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山口 瞳 著 『私本歳時記』

d0331556_614367.jpg 今回はエッセイではなて、20回記念特別版として、原稿用紙7枚を一篇とする小説である。題名の通り、四季折々に題材を取って、話を構成している。
 読んでいて、これ、諸井薫さんのエロチック版だな、と思った。当時山口さんは47歳だったと言う。この歳の男の“あっちら”の寂しさを書き綴っている。
 そういえば諸井薫さんは今どうしているのだろうか。昔はよく読んでいた。「男は・・・・」といって物語が始まってたっけ。
 ネットで調べて見ると亡くなられている。諸井さんの本を読まなくなって、もうだいぶ経つ。ときたま古本屋の均一コーナーで諸井さんの本を見かけると、当時読んだことを思い出し懐かしくなる。若い頃読んでいただけに、今にして思うと、話にある機微をどれだけ理解していたか疑問なところもあるが、読み直してみたくても、手元には諸井さんの本は一冊もない。
 しかしこの歳の男は“あちら”に限らず、悲しいものですな。


山口 瞳 著 『私本歳時記』 男性自身シリーズ 20 新潮社 (1985/07発売)
by office_kmoto | 2016-08-29 06:02 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『余計なお世話』

d0331556_5451333.jpg このシリーズはまとめて読むのではなく、数冊読んで、違う本に手を出し、そしてまたこのシリーズに戻る読み方をしている。で、戻って来ると、何故かホッとする。そして何か読み取ってやろうという気持ちが薄れ、ただ書かれるままに読んでいることに気がつく。だから“これは!”ということがなくなってくる。たぶんこんな読み方の方が自然で、素直な読み方なんだろうと思ったりする。

 長崎について書かれた文章がある。


 ただ、遠いのが困る。なんとか早く新幹線が開通しないものかと思う。帰ってきたばかりなのに、また行きたくなって仕方がない。(長崎半歳)


 吉村昭さんもよく長崎に行っていた。吉村さんが書く歴史小説の取材には長崎が欠かせない。エッセイに書かれる長崎の人の良さ、料理のおいしさなど書かれているのを読むと、行きたいものだと思う。坂の多さにも憧れてしまう。ゼロメートル地帯に住んでいるものだから、普段坂道を歩くことがないからだ。タモリの“段差好き”とは違う。こうして歳をとって、ゆっくりと坂をのぼっていく自分を想像する。一度立ち止まって後ろを振り返り、改めて前の坂を見る姿が憧れだ。
 長崎出身で、今はまったくの音信不通なのだが、逢いたい後輩がいる。昔ブログを始めた頃、一度私のブログを見てくれ、やりとりをしたが、それもそれっきりとなってしまった。そんな後輩のこともあるので、長崎と聞くと心が動く。


 ぼんやり窓越しに庭を眺める時間が長くなってくる。(花見風呂)


 これ、私もそうだ。暖かくなって、朝起き、雨戸を開けてから、ベッド越しに庭を眺めている。もうサツキは終わったが、それでも朝の葉の緑を眺めていると気持ちが落ちつく。結構長い時間眺められる。そしてちょっとした変化など見つけたりすると、それだけでわくわくする。毎日見ているものだから、花や葉の状態の変化に気づくのだ。
 最後に笑ったこと。エッセイの題名は「笑っていいか」である。


 ○太洋ホエールズ球団では選手の教養を高めるために図書室を開設した。もっとも貸し出しの多かった書物は江本孟紀の『プロ野球を10倍楽しく見る方法』であった。


 これ笑える人はもうだいぶ歳なんだろうなあ。書店時代よくこの本を売ったことを思い出す。


山口 瞳 著 『余計なお世話』 男性自身シリーズ 19 新潮社(1984/11発売)
by office_kmoto | 2016-08-26 05:46 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

栗田 伸子/佐藤 育子 著 『通商国家カルタゴ 興亡の世界史 〈第03巻〉』

d0331556_5453026.jpg 阿刀田高さんの『海の挽歌』で朋子は言う。


 今となっては、もうカルタゴの歴史はたどれないわ。たどるとすれば、歴史ではなく文学の仕事ね。


 何故ならカルタゴと戦ったローマは徹底的にカルタゴを破壊した。その上その地に塩を撒いた。だからカルタゴ自身の歴史的史料は皆無に近い。


 第三次ポエニ戦争で徹底的に破壊されたカルタゴでは、カルタゴ人の手によって書かれたであろうと思われる文献史料はすべてが焼失あるいは散逸し、現存するものはない。今日残るカルタゴ史に関する文献史料は、時に敵対者であったギリシア人あるいはローマ人が書き残したものであり、すでに他者のフィルターを通して我々に伝えられたものである。

 だからフェニキア、カルタゴの歴史を語るとき、伝え聞いた人間の話を元にしてその歴史を語るしかないのである。そのため朋子はカルタゴの歴史を語るのは歴史でなく、文学の仕事だと言うのである。
 それにフェニキア本土においてもその史料は残っていないそうだ。


 残念なことに、アルファベットの伝播者であるフェニキア人自らが著した文献史料は
現存しない。フェニキア諸都市に、公文書を書き記しそれを保管する制度があったことは他の文献史料からも明らかであるが、用いられた素材がパピルスや羊皮紙、蝋板といった非常にデリケートな材質であるがゆえに、湿度の高いフェニキア沿岸部の気候風土では長い年月の間朽ち果てて、「沈黙の史料」となってしまったものと考えられる。


 さてそうした前提の上でカルタゴ史が書かれるのだが、この本はこれまで読んできたカルタゴ史とはちょっと異なる。この本のプロローグにおいてカルタゴ史にアプローチする仕方の一つを書いているので書き出してみる。


 フェニキア人の西地中海への展開の中で、ある時期以降、突出した役割を担うことになる植民市カルタゴの歴史は、もちろん本書の中心的対象であるが、フェニキア人の歴史をカルタゴの興亡史に還元し尽くすことは必ずしも意図するところではない。むしろフェニキア史の諸段階のどの部分でカルタゴ市のヘゲモニーが問題となってくるのか、その位置づけを明らかにすることを目標としている。


