 著 /小尾 芙佐 訳 『書店主フィクリーのものがたり』 早川書房(2015/10発売)
by office_kmoto | 2016-05-28 05:36 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

杉浦 日向子 著 『隠居の日向ぼっこ』

d0331556_6230100.jpg 杉浦さんは江戸風俗研究者である。この本は江戸から昭和の暮らしを彩った道具たち、小物を春夏秋冬に分けて語る。
 懐かしいモノもあれば、そうだったのか、と改めて知ることもあった。その改めて知ったことを抜き出して見る。


 頭巾は江戸時代に流行したファッションである。戦国期に、兜を被ったときのムレによる、のぼせを軽減するため、男子が月代(頭頂部を剃る)をするようになった。平和な江戸時代にも、男子たるものの覚悟の証しとして、その風習は残った。そこで、常時剥き出しの頭頂部の防寒や保護のため、笠や頭巾などの、被りものが発達した。(頭巾)


 月代はなるほど、こういう理由で頭のてっぺんを剃っていたんだ、と知りました。


 定期券などを使い、途中区間を不正乗車するのを「きせる」という。きせるは喫煙具で、金属製の吸い口と雁首の間を竹管(羅宇)がつなぐ形が多かった。不正も乗降駅付近のきっぷしかもたないから、金がかかるのは両端だけというシャレ。(きせる)


 きせるも懐かしい。謂われはそうだったのか、と知ったが、最近はスイカやパスモが普及しているので、キセルも出来なくなった。


 じつは「男を磨く」にも、入浴時の軽石は欠かせなかった。男湯には、軽めと重めの石が常備されていた。それと、蛤の殻。除毛の道具だ。あまり毛深いのは好かれなかったらしい。ことに褌はTバックだから、ビギニラインから、はみ出してしまう分を、蛤の殻をあわせて引き抜いた。長い分は石を打ち合わせてカットした。刃物でカットすると、毛の断面が鋭角になり、チクチクして都合が悪いのだが、石だと毛先がソフトなシャギー仕上げになるそうだ。(軽石)


 なるほど・・・・。


 そのむかし、江戸の町は、川と堀割に囲まれた都だった。
 (略)
 ヴェネツィアに迫る風情は江戸自慢だが、夏場だけは悩みの種となる。流れのあるところならまだしも、多くは船の浮かぶだけの水位を保つ、掘りにすぎない。つまり、町全体が巨大な蚊の養殖場のようなもので、堀はボウフラ牧場と化す。蚊の国では、過密都市江戸の住人が、豊かな牧草に見えただろう。(かやり)


 かやりとは今で言う蚊取り線香みたいなものだ。確かに江戸の町は縦横に水が張り巡らされているから、蚊は多かっただろうなと思う。一時デング熱騒ぎで、庭に雨水がたまっているところにすぐボウフラがわくから注意してくださいなどと、言っていたが、それどころの話じゃないわな、これは。
 そして江戸の町は人が密集して住んでいるのだから、蚊の方も餌に事欠かなかった。 でも最近はボウフラが浮き沈みするところを見なくなった。
 
 
 こどものころ、東京の冬は、ひどく寒かった。地球温暖化のよる気温の変化なんてものじゃなくて、体感温度が格段に違った。板東名物の空っ風で、乾燥した北風が吹き荒れる。校庭の、アスファルトの割れ目から、三、四センチもある霜柱が、水晶のように屹立し、朝陽に燦めいていた。(赤チン)


 そういえば霜柱なんていうのもあまり見なくなった。今はどこでも舗装してあるし、原っぱもなくなったし、校庭も土剥き出しでなくなっているようだし、霜柱なんかも見られないんじゃないかなあ。
 この文章を掲げたのは、昔は東京の冬が寒かったと言うところに引っかかったからだ。私も子ども頃と今を較べると、確かに昔の方が寒かったという気がする。
 その寒さをしのぐために、塾の帰りが遅くなるので、母親がカイロを持たせてくれた。それは今みたいに使い捨てカイロではなく、白金懐炉である。
 このハクキンカイロ、ネットで調べて見るとまだあるんですね。ベンジンを中にある綿みたいものに染み込ませ、火を付けて、蓋をする。それをオレンジ色の巾着袋みたいなものに入れる。そこまでを母親はやってくれた。子供たちはそれをポケットに入れて、塾へ行く。塾の帰りなどその温かさ有り難かった。寒かっただけに余計である。
 ところでネットで調べていて知ったのだが、カイロに火を付けるのは単に中にあるプラチナ(白金)に熱を与えるためだったのだ。私は中のベンジンが燃えて熱くなっているんだと今まで思っていた。


 ハクキンカイロは、ベンジンの気化ガスがプラチナと接触して発熱する科学原理によるもので、直接ベンジンに火をつけているわけではありません。マッチやライターを用いるのは、プラチナの接触反応を開始させる温度を与えるためです。


 もう一つ寒い東京の冬、夜を蒲団の中を温かくするために、豆炭あんかがあった。これも母親が夕方になると、コンロに専用の火興しに豆炭を入れ、赤くなったところで、あんかの蓋を開けて入れる。そして蓋をしてこれもオレンジ色の巾着袋みたいなものに入れる。用意が出来ると私たちはそれを持って蒲団の中に入れておく。そして寝るとき蒲団の中はそのまわりだけが温かくなっている。
 ハクキンカイロにしても豆炭あんかにしても、当時の東京の寒い冬に欠かせないものだった。レトロ感より、どこかやさしさを感じる、暖房機だった。


杉浦 日向子 著 『隠居の日向ぼっこ』 新潮社(2005/09発売)
by office_kmoto | 2016-05-25 06:04 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

真山 仁 著 『海は見えるか』

d0331556_7323810.jpg この本は先に読んだ『そして、星の輝く夜がくる』の続編と言うべき本である。1年契約をもう1年延ばして小野寺は新しい6年生の担任をする。やはり震災で子供たちはそれぞれ心の傷を持って、苦しんでいた。

