<   2018年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧

南木 佳士 著 『急な青空』

d0331556_05555049.jpg
 読んでいて思わず、「ウッフフ」と笑いが出てしまう。若い時に比べ、自らの変容を眺めたシニカルな文章に笑いが出てしまうのだ。こう言いたくなるのもよくわかるのである。思わずそうだよなあ、と思うのである。
 妙に感じやすいものだから、うなだれやすい自分もそこにある。

 神がいると思っているのではなく、神の存在を信じ、石段の角を丸く磨り減らすほど頻繁にこの神社に詣でた中世から今日に至るまでの何千、何万の凡夫の一員となることに、なんとも言えない安心を覚えるのだ。(神社にて)

 懐かしい人たちはみんな死者(ステッパー幸吉号)

 こういう文章を読んでいると、ふとあの人は今どうしているいるだろう、と思うことがある。若い頃知りあい、お世話になったひとまわり以上も年上の先輩など、自分の年齢を考えれば、もう亡くなれたかもしれないなあ、と思ったりする。以来会えなかった分、寂しくなる。実際お世話になった人で亡くなれた人もいるから、余計に寂しくなる。
 「じゃあ」と言って別れて、そのままという人があまりにも多い。

 そもそも、人生というなにかがあるわけでもなく、降っては湧き、前に立ちはだかったり後ろから突き飛ばしてきたりする出来事におろおろ対応している間に歳をとってしまう。そんなおぼろげな足跡をふり返って名づければ「人生」と呼べなくもない。(五十年)

 深く鋭く刻印されなかった記憶は、風化するのも速い。(タコ釣りの教訓)

 逆に鋭く刻印された記憶はいつまでも抜けない棘のように刺さったままである。南木さんもそうして記憶に残った棘を書くことでうっちゃっているのだろうか。

 書くことによってその場で想い起こされる哀れな己を原稿用紙の上に置き去りにする。そうやってなんとか生きのびてゆく。書かなければ悲哀に埋もれてしまいそうな私にとって、小説を書くという行為は言葉による新陳代謝のようなものだ。(タコ釣りの教訓)

南木 佳士 著 『急な青空』 文藝春秋(2003/03発売)


by office_kmoto | 2018-05-30 05:57 | 本を思う | Comments(0)

柏原 成光 著 『人間 吉村昭』

d0331556_06004907.jpg
 先行する吉村昭論として、まとまったものが二つある。一つは川西政明の『吉村昭』(河出書房新社)、もう一つは笹沢信の『評伝吉村昭』(白水社)、それにもう一つ加えるなら川西政明の『道づれの旅の記憶』(岩波書店)である。それぞれ労作であるが、読んだ私には吉村昭の肉声が聞こえてこない、という感想が残った。それぞれの著作がそれを目的としていないのだから、ないものねだりと言うことになるかもしれない。しかし私にはもっと皮膚感覚的に吉村昭を感じられるものを読みたいという欲求が起こってきた。(はじめに)

 それで編集者として関わった著者が皮膚感覚的に吉村昭の肉声を書こうとしたのがこの本である。その手法は、

 普通は、対象の相手が書いたものを、できるだけ読み込んで自分の文章にして叙述するのが当たり前のことだが、私の場合はできるだけ引用を多用して吉村昭の生の声を伝えたいと考えた。幸いなことに吉村昭には数多くの身辺を語ったエッセイが残されている。それを整理するという方法で、吉村昭の生の姿に少しでも近づけたら、と思う。

 吉村さんは自らのエッセイには事実しか書いていない、と断言している。しかもエッセイは多い。だから吉村さんのエッセイを読み込んで、時系列で拾って行けば、吉村さんのことは書ける。けれど……。私はこの手法にはあまり感心しない。なぜなら極端なことを言えば吉村さんのエッセイを読み込める人であれば、だれでも出来る仕事である。著者が吉村さんの肉声を届けることが出来たはずの編集者として接してきたことは著者しか知り得ない吉村昭があったはずだ。そこにこそ価値があったのではないか、と思う。そういう意味では吉村昭の肉声を聞くという手法が間違っていたとは言わないけれど、もったいないな、と思った。
 ただ、私も本になった吉村さんのエッセイは殆ど読んできたから、ここで引用される吉村さんの文章は懐かしくはあったけれど……。また読んできたといっても結構おざなりに読んできたので、そんなことが書かれていたか、と驚いたりもした。(多分読み飛ばしたか、忘れてしまったのだろう)
 さて、そんな中、興味深かったことを書き出してみる。

