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村上 春樹 著 『騎士団長殺し 〈第2部 遷ろうメタファー編〉』

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 私は小難しい“村上春樹論”をぶちたいわけではない。単純に村上さんの書く物語そのもの楽しみたいのである。だから今回も物語を追って行こうと思う。ただし少しまとめて、短めに書きたい。

 「白いスバルのフォレスターの男」の絵は途中で止まってしまう。これ以上描けなくなってしまった。


 彼はそれ以上の肉づけを拒否し、色づけを拒否していた。


 絵はこのままにしておけ。これ以上この絵に手を触れるんじゃない。



 私はまりえと叔母を食事に誘う。そして免色が訪ねてくる。まりえは私が描いた免色の肖像画を見てみたいと言い、免色はまりえと叔母を自宅に招くこととなった。

 まりえの肖像画は緩やかに、しかし滞りなく進んでいった。

 私は『騎士団長殺し』をぼんやりと考えながら家の周辺を散歩した。家に戻る途中祠の裏にまわりあの穴の様子を確かめた。


 じっと見ていると、今にもその蓋が持ち上げられ、中から「顔なが」がその細長い茄子のような顔をひょいとのぞかせそうな気配があった。しかしもちろん蓋は持ち上げられなかった。それに「顔なが」潜んでいたのは、四角い形をした穴だ。もっと小さな、もっと個人的な穴だ。そしてこの穴に潜んでいたのは「顔なが」ではなく、騎士団長だった。というか、騎士団長の姿を借用したイデアだった。彼が夜中に鈴を鳴らして私をここに呼び、この穴を開けさせたのだ。
 いずれにせよ、この穴がすべての始まりだった。私と免色が重機を使って穴をこじ開けて以来、私のまわりでわけのわからないことが次々に起こり始めた。それともすべては私が『騎士団長殺し』を屋根裏部屋で見つけ、その包装を解いたことから始まったのかもしれない。ものごとの順番からいえばそうなる。あるいはその二つの出来事は最初から密接に呼応し合っていたのかもしれない。『騎士団長殺し』という一枚の絵が、イデアをこの家に導き入れたのかもしれない。私が『騎士団長殺し』という絵画を解き放ったことへのいわば補償作用として、騎士団長が私の前に現れ出てきたのかもしれない。しかし考えれば考えるほど、何が原因であり何が結果であるのか、判断することができなくなった。


 「ひとつ君に頼みたいことがあるんだ」



 と私は雨田政彦に言う。


 「よかったら、君のお父さんに会ってみたいんだ。その伊豆の施設に行くときに、ぼくを一緒に連れていってもらえないかな?」


 まりえは肖像画のモデルをしたあと、また私のところに来た。まりえは免色の家に招待されたとき、テラスにあった双眼鏡を見つけていた。


 彼女は言った。「わたしはいつも自分が見られているというカンショクがあった。しばらく前から。でもどこから誰が見ているのか、そこまでわからなかった。でも今ではわかる。見ているのはきっとあの人だった」


 まりえは叔母が免色と付きあっていることを相談してきた。

 そのまりえがいなくなった。免色も当然まりえの失踪を心配する。そして私は騎士団長にまりえがどこにいるのか教えて欲しいと頼む。騎士団長は一つのヒントを与える。


 「土曜日の午前中に、つまり今日の昼前に、諸君に電話がひとつかかってくる」

 「そして誰かが諸君を何かに誘うだろう。そしてたとえどのような事情があろうと、諸君はそれを断ってはならん。わかったかね?」



 電話は雨田政彦からだった。これから父親のところへ行くから、一緒にいいかないかと言う。もちろんまりえを探すためにはそれを断ってはならない。騎士団長がそう言っていたからだ。
 眠っているような雨田具彦に屋根裏部屋に上がったことを言うと、彼の目が微かに煌めいたように見えた。
 そのとき政彦に商用電話が掛かってきて、話が長くなるので、別の場所に移っていった。この部屋には私と騎士団長だけだった。
 騎士団長はまりえに会ってきたと言う。私はまりえを取り戻すにはどうすればいいのか、騎士団長に尋ねると、騎士団長は、


 「簡単なことだ。あたしを殺せばよろしい」


 「いや、正確に述べるなら、そうではあらない。諸君がここであたしを殺す。あたしを抹殺する。そのことによって引き起こされる一連のリアクションが、諸君を結果的にその少女の居場所に導くであろうということだ」


 「諸君はあたしをあの穴から出した。そして今、諸君はあたしを殺さなければならない。そうしなければ環は閉じない。開かれた環はどこかで閉じられなければならない。ほかに選択肢はあらないのだ」



 雨田具彦は騎士団長を見ているようであった。騎士団長は雨田具彦に詳しいことを聞いてみろと言う。ただし雨田具彦はそれほど体力はないから急げと言う。私は『騎士団長殺し』という絵で何を描きかっったのか、を聞く。代わりに騎士団長が答える。


 「そうだ。そのようにして雨田具彦は歴史の激しい渦の中で、かけがえのない人々を続けざまに失ってしまった。また自らも心の傷を負った。そこで彼が抱え込んだ怒りや悲しみは、ずいぶん根深いものであっただろう。何をしたところで、世界の大きな流れに逆らうことができないという無力感・絶望感。そしてまたそこには、自分だけが生き残ったという精神的な負い目もあった。だからこそ彼は、もう口を塞ぐものがなくなったにもかかわらず、ウィーンでの出来事についてはひとことも語ろうとはしなかったのだ。いや、語ることができなかったのだ」


 雨田具彦は自分が成し遂げられなかったこと、起こるべき出来事を『騎士団長殺し』という絵の中に寓話として描いた。その絵は彼の生きた魂から純粋に抽出されていた。あまりにも生々しいから彼はその絵を包装して屋根裏に隠した。それが彼のイデアであった。騎士団長は雨田具彦のイデアであった。私はそれを白日の下に晒してしまった。環を開いてしまった。雨田具彦は見てはならないものを見てしまったいるのだ。環を閉じなければならない。そのためには騎士団長を殺さなければならない。騎士団長を殺した後引き起こされるであろうリアクションによってまりえの居場所がわかるなら余計だ。私は騎士団長を刺し殺した。それは『騎士団長殺し』の絵と同じ光景だった。
 そしてそのリアクションは起こった。


 何かがこの部屋の中にいる。何かがそこで動いている。私は血に濡れた鋭い刃物を手にしたまま姿勢を変えることなく、目だけをそっと動かして、その音のする方を見た。そして部屋の奥の隅にいるものの姿を目の端に認めた。
 顔なががそこにいた。
 私は騎士団長を刺殺することによって、顔ながをこの世界に引きずり出したのだ。



 私は顔ながを引きずり出し、後ろ手に縛った。


 「おまえはいったい何ものなのだ?やはりイデアの一種なのか?」
 「いいえ、わたくしどもはイデアなぞではありません。ただのメタファーであります」



 顔ながは言う。私一人で顔なが出てきた穴に入らなければならない、と。かなり暗いところの先に川があり、渡し場から川を渡るしかないと言う。
 顔のない男(まったくこの人の話は“顔なが”“顔なし”とかややっこしい)に舟を出してもらい向こう岸に渡った。森を抜け、洞窟の入口があり、その中を進むとカンテラの光が見える。身長六十センチくらいの小柄な女だ。『騎士団長殺し』の絵にあった、手を口元にやりながら、怯えた目で騎士団長が殺される場面を見ていた女であった。


 モーツァルトの歌劇『ドン・ジョバンニ』の役に即して言えば、ドンナ・アンナ。ドン・ジョバンニに殺された騎士団長の娘だ。

 「お待ちしておりました」

 「ここからあなたをご案内します」



 とドンナ・アンナは言った。ドンナ・アンナは私を案内したが、途中でここから先は私一人で行かなければならないと言う。横穴を自分を信じて進むが、身体が動かなくなってしまう。ドンナ・アンナの声が聞こえてくる。


 「心を勝手に動かしてはだめ。心をふらふらさせたら、二重メタファーの餌食になってしまう」

 「二重メタファーとは何だ?」

 「それはあなたの中にありながら、あなたにとっての正しい思いをつかまえて、次々に貪り食べてしまうもの、そのようにして肥えて太っていくもの。それが二重メタファー。それはあなたの内側にある深い暗闇に、昔からずっと住まっているものなの」
 白いスバルのフォレスターの男だ、と私は直感的に悟った。そうであってほしくなかった。しかしそう思わないわけにはいかなかった。おそらくあの男が私を導いて、女の首を絞めさせたのだ。そうやって私に、私自身の心の暗い深淵を覗き見させたのだ。そして私の行く先々に姿を見せ、私にその暗喩の存在を思い起こさせた。おそらくそれが真実なのだ。
 おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ、彼は私にそう告げていた。もちろん彼には何でもわかっている。なぜなら彼は私自身の中に存在しているのだから。



 私は何も考えず無理矢理身体を前に進めると、狭い横穴を抜け出すことができた。そして雑木林の祠の裏にある穴に出た。私はメタファーの世界から現実の世界に戻ってきたのだ。地面にはあの鈴があった。私はその鈴を鳴らし助けを求めた。免色が私をこの穴から引き上げてくれる。秋川まりえは家に戻ってきていた。
 まりえは免色の家に忍び込み、そこに免色がいることで、家から出られなくなっていたのだ。そして騎士団長の力を借りて家から出て来たのだった。
 私とまりえは『騎士団長殺し』と『白いスバル・フォレスターの男』を梱包し屋根裏部屋に隠した。結局私は秋川まりえの肖像画を完成させなかった。絵は免色に進呈した。雨田具彦は死んだ。私は妻の元に戻り、また肖像画を描く仕事に戻った。
 雨田具彦の家が焼けて、『騎士団長殺し』と『白いスバル・フォレスターの男』も焼けてなくなった。