 だからこの本はカルタゴを語るときによく見られるハンニバルの記述に多くは費やしていない。カルタゴが持っていた国家としての性質に重点を置いている。そのため今までと違ったカルタゴ史になっていて興味深かった。
 古代ローマの詩人ウェルギリウスの「アエネイス」によると、テュロスの女王ディードーが兄ピュグマリオンから逃れてカルタゴを建設したとされる。
 フェニキアの都市国家テュロスの王ムットの娘で幼名はエリッサ(Elissa)といった。ムットは美貌の娘エリッサと息子のピュグマリオンを死後、相続人としたが、人々が王として選んだのはピュグマリオンであった。
 エリッサは王に次ぐ地位にあった神官をしていた叔父、アケルバスと結婚するが、ピュグマリオンはアケルバスが隠し持っていた財宝に嫉妬し彼を殺してしまう。そこでエリッサは彼女と同様にピュグマリオンを憎むテュロス市の貴族、元老院議員とともに故国脱出する。
 テュロスを逃れたエリッサの船が最初の上陸したのはキプロス島であった。この島の神官はエリッサと同行することを申し出て、彼の協力で約80人のキプロス人の娘達をエリッサの部下たちの妻として連れ去った。これが真実だとするとカルタゴ市民の父方はフェニキア人であるが母方はキプロス人となる。
 エリッサのことを「ディードー」と呼ぶのはアフリカ先住民で、その遍歴ゆえそう呼んだ。ディードーとは「さすらう者」のような意味でろうという。
 エリッサは後にカルタゴと呼ばれる地中海に面したアフリカに上陸する。この時先住民に土地を買いたいと申し出る。

 「ただ一頭の牛の皮で覆えるだけの土地が欲しい、そこで長い航海で疲れた仲間の者達を休ませたあと、出発しますから」


 と言ったという。先住民はそんな狭い土地で何をしようというのか、と言って笑ったという。フェニキア人は牛の皮を細かく切り、長い紐をこしらえ、その紐で土地をかこった。


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          ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 「カルタゴを建設するディド」


 この本を読んでいると最初カルタゴというのは租借地であったらしい。要するに先住民に借りていたのである。それがカルタゴが力を持つようになり先住民達支配することでそれを有名無実化したようである。
 さて、エリッサ伝説というのがある。トロイの英雄アエネアスとの関係である。アエネアスといえば、ローマ建国の祖である。そのアエネアスがトロイ戦争から落ち延びてカルタゴに上陸しエリッサの愛人となった。しかしアエネアスは神々に促されて彼女を捨ててイタリアに向かう。エリッサは遠ざかる船を見て自殺する、という話である。
 
 この本に書かれていて興味深かったのはカルタゴという国が持っている性質だと書いた。それを書いてみる。まずはフェニキア人が行っていた貿易の性格を書く。


 フェニキア人の西方発展は、地中海域における金属資源獲得と密接に結びついていた。地中海各地に残るフェニキア人の痕跡が、キプロス島やクレタ島、サルディニア島などを経由する鉱物資源獲得ルートと重なることは非常に興味深い。


 フェニキア人は地中海随一の船乗りとして、大海原をまたにかけ、国際交易に活躍したたぐいまれなる商人である。前九世紀以降、海上交易と陸上交易の結接点となった東地中海沿岸部のフェニキア諸都市は、当時世界中の物品の一大集散地として栄えた言わば国際商業都市であった。だが、彼らは単なる中継交易に従事した商人であっただけではない。カナン時代の伝承を受け継ぎ、自らが染色や織物産業、金属加工や象牙細工に熟練した職人集団であり、さらには、木材の伐採や運搬、建築、造船の分野に至るまで卓越した技術者集団でもあったのだ。モノを運ぶだけでなく、モノを創り出すことができる、それこそ彼らの強みが隠されている。


 ここにカルタゴの擡頭が問題となってくる。すなわちカルタゴが力を持ち始めると、イベリア半島で採掘された銀を地中海の東の果てまで運ぶ必要性がなくなってくる。カルタゴで処理出来れば、その方が効率がいい。ここでチュロス対カルタゴの構図が浮かび上がってくる。


 フェニキア人の交易方針はきわめて「重金主義」的で、少しでも多くの貴金属の獲得がその目的であった。たとえばシチリアのディオドロスはイベリア半島の銀山に関して次のような話を紹介している。その昔ピュレナイア(ピレネー)山脈で牧人の放った火で大火事となり、木々が焼け尽きたあとの地表に大量の銀が流れて溶岩のようになった。しかし現地の人々はこの金属の利用方法を知らなかったので、これを聞き知ったフェニキア人が安価な品物とのバーターで銀を買いつけてギリシア、アジアその他の種族の地に運び、巨富を築いた。フェニキア商人達は利益追求に熱中するあまり、船荷が重すぎて大量の銀が積み残される場合には、錨として使う船を切り離し、代わりに銀塊を錨にするほどであった。
 このように先住民の無知につけこみつつ、東方ではすでに陳腐化している雑貨類との物々交換で一片でも多くの銀等の貴金属を入手し、それらが枯渇しつつある東方に持ち帰り、高く売りつけるというのがフェニキア人の商法であった。となるならば、イベリア半島等で銀を積み込んだあとは、給水や船の修理のためのやむをえない上陸は別として、できるだけ寄り道をせずに、つまり寄港地に銀を落とさず、銀の販路である東地中海各地に帰るのが、フェニキア商人、たとえばテュロス人から見ての鉄則だったはずである。カルタゴの存在、そしてその交易中心として成長は、このあってはならない「寄り道」の原因になりかねない。
 たしかにカルタゴ市がある程度発展して商品の集積地となり、東方風の手工業製品を生産するようになれば、バーター用の全商品をフェニキア本土から遠路はるばる運んで行かなくても、途中のカルタゴで調達することができ、一見便利そうではある。しかしそれはこの鉱物資源獲得航海の起点がテュロス等フェニキア本土の都市でなく西のカルタゴへ移るきっかけとなりかねない。この方向を突きつめていけば結局カルタゴ市が自国産のバーター品との交換で西地中海の鉱物資源を独占し、それを東方に輸出する、という構図になり、フェニキア本土の都市の出る幕はなくなってしまうのである。


 そして実際その通りになった。フェニキア本土があるカナン地域にオリエント全体の大変動があったのだ。アッシリアの擡頭、ペルシャ、アレキサンダーの遠征などこの地域の政情不安でフェニキア本土は力をなくしていくのである。
 そして三回のローマとの闘いでカルタゴは滅びる。でもたとえカルタゴが完全に滅びるまでいかなくても、地中海世界がローマ一色になったので、カルタゴの商業は窒息したのではないか、という著者たちの見解は興味深い。


