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栄枯盛衰

 新聞のチラシ広告に秋葉原ビックカメラのものがあった。秋葉原にビックカメラが出来るところがあったかな、と思ったら、ソフマップの本店があったところに今度はビックカメラと看板を掛け替えたようだ。ウィキペディアで調べてみると、ソフマップはビックカメラの完全子会社化している。
 あのパソコン全盛期のラオックス、T-ZONE、ソフマップは秋葉原から姿を消したようだ。いずれもよく通ったけれどね。
 そうそう、秋葉のビックカメラの前はソフマップ。ソフマップの前はヤマギワの店舗だった。昔本屋で配達をしていた時、このヤマギワ店舗の裏口から配達に行ったものだ。店内は照明を売り物にしているからきらびやかで明るいのだけれど、裏は本当に倉庫といった感じだった。その違いに驚いたものだ。ヤマギワはどうなったのだろう。
 ヤマギワ広報部という部署にも配達に行っていた。いつもけだるそうな女性が、机に片肘をついて、一方にペンなど持って話す人だった。嫌いだったなあこの人……。
 ちなみに書泉ブックタワーの前は第一家電の店舗だった。ここで初めてWINDOWSのソフトLOTUS1-2-3を買った。会社で買ってくれたのだが、当時9万円近くしたはずだ。このソフトも今はあるのかどうか。
 このビルは最初が電気屋だから本屋としては造りが悪い。店の真ん中にエスカレーターがあるので、店舗が分断されてしまっている。
 今は書泉もアニメイトに買収され、以前の書泉ではない。行ってみるとわかるが、ものすごい数のPOPで店内それでなにがあるわからなくなっちゃっている。本だけでなく関連商品もあり、本屋か雑貨屋かわからない状態になっている。この前久々に店舗に入って驚き、一階より上に行く気も起こらなかった。



by office_kmoto | 2017-06-30 08:15 | 余滴 | Comments(0)

神吉 拓郎 著 /大竹 聡 編 『神吉拓郎傑作選』 〈2〉食と暮らし編

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 このシリーズは2冊のシリーズもので、いずれも編者が(神吉拓郎ファンである編者なので、解説などを読むと、その思い入れが激しいのだが)1巻が短篇集で、2巻目がエッセイとなる。
 私は神吉さんの本を読むのは初めてなので、まずは本丸の小説を読む前に、その人なりの一片でも解ればとエッセイを読む。なので順序が逆になる。
 このエッセイは副題にある通り、食と暮らしに関するエッセイを集めてある。
 読んでみると、痛く同意してしまうところがあって、なかなかよろしい。
 ヘミングウェイの『老人と海』で老人が片手でナイフを持って魚の切り身を食べるシーンを書く。老人は「力をつけておかなければ・・・・・」と呟く。
 それを受けて著者は次のように言う。

 この、力をつけておかなければ、という言葉には、次第に衰えつつある年齢の人間しか解らない響きがある。
 それを感じ取れるようになったということは、つまり私も、体力の衰えを実感しているということなのだが、それは仕方がない。何時までも往時の体力気力を保ち得ているような錯覚に囚われていたのでは、人生ちぐはぐになるばかりである。
 ところで、この、力をつけておかなければ、という発想だが、これはどっちかといえば、気の弱りから来るのだろうと思う。(サラダと人情)

 体力、気力の衰えは日々感じるところであるが、何時までも若い頃のようにはいかないもんだ、と自らの体力、気力の衰えを感じたとき、やはり寂しいものである。が、著者の言う通り、いつまでも若いつもりでいるから、そう感じるのかもしれない。確かにこういうとき「人生ちぐはぐ」になっている。

 ナマガキのノド越しの面白さは、なにか間違ったものを呑み込んでしまったのではないかという面白さである。(牡蠣喰う客)

 なるほど、これは言えているかもしれない。
 といっても生牡蠣を食べたのはもうだいぶ前のことである。一度牡蠣にあたってか、牡蠣を敬遠している。

 そういう湯豆腐の長所を一括してみると、共通するのは、安心ということである。(鳴るは鍋か、風の音か)

 これもうまい言い方だ。湯豆腐には安心というか気安さがある。鍋の中で揺れ動く豆腐にも、そこからのぼる湯気にもその気配がある。そしてなにより美味しい。昨日も食べたが、湯豆腐はこの時期、我ら老夫婦の定番である。

 幕の内という言葉は、小さく俵型に結んだご飯からきているのだが、子むすびは相撲でいえば幕の内、という洒落から、そういわれるようになったのだと辞書に出ている。(松花堂など)

 へぇ~、そうなんだ。

 だいたいデザイナーにかかると、使いにくいものが出来るのは不思議である。特に食器と家具が信用できないのはどういうことだろう。(匙)

 これは食器や家具に限らず、すべて言えることじゃないか、と思っている。見てくれにこだわるものだから、使い勝手は二の次となるようである。特に家。我が家そうである。建築デザイナーが頑張っちゃったものだから、変なところで使い勝手が悪い。そして家ばかりはそうであっても我慢して住み続けなければならない。むしろ自らその住みづらい家に馴染ませなければならない、涙ぐましい努力を強いられる。
 山口瞳さんの家もそうだった。山口さんは痩せ我慢して、何とかそんな家に馴染もうとしていたのを思い出す。

神吉 拓郎 著 /大竹 聡 編 『神吉拓郎傑作選』 〈2〉食と暮らし編 国書刊行会(2016/10発売)


by office_kmoto | 2017-06-29 05:49 | 本を思う | Comments(0)

