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重兼 芳子 著 『やまあいの煙』

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 たまたま読んでいた図書館で借りた古い本の裏に出版社の広告があった。そこには当時話題になっていた本が紹介され、簡単な話の内容も書かれていた。それを読んで面白そうだな、と思い図書館で借りてみた。
 ここのところ紀行文やノンフィクション、エッセイといったものばかり読んでいるものだから、小説が読みたいな、と思っていたのだ。

 「やまあいの煙」は火葬場に勤める主人公が、介護施設に勤める女性に恋心を抱くが、自分仕事が火葬場で骨を焼く仕事をしていた。しかもこの時はまだ薪で火を付け、その火加減で火葬の状態を確認するといったものであった。骨が焼き上がれば、遺族たちに死者の生前を骨から語りながら、遺族が遺骨を骨壺に収めていく手伝いをし、最後にのど仏をその上に置いて、その骨壺を遺族に手渡す。
 男は自分の仕事に誇りを持っていたが、どうしてもこの仕事は世間から敬遠される。そのことを自らも知っていた。だから女性に自分の仕事を伝えることが出来ず、いざ伝えたら、女はやはり躊躇した。
 ここまではなんとなく予想していたので、このあとどうなるのかな、とそこを話として期待していた。ところが火葬場に自分の子供を失った女が出てきて、悲しみに打ちひしがれる女に男は同情から愛情に変わっていくのである。おいおい、彼女はどうなるんだい、と思いつつ、よく分からない展開で終わってしまっていた。
 これは久しぶりに失敗したな、と思った。

 この本は「みえすぎる眼」「白いブラウス」「組み敷いた影」の三篇が収められている。いずれも戦争がらみで、兄が招集され、主人公である妹と両親の話である。これもどうっていうことはなかった。強いていえば「組み敷いた影」は多少印象に残る。
 若い男たちが招集され、残されたのは年老いた男と女たちであった。戦争が終わり、男たちが復員してくる。すると女は、

 わたしは久しぶりに男を見たので、動悸が止まらない。男がやっと帰ってきたのだ。永い戦争の間、村に男の姿はなかった。なかったのではなく、男を感じさせる人がいなかったのだ。そしてわたしも、自分が女だと特別に意識したことがなかった。夜がくれば朝になるように、わたしの体は単調な動きしかしていなかった。
 青田をへだてて武を見たとき、自分の体の動きの中に、なにかが新しく加わったことを、一瞬のうちに感じ取っていた。男を見たとたん、血の流れが乱れてきて、変わった動きをしはじめている。

 相手が居る。対象があるということで、わたしは自分が女であることを意識しはじめた。内臓から匂いの出る粘液が滲み出て、それが皮膚の表面まで沁み出てくる。

 ドクドクした女を感じさせる文章である。
 昭子の兄の充も復員して来たが、戦争ぼけであった。昭子が男を感じた武とはまったく違う。
 充は戦争ぼけではなく、戦闘にあたり勇気を出させるためにヒロポンを打たれ続け、その後遺症であった。

 わたしは体の底から怒りがこみ上げてきた。なにに向って怒っていいのか分からない。兄に向って怒るには、かわいそうすぎる。兄に注射を打った軍医にか。軍医は上官に命令されたのだ。その上官に命令したのは誰か。上へ上へと辿ってゆくと、一番上の天辺に居るのは誰なのか。
 わたしは、天辺に居た人が群集に向って笑いかけながら手を振っている写真を、新聞で見ていた。「民とともに憂う」と言っていた。一郎がフィリピンに置いてきたたくさんの小指も、埋めてきた死体も、行きたくてフィリピンに行ったのではない。誰かに命令されたのだ。その誰かを上へ上へ辿ってゆくと、必ず天辺にゆきつく。そのゆきついた人がにこやかに手を振っている。なにが「憂う」だ。

 あの戦争で身内を失った者たちは、天皇の姿をどうとらえたのだろうか?天皇を奉る者もいれば、こうしてふざけるな、と思う人たちもきっといたんだろうな、と思った。

重兼 芳子 著 『やまあいの煙』 文藝春秋(1979/09発売)


by office_kmoto | 2017-11-28 06:08 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

北尾 トロ 著 『欠歯生活―歯医者嫌いのインプラント放浪記』

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 トロさんの歯の状態が悪いこと、そしてインプラントで苦労してきた話は、以前トロさんがやっていた古本屋のブログを読んで知っていた。

 この本の話に入る前に、懐かしくなって書きたくなったことがある。初めてブログを始めた頃の話だ。
 私がブログを始めたのは、勤めていた本屋のホームページの管理者となった時だった。内容は本屋の紹介、新刊、話題の本の紹介といったありふれたものだった。ただ現場からホームページに掲載すべきものがあがってこないこともあって、なかなか更新できず、つまらないものであった。これじゃまずいな、ということで、私が読んだ本の感想や、個人的な話を載せることで、何とか体裁を保つことにした。これが私がブログを始めたきっかけで、以来舞台を三度変えて今に至っている。

 そのとき私もちょうど歯の治療をしていた頃で、トロさんのブログに触発されて、私の歯のことを書いていた。だからこうしてトロさんの歯のことが1冊の本となっては読まないわけにはいかないのである。

 「欠歯」とは“けっぱ”と言っている。もちろんトロさんの造語だ。この本はトロさんが30代前半に入れ歯はインプラントかの選択に迫られ、自意識過剰のため、入れ歯は嫌だ、ということで、インプラントを選択する。ところがそのインプラントが悪かったのか、その根元のネジが折れてしまう。以来他の箇所も悪くなり、59歳までにインプラントが7本となった。その放浪記である。