 カルタゴ海上帝国が想定している世界は、政治的にはもっと多極的で、各地の文化的異質性が保たれているような世界だったのではないだろうか。もともと東地中海の先進文明地域と西地中海各地との文明の落差・地域差を前提に成り立っていたフェニキア・ネットワークである。地域差と文化の違いこそが、運んでくる品物に独特のオーラーを付与していたのであり、のちのローマ帝国統治下の地中海世界のように上下の階層差はあっても地域差は少ない世界-同質化、「ローマ化」が一挙に進行していく世界-では彼らの商業は窒息したであろう。


 なるほど、確かにローマ世界の拡大はヨーロッパ内陸部に及んでいき、ローマの都合の良い世界均一化は、カルタゴの貿易を成り立たせなくする。
 その後ローマが滅んでも地中海世界はゲルマン民族、イスラム民族が進出してきて、この世界の商業は停滞する。それが落ちついてきたとき、アンリ・ピレンヌのいう「商業の復活」まで待たなければ、地中海の商業は活発にならなかった。ただこの場合、商業の復活は地中海だけではなかったはずだ。


栗田 伸子/佐藤 育子 著 『通商国家カルタゴ 興亡の世界史 〈第03巻〉』講談社(2009/09発売)
by office_kmoto | 2016-08-24 05:51 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

吉田 八岑/遠藤 紀勝 著 『ドラキュラ学入門』

d0331556_643466.jpg この本を入手した時のことはよく覚えている。出版社の社会思想社が倒産して、店に常備していた教養文庫を返品していたとき、“面白そうだ”と思い、買い取った。でもそのまま本棚に眠っていた。
 今さらドラキュラなんていうのを持ち出す理由はないのだが、本棚を眺めていたらちょっと気になり、読んでみた。

 ドラキュラといえば、夜中墓から出てきて美女の血を吸う。ニンニクと十字架が苦手というくらいの知識がない。多分映画の一場面を記憶しているのだろう。
 この本を読んで知り得たことを書いてみると、ドラキュラを中心とする吸血鬼伝説というのはスラブ世界がその発祥地といわれている。なぜここなのかといえば、ここは「キリスト教の席捲に従い、スラブ世界既存の汎心論的信仰との混淆現象が指摘されている」からだ。
 ドラキュラの定番として、ブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』があげられる。小説では歴史上実在した悪逆無道の君主ヴラド・ツェペシュを連れ戻しドラキュラのイメージを託した。このヴラドの非道ぶりをいくつかこの本では紹介しているが、何でも捕虜を生きたまま串刺しにしたため、“ヴラド串刺し公”と称されている。
 女性の吸血鬼モデルもいた。ヴラド・ツェペシュ公とは縁続きともいわれるエリザベート・バートリー伯爵夫人である。彼女は不老不死、永遠の美を求めるあまり、生け贄の血を搾り取り、その中に身を浸した。
 このようにドラキュラが血を吸うのは血が生命の源と考えられたからだし、若い女性をの血を吸うのも永遠の美を求めるところがあったからだろうということはわかった。
 著者たちは吸血鬼がいまわしく思われる原因の一つを吸血鬼が「血」を吸うことをあげる。そして吸血鬼が血を吸うことの起源を「いわば同族嗜食、共食い」に求める。いわゆるカンニバリズムである。
 人類の歴史にはカンニバリズムは度々ある。たとえば我々は飢えの極限状態から生じるカンニバリズムを知っている。近くはあのアンデス山中に不時着した飛行機の乗客が生きるために人肉を食べたことを「アンデスの聖餐」として知っている。
 

 ただこのような話は、悲劇的な事情に対する、ある種の同情と共感から割り引きされるのか、それほど非難の声が高くならない。ところが同じ人間の肉を食うことに変わりはないのだが、これが呪術的、あるいは宗教的なセレモニーで行ったとすれば、それも世界観の違うことで、いたしかないなどとは決して言わない。即座に、野蛮人、原始人、先祖返り、狂人のレッテルを貼られ、社会から抹殺されるはずである。しかし共食いを単に心理学や既成道徳ぐらいの材料だけで解釈できるなどはとうてい思えない。なぜなら吸血鬼伝説の根強さが、人間の精神から発したとすれば、吸血鬼伝説に連なる人肉嗜食も太古の血にその根源があると思われるからだ。


 このカンニバリズムには、大きく分けて二つの意味が含まれていることだ。一つは敵を征服した確認行為として食う場合と、もう一つは敵、味方に関係なく、かつて生前に絶大な力を持っていた者の肉体は、死後もその力を内在させているという考えから、その肉体を食うという行為で、おのれの肉体に相手の持っていた力を引く継ぐ、すなわち精神的な遺産も奪えるという観念から行われる嗜食なのである。


 もう一つ血に関して重要な行為がある。生け贄である。


 神々や祖霊に人間のもっとも重要なものをささげることによって、はじめて神々あるいは神的な存在となった祖霊を敬うことになり、恩恵を受けることができたのである。それは生命であって、その源である血となった。ささげられる血は、いわゆる「聖なる血」であった。


 こうしたいけにえと血の信仰が、民間では死者が血を求めているという吸血鬼信仰にもなったいえる。


 このように人間自身が自分たちの血と肉に別な意味を見出してしまう傾向が土俗的にある。当然それは恐怖を伴うものだから、センセーショナルでもある。もともと人間にはそうしたことを求めてしまう「性質」があるのかもしれない。だからドラキュラ伝説は広まった。


 かつてキリスト教は何世紀にもわたって死者の霊に永遠の生命を賦与することで、信者の救済を図ってきたが、すべてが満ちたりたわけではなかった。一部の異端者や無神論者たちは、このキリスト教の霊魂偏重主義に押し潰されまいと、また帰依点をプリミティブな土俗信仰へともどしたからである。
 彼らは精神的慰めよりも、現実的な肉体が持つ「血」や「肉」に不老不死を求めたのだ。
 ここにいたり、東欧の暗い伝説闇に産声をあげた「吸血鬼」は、土俗的な因習の殻を抜けだすと、その奔放なイメージを西欧に全域にばらまくことになった。すなわち、生命の源と考えられた「血」への渇望は、よみがえる死者、歩く死体、腐敗しない肉体といった形而上の恐怖をつぎつぎに生みだしたのである。



 ではもうひとつの恐怖である、ドラキュラが墓から出てくる起源はどこにあったのだろうか。


 西欧では死者を野辺送りする場合、犯罪者、あるいは疫病死の死体などは火葬にすることもあったが、多くは土葬で死者を葬っていたのである。死が訪れたと判断された人間は棺の中に封じこめられ、もしくはむきだしのまま穴に埋められたのである。
 だが生きている人間がこの事態を想像したとき、死の判定に誤りがあって、埋められてから息を吹き返すしたらどうなるのだろうという恐怖が生まれたのだ。