 しかしそれと同時に私は、それはおそらく失われなくてはならなかった作品だったのかもしれないとも思った。私の見るところ、その絵にはあまりにも強く、あまりにも深く雨田具彦の魂が注ぎ込まれていた。それはもちろん優れた絵ではあったけれど、同時に何かを招き寄せる力を有した絵だった。「危うい力」と言っていいかもしれない。事実、私はその絵を発見することによってひとつの環を開いてしまったのだ。そんなものを明るいところに出して公衆の目に晒すのは、あるいは適切なことではなかったのかもしれない。少なくとも作者である雨田具彦自身はそう感じていたのではあるまいか?だからこそ彼はその絵をあえて公表することなく、屋根裏にしまい込んでいたのではないだろうか?もしそうだとしたら、私は雨田具彦の意思を尊重したことになる。いずれにせよ、それはもう炎の中に失われてしまったのだし、誰にも時間を巻き戻すことはできない。


 この話は結局自分を見失った私の自分探しなのだろう。『騎士団長殺し』と『白いスバル・フォレスターの男』の絵から井戸のような穴の存在。メタファーに惑わされず、私のあるべきイデアを探しもとめる。
 朝日新聞の書評で斉藤美奈子さんが書いていたが、この本はまさしく村上春樹の入門書としてうってつけの本かもしれない。
 言ってしまえば、自分捜しの旅に、村上春樹の得意とする大袈裟な舞台設定をし、さまざまなメタファーを駆使し、思うままに物語を展開していく。既存の舞台設定から自由に自分の得意とする世界を作り上げ、物語を展開していく。それが村上春樹の魅力なのだが、またそれが面白く、読む側も物語に惹きつけられていく。うまいものだ。これだから村上さんの物語は中毒性を持つ。


村上 春樹 著 『騎士団長殺し 〈第2部(遷ろうメタファー編)〉 遷ろうメタファー編』新潮社(2017/02発売)

by office_kmoto | 2017-03-28 05:05 | 本を思う | Comments(0)

村上 春樹 著 『騎士団長殺し 〈第1部(顕れるイデア編)〉 』

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 「とても悪いと思うけど、あなたと一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」と妻は静かな声で切り出した。


 妻がマンションを出ていくというのを押し止めて、私自ら出ていくことにした。赤いプジョー205に荷物を詰め込み、北へ向かった。北海道へ出て、東北に戻って来る間に、また絵を描きたくなった。私は妻と暮らしている間、自らの作風である抽象画をおいておき、生活のため肖像画を描いていた。

 友人の雨田政彦に電話をし、自分の結婚生活が破綻し、今どこにも戻る場所がないのでどこか泊めてもらえるところを求めた。政彦は自分の父親雨田具彦が養護施設に入っているので、アトリエを兼ねた家で暮らせばいいと言う。
 そして雨田具彦のアトリエを兼ねた家に暮らすことになり、肖像画の担当エージェントに電話をし、もうしばらく肖像画を描かないことを伝えた。

 『騎士団長殺し』という絵を見つけたのは、屋根裏で小さなもの音がするの聞いたからだ。屋根裏に登ってみると、そこにはみみずくが住んでいた。そして入口に大きな包みを見つけた。
 それは包装用紙にくるまれ、厳重に紐をかけらていた。一枚の名札が針金でとめられていて、絵のタイトルとして『騎士団長殺し』と記されていた。
 包装紙を開いて見ると、一幅の日本画で、その絵は疑いの余地なく雨田具彦の手になる作品であった。
 『騎士団長殺し』に描かれているのは、飛鳥時代の格好した男女だった。二人の男が重そうな古代の剣を手にして争っている。一人は若い男で、もう一人は年老いた男だ。若い男が、剣を年上の男の胸に深く突き立てて、彼の胸から血が勢いよく噴き出していた。口は苦痛のために歪み、目はかっと見開かれ、無念そうに虚空を睨んでいた。彼は自分が敗れたことを悟っている。
 一方若い男の目は後悔の念もなく、戸惑いや怯えの影もなく、昂奮もない。その目は相手の男をまっすぐ見据えていた。
 その果たし合いを近くで見守っている人々が何人かいる。一人は若い女性で、上品で真っ白な着物を着ていた。彼女は片手を口の前にやって、口を軽く開けている。悲鳴をあげようとしていて、美しい目は見開かれている。さらにもう一人若い男がいた。彼は召使いのように見える。


 私の知る限り、雨田具彦が荒々しい種類の絵画を描いたことがない。一度もない、と言っていいかもしれない。彼の描く絵は、ノスタルジアをかきたてるような、穏やかで平和なものであることが多い。


 そしてもう一人奇妙な目撃者が画面に左下にいた。その男は地面についた蓋を半ば開けて、そこから首をのぞかせていた。それはこの絵にとって、とても奇妙なものであった。まるで四角いマンホールのようにも見え、飛鳥時代にそんなものがあるわけがなかった。
 そこから首を突き出している男は奇怪で曲がった茄子のような、異様に細長い顔をしていた。浮浪者や世捨て人の隠者にも見える。
 この男を「顔なが」と名づけた。


 この人物いったい何ものなのか?何のために彼はこうして古代の地中に潜んでいるのだろう?雨田具彦はどのような目的をもって、この得体の知れない奇怪な男の姿を、釣り合いの取れた構図に無理に崩すようなかたちで、わざわざ画面に描き込んだりしたのだろう?
 それにだいたい、この作品になぜ『騎士団長殺し』というタイトルがつけられたのだろう?たしかにこの絵の中では、身分の高そうな人物が殺害されている。しかし古代の衣装をまとった老人の姿は、どのように見ても「騎士団長」という呼び名に相応しくない。「騎士団長」という肩書きは明らかにヨーロッパ中世あるいは近世のものだ。日本の歴史にはそんな役職は存在しない。それでも雨田具彦はあえて『騎士団長殺し』という、不思議な響きのタイトルをこの作品につけた。そこには何かの理由があるはずだ。



 肖像画の担当エージェントから電話が掛かってくる。私を指名して肖像画を描いて欲しいというのだ。そのクライアントはIT関係の起業家らしく、肖像画の報酬が法外に良かった。ただ一つだけ条件があって、対面して描いて欲しいと言う。クライアントは雨田具彦の家の近くに住んでいた。
 私が描く肖像画は本人を前にして描かない。一度本人と会って、その記憶で描く。


 私が必要とするのは目の前の本人よりは、その鮮やかな記憶だった。(本人の存在はむしろ画作の邪魔になることさえあった)。立体的なたたずまいとしての記憶だ。それを画面に移行していくだけでよかった。

 
 結局報酬がいいことで(今後の生活のために)クライアントと会う。
 やって来た男は免色渉と名のった。


 「でもぼくがここに住んでいることは、まだほとんど誰も知らないはずなんですが」
 免色は微笑んだ。「ほとんど誰も知らないというのは、逆説的に言えば、知っている人が少しはいるということです」


 「ぼくがあなたの家の近くに住んでいることは、今回の肖像画のご依頼と何か関係があるのでしょうか?」

 「私は、近所にどのような人が住んでおられるか、気になる人間です」と免色は続けた。「いや、気になるというよりは興味を持つ、というのが近いかもしれません。とくに谷間越しにちょくちょく顔を合わせるような場合には」


 私を知る人間はほとんどいないと言えば、免色は逆説的に言えば、知っている人間は少しはいると言う言い方をする。思わず「出たぞ」と思う。これが村上さんの物語で必要なファクターだと思う。誰も知らない。見えないはずだ、という考え方に対して、そうではなくて少しは知っている、見えている人間がいるはずだ、という考え方を推し進めて物語が展開する。そこに村上ワールドの意味あるように思える。特別だけれど特別ではない。奇妙だけれど、奇妙でない、という世界の展開だ。

 免色は私が描く肖像画には「本物のパーソナリティ」があるという。だから肖像画という制約を意識しないで、自由に自らの肖像画を描いて欲しい、という。私は免色の肖像画を描くことにする。


 静寂が私の目を覚ました。時としてそういうことが起こる。突然の物音がそれまで継続してきた静寂を断ち切って、人の目を覚ませることがあり、突然の静寂がそれまで継続してきた物音を断ち切って、人の目を覚ませることがある。


 時間を見れば午前1時45分。自然の音ではなく、何かの器具か道具を使って音が立てられていた。


 それはちりんちりんと鳴っているように聞こえた。鈴が、あるいは何かそれに似たものが鳴らされているような音だ。


 音をたどっていけば、雑木林の祠の裏に石を積みあげた塚があった。音はその石と石の間から聞こえてきた。


 私はそれを聴かないわけにはいかないのだ。なぜなら、それは私に向けて鳴らされている音だからだ。私にはそのことがわかっていた。その音は、私がそれについて何か手を打たない限り、おそらくいつまでも鳴り止まないだろう。そして毎晩私を息苦しくさせ、私から安らかな眠りを奪い続けることだろう。
 何かをしなくてはならないのだ。何らかの手を打って、私はその音を止めなくてはならない。そしてそのためにはまずその音の―つまり送られてくる信号の―意味と目的を理解しなくてはならない。



 免色の肖像画は進んだ。免色は絵のモデルは厳しい労働だ。なにか自分の中身を少しずつ削り取られている気がすると言う。


 「削り取られたのではなく、そのぶんが別の場所に移植されたのだと考えるのが、芸術の世界における公式的な見解です」と私は言った。
 「より永続的な場所に移植されたということですか?」

 「たとえばファン・ゴッホの絵の中に生き続ける、あの名のなき郵便配達人にように?」
 「そのとおりです」
 「彼はきっと思いもしなかったでしょうね。百数十年後に、世界中の数多くの人々が美術館までわざわざ足を運び、あるいは美術書を開いて、そこに描かれた自分の姿を真剣な眼差しで見つめることになるだろうなんて」
 「まず間違いなく、思いもしなかったでしょうね」
 「みすぼらしい田舎の台所の片隅で、どう見てもあまりまともとは思えない男の手によって描かれた、風変わりな絵に過ぎなかったのに」
 私は頷いた。
 「なんだか不思議な気がするな」と免色は言った。「それ自体では永続する資格を持たないものが、ある偶然の出会いによって、結果的にそのような資格を身につけていくということが」


