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12月31日 日曜日

 曇り。時々みぞれ。

 年末に最後に読もうと思っていた伊集院静さんの『なぎさホテル』を読み終える。何度読んでも好きな作品だ。
 そしてこの本を読み終え、2013年から使い続けて5年連用日記日記の最後にこの本を読んだことを書いて、この日記を終える。
 この日記にはこれまで読んできた本、新たに買った本の書名が書いてある。単にそれだけなのだが、5年も愛用していると愛着がある。こうしてページをパラパラめくってみると、結構いろいろな本を読んできたんだな、と思う。そして全く記憶に残っていない本もあり、それが本のせいなのか、それとも自分の記憶が衰えているためなのか、よくわからないが、そうした本もある。だからこうして読んだ本を記録している。
 そして新しい5年連用日記を用意する。これは2022年、66歳まで使うことになる。5年後どうなっているかわからないが、この間果たして何冊の本が読めて、何を思うのか楽しみでもある。

 さて、今年も今日で終わりだ。この1年私にとって最悪の年といっていいくらい、悪いことばかり続いた。来年は少なくとも今年よりいい年であってくれればいいなあ、と思う。

 この1年このブログにお付き合い願ってありがとうございました。また来年も同じように続けて行くつもりなので、よろしくお願いします。


by office_kmoto | 2017-12-31 16:55 | 日々を思う | Comments(0)

平成29年12月日録(下旬)

12月16日 土曜日

 晴れ。

 年賀状の印刷をする。

 芝木好子さんの『貝紫幻想』をやっと読み終える。
 エッセイや、評論、ルポ、ノンフィクションなどよく読む方だが、そればかり読んでいると、小説を読みたくなる。今回もその症状が出てきたので、芝木さんのこの本を読んだ。
 
 今年芝木さんを知ったことは、私にとっていい収穫だったが、いずれも後でずっしりくる。この本もいささか重かった。


12月17日 日曜日

 晴れ。

 やっと窓掃除と網戸の掃除が終わる。今年は順調に出来た。大仕事が終わったのでホッとしている。

 デジカメを一眼とコンパクトデジカメを持っているのだが、ちょっとした写真を撮るには一眼の重いカメラを持ち歩くのはきつい。それに一眼を持っていると、いかにも写真を撮りますよ、と仰々しくなり、気軽に写真が撮れないところがある。だからコンパクトデジカメを使うのだが、このカメラのバッテリーがへたってしまったようで、充電してもすぐ電池切れとなる。なので今日、Amazonで互換性のあるバッテリーを買う。純正品を買おうと思ったのだが、どうもカメラが古いためか見当たらない。探していたら互換性のあるバッテリーがあることを知り、買った人のコメントを読んでみても問題はないようなので、使ってみることにした。それに安いしね。
 Amazonでネット注文をしたついでに、ブックオフオンラインで南木佳士さんの古本を1冊注文する。本は108円だが送料が360円取られる。それでも他の古本サイトで買うより半額になるので、これで良し、とした。
 22日には阿刀田高さんの新刊がHonya Clubから届くはずだから、バッテリーと古本、そして新刊本が私のクリスマスプレゼントみたいになる。


12月19日 火曜日

 晴れ。

 午前中中央図書館へ本を返しに行く。今年もよく図書館で本を借りた。とりあえず今年は図書館で本を借りないつもり。予約待ちの本が数冊あるが、これは来年に借りられるかと思う。

 今年最後の胃腸科へ行く。先生に今年もありがとうございましたとお礼を言う。
 その後いつものヨーカドーへ行く。いや今はArioだった。
 隣のシマホで網戸の穴を補修するやつを買う。

 司馬遼太郎さんの『司馬遼太郎が考えたこと』〈7〉を読む。このシリーズ今年中に読み終える予定でいたが、来年に持ち越しとなった。司馬さんの本がまだ未読のもがかなりある。来年は積極的に読みたいと思っている。


12月20日 水曜日

 晴れ。

 山口瞳さんの『月曜日の朝』を読み終える。


12月21日 木曜日

 晴れ。

 整形に首の牽引へ行く。

 年賀状を書いて投函する。


12月22日 金曜日

 晴れ。

 大掃除が終わる。私のクリスマスプレゼントは今日全部届いた。本2冊と、デジカメのバッテリーだ。


12月23日 土曜日

 晴れ。

 午後、孫と娘が来る。ささやかなクリスマス会をする。プレゼントはたまごっちと、家で遊べるテント他お菓子の詰め合わせを、我々と親父から、そして義理の妹からもらってご機嫌だ。
 最近のたまごっちはカラーで、解像度も良く、昔のモノクロで、カクカクしたものでないのに驚く。
 たまごっちが初めて発売されたとき、大人気でなかなか手に入らず、子供たちがほしがったので、秋葉原で闇で買ったことを思い出す。


12月24日 日曜日

 曇り。

 実家の父親のところへ孫たちを連れて行く。昼飯をフォルクスへ食べに行く。孫はサラダバーの枝豆とコーンとちょっと凍った葡萄を好んでそればかり食べていた。でもここを気に入ったようだ。
 夕方、もらったプレゼントを持って帰って行く。もう「良いお年を!」と言われる。そうか、もう1週間と1日で正月だ。


12月25日 月曜日

 夜明け前、雨が久しぶり降ったが、朝は雨も上がり晴れる。

 芝木好子さんの『隅田川暮色』を今度は手に入れた文庫本で読み直す。読み直してみてもいい本だと思った。


12月27日 水曜日

 晴れ。

 佐藤隆介さんの『池波正太郎直伝 男の心得』を読む。


12月28日 木曜日

 晴れ。

d0331556_19243759.jpg 水生大海さんの『ひよっこ社労士のヒナコ』(文藝春秋2017/11発売)を読む。
 社労士の勉強を一時していたことがあって、それでこの本を読んでみた。
 社労士が物語になるのかな、という疑問があったが、読んでみてやっぱりこんなもんか、という感じだった。未消化有給の扱いの話。従業員を辞めさせたい会社側の話。小さな会社での就労規則に、法定通りの育休や産休を与えることが無理な話。年調で添付書類を紛失してしまう話。パワハラの話。残業代が増えるのを抑えたい会社側の話。いずれも中小企業を相手にする社労士事務所で法律と現実のギャップに悩まされる。結局労働者保護の法律は労働者をモンスター化させる。いずれも問題に対処する主人公は自分が派遣で苦労してきたから、労働者の側に立つが、結局問題社員の方がしたたかで、一枚上で話が終わる。同じ話を作るなら、社労士ならではの話が欲しかった。そもそもここにある六つの話は事件じゃない。あまりにもよくある話だ。
 だいたいこういう事務所ないしは事務組合のクライアントは企業であり、企業の顧問をしている。だから立場上普通企業側に立つ。だからこの話のように従業員に個々の話を聞くことは少ないのではないだろうか。それに事務所のクライアントが企業だから、法律を盾に強く言えないところがある。ルールはルールですよ、といった感じぐらいで。この本でもそんなところがあるから、逆にモンスター化した従業員にやり込められるのだ。

 午後から出かける。夕方6時に元同僚である友人と会うためだ。せっかくお茶の水に行くのだから、ちょっと早めに出て、古本屋や三省堂や東京堂で古本や新刊を見てみる。収穫は3冊あった。
 その後、4年ぶりにS図書へ寄ってみる。T君と話す。彼は私より若いのだが、だいぶ老けこんでいて、髪の毛もだいぶ後退していた。本が売れないため苦労しているという。
 村上春樹の『騎士団長殺し』がこけちゃって、思ったより売れなかったと話す。村上さんの本は話題性はあるけど、それがそのまま売上に反映しないようだ。
 O君にも挨拶する。やはり老けこんでいて、苦労が滲み出ている。親父さんは元気ですか、と聞くと、体調が芳しくないらしい。あのOさんが病気で苦しんでいるとは想像できなかった。そして驚く。
 もしOさんが私のことを覚えていたら、よろしく言っていたと伝えてくれ、と言う。早く元気になってくれとは言えなかった。

 6時過ぎに彼は来た。彼も大変なようだ。彼は優しすぎるから、苦労してしまう。昔からそうだった。
 彼のことを友人と思うから、ついつい偉そうなことを言ってしまう。うまく行ってくれればいいな、と思っている。


12月29日 金曜日

 晴れ。

 昨日買った古本のことを書く。買ったのは南木佳士さんの文庫。吉村昭さんのエッセイ。そして旺文社文庫のマーク・トウェインの文庫を買った。南木さんと吉村さんのエッセイは読んでいるがまた手元に置いて読みたくなったからだ。マーク・トウェインの文庫は探していたのだ。また吉村昭さんの『ふぉん・しいほるとの娘』の単行本も見つけて、持っていてもよかったけれど、文庫本でもう読んでいるし、多分読み返すこともなかろう、と思いつつ、一度手に取ったものを棚に戻した。エッセイももちろん読んでいるし、文庫本で持ってはいるが、吉村さんのエッセイは好きだから、また読み返すことがありそうなので買った。

 友人が急用が出来て待ち合わせ時間に遅れるとLINEあったので、待ち合わせの丸善の店内を棚を見ながら歩く。やはり知らない新刊があって、その場でスマホを取り出し、区の図書館にその本が置いてあるか確認し、予約を入れる。本屋で本を買わないで、出版情報だけを得て、図書館で本を借りる手続きをするのもどうかと思うが、財布の事情があるので仕方がない。

 夢眠ねむさんの『本の本―夢眠書店、はじめます』を読む。


12月30日 土曜日

 晴れ。

 新しい年を迎えるにあたり、必要な日用品、食品などイオンに買い出しに行く。考えることはみんな同じらしく、結構な人の出だった。例によって人の数に酔い、疲れて帰ってくる。

 南木佳士さんの『医者という仕事』を読む。

by office_kmoto | 2017-12-30 19:28 | 日々を思う | Comments(0)

芝木 好子著 『隅田川暮色』

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 冴子は十五、十六年ぶりに幼なじみの小磯俊男に電話をかけ、久しぶりに隅田川の吾妻橋で会う。