 「ぼくの口内にはインプラントの歴史が詰まっていますから」

 インプラントを最初に入れた歯医者では折れた歯を治すために駆け込んだが、そこでは治療費がインプラント5本で外車が買える値段を提示され、これはダメだとセカンドオピニオンで歯科大病院へ通うことになった。ここでいい医者に恵まれ、最終的にインプラント7本で国産車が買えるぐらいとなった。

 トロさんが歯医者が嫌いな訳を次のように書く。

 できうる限り歯医者に行きたくないという気持ちが、いまだに克服できないでいるのだ。ぼくは歯医者が怖いのである。

 日々コンスタントに使われる歯は、ある日突然調子を崩して痛み出すのではない。徐々に悪化し、異常を知らせるべきとカラダが感じてSOSを発するのだ。たいてい“弱者”にありがちなのは、予兆を感じても見て見ぬフリをする傾向だ。なかったことにしてしまう。そして、いよいよ我慢できなくなるまで放置し、歯医者に駆け込む。その分、悪化しているので治療は長引いたり、痛みを伴ったりする。
 こんな悪循環を長年続けるとどうなるか、虫歯になった箇所を削るところから始まり、詰め物をしたり、金属をかぶせたりして、とうとうボロボロになり果てる。
 根っこまで虫歯にやられた歯、圧力に耐えきれず割れてしまう歯。そして、ついに歯医者の鬼の一声が響く。
 「抜くしかないですね」
 だいたいこんな流れで、“弱者”は歯を失う。自前で何とかならないものかと焦っても、もはやどうにもならない。万事休す。

 トロさんはこの典型だった。そして私も。ただ、歯医者が好きな人がいるのだろうか?

 歯医者や歯科治療に関していい思い出がひとつもないぼくは、歯のこととなると極端に気持ちが萎縮し、徹底的に守りに入ってしまう傾向があるようだ。

 まったく同じ。
 トロさんが専門医と対談しているが、その中で医者は次のよう言う。

 小さいときに受けた治療って、なかなか取り返しがつかないんですよ。小さい頃に悪い治療を受けてしまうと、あとはもう、崩れていくだけなんですよね。

 これを読んだ時、やばいなあ、と思った。私も小学生の頃かなり荒い歯の治療を受けてしまった。というか、ここの歯医者は学校医でもあり、昔は今みたいに歯医者がどこにでもあった時代ではない。母親に連れられて行った記憶がある。
薄暗い待合室、大きな掛け時計、大声を出す医者。手荒い治療。いっぺんに歯を3本まとめて抜かれ、口が血だらけになった。そのトラウマが私にはあり、歯医者はもう出来る限り行きたくない、というのが染みついてしまった。もしこの専門の先生が言うことが事実なら、私の歯が悪いのは、歯の質が悪いところにこの時の治療がおかしかったことが加わっている可能性がある。そしてそれよりもなお、あの時の荒い治療が歯医者嫌いを増長したと思っている。

 もう何年になるだろうか。前歯が折れてしまった時は本当に焦った。それまでいくつもの歯医者に通ってきた。けれどそれは痛みを取ってもらう。あるいは虫歯を治してもらう。といったその場限りの通院であった。なにせもともと歯医者が大嫌いなのだ。
 だいたい歯医者って勤務地に近いところを選ぶことが多いのじゃないだろうか。ところがその勤務地が人生において転々とする。それまで通っていた歯医者には通えなくなる。歯が痛み出しても、また歯医者嫌いが頭をもたげ、そのうち面倒になり歯医者に行かなくなってしまう。
 私の場合こういうことであった。痛みを感じたら、薬で誤魔化してきた。もちろん今みたいにケアもしていない。歯の質は悪い。おそらくいつ折れてもおかしくなかったのだろう。そこに固いフランスパンをかじったことで、前歯が折れた。
 前歯が折れるというのは見た目には最悪である。慌てて近所の歯医者に駆け込んだ。その時インプラントの話が出た。1本30万円だった。さすがにこれにはびびった。そこでセカンドオピニオンとして選んだのが今通っている先生のところだった。
 先生が見るところ、折れた前歯の根元はしっかりしている。だから差し歯で大丈夫だろう。ただ前歯は保険が利かない。1本10万円となった。そして何よりもこの先生が強調したのは、日々の歯のケアであった。「人間死ぬまでに自分の歯が何本残っているか。それが大切だ」と言ったのである。これが今でも記憶に残っている。だからそのケアを助けるから、今後もメンテナンスに定期的に来て下さいとも言われた。