 この考え方というか発想は面白い。たまたま描かれた姿が、その絵が価値を持ったことで、そこに描かれた人物は永遠の命を持ってしまう。思わずゴッホの画集を開いてみて、この郵便配達人もそうであった。彼はゴッホの絵がある限りそこに存在し続けることになってしまった。


 「ところで、免色さん、実はあなたに折り入ってご相談したいことがあるんです」


 私は免色に夜中に聞こえてくる不思議な音のことを話した。
 私と免色はその音の真相を確かめに行くことにする。

 その音がする時間までの間、今度は免色が自分のことを話し始める。
 昔付きあっていた女性が免色から離れ、他の男性と結婚し、子供が生まれた。その子供が自分の子供ではある可能性があるというのだ。

 そこまで話していたら、音が鳴る時間になったので、二人は祠の裏の石が積みあげられた塚に向かった。免色も鈴らしい音を確認し、その後重機を使って積みあげられた石を取り除いた。
 そこにあったのは地下に掘られた石室であった。


 そしてそのあとには円形の石室らしきものが見えた。その直径は二メートル足らず、深さは二メートル半ほどだ。

 ただ鈴のようなものがひとつ、底にぽつんと置かれている。

 これはただの始まりに過ぎないのではないか、という気がします。

 でももちろん免色の予感した―あるいは予言した―とおりだった。彼が言うように、その1日はただの始まりに過ぎなかったのだ。


 “地下室”。
 村上さんの物語によく出てくる地下室だ。

 私は免色の肖像画を描き続けた。しかし完成までにはまだ何かが足らない。


 私は天井の灯りをつけ、再びスツールに腰を下ろし、絵を正面からあらためて眺めた。その絵がまだ完成に至っていないことが私にはわかった。そこには荒々しいほとばしりのようなものがあり、そのある種の暴力性が何より私の心を刺激した。それは私が長いあいだ見失っていた荒々しさだった。しかしそれだけではまだ足りない。その荒々しいものの群れを統御し鎮め導く、何かしらの中心的要素がそこには必要とされていた。情念を統合するイデアのようなものが。しかしそれをみつけるためには、あとしばらく時間を置かなければならない。


 免色の肖像画から少し離れていると、さっきと絵の位置が違うことに気がつく。何者かが絵を動かしたのか。私はふと元の位置からと、動かされた位置から免色の肖像画を眺めた。どちらも共通して欠如しているものがあった。
 声が聞こえる。


 かんたんなことじゃないかね、と誰かが言った。

 わかりきったことじゃないかい、とまた誰かが言った。

 メンシキさんにあって、ここにないものをみつければいいんじゃないのかい、と誰かが言った。



 そして気づく。


 彼の白髪だ。降りたての雪のように純白の、あの見事な白髪だ。それを抜きにして免色を語ることはできない。どうしてそんな大事なことを私は見逃していたのだろう。
 私はスツールから起き上がり、絵の具の中から急いで白い絵の具をかき集め、適当な絵筆を手にとって、何も考えずに分厚く、勢いよく、大胆に自由にそれを画面に塗り込んでいった。ナイフも使い、指先も使った。十五分ばかりその作業を続け、それからキャンパスの前を離れ、スツールに腰掛け、出来上がった絵を点検した。



 免色は出来上がった自らの肖像画が気に入り、絵の具が完全に乾く前に持ち帰っていった。免色は絵の完成を祝して私を家に招待したいと言う。

 私は次に白いままのキャンパスの前で白いスバル・フォレスターの男を描き始める。


 このキャンパスの上に私が今から描こうとしているのは、白いスバル・フォレスターに乗っていた中年男の肖像だった。その男は私の中で、私に描かれることを今まで我慢強く待ち受けてきたのだ。そんな気がした。そして誰のためでもなく(依頼されたからでもなく、生活のためでもなく)、自分自身のために彼のポートレートを描かなくてはならない。免色のポートレートを描いたときと同じように、私はその男の存在の意味を―少なくとも私にとっての意味を―浮かび上がらせるために、彼の姿を私なりに描かなければならないのだ。なぜかはわからない。しかしそれが私に求められていることだった。


 その男とは、私が妻から離れ、赤いプジョー205で旅をしたとき、一度女性とセックスしたときの話だ。ファミリー・レストランで一人で食事をしていた時、彼女は向かいの席に断りもなく坐った。


 「知り合いのような顔をして」


 食事の途中、ゴルフメーカーのロゴが入った黒キャップを被った中年の男が席に着いた。男の髪は短く刈り込まれ、白髪が混じっていた。入ってきた。駐車場には新たに加わったスバル・フォレスターがあった。
 その後私はホテルに入り女とセックスをした。翌朝目が覚めると女はいなかった。私はホテルを出て、また昨日のファミリー・レストランに入った。駐車場で昨日のスバルのフォレスターを見かけた。
 私は店に入り、彼のそばを通りかかったとき、男は私の顔を見た。その目は昨夜見たときよりずっと鋭く、冷たかった。


 おまえがどこで何をしていたかおれにはちゃんとわかっているぞ、と彼は告げているようだった。


 鈴がこの家で鳴らされているのが聞こえる。音はスタジオから聞こえてくる。用心して部屋の中に入ると、居間のソファに上に騎士団長がいた。身長六十センチばかり。白い奇妙な服を着ている。足には黒い革のようで、先が尖っている靴を履いていた。腰には柄に飾りがついた長剣(実際には短刀に近い)を帯びていた。騎士団長はまさしく雨田具彦が描いた騎士団長であった。


 「で、諸君のさっきの質問にたち戻るわけだが、あたしは霊なのか?いやいや、ちがうね、諸君。あたしは霊であらない。あたしはただのイデアだ。霊というのは基本的に神通自在なものであるが、あたしはそうじゃない。いろいろな制限を受けて存在している」


 騎士団長は私と免色が開けてしまったあの穴から解き放たれたのだ。


 私と免色は二人で、あの奇妙な穴の底から騎士団長を―あるいは騎士団長の姿かたちをとったイデア―解き放ってしまったのだ。


 さあ、出てきたぞ。訳のわからない人物(生き物)がますます村上さんの世界が広げていく。
 私は招待されていた免色の家にいた。騎士団長と一緒に。食事の後免色はNATOが採用している軍用双眼鏡を見せる。それを覗けば私が住んでいる雨田具彦の家の中が見えた。
 免色はその双眼鏡を使って、自分の娘かもしれない少女の家を見ていた。


 「覚えておられますか?私のかつての恋人が他の男と結婚して産んだ娘が、あるいは私の血を分けた子供であるかもしれないという話を?」
「もちろん覚えています。その女性はスズメバチに刺されて亡くなってしまって、娘さんは十三歳になっている。そうですね?」

 「彼女は父親と一緒に、あの家に住んでいます。谷の向かい側に建ったあの家に」



 免色は自分の子供かもしれない娘を見るために、人が住むには大きすぎるこの屋敷を手に入れたのであった。
 免色は私にその娘の肖像画を描いてくれと依頼する。その娘の名前は秋川まりえといい、私が教えている絵画教室の生徒であった。そしてさらに免色は彼女をモデルとして肖像画を描いているときに、私の家を訪問させて欲しいというのであった。
 免色は彼の経済的影響力を使って、秋川まりえがモデルになるように仕向けていく。まりえは私の家に叔母の秋川笙子が運転するプリウスでやってきた。

 何故か知らないけれど、このプリウスというのがおかしかった。

 長くなったがここで第1部は終わる。


村上 春樹 著 『騎士団長殺し 〈第1部(顕れるイデア編)〉 顕れるイデア編』 新潮社(2017/02発売)

by office_kmoto | 2017-03-25 11:00 | 本を思う | Comments(0)

平松 洋子 著 『彼女の家出』

d0331556_06074304.jpg この本のあとがきに、タイトルである『彼女の家出』のことが書いてある。『彼女の家出』とは現実から遁走して雲隠れしたくなるような折り合いの付かない現実の辛さ、あるいは毎日の生活で溜まる澱、加齢よる身体の変化に逃げ出したくなる年齢である自分を見出し、それを何とかしないといけない、と思うことである。


 下着の捨てどきは、怠惰な日常の捨てどき。ずるずる惰性で暮らしていると、知らず知らず澱が溜まる。垢がつく。それをそのままにしていたら、なにかが澱んでしまう。下着というものは、どうやらこまめに洗濯して清潔にしていればそれでいいというものでもないようだ。タイミングがやってきたら、思いきりよくきっぱり捨てて整理する。なにしろ、下着は自分の肌にいちばん近い。そのぶん、気がつかないうちに自分のありようにも微妙な影響があるのはとうぜんだろう。ほんとうをいえば、いちばんこわいのはそこではないか。(五秒ルール)


 だから、


 下着の捨てどきは、女の試金石である。(下着の捨てどき)


 日々の生活を振り返って、これまで生きてきた生き方の変化もそれはそれで自分を守るものであり、受け止め方であることを教えてくれる。結局自分とどう向き合うかになってしまう。その時の折り合いのつけ方、あるいはうっちゃり方を日々の暮らしを著者は言っている。


 諦めが早くなったのか、約束を違えられても、あまり腹が立たないようになった。いつのまにか癖がついてしまったのか。いやいや、違う。ものわかりがいいふりを装っているだけなのだ。余計ないざこざは避けたいし、なにより自分が嫌な気持ちを味わわないように耳を覆っているだけ・・・・・玉ねぎの皮を剥くようにして自分を剥いていったら、だんだん情けなくなってきた。(おとなの約束)