 「冴子さんは変わらないですね。腺病質な子供の時分から、ある意味で自我が強かった。正直言ってあの頃東京を捨てても、すぐ帰ってくると思っていました」

 「いま、平穏無事ですか」

 「私はいま少しばかり内職をしていますの。本郷の香月の組紐を手伝わせてもらっています」

 冴子は組紐の糸に藍染をしてもらうため、小磯に頼みに来たのであった。俊男は丹後の白縮緬をおもに商う呉服問屋である冴子の父親千明が、創作の片腕として元さんと呼んでいた下職の紺屋である小磯元吉の一人息子であった。当然冴子とは幼なじみであった。
 冴子の父、千明は昭和二十年三月十日の東京大空襲のときから行方へわからなくなっていた。恐らく隅田川で亡くなったのだろう。
 あの時千明は冴子たちが疎開していた大磯には行かず、駒形に残った。俊男の父親元吉は千明を見舞い、千明は駒形の後ろには隅田川の水がたっぷりあるから心配ないと言っていたが、その拠り所は簡単に崩れた。あのときの隅田川がどんなことになっていたか、生々しい。

 あの夜は敵機B29が百三十機の大編隊で東京上空を襲った。大川が背後にあるから焼夷弾の火災を消すという。千明の拠りどころは忽ち崩れた。千明と元吉の生死は、紙一重だったろう。元吉と俊男は防空壕にいて助かったが、逃げながら隅田川の広い川幅の中にただよう小舟が突然燃えはじめたのを見た。火災の飛び火があがったともみえないのに、小舟が燃えたのはなぜだろう。元吉が幻覚かと考えたが、俊男も同じ光景を見ていた。川に浮かぶ荷物も燃えていた、と俊男は父に告げた。後になって彼は当夜隅田川が周囲の火焰に迫られ、白熱化したために火を発したらしい、と記された記録を読んだ。川が燃える、という現象が起きた。早春の冷たいはずの大川に火が渡る、というのは異様である。

 千明は店の辰さんと隅田川に飛び込んだ。

 川に浮いては立ち泳ぎし、荷物や流れる人を避け、熱風に堪えながら爆撃機の去るのを待った。人は限度にくると溺れて流される。女はとりわけ早かった。敵機の波状攻撃はいつまでも頭上低く続いて、炸裂する音、照明弾がぱっと光り、旋風が起きる。火焰はごうごうと鳴る。地獄の一夜は無限に長かった。
 夜明け、川岸は溺死の人間で埋まった。房総育ちの辰さんは身体も壮健で泳ぎも身についている。千明に手をかしてくれた。髪や眉の燃えるのも消してくれた。二人は川から這い上がったが、千明は疲労困憊していた。

 数日して辰さんは大磯に寄った時、千明が帰っていないことを知った。

 冴子は父の死を知ったショックで流産した。それ以後子を産まなかった。自分が父のそばにいれば死なせなかっただろう、と思う悔い今日まで続いている。

 冴子は本郷弥生町の崖下で夫の悠と暮らしていた。大学助教授の悠と駆け落ちして十六年経ったが、悠の妻はいまだ離婚に応じず、冴子は籍さえ入れてもらえないまま、宙ぶらりんの生活を送っていた。唯一組紐だけが彼女の心の安らぎをもたらせていた。

 私が私だから、という思いは絶えず心に澱のようにたまっている。妻とはいえない同伴者だから。余計者、影の存在。ある日父か、たれかが迎えにくるのを待っている。待つ毎日、慰めにきれいな色で紐を組んでいる。

 日陰者の生活から自分を救い出してくれる者を冴子は待っていたのかもしれない。父親千明が、「おい、帰ろう」と来るのを待っている自分がそこには確かにあった。だから久しぶりに地元に帰った冴子は懐かしさと悔いでいっぱいであった。

 あの川底には父が沈んでいますからね。父のところへ還るしか行き場がないし。

 「紺屋には親爺さんと息子がいて、二人とも私の父の仕事をしてくれたひとなの。息子は私と同い年の友達です。その家の二階から川が見えて、川の匂いがしてくるの。坐っていると私の育った駒形の家が見えてきて、死んだ親たちが還ってきて、今こうしていることが悔いでいっぱいになる。若い人には分らないでしょうね。生きている時間、時間が、狂いそうに悔いで一杯になることがあるの。誰が悪いのでもなく、自分が悪いから。そしてほんの少し経つと悔いを忘れてしまう。いい加減な人間なのね。山谷堀へゆくと昔馴染の人がいて、悔いがかえってくるからうれしいわ。私にはあの人たちが大事で、今日もゆっくり昔の話が出来るとおもうと、たのしみなの」

 香月の主人真造は冴子を連れて、実業家の大瀬古を訪ねる。大瀬古は珍しいものが手に入ったと言って、真造に平家納経を見せる。平家納経は平清盛が平家一門の繁栄を祈って厳島神社に奉納した三十三巻の経巻で、国宝であった。その一つを大瀬古は手に入れた。そしてその経巻を巻く紐に魅せられる。大瀬古はその組紐の復元を真造に依頼する。紐は厳島組と呼ばれるものであった。

 「一体八百年も前に、平家納経のすばらしい装飾経を巻いた五色の紐は、どんな組み台で、どんな工人が完成したのかしらかと思うわ」

 冴子は平家納経の組紐復元に取り組むこととなった。しかしそんなある日、悠の娘ひろみが訪ねて来て、父親と度々会っていること、妻とも会って三人で食事をしたことを話していった。

 悠は娘に会っていたことを長年隠してきた。もし事実なら、冴子はないがしろにされたことになる。

 冴子は自分が空になってゆくのを感じた。その裏側で、悠の背信への怨みに燃えさかっていた。

 彼に別の家族との触れあいがあると知った瞬間、あやうい均衡は破れて、なにかが崩れおちてしまった。彼女はそういう弱い立場に自分をおいて、張り詰めて生きてきた。

 悠は学問に打込んでひとり平然と生きてゆく男なのだ。実の娘がくれば受けいれる。娘の母をも受けいれる。家に帰れば妻を家具の一つのように受けいれる。夫は妻に馴れてしまい、彼女は夫に馴れてしまい、日常は澱んだ川のように動かず、饐えた匂いを立ている。苦しい暮しの中で冴子は彼の子の養育費を送り続けたが、義務ではなくて、自分の恋や、無謀な若さや、あやまちを受けいれた運命の確認のためであった。それがあるから生きてこられたとも言えるだろう。今月も金を送った。自分の生を確かめるために、自分に負い目があるのだ、と思った。負い目は裏目に出て、弱いはずの子供がしたたかにお返しにきた。送金の意味を失うと、生活も音を立てて崩れていった。

 十六年も危い均衡の上にあった生活は、わずか一突きで崩れてしまった。

 ショックを受けた冴子は家を出る。そして俊男に助けを求めた。俊男は築地明石町の古いホテルに冴子を泊めた。冴子の父千明の思い出話をしているうちに二人の言葉が消えた。ある成りゆきから自然に合わさるものが合わさったのであった。

 俊男は急に入口の扉に向かって歩いていった。彼が扉に内から鍵をする音を聴いた。それからこちらへ戻ってくる男を、彼女は全身で感じていた。

 冴子は翌日一人で、千明の魂鎮めるため東大寺に幡を挙げたいと念じていたこともあって、奈良に向かった。大仏の後ろ辺りから「もう男はいらないだろう」と言っているように思えた。

 奈良で風邪を引き、熱を出し、駆けつけた悠に看病してもらい、連れ戻される。そして俊男の気持ちも冴子と再会して揺れ動いていた。冴子は俊男の父親、元吉が入院したことを知って、見舞に行く。

 「俊男も少し前に東大寺へ行こう、と言ったことがあった。冴子さんうちに見えるようになってからだ。もうすぐ一年になる。この一年で俊男は変わった」

 「元々口数は少ない方だが、今は工芸会の仕事にかかると家族にもものを言わない。冴子さんとは話をするかね」

 「なんでも話してもらいます」

 「子供の頃から気が合って、駒形へ行きたがったもんだ。俊男に言ってきかせた。御店のお嬢さんと馴れすぎちゃいけない。分を弁えろ。そのうち旦那に釘をさされるぞ」

 「小磯さんは一家の暮しが大事なのね」

 「まっとうに働いて、けじめのある暮しを、親から教わったね」

 「私は今なにももっていないわ。家出をした女ですよ。俊男さんに助けてもらってはいけませんか」

 「女は家を出るもんじゃない。冴子さんは香月のために難しい紐を組んだ。香月のみなさんもよろこぶし、亡くなった山藤の旦那もよろこぶ」

 「ゆうべ俊男が泊りにきて、看護用のベッドに並んで寝たが、夜中になっておかしなことを言った」
 自分は家を出て、奈良の田舎へ行って、一人で染色をやりたい、と言う。分別盛りの男のばかばかしい言い草に腹が立って、蒲団を蹴ってやった。身勝手な奴は隅田川へ落ちて死ね、と呶鳴った。空襲で生き残った者は、死んだ人の分も働いて生きて、川を守ってゆくのがつとめじゃないか。分からない奴は今すぐ出てゆけ、と言った。出てゆくよ、と俊男は答えた。それっきりものも言わず空の白むまで天井を見て明した。あいつに背かれるとは思わなかった。腹が立ったので元気が湧いた。今朝になってベッドを始末して帰る俊男に、奈良へゆくか、と聞くと、「いや」と言った。この野郎と思った。罷めるなら初めから言わなきゃいい。
 「冴子さん、これからもあいつに糸を染めさせて下さいよ。茜や蘇芳や、梔子や、藍のいのちしたたる色で、あんたは見事な紐をお作りなさい。それがいい仲ってもんだ」

 浅草寺裏を逸れてゆくと、二人目の子を身籠もったという里子の身体つきと、彼の家庭のおだやかな暮しが目にうかんだ。妻子のある男と間違いをしでかして、つらい思いをしてきた女が、また同じ轍を踏もうする。望んだわけではなく、どうしてかそういう巡り合わせになってゆくのを、恐ろしく思わずにいられなかった。

 香月にも戻り、冴子はドイツで、古組紐の復元に取り組むことになる。この香月の加津(悠の祖母)がいい味を出している。口が悪いのだが、しっかり物事を見ていて、したたかである。冴子が戻ってきた時の言葉がいい。昔はこういう人がいた。