 「その頃のことですがね、私たちは、吉村昭はこれで終わりだね、消えるよ、と言っていたんです」

 これは吉村さんが四回も芥川賞の候補者にあげられながら、受賞できなかったため囁かれたことだった。吉村さんもだんだん追いつめられて行ったようで、奥さまの津村節子さんが先に芥川賞を受賞してからさらに追いつめられた。

 それを読んだ私は、急に気持が動くのを感じた。唯一の頼りにしていた「文學界」に短篇が掲載されたのは一年半前で、私は忘れられた元芥川賞候補作家とされている。文壇に指の一本でもかかったかな、と感じたこともあったが、激しい干き潮に自分がひきもどされるように文壇から遠くはなれ、今では、それに近づく手がかりもない。

 「それを読んだ」とは太宰賞の作品募集の記事である。「文學界」に出した「星への旅」がボツとなったので、それを推敲し郵送した。

 「しかし、郵便局から家への帰途、私は、早くも作品を送ったことを悔いていた。/(略)/文芸雑誌に新人賞がもうけられていて、受賞者の中には文壇に華々しく登場していった人もいる。が、私は、これまでそのような賞に作品を応募したことはなく、それは、自分から積極的に自作を読むよう提示することは文学の本質にもとる、という意識があったからである。作品は、相手の求めに応じて提出するものであり、自ら差し出すものではない。/そのように長い間、自らを律してきた戒律を、懸賞小説への応募によって破ったことは恥ずかしかった。「展望」の応募規定を読んで、私は平静さを失い、作品を応募したのだが、その根底には作家としてこのまま消えたくないという焦りの感情があり、それによって思わぬ行為をおかしたことが情けなかった」

 この吉村さんの記述に対し、著者は付け加える。

 彼が焦りの感情を持った原因のひとつには、前年に妻の津村節子が芥川賞を取ったこともあったかもしれない。さらに、彼が強い自己嫌悪に陥った原因には、彼が太宰賞に応募するとき、本名ではなく、新しく作った筆名を使ったことにあるのではないか。彼が新しい筆名を使ったのは、『文学者』の同人仲間の一人が、それまで長く使っていた本名を止めて、新しい筆名を使って、いわばまったくの新人を装って応募して、ある雑誌の新人賞を取ったばかりか、芥川賞までとったという例が身近にあったからである。そうした下心を持ったことこそが、文学に対する自尊心の強い彼が自己嫌悪を感じずにいられなかった大きな原因ではなかったか、と私は推測する。

 同人誌で作品を発表していた人たちの下積み時代の苦労は、大変だったようで、開高健さんにもその自伝などに苦労が書かれている。まして彼らは文学に使命感を持っていたし、それに命を捧げるくらいな生き様をしていた。そこまで文学に力があるのか私には疑問を感じないわけでもないが、書くことと生きることが一致しているというのはこういうことなのだろう。

 作家として独り立ちすべき難しい時期を、こうして吉村はくぐりぬけて、ひたすら書き続けた。それが、三九歳の本格的デビューという作家としては比較的遅いスタートにも関わらず、結果として数多くの作品を残していくことになったのであろう。

 彼が生涯書き残した著書は、長編、短編、エッセイの単行本を合計すると、本の見なし方にもよるが、一五〇冊を超える多数にのぼる。今、吉村の著作年譜をたどってみると、昭和四一年に太宰治賞受賞作を中心に集めた記念碑的短編集『星への旅』を筑摩書房から出版して以来、(それ以前にも三冊の単行本があるが)、平成一八年に亡くなるまでの四一年間単行本が出なかった年はないのである。しかも毎年二冊から五冊の複数冊出ている年が多く、最も多い年の昭和四六年には八冊にも及んでいる。そして、驚くことに、そのほとんどが文庫化されている。それどころか、亡くなってからも一〇年近くにわたって、単なる文庫化ではない、それまで書き溜められていたものが、新しい単行本として出版され続けたのである。