 これが昔のブログの中で書いた私の歯の歴史であった。
 このブログは本屋が閉店してしまったので閉鎖され、私の“歯医者の遍歴”も途中で終わった。
 以後簡単に書けば、しばらくこの先生のところへ通っていた。決められた検診にも最初は真面目に行っていたが、そのうち忙しくなって、歯医者に行く間隔が延びていく。だんだん面倒になっていたら、この先生がやっている歯科医院の廃業の知らせが届いた。
 でも前歯ちゃんとくっついていて問題はないし、先生に言われたように毎日きちんと歯のケアもしていたし、歯痛で悩むこともなかったので、まあいいや、とまた思ってしまった。
 ところがその前歯が取れてしまったのである。またまた焦った。かかりつけ医を失っていた私は、どうすればいいのか。この先生を探した。たまたま先生がやっていたブログがあって(だいぶ更新されていなかったが、サイトは残っていたのである)それを見つけた。
 先生は自分の歯科医院を廃業した後、他の歯科医院に勤めたようで、そのことが書かれていた。すぐその歯医者に電話すると、辞めたと言われた。ただ内幸町でまた開業したと聞いている、と教えてくれたので、さらにネットで調べると、内幸町で先生は開業していた。メールで昔お世話になったものだが、先生が付けてくれた前歯が取れてしまいました、と書いたら、先生は私のことを覚えてくれていて、すぐ来て下さいという返事をもらった。
 当時私の勤務地は秋葉原であった。新橋からあるいて20分ほどで内幸町に行ける。会社から通うには問題ない距離だ。すぐ先生のところへ行き、外れた前歯を付けてもらった。以来この歯は現在もちゃんとしている。そしてまた定期的に検診へ通うことする。その都度、小さな虫歯など治してもらい、歯槽膿漏のケア等してもらう。
 ところがこの先生、また内幸町の医院をまた閉めてしまう。さすがに呆れてしまった。この先生放浪癖があるのかもしれない。ただ今度移転して来たのは、私の地元でもあった。私も会社を辞めているので、これは助かった。
 あちこち移るのにはそれなりのわけがあるのだろうと思うことにした。少なくとも私の歯を何とかここで食い止めてくれているのはこの先生だし、なんと言っても、私の中に死ぬまで自分の歯を何本残せるかを、その大切さを教えてくれたのはこの先生である。そして先生のところへ通うようになってからは、歯を失っていない。差し歯もいつも見てくれている。今は半年に一回検診に行き、状態をチェックしてもらっている。
 ちなみに私は入れ歯であるが、それもいつも状態を確認してくれている。

 トロさんは大学病院でいい先生に出会った。こういう風に良い先生に出会えることが、歯に限らず、からだのケアには必要だ。からだのあちこちにガタガ来ているので特にそう思う。

北尾 トロ 著 『欠歯生活―歯医者嫌いのインプラント放浪記』 文藝春秋(2017/05発売)


by office_kmoto | 2017-11-24 19:33 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

岡崎 柾男 著 『洲崎遊廓物語 (新装版)』

d0331556_06250462.png 昭和31年まであった遊郭に興味があって、数冊その頃の遊郭の話を読んできた。興味があるのはそこのある生臭い人間の匂いとでも言おうか、したたかに生きる男と女が垣間見られるからである。いずれ、これまで読んできたかつての玉の井、鳩の街、そして今回読んでみた洲崎を歩いて見たいな、とも思っている。私が見たいのはかつてあったその片鱗を、残っているなら見てみたい、と思っているのである。その点吉原は今も現役であり、それほど興味はない。
 洲崎は根津遊郭から移ってきた。移ってきた理由は森まゆみさんの本で知った。


 明治十七年に根津遊郭が営業停止の通達が出る。理由は、


 頭ごなしやめろと命令した理由は、廓から見あげる位置に、各地に分散していた東京帝国大学が統合移転するに加えて、第一高等学校も来ることが決定したため、風教上好ましくないと結論が出たことによっている。
 なんのことはない、学生たちの勉強している目の下で、女郎屋の嬌声がしては困るので、どっかへ行けというわけである。そういうご本尊の役人たちが、まっ先かけて女郎買いにうつつをぬかしていたのだから、世話はない。
 遊郭への社会の風あたりはだんだん厳しくなり、行政も歩調を合わせ、翌年三月九日より、遊郭が遊興を勧める目的の広告を出すことも全面的に禁止してしまった。が、根津遊郭の業者たちに対しては、ちゃアんと代替地が与えられた。
 東京府の二ヶ年継続事業として、石川島の監獄の囚人たちを使役して、深川入舟町先の海岸の埋立て工事を十九年六月に取りかかり、二十年五月には大方の完成をみたが、総坪数七万坪(『深川区史』)と称される。ここに移転先に決まった。


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 これが洲崎遊郭となる。ちなみに石川島の監獄はあの鬼平犯科帳の長谷川平蔵が提言して作られた石川島の人足寄場で、明治になって石川島監獄署(所?)となり、のちに巣鴨監獄へとつながっていく。
 森まゆみさんの本では、日本の将来を担う学生が根津遊郭に通っちゃうのはまずいからという理由だと聞いたが、通った奴もいたんだろうし、眼下でうんつくうんつくやっている声が聞こえてきたんじゃ、そりゃあまずいわなあ。面白いのは根津の移転を進めた役人もここに通っていたことがこの文章で知ることが出来る。
 ちなみにここに移ってきたのは、


 根津より移転して当座の妓楼は、八十三軒(百三軒ともいう)。引手茶屋が四十五軒で、盛装した総計九百七十四人の娼妓が、あでやかに見世を張った。飲食店も二十九戸進出し、雑業というのが二十三戸、合計二百三戸であった。


 俗に“吉原大名・洲崎半纏”なる言葉がある。吉原はやはりそれなりにしきたりやお金がかかる遊郭である。それに対して洲崎は職人が客として多かった。


 洲崎では、職人姿が幅をきかせた。かつて洲崎遊郭で遊んだという老人たちに聞くと、口を揃えたように職人の恰好をしていないと場違いな感じがした時期もあった、という。
 「職人が手間をまとめて手にするには、一日と十五日で、この日は、夕方早々と界隈の食堂は、どこを覗いても満員でしたね」と、きわも語っている。
 洲崎の廓の名物のようなのは、もう一つ木場の川並の、いなせな恰好だった。