 「一人前の女が、女学生をあしらえないでみっともない。私の若い時はつれあいの女など目もくれやしない。いざとなればつれあいを追い出すもの」

 加津は冴子にドイツ行きの餞別にルビーの指輪を与える。

 物語は昔の隅田川沿いの風景と現代の感覚と交差する。そして悠との不安定な生活を続けていた冴子は俊男と再会し、冴子も俊男も心が揺れ動く。さらに悠の甥の響一の冴子に対する想いも絡み合う。まるで組紐のように色を織りなすが、組紐を編まれていくが、人の関係はもつれ、あるいはほどけようとする。平家納経の組紐が何百年も残ったが、人の織りなす関係はふとしたことで簡単にほどけていく、その皮肉さがもの悲しい。
 結局この物語はどう落としどころを見出すのだろう、と思っていたら、悠がドイツへ留学することことになり、冴子を連れて行くことで、俊男と響一との区切りを付ける。やはりここは冴子は去ることでしか、ないだろうな、と思った。
 まったく浅草と隅田川は良い小説になる舞台だと感じた。いい物語を読んだ。

芝木 好子 著 『隅田川暮色』 文藝春秋(1987/05発売)文春文庫



by office_kmoto | 2017-12-26 09:16 | 本を思う | Comments(0)

川上 未映子/村上 春樹 著 『みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る』

d0331556_07595793.jpg村上 僕が若い頃は、当然のことながら、まわりにいたほとんどの作家たちは、僕より年上だったでしょう。そういう中で、僕はどっちかというと反抗的な立場にいたというか、アウトサイダーとして意識が強かったから、年上世代の作家たちに対して構えるところも、それなりにあったんですよね。ちょっとハスに見るというか、意識してはぐれていたという雰囲気だったんだけれど、もうこの年になると、はぐれるも何もないだろうと(笑)。今はほとんど、僕より年下の作家になっちゃったわけだからね。例えば、芥川賞の選考委員なんかも、年齢的には僕とほぼ同じか僕より下ですよね。

村上 するとやっぱり、作家というものに対する視線が変わってきます。昔はわりにつっぱって身構えていたけど、今はもう、どうぞ好きにやって下さいという感じですよね。すりよる必要もないけど、つっぱる必要もない。

村上 だから今はただ、シンプルに「僕はこういうふうに思うんです」と語りかけるだけです。何かを主張しているわけではないんです。


 この本は川上未映子さんが村上春樹という作家に対して、そのスタイル、スタンスがどういうものであるか、自身がどう考えて物語を作ってきたかを、最初は遠慮しながら、そして回を重ねる内に、ズカズカと聞いている。その川上さんの変化も面白いのだが、そうして鋭く切り込んでくれるお陰で、村上さんがどのように物語を作っているかを知ることが出来る。
 面白いと思ったことは幾つかある。まず一人称から三人称への変化である。村上さんの小説の主人公は「僕」であることが多い。特に初期の小説はそうだ。でもこの「僕」というのは、作家の年齢で使いにくくなる。若い頃ならすんなりと使えたかもしれないが、自身が歳をとって、いつまでも「僕」というのはどこか無理があり、不自然になってくる。村上さんもそう自覚したようだ。


村上 四十代の半ばくらいまでは、例えば「僕」という一人称で主人公を書いても、年齢の乖離はほとんどなかった。でもだんだん、作家の方が五十代、六十代になってくると、小説の中の三十代の「僕」とは、微妙に離れてくるんですよね。自然な一体感が失われていくというか、やっぱりそれは避けがたいことだと思う。

村上 つまり極端にいえば、腹話術をやっているような感じになるわけ。サリンジャーが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』で、十七歳の主人公の語り手ホールディングを「僕」という一人称で語らせていて、もちろんそれはおそろしくうまいんだけれど、どこかやはり乖離みたいなものを感じるんです。サリンジャーはそのとき既に三十歳を過ぎていたから。だからサリンジャーも、その後、二度と同じやり方をとらなかったでしょう。だいたいそれと同じことだと思う。年をとるっていうのはそういうことなんですよ。他の人が感じなくても、自分では「ちょっと違うな」と思う。そのずれが気になってくる。若い人を語る時には、三人称じゃないと語りづらくなってくるんですよね。


村上 あとそれから、読者の多くは、作者が一人称で書いている場合、その主人公と作者である僕とのスタンスをわりに重ねて考えますよね。

村上 だからこそ僕は、だんだん三人称のほうに行きたいなと思っていたんです。いつまでも一人称を使っていたくなかった。そこからしばらく離れたかった。

村上 うん。あまり僕と役柄を一体化されても困るなというのがあった。渥美清と寅さんみたいに。ショーン・コネリーとジェームス・ボンドみたいに。


 ところで村上さんは自身の作品で重要視するのは文体だと言う。


村上 で、そこで何よりも大事なのは語り口、小説でいえば文体です。信頼感とか、親しみとか、そういうものを生み出すのは、多くの場合語り口です。語り口、文体が人を引きつけなければ、物語は成り立たない。内容ももちろん大事だけど、まず語り口に魅力がなければ、人は耳を傾けてくれません。僕はだから、ボイス、スタイル、語り口ってものすごく大事にします。よく僕の小説は読みやす過ぎるといわれるけど、それは当然のことであって、それが僕の「洞窟スタイル」だから。

村上 うん。目の前にいる人に向かってまず語りかける。だから、いつも言っていることだけど、とにかくわかりやすい言葉、読みやすい言葉で小説を書こう。できるだけわかりやすい言葉で、できるだけわかりにくいことを話そう。スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろう。一回で「ああ、こういうことか」と咀嚼しちゃえるものじゃなくて、何度も何度も噛み直せて、噛み直すたびに味がちょっとずつ違ってくるような物語を書きたいと。でも、それを支えている文章自体はどこまでも読みやすく、素直なものを使いたいと。それが僕の小説スタイルの基本です。結局そういう古代、あるいは原始時代のストーリーテリングの効用みたいなところに戻っていく気がするんだけど。


村上 僕にとっては文体がほとんどいちばん重要だと思うんだけど、日本のいわゆる「純文学」においては、文体というのは三番目、四番目ぐらいに来るみたいです。だいたいはテーマ第一主義で、まずテーマ云々が取り上げられ、それからいろんなもの、たとえば心理描写とか人格設定とか、そういう観念的なものが評価され、文体というのはもっとあとの問題になる。でもそうじゃなくて、文体が自在に動き回れないようでは、何も出てこないだろうというのが僕の考え方です。


村上 文章を磨きあげるという行為の中にある一瞬、その体験こそが、小説家にとっての自分自身なのだと。小説家が自分を知るというのは、自分について書くことでもなんでもなくて、文章を研ぎ澄ます、その行為そのものなのだと。


 「スルメみたいに何度も何度も噛めるような物語を作ろう」ここである。村上さんの物語はここでいうように読む度に味わいが違ってくる。

 村上春樹に対していろいろなことを言われる。そのため巷に村上春樹論、作品論が氾濫する。百人いれば百通りの感じ方がそうしたものを生み出す。
 本来小説の読み方は自由であって、どう感じてもいいわけで、これじゃなければダメだといった国語の試験みたいな模範解答があるものではない、と思っている。もし仮に模範解答があるとすれば、それは多くの人が同様に感じた、考えたという結果じゃないか、と思う。
 村上作品は作者自身いろいろな感じ方をしてくれ、と書かれているから、そんな評論が多くなる。
 痛快なのはそうした作品に対する評論、あるいはこう読めといったものを否定するかのように、評論家が重視する言葉にそれほど深く考えずに使っているということである。例えば『騎士団長殺し』に出てくる「イデア」と「メタファー」なんてきっと重要視しているはずである。「イデア」って何?「メタファー」って?といった感じで。けれど村上さんは「イデア」という言葉は、ふと出てきたから使った、と言う。


村上 そういうのはただ、部族の名称だと思ってくれればいいんです。

村上 「イデア」という部族があって、「メタファー」という部族があるというふうに思ってもらえると、よりわかりやすいかな。あるいは「イデア団」とか「メタファー団」とか、そういうのがあって、そういう人たちは自分のことをそうやって呼んでいるけど、じゃあ、それが本当にイデアなのか、本当にメタファーなのかといわれると、それはよくわからない。ただ、本人たちが自分をそう呼んでいるんだから、しょうがないじゃない(笑)。おれたち「イデア団」「メタファー団」の団員なんで、ひとつよろしく。みたいに思ってもらったほうがいいんじゃないかな。


 そもそもこの物語の題名である「騎士団長殺し」だって同じようだ。


村上 「騎士団長殺し」って言葉が突然頭に浮かんだんです、ある日ふと。「『騎士団長殺し』」というタイトルの小説を書かなくちゃ」と。なんでそんなことを思ったのか全然思い出せないんだけど、そういうのって突然浮かぶんです。どこか見えないところで雲が生まれるみたいに。


 村上さんが自身の作品に対して言っているのを読む度に思わされるのだけれど、みんんな深読みしすぎているんじゃないかということである。つまり村上さんがふと思いついた言葉の一つを取り出して、それこそその言葉が物語に大きな意味を持っているかのように取り扱うのだ。物語が不思議なものだから、どうしてもそう受け取ってしまうのかもしれないし、だからこそそこに何かあるんじゃないか、と思うのだろう。
 要はそれは「物語」を楽しむことである。原始の時代、人間は洞窟の中で物語を語る人の話をワクワクして次はどうなるんだ、といった感じと同じで、楽しめばいいだけのことじゃないか、と思う。


村上 彼がどういう存在なのか、それは僕にもわかりません。小説的にはわかっているけれど、説明することはできない。だから、例えば免色さんらしき存在が、まりえの潜んだクローゼットの前にじっと立っているというのも、小説的には理解できるんだけれど、意味的には説明できないですね。そういう要素が小説には必須であると僕は思うんです。作者はそれを小説的に、物語的には説明できるけれど、意味的には説明できない。そしてそれを説明しちゃうと小説にならない。そういう部分を多くの評論家は意味的に説明しようとします。それがうまくいく場合もあるし、うまくいかない場合もあるけれど、もちろん評論家の勝手というか自由であって、僕には何とも言えない。良いとも悪いとも言えない。読者もまた好きに考えればいいわけです。僕の役目はテキストを提供するだけだから。


村上 説明しなくてもパッケージとして成立しているものをわざわざばらして説明する必要もないじゃないか、と僕なんかは思いますよ。でもそれが職業になっている人もいるだろうし、そういうのが趣味という人もいるだろうし、僕の口出しすることじゃないとは思うけど、でも説明する必要のないものをあえて説明するのって、労多くして益少ないんじゃないかな。