矢口 進也 著 『漱石全集物語』

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 面白い本である。夏目漱石全集の歴史が語られる。漱石は1916年(大正5年)12月9日に持病の胃潰瘍が原因で永眠した。物語はここからすぐ始まる。漱石死後1か月後には関係者が集まり、漱石全集を岩波書店から出すことが決まった。
 何故岩波書店だったのか。
 古本屋から始まった岩波書店の店主岩波茂雄と漱石の関係は有名で、『こころ』を自社で出したいと漱石に依頼に行く。漱石も岩波に資金援助までして自著を出版させる。ここの経緯は次のように書かれる。

 大倉書店、春陽堂以外の版元とはあまり関係をもたなかった漱石も、文名の高まりとともに、いくつもの出版社から本を出したいという話がもちこまれるようになった。漱石はその煩わしさを避けたい気持と、いっそ自費出版で自分の思いどおりの本を出してみようと考えて、ちょうど出版をはじめたいといってきた岩波から『こゝろ』を出すことにしたのである。岩波にとってはまたとない幸運だった。

 しかしやはり全集を出したいと考えていた春陽堂、大倉書店を無視することも出来ないので、漱石全集刊行会を岩波書店内につくり、発売元を岩波、大倉、春陽堂の三社が名を連ねることとなった。そして大正6年に漱石全集が出版される。最初の漱石全集は小包で送られてくるもので、書店を通さないものだったようだ。だから全集に挟まれる「謹告」なるものが挟まれていて、出版の遅延の説明や送料の変更など書かれていたという。これは月報のはしりと言われている。
 そしてこの全集は大正6年版が完結して、大正8年には第二次全集が刊行される。さらに関東大震災後、大正13年に第三回の全集が刊行される。さらに円本ブームに不安を感じたのか岩波は昭和3年に普及版を出版する。さらに昭和10年には漱石の20回忌に決定版として全集を出版する。
 昭和31年には新書版全集が出版される。漱石死後50年の昭和40年にも全集が出版される。

 さて、岩波が歿後50年・生誕100年記念出版として漱石全集を発行したのは12月7日である。漱石の忌日は十二月九日、この月を期しての発行だった。第一回の全集は一周忌、円本全集は13回忌、決定版が20回忌、戦後は死後30年、40年に合わせるなど、節目ごとに全集刊行を行なってきた岩波としては、歿後50年には期するところがあったのだろう。新書版で念願の普及版も刊行したあと、記念出版はいままでの成果の集大成と、原点にもどった菊判、大正期の全集の再現であった。

 今でこそ著作権の保護期間は、著者の死後50年になっているが、わが国の著作権法は、制定以来、死後30年だった。大正5年12月9日に死んだ漱石の著作権は、昭和21年12月末日で消滅する。夏目家が桜菊書院の申し出にとびついたのには、いまのうちに出さなくてはという焦りがあったようだ。
 桜菊書院とは、明治天皇奉賛桜菊会が運営する。桜菊会とは、戦時中、伊勢神宮などの神社仏閣の参拝団を編成して送り出す旅行会社のような組織で、皇国思想で国民を戦争にかりたてた軍部に便乗してかなり羽振りのよい事業を営んでいたらしい。皇室関係の多少の出版物や機関誌を出していた関係で豊富な用紙割り当てを受け、戦時中には90万ポンドとも100万ポンドともいわれる厖大な用紙を保有していた。
 その保有する紙にものを言わせ、夏目家に近づき、漱石全集を出そうと企画する。当然岩波書店は、わけのわからないところで全集など出さないほうがいいとか、出版の差し止めなど検討に入るが、桜菊書院から漱石全集が出る。
 ではなぜ夏目家は岩波と離れて桜菊書院と結びついたのか。ここにこんな文章がある。

 結局、漱石遺族と岩波とでは、漱石に対する考え方に差があって、それが年月を経過するに従ってますます開いてしまったものと思われる。自分も門弟と思い、また小宮豊隆を中心に、漱石の完全な全集を作ろうとした岩波は、漱石を崇拝する姿勢だったが、遺族にとって漱石は、言葉はよくないが「金づる」だった。全集を出しさえすれば莫大な印税が入る。その繰り返しが、全集刊行について安易な気持を生んだのではなかったのか。そのような両者の利害、いや漱石観が、著作権消滅の直前いたって正面衝突することになったのである。

 結局岩波側は折れて、桜菊書院は過剰なまでの宣伝広告を打って漱石全集の刊行に進むが、ここにさらに事件が発生する。
 夏目家は漱石の全著作を商標登録を申請する。これは「漱石」の名の付く全集、選集、作品集に商標登録することで、夏目漱石という名の付く本を出版しようとすると、著作権料はなくても、「商標」で使用料を取ろうとしたのである。この経過を読んでいると、夏目家の“えげつなさ”が出てくる。漱石の息子夏目伸六は「オヤジの著作権が今年一月からなくなるので、私が“商標権をとっておいたら幾らか生活の足しになるだろう”と出した訳で、著作権の代りにこれを商標権を出版社からもらうわけです」と言っている。
 結局出版の自由妨げるものに商標権は認められないという見解を示され、「漱石」にも商標権は認められなくなった。
 桜菊書院の漱石の全集の刊行が遅延し始め、会社は倒産してしまう。

 そして漱石の著作権が消滅して、昭和28年には漱石ラッシュとなり、いくつもの全集が出版される。

 著作権の消滅は漱石全集出版の自由化で、のべつ全集や選集が出された。

 しかし漱石の作品はどこの出版社から出版されようが、ひとつの作品は同じ作品である。そうなると本文以外のところでその全集の特色を出さなければならなくなっていく。出版社は知恵をしぼって漱石全集の特色を出していた。

 岩波の漱石全集は、ほぼ10年おきに出されている。新しい需要が生じるのがちょうどそのくらいの間隔なのか、また没後何年といったような節目に合わせたせいか、10年に一度の刊行がやや慣例化していた。没後50年記念の16巻本が出て9年、昭和49年には岩波は全17巻の全集を刊行する。