 確か震災直後だったと思うが、子供たちの写真集だったか、文集だったか忘れたが、とにかくそこに掲載された子供たちの笑顔の写真が素晴らしいのを覚えている。あのひどい震災、津波の中で笑っている子どもたちの顔が今でも記憶に残っている。
 でもこの本にしても、先の本にしても、その笑顔の裏には個々に悲しみや苦しみを抱えていただろう、と想像できても、こうまで子供たちは我慢してきたとは思い至らなかった。復興には様々な事情が複雑にからみ合い、子供たちの心にさらに深い傷を残したかもしれない。そしてそれは今も続いているのだろう。


 誰もが普通を取り戻したいと必死にもがいている。だが、復興ところか復旧すらままならない風景を毎日見る生活は、普通とはほど遠い。そのジレンマで、ある人は諦め、ある人は怒り、ある人は苦しみ、ある人は泣く・・・・・・。


 子供たちもそんな大人たちの事情、大人たちが一所懸命生きようとしているのだから、といって我慢している。


 人はなんてこんなに面倒なんやろうか。
 ごちゃごちゃ言わんと気の向くまま生きればええのに。なんやかんやと理屈や事情がしがらみつきまとう。



 まだまだ本当の復興までは道のりは長い。そして思うのだけれど、この時子供たちの負った傷は一生消えまい。子供だけではない東北の人たちが負った傷は、いつでも心に残される。そんな無残なことを思う。
 私はあの時、帰宅難民になりかけた。多くの人と普段絶対に歩かない道路を歩いた。異様な風景の中歩いた。歩いているうちに、地震のすごさ、恐ろしさを実感した。寒さがそれに追い打ちをかけた。
 このことは何度も書いている。でもこの経験を書くことで、私の中であの地震を共有できる。私のしたことなど東北の人たちが受けた被害に較べれば比較にならないものかもしれないが、それでもあの日何時間も歩いて家に帰ったことを思い出すことが、自然に対し人間の無力さを知らしめる。
 でもそうであっても何とかしなければならないと、何とか家に帰りたい、という気持ちがみんなを歩かせた。それは程度は大きく違うかもしれないが、東北の人たちが復興に向けて歩んだ気持ちと同じ質のものだと思っている。


真山 仁 著 『海は見えるか』 幻冬舎(2016/02発売)
by office_kmoto | 2016-05-20 07:33 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

真山 仁 著 『雨に泣いてる』

d0331556_531263.jpg 続いて真山さんの東日本大震災をテーマしたこの本を読んだ。前作に少々失望していたので、期待していなかったのだが、これは面白かった。
 先に読んだ本の時、「震災を主題にした小説でも何か別な要素があれば、読めるのだが」と書いたが、この本はミステリーの形を取っているので、その要素で読めたし、面白かった。
 話は毎朝新聞の大嶽圭介は志願して宮城へ向かった。大嶽は仙台支局で、デスクから連絡の取れない新人を探してくれ依頼される。その新人とは毎朝新聞の社主の孫である松本真希子であった。松本は花登半島にある自殺防止活動を続ける駆け込み寺、少林寺を取材している時に震災に遭った。
 大嶽は花登半島に何とか渡り、松本の生存を確認する。
 震災で松本が生き残って、一緒にいた少林寺の住職心赦和尚が津波にのまれて死んだ。そのとき和尚はある位牌を握りしめていた。位牌の裏には吉瀬涼子と俗名が書かれていて、大嶽はその名前に聞き覚えがあるような気がした。
 毎朝新聞の警視庁記者クラブのサブキャップの宮村和からこの位牌に書かれていた女性の名前が1998年6月に世田谷で起きた“判事夫妻殺し”で指名手配されている吉瀬健剛の妹の名前だと知らされる。妹は判事と不倫関係にあり、自殺した。吉瀬健剛は妹の恨みを晴らすために判事夫妻殺害し、家に火をつけ逃亡した。そしてここ少林寺にたどり着き、住職となった。
 話はここから東日本大震災を背景としてミステリー仕立てとなっていく。それまでの被災地の悲惨な状況を取材する困難さ、精神的な苦労などから離れていく。
 吉瀬健剛こと心赦和尚は自殺を思い止まらせ、説得するボランティアとして全国的に知られた存在となっている。ここでも地元の人たちから尊敬される人物であった。大嶽は、そういう人物であっても過去に二人もめった刺しにして殺害し、逃亡した事実の究明を優先した。それは真実を知った記者として矜恃であった。
 大嶽は津波で亡くなった心赦和尚は吉瀬健剛であることの確証を得て、心赦和尚は素晴らしい人物だったし、それに心赦和尚はもう亡くなっているのだから、死者に鞭打つことを止めてくれという反対者がいても記事を書いた。しかしそれは間違っていた。
 殺害された判事夫妻には一人息子がいて、国際的人権派弁護士となっていた。そしてその弁護士、布施一輝から驚愕の事実が明かされるのである。
 布施は吉瀬涼子と付き合っていた。結婚まで考えていた。けれど両親はこの結婚には反対であった。
 涼子は妊娠していたが流産する。そして自殺した。遺書には一輝の父親に犯されて子を宿し、流産したこと。一輝の母親からは判事との爛れた関係を毎日責められ、息子の将来を考えるなら自ら死を選ぶべきと洗脳され続けたことが書かれていた。
 このことを知った一輝は両親に詰め寄り、金属バットで殴りながら自白を取っていた。そしてすぐ吉瀬に涼子の死の真相を聞いてもらうため連絡する。虫の息だった親を見て、吉瀬は一輝を逃がし、瀕死の二人を包丁で刺し、証拠を消すため放火した。
 吉瀬が二人を殺した事実は変わらないがこれが真実であった。大嶽の書いた記事にはそこまで踏み込まれていなかった。
 大嶽は自分の書いた記事を止めることは間に合わないと思っていたが、輪転機のとことで止まった。社主が大事な孫娘を助けてくれた命の恩人の名誉を傷つけることは出来ないということで、印刷が止まり、記事が差し替えられたのであった。
 そしてそのスクープはライバル社のローカル記者と馬鹿にしていた小島という記者に持っていかれた。