 村上さんが紡ぐ物語は十分味わえるだけのものを持つ。そうして作られた物語は決して読者を裏切らないし、村上さん自身も読者を裏切らない物語と自負する。


村上 それはね、僕が小説を書き、読者がそれを読んでくれる。それが今のところ、信用取引として成り立っているからです。これまで僕が四十年近く小説を書いてきて、決して読者を悪いようにしなかったから。

――「ほら、悪いようにしなかっただろう?」と(笑)。

村上 そう。


 ただ村上さんの物語は不思議な世界だ。そして不思議なんだけれど、どこか訴えかけるものがあり、深層心理の皿に奥の何かに琴線が触れる感じがする。それは今までの私小説が訴えかけるもののさらに奥にある何かである。
 ここで面白いな、と思ったのは、村上さんがいつも描いている何かがどこにあって、どんなものなのか、それを川上さんが描いた絵で説明しているところである。これはものすごくわかりやすかった。


d0331556_08010146.jpg――村上さんは小説を書くことを説明するときに、こんなふうに一軒の家に喩えることがありますよね。一階はみんながいる団らんの場所で、楽しくて社会的で、共通の言葉でしゃべっている。二階に上がると自分の本とかがあって、ちょっとプライベートな部屋がある。

村上 うん、二階はプライベートなスペースね。

――で、この家の地下一階にも、なんか暗い部屋があるんだけれど、まあ、ここぐらいならばわりに誰でも降りていけると。で、いわゆる日本の私小説が扱っているのは、おそらくこのあたり、地下一階で起きていることなんだと。いわゆる日本の近代的自我みたいなものも、地下一階の話。でも、さらに通路が下に続いていて、地下二階があるんじゃないかという。そこが多分、いつも村上さんが小説の中で行こうとしている、行きたい場所だと思うんですね。


村上 そうかもしれない。僕がそういう、近代的自我みたいなものになるべく関わり合いならないようにしているというのは確かです。目を伏せているかどうかはともかく。そのへんとは違う場所で勝負したいと思っている。

――地下一階はもはやダメなもの?

村上 ダメとは言わないし、そういうものが現実的にいろいろな問題を起こしているのは確かなんだけど、今さらそこを解き明かそうとしても無益だという気がする。それはもい明治以来、近代文学がほぼやり尽くしてしまっているから、もはや手のつけようがない。だからとりあえず取っぱらってしまっている。

――そこから始まったわけですね、村上さんは。

村上 そう。だからその階はできるだけあっさりと通り抜ける。顔が合ったら、いちおう会釈くらいはしておいて、まあ敬して遠ざける。

――なるほど。

村上 僕がいわゆる文芸業界から、なんていうのかな……長いあいだわりに白い目で見られてきたのはたぶん、そこをすっ飛ばしてきたからだと思います。そのあたりを取り上げてぐじゅぐじゅ書かないのは、文学的に不誠実だというふうに思われてきたんじゃないかな。


 最後に村上さんが何故ノーベル文学賞をなかなか取れないか、その説明を川上さんがしてくれている。
 もし村上さんがノーベル賞を欲しいと思うなら、基本的にノーベル賞の性格柄ポリティカルなことを明確に書く必要があるという。例えば今なら東日本大震災や原発問題やテロなどをそのまま扱えば、村上春樹ならノーベル賞を取れる可能性がある。それをそのまま扱う気はないかと川上さんは村上さんに質問する。
 村上さんは自分で書いているものはポリティカルだと言っている。ただそれは読もうと思えばそう読めるというスタイルだ。ただリアルな現実を直接書くことはしない。


村上 うん、あのね、もう一度確認しておくと、僕の文章というのは、基本的にリアリズムなんです。でも、物語は基本的に非リアリズムです。だから、そういう分離が最初から前提としてどんとあります。リアリズムの文体をしっかり使って、非リアルな物語を展開したいというのが僕の狙いだから。何度も繰り返すようだけど、『ノルウェイの森』という作品で、僕は最初から最後まで、リアリズム文体でリアリズムの話を書くという個人的実験をやったわけです。で、「ああ、大丈夫、これでもう書ける」と思ったから、あとがすごくやりやすくなった。リアリズムの文章でリアリズムの長編を一冊書けたから、それもベストセラーが書けたら、もう怖いものなしです。(笑)。あとは好きにやりゃいい。


 村上さんはハードな現実を「ソフト・ランディング」として扱い、物語にすることが村上さんのスタンスだと考えている


 村上 もしそういうものを書くとしても、フィクションの中には直接的に持ち込みたくない。ナマのメッセージという形では、ということだけど。いろんなことを時間を置いて眺め、距離を置いたところから眺め、そういう視点をもって今ここにあるものをあらためて見てみたい、という気持ちのほうが強いね。


 村上 いったん自分の中をくぐらせ、物語の一部として変更した形でなら、現実のものごとをフィクションに持ち込めますが、ナマのメッセージを持ち込むことは、僕には無理ですね。そういうことはしたくない。たとえ世界中の文学賞をもらえるとしても(笑)。


 それが村上春樹という作家の一つの倫理だと川上さんは言っているが、確かにこの姿勢は村上さんの矜恃と言ってもいいかもしれない。
 たとえば村上さんには地下鉄サリン事件を扱った『アンダーグラウンド』というノンフィクションがある。これは村上さんのノンフィクションといっていい。そしてたぶんこのノンフィクションを書くことで、村上さんのその後の作品に大きな影響を与えた。


村上 そうですね。『アンダーグラウンド』を書き上げるのは本当に大変だった。そしてあれを書いたことによって、僕の書くものはかなり変わったんじゃないかと思います。


 その取材で学んだことを、次の小説からひっそりと組み込んでいるという。「あそこで僕がくぐり抜けてきた物語は、いろんな意味合いで僕の小説の動力みたいなものになっています」と言っている。

 この川上さんの質問に対しての村上さんの答えを読んでいると、この人は物語を作ることに徹している。その一点に尽きる。そしてその物語を面白くすること、読者を飽きさせないことしか考えていない。物語の中に深い意味がありそうな言葉なり文章をちりばめるけれども、村上さん自身はそれは単に物語を面白くするためのツールのようなもののようだ。読者を裏切らない。そして傷つけない。厳しい現実はあくまでも村上さんの中で濾過されたもので、そこから物語が始まっている。


村上 リンカーンが言っているように、ものすごくたくさんの人間を一時的欺くことはできるし、少ない数の人間を長く欺くこともできる。しかしたくさんの人間を長く欺くことはできない。それが物語の基本原則だと僕は信じています。だからヒトラーだって、結局十年少ししか権力を持ち続けられなかった。麻原だって十年も続かなかったですよね。とにかく「善き物語」と「悪しき物語」を峻別していくのは、多くの場合、時間の役目なんです。そして長い時間にしか峻別できないものもあります。


川上 未映子/村上 春樹 著 『みみずくは黄昏に飛びたつ―川上未映子訊く/村上春樹語る』 新潮社(2017/04発売)

by office_kmoto | 2017-12-25 08:08 | 本を思う | Comments(0)

清水 義範著 『夫婦で行く意外とおいしいイギリス』

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 このシリーズももう何作目なのだろう。ずっと付き合って来ている。夫婦で行くツアー旅行なのだが、この紀行文の特色はツアー旅行ということだ。旅行会社で企画されたツアーに参加する。ここがひとりよがりの旅行を記したものとは違う。ある意味親しみやすい。それでもしっかりと現地を体感し、その後しっかり国の歴史を調べ、本文を肉付けしていく。調べられた歴史をきちんと読めば、世界史の勉強にもなる。
 さて、今回はイギリスだ。書名にもあるように、イギリスの料理はまずいというのが定評である。清水さん夫婦はそのイギリス料理を次のように分析する。

 料理の味は、キリッとしたところのない感じであるが、決してまずくない。どちらかというとほんわりした味で、塩気があまりない。テーブルの上に塩と胡椒が置いてあるから、それを振って食べるのだが、要するに下味をつけていないのだ。下味をつける、という概念を学ぶといいのに、と思った。

 「腎臓病の人の病院食みたいなのよね」

 と清水さんの奥さんは案外辛辣なのだ。旅行の楽しみの一つは、やはり食事となるだろうから、このあたりは清水さん夫婦もしっかりと味わい、その感想を述べる。

 どちらかといえば薄い味つけだ。やさしい味といえるだろう。相変わらず付け合わせは野菜のボイルだ。イギリス人は野菜を見るとやたらボイルしたくなるのではないだろうか。それしか料理方法を知らないのか、と言いたくなるほどだ。

 それでも14日のイギリス旅行をする内に、その料理に舌が馴れてくる。これでもいいかも、といった感じだ。
 この本の解説を井形慶子さんが書かれているのだが、井形さんと言えばイギリスである。イギリス料理について次のように書く。

 これまで味覚との折り合いがつかないままだったが、イギリス料理を食べ続けるうちにとてもおいしいと思ってしまったのだ。これがイギリス料理の底力かもしれない。

 そして最後のロンドンで食べたフィッシュ&チップがとても美味しかったと書く。
フィッシュ&チップとはタラのフライに、ポテトフライを添えたもの。イギリスではファストフードとして親しまれているらしい。清水さん達はレストランで食べているが、本来は立ち食いである。
 開高健さんがこれを食べている時、フィッシュ&チップを包む新聞はタイムズみたいなお堅い新聞で包んでは美味しくない。これを包むのはエロ新聞、ゴシップ新聞に限ると書いていたはずだ。そういうざっかけな食べ物だから、タイムズは合わないらしい。

 ところで清水さん夫婦は大英博物館へも行っているのだが、大英博物館は、

 入館料無料で写真撮影もOKだ。写真が自由に撮れる博物館は珍しく、太っ腹だなあと驚いた。

 と書いている。いいなあ~。こういうの。

 清水 義範著 『夫婦で行く意外とおいしいイギリス』 集英社 2016/08発売)集英社


by office_kmoto | 2017-12-22 16:58 | 本を思う | Comments(0)

赤瀬川 原平 著 『東京随筆』

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 いい加減飽きたと言ってもまた東京ものを読んでしまった。図書館の棚を眺めていたら、この本が目に入ってしまった。
 ここにある町々はもちろん知っているところが多くある。知っているだけでなくそこへ行っている。けれどふと思ったのだ。東京で私が地元以外に知っている町って、そのほとんどが“仕事で行った”ところであった。それがやたら多い。
 またこういう東京ものを読んでいると、いつも私の知っている町が、やはり知っている町の近くにあったんだ、といつも驚く。私は町と町の繋がり、その町の近くにあの町がある、といった地図が頭に浮かばない。すなわち所用でその町に行ったことがあるけど、いつもスポットで、用件が終われば帰ってくるだけだったから町と町が繋がらないのである。
 町の記述で興味深いものを書き出してみる。