 実際そんな例がいくつかここに書かれている。死んだとして埋葬され、墓の中で息を吹き返し、そのまま悶え苦しんで今度は本当に死ぬ。その墓を掘り返してみれば、苦しみ、恐怖に悶え苦しむ醜く歪んだ死者の顔を見てしまう。
 こうして生きたまま埋葬されることはそうそうあったことではなかろうが、少なくとも土葬だからこそあり得た話であったろう。


 火葬の習慣の土地には吸血鬼信仰は生まれない。土葬だからこそ、墓を掘り起こして、遺体の腐敗というおぞましい姿と恐怖の対面をすることになり、吸血鬼の存在を知ったのである。復活のために肉体が必要だったが、まかり間違えば吸血鬼としてよみがえる危険性もあったのである。


 早すぎた埋葬による「よみがえった死者」の記録が、に吸血鬼の存在を信じさせる温床ともなったのである。


吉田 八岑/遠藤 紀勝 著 『ドラキュラ学入門』 社会思想社(1992/03発売) 現代教養文庫
by office_kmoto | 2016-08-21 06:09 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

阿刀田 高 著 『海の挽歌』

d0331556_5461974.jpg もうこの本は何度読んでいるか。このブログにもこの本のことを載せたと思っていたが検索を書けてみると引っかからない。以前やっていたブログだったのだろう。

 宮島麦彦は会社の勤続報償でチュニジアを選ぶ。昔別れた中杉朋子がそこで暮らしていた。
 麦彦は家族も持ち月並みのサラリーマン生活を送っていたが、「人生に忘れものをした気分拭いきれない」でいた。その忘れものが別れた朋子に会うことだった。ただ今の生活を壊してまで朋子のところ走るわけではない。単に忘れものを取りに行く、ということだ。この気分ってあるだろうな、と思う。人生には忘れものがたくさんある。ただそれを取りに行く機会がないだけだ。そして忘れて行く。私がこの作品が好きなのはこうした忘れものを取りに行く話だからである。

 チュニジアは昔カルタゴがあったところであった。麦彦はありし日のカルタゴを朋子と偲び、語り合う。


 「俺の頭の中に・・・・・なんていうかな、分岐点へのこだわりがあるんだ」

 「むつかしいのね」

 「むつかしくはない。人生なんて、右へ行くか左に行くか、分岐点の連続だろ。あのときあっちの道へ進んでいたら、どうなっていたか、その後の人生がまるで変わっているようなことって、いくらでもあるじゃないか」

 「ええ・・・・」

 「一つの道を選ぶたびに、無数の可能性を消していく。一つの人生の陰には、こうして消えて行った人生の幻が山のように存在しているわけだろう。一種の亡霊だな。実体はなにもない。ただ、もしかしたらあったかもしれない人生がいっぱいさまよっている」


 この二人の会話を読んでいると朋子の返事は心許ない。どちらかと言えば麦彦の考えに同調できないところを感じることが出来る。実際二人のカルタゴを巡る最後の挽に朋子は言う。


 「あのね、ハンニバルが勝っていたら世界が変わっていた・・・・・と、私も考えたわ。でも本当にそうなのかしら。たしかにローマ帝国はなかったでしょうし、カルタゴ帝国があったかもしれない。だけど、イエスは生まれ、キリスト教は広がり、マホメットは生まれ、イスラム教は広がり、地中海沿岸は同じような歴史をたどったでしょうね。ヨーロッパの平野には似たような国が興り、ナポレオンが出現し、革命が起こり、アメリカはさまざまな民族を集めた合衆国になり、世界戦争が勃発して原子爆弾が落ちる。こまかい部分の組合せはちがっても人類は同じような歴史をたどったように思えるの。どんな英雄の力でも変えられない、大きな歴史の意思のようなものを感じたりするのね、私は」


 これが朋子は言いたかったことだろう。結局何も変わらない。あったかもしれない生き方を想像しても、行き着くところ今と変わらない。結果としてこうとしか生きようがなかった。それで今がある。それを思うと分岐点を思うことが無駄である。
 ただ麦彦のように平凡な家庭生活、サラリーマン生活を送っていると、ふと別な生き方もあったかもしれないという思いが、分岐点ということにこだわらせる要因であったのだろう。おそらく「あの時」と思いを巡す気持ちは誰にも芽生えるもので、大上段に言えば、だからこそ文学も存在できる。
 私が小説や随筆を読むのは、もしかしたら麦彦のような思いを作品の中で感じたいからかもしれない。歴史に「if」があり得ないように、過ぎ去った自分の人生にも「if」はあり得ない。作品を読みながら、「if」を期待し、それでいてそれはあり得なかったという諦観も同時に味わうことになる。人生とはそういうもんだろう。


阿刀田 高 著 『海の挽歌』 文藝春秋(1992/05発売)
by office_kmoto | 2016-08-17 05:48 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成28年8月日録(上旬)

8月1日 月曜日

 曇りのち晴

 嵐山光三郎編『山口瞳「男性自身」傑作選 熟年篇』を読み終える。午後から中薗英助さんの『北京原人追跡』を読んだ。

 ファイルをUSBメモリーに保存しようと思い、そのUSBメモリーに何が入っているのか見たら、サラリーマン時代の最後に作ったデータファイルがそこにあった。
 ここのところこうしたサラリーマン時代のものがひょこっと出て来る。先日は交換した名刺だった。もちろん両方とも必要ないので削除したり、捨てたのだが、あれだけ仕事を辞めるときに処分したのに、まだ出て来る。

 自分の会社の身売りが決まり、それまでせっせと整理してまとめてあった資料や書類をシュレッダーにかける毎日が続いた。それこそ私が会社の事務職に就いた頃からの資料や書類なので、厖大な量であった。仕事柄個人情報もかなり含まれていたので、それこそ毎日シュレッダーにかけていた。相手に引き継ぐ最低限の資料や書類だけを残して、データファイルもハードディスクを物理的に壊した。
 これだけ資料や書類、データを破棄すれば相手は困ることもあるかも知れないと思ったが、意識的に破棄した。困らせてやろうという気持ちもどこかにあった。そして私がこの会社に提出した30年以上も前の履歴書も人事ファイルから抜き出して持ち出した。自分の痕跡など残したくなかったからだ。辞めていく人間のデータなど相手方には必要あるまい、と思ってもいた。
 長いこと会社勤めをしていると、会社のものと個人のものが区別つかないものが結構出て来る。あるいは個人のものを会社に持ち込んでいたりもする。そんなものを辞めるまでにコツコツと家に持ち帰って来たが、USBメモリーのデータ、名刺入れに入っていた名刺もその一部であったのだろう。