 こんなに書かれていたんだと思う一方、私の本棚に吉村さんの本が増えていった理由もここにある、とあらためて認識する。

 つまり、その長編を敢えて書いた動機は、私の人間として生存の問題であり、それが文学に対する私の考え方をおさえこんでしまったとでもいったものであった。
 言い換えれば、戦争を肯定しながら生きた自分がいる、しかし戦後の自分ははっきりとその戦争を否定している、このねじれを凝視することからしか彼の戦争への反省は始まらなかったのである。しかしこの苦闘を通ることによって、吉村の文学世界は疑いもなく広がっていったと言ってよいだろう。それはまず戦史小説という形をとったが、それに続く歴史小説もまた、その根源においては彼なりの戦争へのこだわりから生まれているのである。もっと分かりやすい例で言えば、彼は明治維新に連なる桜田門外の変は、太平洋戦争に連なる二・二六事件と時代の流れとしてアナロジーである、というとらえ方をしている。そういう問題意識からはずれた題材を、彼は自分の小説の題材として採用しない。だから、多くの人から忠臣蔵を書くことを勧められたが、それは単なる私闘に過ぎないと彼はとらえ、取り上げなかったのである。

 なるほど、これは面白い。
 この長編とは『戦艦武蔵』である。吉村さんは純文学からスタートしている。その純文学を置いて、戦史文学に向かわせたのは、戦争体験が抜き差しならないものであるからだろう。戦前、戦中、知識人や新聞などは戦争を讃美し、支持してきた。それが戦後一転して転向する姿勢を示す。戦争を賛美、支持して来た彼らは、悪いのは軍部であり、自分たちは軍部にそそのかされていて、最初から戦争は否定していたというのである。その身代わりの早さに驚くと共に呆れる吉村さんであったが、よくよく考えれば吉村さんも戦中は戦争を賛美し、戦後は戦争を否定するのは同じであった。この姿勢を反省するとともにこの転向に苦悩した。それが吉村さんのその後の文学の再出発となった。それが戦史文学に向かうことなった。
 吉村さんは単に資料に頼るだけでなく、実際に関わった人たちに聞き歩く。しかしそうした彼らも一人ひとり亡くなってくことで、話を聞けなくなってくる。そこで戦史文学を諦め、歴史小説へ進む。それでもその題材としたものは太平洋戦争に関わっていくものに限った。そこに太平洋戦争につながる事実を見ようとしたのであった。この姿勢は司馬遼太郎さんとよく似ている。

 最後にちょっと驚いたことを。

 それは後年、吉村が数多くの媒酌人を引き受けていることである。実に六〇回に及んだという。

 これはすごい。

柏原 成光 著 『人間 吉村昭』 風涛社(2017/12発売)


by office_kmoto | 2018-05-28 06:04 | 本を思う | Comments(0)

杉浦 日向子 著 『江戸へおかえりなさいませ』

d0331556_06072413.jpg
 本を読んでくれた人からいただく、一番うれしいことばのひとつ。「なんだかいいね」。すごく良かった、ではなくて、どこがどうってわけではないかれど、なんとなく心に残った、と言われると、しみじみうれしい。みぞおちのあたりが、ぽうっと暖かくなる。いつも、なんだかいいね、を頭に描いて、仕事に取り掛かる。(うれしいことば)

 と杉浦さんは書く。
 杉浦さんはご存じの通り江戸風俗研究家でもあるわけで、この本は私たちが思い込んでいた江戸時代とはちょっと違う側面、江戸時代というのはこういうものもあったんだよ、と教えてくれた。
 なるほどね、といくつか思った。
 いくつか書きだしてみる。

 時代は「なんとなく」変わる。「なんとなく」、そうなって行くものなのだ。激情と腕力で、世の中は変えられない。嬉しくも、悲しくもない。その曖昧模糊とした気分が、ひらべったく充満した時、時代が横滑りに、ずるり、と動く。それだけだ。天地が繰り返るのでも、幕が開くのでも、まして「進化」するのでもなく、「滑ってずれる」のである。(ええじゃないかよりなんとなく)