 大井町の方に歩いていくと、目指す「光学通り」にさしかかる。むかし、デジカメ以前のフィルムカメラ時代、ニコンというブランドの輝きには信仰に近いものがあり、ニコン信者という呼び方さえあった。(夢みた光学通り[大井町])

 これねえ、よくわかるんだ。昔のニコンといったら、それを持っているだけでカメラ小僧として一目置く。とにかくニコンの一眼レフがレンズも含めて高かった。だから当時ワンランク落ちるCanonの一眼を持った。以来パソコン時代になっても、私はCanonユーザーである。

 亀戸天神の梅は満開にはまだ早かったが、花がいくつか開いているだけで、何だか時が止まったような気分になる。梅の花というのは、開いたところから静かな空気が流れ出ているような気がして、そこが桜の花とはぜんぜん違う。(ゴッホと亀戸天神[亀戸])

 今年去年買った梅が今年は自宅の庭で咲いた。梅の花は桜と違い小さく静かである。

 すべてが力強く、はっきりと見てわかる。最近のパソコンやデジカメや、中が見えない動きにいらついている気持が、一気にけし飛んだ。やっぱり見える力こそ健康の素だ。(見えている力[錦糸町])

 これは錦糸町にあるガラス工房の話なのだが、ものが出来上がる行程が目のあたりにしてわかる。わかるというのは理解できるということだが、昔のパソコンは何をやっているのかわりと単純なプログラムなど書けたから、理解できた。今は何を影でこっそりと何をやっているのかまったくわからない。私たちの世代は理屈で物事を覚える世代だから、これがこうなって、こうなるのだ、というつながりがないと理解しにくい。とにかくなんでもいいから、余計なことを考えずにこうすればいいんだよ、と言われても、どこかしっくりこないのである。

 さて本マグロの回遊だ。さすがに大きく、しばし見とれる。カーブする時など、表面が銀色のぎらりと光り、アルミ合金の砲弾みたいだ。市場では一尾三百万円というから総額一億円くらいが水中をぐんぐん泳ぐ。何故か忙しそうに回遊をつづける。人間生活も忙しいが、マグロはもっと忙しそうだ。(海に向かって[葛西臨海公園])

 葛西臨海公園は地元である。子供が小さい時に連れていったことも何度かある。確かにここのマグロは砲弾みたいだし、忙しそうだった。そういえばマグロが次々と死んだというニュースが一時流れていたけれど、今はどうなっているのだろう。

 都市対抗(野球)には独特のルールがあって、各地方予選で敗退したチームから五人の選手をレンタルできる。これによって予選ではおらが会社のチームだったが、大会ではおらが町のチームにふくらむ。(野球の殿堂[東京ドーム])

 へえ~、そうなんだ。

 東大の試験を通るのは非常に難しいが、門を通るのは誰でも自由だ。そこはさすが東大、大らかで感動する。
 有名な赤門から入った。何となく無試験で入学する感じに、体がむずむずする。(赤門をくぐる[東大本郷キャンパス])

 本郷の古本屋を歩いた時、赤門を見た。別に東大をどうとも思わないたちなので、さっと、あれが赤門かと通り過ぎた。東大といって一目置く人はこうなのだろうか?

 京橋の橋のところに来ると、もう川はないが、橋の親柱が残されている。昔のままのクラシックな形だ。昔はこの角にシネラマのテアトル東京があり、「二〇〇一年宇宙の旅」を見た。その場所には凸凹美を生かした形のホテル西洋銀座のビルが建つ。(爪切りを見て通る[京橋])

 私もここで二度ほど映画を見たことがある。全席指定だった。確か一度はちょうどオイルショックのときで、電力の無駄な消費をおさえるために街灯がまばらに点灯していて、銀座といえども薄暗かったことを思い出す。東日本大震災の時に電気の無駄遣いを抑えるために、ネオンが消えた時と同じ感じだ。いずれも一時のことで、またガンガンとネオンがついている。

 とりあえず喫茶去快生軒で、コーヒータイムだ。ここのマスターはカメラ名人である。あららめて「喫茶去」という妙な名前について訊くと、これは仏教世界の言葉で、大正八年に祖父がこの名でコーヒー店を開き、その名前から喫茶とか喫茶店という言い方が全国に広まったという。(いつも道に迷う[人形町])

 喫茶っていうのは文字的に、お茶を飲みながらタバコを吸うというところから来ていると思っていた。

 お茶にしようと表通りに戻り、近江屋洋菓子店に入る。天井が高く、何かふと、風格のある空気を感じる。椅子もテーブルも近代的なようでいて、それが自然にレトロになっているような、不思議な店だ。明治十七年創業の肩書が、無言のまま生きている。(斜めの町[神田])

 ここも数度入ったことがある。何故か年輩の女性が多かった記憶がある。
 昔、薬問屋のクラヤ三星堂、今のメディセオの営業がクリスマスになると、ここのケーキをホールごと持って来た。会社にはおばちゃんが多かったので、それこそ図々しく、ケーキが来ると、待っていたのよ、言われていた。確かにここのケーキはベタついた甘さではなく美味しい。

 地下鉄の駅に近いスーパーに入ると、やはり品揃えが違う。チーズやら何やら珍しい物がたくさん並ぶ。ビールのコーナーにはイギリス、アメリカ、オーストラリア、ベルギー、ドイツなどの壜や缶がぎっしり並び、自分が全部飲めるわけでもないのに嬉しくなった。お客さんも外国の奥様方がふつうにいて、金髪や青い瞳は、もちろんオリジナルだ。(外国の奥様方[広尾])

 ここも仕事関係で行ったことがある町だ。確か福祉局か衛生局がここにあって、何かの手続きにいったのだ。地下鉄から出ると確かにこのスーパーがあった。二階建てだった記憶がある。スーパーといえないほど高級な感じがあった。まだあるのかなあ。

 新大久保のことは以前書いたような気がするので省略。

 代々木といえば終戦直後から共産党の本部がある町で、よよぎという名前自体がその党のニックネームにもなっている。もう一方は、なんといっても代々木ゼミナールだ。大学受験予備校の元祖というか、本家というか、多くの若者がお世話になっている。だからこの町には会社員が多く、労働者も多いが、学生も多い。学生未満ということで、世間では浪人といったりするから、この町は浪人街だ。(斜めに横切る[代々木])

 私も高校時代夏期講習で一度お世話になった。ただし、講義を聴かずに本ばかり読んでいた。この時読んでいたのが司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』で、夢中になって読んでいた。

 ここからは東京から離れて近郊の町の話になるのだが、

 参道近くの池の端には、アオサギが日本画気分で佇んでいる。おお、恰好いなと眺めていると、遊びにきていた小学生グループがそれを見つけて、「おっサギだ、ふりこめサギ!」とはしゃぐと、もう一人も「ふりこめサギ!」と同調したあと、「かんぷきんサギ!」とつづけたので笑ってしまった。子供の頭は素早い。(鶴岡八幡宮)

 これは私も笑った。さすが子供は何でも素早く吸収する。

 過去にはこの大仏様にも屋根つきの大仏殿があったが、大風で壊れたり高潮で流されたりしたと聞いて、感動した。嵐で建物が吹き飛ぶ中、それでも坐って瞑想する大仏様、そのダイナミックな光景を想像したのだ。明応七年(一四九八年)以降は、ホームを失ってホームレスの状態で今日に至る。(鎌倉大仏)

 鎌倉の大仏がホームレスとはうまく言ったものである。確かに大仏様はホームレスだ。

 ここは「入り鉄砲に出女」の、とくに「出女」を見張る。つまり江戸に置いた諸大名の奥方は、いわば人質だから、とくに「出女」の監視に厳しかったのだ。(箱根関所)

 これブラタモリでやっていた。

 子供たちの人気はやはり新幹線だ。0系という最初の新幹線の頭部が展示してある。近づいてよく見ると、そのふくらみの上に「交通博物館」という文字の跡が読めた。神田時代の道路側に据えつけてあったものだ。(鉄道博物館)

 万世橋にあった交通博物館も子供たちを連れて行ったことがある。入口の横に初代新幹線の頭だけあった。ここが閉鎖されて大宮に移る時、建物は壊されていても、最後にこの新幹線が残っていた。そのうちシートが掛けられ、なくなっていたのを思い出す。週に何度か仕入に出かける特、ここを通るのでよく覚えている。
 でその新幹線の頭に「交通博物館」と書いてあるんだ。見てみたいものだな。

赤瀬川 原平 著 『東京随筆』 毎日新聞出版(2011/03発売)


by office_kmoto | 2017-12-19 16:00 | 本を思う | Comments(0)

清水 潔 著 『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』

d0331556_05324975.jpg 6月25日の朝日新聞夕刊に「推し本を売れっ子に… 書店員の工夫、続々」という記事があった。
 また書店員のお勧め本の話か、と思いつつ読んでみると、

 本屋発のベストセラーが各地で生まれている。「手にとってさえもらえれば」と、本の一部をあえて読めなくしたり、書店員の名を冠した賞を創設したり、きっかけ作りに工夫を凝らす。薦める作品への自信が、書店員たちを動かしている。


 この本も書店員の工夫で話題になった本である。


 書店員一押しの本を「文庫X」として、タイトルも作者も一切分からないようにブックカバーで隠して売った。昨年7月に同店で始まり、12月のフェア終了までに47都道府県の650超の書店に取り組みが拡大。その本、「殺人犯はそこにいる」(清水潔著)はフェア開始後に重版がかかり、累計18万部を超えるヒットとなった。


 正直こういうのってどうなのよ、と思うところはある。隠されるとみたくなるのが心情だろうから、やり方としては少々あざとくないか。でもなんだかんだと言って、気になり読んでしまった自分も偉そうなことはいえないが。

d0331556_05333203.jpg 
さて。

 著者は日テレの記者で上司から「ACTION 日本を動かすプロジェクト」という一年かけて報道する企画を持ち出される。その取材で、群馬県で起きた「横山ゆかりちゃん誘拐事件」の未解決事件を扱うことにする。ところが群馬県、栃木県の県境で他に4件幼女誘拐殺人事件が起こっていることに気付く。