 戦前までは、原木を扱う材木問屋は、大きな貯木場を近くに持っており、そこへ客を案内するための四、五人乗りの小舟を店の裏に繋いでいた。夕方、仲のいい隣の店の番頭と表で目が合った。
 「おう、涼みィ行こうじゃねえかッ」(既に廓をぶらつくという意味を含んでいる)
 「いいねえ、普通じゃつまンない、うちの舟で、行きましょうやッ」
 「よし来た、棒(棹)持って来い、ばんこ(交代)で漕いでこうや」
 「おい来た!」
 こんな調子で大和橋から、いくつも橋をくぐり、沢梅橋下から洲崎神社を右に見て、弁天橋を過ぎ、西須崎橋下を漕いで海っ側へ出て、岸壁に着ける。
 『ふっふっふ……この途中がたまンないですよ、西須崎橋のちっと手前っから岸壁に行くまでの間がね。左側は、ずらアっお女郎屋が建ってる。河ンとこまで、いっぱいに建ってんですが、どこも裏だから、台所とかね、風呂場ンなってる。うふっ……ちょっとね、まだ遊ぶめ前の、夕方近くンなると、みィんな、ね、あんた、湯にはいる恰好(なり)してたり、裸ンになって化粧したり、ね、してんですよ。ハハハハ……こっちゃこいつがお目当だ。ね、“おゥい”なんて声かけっと、“あらァ、今晩いらっしゃいよう”だ。“ああ、登楼(あがる)よう”なァんて返事しちゃたりね、アッハッハァ、面白かったなあ。河岸っぷちは、ケコロですよ、きどってないんです。そうやって一廻りして帰ってくンですよ』


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 ちなみにケコロとは、


 大見世とは対照的に、大門をまっ直ぐ突き当たった堤防沿いの見世は「けころ」と呼ばれ、最下層の扱いを受けていた。これ、蹴っ転がすの略。つまり、どうしようもない不器量の女とか、顔の皺が目立つ大年増などの溜まり場であった。
 ときには、地方の遊里で心中未遂を引き起こした、生き残りも流れ着いていたそうだ。


 だからだろうか、洲崎は吉原と比べて、華やかさとかきらびやかさはなかったようだ。野口冨士男は作品で次のように書いている。


 『洲崎中でも最大の娼家ではなかったかと思われる、とてつもなく宏壮な妓楼は山間の寺院のようにしいんとしずまりかえっていて、薄暗い電燈の光をにぶく吸っている藤のうすべりを敷いた一間幅の廊下を遣手婆さんにどこまでも案内されていっても、人間の気配はまったく感じられなかった。そして敵娼がくるまで床に入って天井をみあげていると、遠浅の海に寄せては返しているらしいかすかな波音が低くきこえてきて、わずかに泥臭のまじった潮の香がした』


 また木村荘八は、


 『通りの真中に打渡したコンクリートの道幅が大層広くその両側の、娼家の造りをした家並みが、また大層低く比較的暗い、そのくせ惻々として町全体に物憂いやうな、打っちゃりはなしたやうな、無言のエロティシズムが充満してゐる。それが吉原や新宿あたりのやうにぱっとしたものではないだけ――一層空も暗くどんよりとした日の、この町にはそれは誂へ向きのバックだらう――』

『何しろこの遊郭の印象は何処も彼もヘンに森閑として薄暗く陰気でゐて、そのくせぬるい湯がわくやうに、町のシンは沸々と色めいてゐる。――ちょっと東京市内では他に似た感じの求めにくいものである。ぼくの乏しい連想でこれに似た感じのところは、京都の島原。それから強いていへば阿波の徳島の遊郭、三浦三崎の遊郭。さういうものに似てゐる。市街地からエロティシズムだけが隔離して場末の箱に入れた感じだ。色気が八方ふさがりの一画に封じ込まれた為の、町が内訌してゐる塩梅だらう』


 と書いてる。どうやら洲崎は海に近いための寂寥感が町全体に漂い、他の遊郭とはちょっと違う雰囲気のところだったようだ。
 本は、かつてここで働いていた人を訪ね、当時のことを聞いて、そこに歴史的背景を書き加えている。遊女から遣手婆にそして遊郭経営者となった女性の話。ちなみに遣手婆とはもともと遊郭で遊女の指導・手配などをする女性のことで、「いい娘いるわよ」と呼び込みをしている中年女がこれにあたる。


 「おばさんになれる、なれないは、ガンキが使えるか使えないかなのよ。これをね、花魁の、おまんちょの中へいれて、内がどうなってっか分かって始末できなきゃ、役目果たせないのよ」
 娼妓たちの“商売道具”である股間を、おばさんは毎朝、客がいなくなた後、念入りに調べる。これはちょっと揚げた客(性病が)怪しいなと思った時にも行なうが、娼妓に着物をまくらせ、股をいっぱい広げさせてから、膣の中に産婦人科の医師がやるように、まるでアヒルの嘴に似た形をしているガンキという器具を差し込む。
 「出来物はないか、あそこの色合いは変じゃないかって見てね、悪いものがあると、ガリガリガリ洗うのよ。白帯下取ってやったりね。しぼるんだよ」
 ガンキは、週に一度、廓内にある警視庁洲崎病院の性病検査に出かける前にも使った。


 ガンキは病院以外使うなというお達しがあり、使っていたことがばれると取り上げられ、楼の主人が呼び出され、叱られた。
 病院の医師の検査もかなりいい加減であったらしく、煮沸されていない器具を使い回したり、扱いも乱暴であったという。言いたいことを言う医師もいて「おお、ずいぶん稼いだなあ」とぬかす医師もいたらしい。
 洲崎病院では、廓内の娼妓(公娼)のほか警察の取締りの網にかかった私娼の検査も行なった。私娼たちにはかなりひどい状態の女たちがいたが、だからといって公娼の女は安全かといえば、そうでもなく、検査を誤魔化すために、女たちに様々な細工をしていた。検査に引っかかれば彼女たちは商売が出来ないため、売上にも影響するからである。
 娼妓が入院までいかなくても、過労などで自宅療養扱いで接客出来ないのを「床養生」というが、そんなとき馴染み客が来ても、一つ蒲団に寝るものの肉体関係は結ばなかった。中にはこれを粋としたらしいが、遣手婆はそんな男をコケにする。