 漠然としたものって、積もり積もると、得体の知れない力を持ち、それ知らぬ間に変化をし始める。それを「滑る」と表現するにはうまいなあ、と思った。

 行政が断行する「改革」は、庶民にとってはいつだって「改悪」でしかない。改革とは、食膳におかずが一品ふえることではなく、一皿一鉢へることだった。なんのことはない、せっぱつまった現体制の延命策が改革だった。(江戸の三大改革)

 口角泡を飛ばしながら、とにかく「改革」と唱える輩は基本信用しない。なぜならそれは杉浦さんが言うように、「改革」ではなく、「改悪」だからだ。いつの間にか我々に無理を強いる。
 特に最近のお国のやることは改革ではなく改悪なのではないか、と思うことが多い。いつも行き当たりばったりで、ちょっとすると「改革」が破綻する。それの繰り返しだ。気がつけばいつの間にか首をな真綿で絞められている。

 戦乱の世には、武力をもち者が主役だ。が、泰平の世には、生活を支える生産者と消費者が主役だ。武士は領地(管理地)から収穫される米の数割により養われる。戦乱がなければ、あらたに獲得する領地もなく、武士の給与は固定されたままとなる。そして、武士はもとより何も生みださぬ非生産者である。質素倹約が武士の合言葉で、消費は極力ひかえるのを美徳としていた。
 さればこそ、泰平の江戸は、民の時代だった。
 ヨーロッパ中世封建制は、民は領主の所有物であり、働くため生かされているのであって、民の側から広く世に文化を発信するゆとりなどなかった。文化はつねに、領主の楽しみのために調達された。多くの美術工芸品、戯曲、バレエは、富をもち者の嗜好に供され、大半の芸術家は、パトロンのご機嫌をうかがいつつ創作した。
 が、江戸を代表する文化、歌舞伎、相撲、寄席、浮世絵、俳諧、歌舞音曲、釣り、盆栽、書画骨董、旅行、おしゃれ、食道楽。これらの、くらしを彩る、愉悦の数々は、すべて「民」が造ったものである。ばかりか、チープ・ガバメントであった幕府は、本来、自治体が担うべき公共事業(保健・福祉・産業開発)のほとんどを民の私財と自主活動にたよっていたのだ。(江戸の華)

 なるほど、戦国時代のように領地拡大が出来れば、自らの取り分も増えることは可能であったろうが、江戸時代が二世紀半も泰平の下であったことで武士が武士として必要なくなっていた。だから武士がこの時代をリードする役割はなく、文化の担い手にはなり得なかった。それに変わり庶民がそのしたたかさで文化を作っていく。江戸の庶民文化とはこういう背景で出てきたわけだ。

 何をやらしても玄人はだしにこなすけれど、結局「玄人はだし」てえのは、素人を褒める言葉じゃねえか。なんでも出来たけれど、なにひとつとして極め得なかった、つまり、物好きの道楽でしかなかったてえこったろう。(源内先生じたばたす)
 確かに、この通りだ。

 謎の絵師・写楽。しかし写楽のみならず、浮世絵師の殆どが、本来、謎の絵師なのである。素性の分かった人などごく稀で、生没年、本名、出身、経歴はもとより、言ってみれば性別すら、定かではない。
 現代の「美人画」、化粧品会社のCFやポスターの、モデル名や商品名が、人々の脳裡に刻まれる事があっても、その、撮影者に付いては、おおむね無関心なように、浮世絵師も又、裏方の職業だった。(写楽 二百年の呪縛)

 写楽はそのデビューから謎の多い絵師で、その出生など不明な点が多い。だから写楽は誰だ?ということが話題になり、そのため写楽を題材に取ったミステリーもいくつもある。私も好きでそんなミステリーを読んできた。だけどこのように言われれば、現代だって、例えば化粧品のポスターのモデルは見てわかるけれど、その写真を撮った人は知らない。浮世絵師もそういうものだ、と言われれば納得するし、何も写楽だけが謎の多い絵師だったわけじゃなかったのだ。