 79年 栃木県足利市 福島万弥ちゃん 5歳 殺害
 84年 栃木県足利市 長谷部有美ちゃん 5歳 殺害
 87年 群馬県尾島町 大沢朋子ちゃん 8歳 殺害
 90年 栃木県足利市 松田真実ちゃん 4歳 殺害
 96年 群馬県太田市 横山ゆかりちゃん 4歳 行方不明

 これはもしかしたら連続殺人事件か?と思う。
 しかしそれはあり得なかった。


 私が立てた仮説は、実を言えば致命的な欠陥を抱えていた。
 私は最初からそれに気がつきつつ、あえて無視を決め込んで調査を続けていたのだ。私のようなバッタ記者でも気づく五件もの連続重大事件を、警察や他のマスコミが知らぬはずもなかろうし、気づけば黙ってもいないだろう。なぜこれまで騒がれなかったのかといえば、そこには決定的な理由が存在していたからだ。
 すなわち、事件のうち一件はすでに「犯人」が逮捕され、「解決済み」なのである。
 前述の松田真実ちゃんが命を奪われた事件、通称「足利事件」だ。パチンコ店から真美ちゃんを連れ出し、殺害したと自供して栃木県警に逮捕されたのが菅谷利和さんだった。逮捕時、四五歳。幼稚園の送迎バスの元運転手だった。
 犯人とされた決定的理由は「自供」と「DNA型鑑定」。
 日本で初めてと言われるDNA型鑑定の証拠採用で、菅谷さんの判決は確定していた。当時の新聞縮刷版を広げてみれば「科学捜査の結果」「1000人に1・2人のDNA型」などと誇らしげな警察のコメントが随所に躍っていた。菅谷さんはすでに無期懲役囚として刑務所に収監されていたのである。



 この五件の幼女誘拐殺人事件を連続として見る場合、どうしても足利事件が単独であることで成り立たないことになる。ただ、もしこの足利事件が冤罪である可能性があれば話はがらりと変わってくる。


 オセロと見紛う白黒逆転である。判決が確定した「足利事件」が黒から裏返れば盤面は一気に白へ、つまり「北関東連続幼女誘拐殺人事件」へと変貌する。そして同時に、否応なく、次の事実とも直面しなくてはならなくなる。
 真犯人が、今もどこかで平然と暮らしている……。



 それには必要なことがある。――菅谷さんをこの事件からまず「排除」することだ。「北関東連続幼女誘拐殺人事件」にとって獄中にいる菅谷さんの存在は「邪魔」なのだ。事態がややこしくなるだけだ。彼が有罪になったばかりに、他の四件までもが放置される事態に立ち至った。彼の冤罪が証明されない限り、捜査機関は真犯人捜しに動かないだろう。


 著者たちは菅谷さんが冤罪であることを証明し始める。
 元々菅谷さんの刑が確定したのは菅谷さんの「自供」と「DNA型鑑定」である。しかし自供は強要されたものであり、DNA型鑑定は当時のものは正確性が極めて薄い。菅谷さんを犯人としたDNA型鑑定は「型」である。あくまでも菅谷さんのDNAがその型に範疇に入っているというものであった。
 この本では自供の強要、DNA型鑑定が正確性に乏しく、疑いの余地があることを延々と説明していく。特にこの時のDNA型鑑定には警察、検察はこだわった。これは正しいと。なぜか。何と同様の鑑定で犯人の死刑が確定し、刑が執行されてしまっていたのである。もしここでこのDNA型鑑定が不確定要素がかなりあるとなると、取りかえしのつかないことになるのである。結局最後までこのDNA型鑑定に捜査当局はこだわった。しかし菅谷さんの冤罪は晴れ、釈放される。では遺族はどうなるのだろう。


 菅谷さんが冤罪なら、それを報じることは必要だろう。
 だが、被害者や遺族はどうなるのだ。
 冤罪が真実であれば仕方がない、と納得できるのか?長い時間、犯人だと信じてきた誰かが、実は無罪でしたで済むのか?「違いました」で終わりになどできるのか?
 できるわけがない。



 著者はこの連続幼女誘拐殺人事件を追う内にある男にターゲットを絞っていた。いや犯人は事件ファイルを探る内に、初期の段階で著者は「この男だ」と思うところがあったようである。目撃者を当たっているうちに「男」の証言を得る。


 「男は、あんまり若くないね。遠くだから顔までよく見えない……子供は、え-っと……四歳くらいかな。二人でず-っと行った先に、遺体があったんだからね。ああ。犯人はあいつだなと思ったよ」

 「はっしこそうな(すばしっこい)男だった。ひょろりとした感じでね。そう、漫画のルパン三世、あれにそっくりだったんだよ。感じがね」


 著者はこの「ルパン」を犯人として見ていた。しかしこの本ではこの「ルパン」どうして犯人なのか明らかにしない。そして「ルパン」の素性が判っているのだが、人権の問題だろうか、詳しいことは一切説明しない。ただ菅谷さんが無罪になったあと、「ルパン」素性を捜査当局に説明し、捜査当局を動かそうとする。しかし捜査当局の動きはまったくといってない感じだ。そこには死刑が執行された犯罪の確定にDNA型鑑定が使われたこと。そこはどうしても譲れないことであった。
 少なくともこの幼女誘拐殺人事件が連続であるかどうかは別にして、五件の幼女誘拐殺人事件の犯人は誰も捕まっていない。
 著者はこの本の最後で犯人に対して、「逃げ切れるなどと思うなよ」と書くが、その後どうなったのであろうか?著者はその後どうしているのだろうと思う。

 幼い子供たちは、親たちがパチンコに夢中になっているときに誘拐され、殺害された。親達も悔やんでも悔やみきれない気持ちになっているだろう。もちろん憎むべきは犯人である。著者はそんな親達をそれほど非難していない。
 しかし、と思う。どうして幼い子供をパチンコ店に連れてきたんだろう、と思うのだ。誘拐に限らず、パチンコ店に子供を連れてきて、車に置き去りにし、親がパチンコに夢中になっている内に熱中症で亡くなるという話もよく聞く。子守をしなければならない事情があるのだろうが、それでも自分の子供をほったらかしにしてしまうパチンコをする神経がわからない。だいたいパチンコ店は子供を連れて来るところじゃない。


清水 潔 著 『殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』 新潮社(2016/06発売)新潮文庫

by office_kmoto | 2017-12-17 05:41 | 本を思う | Comments(0)

平成29年12月日録(上旬)

12月2日 土曜日

 晴れ。

 娘と孫が来る。今日娘は午後から出社なので、その間孫の面倒を見る。
 孫と一緒に買ってきたクリスマスリースに拾ってきた松ぼっくりやどんぐりを付け、白いマジックで雪に見立てて色付けをする。それを部屋の入口の扉に飾り付けた。
 こういうことは初めてやったが、それらしく雰囲気が出る。


 12月3日 日曜日


 晴れ。

 午後から甥の結婚式なので、昼前に娘たちは帰る。孫はもう少しこちらにいたかったようだ。今度クリスマスの時、プレゼントも用意しておくから、いっぱい遊ぼうと言っておく。
 娘たちと駅で別れ、そのまま車で新浦安の式場へ向かう。豪華な結婚式であった。甥が生まれたときは、我々も近所に住んでいた。だからというわけではないが、あいつがもう嫁さんをもらうのかという気持になり、感慨もひとしおであった。
 披露宴では弟の隣の席であったが、弟が来てくれた人にビールを注ぎに立ってしまう。逆に弟に注ぎに来てくれる人が、席に弟がいないため、手持ち無沙汰となってしまい、結局私が兄ということで、それを引き受けることになり、飲み過ぎてしまった。
 家に帰り撮った写真をパソコンに取り込み、見てみると、甥も弟もいい顔をしていた。


12月4日 月曜日

 曇り。

 昨日の疲れが残る。一日だるくて仕方がなかった。本の返却日が迫っているので、読まなければならいのだが、さすがに今日はページが進まなかった。

 昨日の写真はサイズが大きいので、圧縮してGoogleのドライブに入れ、弟に送る。弟もいいアングルの写真を送ってくれたといって喜んでくれた。


12月5日 火曜日

 晴れ。

d0331556_06413582.jpg 芝木好子さんの『春の散歩』(講談社 1990/03発売 講談社文庫)を読む。この本は読みたかった。ただ古い本なので江戸川区の図書館に蔵書しておらず、江東区の図書館で借りた。

 芝木さんはかなり行動的で、積極的に海外にも出かけて行くのはちょっと驚きであった。私が読んできた芝木さんの小説は昔の女性を描いていたし、日本の伝統や習慣を生きる女性の姿がそこにあった。だから勝手に芝木さんを古いタイプの日本人女性と思い描いていただけに、意外にかんじてしまったのだろう。
 もちろん日本の伝統の帯紐の美しさ、染色の色具合などの話もある。正倉院の組紐の復元の話や、東大寺の幡などは『隅田川暮色』の世界であった。
 そんな中貝紫の話に興味を持つ。芝木さんの作品に『貝紫幻想』という作品があるので読んでみたくなった。

 今年最後のさつきの消毒をする。本当はもう少し早くやるつもりでいたのだが、消毒をやろうと思うと、次の日が雨の予報が出ていて、機会を逸してしまって今日になった。後は来年の3月まで何もしなくていい。

 今日から年末の大掃除を始めた。例年12月中旬から始めるのだが、いつも途中で予定が入り、ギリギリまで掃除をする羽目になるので今年は早めにスタートした。とにかく我が家は窓が多く、その窓一つ一つに網戸が付いている。一階、二階とすべての窓、網戸を一人で受け持っているので、窓拭き、網戸を洗うのも結構大変なのだ。
 幸い今日は暖かかったので、水を使うのは苦ではなかったが、明日からまた冷え込むという。冷たい水に手をさらしていると、もうすぐ今年も終わるんだなあと思う。