 この物語には大嶽の記者としての生き様が強く描かれるが、その記者も間違えることがある。阪神淡路大震災でもそしてここでも過ちを犯したと嘆く。不幸を弄んでいたことを知るのである。つまらぬ記者間同士の争いに巻きこまれていたことを自覚する。


真山 仁 著 『雨に泣いてる』 幻冬舎(2015/01発売)
by office_kmoto | 2016-05-17 05:04 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成28年5月日録(上旬)

5月1日 日曜日

 晴れ。

 孫とこれも恒例となっている朝顔の種を蒔く。

 昼、義理の妹は大阪へ帰って行く。昼飯をみんなで食べた後、時間があったので、妻と義理の妹、娘、孫でデニーズの横にあるセガのゲームセンターでプリクラを撮っている。妻たちは初めてのプリクラで楽しそうにやっていた。
 私は昔娘や息子が小さかった頃、一度プリクラで写真を撮ったことがあるが、その時から較べて操作も細かい。出来上がった妻たちの写真の顔は今風の女の子ので、どう考えてももりすぎであった。みんなで写真を見て、大笑いであった。私は妻に「葬式の写真に使うか?」と皮肉ると、義理の妹に大受けであった。
 妻たちを待っている間に、久しぶりにクレーンゲームをやってみた。昔酔っ払ったときに会社の同僚とやって以来かな、と思う。孫がいるのでお菓子を取るゲームをやったら、なんと1回でうまい棒が10個も一度に落ちてきた。
 それを取り出し口から取り出すのが恥ずかしい。うまい棒を10個も抱えている姿は還暦間近のオヤジの姿じゃない。とにかく早く何とかしたいので、うまい棒を抱えつつ景品を入れる袋を探す。それを袋に入れた後、周りを見渡して知っている人間がいないことを確認してしまった。
 夕方娘たちは帰って行った。みんなでわいわいやっている時はわからないが、人が帰っていった後は、案外淋しいものだ。

 夜、録画しておいた「ブラタモリ」を見ようと思っていたが、疲れているのがよくわかったから、止めて、すぐベッドに横になった。


5月2日 月曜日

 曇り。

 久しぶりに古本を探しに出る。収穫はそれほどなかったが、佐伯一麦さんの本と養老孟司さんの本を買ってくる。
 店で何かあれば、と思ったが、そうそう欲しい本はないものだ。三省堂本店も覗いて、新刊を見てきたが、これといって読みたい本はなかった。
 まあ、読む本はたくさんあるので、しばらくは自分の本棚の本を読み漁ろうと思う。これから本読みにはいい季節だし。


5月3日 火曜日

 晴れ。

 今日から元の生活スタイルに戻すことに努力する。

 小路幸也さんの『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』を読み終える。



5月4日 水曜日

 雨・強風後快晴。

 朝方は嵐のような天気だったが、でもすぐ快晴とめまぐるしく天気が変わった。ただ夕方まで風は強く吹き、庭も玄関先も隣の雑木林から吹き飛ばされた葉っぱなどでひどい状態になっていた。風が収まらないと掃いても同じことになるので、明日掃除をしようと思っている。

マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールーの『煙に消えた男―刑事マルティン・ベック』を読み終える。


5月6日 金曜日

 曇りのち雨。

 花粉症の時期も終わったし、仮に花粉が飛んでいたとしても、今日は雨だから花粉が飛んでいる量は極めて少ないはずだ。しかしベッドで横になって古い文庫本を読んでいたら、やたらくしゃみが出る。不思議に思っていたら、もしかしたらこの文庫本のせいかではないかと思い始めた。
 椅子に座って読んでいる時は何ともなかったのに、横になって読み始めたらくしゃみが出始めたのだ。
 横になって本を読むとき、顔に近くに本を持って来て読んでいる。その時、文庫につているほこりかカビが鼻に入り込むのではないか。しかしこんなこと初めてのことだ。
 確かに読んでいる文庫は古い。昭和58年の第五版で、今から33年前に出版されたものである。本の“天”は完全に焼けていて、その焼けがページまで及んでいる。本棚の一番上に収まっていた。何度か読み直しているので、一度読んでまったく手を付けなかった訳じゃないが、それだけ年数が経っている訳だから、ほこりもカビもあろう、というところである。
 以後こういう本は読む姿勢には気をつけないといけないかもしれない。


5月7日 土曜日

 晴れ。強風。

 マイ・シューヴァル/ペール・ヴァールーの『蒸発した男』を読み終える。


5月8日 日曜日

 晴れ。

 久しぶりに自転車に乗る。借りた本を図書館に返しに行くついでに、1時間ほど区内をゆっくりと走った。
 ゆっくり自転車をこいでいるうちに、これまで私は自転車を乗る時はいつも急いでこいでいたなあと思った。あるいは急ぐから自転車に乗っていたのかもしれない。
 今日は昨日ほど風は強くなかったが、向かい風の時はこぐのに力がいる。それでも気候も良く、しかもゆっくりとこげばいいので、何だか乗っているうちに楽しくなってきた。こんなふうにのんびりと自転車をこいだのは久しぶりだった。
 歩くにはちょっと遠いけれど、自転車なら行ってもいいかな、という程度のところを走ってみた。区内にはまだまだ知らないところがたくさんある。またちょっとしたサイクリングを楽しみたくなった。

 吉村昭さんの『私の好きな悪い癖』を読み終える。


5月11日 水曜日

 曇り。今日も風が強い。

 父親が大腸のポリープ切除のため病院へ付きあう。その後1日だけ入院して様子を見ることとなった。病室まで付き添う。明日何もなければ午前中に退院する。
 その後、毎月行く自分の病院に行く。ここのところゲップの頻度が激しいこと、そのため夜寝られないことなど訴える。また強めに薬に戻る。マイスリーも余分にもらっておく。何でも食道と胃とのつなぎ目が弛んじゃっているらしく。さすがにこれはどうにもならないらしい。
 妻は昨年左眼が網膜裂孔となって、レーザーで治療をしたが、今度は右眼が同じようになって昨年と同じようにレーザー治療を受けた。もともと昨年先生からもう一方の目もそうなる可能性があることは言われていた。とりあえずこれも問題なく終わったらしい。
 来月は私が大腸の内視鏡検査である。今日はいつもの薬と検査食と2ℓの下剤をもらってくる。これを見るとうんざりしてくるが、仕方がない。
 私の胃腸の不具合と妻の目はある意味“老化”である。二人ともこれと上手く付き合っていくしかない。