 「バカだよ、やせ我慢して、チンポコおっ立っちゃてさ、ただ寝でンだよ。昔は手で(欲望の)始末してやるってこともしなかったしね。それでも金は取られるんだよ」


 でもこういう時に娼妓に好きな食べ物など送って点数を稼ぐしたたかな男もいた。


 馴れない妓には、おばさんが性技のテクニックを伝授することがあるが、性病と避妊の予防の仕方だけは、堅気からはいった妓にはかならず教えておく。その方法は、男が射精したら、さとられぬように腰をひねって下半身を下向きにさせ、同時に股を開いて膣の中の物を押し出すように息む。そうすれば精液が流れでるから安心だという原始的なものであった。


 こんなことで避妊が完全にできるとは誰も信じていない。だから一刻も早く階下にある洗浄場へ急ぎたいのだが、すぐ客の元を離れてはつまらないだろうと気立てのやさしい女は妊娠する。

 ここにも戦争が影を落とす。兵士が一夜の夢を買いに出かけてきた。日中戦争が泥沼化していくなか、


 兵隊の姿が目立つのは日曜日である。所属する中隊に外出許可をもらい「登楼届」というのを出し、勇んで廓へやって来る。
 「兵隊、衛生サック持って来ンです。突撃一番っていう、先っちょに乳首のない奴。ほいで、にっこにっこして来ンですわ」
 スキン製造メーカー岡本理研ゴム(株)取締役・穴倉富士雄著『突撃一番(スキンの歴史)』(未来工房)によると、太平洋戦争に先立つ昭和十三年、スキンメーカーは軍需工場の指定を受け、兵隊用スキン増産にせっせと励んだ。陸軍用を「突撃一番」、海軍用を「鉄カブト」と称したが、スキンの特長は「先端に性液だまりのない、私たち言う“ボウズ”というやつだったはず」だそうな。その前は、現在、多数派に愛用されている、こけし型と似ている性液だまりのあるタイプだった。
 “ボウズ”が造られた理由は、穴倉の調べによれば、中国大陸へ侵攻した日本軍の若い兵士の間に猛烈な勢いで梅毒が広がり、これに驚いた軍部が、戦地に軍医を派遣して調べたところ、スキンの使い方に問題があったので、あわててメーカーに改良を命じた。
 二十歳で徴兵された若い兵士には、童貞が多く、またスキンの使用方法もろくに教えられていなかったので、性液だまりを余して男性自身に装着することを知らなかった。それで先端までぴったりと押し込んだために、激しい性交中にスキンが破れ、病気をもっていた娼妓から感染させられてしまったというわけである。以後、軍の上層部の命令で、軍隊に納入するスキンは、ボウズ・タイプと決められた。


 「日曜日は兵隊さんだけで、一般人は登楼できないよ」と言う状態で、日中戦争が起こってからは遊郭までも軍隊が“買い占め”た、暗い日曜日だった、という。それにしても“突撃一番”とはすごい名だ。


岡崎 柾男 著 『洲崎遊廓物語 (新装版)』 青蛙房(2013/10発売) 青蛙選書


by office_kmoto | 2017-11-22 07:29 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成29年11月日録(上旬)

11月1日 水曜日

 晴れ。

 常盤新平さんの『酒場の風景』を読む。


11月2日 木曜日

 晴れ。

 整形外科に首の牽引へ行く。

 午後より孫の写真をプリントアウトし、アルバムを整理する。デジタル時代にアルバムを整理するのは時代遅れかも知れないけれど、やはり写真はいい。
 今はパソコンでトリミングも簡単にできる。昔は暗室に籠もって、引き伸ばし機からピントを合わせ、あれこれやっていたのがウソみたいだ。

 あと今日は読んだ本のことについて書く。やっと書く方が読むのに追いついた。

 
11月3日 金曜日

 晴れ。

 朝方雨が降ったが、夜明けには止み、天気となった。

 佐川光晴さんの『ジャムの空壜』を読む。


11月4日 土曜日

 晴れ。

 孫と娘が来る。


11月5日 日曜日

 晴れ。

 娘が午前中出勤なので、孫の面倒を見る。近所の公園に散歩がてら連れて行く。


11月7日 火曜日

 曇り。

 立冬なのに暖かい。


11月8日 水曜日

 曇り。


 常盤 新平さんの『たまかな暮し』を読む。


11月9日 木曜日

 晴れ。

 整形外科へ首の牽引へ行く。


11月11日 土曜日

 曇り。

 孫と娘が来る。一緒に松ぼっくりでクリスマスツリーを作る。


11月12日 日曜日

 晴れ。

 夕方孫たちは帰って行った。
 メールを確認すると、講談社BOOK倶楽部からメールがあり、加賀恭一郎シリーズの「祈りの幕が下りる時」が映画の試写会が抽選で当たるというのを読んで、応募してみた。当たらなくても構わないが、このシリーズは大好きだ。「麒麟の翼」は何度ビデオで見たことか。
 またこの原作を読みたくなった。