8月2日 火曜日

 午前中雷を伴うゲリラ豪雨。

 まったく今年の夏はいったいどうなっているんだ。夏らしい太陽が照りつけて暑いという日がない。暑いことは暑いのだが、それは湿気による蒸し暑さだけだ。夕方散歩に出かけても肌にまとわりつく暑さで、歩いていてもちっとも気持ちよくない。むしろ変にバテる感じだ。気持ち悪くなる。
 とにかく天気がはっきりしないので、サツキの消毒も出来ずにいる。明後日あたりから天気は好くなるというからそれまで待つしかあるまい。


8月3日 水曜日

 曇り時々晴。

 永井龍男さんの『雑文集 夕ごころ』を読み終える。私が持っている永井さんの本はあと1冊となり、それを続けて手にする。
 読んでいて、こういう素直な文章ってものすごく憧れる。どうしたらこんな文章が書けるのだろう、と思ってしまう。才能のない己を自覚するのみ。


8月4日 木曜日

 晴れ。

 やっと夏らしい陽がガンガンに照りつけた。サツキの消毒がやっと出来た。

 永井龍男さんの『雑文集 花十日』を読み終える。これで手元にある永井さんさんの本は全部読み終えたことになる。山口さんの「男性自身」を全部読み終えたように、少しずつ自分が読みたいと貯めこんだ本が消化される感じがする。けれどそれは機械的に消化しているというわけじゃない。サラリーマン時代のように空いている時間をフルに使って本を読むというせわしさの中での読書と違い、時間をかけて十分味わって読むことが出来ている。もちろんそれは仕事を辞めているから出来ることだが、そういう意味では有難いことだと思う。
 永井さんの『石版東京圖繪』のことを書くに当たり常盤新平さんの本を図書館で借りてきた。もちろんこの本は一度読んでいる。でもその章だけを使うために本を借りているのも申し訳ないので、再読することにした。
 そういえば一度読んだ本をもう一度読み直すことも出来るようになった。これも有難いことだ。


8月5日 金曜日

 晴れ。

 朝起きると、朝顔が咲いている。以前と比べて花の数はだいぶ少なくなってきている。咲き終わったところには種が出来ているのだろう、ふっくらとふくらんでいるところもいくつかある。
 サツキにセミの抜け殻がいくつも付いている。地面にはぼこぼこと穴があいている。そこから出てきて枝の先まで行って、羽化したのだろう。
 朝庭掃除をしていると、羽化しかねたセミを見た。一匹は羽が一枚なかった。奇形だったのかもしれない。もう一匹は羽化したものの地面に落ちてしまったようで、そこにアリが集まり始めていた。二匹とも隣の雑木林の木に移してやったが、果たして生きのびられたかどうか。
 今朝はクロアゲハが大きく羽を広げて休んでいる。カマキリの子供も見た。小さいくせにイッチョマエに威嚇する。それと本当に久しぶりに糸とんぼも見た。どこから来たのだろうか?しばらく見ていたら、そのうちどこかへ飛んで行ってしまった。
 狭いながらも庭には様々な生き物がいる。オケラも見かけた。地面に穴が開いて、何かいそうな感じがして、掘り出してみるとオケラであった。昔子供の頃、オケラを捕まえて手を広げるのを見て、「お前のちんちんどれくらい」なんて歌っていたっけ。
 お隣からもらったサギソウが本当に8月10日に咲きそうな気配だ。どんな花を咲かせるのだろうか。

 常盤新平さんの『東京の片隅』を再読する。この本は昨日書いた通り“資料”として再度借りた。でも借りた以上ちゃんと読まないと、と思い読んでみた。いい本である。
 ここに出てくる町の名前は私の地元だし、お茶の水、神保町は大好きな町だから、ふんふんと言いつつ読んでいた。常盤さんは昔ながら喫茶店の愛好者だから、そこの書かれる雰囲気は読んでいると懐かしい。
 ところで私は今、コーヒーを止めている。飲まなくなって1週間になるか。1週間も一滴もコーヒーを飲まなかったということは、高校時代から飲み始めて、多分初めてである。
 逆流性食道炎にはコーヒーは好くないらしい。医者に通っても、毎食後薬を飲んでいても、一向に症状が改善しない。
 一方昔あれほど飲んでいたコーヒーが最近それほど飲みたいと思わなくなってもいた。コーヒーを飲めば必ず胃の調子がおかしくなってくる。だから朝だけミルクたっぷりのカフェオレを二杯ほど飲んでいたが、それを止めて牛乳にしている。(牛乳も脂肪が気になるので低脂肪のやつにされている)
 それでコーヒーを止めてみると、確かなことは言えないけれど、少し症状が改善しているような気がする。今はそれほど飲みたい思わないのだから、多少残念な気もするけれど、このまま止めようと思う。
 アルコールも良くないという。けれどこう暑くちゃ、ビールも飲みたくなる。今日は缶ビールを買ってきた。まあほとんど飲まないのと同じなのだから、たまにはいいだろう。何でもかんでも駄目としてしまうと、何のために生きているのかわからなくなる。それに今ごろ節制しても、無駄とは言わないけれど、あまり意味もなさそうな気がする年齢だし、まあ日々の生活に支障があることだけは止めようとは思う。少なくとも長生きするために節制するというのは嫌だ。

 そうそうサギソウが一輪花が開く。


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朝方いつものように庭掃除をして、今日は暑くなりそうだから、せっかく蕾も持っていることだし、ということで部屋に入れたら、午後蕾が開く。その花の姿を見て、まさしくこれはサギに似ていて、びっくりした。サギソウとはうまく言ったものだ。


 私の卒業した小学校の校歌は「富士の嶺はるか 潮の香におい 白さぎとびかう」とあった。私が小学生の頃は確かに白サギが田んぼやハスの畑に飛んできていた。
 ところで小学校、中学校、高校、大学とそれぞれ校歌があったがまともに歌えるのは小学校の校歌だけだ。高校などまったく思い出せない。もっとも高校時代、校歌を斉唱する場は必ずと言っていいくらいいなかったから当然かもしれない。(要するにふけていた)大学は「おお~めいじ」のところだけ。まあどうでもいいことだが・・・・・。