12月6日 水曜日

 晴れ。

d0331556_06421768.jpg 常盤新平さんの『ベストパートナー―「夫婦」という名の他人』(講談社 1996/07発売 講談社ニューハードカバー)を読む。
 常盤さんが語る夫婦とは、というのがこの本である。別に夫婦とは何かなど考えてこの本を読んだわけじゃない。単に常盤さんの本だから読んだというだけのことである。
 そしてこの本の結論は副題にあるように夫婦といえども他人ということであり、それを自らの夫婦関係、家族関係から語るだけで、今さらという気分になる。
 常盤さんは2回結婚をしている。子供を捨てての再婚らしい。そんな常盤さん自ら再婚者に夫婦を語る資格はないと言いつつも語っている。ただどこか鬱屈しているのがわかる。ここにあるのは一種の「諦め」が強く滲み出ている。そんなものばかり読んでいて一向に面白いわけがない。
 で、仕方がないのでいつものように言葉を拾う。


 自分に素直に生きることは、自分勝手に生きること、身勝手に生きていくことなのである。(失敗を恐れず)


 真実などというものは、光の当たり方次第によっていかようにも見える。これこそが真実だろう。(ゼロからのスタートが苦手な男たち)


 諦念は、悟りの大きな一歩である。(新しい常盤家の味)


 幸福なんて、言葉だけのもので、互いに折り合って生きていくしかないのである。(親しき仲にも礼儀あり)


 これだけ拾い出してみてもわかる通り、苦々しく、投げやりな感じが拭えない。そろそろ常盤さんの本を読むのもおしまいでいいかも、と思った。

 これで江東区の図書館で借りた本3冊をやっと読み終えた。ここのところ本を読むペースが落ちてきていて、思うように読めない。自分では余裕を持って読めると思い、3冊借りてきたのだけれど、ギリギリになってしまった。しかも地元の図書館で借りている本も2冊あって、1冊はまだ手を付けていない。返却日が近づいているので、ネットで貸し出し延長の手続きをする。本を借りるのも少し考えないといけないようだ。

 明日また荒川を渡って本を返しに行く予定。


12月7日 木曜日

 晴れ。

 江東区、江戸川区の図書館に本を返しに行く。江戸川区図書館では本を返却後、また2冊借りてくる。ここのところ図書館で本を借りてばかりいて、自分の本を読んでいない。これはまずいなあ。


12月8日 金曜日

 曇り、夜雨。

 一階の窓拭き、網戸を洗う作業は終わった。
 一家の居間の北側が出窓になっている。そこに亡くなった義父が気に入っていた博多人形がある。ガラスケースに入っているのだが、それが劣化のためかなり痛んでいた。そのことは昔から知っていた。義母から何とかして欲しいと妻が言われているのを私も聞いていたが、忙しかったし、面倒であったので、知らん顔をしていた。
 で、昨年ケースの状態を見て、修理できそうだとわかったので、今年直してみた。取れてしまった板などセロテープで補修してあったが、それも劣化してボロボロになっていた。とりあえずガラスをすべて外し、ガラスクリーナーで汚れや埃を取り、後は劣化している背後のベニア板、三方のガラスを支える支柱をボンドを付けて底板に固定する。
 やってみると30分ぐらいで直った。ガラスもきれいになったためか、中の人形が映える。
 人形ケースをなんとかして欲しいと頼んだ義母は今、施設に入っているので、本当は元気な時に直してやれば良かったかな、と思ったが、当時こっちにはこっちの事情もあったのだから仕方がなかった。


12月10日 日曜日

 晴れ。

 イオンに行く。大坂にいる甥っ子の今年生まれた子供のクリスマスプレゼントを買いに行ったのだ。といってもまだクリスマスプレゼントなんてわかりやしないのだから、適当に買えばいいじゃん、と思っていたが、同じものがあっても困るだろうし、とあれこれ悩むことになる。結局外国のお風呂で遊ぶおもちゃを購入。外国製だからそうそうダブルこともなかろうということでそうした。ついでにわが孫にもおまけでクリスマスプレゼントのお菓子も買う。おまけとはもう彼女が欲しいといっていたプレゼントがもうアマゾンで買ってあるからだ。

 年賀状印刷をするため、プリンターのインクも購入。イオンは他の店より安い。しかも会員割引も利いて、さらに安くなった。本当は四色買いたかったのだが、シアンだけ品切れという。残念。

 佐藤健二さんの『浅草公園 凌雲閣十二階―失われた“高さ”の歴史社会学』をやっと読み終える。


12月12日 火曜日

 晴れ。

 久禮亮太さんの『スリップの技法』を読む。


12月15日 金曜日

 曇り。

 整形へ首の牽引へ行く。一週間に一回の割で通っているが、最初はこんなの効果があるのかいな、と思いつつ、通ってきたが、ここのところ首の痛みは以前に比べて和らいでいる。
 しかしこれっていつまで通えばいいんだろう?自分でもういいや、と思ったとき、勝手に止めていいんだろうか?恐らく完全に治ることはないだろうから、適当なところで折り合いをつけていいんだろうか?



by office_kmoto | 2017-12-16 07:44 | 日々を思う | Comments(0)

半村 良 著 『雨やどり』 『たそがれ酒場』

d0331556_18170403.jpg こういう人情ものが好きだ。先の『断裁処分』に描かれる、読者に受ければいいんだろう、というような本の制作現場を読んでしまうと、“何か違うんだよなあ”という気持ちにこの本はなる。
 物語は新宿歌舞伎町のバー「ルヰ」オーナーでバーテンダーの仙田をめぐるバーの男と女の話である。仙田は同業者からも信頼が厚く、顔も広い。だから様々な話が仙田の元に持ち込まれる。話自体はどうってことないのだけれど、仙田のお人好しとお節介の人情もので、そのお節介がいい話を生む。また集まる人間も口の悪さ、人なつっこさ、早とちりが話を面白くする。
 読んでいるとここで働く女はやはり接客業を長いことやっているものだから、人のあしらい方がうまい。それにひとつひとつの振るまいがそれなりの年数を経ている者のさりげなささがきれいだ。
 彼らは断ればいいもの断れない。そこで苦しむことなる。仙田は思うのである。


 断ればいいんだ。なぜ断れない……。(おさせ伝説)


 時が無情にも流れ、人も街も変わっていく。


 「もう、あの名人にも新宿は摑みきれなくなったんでしょう。そう言えば、いろんなことが外れはじめましたね。淋しかったんでしょうね。自分の街が知らない街になって行く……。もういられない気持だったんじゃないですか」(新宿の名人)


 「すんだことは仕方ない。今夜にでも角田のパパに会って思い切り叱られて来いよ。でも、あんまり汚いことは聞かせるな。少し嘘になってもいいから、可愛い子が悪い奴に騙されてひどい目を見たことにしておいたほうがいい。いいかい、角田さんもお客さんの一人だってこと忘れるんじゃないぞ。お客さんはきたないものを見に店に来るんじゃないんだからな。詫びたいなら、角田さんの夢を少しでもこわさないで残しておいてあげることだ」(新宿の名人)


 人に汚いことを聞かせないなら嘘もいい、なんてうまいことを言う。どうせつく嘘ならきれいな嘘をつきたいものである。


 「そうさ。ああすりゃよかった、こうすれりゃよかったと、あとになれば思うんだが、本当のところは、自分の馬鹿がよく判ってる。馬鹿なことをしちまっても、馬鹿なことしかできなかったんだってことが判ってる。だから本気で後悔なんぞしやしねえのさ。生きて行く上での、打つ手打つ手が少しずつ間違って、そういうのがつもりつもってこういう町へ来ちまうんだ。お前、株屋になって何年だって……」(愚者の街)


 「それそれ。ああしなきゃよかった、こうしなきゃよかった……。そのとおりできれば夜の町へ来やしない。先生をやめて手相見なっちゃうずっと以前から。飯田さんたちはどこかで打つ手を間違えて来たんだろう。ひょっとすると、安子と夫婦になったあたりが、もうおかしかったのかも知れねえな」(愚者の街)


 人の後悔ってつくづく悲しいものだと思う。
 私はここにある連作短篇ではやはり「雨やどり」が好きだ。仙田が住むマンション前に雨宿りに来た、男と一悶着ある女との関係がいつの間に消えて行く。その時仙田は「そうか。あいつ、俺に雨やどりしたんだ」と納得するあたりは、ちょっと唸っちゃった。

d0331556_17224651.jpg この本を読んでからその後20年たって還暦になった仙田の話が続編としてあることを知った。それが『たそがれ酒場』である。
 今度は新宿から神田のホテルの地下にバー「ルヰ」を構え、赤字のホテルを盛り上げようとする。
 昔馴からの染みの人間が年数を経てそれなりポジションにいて、その年数分背負ってしまった悲しみを思い出として語るあたりは、しみじみとする。仙田も歳をとり、それなり人生を過ごしてきた彼らを見ると、自分はいつまでも一人だと落ち込みもする。


 夢も希望も酒にまぎれて老いて来た。仙田は自分の人生をそう感じ、ひどく落ちこんだ気分になった。(行きずりの過去)


 愚痴をこぼした岩井が、意外にいい妻を持っていた。それが仙田にはこたえたもんだ。魚で言えば片身のまま、とうとうここまで来てしまった。妻も子もないことを不幸だと思ったことはないが、毎晩寝ているのはホテルの部屋で、いざというとき呼び寄せる相手もいない。(雨降り女)


 こういうのを読んでじんとくるのは焼きが回ったというか、歳をとったということか。


 「はじめは恋女房。そのうち亭主は生活費の運び屋。最後は女房が飼育係」(雨降り女)


 むう……。
 ちなみに「たそがれ」の意味を辞書で引いてみると、


 たそ がれ【〈黄昏〉】

①〔夕方は人の姿が見分けにくく,「誰 (た)そ彼 (かれ)」とたずねるところから〕夕方の薄暗いとき。夕暮れ。「―の町」→ かわたれ

②人生の盛りをすぎた年代をたとえていう。


 そうか、人生の盛りをすぎた年代か。


半村 良 著 『雨やどり』 集英社(1990/03発売 集英社文庫)


半村 良著 『たそがれ酒場』中央公論新社(1994/01発売)

by office_kmoto | 2017-12-13 17:27 | 本を思う | Comments(0)