 アマリリスが今年も咲いた。

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 アマリリスの鉢はいくつかあるのだけれど、不思議に一鉢しか咲かない。しかも同じ鉢のものだ。他の鉢が花を咲かせない理由が何かあるようだが、今度ネットで調べてみよう。

 山口瞳さんの『卑怯者の弁』を読み終える。

 夜、マイスリーを多めにもらっているので、飲んで横になる。


5月12日 木曜日

 快晴。最高気温も28度という。幸い湿度が低かったお陰で割と過ごしやすかった。

 午前中父親の退院に付きあう。元々一日だけ入院したのも、ポリープを切ったので出血した場合の用心のため。何もないので、即退院。
 私も一番最初に大腸のポリープを切除したときは一日入院した。翌日退院してすぐ仕事に就いたが、出血してかなり驚いたことがあったが。あの時取ったポリープはかなり大きかったから、ちょっと無理をしたかもしれない。
 以後何度か大腸のポリープは取っているが、出血はしないで済んでいる。もちろん念のためにという入院も私はしていない。

 午後からヨーカドーとシマホへ行く。最近衣服はヨーカドーで買うことが多くなった。シマホでは軽量ブロックと赤土を購入。もちろん庭の整地のためである。多分これで終わると思う。
 帰りに環七を走っているとき、変な車を見かけた。スリーポインテッドスターのエンブレムの付いた軽自動車なのである。えっ、ベンツって、軽も出しているの?と不思議に思った。だいたいベンツはヒットラーがアウトバーンをガンガン走らせるために作った車と聞いていたから(正しいかどうか知らないけれど)、そのベンツに軽もあるというのが結び付かなかったのである。その車、変に軽重なのだ。アンバランスといっていいかもしれない。ベンツというあの重苦しさがカラーなのに、それが軽というものにある奇妙さが、違和感としてあった。
 後でネットで調べて見ると一時ベンツでも軽を出していたらしい。(百科事典に載っていないこういう下世話なことはすぐ調べる。もっともこんなこと百科事典に載っている訳がない。でも案外知りたいことって、この程度のことかもしれない、なんて思う。百科事典が役に立たないのもこういう理由だろう)
 ネットでもベンツの軽を不思議に思う人がいるのがおかしかった。さらに調べて見ると、その時の車種にはメルセデスのスリーポインテッドスターのエンブレムは付いていなかったらしく、ユーザーが後付けしているらしい。これも何か物悲しい。
 この時見たベンツを運転していた奴はたばこを持っている片手を外に出して運転していたが、あの運転手も自分でエンブレムをせっせとくっつけたのだろうか、付ける位置なんかあれこれ悩んでね。だったらちょっと笑える。もっともベンツのエンブレムを自分で付けるわけがないか。ベンツのエンブレムが別売りであること自体おかしな話だし。
 ふと、会社勤めをしていれば車に詳しいOさんがいたので、詳しいことが聞けたのに、とも思った。

 南木佳士さんの『海へ』を再読する。


5月13日 金曜日

 晴れ。

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 サツキが二輪咲いていた。私たち夫婦が好きな花を咲かせるやつである。これから赤と白も咲くことだろう。
 また庭の整地を行った。


5月14日 土曜日

 晴れ。

 庭の整地は一端終えたつもりでいたのだが、まだ土が少なくなっているところがあった。今日それを終えて、これで庭の整地は終わりとする。庭に入れた土は100ℓ近くなった。

 山口瞳さんの『禁酒時代』 を読み終える。


5月15日 日曜日

 晴れ。

 我が家の庭は中央に飛び石が置いてある。その両端の土が少しずつ雨に流されて、飛び石と地面に段差が生まれていた。そこに雨水がたまる。それを今回盛り土をして段差をほぼなくした。
 今日は天気が良かったので布団を干し、それを夕方取り込んだとき、飛び石と地面の段差がないことで、足元が安定していることに気づく。
 今までは段差を無意識に気にしていたのだろう。どこかおっかなびっくりしたところがあったのが、それがなくなったので、それが何か心地よい。まさかこんな効果があるとは思わなかった。
 段差といっても2~3センチほどだが、それは飛び石と地面がほぼ同じだとこんなに足元が安定するのだ、と知った。
 私もちょっとしたことでつまずくことがある。自分ではちゃんと足を上げているつもりでも上がっていない。結局歳なのだ。だからこれから先自分の庭でつまずき、転ぶこともあるかもしれない。そのためにも今回の盛り土は良かったのかもしれない。

 サツキが咲き始めているが、今年は去年より花が少ない感じがする。まあ花はこれからなので断定できないが・・・・・。
by office_kmoto | 2016-05-16 06:47 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

真山 仁 著 『そして、星の輝く夜がくる』

d0331556_5124472.jpg 東日本大震災で被災した東北三県から教師が足らないという要請を受けて、小野寺徹平は遠間市立第一小学校に赴任した。小野寺は阪神淡路大震災で妻と娘を失っていた。
 話は小野寺がこの小学校で子供たちを巻きこんで、被災地の問題を取り上げる。
 まずはクラスで「わがんね新聞」を小野寺は立ち上げる。わがんねとは東北弁で「やってらね」という意味で、小学生が被災地で感じる怒りをここに表現せよ、ということであった。子供たちは大人たちが被災から立ち直ることで精一杯になっているのを見て我慢していることがたくさんある。それをこの新聞で書いて、発散させようという主旨であった。