8月6日 土曜日

 晴れ。

常盤新平さんの『いつもの旅先』を再読する。以前にも書き出したがまた書く。

 何か屈託があったのだろう。屈託というのはいくら年をとっても、つぎつぎと生まれてくるようだ。それが頭にあると、ひとりごとを生む。


 私の場合、ひとりごとがこうしてブログに書いている。


 今年も昨年とあまり変わりばえしなかった。元気ならそれでいい。私にとっては、きょうもきのうのつづきである。


 これも以前書き出した。まったくその通りだ。今日は昨日の続きとはいい言葉だ。

 サギソウがもう一輪咲いた。なかなか可憐な花だ。


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 リオオリンピックが開幕した。


8月7日 日曜日

 晴れ。

 今日も暑い。何だか今年は暑さがこたえる。歳のせいか?少々夏バテ気味なので、図書館に本を返しにいくだけで、一日じっとしている。

 池波正太郎さんの『原っぱ』を読み終える。


8月8日 月曜日

 晴れ。暑い。

 色川武大さんの『いずれ我が身も』を読み終える。

 一日中本を読んでいると、夕方など目が疲れてくる。昔はこんなことなどなかったが、やはり歳をとると、だんだん昔で来たことが出来なくなってくるのがよくわかる。仕方がないので早めにベッドにもぐり込む。


8月9日 火曜日

 晴れ。

 今日の東京の最高気温は37.7度という。たぶん今年一番の暑さだろう。朝から窓を開けてみるともわっとした空気を感じていたので、これは今日は予想通り暑くなると感じた。

 少々夏バテ気味なのは解消していないので、今日は何もせず一日家にいる。


8月10日 水曜日

 晴れ。

 半村良さんの『小説 浅草案内』を再読する。
 最近本を読み直すことをよくするようになったが、改めて読み直してみると、最初は何を読んでいたんだろう、と思うことがある。初めに読んでいい本だなあ、と思った本をもう一度読み直してみると、違う顔を見せてくれ、その奥深さを改めて感じることが多い。最初からつまらないといった本は改めて読もうなんて気にはならないが、その時何か感じるところがあれば、もう一度読み直すというのもありなんじゃないか、と思ったりする。


8月13日 土曜日

 晴れ。

 お盆なので義父の墓参りに行く。
 図書館で予約してあった本が届いたというので、借りに行く。

 山本周五郎の『青べか物語』を読み終える。


8月14日 日曜日

 曇り時々晴れ。

 相場英夫さんの『ガラパゴス』上巻を読み終える。

 朝窓を開けるとだいぶ涼しくなってきた。一時のもあっとした空気が心なしかひんやりしている。朝の空気の感じで今日は暑くなるなあ、と思っていたのが、今日はいくらか過ごしやすい日になる予感をさせる。多少夏バテ気味なので助かる。
 百日紅の花が散って庭にピンクの花が散らかっている。朝顔は終わったようだ。ぷっくりとした種が見えている。
 わが家の庭は秋の花がない。四季折々何か花があればいいのだが、猫額亭にはもう花を植える場所がないから仕方がない。冬のシャコバサボテンの花が咲くまで待つしかない。今年はシンビジュームは花を咲かせるだろうか?テキスト通り管理してきたけど、雰囲気的に花を咲かせる気がしない。難しいものだ。
 そうそう去年出来たシクラメンの種を蒔いてもうすぐ1年になる。すくすく成長して、暑い夏を何とか越せそうだ。今年は花は無理かなあ。


8月15日 月曜日

 曇り。

 相場英夫さんの『ガラパゴス』下巻を読み終える。
by office_kmoto | 2016-08-16 05:56 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

清水 義範 著 『夫婦で行く旅の食日記―世界あちこち味巡り』

d0331556_519541.jpg この本は以前読んだ清水さん夫婦二人でツアー海外旅行の番外編というものだ。書名にあるようこれまで回った国々で味わった料理だけを綴ったものである。美味しいものもあれば口に合わないものあり、また量の多さや脂っこさなどに辟易したりする。宗教上の理由で食材にされないもの、お酒が飲めないこともある。
 確か清水さんたちは地中海沿岸地域を旅していたはずだ。今では政情不安な地域だ。けれど歴史的に面白いところだから、読んでいて楽しかったことを覚えている。
 今回読んでみるとトルコの料理は美味しかったようだ。トルコは地中海沿岸地域を支配したこともあるので、その影響が清水さんたちが回った国々の料理に現れているのが面白かった。


 私と妻は、海外旅行先で出合ったうまいものを、うちの台所で再現する、という趣味を楽しんでいるのだが、そのきっかけになったのがトルコ料理だったのである。あの時味を再現してみよう、と様々に工夫する。


 そう、この本は清水さんたちが味わった国々の料理を再現するレシピをある。


 私たち夫婦は旅先では目を皿のようにしてあらゆるものを見ようとしているので、目からお腹がいっぱいになってしまうところがあって、時々食事をうんと軽くすると調子がいいのだ。


 このように徹底的に食レポである。読んでいる方がお腹がいっぱいになってしまうのだから、清水さんたちもさすがにもう食べられないという状況も生まれるだろう。そんな時は夕食をパスして、ホテルでスーパーなどで買ってきたつまみ程度食材とワインなどで済ますときもある。
 そして趣味である自宅で再現する各国の料理のために、そこで買える食材や調味料などを買うことが一番の楽しみというから、ちょっと変わっているかもしれない。


 夕食後、ホテルの隣のスーパーへ行った。スーパーでそこでしか買えない調味料などを買うのが、私たち夫婦のお楽しみなのだ。


 私たち夫婦は旅先で身につける物を買わないで、イタリアでは土産にしたものがあまりないが、ドライや瓶詰、缶詰など食材いろいろ買えるのが嬉しかった。


清水 義範 著 『夫婦で行く旅の食日記―世界あちこち味巡り』 集英社(2015/01発売) 集英社文庫
by office_kmoto | 2016-08-12 05:20 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

村上 春樹/吉本 由美/都築 響一 著 『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』

d0331556_72816.jpg この本はだいぶ以前に買っていたのだが、何故かなかなか読む気になれず、やっと読んだ。

 東京するめクラブとは村上さんを隊長として、吉本さん、都築さんら三人が、ちょっとデープな町、昔は有名で、元気だった町を訪ね、あれこれ言い合うというもの。
 「するめクラブ」というのは村上さん命名らしい。


 「東京するめクラブ」というのも僕の命名で、要するに「たいしたもんじゃないですけど、くちゃくちゃ噛んでいるうちに、なんかそれなりの味が出てくるのでは・・・・・」みたいな、わりにゆるめのコンセプトによるものです。決して高邁な理想や、精緻な理論を追求することを目的とした団体ではありません。