 転ばぬ先の杖というけれど、年を重ねるにつれだんだん思うようになってきた。転ばないはずがないのです。そのつもりなんかなくとも、転んだりつまずいたりするのは至極とうぜんなのである。いちばんのモンダイは、転んだ自分を受け容れかたのようである。(お湯のない風呂)


 そんな自分の中にさまざまな変化の中で、それでもいかにして日々過ごしやすい自分を見出していくか。普段排除することでも、時にはほっこりするために必要なものあるし、女性らしくファッション、食べものなどに楽しみを見出している。

 ときおりの無駄は、人生の処方箋である。あからさまな無駄、こっそりとした無駄、積極的な無駄。それらは甘いあめ玉として自分に与えることで、凝りがとれてユルむ。(無駄の効用)


平松 洋子 著 『彼女の家出』 文化出版局(2016/07発売)

by office_kmoto | 2017-03-23 06:09 | 本を思う | Comments(0)

山口瞳さんの本4冊

d0331556_07413109.jpg 私の本棚に山口瞳さんの本がズラリと並んでいる。そのうち今回はまずは『酒呑みの自己弁護』を読む。
 この本の特徴はなんといってもその装丁であろう。本に付いているカバーの紙質が和紙っぽく、天と地が本よりそれぞれ5ミリほど大きくなっていて、折れ込んでいる。つまり本屋さんがカバーを付けるときかなり苦労することになる。まったくそのことが考えていない。
 以前、私が持っている本で変わった装丁の本で書いてみたいと思ったこともあるがその1冊である。


 むろん、小説を書くために睡眠薬を飲むなんてことは馬鹿らしいという考えの人が一方にいるのであって、それはそれで少しもかまわない。人間の尊厳はそんなところにあるのではないという考え方の人がいる。文学なんてそれほど大切なものではないし、人間が生きのびることのほうが、もっともっと、はるかに大事なのだという考えあってもいい。(作家の自殺)


 これは川端康成の自殺について、山口さんの意見を書いたものである。ここでは自説を強く主張していない。そういう考え方もあるという形で書かれているが、先に読んだ息子の正介さんが父親の文学に対する考え方を言っていたことを思い出す。間違いなく文学より人として生きることを最優先に考えたのが山口さんだった。


 ビールというのは不思議な酒である。どこがどう不思議であるかというと、酒の飲めない人が飲む。
 「まあ、ビールぐらいなら」
 といったようなことを言う。
 中年の女が三人ぐらい集まって、何かいいことがあったらしく、
 「ねえねえ、ビールでも飲みましょうか」
 なんてやっている光景にでくわすことがある。(ビールの不思議)



 これはまさしく言われるとおりで、「とりあえずビール」として始まるくらい、酒であっても入りやすい酒ということなのかもしれない。

 この本は山藤章二さんのイラストの方が面白い。そちらの方が笑わせてくれた。

d0331556_07425388.jpg 『迷惑旅行』は今回初めて読んだ。「男性自身」でもよく登場する関保寿さんとのスケッチ旅行である。私は山口さんの紀行文は初めて読んだのだが、この本以前にも二人でスケッチ旅行をされているらしいし、これ以後もあるようだ。
 一番最初に、この本のタイトルを決めなければ、というのでいくつか候補をあげているが、そのあげられたタイトルがこの本の内容の可笑しさをあらわしている。
 曰く、『老耄膝栗毛』『風景画入門』『ドスト氏とともに』『風流旅鞄』『新々放浪記』『日本全国乞食旅』『草枕いくたび』『偏軒旅日記』『二人旅絵師』『今日も旅鴉』『みずゑ紀行』『篠懸の道』『水彩画上達法』『夢は枯野を』『二人旅猿』『哀れ旅雀』『たびの空・うわの空』『道中双六色鉛筆』『与話情旅道連(よはなさけたびはみちづれ)』『旅立ちぬ、いざ』『旅寝人間』『変奇館・最後の旅』『禿頭珍道中』『旅は恥は描き捨て』『旅稼ぎスケッチブック』である。とにかく『迷惑旅行』という書名の通り、各地でいろいろな人にお世話になりながら、あるいは迷惑を掛けながら“珍道中”を繰り広げる。とにかく全編笑えて楽しい本であった

 この本では「男性自身」にも書かれていた関さんの自宅が火事で全焼してしまった経緯が詳しく書かれていて、その後、家をどのように建て直したかが詳しく書かれる。
 とにかくどこでもクスクス笑え、なんでこの本を37年も読んでこなかったか、と呆れてしまった。(この本は私が大学時代に新橋の本屋でアルバイトをしていた時に買った本で、当時の店の納品書が本に挟まっていた。その日付が昭和54年2月22日となっていた。)

 ところで山口さんがスケッチ旅行の待ち合わせ場所をいつも東京駅の喫茶店にしているのだが、八重洲口のホテルのロビーで待ち合わせしたこともある。多分このホテルはホテル国際観光のことだろう。

 懐かしい。

 私たち夫婦はこのホテルで結婚式・披露宴を行った。ここは本当に東京駅に直結していた。ホテルのロビーといってもそれほど広いものではなく、確かに待ち合わせ場所にはいいかもしれない。今はこのホテルはない。

d0331556_07475272.jpg そして次に先日手に入れた『金曜日の夜』を読む。これは関保寿が挿絵の小説なのだが、痴話話、あるいは酒場での噂話などといった形をとる。いずれも山口さんの身辺で繰り広げられているだろう話のようだ。
 あとがきで、


 私は、しかし、小説に近づけたいとは思ったけれど、小説にしてしまいたいとは思わなかった。それならそれで、別の書き方がある。自分の腕力を棚にあげて言うならば-実際、これは、自分でも何と名づけていいのかわからないようなものになってしまった。
 ここでは、私は、自分の住んでいる町のことを書いた。町の人々のことを書いた。アルガママの出来事も、かなりの分量において含まれている。だから、私は、これは一種の見聞録だというような気もしているのである。



 町の人が通称で書かれる。みんな噂好きなのだけれど、善人である。


 「いいひとっていうのはね、他人の思惑に気がつかないんだ。善意の人っていうのは、みんなそうなんだ。たしかに気持ちは真直なんだけど、他人の心の屈折に気がつかない」




d0331556_07460248.jpg この本を読んで、この本の先にあったという『月曜日の朝』が読みたくなり、文庫本の『月曜日の朝・金曜日の夜』を取りだし、『月曜日の朝』だけを読んだ。実はこちらの方が先で、前後して読むことになってしまった。
 あとがきで知ったのだが、この『月曜日の朝』、『金曜日の夜』は週刊朝日に連載されていたもので、このとき週刊新潮には「男性自身」の連載もしていた。だから連載を依頼されたときは断ったそうだが、編集長から、


 「あなたは、電車に乗って会社へ行くんでしょう」
 「そうです」
 「毎週何回ですか」
 「二回です。月曜日と金曜日ですが、月曜日は朝から行きます。会議がありますから」
 「それを書いたらいいじゃないですか」
 「・・・・・?」
 「中央線の国立駅から東京駅まで、電車に乗って通うんでしょう。その電車のなかの出来事を書いたらいいじゃないですか」



 ということで、この連載が『月曜日の朝』、『金曜日の夜』となったんだな、と知る。『月曜日の朝』で電車での風景が描かれるのもこのためだった。しかしそれがネタ切れとなったので、スタイルを変えて『金曜日の夜』になったみたいだ。でもこっちの方が『金曜日の夜』より読みやすかった。

 ここにも懐かしい言葉があった。


 いったい、順法闘争とは何だろう。私たちが会社でストライキを行えば実害が我が身にふりかかるのである。順法闘争は乗客に害を及ぼすだけである。国鉄の諸君は、乗客の厖大なる実害とイライラの総量をどうやって償うつもりなのだろうか。(枯れすすき)


 順法闘争なんて久しぶりに聞いた。私の高校時代、大学時代もそうだったと思うけれど、国鉄は順法闘争といってストライキをやっていた。高校時代は学校が休みになるかどうかは、いつストライキが解除されるか、通学可能かどうかで決まった。もちろん休みになることを望んでいるのだが、中途半端な時間にストライキが解除されると、変な時間に学校に行かなければならないのは億劫であった。あるいはストでも通学可能なら学校に来いということだったと思う。
 あれほど不真面目な高校生だったのだから、ストがあろうとなかろうと、いつ解除されようと関係なく休んじゃえばいいことなのだけれど、何故か真面目に高校だけは行っていた。
 そうそう、ストの時、友人の125CCの原チャリの後ろに乗せてもらい、葛西橋を渡った。
 大学一年頃、新橋の本屋でアルバイトしていた。やはり順法闘争があり翌日電車が止まるという時、先輩が店の配達用の自転車を借りてその日は帰った。翌朝それで店に来るというのだ。先輩がそう言うと私も何とかして店に行かなければならない。配達業務が滞るのもまずいから、仕方がないので当日は家の自転車で新橋の店まで行った。その頃一日中自転車で本を配達していたから、結構脚力はあったんだろう。難なく自宅から新橋まで自転車で行けちゃった。途中間違って高速入口に入りそうになってしまい、慌てて引き返したことを思い出す。
 ということで当時、順法闘争って、私にとって非日常で、案外楽しかった記憶がある。


(懐中時計の)値段を言うと、七千五百円である。この七千五百円という値段は、ちょうど買いごろといっていいような値段であり、人様に特に若い友人にさしあげるのに具合のいいような値段である。私は七千五百円だから安価であると言うつもりはひとつもない。そうではない。人様にさしあげるときに、あ、惜しいな、あ、痛いな、と感ずる値段であり、そうでなければ、さしあげる意味がない。そうかといって、七千五百円という値段は、これを失ったからといって、急に首を吊らなければならないという値段でもない。(時計の話)


 当時の七千五百円は今の金額に換算するとどれくらいなのかわからないが、今だったたらそれなりの金額になるのだろう。しかしここで感心するのは、「人様にさしあげるときに、あ、惜しいな、あ、痛いな、と感ずる値段であり、そうでなければ、さしあげる意味がない」ということである。なるほど、これだったらもらう方も有難味がある。そういうものを差し上げなさい、というのが山口流なのだろう。