 大人たちよりも心が柔軟だからといって、彼らは本当に元気なわけでも、前向きな考えできるわけでもない。ただ、全てを失って呆然としている大人を見かねて、迷惑を掛けないようにという無意識の遠慮が働いているに過ぎないのだ。そんなものはクソ食らえだ。喜怒哀楽を素直に表すことができれば、子どもの心は健全に育つ。どんな時でも学校と教師は彼らを丸ごと受け止めるべきだ。


 この新聞を通して、原発問題、マスコミとの関係、ボランティア活動、そして被災した自分たちが時間が経つにつれ忘れられていくのではないか、という不安を物語に折り込んでいく。
 これらは復興の中で起こった軋轢とでも言うのだろうか。そんなものを被災地で小野寺に思わせる。


 あそこでは何人が亡くなっただの、どこそこでは死者がゼロだったのという記録をいくら知ったところで、今さらどうすることもできない。未曾有の大震災が起きて、誰もがたくさんの選択肢を突きつけられ、結果、亡くなった人と生き残った人に分かれたに過ぎない。ニヒリズムや無関心ではない。小野寺自身が抱える「痛み」と向き合って得た境地だった。(「さくら」)


 悲惨な場所で、頑張っている被災者という視点で、やたらドラマ仕立てに感情を煽るかと思うと、未曾有の天災だったにもかかわらず、それを人災と決めつけ、当事者の責任を徹底的にあげつらう。誰かのせいにしたいという被災者感情は致し方ないとは思うが、実際のところ甚大な災害において、加害者なんて存在しない。(「さくら」)


 多くのボランティアに助けられたことも事実だけれど、一方でボランティアの行動にも問題があり、それに対する不満も住民たちに広がっていく様子も書かれる。助けてもらっていて、文句は言えないけれど、少しずつ口に出して言っていく。それは、


 「とにかく生きなければという状況から、いろんなことを考える余裕が生まれてきた。不満が言葉になるというのは、自立の第一歩だと思いたいなあ」


 と小野寺の勤める小学校の校長が口にするのは真っ当のような気がする。
 震災から時間が経って、震災直後は繋がろう、絆とか言ってたくせに、しばらく経つとお荷物みたいに思っている人が増えたのではないかと不安がる母親たちに、小野寺は思うのである。


 それは否定しない。だからと言って、被災地以外に住む人の思いを(このように)一括りして詰ってよいのだろうか。皆、それぞれの生活がある。東北のことは気に掛かっても、仕事や家庭の雑事に紛れれば、発災直後の強い思いは消える。そういうもんじゃないのか。日常生活というなら、今まさにこの復興の途上こそが俺達の日常やないか。それと向き合っていたら他人のことなんか目に入らんやろうに・・・・・。(忘れないで)


 校長も「だったら、とっとと立ち直ればいいんです」と感情的に言う。この校長、なかなかの人物なのだ。

 最初この本を読んだとき、どこか二番煎じのような気がした。震災のこと、震災後に書かれたドキュメント、手記などいくつも読んでいるのでそう感じたのかもしれない。 実際この物語の構成に使われた参考文献は、私が読んできたものが多かった。だからか、ここに書かれている物語は新鮮味がなかった。こうして物語にする必要性は、もとのドキュメントや手記がある以上必要なのかな、と思ったくらいだった。
 あの震災のドキュメント、震災を経験した人々の手記から発せられる言葉はちょっとやそっと太刀打ちできない。それだけあの震災は甚大だった。少なくともそれをなぞった物語では難しいところがある。
 5年経った今年もあの時の津波の特集をテレビでやっていて、5年経ってわかってきたことを検証していた。しかし津波の映像は何度見ても言葉を失ってしまった。
 実は真山さんの東日本大震災をテーマにした本を後2冊図書館で借りている。これはちょっと厳しいなあ、と思っている。震災を主題にした小説でも何か別な要素があれば、読めるのだが。


真山 仁 著 『そして、星の輝く夜がくる』 講談社(2014/03発売)
by office_kmoto | 2016-05-14 05:15 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

南木 佳士 著 『熊出没注意―南木佳士自選短篇小説集』 再読

d0331556_521291.jpg やっぱりいいなあ、と読んでいて思う。一度読んだ本でもこうして読み返せるが自分にあるということは、幸せだと思う。

 私が南木さんの書かれた作品に惹かれるのは、「諦観」である。
 人生にはどんなに頑張っても出来ないことがある。抱えてしまうことがある。逃れられないものがある。そういうことに立ち向かっているときは、人は無我夢中であり、必死になっている。けれどそれは誰かを、何かを犠牲してきて生き延びてきたのではないか、と思うことがふとある。それにいつもいい結果が待っているとは限らない。
 こう考えると「それを言っちゃおしまいよ」と昔の映画の主人公の台詞になってしまうが、果たしてそこまでした結果、自分が望むものがどれだけ得られたのか。ふとそんなことを考えてしまう。だから昔のことを今の「自分の精神を自然体に保つために」都合よく書き換えているかもしれない。そうすることで何とかバランスを保っている。


 病んでいる間に老いた。危険を覚悟で比喩を用いれば、あの心身不調の日々は、老いへの急カーブを曲がろうとするときの、からだのきしみではなかったか。生き延びてみると、いくらでも勝手な解釈ができる。いまの火加減で口当たりよく調理され、いま手に入る最新の調味料で味付けされた過去を食って、また生きる。(ぬるい湯を飲む猫)


 過去なんていつもこんなもので、都合のよい改編を重ねているうちに、第一版の面影は跡形もなくなる。そして、きょうもその改編を続けている。(歩行)


 南木さんの作品を読んで、このような文章に出会うと、まさしくその通り、と思う。そしてなんてひとつひとつの文章が、言葉がこうもうまく言い表すのだろう。うっとりしてくる。


 不幸も出来事なら奇跡も出来事だ。出来事が入り組んで人生が織られてゆく。(神かくし)