 いっしょうけんめい。これも、「一所懸命」で、そのむかし武士が、ただ一箇所の領地を死守して生活するのをたよりにしたことに発することばだ。餌をとられまいと、鼻にシワを寄せて、唸る犬のようで、ギスギスと浅ましい。今は転じて、「一生懸命」と使われることが多いが、これとて、一生の間、力の限りを尽くして努力するさまだから、なお気が滅入る。(うれしいことば)

 一所懸命と一生懸命の使い方を以前書いたように思う。森まゆみさんはその違いにこだわらないと、エッセイに書いていたけれど、私はこだわりたい。一つのところを守り通し生活も、一生頑張り続けなければならない生活もどちらもきついが、気分として生きている間ずっと頑張り続けることの方が、きついような気がする。そもそも頑張るということ自体があまり好きじゃないのだが……。

杉浦 日向子 著 『江戸へおかえりなさいませ』 河出書房新社(2016/05発売)


by office_kmoto | 2018-05-26 06:09 | 本を思う | Comments(0)

佐伯 一麦 著 『還れぬ家』

d0331556_05585564.jpg
 この本を読むのはこれで三回目になる。三回読んでやっとこの本が意味することがわかったような気がする。光二は佐伯さん自身であろう。ならばここに描かれている家族はそのまま佐伯さんの家族の歴史である。

 この本は光二たち子供たちが実家に還れない理由が、家族そのものの中にあったことと、東日本大震災で被災し、実家が壊れ、物理的に還れなくなった二面性を描いている。
 光二たちが実家に寄りつかなかった理由は、母親にあった。母親がやたら世間体を気にする人で、そのため子供たちにかなりきつく、理不尽な接し方をしていた。
 親が子供に過度な期待をかけ過ぎる家では、親の思うように行かなくなったとき、親の豹変が子供たちの心を傷つけ、それが子供たちのトラウマとなる。それが子供たちをして実家から離れたいと思うようさせる。結局家族は親と子が隔絶してしまいそれぞれの世界に住むことになった。厄介なことに親はそのことに気がついていなかった。

 (ともかく、あの家には、子供たちは誰も還ろうとしない)

 ――お前なんか、本当は産まれて来るはずじゃなかったのよ!

 そういう過去をこの家は持つ。そして父親の伸朗が認知症になり、実家の近くに帰ってきた光二に助けを求めるところから物語は始まっていく。
 話は父親の認知症の介護の模様をリアルに描いていくが、その父親は東日本大震災の前日3月10日に亡くなる。物語はここから震災の模様が描かれる急展開をする。地震で実家も壊れた。

 生家が嫌で飛び出したのが、震災で家にいられなくなってしまった母親とこうして一緒に住むことになろうとは。非常時であることは承知していても、どこか自分がずっと保持してきた生家に対する心の姿勢が、有無を言わせずなし崩しにされたような当惑を私は覚え続けていた。

 家に還れない個人的な思いをずっと綴ってきた私にとって、外からの力(震災のこと)によって家へ戻ることが有無を言わさず不可能になった者たちの姿を前にすると、我が身のことだけにかまけてきたように自省させられるものがありました。

 これは「光二の手記」として最後にある。これまで光二たちが精神的に家に還れないでいたことを詳細に描いてきた。ところが震災で物理的に家に還れない多くの人々を目の当たりにして、自身の物語に甘えを感じた。
 さらに震災で家に還れないのは自分たちだけでない。認知症で施設に入らざるを得なかった亡くなった父親も最後は家に還れなかったことに思い至る。震災で家には入れない現実を前に、そこの居たいという気持は父が施設に入る前の気持と同じではないかと思うのである。

 思えば、あれが父にとっては、もう家に帰ることのない道行きとなったことに改めて気付かされることとなりました。それなのに、不思議なことに私には、父が震災のときにも、あの建物の中にいて、そこに留まろうとしていたように思えてならないのでした。
 