山口 瞳 著 『酒呑みの自己弁護』 新潮社(1973/03発売)

山口 瞳 著 『迷惑旅行』 新潮社(1978/09発売)

山口 瞳 著 『金曜日の夜』 新潮社(1978/07発売)

山口 瞳 著 『月曜日の朝・金曜日の夜』 新潮社(1981/06発売)新潮文庫

by office_kmoto | 2017-03-21 08:13 | 本を思う | Comments(0)

平成29年3月日録(上旬)

3月1日 水曜日

 曇り時々晴。

 父と妻と私で昼飯を食べる。父親一人で食事も寂しかろうということだ。それと今月4日には彼女の遺骨は国に帰るので、その前に線香をあげたいと妻の希望もあって実家に寄った。
 遺骨と遺影は彼女の生まれ故郷に父が運ぶことになっている。そして実家には彼女の遺骨の一部が入ったペンダントが置かれる。このペンダントの管理は最終的には父ではなく娘が行うこととなる。


3月2日 木曜日

 雨。

 村上春樹さんの『騎士団長殺し』の第2部に夢中になっている。
 昼飯を食べに妻と近くの回転寿司へ行き、そのままダイエーで買い物をする。車を駐車場に止めたのだが、隣に「白いスバルのフォレスター」が止まっているのにびっくりする。我が家の車もスバルなので、ディーラーから送ってくるカタログでその車がスバルのフォレスターであることがわかったのだ。
 買い物から帰ってからすぐ本の続きを読む。そして読み終える。いやあ、とにかく面白かった。充分堪能した。しかしこの本のことを書くのはむずかしいなあ。


3月3日 金曜日

 晴れ。

 昨日、駅前の本屋が新たに開店したので行ってみた。一昨日、前の店が閉店し、翌日看板を掛け替えているのを見かけて、店は予想通り居抜きで使うんだな、と思った。そして昨日開店オープンとなった。ネットで調べてみるとオープン記念として先着300名に小松菜をプレゼントとあった。なんで小松菜なのかよくわからないが、まあ江戸川区の名産品なので、そういうことなのだろう。
d0331556_13114375.jpg さすがに今日はオープン2日目なので小松菜はくれなかったが、「小松菜力」という小冊子をくれた。ということは昨日は雨の中300人以上のお客が来たことになるわけで、それはそれで大したものだ。といってもこれ、江戸川区で小松菜を使った料理やスイーツを提供する店の紹介雑誌で、この店のオリジナルのもじゃない。江戸川内の図書館などどこでも置いてある。そんなものを使っているんだ、と思い、少々呆れる。
 昔、秋葉原の有隣堂がオープンしたとき有隣堂の名前が入った付箋をもらったことがある。そして私がいた会社が新大久保で書店をオープンしたときは、店の名前が入った事務用のボールペン1本だった。つまり書店のオープン記念品とはその程度が“相場”である。

 店員さんも入れ替わったようである。少なくとも店長らしき人は違った。本を1冊買ったとき「ありがとうございます。これからもよろしくお願いします」と言われる。まあ新しい店を任される者としては、期待と不安がそう言わせるのだろう。
 もしかしたら店長を任されたという「ちょっと偉くなった」みたいなものを感じているかもしれない。でもこれからは彼はきっと採算ベースと格闘しながら店の運営に苦労していくことになるのだろうなあと少々同情したりする。たぶん店長と言ってもチェーン店の一店長で、中間管理職だろうから、上からは売上や損益をやかましく言われ、下からは店員の動向に悩まされ、客との苦情処理にもかり出されることになるはずである。自分もそうであった。二度と店長なんてやりたくない、と思ったものだ。彼が『傷だらけの店長』にならなければいいけれど、と余計なことを思った。




d0331556_13154659.jpg 三上 延さんの『ビブリア古書堂の事件手帖〈7〉―栞子さんと果てない舞台』 (KADOKAWA2017/02発売 メディアワークス文庫)を読む。
 今回はシェークスピアのファースト・フォリオの話だ。ウィキペディアによれば、ファースト・フォリオ (First Folio) とは、シェイクスピアの戯曲をまとめて出版した最初の作品集のことを言う。
 栞子さんの祖父に当たる久我山尚大は性格の悪い古本屋であった。その久我山書房の跡継ぎとして、栞子さんの母親の篠川智恵子に継がせようと、尚大は三冊の本を示し、この中に価値あるものがあるとテストをしようとした。しかし智恵子そのテストを断り、跡継ぎも断る。怒った尚大はこの本を開けないように細工し、安価で海外に売ってしまう。価値あるものとはシェークスピアのファースト・フォリオである。智恵子はそれを探すためにビブリオ古書堂から、栞子たちをおいて失踪したのである。
 ところが久我山書房で番頭であった吉原喜市は自分が久我山書房を継げるものと思っていた。そのために尚大の横暴な態度に耐えていたが、跡取りとして智恵子を指名され、智恵子を恨んでいた。喜市は独立して、尚大が細工した三冊の本を手に入れ、それを市に出す。3冊の内一冊がシェークスピアのファースト・フォリオである可能性が高いが、それがどれかはわからない。その鑑定を兼ねて、栞子と智恵子で競り合わせる。それは尚大が智恵子にテストしようとしたことの再現であった。
 栞子は妹の文香の大学の学費の工面のため、ビブリオ古書堂を担保してその競りに参加する。
 栞子は大輔の援助を受けて3冊の内赤い本を手に入れる。そして糊で貼り付けられ、開かなくなった赤い本は、シェークスピアのファースト・フォリオの箱になっており、中にそれがあったのだ。

 このシリーズは結局最後まで付きあってしまった。私にはこのシリーズのように新刊が出ると買ってしまうものがいくつかあるが、それがやっと一つ終わった。


3月4日 土曜日

 晴れ。

 伊集院静さんの『さよならの力―大人の流儀〈7〉』を読む。

 近くの図書館が書籍整理のため、しばらく休んでいたが、今日から開館した。それでだいぶ以前に予約していた本の順番が回ってきたことと、ちょっと読みたいな、と思う本もあったのでついでに借りてくる。最初は二冊のつもりでいたが、その本の隣に興味深い本があったので、それも借りてくる。いずれも面白そうな本ばかりで、少々ワクワクしている。

 今日父が彼女の遺骨を抱えて、国へ戻った。娘(妹)から無事についたとメールをもらう。
 遺骨を異国に運ぶ手続きなどしたこともなかったし、その手続きの相手が外国人であったため、言葉が通じない分、大丈夫だろうか、という不安がつきまとっていた。メールからは向こうで苦労したようだ模様だが、遺骨は入国出来たようだ。一安心する。


3月5日 日曜日

 晴れ。

 前田豊さんの『玉の井という街があった』を読む。


3月6日 月曜日

 雨。

d0331556_13184244.jpg 稲垣えみ子さんの『アフロ記者が記者として書いてきたこと。退職したからこそ書けたこと。』 (朝日新聞出版2016/06発売)を読む。
 長い書名に惹かれたのだが、どうも歯切れが悪い感じが拭えなかった。
 たとえば事実羅列の無機質な記事より、人間味のある記事のあり方を模索し、自分ことを書くことに重点を置いたとしている割には、単に脱原発から電気の無駄遣いを考え、身の回りにある家電製品をひとつひとつなくしても生活できる。そんなことしか書いていない。そうなる前に、あるいはこの本の書名にあるような、朝日新聞を退職したからこそ書けた文章を期待していたのだが、そこにはなかった。
 それでも気になる文章はある。


 傷ついた人が、傷ついた人を支えるのだ。(分かり合えない傷の先に)


 コミュニケーションとはそもそも心がザワザワするところから始まるものだ。ザワザワするから気になる。知りたいと思う。そうした過程を経て初めて人は認め合うことができる。マスコミってそういう社会を作るためのものじゃないか。だって「マス・コミュニケーション」なんだから。(それでもマスコミで働きたいですか)


 必需か、必需じゃないか、それは自分が決めて良いのです。(閉じていく人生へのチャレンジ」


 必要か、そうではないかは企業が決める訳でもないし、私以外の大勢が言っていることでもない、ということだが、確かにそうだと思う。主体性はあくまでも自分にあることだ。
 ところでこの「閉じていく人生」という言葉はいい。
 人は生きている間に本当に多くのものを抱える。それは他人にとっては時にただのがらくたでしかないこともある。死んでしまったら、その物たちは他人が処分するしかない。
 死んだ後からも人に迷惑をかけるような物を多く残して行きたくはないと思うところがある。出来るならきれいさっぱりと、身軽に死んでいきたいと思うから、これからは余計な物は抱えないという感じで生きているし、抱えてしまった物の処分を考えるようになっている。だから「閉じていく人生」という言葉は、そのための時間のように思えた。

 去年買った梅が一輪咲いていた。この梅は私が人生で初めて買った木である。去年花が終わった時期に安くかった。翌年を楽しみに、植え替え、育てて来た。だから蕾を持ち、それが少しずつ大きくなっていくの楽しみにしていた。それがやっと咲いてくれたのである。
 思わず「梅一輪一輪ほどの暖かさ」という句を思い出す。蕾はまだまだたくさんある。これが一斉に咲いたら結構豪華になるんじゃないか、と思う。