 これに同感出来る歳に私もなったということなんだろう。次も妙に感じてしまう自分がある。


 よく晴れた春の日の、朝から夕にふいに吹く風に乗るように人の命がはかなく消えてゆく様を、医者になって嫌になるほど目にしてきた。どんなうららかな日にも風は吹く。今日の無風は明日の無風を保証しない。そもそも無風の日などというものは人の頭の中だけに創り出したおとぎ話の挿絵でしかなく、実際には存在し得ないのだ。(スイッチバック)


南木 佳士 著 『熊出没注意―南木佳士自選短篇小説集』 幻戯書房(2012/02発売)
by office_kmoto | 2016-05-10 05:22 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

吉村 昭 著 『天に遊ぶ』

d0331556_811511.jpg 朝日新聞の文化・文芸欄に「今こそ吉村昭」という吉村昭さんの特集記事があった。ここでは『高熱隧道』のことが取り上げられていて、吉村さんが自ら歩いて発掘した、歴史に埋もれていた部分をここに描いていると書いてある。
 で、最相葉月さんがこの『天に遊ぶ』を珠玉の短篇集ということで薦めるている。
 はて?この本それほど勧められるほどの本であったかな、と思った。以前読んでるがそれほど記憶として残っていない。それで再度読み直してみた。
 あとがきに書いてあるが、ここに載せられている短篇は主に原稿用紙10枚程度の話で、試みとしてその枚数で小説が成り立つのかを試してみたという。
 読んでみると、ここにある話は吉村さんの人生で、あるいは取材で出会った人たちからの余滴なんだな、と思った。書かれている内容は、いわば点景であり、それ以上は突っ込まない。突っ込まないのは原稿用紙の枚数の制限があることが大きいけれど、逆に突っ込まないだけに、余韻を残し、読む側にあとをそれらしく思わせる手法で終わる。
 これがうまくいっているのかどうか、よくわからないけれど、ただ以前読んだのに記憶が残らないところを考えると、やはりインパクトが欠けるのではないか。私はそうであった。
 私が良かったなと思えるのは「頭蓋骨」「梅毒」「サーベル」であった。いずれも吉村さんが歴史小説のための取材での話であった。


吉村 昭 著 『天に遊ぶ』 新潮社(1999/05発売)
by office_kmoto | 2016-05-06 08:14 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『銀婚式決算報告』

d0331556_18462378.jpg シリーズ11巻である。


 私がものを食べるときの最大の眼目は「安心感」である。たとえば、家でビーフステーキが出たとして、値段を聞いて、ああ、こんなものを食べていると家の経済はどうなるかと思うと、うまいものでも不味くなる。貧乏性なのかもしれない。
 料理屋へ行っても、そこで出てくる食べものがうまいかまずいかよりも、従業員がこちらに気をつかってくれるかどうかのほうが、よっぽど大きな問題になる。親切で感じがよければいい。気が利いている店がいい。そういう店は、まずいものは出さないし、値段のうえでも安心感がある。いくらうまくても、主人に叱られたり睨まれたりする店は厭だ。(東京の食物)


 この意見は以前どこかで読んだことがある。あるいは池波正太郎さんも同じことを言っていたような気がする。


 私は、つくづくと、人間の住む家は、人間が住んでいないといけないと思った。朝起きて窓を明ける。テーブルを拭き、食事をする。客間のテーブルを拭き、客をむかえる用意をする。机のうえを拭いて仕事に取りかかる。そうでなくても、何気なしに、一日のうちに何度もテーブルを拭くことがある。そのことには意味があったのだということに気づかされる。(うちの梅干)


 これは何度か私もここで書いてきたことで、我が家も1階に暮らす人間がいなくなると、妙な匂いが部屋に漂ったり、虫が出て来たり、蜘蛛の巣が部屋の隅にはってしまう。使ってきた家電や家具など調子がおかしくなる。
 だからそれらをいつも使っていることに、確かに「そのことには意味があったのだということに気づかされる」である。家は人が住まなくなると、急におかしくなる。不思議なものだ。


 大衆社会状況によって、あるいは合理主義によって、戦後の日本人は広義の神を失った。宗教を失った。もともと日本に宗教があったとは思われないが、比喩として宗教を失った。(労働組合)


 この文章を読んだとき、養老孟司さんの書いたことを思い出した。養老さんの都市論というのが私は非常に興味深いものがある。都市の中で暮らす人びとの生活の在り方を考えるとき、宗教が果たす意味は本来重要なものであった。


 都市というのは、実は土地のかわりにイデオロギーを持たないとアイデンティティがないのです。都会の住民は非常に心もとないのだと私は思います。ですから、世界中で都市宗教というものが成立し、伝統化していく。それがイデオロギーとしてそれぞれの都市社会を支えているのではないかという気がします。(養老 孟司 著 『 手入れという思想―養老孟司特別講義』)


 都市は地縁で結ばれた関係ではないし、血族で結ばれた集団でもない。言ってみればあちこちから商売や仕事のため集まってきた人たちの集まりである。あくまでも徹底的に個人的である。そのため都市として全体を束ねるものがない。個人を越えた関係以上のものがない。しかし一方で都市の生活は厳しいものである。その都市を維持するためにはどうしてもまとまりを必要とする。徹底的に個人主義では、都市の機能が維持できない。だから都市法が生まれた。
 機能維持だけではない。まとまりとしてそれぞれの個人が共有できるイデオロギーやバックボーンとなるものが必要となる。それが宗教や思想であった。プロテスタンティズムなど生まれたのも都市の中であった。
 日本は明治以後、形だけの“都市”をヨーロッパから受け入れた。そこにはそれを支える固有の意識というものはなかった。本来合理主義には都市を支える深層意識があったのだが、日本人は合理主義を“自分かって”に効率主義に置き換えた。これによって山口さんの言うように、「大衆社会状況によって、あるいは合理主義によって、戦後の日本人は広義の神を失った。宗教を失った」わけで、そこで頼りにするのが、組織だと養老さんは言っていた。


 今や都市となった日本の人々は、いったい、何に頼っているのでしょうか。それは、どうやら宗教ではなく、組織のようです。会社に頼り、官という組織に頼ります。自分が組織に属して初めて安定感を感じるのです。(同)