 ちなみに私も岩波の漱石全集を持っている。昭和49年版である。この全集はS図書のOさんの知り合いの古本屋さんで1万円で分けてもらった。
 確か今、岩波書店から『定本 漱石全集』が刊行されている。なんでも漱石全集の最終決定版と言っている。はたして本当にこれで最終なのか、疑問符がつく。私が本屋で働いていた頃、岩波書店が経営が厳しくなると漱石全集を出すといううわさがあった。それくらい漱石全集は岩波書店のドル箱と認識している。

 漱石全集の歴史を調べていて一番驚くのは、いわゆる「重版」が多いことである。もちろん漱石以外の作家でも、全集が何度か刊行され、重版される例はあるが、岩波が独占刊行していたときはともかくとして、戦後では、まず岩波の昭和二十二年版が昭和十年版の重版だった。創元社の作品集は東京創元社・昭和出版社版と三度出たし、創芸社の全集も初版と普及版、それに中絶した朋文堂新社版を数えればこれも三度、さらに春陽堂の小説全集、角川書店版、筑摩書房版が二度ずつ出ている。岩波の菊判全集、新書版全集も二度目を出した。漱石全集は版元にとってたいへん効率のよい商品なのである。

 それではどうして漱石が愛好されるのか?それを著者はあとがきで次のように書く。

 全集が比類をみないほどすぐれた編集で出されたことが大きく予っていたと私は考えている。すでに本文でも記したことだが、漱石全集には、漱石の書いたものをあまさず集め、収録されている。その“完璧な全集”が、つぎに出るときはまた新たな資料を加えるというふうに、研究と出版が相補って漱石像をつくりあげきた。

 まあ漱石は国民的作家だから、だれでも一つくらい作品を読んでいるだろうから、漱石好きが案外いるんじゃないかなあ、と思う。そして私も漱石は好きだ。

矢口 進也 著 『漱石全集物語』 岩波書店(2016/11発売) 岩波現代文庫


by office_kmoto | 2017-06-26 05:44 | 本を思う | Comments(0)

幸田 文 著 『きもの』

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 「おばあさんのいうことだと多寡をくくらないで、おぼえといたほうがいいね」

 るつ子は祖母からいろいろなことを教わっていく話である。その時々、成長に合わせて様々なアドバイスをもらう。時にそれが鬱陶しくもあるのだが、気がつけばおばあさんの言っていたことが、身に沁みてくる。るつ子も「からだはいつのまにか、苦労なく一人前になるが、中身が大人になるには苦労がいる」とおばあさんの小言を聞いていくうちにそう思うようになる。いわばおばあさんは、るつ子にとって人生の案内役であった。おばあさんの言うことがひとつひとつ生きるための知恵であったことを知る。おばあさんもこのように嫌がらずに年寄りの言うことを聞いてみるもんだと言うのである。
 特にきものについては、この本の主役といっていいくらい、きものが姉妹の上下関係をはっきりさせるし、それぞれが着るきものは性格を表す。この辺りは読んでいると、覗いてはいけない女の世界を見るようでもあった。
 さて、そのきものであるが、これはいろいろ面倒だ。曰く、きものはちゃんと畳め。そうでないと、「たたみ付けない着物は、肩山袖山の折目が崩れて、見苦しい。ぴたりといい気持ちに着ようというなら、畳みつけることから覚えないといけない」という。
 また場面場面でその着方があることを教えられる。あれこれ細かすぎる配慮を必要とするのがきものなのだろう。どんなきものを着るかは、その時の状況によって変わっていく。もしかしたらきものはどんな衣服よりTPOの配慮がいるのかもしれない。そして相手に対しても同様の気配りが必要となる。
 この辺りは男であり、衣服に無頓着な人間にはわからないところである。たとえば、るつ子が痴漢に遭ったとき着ていたきものは横縞のものだった。いくらお気に入りとはいえ、横縞のきももは縞がものさしみたになり、きものの下のからだの恰好が、裸ほどに露わになる。だから痴漢に遭ってしまった、という。
 あるいは関東大震災の焼け跡を歩くとき、「ひどくやつれた裁着袴」のようなものを穿いているのがちょうどいいし、こんな時に絹を着るもんではない。また必要なものを言ってよこしてもらったものは、出来る限り新品がいい。新しくて丈夫なのがいいからだ。そしてこういうときこそ、木綿がいい。おばあさんには“木綿信仰”みたいなものがある。

 「人は大概みんな、木綿で育って、木綿にくるまれて生きていくんだね。そこいらを見まわしてごらん。たいてい木綿の顔をしている人ばかりだろ。」
 「もめんの顔-そんなのわからないなあ。」
 「るつ子にはまだわかるまいよ。ただ、大概の人が木綿に包まれている、ということはおぼえておくんだね。なみの人は、まあ一生末生、木綿のご厄介になってるわけだ。」

 きものに対して言い争いや、こだわりを持ち続けてきたが、震災で焼け出されると、きものの原点みたいなものが自覚出来、本来着るものは身を隠せればいいものであったのを、女は着るものに妄執をもっていたのだと自覚するのである。

 肌をかくせればそれでいい、寒さをしのげればそれでいい、なおその上に洗い替えの予備がひと揃いあればこの上ないのである。ここが着るものの一番はじめの出発点ともいうべきところ、これ以下では苦になり、これ以上なら楽と考えなければちがう。やっと、着るということの底がじかにわかった思いだが、これを納得したのは下町が総舐めのこの大火事にあったおかげなのだ。それにしても大きな損失に対して、あまりにも小さな納得とはいえ、しかしまた逆に考えると、それほどのひどい目に遭わなければ、着物の出発点は掴むことができないくらい、女は着るものへの妄執をもっている、ということである、と考えてきてるつ子は、あははとふきだして笑った。