3月8日 水曜日

 晴れ。

d0331556_13221354.jpg 永井義男さんの『図説 吉原事典』(朝日新聞出版2015/09発売 朝日文庫)を読み終える。
 この本は先に読んだ前田豊さんの『玉の井という街があった』を図書館で借りた時にその隣のにあった。歴史風俗関係でまとめられているのだろう。で、目をひいたので借りてきた。
 なかなか面白い本だった。図説とある通り、図版も多く、わかりやすい。吉原のしきたりやそこで使われる隠語みたいなものは、結構わかりにくいので、これをレファレンスブックとして置いておくにはいい本かもしれない。
 読んでいて結局吉原にいた女たちは性的な道具として扱われ、そのように暮らしてきたから、たとえば年季が明けて、自由の身になっても、何も出来なかったらしい。普段の日常の細かい身の回りのことは他にやってくれる人間がちゃんといるからだ。そして何も出来ないとなれば、またここに格の低い女郎として戻って来るしかなかったようだ。後は性病で身体がぼろぼろになって、死ねば、菰に包まれて投げ捨てられる。
 先に読んだ玉の井の話でも、空襲で玉の井が焼け、その後身内のところへ戻っていくけれど、結局食い扶持がないから、また戻ってくる。しかも手っ取り早い方法で、前と同じことをしていくと書いてあった。これと同じであろう。悲しいものだ。


3月9日 木曜日

 晴れ。

 南木佳士さんの『神かくし』を読み直す。なんだか読んでいてこたえてくる。


3月10日 金曜日

 晴れ。

d0331556_13313000.jpg 飯間浩明さんの『三省堂国語辞典のひみつ―辞書を編む現場から』 (新潮社2017/02発売 新潮文庫)を読む。
 著者は三省堂国語辞典の辞典編纂者である。三省堂国語辞典をよく知ってもらうためにこの本は書かれた。
 ここでは細かい用例がいろいろ書かれているが、どうやら一般的な辞書と少し違うところがあるようだ。読んでいると、たとえ使い方が正確に言うと間違っていても、それが一般的に広まって使われていれば、「まあいいんじゃないの」と用例として書かれる。もちろんそんな使い方があるんだ、という根拠を示して。


 ともかく、「現代日本語すべて」を記録すること。これが『三国』の用例採集のやり方です。


 『三国』は、今の日本語の全体像を描き出そうとしています。今、生きて使われていれば、古くからあることばも、新しいことばも、『三国』に載る資格は十分です。


 難解に思われることば、いったんいらないと判断したことばの中にも、現代語としてよく使われ、無視できないものがたくさんあります。



 もっとも何でもかんでも取り込めばいいというわけでもない。そこには一部で流行している俗語でもまだ日本語の住人になりきっていないものは除かれるようだ。


 『三国』の場合、その目指す方向をひとことで言えば、「『要するに何か』がわかる辞書」です。


 三省堂の辞書と言えば、赤瀬川原平さんの『新解さんの謎』で、『新明解国語辞典』の変わっているところを書いているが、その『新明解』との『三国』(三省堂国語辞典の略)を次のように書く。


 語釈によって読者を「にやり」とさせる『新明解』の持ち味は、『三国』にはないものです。その代わり、『三国』は、「すとん」と胸に落ちる簡単な語釈を目指したい。「にやり」と「すとん」の競争だ、と思ってもらえば幸いです。


 『三国』は、中学生から、人によっては小学5、6年生から使える辞書です。結婚できる年齢を「結婚年齢」と言うのにならって言えば、『三国』が使える「三国年齢」は、ほかの辞書の場合より若い。もちろん、社会に出て、年を重ねても引き続き使えることは他の辞書と同じです。


3月11日 土曜日

 晴れ。

 午後2時から東日本大震災の関連番組が各社で始まるのを見る。2時46分黙祷が始まる。こうべを一緒に垂れる。

 その後いつものように仏間の障子を開けて、そこの座椅子に坐り込み、手にした分厚い本を読み始める。この本を読むのはこれで3回目である。どうしても読みたくなる。やさしい日常と風景が淡々と描かれるだけなのだが、それがものすごく癒やされる。世の中そう劇的なことなど起こらないものだと知らされる。劇的なことはそれが非日常であり、衝撃的だからいつまでも心に残ってしまうから、人生にはいつもつきものだと勘違いしてしまう。
 話は仙台の遅い春が始まった頃、やっとテレビ塔の建設が始まるところから書かれる。だから、ちょっとページから目を離し、窓から見える隣の雑木林の模様や、庭に咲く梅を見てみたり、黄色い蕾を横にした水仙を見て、こんな感じかな、と思ったりする。
 我が家で唯一葉を落とす千重オオムラサキが青葉をちょこんと出しているのも見える。
 本に植物園の春の気配が書かれているのを読むと、そう言えば近くにある「抹香亭」のフキノトウは芽が出ているかな、と思う。そこにフキノトウが植えられているのを知ったのは2年前。去年もその様子を見た。今年も近いうちに様子を見に行こうと思う。
 新中川の土手にいつも出てくるつくしはほんの数本出ているだけだった。ここのところ天気はいいものの、肌寒い日が続くので、土手いっぱいにつくしが出てくるにはもう少し時間がかかりそうだ。そう言えば今年の桜は去年より遅いと天気予報で言っていた。何でも入学式のときが満開ではないか、という。それはいい感じだと思った。


3月12日 日曜日

 晴れ。

 孫の所に行く。本当は先週行く予定だったのだが、孫が風邪を引いて熱があるというので1週間延びた。遅い雛祭りだ。
 孫は元気であった。ままごとに付きあわされて閉口する。


3月13日 月曜日

 曇り。

 昨日今日と出掛けていたので、本がほとんど読めなかった。まあそれはそれでかまわない。夜になって読みかけの本を手にする。今度で3度目になる本なので、途中で中断していても、すぐ本の中に入れるのはいい。やっぱりそれは読み慣れた本だからだろう。
 読むのも気安い。慌てて付箋を貼る必要もない。(気になる文章があると付箋を貼ってあとで書き出す)そのまま本の話に溶け込める。
 本を改めて読み直す楽しみを知ったのは仕事を辞めてからだが、知った気安さというのはいいものだ。

 父が帰国した。遺骨も無事に届けたようで、これで私が関わったことはすべて終わった。後は父と娘の問題で、少し距離を置くことにする。


3月14日 火曜日

 曇り時々雨。

d0331556_13431640.jpg 去年咲いた水仙が今年も黄色い花を咲かせてくれている。
 もう一つ水仙がある。近所で植えられていたものだが、そこに家が建てられるので、球根が掘り出されいた。あまりにも無残だったので、2本もらってきて、家の水仙の隣に植えて置いた。芽が出て、葉が伸びてきたが、花芽は付いていない。今まで咲いていた場所から移されたので、戸惑っているのだろうか。そんな感じがしてしまう。今年はダメでも来年は咲いてくれるかもしれないので、気長に待ってみようと思っている。

 ブックオフオンラインに注文した本が届いた。一度このサイトで買って、かなり状態のいい本が手に入ったので、まだ欲しい本がサイトで見てあったので注文した。
 ブックオフの古本は状態が悪い本を売らないはずなので、ひどい本が来るわけがないとは思っていた。
 今回4冊購入したのだが、最初の金額と届いた本と一緒に入っていた明細書の金額が違っている。安くなっている。メールで届いたクーポン券を使ったのだが、それでが金額も安くなっている。
 詳しく明細書を見てみると、1冊が0円となっている。その本を手にしてみると、栞みたいなものが挟まっていて、そこには品質の不備が見つかったので無償で送らせてもらったと書いてある。確かにその本のカバーの上部に破れが見られた。しかしその破れは気になるものではなかった。むしろ古本にはよくあることだ。
 でもここまで本の状態にこだわってくれると、ここで本を買っても安心だ。有難いな、とも思う。ちょっとブックオフを見直している。また利用したいと思っている。


by office_kmoto | 2017-03-16 13:46 | 日々を思う | Comments(0)

山口 正介 著 『山口瞳の行きつけの店』

d0331556_06131288.jpg 山口瞳さんには『行きつけの店』という本がある。そしてこの本は生前山口さんがお世話になったそれらのお店やよく通っていたお店や旅館など、御礼を兼ねて奥様と正介さんが訪ねる。時には正介さん一人で山口さんが通っていたお店を訪ね、その後その店が正介さん自身が行きつけのお店となったりするのもある。
 山口瞳さんが行きつけの店を語るうちに期せずして、浮き沈みの激しい山口家の模様や、その歴史、人間関係に触れることになっている。
 たとえば、山口瞳さんの奥さんは「乗り物恐怖症」で一人では出かけられない。だから山口さんはいつも奥様を連れて歩いた。時にはこの症状を克服させるため、わざと遠くへ電車で出かけることを試みている。
 その奥さんがなぜ「乗り物恐怖症」になってしまったのか、それもここで書かれる。
 それは正介さんが生まれてからすぐ、奥様は次の子を身籠もったのだが、生活のため人工流産を三回していることに原因があると正介さんは書く。


 その後、人工流産の事実が母に重くのしかかり、その自責の念からか、不安神経症というか今でいうパニック症候群らしき持病を持つようになった。
 もともと神経が過敏な母である。それに一種の産後鬱病でもあったのかもしれない。


 それが、父の死後、母は少しずつではあるが、乗り物に乗れるようになったのだ。


 母はお世話になった『行きつけの店』に御礼参りをしたいという願望があった。


 奥様の話が出たついでに、面白かったのは、向田邦子さんの話だ。「男性自身」でも向田さんが飛行機事故で亡くなれたあと、その追悼文を何度にもわたって書いている。山口さんは向田邦子という作家を買っていた。

 (山口さんは)何をいっても当節即妙、間髪入れす洒落た言葉が戻ってくるような女性と話をすることを好んだ。


 だから向田邦子さんとも気が合う。その交友に奥様は嫉妬すら覚えたという。
 それ以外に山口家や山口瞳さん自身の逸話も書かれていて興味深い。
 山口家には魯山人の器がたくさんあったそうである。何でも正介さんの祖母、山口さんの母、静子さんが北大路魯山人と親交があり、戦後すぐ、魯山人の窯を二窯買ったそうである。