 もともと人間なんて頼りないものである。何かに頼らないと生きていけないものだ。神を失い、宗教を失った日本人は、今や会社という組織を頼ることになってしまった。もっともそれだって今や何の心の拠り所として機能しなくなってしまったけれど。
 話はちょっと大ごとになってしまった。元に戻る。


 三月六日の朝。夜来の雪は、あまり積もることをしなかった。やはり春の雪だった。ナンダ、こんなものかと思う。ヤレヤレと思う。雪掻きはしなくていいようだ。どんどんとけてゆく。どうも、これで今年の雪は終りになったようだ。
 寒いようでも、やはり地面はあたたまってきているのだろう。
 これから急に庭がいそがしくなる。(今年の雪)


 この何でもない文章が気にかかるのは、1月頃にプラスティック製の雪掻きスコップを買ったことによる。それまで雪掻きをするときは、家にあった普通のスコップを使ってやってきた。これが結構重たく感じるようになってきたのである。昨年だったかそれとも一昨年だったか、大雪が降ったとき雪掻きをしたときそう感じた。近所の人がプラスティック製の雪掻きスコップで雪掻きをやっているのを見て、あれが欲しいとずっと思っていたのである。
 それで大雪になる前に準備しておこうと思いホームセンターで購入した。これで雪が積もっても大丈夫だと思っていたし、早く使いたいとも思っていたが、今年は雪掻きをするほど雪が降らなかった。それはそれで有り難いことなのだが、どこか物足りなさが今年はあったのだ。このプラスティック製の雪掻きスコップは小屋にしまったまま、今年の暮れか、来年か、とにかく次に雪が積もった時に使うことになる。
 そして今は、私も庭も管理で忙しくなっている。


山口 瞳 著 『銀婚式決算報告』 男性自身シリーズ 11 新潮社(1975/10発売)
by office_kmoto | 2016-05-03 18:48 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成28年4月日録(下旬)

4月16日 土曜日

 曇り。


 熊本の地震はその規模を拡大している。何でも今日の未明の地震が本震で、昨日の地震が前震だったらしい。とにかく早く収束してほしいものだ。

 電気を東電から東京ガスに今日変更の手続きをする。来月25日から変更となる。

 何だか今日は立ちくらみがする。ここのところ何度か同じ状態になる。そのため今日は午後から横になる。


4月17日 日曜日

 雨、強風、後晴れ。

 今日は結婚記念日である。もう33年となる。


4月18日 月曜日

 曇り。

 昨日の強風で庭がひどい状態になっている。その掃除を今日しようと思ったのだが、隣の雑木林の剪定が造園業者によってワゴンの付いたクレーンに上がって行われる。大がかりであった。切られた枝が庭にも落ちて。掃除どころじゃなくなってしまった。業者の人が気を使ってはいるものの、満開のつつじに大きな枝が直撃してしまう。いくつか花が落ちてしまった。しかしこれは仕方がない。
 お陰で我が家の庭は日当たりが良くなったし、玄関先も明るくなった。
 結局庭の掃除は諦め、家の裏の掃除をやった。ちょうど庭いじりをしていた裏の奥さんから話しかけられ、サギソウの鉢を一鉢頂く。どんな花が咲くのかネットで調べて見たら、鳥のサギみたいな花を咲かせるようだ。何でも8月10日頃に咲くという。やけに日付に細かいのに笑いそうになる。
 最近またその隣の空き家が騒がしい。年寄りが数人集まって何だか庭をいじくり回している。裏の奥さんと話していたら、江戸川総合人生大学を卒業した人が代表になって地域活動をしていると、名刺を頂いた。なんでもその空き家を借りて地域活動の場にすると言っていた。それで年寄りが集まっているのかと納得する。昨日、植木鉢をものすごい数運んで来ている人がいて、数鉢頂いた。
 庭の掃除は明日することにする。何だか今日は予定が狂ってしまい調子外れの一日であった。

 そういえばクロアゲハが咲いているつつじの花の蜜を吸いに来ていた。ブログで検索してみると去年は25日にやって来ている。(こういうときこの日録は比較できるので楽しい)今年は少し早いようだ。

 田辺茂一さんの『わが町新宿』をやっと読み終える。


4月20日 水曜日

 晴れ。

 午前中、床屋に行き、その後コーナンへまた赤土を買いに行く。猫額庭主人としては、庭の土が細っているのが、気になって仕方がない。おそらくこの家が出来て、庭の土に関しては何もしていないはずだ。
 雨が降ると、水たまりができる箇所がいくつかあり、そこがあるべき土が減っていることがわかる。今まで30ℓ足しているが、今日新たに30ℓ買ってきて、それを加える予定。その準備などして、午後の時間を使ってしまった。明日は天気が悪いようだから、明後日以降土を足していこうと思っている。
 コーナンで土を買った時に日々草とインパチェンスの種が安かったので買ってみた。プランターに蒔いてみようと思っている。

 テレビの天気予報を見ていると、日本各地で中継していて、いま時期の草木の様子を伝えてくれる。その時の草木の名前も教えてくれるのだが、今日は春もみじのことを教えてくれた。実は我が家にも1本もみじがある。このもみじ春に葉が赤くなり、そして黄色から緑に変わる。私が知っているもみじの葉とは逆なのだ。不思議に思っていたが、春もみじはそうらしい。また一つ草木の名前を覚えた。
 それにしてもここのところこの日録、園芸日記みたいになっている。


4月21日 木曜日

 曇りのち雨。

 午前中引き続き庭の整地を行う。
 昼からイオンに行く。これから使う掛け布団を買う。一度羽毛布団を使ってしまうと、それまで使っていた布団が重く感じて寝苦しくなってしまったのだ。
 あと来週に孫の誕生日会があるのでプレゼントとして洋服を購入。
 結局不眠症気味もたたって、フラフラになってしまった。家に帰ってきても何も出来ず、本もなかなか読めずにいる。ぐずぐずしていると図書館の返却期限が来てしまうので、少々焦っている。