 向かった先は名古屋、熱海、ハワイ、江の島、サハリン、清里である。そのうち名古屋とハワイ、江の島、サハリンはデープな部分を探っている。熱海と清里はかつて栄えたが今は廃れてしまっている観光地がどうなっているのか、なぜそうなっちゃったのか、わりと真剣に語っている。
 名古屋の料理について村上さん語っている部分が、面白かった。


 で、そういう孤立進化の状態がもっとも顕著にあらわれているサンプルが、名古屋の食べ物なんですね。名古屋には名古屋でしか食べられないっていう食べ物がいくつもあって、名古屋市民に深く愛されていて、おいしいものはそれなりにおいしいんだけれど、僕ら非名古屋人にとっては、どれを食べても「なんか変だ」というかすかな違和感が常につきまとうわけです。「なんかずれているんだよな」と感じる。そういう感じって、ほかの地域の食べ物にはまずないものなんですね。たとえば沖縄料理は普通僕らが東京で食べている料理から見れば、かなり特殊だし、ラディカルなわけです。しかし僕らは「なんか変だ」とはまず思わないし、そこには違和感もない。
 最初のうち、そういう違和感はけっこう気になる。地軸がちょっと歪んでいるところに入っちゃったみたいな感じで、どうも落ちつかない。必然性みたいなものがなかなか見えてこない。ところがしばらくしてその歪みに馴れてしまうと、今度はもう一生そこから抜けられないんじゃないかという、妖しい中毒性みたいなものが、名古屋食の中にるわけです。


 で、名古屋を訪ねて終えて三人が名古屋を語るとき、名古屋の食を一品で済まそうとするところがある。いろんなものをいっぺんで食べたいという気があるから、「重ね合わせる」とし、「かき混ぜる」と評する。そのいい例としてひつまぶしなんかそうだろうか。
 最近は名古屋フードは東京にも進出していて、ちょっとしたブームになっているのも「妖しい中毒性みたいなもの」に引かれてしまうからかもしれない。

 熱海の件は、寂しかった。もちろん熱海に思い入れがあるわけじゃない。ただそうなっているんだ、という程度なのだが。
 なんでも海岸通りに連なっていた大型旅館やホテルなどは廃業しているらしいし、裏に回ればそうした建物の解体工事が途中で止まったままになって放置されているという。それでいてリゾートマンションの建築ラッシュという。それでかどうか、客寄せの為か妖しい建物もある。それも熱海が賑わっていたころから引きずっている体質を考えればなるほどと思える。
 昔は熱海の夜景を100ドルの夜景と称されたが、今はその4割減の62万ドル夜景に転落していると村上さんは言っていた。
 三人の鼎談で、吉本さんが言っていることは熱海の体質を言い当てているんだろう。


 熱海って、昔の社員旅行とか宴会とか、要するに大口需要の街だったじゃない?だからサイズがどんどん大きくなって、部屋数が増えていって、そのぶん細かな気配りがぜんぜんできてないの。小技というものがまったくまいわけ。


 何となく言っていることはわかる。私も熱海に最後に行ったのは気の進まない社員旅行であった。もう20年以上も前になると思う。あの頃は私たちと同じようなそんな団体旅行が駅前にたむろしていた。確かに人数を捌くことのが最優先だったから、今流行の「おもてなし」なんてどこかに置き去られていた感じだった。それでも当時は大勢でわいわいやっているからそんなことも気にならなかったが、その体質を引き継いでいたら今じゃダメだろうな、と思う。だいたい熱海に行きたいと思わないし。温泉ならもっと他にある。
 江の島も子供頃の遠足の時行った。その後家族で海水浴の途中か帰りに一度寄ったことがあるが、それも同じような時期だったはずだ。とにかく50年以上行っていない。もちろん今もわざわざ行きたいとも思わない。でもそれなりに穴場スポットはあるらしいが、「へえ、そうなんだ」で終わる。

 清里には行ったことはないが、熱海と同じように清里も昔の殷賑を極めた時の建物が残ったまま寂れているらしい。しかもこちらはメルヘンチックな建物を残したままで、それを読むとちょっと恐ろしい感じになる。

 ハワイは新婚旅行で行った。そのゆるい感じは確かにこの地にある。ところでアロハシャツというのは、日本から移民たちが自分たちが持って来た着物をシャツに仕立て直して作ったのが起源だそうだ。

 この本で一番興味深かったのはサハリン紀行である。こういう行けそうな距離にあるにあるにもかかわらず、まったく行けない地域の話というは面白い。ましてかつて日本人が住んでいたこともあったとろがその後どうなってしまっているのか、には興味が湧く。
 多分気候のいい時期に三人は行ったのであろう。その自然の豊かさを満喫していた。そういえば吉村昭さんの『間宮林蔵』はまだ読んでいなかったな、と思い出す。


村上 春樹/吉本 由美/都築 響一 著 『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』 文藝春秋(2004/11発売)
by office_kmoto | 2016-08-08 07:30 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『木槿の花』

d0331556_4584689.jpg 読んでいて何かおかしいな、と思った。前回山口さんは禁酒をしていると書いてあったのががんがん飲んでいるのである。もしかしてと思って巻数を確認してみると、前回と今回、前後してしまったようだ。
 このシリーズ、本の表紙には巻数が書いていないので、そうした混乱が起こる。そうならないように本棚には発行順に並べていたのだが、どこかで入れ間違えたようである。

 さて。


 アマリリスとグラジオラスを、ながいあいだ間違えていた。アマリリスというのは赤い花で、猛々しい感じになる。。(鳥去ッテ)


 これは山口さんは自身の長篇小説でアマリリスと書くべきところを、「人の背丈ほどに伸びていたグラジオラスが・・・・・」と書いたことを言っている。


 アマリリスという名前は、いかにも可憐である。私の語感からすると、そうなってしまう。一方グラジオラスは獰猛である。アマリリスなんていうのは小さな草花である。それで間違えてしまう。私には、そういう勝手な思い違いが多い。自分では気がつかずに人に迷惑をかけることが多い。みっともないことだと思っている。(鳥去ッテ)


 たぶん山口さんは歌にあるアマリリスから、その花が可憐と思っていたのだろう。しかし実際、アマリリスの花は「獰猛」と称していい・ある種毒々しい。
 私の庭にある草木はすべてが死んだ義父が残していったものである。それを私が引き継いで管理している。だからサツキとかツツジとかその程度のことはわかるけれど、そ例外の詳しい名前はわからずにいた。
 庭の手入れを始めた頃、この時期(これを書いているのは今は5月中旬のこと)変に毒々しい花を咲かせる花は何なのだろうか、と思っていた。たまたまガスの検針に来ているおばちゃんがこの花を見て「アマリリスきれいですね」と声を掛けられ、初めてこれがアマリリスと知ったのである。けれど私もその名前の語感から、実際の花をとのギャップがあって、いつまでも名前と花の「獰猛」さがつながらなかった。童謡の「アマリリス」を知っているから、まさかこれがアマリリスとは思えなかったのである。
 さすがに今年はこの花を咲かせて二年目なので、それなり管理している関係か、最初の頃よりは「毒々しい」とは感じなくなっている。