 僕の祖母、つまり父の母親である静子は、なんでも一流でなければ済まない性格だった。


 山口家は軍需成金であった。だから山口家には数多くの魯山人の器があった。しかしそれがよく割れたという。そこで正介さんは魯山人の器の特長を書いてあり、それを読むと魯山人の器は形や色の具合など重視するため、実用的でなかったことを知る。


 魯山人窯は、割れれば、いつでも同じものと取り替えますという商売だったという。
 ご存じの方も多いと思うが、魯山人の陶器は焼きが甘い。それで味よく仕上げてあるのだ。
 陶器を低温で焼くと何となく雰囲気のいいものができる。いや、できてしまうといっていい。それを僕は甘いといっている。味よく仕上がるということか。
 焼きが甘くすれば、ちょっと見た感じは確かに良くなる。だが、それは同時に割れやすいということでもあった。
 料亭で魯山人を使うと、お運びが料理を供そうとして、卓の上に置いただけで、ボコッと割れたという。
 これが当時は魯山人の評価を落とすものだった。魯山人はお座敷で器が割れたときの仲居さんに当惑を考えていない。
 お客の衣服が汚れるかもしれない、ということを考えていない。いちいち、そのたびに仕入れなければならない手間を考えていない。
 普通、陶芸作家や職人さんたちは、おいそれと割れないように、きちんと硬く焼いて、しかも味よく仕上げることに苦労している。
 簡単に割れていいならば、いくらでも味よくできる、それを割れないように焼いて、なおかつ味よく仕上げるのが腕じゃないか、というわけである。
 それを魯山人は、割れる割れないは問題じゃない、味(陶磁器のです)がよければそれでいいんだ、と言い放ってしまったために、業界では鼻摘みとなったのだ。


 あるいは山口さんは愛書家でなかったということも書かれている。書物に対して自著を含め愛着がなかったらしい。


 父の死後、蔵書を整理したのだが、自分が書いた本も書斎の本棚のあちこちに散在し、一部は保存すらされていなかった。
 書架にあるのは、そのほとんどが色々な方からいただいた献呈本であり、自著も出版社から送られてきたものが、とりあえず、空いているところに入れられて、そのままになっていた。

 (略)

 その程度の蔵書であった。


 父はすでに書く人であって読む人ではなかった。命をすり減らして文章を量産していた。


 この他にの山口瞳という作家の姿勢みたいなものを感じさせる文章がある。


 父にも僕にも、感じ方や考え方に共通点があり、つまり、これが山口流というものであろう。
 山口流というのは、他人と違う見方をするということでもある。あえて少数意見に与するようなところがある。
 赤信号、皆で渡れば怖くない、ではなく、皆が渡るようならば、渡らない、と疑ってかかる、逆を突く、というのが山口流である。
 これは、しかし、大衆の中の少数意見というものを汲み取る作業でもある。
 大衆というのは多数派であるにもかかわらず、一人一人は、自分は独自の意見を持っていると思っているものだ。
 それをとらえれば、大衆の琴線に触れたということにもなる。
 山口瞳の文章にファンが多いということは、この「大衆のなかにある少数意見」を的確に指摘していたからではないかと思う。


 父のファンには凝り性の方が多いように思う。


 父は、文学は偉大だが、妻子を飢えさせてまでやるほどのものではない、と考えていた。それが文章家としての、ゆずれない基準だった。


 さすが息子さんだ!親のことをよく知っている。まったく正介さんの言う通りだと思う。確かに山口さんは「大衆のなかにある少数意見」を的確に指摘する。それが心地良いから、ファンになる。


山口 正介 著 『山口瞳の行きつけの店』 ランダムハウス講談社(2007/04発売)

by office_kmoto | 2017-03-13 06:17 | 本を思う | Comments(0)

伊集院 静 著 『さよならの力―大人の流儀〈7〉』

d0331556_05495344.jpg ―もしかして世の中は哀しみをかかえている人の方が多いのではないか。(最後に二人で)


 なぜ、そう思うか。それは苦しみ、哀しみを体験した人たちには、懸命に生きねばならぬ理由があるからだ。
 それは何か?
 別離した人々が、いつまでも身体の中に生きていて、その人の生の力になっているからだ。さよならの力はきっとあるのだ。(最後に二人で)


 明日、6年目の3月11日が来る。この本で知ったのだが、毎月11日には東北各所で大震災の行方不明者の捜索が行われるらしい。まだ二千五百人以上の行方不明者がいる。


 人間の記憶はおそろしく頑強である。(祈り)


 親は、その生涯で、子供にさまざまなものを与える。
 それを親の教育、躾と呼ぶ人もいる。
 そうだとしたら、親が子供に、最後に教えるものがあるとしたら、それは彼、彼女が死を以って子供に与えるものではないだろうか。(そういう男だった)


 親は死を以って、子供に最後の教育をするのだ。(そういう男だった)


 これを読むと、井上靖さんの短編『風』を思い出す。そこにあったのは、亡くなった父と無言の会話をする息子の姿であった。


 -今になってはもう遅いですが、こういう会話を生前のお父さんと一度ぐらい交わしておくべきでしたね。
 -そりゃ、無理だよ。こういう会話を交わせないで別れていくのが親子というものなんだろう。
 -でも、もう亡くなってしまったんだから、今は言えるでしょう。何か言って下さい。私に言い遺しておくことはありませんか。
 -ないね。あるとすれば、ひとつだけだね。お前は若い若いと思っているだろうが、わしが居なくなると、次はお前の番だな。今まで衝立になって、死が見えないようにお前をかばっていたが、もうわしが居なくなったからね。まだ父親が生きているんだからというような考え方はもうできない。
 -気付いていますよ。見晴らしが利いて、死の海面までいやに風通しがよくなっています。
 -まだお母さんが半分、お前をかばっている。親というものは、そういう役割しかできないものだね。死んだ今になってみると、そういうことがよくわかる。そのほかでは、わしはお前のために何もしなかった。そういうことはお前の場合だって同じだ。お前が子供にしてやれることは、ある期間衝立になって死の海面を見せないように子供をかばってやることだけのことだ。(井上 靖 著 『桃李記』に収録)


 またあの短篇集を読みたくなった。


 文章を書き続けるということは、生きる姿勢を作り続けることでもある。姿勢を作るとは、それまでの自分をこわし、あらたに作りはじめたり、それまでのものを否定し、まったく別の自分を見つめることでもある。(去り行く人へ)


 私はここに拙いながらも文章を書いている。「私の引き出し」として、自分の中にある引き出しから、読んだ本などに触発されてあれこれ書いている。そのときを思い出しながら、あれは正しかったのだろうか、いや違うかもしれない、などと書いたり、消したりしている。南木佳士さん流にいえば、いろいろ“上書きされた過去”なのだからそういうことになるのだろう。けれどそうすることで「引き出し」から引っ張り出された私の過去を再現し、見つめ直しているつもりでいる。


――この人はいったい何人の人と別離をして来たのだろう……。(別離をくり返して)


 これは伊集院さんの母のことを言っている。年齢を重ねれば重ねるだけ、別れを数多く経験する。それは仕方のないことだが、“時間がクスリ”となってなんとかここに立ち止まっていられる。けれどふとしたときにその姿、顔つきからその悲しみを滲ませる。それがこの言葉である。
 歳をとることはそういう一面も抱えてしまう。


伊集院 静 著 『さよならの力―大人の流儀〈7〉』 講談社(2017/02発売)

by office_kmoto | 2017-03-10 05:52 | 本を思う | Comments(0)

池波 正太郎 著 『男の作法』

d0331556_13170989.jpg この本は以前に読んでいる。池波さんの生き様からすっきりした男のあり方が語られる。ここに示された池波さんの作法、振るまい、考え方などは、「はじめに」に書かれるように


 この本の中で私が語っていることは、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちには恐らく実行不可能でありましょう。時代と社会がそれほど変わってしまっているということです。


 確かに池波さんが言う作法は今やしちめんどうくさい。ある意味鬱陶しく、動きにくい。もっと素直に行動すればいいじゃん、というのが今の人の考えであろう。それはその通りで、堅苦しい作法がなくても、受け入れてくれる時代になった。けれどそうとはいえ、気配りのある行動は美しいし、受けた側も気持ちがいいものだ。
 そしてたとえ古臭い作法であっても、ここで語られるのは通ぶった、知ったかぶりで生半可な知識の披露がいかにみっともないかを教えてくれる。古い中にももっと素直に言い表せば、それがいかに美しく、切れのある作法であるかを教えてくれ、いくら時代が変わってもその点は見習うべきものだと思う。
 古いもの中にも見習うべきものがたくさんあり、そうした振るまいは生きていく上で肩肘張らない、それこそ自然な姿であることを教えてくれる。それは受ける側にも気持ちを穏やかにしてくれるし、自分ことを思ってくれているという感謝の気持ちさえ持たせてくれる。こうなったとき人間関係はうまく行くはずだ。
 たとえば約束の時間を守らない人のこと書くとき、次のように言う。


 この「時間」の問題というのは、もう一つ大事なことがある。それは、自分の人生が一つであると同時に、他人の人生も一つであるといくことだ。自分と他人のつきあいでもって世の中は成り立っているんだからね。だから時間がいかに貴重なものかということを知っていれば、他人の時間の上において迷惑をかけることは非情に恥ずべきことなんだ。(約束)


 自分にとって貴重な時間は他人とっても貴重な時間であるはずだ。その約束の時間を守らず、相手に迷惑をかけることは、相手の貴重な時間を無駄にしていることになる。そう考えれば相手も思いやる気持ちが出て来る。もっともだと思う。
 さてここに万年筆のことが書かれている。私は万年筆に書かれるとどうしても気にかかる。


 万年筆とかボールペンとかサインペン、そういうものは若い人でも高級なものを持ったほうが、そりゃあ立派に見えるね。万年筆だけは、いくら高級なものを持っていてもいい。

 (略)