 結局追いつめられれば人と衣料とは、どうでも必要という一点にしぼられ、そこが掛け値なしの出発点なのだった。

 身を隠せればいい。寒さをしのげればいいだけの実用面だけが衣服の原点だけど、同じ着るならそこは別の付加価値が生じるのは、やはり人間の見栄がそうさせるのだろう。そしてこのことが『きもの』のように、醜い人間関係を垣間見させることにもなる。

 「さあて、寝るか。」
 どんな言い方をされたにしても、それはまだ処女でいる妻には胸がさわぐ。思いもうけた刺戟、期待した刺戟だった。るつ子はそのの選んでくれた、柔かい花もようの寝間着に身を包んで、しち固く伊達巻をしめた。部屋の入口のさし込み錠、窓のしまりをそれとなくもう一度目でたしかめ、そのが入れておいてくれたたとう包みをそっとバッグから取りだしていれば、むずと抱えられた。たとうは飛んで、るつ子は倒されるままに倒された。はじめての感覚が一時にあちこちに押捺された。間もなく裸の胸が相手の裸の胸を感じ、下着のずるずるとはがされる感覚を知った。自分の手ではなく、人の手がはがす下着が、腰をきしっておりていった。それが恙なく進行している結婚の行事であった。

 るつ子を包んでいたきものは初めて自分の手ではなく、結婚相手の男に脱がされる初夜のシーンでこの物語は終わる。こうなることの準備も父の愛人であったそのに言い渡されたようにさりげなくされている。うつくしいシーンの描き方である。

幸田 文 著 『きもの』 新潮社(1996/12発売) 新潮文庫


by office_kmoto | 2017-06-22 17:34 | 本を思う | Comments(0)

山口 瞳 著『旦那の意見』

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  この本は山口さんの数多くあるエッセイの一つだが、但し書きが付く。あとがきに「小説家の随筆集を出してもらうのは初めてだ」と書く。わざわざ「小説家」と書くのだから、このエッセイ集はこれまでの山口さんのエッセイと比べると、堅苦しい。例によって一度読んだだけではわかりにくい文章のところはあるのだが、それに加えて山口さんのサービス精神溢れる文章が少なく、一本調子であった。逆にいえばそれだけ真剣な態度で書かれた文章でもあった。
 例によって言葉を拾う。

 何もしないでいる人生がある。国事に奔走して、紅葉の花(実はそれが花であるかどうかハッキリとは知らない)やヤマボウシの花の美しさに気がつかないでいる人生がある。そんなことをボンヤリと思っていた
。(これだけの庭)

 いったい、私を支えているものは、私を生かしめしているものは何だろうかと考えてしまう。なんだか、空中に浮いているような気がする。(山登り)

 私は、小説家は、一度は身辺のことを書くべきだと思っている。一度は自伝小説を書くべきだと思う。実のことを言えば、そのことで血を流していない小説家を全く信用していない。
 小説にかぎらず、作品と作者との関係は、なんとも血なまぐさいものに思われてくる。(私小説と歳月)

 私は永井龍男という名を見ると、反射的に、明窓浄机という言葉が浮かんでくる。(吉行さんの名刺)

 このデンでゆくと、「名を捨てて実を取る」もすでに立派な市民権を得ていると思われる。いまに、関西流の「エゲツナイ」も市民権を得て、美徳の一種になるだろう。「ゴネ得」などは、最高の道徳に昇格するのではあるまいか。(下駄と背広)

 私小説のことを書いた文章はまさしく自分もそう思うようになった。それまでは自分のことを女々しく書いて金が儲けられるとは、小説家とはいい身分なものとしか思っていなかった。小説家自身のことしか書けない、物語を作れない、そんな奴が私小説を書くんだ、と思っていた。
 ところがそうして自分を晒すことが、如何に大ごとなのか、最近わかるようになってきた。それだけの決心が必要なのである。覚悟が必要なのである。そういうのが私小説だと思うようになっている。
 永井龍男さんの明窓浄机は頷いてしまう。
 この本は40年ほど前に書かれた本だが、その時「ゴネ得」が最高の道徳に昇格するかもしれない、と予想しているが、まさしく今、そうなっている。

山口 瞳 著『旦那の意見』中央公論社(1977/05発売)



by office_kmoto | 2017-06-20 05:08 | 本を思う | Comments(0)

平成29年6月日録(上旬)

6月2日 金曜日

 晴のち、曇り、また晴れ。

 風の強い一日であった。タブの木の落ち葉が玄関先に一面落ちて、掃かないといけないなあ、と思い、始めたのはいいが、強風のため次から次へと落ちてくる。だから途中で止めた。そうしているうちにいつの間にか落ち葉がなくなっている。風で吹き飛ばされ、落ち葉が隅に追いやられている。まるで掃除をしたみたいにきれいになっている。
 落ち葉がなくなったわけじゃないが、まあ、玄関先がきれいになっているならいいか、と思うことにした。少なくとも玄関先を掃かなくて済んだだけでもありがたい。

 芝木好子さんの『隅田川暮色』を読み終える。いい本であった。今のところ今年一番の本ではないかと思う。

 昼前に首の牽引へ整形に行く。今日はいくらか首の痛みが和らいだ一日だ。昨日二階にある使っていない、リクライニングチェアーを下ろして、使ってみている。首まで背もたれがあるので、そこに首をつけて本を読んだり、テレビを見たりしているが、これがいいのだろうか。そうであるなら、この椅子を下ろして良かったことになる。