 孫は昨日作った松ぼっくりのクリスマスツリーがえらく気に入ったようで、家に持ち帰った余った松ぼっくりで今度は自分一人で同じツリーをすぐ作ったそうだ。
 そうそうちょっと遅くなったけれど、今年もチューリップの球根を孫と植えた。


11月13日 月曜日

 晴れ。

 半年ぶりに歯医者へ検診に行く。歯石と歯のクリーニングをしてもらう。これはここの歯医者に来る度にやってもらうが、やってもらった後は気持ちがいい。
 昔詰めてもらったものがだいぶ劣化して来ていて、隙間が出来はじめているという。そのため来週それを取りのぞいて新しく詰め直すことになった。放っておくと後でひどいことなるからその方が良いとのこと。
 治療が終わって帰り際、先生に「お元気そうですね」と言われ、「ありがとうございます。細々と生きています」と答えると、二人して笑った。
 昔は会社帰りに駆け込んで、ギリギリ予約時間に間に合ったことを思い出す。そんなサラリーマン時代からお付き合いさせてもらっている。もう20年近くの付き合いになるかと思う。
 常盤新平さんの本を読んでいると、やはり長い付き合いの歯医者や針治療へ電車を使って通っていることがエッセイによく書かれる。それと同じで、電車には乗らないが、バスで地下鉄の駅まで行き、この先生ところへ通う。
 今も昔と変わらず、丁寧な説明とケアをしてもらっている。だから自分の歯のことは安心してこの先生に任している。
 そういえばかかりつけの病院が歳と共に増えていっている。胃腸科、整形外科、眼科、そしてここの先生。これ以上増えて欲しくないなあ。


11月14日 火曜日

 雨。

 読みたくなった東野圭吾さんの『祈りの幕が下りる時』(講談社2013/09発売)を一気に読み終える。
 今回読んでいて、これは松本清張の『砂の器』の世界だなと思った。これは過去の出来事を引きずった悲しい物語だ。その点がよく似ている。
 ここのところいろいろあって本が読めなかったし、本を読む気分にもなれなかったので、これでまた本を読む生活に戻れそうだ。


by office_kmoto | 2017-11-20 13:42 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

川本 三郎 著 『パン屋の一ダース』

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 「パン屋の一ダース」とは英語で“Baker's Dozen”のことで、一ダースより一つ多いこと、つまり13個のことだ。語源は諸説あるらしく、昔パン屋が一ダースといってうっかり11個しかパンを売らなくて、1個誤魔化したとして罰せられた。ならば1個多くして間違って1個少なめに売っても1ダースだから問題ない。そこから生まれた言葉らしい。要は“おまけ”である。
 ということでこのコラムは一回の掲載に、いくつものテーマをならべて書いている。元々は雑誌「ダカーポ」に連載されていたらしい。「ダカーポ」は小型の情報誌といえばいいかと思う。難しいニュース内容を短時間でわかるように説明したものを載せていた。たぶんもう今はないんだろうな、と思って調べてみたら、2007年12月で休刊していた。
 そんな雑誌に連載してたコラムである、バリバリにアメリカ文化を紹介している。本文はカタカナばかりである。カタカナを抜いたらページは3分の1になっちゃんじゃないかとさえ思える。
 ここには最近読んできた川本さんのエッセイに見られる昔の日本映画の話は一切ない。大好きな川本さんの下町の風景描写やその歴史の話もない。むしろこんなコラムを書いていたんだ、とさせ思ったくらいである。あとがきに次のようある。

 身辺雑記エッセイというのは得意ではない。なるべくなら本や映画や芝居……、対象のことを語りたい。自分のことより自分が好きになった作品のことを語りたい。

 別に揚げ足を取る訳じゃないが、最近は身辺雑記にいい味を出している川本さんである。その人が若い頃(といってもこの本が出た頃はもう四十代であったはずだ)こんなことを言っていたのである。好き嫌いは好みの問題だが、少なくとこの時期の川本さんの書かれる文章にはどこか衒いを感じるし、川本さんの“味”でもある控えめも感じられない。むしろ読まなければ良かったかな、とさえ思ったくらいだ。

 “懐かしさ”とか“思い出”は若い頃は年寄り臭くて嫌だったがいまは逆に「人は思い出を作るために生きているのではないか」とその倒錯を楽しむようになった。こんな無味乾燥な現代でも十年たてばグッド・オールド・デイズになるかと思うと何だか楽しい。

 確かにそうなのだが、この時期の川本さんがこれだけアメリカものをガンガンにカタカナを使って紹介している時に、こんな台詞を吐くのは嫌味に聞こえた。グッド・オールド・デイズというのも嫌らしい。

 それでもいくつか面白いものもある。
 映画『マルサの女』である。

 『マルサの女』は逆に後味が悪かった。こんなにみんなが税金にハラを立てているときに税務署PR映画を作る神経がしれない。

 どうやら川本さんは税務署とやり合っていたようである。映画は面白かったと思うけれどなあ。
 もっとも私も会社で税務調査で二度ほど税務署とやり合ったことがある。忙しいのに2年度分の資料、領収書等を用意させられ、会社の事業内容を分かりもしないくせに細かいこと突っついてくる。こちらはやましいことは一切していないので、伝票も資料も領収書もきちんと日付順にファイルしてあるから、どうぞ調べて下さい、といった感じでふんぞり返っていた。
 最初の時は会社から何も出て来ないものだから、手ぶらで帰る訳にもいかなかったのだろう。お土産をもらえなかったので、社員の所得税徴収までいちゃもんを付けてきたのを覚えている。このときは二日立ち会いに付き合わされた。二回目も二日の予定だったのが一日で終わった。確かこの時は「申告是認」をもらったはずだ。当たり前だ。
 税務調査が終わると、伝票や資料、領収書などを入れたダンボールをかたづけるのに一苦労で、あいつら散々かき回して、はいおしまい、で帰って行く。一言「お忙しい中お手間をかけました」と言えないのか、と思ったものだ。