 前回読んだ時に書いたのは震災が起こったことでそれまでの物語が破綻しかけてところを何とか「光二の手記」で持ち堪えたことを書いたが、確かにそうであるが、だけど家に還れない光二たちの精神的な部分と、震災で物理的にも現実に突きつけられて、家に還れない者との対比で物語は二面性を持つことになった。そしてそれが物語の落としどころ得た感じになった。

佐伯 一麦 著 『還れぬ家』 新潮社(2013/02発売)


by office_kmoto | 2018-05-24 06:01 | 本を思う | Comments(0)

夢眠 ねむ 著 『本の本―夢眠書店、はじめます』

d0331556_05491194.jpg
 著者はアイドルだそうだ。もちろん私は知らない。
 「私アイドルなので……」とか「アイドルとして……」とか、だいたいアイドルって自分で言うことことなのか、その辺の言葉の使い方がおかしいんじゃないかと思うが……。(もっともこの本を出版するにあたり、新潮社の校閲部のチェックが入っているだろうから問題はないのだろう)

 この本はそんなアイドルである著者が本が好きで、自分で本屋を開きたい、という希望を持っていて(それが架空なのか、リアルなのかわからないが)、実際どんな本屋にすればいいのか、業界の人々に、それこそ出版社から、問屋、そして書店から参考意見を聞く。
 自らをアイドルと称すのは鼻持ちならないところがあったが、話の内容はいくつか興味深いものがあったので、まあ許すことにする。
 ヨドバシの有隣堂の店長との会話で、

 夢眠 あと、プライベートで他の書店さんに行ったときに、積んである本を直しちゃいませんか?角がずれていたりすると。

 宮尾 直しちゃいます!間違いなく直しますね。

 夢眠 直しちゃいますよね「トントントン」ってやっちゃうんですよね!私、あれすごく恥ずかしいからやめたいんですけど、どうしてもやっちゃうんです。

 宮尾 やりますね。癖だから仕方がないんでしょうね。書店員同士で書店に行くとふたりともやるので気がつかなかったんですが、書店員じゃない人と行ったときに「それってやっぱり癖なの?」って言われて、そこで初めて気付きました。

 これねえ、やるんだよ。書店経験者でも。平台がずれていると直したり、同じ著者の本が離れて、棚に入っていると、一緒に本を並べ替えてしまう。先日ブックオフへ行った時もやってしまった。だいたいブックオフはアルバイトが棚入れをやっている。こいつら馬鹿なので正しい著者名が読めないようだ。だからおざなりなところが多くて、よくこういうのを見かける。見かける度に、直してしまう。
 この後辻山さんのTitleへも行って、話を聞いている。さらに三省堂本店でPOPを担当している人にPOPの作り方を聞く。
 三省堂本店で思い出したことがある。神保町の古本祭りでタダでもらった「JIMBOCHO」に三省堂本店店長の“タワー積み”話が載っていた。なんでも三省堂では入荷した本はストックしておくのではなく、ボリューム感を出して売ろうという気質があったという。ただ平台を広くとるので上に積み上げる方法を採ったらしい。村上春樹さんの『アフターダーク』から始まったという。大がかりになると数人で積むらしいが、普通一人で30分から1時間かけてコツコツ積んでいくそうだ。腹が立ったのはタワー積みで大変なのが本の確保で、単行本だと100冊前後、文庫だと200冊必要だ、と平気で言っているところである。小さな本屋で働いてきた人間としては、ふざけるな!と言いたくなる。こんな見世物のために、本を100冊や200冊使われるものだから、中小書店にはその新刊が配本されないことになる。配本されない新刊を必死になって仕入れに走っている。自分もそうだった。1冊でも確保した時のうれしさって、この人わからないだろうな、きっと。
 いつも誰かそれを崩す奴がいないかな、と思う。圧巻だろうなぁ。

 さて、日販にもこの人行っているのだが、王子の流通センターにも行って、本が流通する現場を見ている。そうそうここはすごい。私もだいぶ以前に行ったことがある。もう40年ほど前のことで、今はもっとハイテクになっているんだろうな。あの時はベルトコンベアで本が流れて行き、書店ごとに自動的に分かれ、下にある箱に落ちていくのをびっくりして眺めていた。