6月3日 土曜日

 晴れ。

 東大島の図書館へ自転車で行く。予約していた川本三郎さんの古い本を借りに行くためだ。江戸川区の図書館には蔵書していない。
 新大橋通りを通って荒川を渡る。今日は天気がいいし、カラッとしていて、自転車をこいでも汗をかかずに済む。橋の上の風が気持ちいい。
 図書館で本を借りて、すぐ帰ろうと思ったが、荒川に沿った道がずっと真っ直ぐ延びていて、なんとなく自転車で走りたくなり、小松川橋まで行ってみる。そして荒川の土手にある道を今度は引き返して来た。小松川千本桜がある土手だ。視界が開けて気持ちいい。
 ここのところ川本さんの本や芝木好子の小説などに川が出てくるのを読んでいるものだから、大きな川を見たくなったところがある。
 土手にある桜がサクランボみたいものが垂れ下がっている。小さくかわいいやつ。

 家に帰ってから、玄関先を掃除し、さつきの花が終わったやつを取りのぞく。今年はうまい具合に花が咲かなかった。消毒をしなかったことが原因だろうが、枝が重なって密集してしまっている。そうなると日当たりの問題もあるかも知れないと思ったりする。 去年結構枝を切ったのだが、切り足りていなかったようだ。一本だけ花がなくなったので、剪定をやってみた。大丈夫かなと思うくらい、思いきって切ってみる。風通しを良くしておけば、病気にもかからないだろう。
 後三本あるので、花が終わったら、思いきって切ってやろうと思う。
 
 南木佳士さんの『エチオピアからの手紙』を再読する。


6月4日 日曜日

 晴のち曇り。

 午前中さつきの剪定。

 川本三郎さんの『花の水やり』を読む。
 
 
6月5日 月曜日

 晴れ。

 今日もさつきの剪定。梅雨に入る前に終えたいと思っている。

 首牽引へ行く。

 神吉拓郎さんの『 私生活』を読む。


6月7日 水曜日

 曇り。

 関東梅雨入りの発表がある。

 川本三郎さんの『シングル・デイズ』と安住孝史さんの『東京 夜の町角』を読み終える。

 朝日新聞の夕刊に「紙地図、苦戦 登山用減・スマホ普及で」という記事があった。記事の内容は紙の地図が売れないというもの。スマホを持っていれば、目的地まで道順を教えてくれる時代である。町で地図を持っている人を見るのは、多分マピオンなどで印刷した地図ぐらいだ。
 こうなるとわざわざ紙の地図を買う必要なんかない。地図を広げる面倒もない。当然地図やガイドブックなど売れるわけがない。
 それで驚いたのは取次の日本地図共販がこの2月に倒産したと書いてあったことだ。負債総額が12億1、194万円という。
 私が本屋に勤めていた頃は、地図の仕入はこの地図共販が帳合であった。昭文社の地図は営業マンが店に来て、在庫チェックをしていくが、それ以外の地図やガイドは地図共販の営業マンが店の在庫チェックをしてくれ、商品が入荷するとそれを棚に入れてくれた。つまり地図やガイドは全部地図共販任せで済んだ。
 地図共販の店売がまだ神田村にあった頃は、よくここへ仕入れに行ったものだ。店に置いていない五万分の一の地図や、二万五千分の一の地形図の注文はここで仕入れていた。店売には地図やガイドブック以外にも、旅の雑誌、読み物をあって、それはそれで面白い本が数多く置いてあった。ときたまここで本を買ったこともある。
 そんな思い出のある地図共販であったが、それがなくなってしまったんだ思うと、時代とはいえ、びっくりもし、寂しいものを感じてしまった。


6月8日 木曜日

 雨のち、曇り、のち晴れ。

 首の牽引に行く。その後上野の東京都美術館へブリューゲル「バベルの塔」展を見に行く。


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 雨模様なので館内は空いていて、「バベルの塔」をじっくり見ることが出来た。
 また「バベルの塔」をかなりの精度で拡大し、展示してある。それを見ると細かいところがより詳しく、どう描かれているかがわかるようになっている。さらに7分ちょっとの3D映像で見ると、動きもあって、「バベルの塔」の精密さをさらに堪能することが出来た。
 ただブリューゲルとヒエロニムス・ボスの絵は少なかったのは少々残念であった。
 いつものようにカタログとポストカードを買って帰る。

 テッポウユリが今日花開いた。


6月10日 土曜日

 晴れ。

 来週大腸の内視鏡検査があるので、そこでまたポリープ切除なんかやられると、一週間安静にしていなければならなくなる。幸い去年はそんなことはなかったが、今年もそうだとは言い切れない。もしポリープ切除となると、東大島の図書館で借りた本を返しに自転車で荒川を越えて行くことが出来なくなる可能性がある。だから先日借りた本をせっせと読んで、今日返しに行く。
 折角自転車でここまで来たので、この先にある城東軌道電車の跡地を見てみたいと思った。そこには記念碑やモニュメントもあるという。
 西大島駅手前から大島緑道公園に入りそのまま亀戸緑道公園を抜けていく。亀戸緑道公園の途中に都電の竪川人道橋跡がある。そこには都電の車輪のモニュメントがあり、城東軌道電車がここを通っていたことを示す掲示板があった。
 城東軌道電車に興味がある。というか、子供の頃、私が住んでいたところにはトロリーバスが走っていた。上野公園まで行くものだった。小学校の低学年の頃、それに乗って上野動物園まで遠足に行った。そのトロリーバスの印象が強く残っている。だから思い入れもあり、それを書いたこともあった。
 そのトロリーバスの前には城東軌道電車がここに走っていたらしいことを知ったのである。もちろん見たことはない。生まれる以前話である。詳しいことはいずれ書こうと思っているが、そのための資料をせっせっと集めている。その一環として城東軌道電車の記念碑やモニュメントを見てみたいと思って、時間があれば見に行き写真を撮って来ている。
 気づけば亀戸まで来てしまっていた。ブックオフの看板が見えてので入ってみる。清水義範さんの『夫婦で行く』の最新シリーズのイギリス版がある。奥付を見ると去年のものだ。知らなかった。さっそく購入。それともう一冊文庫本を買う。何か予定したいなかった収穫があってうれしくなる。
 その後小松川橋を渡って、区の中央図書館へ行く。借りたい本があって、4冊借りてくる。
 今日は結構な距離を自転車で走った。