 そりゃあ万年筆というのは、男が外へ出て持っている場合、それは男の武器だからねえ。刀のようなものだからねえ、ことにビジネスマンだったとしたらね。だから、それに金をはり込むということは一番立派なことだよね。貧乏侍でいても腰の大小はできるだけいいものを差しているということと同じですよ。
 気持ちとしてもキリッとするわけだよ、自分でも。高い時計をしているより、高い万年筆を持っているほうが、そりゃキリッとしますよ。(万年筆)


 これは何に価値観を持っているかでだいぶ見方がかわると思う。時計のコレクターはよく聞くけど、その人たちは万年筆より時計だろう。
 けれど万年筆派の私からすれば池波さんの言うことに軍配を上げてしまう。


池波 正太郎 著 『男の作法』 新潮社(1984/01発売) 新潮文庫

by office_kmoto | 2017-03-07 13:19 | 本を思う | Comments(0)

吉村 昭 著 『冷い夏、熱い夏』

d0331556_16043287.jpg この本の付録に吉村昭さんと加賀乙彦さんの対談がある。その中で吉村さんは「書きながら、こんなにつらい小説は初めてでした」と言っている。
 この小説は吉村さんの弟さんが亡くなってからまだその死の余韻が残っている時から書き始めたという。これを今書かないともう書けないと思ったし、死が自分の前に立ちはだかっていた以上、これを書いておかないと前に進めないと思ったからだという。だからいまこれを書けと言われても書けないという。

 この小説は吉村さんこと<私>の弟が肺癌に侵され、苦しみ、急激に変化していく様を描きながら、その闘病生活に自らどう関わっていくか、それこそ一心同体で癌に立ち向かう姿が描かれる。
 そこまで弟にたいして親身に接していくのは訳がある。


 私と弟は、兄たちと年齢もはなれ、十代で両親と死別してから、寄り添うように生きた。


 昔<私>が結核になり、手術をし、療養生活を強いられたときも、看病してくれたのは弟であった。夫婦生活が苦しいときでも弟はその支えとなってくれた。つまり<私>が今ここにあるのも弟がいてくれたからで、だからこそ今度は自分が弟の面倒は自分が見なければならないと思う。
 しかしここに「癌の告知」という問題がある。当時は本人になかなか癌とは言えないところがあった。言ってしまえば死を宣告したものと同じで、絶望的なものに思えた。医者でさえ癌と言わないことで、希望を少しでも持たせることが必要だと言っている。
 高見順さんの次のような詩がある。


 電車の窓の外は

 電車の窓の外は
 光りにみち
 喜びにみち
 いきいきといきづいている
 この世ともうお別れかと思うと
 見なれない景色が
 急に新鮮に見えてきた
 この世が
 人間も自然も
 幸福にみちみちている
 だのに私は死なねばならぬ
 だのにこの世は実にしあわせそうだ
 それが私の心を悲しませないで
 かえって私の胸に感動があふれ
 胸がつまって涙が出そうになる

 (略)

 生命あるもののごとく
 生きている
 力にみち
 生命にかがやいて見える
 線路脇の道を
 足ばやに行く出勤の人たちよ
 おはよう諸君
 みんな元気で働いている
 安心だ 君たちがいれば大丈夫だ
 さようなら
 あとは頼むぜ
 じゃ元気で-


 高見さんは食道癌であった。この詩は入院直前に書いたと言っている。この詩を読んでも癌は死病であった。癌と聞いただけでもう助からないと半ば決めつけている。だから家族や親族はなかなか告知に踏み切ることが出来なかったのだろう。この小説の私も弟に癌であることを最後まで隠した。


 死病に近い癌という病名をつたえれば、患者は激しい精神的衝撃をうける。それより事実をあくまでもかくし通して死を迎えさせる方が好ましいのではないだろうか。それが情緒的だと言われれば、それでもいい。私たち日本人の身にしみついたものであるのだから、仕方がない。


 癌であることを隠す家族、親族も大変である。本人に気づかれないように気を使い続けることになる。当時は何故今のように癌を告知しなかったのだろうか。<私>はそれが日本人のしみついたものだから仕方がないと言っているが、それだけであろうか。逆に今は当たり前に告知されるのはどうしてかを考えればわかるような気がする。
 今は当時と違い格段に医学が進歩している。癌が死病でないこともあり、助かることもある。頑張れば癌を克服することも可能にさせる。そんな希望が昔より大きくなってきた。だから率先して癌であることを知らせ、生きることを患者本人に選択させる意味で告知がなされる。そういうことのように思える。
 そしてたとえ命が短くなっても生活の質を落とさず、限られた人生だから、その分濃密に生きることをさせてくれる。

 こういう話を読むとどうしても自分の母親の闘病と重なってしまう。私の父は母に癌であることを言わないと選択し、家族、親族もそれに従った。やはり当時は母に癌とは言えない環境であったと思う。
 そして嘘をつき続けることの苦しさも味わった。いくらそれが本人のためだと思っての行為だとしても、果たして本人の意思はどうなのか、嘘をつき続けることが正しいのか、わからない。
 そして症状がどんどん進行していけば、本人だって“おかしい?”と感づくはずで、それと同時に、家族が自分のためを思って嘘をついていることがわかるはずだ。私の母もわかっていたと思う。でも最後まで騙され続けていた。その母の心情がわかるだけに嘘をつき続けることが苦しかったものだ。


 私は置き時計を見た。病室の時計の針の動きは、驚くほどおそい。


 これも母の時何度も母に付き添ったときに感じたことであった。本当に病室の時間は遅い。遅いのだが間違いなく時間は流れ、行きつくところまで歩みを止めない。


 人間の生命は時間の流れとともに推移し、或る瞬間、弦が音を立てて切れるように死の中に繰りこまれてゆく。死は決してまぬがれぬものであり、生きてゆくことは、一刻一刻死への接近を意味している。誕生したばかりの新生児すら、すでに死への歩みをはじめている。


 ただ癌はあからさまにその歩みを我々に見せつけるのである。その劇的な変化でそれを知らしめる。母の時もそうであったが、しかし本人はなかなか死を受け入れない。からだが人間としていうより生物として死を受け入れることを拒んでいる。「もういいよ」と母に声を掛けたくても、母はそれを拒んでいた。この小説でも同じ状況が描かれる。


 弟の肉体は、死をうけいれても不思議はない状態だが、執拗に物体になることを拒みつづけているのだろう。


 私は、弟の左肺を剔出した外科医が口にした、手術後一年以上の生存例が皆無だという言葉を反芻していた。弟が手術をしてから十カ月が経過しているが、このまま死亡すれば、医学統計に一例を加えることになり、その確度をさらにゆるぎないものにする。自覚症状の全くなかった弟にとって、十カ月という時間は余りに急激な死への傾斜であった。事実の集積でない医学統計ではあるが、私はそこに苛酷さを感じた。


 こういう医学の非情さは今でも変わらないだろう。医者が経験則、あるいはデータから判断するものは、ほぼ間違いないということだ。おそらく医学が進歩した現在でも変わらないだろう。むしろ統計の精度を増している分、冷酷さも増しているのではないか、と思う。
 最後にもう一編高見さんの詩の一部を紹介する。


 帰る旅

 帰れるから
 旅は楽しいのであり
 旅の寂しさを楽しめるのも
 わが家にいつかは戻れるからである
 だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
 どこにもあるコケシの店をのぞいて
 おみやげを探したりする

 この旅は
 自然に帰る旅である
 帰るところのある旅だから
 楽しくなくてはならないのだ
 もうじき土に戻れるのだ
 おみやげを買わなくてもいいか
 埴輪や明器のような副葬品を

 (略)


吉村 昭 著 『冷い夏、熱い夏』 新潮社(1984/07発売)

高見 順 著 『詩集 死の淵より』 講談社(1964/11発売)

by office_kmoto | 2017-03-05 16:11 | 本を思う | Comments(0)

永井 龍男 著 『秋 その他』

d0331556_06103037.jpg 永井さんのこの本を読んだときは、やたらと長雨が続くときであった。なんでも秋雨前線が停滞し、いつまでも雨が降り続いた。
 わりと雨は気にならない方で、むしろ嫌いじゃない私であるが、さすがの今回の長雨はうんざりしている。蒸し暑さも伴っているものだから、気分が滅入る。
 これはやっぱり梅雨とは違うな、と思っていたところ、永井さんのこんな文章に出会う。


 鬱陶しいには違いないが、眺めている限り梅雨時の植物は一年中美しくはないか。枝を伸ばし葉を貯え、天恵に雨水を存分に吸収する。(昨日今日)


 梅雨の雨は確かに成長を感じる。葉も若々しく、雨の中でも輝いている。しかし同じ長雨でも秋の長雨の頃は成長が停まり、これから秋へと移行する時期だから、庭の木々を眺めていても、それほど美しいとは思えない。やはりいきおいというものは美しいものだと思う。

 もう一つ気になる文章がある。


 「氏より育ち」という言葉がある。この言葉を時々思い出すのは、私が貧しい家に生れて、育ちの悪さにまみれたところが、いつまでも経っても身にまつわりついているからである。一見さりげない通り言葉だが、鋭い観察をよく冷酷に云ってのけたものだと、この頃感に堪えることがある。もちろん、人を賞める時にも使う。さすがに育ちのいい人は違うという場合もあるが、しかし、ある人物の性行を評した言葉としては、冷酷である。初めてこの言葉を使った人の顔を見たいと思うほどである。まつわりついて離れぬある人物ゆがみをごくさりげなく見抜いた上で、冷たく呟いている顔である。(粗朶の海)


 氏や育ちはある意味どうにもならないところがある。それを持ち出されても如何ともし難い。貧しい環境で生まれ育ったものとして、そこから生まれた歪みを如何ともし難い性格として持て余したとき、これを言われるときついだろうな、と思う。確かに冷酷な一面を持つ言葉だ。変に人を射抜く言葉であるような気がする。


永井 龍男 著 『秋 その他』 講談社(1980/11発売)

by office_kmoto | 2017-03-03 06:11 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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