 この本で初めて知ったことを書く。
 そもそも本ってなんだろうという著者の疑問に答えてくれた日販の女性の話では、まず本は、ISBNコード持っていること。ISBNとはInternational Standard Book Numberの略で
「978-4-出版社記号(例えば新潮社なら10)-書名記号-チェックデジット」となっていて、すべてで13ケタになっている。そうすると新しい出版社だと出版社記号の桁数が多くなるので、全体で13ケタは動かせないので、書名記号の桁数が少なくなる。ということはその新興出版社が出版される本が限られてしまう。そういう時は新たに出版社記号を取得するらしい。
 さらにCで始まる4ケタの数字もある。Cコードという。これで販売対象、発行形態、書籍の内容がわかるという。日本図書コード管理センターにアクセスすると「分類記号一覧表」が出ている。(http://www.isbn-center.jp/guide/05.html)見てみるとなるほど、とわかった。
 あと本が本であるための決まり事として、本には広告を入れてはいけないこと。入っているものは雑誌という考えに基づいている。さらにユネスコではページ数が49ページ以上あるものが本として規定される。

 さらに今回知ったこと。
 早川文庫は、他の文庫より多少背が高い。それを「ハヤカワトールサイズ」ということ。これは初めて知った。

 最後に著者が古本屋で絵本を見た時、名前が書いてあったことが書かれていた。実は孫が持って来た『なんでも魔女商会』に小さく女の子の名前を書いたラベルが貼ってあった。なんでもブックオフで買った本らしく、あっ、これだな、と思った。
 子供の持ち物に親が名前を書くのはよくあることで、本も同じ理由で名前を書くのだろう。絵本に自分の名前が書かれていれば、それが自分の絵本だという所有感を満足させるものだろうな、と思うし、あるいは大事にして欲しいという親の気持ちがそこにはあるような気がする。
 私は親から絵本を買ってもらった記憶がないので、自分の子供たちには絵本を与えたけれど、名前を書いたことはない。でもこういうのっていいなあ、と思う。

夢眠 ねむ 著 『本の本―夢眠書店、はじめます』 新潮社(2017/11発売)


by office_kmoto | 2018-05-21 05:52 | 本を思う | Comments(0)

山口 瞳 著 『月曜日の朝』

d0331556_05365374.jpg
 奥付を見ると1976年となっている。そしてこの本は2冊で一組の本で、1冊は以前ブックオフで200円で見つけて読んだ。ただこの『月曜の朝』はまだ持っていなかったので、文庫本で続きを読んでいる。
 今回残りの1冊であるこの本を手に入れ、やっと揃ったことになる。『金曜日の夜』は関保寿さんの挿絵だったが、今回は田沼武能さんの写真となっている。
 まず言いたいのはこの写真である。今から41年前の本になるとさすが箱は少々汚れ、焼けもあるが、中味の本は極めて綺麗である。大事に保存されて来たんだな、と思う。ただ中の写真はどうしても色あせてしまうようだ。古ぼけた感じは何も被写体が古いというだけではない。特にカラー写真はどうしてもその色の褪せ具合が目につく。
 昔やっとの思いで手に入れた、開高健さんの『フッシュオン』を手にして、カラーページを開いたときにも同じ感じがしたものだった。こればかりはどうしようもないんだろう。
 本のカラー写真で思い出したことがある。大学時代本屋でアルバイト初めてしたとき、店の先輩が写真集は初版を買うべきだという。先輩はデザイン関係の仕事を以前やっていたらしく、写真にはうるさい。特に文庫の写真集は初版じゃないと、版を重ねるほど、色がずれてくるというのだ。確かに版を重ねた文庫のカラー写真は色がずれているのを何度か見たことがある。
 もっともこれは40年ほど前のことで、今は印刷技術も進歩しているだろうから、こんなことはないかもしれない。

 さて。

 ここの田沼さんの写真は懐かしい。この本は中央線をメインにした月曜の朝にあった短い物語なので、電車、駅が中心になっている。国鉄のスト順法闘争の写真、網棚にある新聞(最近網棚の上にある新聞はあまり見ない)、それとまだ冷房車でなく、天井についている扇風機など、いすれも、“あった、あった!”と思うものばかりだ。
 その順法闘争の話。