4月22日 金曜日

 晴れ。

 今日もコーナンへ行く。ここのところコーナン通いが続いている。とにかく庭の土が足らないのだ。一度気がつくと、地面気になって仕方がない。ここは今回徹底的にやろうと決めたのだ。
 午後から二階の押入の整理をする。ここもひどい状態になっている。とにかく何でも詰め込んで、そのうち何が入っているのかわからなくなってしまっている。もう何年も使わず、あることさえ忘れてしまっている。
 考えてみると、この家が出来て28年。この家で子どもを二人育て、家族四人で暮らしてきた。その時々必要なものであっても、そのうち要らなくなってしまうものがたくさんある。その都度処分していけばいいのだろうけれど、そのものたちには想い出という厄介なものがくっついているものだから、なかなか捨てられない。
 今回子供たちが作った作品は残しておくこととして、バッグや服、布団など思い切って捨てる。そうしたらゴミ袋10袋になってしまった。これで押入の片面だけだ。もう片面が残っているが、これも近いうちに整理する予定。

 庭に整地にしても、家の不要品の処分にしても、このまま何もせず残しておけば、我々がいなくなったとき、残った者が処理するのは大変であろう。ちょっとした生前整理である。まだ早いかもしれないが、歳をとって様々な物を抱えているのも厄介である。これからはもっともっとすっきりと環境整理をして、身軽な生活をしたいものだと思う。それも出来るうちにやっておかないとならない。まだまだこの家には処分しなければならないものがたくさんある。


4月23日 土曜日

 曇りのち晴。

 近いうちにと言っていた残った押入の片面の整理を続けてやる。捨てる物がまた10袋ほど出る。今日、昨日出したゴミを収集してもらったのだが、さらに昨日より増えてしまった。
 まったく我々夫婦はものを抱えるものだと呆れてしまう。もうこれからは出来るだけシンプルに生きたいと二人して思うのであった。

 立川談志さんの『酔人・田辺茂一伝』を読み終える。


4月25日 月曜日

 晴れ。

 久しぶりに散歩でよく歩いた。お陰で体調がいいようだ。
 また園芸日記となる。
 つつじの花が終わった後は花びらが枝や葉にひっついてしまい、汚らしい。それをこまめに取り除く。今年は多く花が咲いた分、大変だ。数日かかりそうだ。
 庭の前の私道の掃除の後、側溝に落葉が詰まっていたので、その掃除もする。
 以前梅の木が欲しい、と書いた。そのウメの苗木が値引きされて売り出されていたので、買ってくる。自分で買った木はこれが初めてだ。青いウメの実が二つ付いていた。明日庭に植える予定。

 このように春は何かと忙しい。とてもゆっくり本を読んでいる暇がない。そういっても毎年この時期に発売される東京バンドワゴンの新刊が入荷したとメールで連絡があり、店に買いに行く。毎年楽しみにしているので、早く読みたい。

 東京オリンピックの新しいエンブレムが決まった。最終候補として4つデザインがあったが、決定したエンブレムは予想外といっていいかもしれない。下馬評では一番人気がなかったようだが、実際決まってみると、案外いいかもしれないと思えてくるから不思議だ。
 ところで今日3時に発表されるはずだったのに、テレビではそれ以前に結果が速報をで流れてしまっていた。情報が漏れたのか、それともフライングなのか、テレビのワイドショーでは出演者が発表以前に結果を知ってしまっているので、会見模様を茶番劇のように言っていた。確かにおかしいものだった。


4月26日 火曜日

 晴れ。

 夕方風呂に入り一日の汗を流した後、窓を開けて外の風を部屋に入れると、気持ちがいい。花粉症も収まりいい季節となった。まだ日が暮れたばかりなので、外は明るい。隣の雑木林で何の鳥かわからないけれど、鳴き声が聞こえる。すぐ近くまで来ているのが確認できる。
 今日は一日よくからだを動かした。午前中、散歩、庭にある南天の移動、そこに昨日買ってきたウメの木を鉢から庭に植え替えた。つつじも花が終わったのを取り除くと同時に剪定もした。
 午後からドンキホーテへ行き、私専用の自転車を買う。自転車は欲しかった。ここのところ息子の自転車を借りてコーナンへ行ったりしているのを見て、妻が自転車を買ったら、と言ってくれたので、気が変わらないうち買うこととなった。
 ドンキには近所に住んでいる人が自転車売場の担当をしているので、その人のところで買うことにしたのだ。ちょっと安くしてくれたし、ワイヤー式の鍵もおまけで付けてもらった。
 これでちょっと遠出が出来る。中央図書館など歩いて片道30分程度かかって行ってきたが、今度は自転車で行ける。もちろんコーナンも。ママチャリに毛の生えた程度の自転車だが、サイクリングもいいかもしれない。楽しみが増えた。
 そうそう散歩で久しぶりに近くのブックオフへ行ってみた。そうしたら南木佳士さんの『海へ』を108円で見つける。初版本でまったく読まれた形跡がない。裏表紙を開くと鉛筆で「新本800円」と書いてある。多分古本屋で売っていたものだったのだろう。それがそのままブックオフに流れて来たようだ。
 ゴールデンウィークにはブックオフでは本20%オフのセールをやるようだが、108円ならそれを待つまでもなく、すぐレジへ向かう。
 探している本が見つかった時は、いい日に思える。今日はいろいろな意味でいい日であったな、と風呂上がりに外の風を受けながら思った。
 この後、図書館で借りている本を読んで一日を終えるつもりだ。


4月28日 木曜日

 雨。

 ガブリエル・ゼヴィンの『書店主フィクリーのものがたり』をやっと読み終える。

 今日は孫の5歳の誕生日であった。


4月30日 土曜日

 晴れ。

 孫の誕生日会をやる。娘のところでも誕生日パーティーをやっているようだが、それとは別に我が家でも誕生日パーティーをやっている。義理の妹も来てくれ、みんなで孫の誕生日を祝う。プレゼントも一杯で、孫はご満悦であった。
 早いもので孫ももう五歳である。その分我々は歳をとったわけだ。
by office_kmoto | 2016-05-02 07:57 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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