6月11日 日曜日

 曇り。

 岡崎柾男さんの『洲崎遊廓物語 (新装版)』を読む。


6月12日 月曜日

 曇り。

 北尾トロさんの『欠歯生活―歯医者嫌いのインプラント放浪記』を読む。

 今日の昼食より明日の大腸の内視鏡検査のために、検査食となる。

 テッポウユリがほぼ満開となる。


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 3本だけだが花が咲いていると豪華である。植えてよかったなあ、と思う。もともと庭に手入れをするに当たって、ユリを育ててみたい、と思っていたので、念願かなった感じだ。昔実家で咲いていたヤマユリほどケバケバしさないけれど、質素でありながら豪華な感じはなかなか捨てがたい。このまま来年も咲いてくれるといいのだけれど……。
 あじさいもかわいい花を付けている。


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6月13日 火曜日

 雨。

 今日は午前中大腸の内視鏡検査であった。昨日の夜9時にまず一発目の下剤を飲む。それが夜中に効いてきて、トイレに数回駆け込むこととなり、以来寝られない。
 そして朝6時から2ℓの下剤を一時間半かけて飲む。9時半までに病院に行くことになっているが、ぎりぎりまでトイレへ行ったり来たりであった。この下剤、以前よりだいぶ飲みやすくなったと思うが、如何せん2ℓは毎度のことながらきつい。味はポカリスエットと同じ。私がポカリスエットが好きになれないのは、これによる。
 去年も言われたが、私の大腸は人より長いので、その分人より弊害がある。まず検査が苦労するらしい。そして大腸が長い分人より不要なものを長く体内に溜め込むことになる。腹が張るのもその影響とのこと。一部ポリープを取って検体に回したとのこと。それ以外問題はなかった。
 検査はやはり疲れる。寝不足もあり、家に帰ってきてからは何もする気が起こらず。

 今日、本について書いたものを更新したが、これで去年読んだ本すべてここに掲載したことになる。これからは今年読んだ本をアップしていく予定。ただし、一部先にアップしてあるものもある。これはアクセスカウント稼ぎみたいなところある。話題の作家さんの新刊を読んで直ぐ載せれば、ちょっと読んでくれる人もいるかな、というスケベ心からそうしてしまった。もちろん後でも一向に構わないのだけれど、どうもこういう本たちは“旬”みたいなものがあり、出た時直ぐ書かないと、時遅しになってしまう。そんなことも考えて先にアップしてみた。
 一昨日の日曜日の朝日の読書欄に小玉武さんの新刊2冊について佐伯一麦さんが書評を書いていた。読んで自分が思ったことが同じように書かれていて、やばい先を越されちゃったな、と思った。(そんなの競っても仕方がないのだが)こういうこともあるので、新刊読んだ場合、早めに感想を書いた方がいいのかな、と思ったりする。
 まあ気分で好きなようにやることにする。


6月14日 水曜日

 曇りのち晴れ。

 重兼芳子さんの『やまあいの煙』を読む。


 6月15日 木曜日

 曇りのち晴れ。

 さつき消毒をする。

 野口富士男さんの『私のなかの東京』を読む。もう“東京もの”はいいかなあ、と少々飽きてきている。

 読んだ本についてパソコンに書き込んでいたら、首がまた痛くなる。自分としては無理しているつもりはないのだが、結構長時間パソコンに同じ姿勢で向かっていたようだ。まったく、何をするにしても、からだの方がすぐ悲鳴をあげる。


by office_kmoto | 2017-06-16 05:44 | 日々を思う | Comments(1)

岩阪 恵子 著 『台所の詩人たち』

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 家族の下着も家の中の床も、毎日汚れる。茶碗は使ったら洗っておかないと次のとき使えない。おなかが減るかぎり、食べ物を拵えなくてはならない。生きるというのはこういうことのくりかえしであったのか、と私はバケツのなかに魚の骨やじゃがいもの皮や茶殻を捨てながら思うのだ。
 便所掃除をしたり、週に三度ゴミを出しに行ったり、洗濯物をたたんだりするのと同じように、机に向かって原稿用紙に言葉を書き記していただろうか。とあるとき私はふと思ったのだ。なにかその二つのあいだに、私は境界線を引いていたのではないかと。それが、私が書くことから逃げていた理由のひとつではないかと。(くりかえし)

 この文章を読むと、生きることは大上段に構えて、論ずることではなくて、日常の中で繰り返されることのその繰り返しが生きることなのだ。そこにあるのは何も小難しいことではなく、極々当たり前のこと、と改めて思う。そしてそこにしっかりと立ち位置を持っている人の言うことに耳を傾けたくなる。またそういう人の言うことを求めているところもある。そういう生き方を選択し、繰り返しやっている人が尊い、と思う。

 「自然のおくりもの」にある文章が面白かった。

 空からやってくるほかのお客さんが落としていくものになかなか憎めないものがある。うちの庭の常連で木の実が好きな鳥といえばヒヨドリだから、たぶんこの鳥の糞に種が混じっているのだろう。庭のいたるところに、実生の木の芽が顔を出す。顔どころか、私の背丈の倍以上に伸びてしまったものもある。
 ナンテン、アオキ、ツゲ、マンリョウ、ピラカンサ、ネズミモチなどあちらにもこちらにもひょっくり芽を吹き出させているのを見ると、いっぺんに金持ちになったようななかなか愉快な気持ちになる。しかしそのあとこれらが全部大きくなったときの光景を想像すると、ちょんちょんと可愛らしいのを引き抜いていかなければならなくなる。(自然のおくりもの)