藤脇 邦夫 著 『断裁処分』

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 この本は最初ルポかノンフィクションかと思っていた。ところがこの本は出版業界を描いたビジネス小説だった。
 話はまず、中堅取次の「細洋社」の自主廃業を業界新聞サイトで知った主人公が「またか」と思うところから始まる。先だってやはり取次の「桃田」が経営破綻して半年も経っていないと思う。
 最初なんとはなしに読んでいたが、後から「細洋社」は太洋社のことで、「桃田」は栗田のこととわかる。このようにこの本では日販を「全販」、東販を「東京屋」、集英社と講談社を合わせたみたいな「集談社」とパロディまがいの感じで、いまの問屋、出版社を臭わせている。名前のつけ方が安易すぎはしないか、と思ってしまう。
 各章も細かく別れ、その分これだけのページの本なのに登場人物がやたら多い。最初はいったいこの著者は何を書きたかったのだろう、と思っていたが、読んでいるうちに、いわゆる出版不況のなか、いまこの業界で起こっていること、あるいは今後起こりそうなことを書きたかったのだろうな、とわかってくる。
 話の内容は、先の見えない出版不況はこの業界に様々なところで暗い影を残しているが、ベストセラーを作り出して起死回生を狙う。そのためにはそれを出版社が指導して、大手広告会社の力を借りて、あらゆるメディアを使って作り出そうとする。まずはそうしたエキスパートたちが企画を立てベストセラーを世に送り出そうとするのである。その上で小説がその次に来る。つまり作家が創作活動として物語を作るのではなく、ベストセラーを作るという企画が先にあり、その延長上に物語が書ける作家が文章を書くという訳のわからないことが書かれている。
 また大手出版社も、経営不振から、倒産の危機にさらされていて、それを回避するために自らが持っている文庫の版権を外資に売ろうとするところ、志のあるかつての編集者であった経営の幹部たちが立ちあがる、という話なのだが、はっきり言って面白くない。ビジネス小説としてこれは失敗作だろう。だいたい書名の「断裁処分」と話がどう関係するのか、よくわからない。ちなみに「断裁処分」とはこの本の最初に次のように書いてある。

 「断裁処分」
 書店で売れなくなって、出版社に返品された本や雑誌を再度流通しないように、廃棄処分扱いにすること。

 著者のことを調べてみると、著者は出版社に勤めていたようで、だからかこの業界の裏事情に詳しい。話にも出版業界の裏事情を折り込んでいる。むしろ話の内容より、こっちに方が面白かった。だからわざわざ小説にする必要はなかったのではないか、と思える。で、面白い今の出版界裏事情を書くことにする。
 まず出版業界にある受賞パーティーでの話から。今でも各種受賞パーティーが盛んらしいが、それに出席する面々の話は面白い。

 「いや、そういう売れっ子は時間が惜しいからこんな所にはよほどのことがないと来ない。来ても、挨拶してすぐに帰ってしまう」
 「ということは、ここに長居しているのはそうじゃない連中ばかりということか」
 「別に疑問符でなくてもいいんじゃないか。呼ばれたら必ず出席して、最後まで飲み続けている、まさにそれ自体、その作家が売れていない確実な証拠だな。そうしてみると、壮大な眺めじゃないか。本を書くことしか生活できない連中がこれだけ律儀に集まって、他人の金で飲み食いしている。となると、この費用は一体どこから出てくるんだ?」

 70年代までは各出版社に文学全集があり、これが(老)作家の安定した定期収入だった。だが、オイルショック以降はこうした企画も少なくなり、映画化も文庫化も、選考委員の口もない老作家が生まれるようになる。後は講演会だが、これも本の売れ行きによってお呼びがかかるわけで、80年代のバブル期に全国の企業で乱立した豪華なPR誌がその後姿を消すと、残ったのは「作家」という肩書きだけだあった。詩人も兼ねている作家であれば、翻訳業は本業以上の意味を持っていたのは言うまでもなく、それ以外の機を見るに敏な連中は、広告代理店のコンサルタントや、大学の特別講師の道を模索していたが、それに乗り遅れた作家連中が皆勤賞として出席しているのが、今日のパーティーだった。

 出版不況は出版社だけでなく、出版にかかわる様々な業界にもその影響が及んでいるがそのエピソード。

 産業としては大企業の一つでもある製紙業界、印刷業界側の出版への依存度はますます低くなり、さらに古紙業界者、返品業者の扱い量も必然的に下がる。要するに、出版を取り巻く産業すべてのダウンサイジング――縮小化に直結するわけだ。

 「時代ですね。製紙会社も印刷会社同様、社員が多くて、今のところは、印刷以外のジャンル開発が一番の急務です。本で始まった印刷と製紙が、それ以外に活路を見出さないと生き残れるようにならないとは皮肉なことですね」

 実際大日本印刷は、印刷だけでなく、出版社、書店まで子会社化している。丸善、図書館流通センター、ジュンク堂書店を子会社化し、主婦の友の株式約39%を取得し筆頭株主になっている。さらにブックオフまで出資しているはずだ。

 さらに出版界の裏事情を書き出してみる。

 「そりゃそうだ。文芸誌は別に毎日の生活に必要なものじゃない。実は小説が出版社にとって一番必要がない代物なんだ。普通の出版の経営者が冷静に考えれば誰でもそうなる。だが、大手のジレンマは、赤字部門と自覚していても、それを面と向かって廃止できない立場にあることだな」

 実際のところ、アダルト雑誌は完全に売れなくなっていたわけではなく、三万部を超える書店配本ができなくなり、それを通販、ネット販売で維持できなくなったときに採算が合わなくなったのが内実だった。配本が限界というのは、夜間まで開いていた中小書店が減少していったのと、書店業界での圧倒的な女性人員のシェアだった。町中の大型書店であればあるほど、書店側の女性たちが積極的に販売するアイテムではなくなり、それも含めて販売箇所である書店でその場所が確実に縮小化されていったのが原因の一つだった。かと言って、数少ない販売書店に今まで五十冊の配本だったところに一五〇冊送品するわけにはいかない。何事にも限界があるのであれば、その頃からアダルト関連の書店販売は終わりを告げていたかもしれない。

 大手以外、これほど不安定な業種もないことは出版社にいれば誰でもわかる。作家がクレジットカードを作れないのと同じ、社員が住宅ローンを組める出版社は日本に一〇社ないのは事実と言ってよかった。

 なるほどね。アダルト関係の本が書店に置けない理由が女性店員が多い書店業界なら、確かにそうなるだろう。
 ところでこの本には図書館について書かれるが、これがかなり面白い。
 60年代の書店業界、仕入に苦労しなくても、取次から送られてくる本を並べておけば、ある程度売れ、日銭がそれなりに入るから、個人商店の側から見れば始めやすい商売の一つだった。しかも売れ残れば返品ができるから、生鮮食料品のように商品の状態に腐心する必要もない。利益がある程度固定されていた。
 ただ少し売上が落ちてくると、採算が合わなくなってくるところも出てきたので、もう一つの固定売上げとして文具も売るようになる。
 1972年のオイルショックのとき、紙不足で雑誌の部数が制限され、毎日の日銭の元だった雑誌の入荷が減ってしまい、売れ行きに影が出てきた時、救世主となったのが漫画雑誌だった。定価は低いが部数が桁違いだから薄利多売で何とか利益の確保が出来た。漫画雑誌はそのままコミックスとなり、80年代にまでそのまま個人商店の支えとなる。
 書籍の売上はそれほどなかったが、この時期図書館から購入が始まる。公立図書館は仕入の手間など考えて、近くの書店から仕入れるようになった。これが後の弊害となる。
 89年のバブル時期の頃、図書館でも利用者を増やそうとして図書リクエストとベストセラーを複数購買するようになり、利用者が比較的早くリクエストした本、ベストセラーが読めるようになった。そうなると本を買わなくても図書館で借りて読むという読者の意識が生まれる。これがこのまま続き、ボディブローのように効いてきて、その後の出版業界に暗い影を投げかけている。
 そしてここでは触れられていないが、デフレによる景気悪化は所得にも響き、本は買うより図書館で借りて読むという意識がさらに強くなったのではないか。面白いことがここで書かれている。

 最近話題の、ある小説は読んだかと聞くと、
 「いや、読みたいと思っているんだが、近くの図書館には入荷予定がないようなんだ。退職して年金が出るまで無駄な出費はできるだけ抑えなければならないから、ちょっと買うことはできない」
 「やはり、そうですか」
 「これは退職した身でないとわからないと思うな。つまり、図書館に入らない本は読む機会がなくなるというか、要するに読むことができないということになるんだ。でも、まあ、他に読んでいなかった本が山ほどあるから別に不自由は感じない。もう新刊を争って読む必要はないからな、特に小説はそうだ」

 朝、開館したばかりの図書館に行くと、かなりの年配者が今日発売の週刊誌、新聞を読んでる姿を多く見かける。この時間帯にここに居るということは、私同様仕事をしていない人たちだろう。持て余した時間つぶしかもしれない。図書館には大手出版社の知名度のある雑誌と書籍は大半が置いてある。年金支給までの節約意識が加われば、図書館の利用度は自然的に上がってくる。
 私も基本的には同じかもしれない。ただ買うかどうか迷ってしまう本を予約して借りに来ている。昔なら気になったら直ぐ買っていた。それが経済的理由で出来なくなり、図書館を利用しているわけだ。お陰で買うまでもなかったなと後悔することがなくなったのは有難かった。もちろん好きな作家の新刊などは相変わらず無条件で買っている。なにより本棚の本が増えなくなったのは一番有難い。
 また一方で図書館を利用することにしたとき、これまで読んでこなかった、作家さんの本を読むこともしてみよう、と思った。以来ファンになった作家さんもいる。その人の本は自分の本棚に置いておきたいと思い、新刊、古本と新たに集め出したものもある。
 いずれにしても今の私は図書館はなくてはならないものとなっている。
 でも、私のように経済的に新刊を買う余裕がない人は、やはり図書館を利用するだろうし、そうした利用の仕方が出来る図書館はやはり有難い。これは隠しようもない事実である。図書館が新刊書店の売り上げを喰っているということがかなり問題視されているのは知っているが、もし図書館で新刊を読めなくなれば、確かにその本は読まなくなる。そして図書館で読めない本は新刊といえども、我々においては、その本が商品的価値、存在がないのと同じことになってしまう。
 また有名雑誌はどこの図書館でも置いてあるから、最新号が読める。バックナンバーが読めるのも有難い。
 実売数は減っていても、それを読む人間の数は減っていないのではないか、と思う。ただ本の商品性はともかく、内容は知らぬ内に希薄になっていることは間違いないだろう。

藤脇 邦夫 著 『断裁処分』 ブックマン社 (2017/04発売)


by office_kmoto | 2017-12-09 07:23 | 本を思う | Comments(0)

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