 そして本を勉強のために読む“ガリ勉型読書家”ではなく、時代の風潮や流行にとらわれず自分の趣味のおもむくままに本を楽しむ“エピキュリアン型読書家”であることが必要だろう。

 本を読む楽しみはこれでいいと思う。

 東京の温泉では麻布十番温泉や馬込温泉が有名だが私は墨田区の両国駅から歩いて十分ほどにある御谷湯が気に入っている。東京の正統な温泉らしくコーラ色の湯だ。

 昔忘年会だったと思うが、新宿十二荘温泉でやったことがあって、そこの温泉に入った。それまで温泉とはせいぜい白濁しているものと思っていただけに、湯の色がコーラ色だったにものすごく驚いた覚えがある。

 飛行船に乗るのはもちろんはじめて。埼玉県桶川にある荒川の河川敷が飛行船の乗船場。そこからふわりと浮上し、三百メートルの上空を時速約七十キロで飛んでいく。

 そう言えば飛行船は本当に見なくなった。以前何かで読んだが、今は日本に一機しかないといっていたと思ったが。しかし上空三百メートルじゃスカイツリーにぶつかっちゃじゃないか。

 なぎら健壱によればこのカタ屋は東京にしかなかったらしい。いまは一人しかいない。江東区の森下公園にときどき店を出すという。こんど探しに行ってみよう。
 この本を読んで長年の疑問がひとつ氷解した。もりそばとざるそばの違いである。あれはただののりの有無の違いかと思っていたがそば好きのなぎら健壱によるとそうではなくツユの違いなのだという。ざるのほうがツユが高級品なのである。そうだったのか!

 カタのことについては増田みず子さんの本の時書いた。あれは東京にだけあった子供の遊びだったんだ。
 それとざるそばともりそばの違いは、私もそばの上に海苔がのっているかどうかの違いだとずっと思って来た。まさかそばつゆも違うとは知らなかった。
 幼なじみに日本そば屋を継いでいる友人がいるので、機会があったら聞いてみたいものだ。

川本 三郎 著 『パン屋の一ダース』 リクルート出版(1990/02発売)


by office_kmoto | 2017-11-03 06:54 | 本を思う | Trackback | Comments(0)

平成29年10月日録(下旬)

10月17日 火曜日

 雨のち曇り。

 胃カメラ検査。何だか検査をする度におかしなところが検査表に記載されてくる。


10月18日 水曜日

 晴のち曇り。

 久しぶりに太陽を見る。なんでも東京では4日連続日照時間0時間だったそうだ。そしてまた明日から天気が崩れるという。
 というわけで貴重な晴れ間を使って蒲団を干し、庭と玄関先の掃除。その後部屋の掃除もする。扇風機も掃除をしてしまい込んだ。さすがにもういらないだろう。
 図書館で予約しておいた伊集院静さんの新刊、と色川武大さんの未収録エッセイ集を借りてくる。なんとこの三冊私が初めて借りたようで、まだスピンがページにきれいに挟まったままであった。色川さんの本が4,200円、伊集院静さんの本が上下で3,200円、計7,400円が無料で借りられる。いきなりこれを購入するにはちょっと勇気が要るから、やっぱり図書館は有難い。
司馬遼太郎さんの『司馬遼太郎が考えたこと』5巻を読み終えたので、さっそく色川武大さんのエッセイ集から読み始める。


10月19日 木曜日

 雨。

 冷たい雨が降る。最低気温が9.9度だったという。

 夕方元同僚からLINEが入る。同じ同僚のことを知っているか、という話。何か嫌な予感がして、折り返し返事をしたら、亡くなったという。しばし呆然とする。まだ若いのに、何故?というのが頭によぎる。
 明日町屋斎場でお通夜とのこと。参列することにする。


10月20日 金曜日

 雨。

 Kさんの通夜に参列する。彼女は勤めていた会社が経営していた調剤薬局で医療事務員をやっていた。それ以外に薬局の雑務をやってもらっていた。今から思えば、薬局長を除いて、私はそんな彼女を連絡役として、一番会話をしていたと思う。やさしい人だった。
 会社の経営が行き詰まり、薬局を閉局しなければならなくなった。その最後の日、「お茶の水店の同窓会みたいなものができたらいいですね。みんな集まって……」と彼女が言っていた。薬局のみんなが解雇され、私もその半年後、解雇された。
 あの最後の日から未だ同窓会は行われていない。もちろん彼女とも会っていない。そして再会が今日になり、しかも彼女の遺影となってしまった。享年49歳という。残念で仕方がなかった。


10月21日 土曜日

 雨。

 大型の台風が来ているので、明日の選挙へ行くのは大変かな、と思い、ニュースでも期日前投票を勧めているので、じゃあ行ってみるか、と近所の区民館に行ってみると、まず車が縦列していて、駐車場に入れない。さらに投票をする人が雨の中外で長蛇の列で並んでいる。これは投票どころじゃない、と諦める。
 夕方のニュースでも期日前投票が大変な混みようで、まるで人気アトラクションを待つ列のようだと言っていた。まさしくその通りであった。
 天気が悪化する中、こうなることがわかっているのだし、しかも期日前投票を勧めているなら、その対策をすべきじゃないか。このあたりが役人のやる仕事である。言うだけ言ってその後の対策は何もしない。
 明日の天候次第では、棄権も考えている。

 色川武大さんの『戦争育ちの放埒病』を読み終える。


10月22日 日曜日

 雨。
 台風21号が接近しているため、強めの雨が降る。東京にもっとも接近するのは明日の朝という。ということで今回選挙は棄権する。
 夜開票速報を見るが、やはり自公が圧勝だった。そして鳴り物入りの希望の党は失速し、希望の党に排除された立憲民主党が野党第二党になりそうだ。これもやっぱりと思った。民進党を離党して希望の党に入った“選ばれた人”はこれからどうするんだろう?