 他の場面で著者の庭はほとんど自然のままの状態らしいことがうかがえた。理由はこういうことだったのだろうか。
 ふと我が家の隣にある雑木林を窓越しから眺めてみると、大きな木はどうか知らないが、そのまわりに生えている木々は何となく鳥たちが運んで来たように思えた。
 我が家の庭にも、ちょこんと芽を出すものがある。これも鳥たちの落とし物中にあった種が発芽したものかもしれない。
 こういう植物たちの子孫を増やしていくやり方は、その芽にもしたたかさがあって、出て来た芽は結構しっかりとしていて、引き抜いてみると根も強く張っている。

岩阪 恵子 著 『台所の詩人たち』 岩波書店(2001/08発売)


by office_kmoto | 2017-06-13 16:46 | 本を思う | Comments(0)

南木 佳士 著 『生きのびるからだ』

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 ここにあるエッセイは南木さんが精神を病んで、生きることもままならない状態から、何とか回復し、医者、小説家をやっていけるようになって、多少生きることの「欲」が出てきている。
 特に小説家として南木さんには医者という職業は捨てがたいようである。きっと生きることと死ぬことは小説の最大のテーマであろうから、そのふたつを間の当たりする医者という職業は、小説家としてある場合、ここにいればその現実を見ることができる。
 そんな“現場”がここでは何度も出てくる。

 ところが、退職時期をじぶんで決めるのは案外難しく、高齢のひとたちの含蓄に富んだ言葉を聞ける外来の場を去るのも寂しくないと言えば嘘になるから、なかなかふんぎりがつかなかった。ひとが生きて死ぬナマの現場と絶縁するのはじぶんも死んでしまうようで、業の深い仕事なればこそ未練たっぷりだった。(定年退職)

 ひとが死ぬ、永遠の不在になるという圧倒的な現実を目にしていると、その他の世俗的な価値の調整がどうでもよくなって、語りだす言葉も本音むき出しになる。(背中しか見せられなかった)

 精神を病む原因となったのだけれど、医者という、底上げなしの他者の存在そのものを相手にする仕事はどうしても嫌いになれなかった。(背中しか見せられなかった)

 ひとが生きて在る、という単純な事実を文章で表現しようとすると、そのグロテスクさに言葉の定義がついてゆけないと実感することがある。書き表せない部分の広さと深さを示すために、なんとかその輪郭だけでも描こうとしているだけのような気分になってくるのだ。(あきらめる)

 そろそろ腰を落ち着けて長い小説を書いてみたいと思うのだが、いくらか元気になってみると、医師であり患者である奇怪な生活の細部が妙にリアルでいとおしい。生きている現実感、すなわち正気を支えてくれるグロテスクな暮らしの細部を、言葉のみで創造世界に移築できる自信がない。(紅葉を見に行く)

 やはり普通の真理は本やインターネットの世界にはなく、日々の生活の細部の、そのまた陰に宿っているらしい。(妻の顔)

 医業と小説書きをしつつこの歳までしたたかに生きてくると、こういうからだの実感に裏打ちされた言葉にしか現実味は覚えなくなる。(春になった日)

 こうやって南木さんの言葉を書き出してみると、現場で聞いた言葉、見た現実は、直ちに自分に跳ね返ってくるだろうな、と想像出来る。だから医者という職業は業の深い職業なんだ、と思える。しかし一方で生の人間に触れられる世界でもある。それも百戦錬磨の人たちに。だから自身のために、そして小説家として、医者という職業を辞められない。

南木 佳士 著 『生きのびるからだ』 文藝春秋(2009/07発売)


by office_kmoto | 2017-06-11 05:29 | 本を思う | Comments(0)

川本 三郎 著 『花の水やり』

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 私が川本さんのエッセイが好きなのは、嗜好は案外自分に似ているんじゃないか、と思うところにある。だから言っていることがよくわかり、「そうなんだよなあ」と思うことが多い。好みが似ているというのは親近感が持てる。
 たとえば、

 週に一、二度、銀座に出て、映画の試写を見る。試写はたいてい一時に始まる。そこで映画が始まる前に、銀座で軽く昼食をとることになる。
 銀座で昼食、といっておべつにご大層なところに行くわけではない。もっともよく利用するのが、立食いそばの“小諸そば”。
 立食いそばだからといってあなどってはいけない。ここのそばは、立食いそばとは思えないほどおいしい。本格的なそば屋と比較しても決して遜色がない。
 普通、立食いそばは、早い、安い、そしてまずい。はじめから味には期待していないからまずくても文句はいわない。立食いそばの味がよくないと怒るのはほとんど野暮である。
 ところが“小諸そば”は、立食いそばの通年を破っている。早い、安い、そしてうまい。店の雰囲気も明るく、清潔。従業員も生き生きとしている。若い女性店員が多いのも立食いそばとして珍しい。(あなどれない立食いそば)

 私も小諸そばは大好きである。立ち食いそばのお店は駅前に数多くあり、何度も利用してきた。特にサラリーマン時代など、時間がないときなど、サッと食べ、次の仕事に向かうなどしてきた。これまで数多く立ち食いそばのお店で食べてきたが、やはり小諸そばが一番美味しいと思う。私はここのかき揚げそばをいつも食べる。
 神田の古本屋へ行く時は、必ずここでそばを食べてから古本探しに出かける。これが定番となっている。
 その古本に関する川本さんの意見。

 新刊の本屋では本は本というより「情報」である。新しい情報は知っておくのにこしたことはないが、「はやりものはすれもの」というようにすたれるのが早い。古本屋の本(いわゆる古書)は「情報」というより「古道具」「骨董」である。長い時間のなかを生きてきた落着いたよさがある。(古本屋)

 同感。

 東京・大阪をはじめ日本の都市は朝が弱い。二十四時間都市といわれているが実際は夜型都市で商店が開くのも、十時、十一時。朝早く起きる人間には不自由なことが多い。(早寝早起き)