 夫婦というものは、案外に、遠慮のかたまり、気兼ねのかたまりでもって暮らしているのだと思う。だから、おたがい、疲れてしまう。(家の経済)


 夫婦というのは、これ以上ないと思われる固い結びつきであるのに、現実は気兼ねの連続でもって暮らしているのである。暴君でもいけない。優しくてもいけない。大根おろしのおかわりも頼めないでいるのである。そとに出れば、よろこんで大根おろしのおかわりを持ってきてくれる場所があるのだから始末がわるい。諸君、この人生大変なんだ(あ、また言っちゃった)。人生下し金というのはどうだろうか。おたがい、下し金でもって神経をすりへらしているような気がしてならない。
 女房に文句を言われているとき、そんなことを言って、俺が死んだら後悔するぞと思うことがある。ところが、テキはそれは充分に承知しているはずだと思うときもある。豊橋を過ぎるとホッとするのであるが、三日も家をあけると、すぐ帰りたくなってしまうから妙だ。(家の経済)


 これにはまったくもってその通りと言わざるを得ない。
 私たち夫婦はともすれば一日中顔を付きあわせかねない状況なので、一階、二階と食事以外は分かれている。このお陰で気疲れから免れているといっていい。ただ必要な時は二人して出かけるし、買い物に一緒に行く。

 書名の「木槿の花」をエッセイの題名として、向田邦子さんの追悼文を8回に渡って書いている。そしてその前に「戦友」という題でも書かれている。そう、山口さんは向田邦子さんが航空機事故で亡くなった知らせを聞いて、向田さんのありし日を偲んでいる。
 向田さんが直木賞を取ったのは銓衡委員をしていた山口さんの強い薦めで受賞したことが書かれている。そこには“小悪魔的”な魅力満点の向田さんがあった。そして「小説も随筆も私よりウマイ」と山口さんは向田さんを認めていた。だから、


 向田邦子という存在は、私にとって少し鬱陶しいものになってきた。
 私は『週刊新潮』に十八年にわたって、見開きの随筆を連載している。向田邦子もライヴァル誌である『週刊文春』に、同じものを連載していた。『無名仮名人名簿』、『霊長類ヒト科動物図鑑』がそれである。
 正直に書こう。
 私自身の原稿の出来のわるい週は、まことに憂鬱だった。これは向田邦子出現以後のことである。それまでは、そんなことはなかった。そうして、子供みたいに、向田邦子より面白いものを書かなくては駄目だと決意したり悩んだりしたものである。むろん、それは私の励みにもなった。まことに有難い存在だった。彼女を戦友だと言うのは、このためでもある。(戦友)


 その向田さんの死をニュース速報で知った。


 それからのことは、なんだかウヤムヤみたいになっている。私は罐ビールを飲みだしてそれがすぐウイスキイに変わった。テレビにむかって、しきりにバカヤローと叫んでいる。


 山口さんのこの追悼文を読んでいると、向田さんの生き急ぎが感じられる。その生き様がどうしてそうなるのか、山口さんは推測している。読んでいてそうだったのか、と知る。


 向田邦子は六年前に乳ガンの手術をした。そのへんで開き直った、性根がすわったと見る人が多い。
 (略)
 私は、漠然と、彼女は自分の死を知っていたのではないかという気がしているのである。いまになって思えば、ということであるが。
 すくなくとも、彼女は、こんな健康状態でいられるのは、あと一年ぐらいだと思い定めていたのではあるまいか。傍から見て失意の時代と思われるときが実は作家として幸福の時代であったということがある。この二年間、いや大手術を以後の六年間の彼女の仕事ぶりはメザマシイの一語に尽きる。六十ワットの電球が、いきなり百ワットに変わったように輝きだした。


 もし山口さんが向田さんを直木賞に薦めなければ、向田さんは生き急ぎしなかったかもしれない、台湾など行かなかったかもしれない。一躍時の人になってしまったことで、向田さんは生き急ぎ出した。だから山口さんは向田さんを薦めたことを後悔するのである。

山口 瞳 著 『木槿の花』 男性自身シリーズ 17 新潮社(1982/04発売)
by office_kmoto | 2016-08-05 05:01 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

山口 瞳 著 『禁酒時代』

d0331556_5102461.jpg 今回のシリーズはそれほど書くべきものはなかった。書名にあるように、山口さんが禁酒している。
 ただ以前も禁酒と言っていても、飲んでいるのが不思議であったことを書いた。山口さんにおける禁酒とはまったく酒を飲まないという訳ではないらしい。いくらかは飲む。少なめの限度を設ける。それを禁酒と言っているようだ。今回も同じように飲む限度を決めた。ただ以前よりかなり少ない。


 酒を飲まなくなってから半年になる。九月五日で、キッカリ半カ月になる。
 ぜんぜん飲まないというのではない。盃に二杯は飲む。三杯飲んだら大酒である。それ以上は飲まない。飲みたくない。時に缶ビールを飲む。いちばん小さな缶ビールの半分ぐらいを飲む。ぜんぶ飲んでしまうのが大酒である。あとは飲みたいと思わない。それでもホロッと酔った感じになる。いままで、ずいぶん無駄をしてきたなあと思う。


 この無駄をしてきた、というのが面白い。これまで浴びるほど飲んできて、やっと酔った気分になったのに、今は少ない酒の量で酔える。だから時間と金の無駄を感じるのは山口さんらしい。
 ところで山口さんの自宅が集中豪雨で地下室が浸水したことが書かれていたのは前回である。その時自宅の水害見舞がいくつか届くがサントリー社長の佐治啓治さんの見舞の話は笑った。


 サントリー社長の佐治敬三さんからは、グラス類をいただいたが、その箱には水害見舞ではなく洪水見舞と書いてあった。さすがにスケールが大きいなあと思った。(長崎その後)


 きっと佐治さんのジョークなのだろう。元社員を茶化してやれという遊び心を感じる。


山口 瞳 著 『禁酒時代』 男性自身シリーズ 18 新潮社(1983/04発売)
by office_kmoto | 2016-08-02 05:11 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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