 伊集院静さんの『琥珀の夢―小説 鳥井信治郎』上巻を読み終える。以外に面白い。


10月23日 月曜日

 雨のち晴れ。

 朝方台風がもっとも接近し、大雨強風となったが、通過後台風一過となった。

 伊集院静さんの『琥珀の夢―小説 鳥井信治郎』下巻を読み終える。


10月26日 木曜日

 晴れ。

 整形外科に首の牽引に行く。


10月27日 金曜日

 晴れ。

 神田神保町の古本祭りに行く。毎年行っているので、楽しみにしていたのだが、ここでは何も買える本はなかった。
 三省堂の中にある古書館で山口瞳さんの本を買う。この本は以前行ったとき、目を付けていた。もし今日、売り切れていれば仕方がないと思っていたが、まだ売れずにあったので購入する。その後新刊の平台をザッと見て、隣にある古書かんたむで、色川武大さんの文庫本も購入。
 そのまま秋葉原まで歩き、ブックオフで佐伯一麦さんの欲しいと思っていた本が200円で売っていたので、すぐ購入。
 さらに自宅の近くにあるブックオフでこれも目に付けていた常盤新平さんの本を買って帰った。


10月28日 土曜日

 雨。

 また台風が来るらしい。

 司馬遼太郎さんの『司馬遼太郎が考えたこと』の6巻を読み終える。


10月29日 土曜日

 雨。

 台風の影響により雨が強く降る。このため一日中家にいて、パソコンで文章を書いたり、本を読んだりして過ごす。時たまテレビを付けて台風がどこに居るのか確認する。

 読んでいる本は佐伯一麦さんの本だが、この本は図書館で借りて読んでいる。ここのところ図書館で借りて、良かった本を古本で買って(大概が古い本なので本屋にないから)自分の本棚に置く。そしてそれを再読することが多くなった。一昨日古本祭りで買った本もやはり図書館で借りて、手もとに置きたいと思った本たちであった。
 こういう本の買い方、読み方をするとは考えていなかったが、本棚も一杯になりつつあるので、これはこれでいいような気がする。自分のお気に入りの本が本棚に並んでいるのを眺め、悦に入っている。


10月30日 月曜日

 晴れ。

d0331556_06102555.jpg 佐伯一麦さんの『とりどりの円を描く』を読み終える。これも以前図書館で借りて読んで、手元に置いておきたいと思って求めたものだ。
 この本は読書エッセイである。読んできた本を紹介するのだが、ストレートに本の話になるのではなく、日常の出来事から、思い出した本を語る。
 こういう話の中で出てきた本というのが案外気になる。私は本の中で紹介された本に結構興味を持って、次読んでみようと思い、読む本の幅が広がってきた。今回もちょっと読んでみようかな、と思った本が数冊あり、明日図書館に本を返しに行くので、その時借りてこようと思っている。


 昨年の秋、文芸誌の小さな記事で、結城信一の全集が出たことを知った。未知谷という馴染みのない出版社からで、全三巻だという。ああ、いい全集だろうな、と思った。以前八木義徳氏が、「全三巻の全集を持つことが、我々の文学世代の人間にとっては、夢だったんだよ」とおっしゃっていたことも頭にあった。


 この一文を読んだとき、全三巻の全集といえば、青土社から出ていた『原民喜全集』のことをふと思い出した。
 大学時代読みたいと思い手にしたのだが、結局読めず、後で読もうという気にもなれなかったので、売ってしまった。時たま古本屋で見つけることがあるこの全集は、やっぱり売らなければよかったと後悔する本であった。
 全集だからページ数もあり、大判の持ち重りのする白いケースに入った、シンプルだけどいい装丁の全集だった。そして今なら読めるのにとも思うものだから、余計に後悔の念にさいなまれる。

 今日は東京木枯らし1号が吹いた。午後より叔母の見舞に妻と行く。


10月31日 火曜日

 曇りときどき晴れ。

 ボールペンを処分した。ペン立てにあるボールペンのほとんどが、勤務していた頃に製薬会社からもらったノベルティグッズとしてのボールペンである。
 もともと文房具大好き人間なので、目新しいものが来るともらって来ていた。それがたまりにたまりものすごい量になっていた。ペンなど書けるものが数本あればいいのだが、ついつい捨てられず、仕事を辞めてから何度か処分したのだが、それでも20本から30本くらいある。
 それでいて普段使っているボールペンは決まっていて、先日などインクがなくなったのでわざわざ替え芯を買ってきて使っている。捨てるほどボールペンがあるのにである。それに使うといっても、せいぜいメモ書き程度にしか使わないのだから、そうそうインクが減るわけもない。何か書く時は万年筆を使う。
 買えばそれなりの値段がするはずだが、思いきって捨てることにした。捨てるのは今使っているボールペンは除き、それ以外製薬会社の名前の入ったものとする。
 それでも10本くらい残ったか。まあいい。

 図書館に本を返しに行き、いつもの通り予約していた本を借りてくる。

by office_kmoto | 2017-11-01 06:13 | 日々を思う | Trackback | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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