 以前私が勤めていた本屋は、朝8時半から開店していた。通勤途中のサラリーマンが店に寄って週刊誌や雑誌を買って職場に行く。中には本や文庫本も朝から買っていくすばらしい人もいた。その代わり、夜は7時で閉店した。しかし競合店の出店など売上低迷で営業時間の変更、特に夜の営業時間の延長を考えるようになった。時代は確かに夜型にシフトしていった頃である。午後8時、9時、そして10時まで営業することになると、朝の開店時間はどんどん遅くなっていった。
 今は大書店でも普通の街中の本屋でも大体10時から11時頃開店というのが多いのではなかろうか。
 昔ちょっと出かける前に欲しい新刊を本屋で買って、電車の中で読もうと思ったことがある。しかし朝早くから本屋は開いていない。早いと言っても9時頃である。どこか朝から開いているお店はないか、思ったけど、見当たらない。結局新刊は帰りに買ったことを思い出した。
 ライフスタイルは人それぞれだが、川本さんも私も同様な朝型人間なのでスタートが早い。こういう人は夜型都市に問題が生じることも案外多いのである。

 人間は複雑な心持った生き物である。生きるためには明るさと同時に暗さも必要なのである。都市なかにいかがわしい悪場所が自然発生的に出来てくるのもそのためだと思う。人間も都市も暗さがあってはじめてバランスがとれてくる。((「秘密」のすすめ)

 夜に元気になる理由もこんなところにもあるかもしれない。

 サギソウの話があった。

 去年の五月、浅草の植木市でサギソウの鉢を手に入れた。二十センチくらいの雑草のような草が植わっている。それがサギソウだという。朝夕水をやって大事にしていたら白い花が咲いた。名前のとおり、鷺が飛んでいる姿そっくりの花でその形の面白さに感心してしまった。
 しかし、秋になって花も草も枯れた。これは一年草の花で一回きりかと思ってあきらめていたら、四月になって芽が出始めた。まだ二、三センチなので断定できないが、たぶんサギソウだと思う。これが私にとって今年いちばんの「山笑う」になった。(鉢植えの草花)

 去年、お隣さんからサギソウの鉢をもらった。夏に白い可憐な花を咲かせ、本当に鷺みたいで、気に入ってしまった。
 秋になり枯れて、そのまま冬を越し、春になったら植え替えをする、と教えられたが、なかなか新芽が出てこない。これは冬を越すのを失敗したかな、と思っていたら、いつの間にか新芽が出てきた。お隣さんに新芽が出てきました、と報告したら、これじゃ花は咲かないわね、と言われる。植え替えをしなかったのがまずかったらしい。
 で、また新しい鉢をもらったので、今度こそうまく育てようと思っている。まずは花を咲かせることを目標とする。
 その緑の話。川本さんは東京には以外に緑があると言う。町歩きをしていると、家の前、玄関先、道に面して鉢植えを並べている。それを見て次のよう言う。

 江戸時代から古い町である(人形町)の人たちが育てていたであろう緑と同じものをいまでも大事に育てている。伝統とか文化とはこういう小さなことをさすのではないか。(町のなかの緑)

 伝統とか文化などと言うとなにか大がかりなことになる。でもそれは育んできたとかいう構えたものでもなく、たぶん普段の生活の中でいつものようにしている、このように小さなことなんだろう、と思う。それを毎日毎日繰りかえしてきただけのことなんじゃないか。我々は伝統、文化という言葉をあまりにも大上段に、そして偉そうに使いすぎる。

川本 三郎 著 『花の水やり』 JDC(1993/10発売)


by office_kmoto | 2017-06-08 05:43 | 本を思う | Comments(0)

ポストカード

 妻がスーパーのバナナを買ってきた時、販売員に「バナペン」なるものをもらってきたのを見せてくれた。なんでもバナナに一言書けるペンで、インクは食用酢で作られているので、害はないと書いてある。ペンを包装してある紙にはバナナの皮に「がんばって!」とあった。このバナナでも食べて、もう一踏ん張り、と励ますということみたいだ。最近こういうのが流行っているのだろうか。

 川本三郎さんが美術館などに行った時沢山のポストカードを買い、それで手紙を書くとあった。だからポストカードを集めていて、その中から、この人に出す葉書はどのカードにしようか、と考えるのは楽しい、とあった。
 私も美術館などで絵を見に行った時は、必ず数枚ポストカードを買う。買うのはいいのだけれど、ほとんど袋に入れっぱなしで、たまに百均で買ってきた写真立てに入れて、本棚に飾るぐらいだ。
 ふと気になったので、買い込んだカードがどのくらいあるのか、引っ張り出してみた。手元には二十枚くらいあった。ユトリロ、ゴッホ、ムンク、ブリューゲル、フェルメール、レンブラント、ラ・トゥールなどなど。
 これらを使って葉書を出すのもいいなあ、とは思ったが、出す相手がいない。文章を書くのは好きだから、相手を思いつつ何か書けるだろうが、もらった方は「なに、急に?」と戸惑うんじゃないか、と思ったりする。それに「重っ!」なんて思われたら、何も出来なくなる。せめて年賀状みたいに誰でも葉書を書く時ぐらいしか、人にものを書いて渡すことなどできない。
 今はSNS流行で、長々と書かれたものは敬遠されるような気がする。せめてバナナの皮に「がんばって!」と書くのがいいのだろう。簡単な一言添えることのほうが喜ばれるような気がする。なので出したポストカードはまた袋にしまうこととなった。でもたまにはこうして出して眺めるのはいいかもしれない。気分で部屋に飾るのもいい。
 そしてバナペンは孫にあげることになった。


by office_kmoto | 2017-06-05 06:05 | 余滴 | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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