 いったい、順法闘争とは何だろう。私たちが会社でストライキを行えば実害が我が身にふるかかるのである。順法闘争は乗客に害を及ぼすだけである。国鉄の諸君は、乗客の厖大なる実害とイライラの総量をどうやって償うつもりなのだろうか。(枯れすすき)

 国鉄がまだ民営化される前は、春になると必ず国鉄など交通機関のストがあった。私は当時高校、大学生であったから、むしろストになれば学校が休みになるから、嬉しかったし、どうしても学校へ行く場合、普段使わない手段で学校へ行く、その非日常が面白かった。

 私において、バスに対する不信感は抜き難いものがある。第一に、時間が不正確である。遅れるのならば、まだしもいい。バスは、ときに時刻表に表示されている時刻より早く来て、早く去ってしまう。

(略)

 第二に、ワンマン・カーというやり方である。ワンマン・カーの運転手で仏頂面でない人はいない。口をきかない。次の停留場という案内でさえ、テープに仕込んだ女の声でもって知らせる。ワンマン・カーというのは不親切などという段ではなく、これはもう、無性格というに等しい。(子供より親が大事)

 昔は確かにこの通りだった。今は時刻表より早く行ってしまうということはほとんどない。バスに乗っていると、バス停で長く止まっている時がある。運行が早くなってしまっているから、そこで時間調整している。だから時刻表より早くバスが行ってしまうことは最近少ないのではないだろうか。
 ただ1~2分のずれはあるかもしれない。ギリギリでバス停に着くと、もうバスが行こうとしているときに出会う。だから近くの停留所でバスを待つ場合、スマホで調べた時間より早めに停留所へ行くことにしている。
 ところで最近の運転手はよく喋る。山口さんが言うように口をきかないということは少ない。むしろ鬱陶しいぐらいだ。テープで次のバス停名を言っているのに、それを繰り返す。「分かっているって!」と思うが、まあ我慢して聞いている。最近のテープはよく出来ていて、降りる客がボタンを押すと、「次止まります」と行ってくれるのに、運転手は「はい、次止まります」と繰り返す。バスが動いている間席を立って動いたりすると、怒られたりする。いずれにせよ、最近のバスは人間臭い。
 それに最近は女性の運転手もいるので、ちょっと女性の運転手の顔を車内にあるミラーで覗いたりしたりする。案外気になっちゃう。なのでバスは好きだなあ。

 神楽坂で遊んだ客が、趣を変えて、柳橋へ飲みに行くときは、神楽坂から舟に乗る。柳橋から、さらに向島へ伸すというときも舟に乗る。「河岸を変える」つまり場所を変えて飲み直すという言葉はここから出たのだという知識が私にある。(文化とは何か)

 へえ、そうなんだ。

山口 瞳 著 『月曜日の朝』 新潮社(1976/09発売)


by office_kmoto | 2018-05-19 05:38 | 本を思う | Comments(0)

5月16日 水曜日

 晴れ。

 まだ5月だというのに、気温が30度近く上がっている。今年は天気が早く進んでいる感じだ。
 つつじが終わり、今さつきが満開となっている。今年は昨年より多くの花を付けている。ただ例年だと4本あるさつきのうち3本が一斉に咲くのだが、今年が1本ずつ花を咲かせていき、ちょっと今までとないパターンだ。
 でも1年に1回、この時期だけ我が家の庭は豪華になる。和室の窓から見えるさつきが好きなのだが、これも昨年同様窓越しに見て悦に入っている。


d0331556_06142748.jpg



d0331556_06140715.jpg



d0331556_06144109.jpg



d0331556_06145353.jpg



 昨年アマリリスの鉢を全部ひとまわり大きめものに替えたため全部の鉢が花を付けた。4鉢全部花を咲かせているのもなかなか豪華である。


d0331556_06162403.jpg



d0331556_06164912.jpg



 近くの親水公園で枝を頂いてきて、挿し木したあじさいも今年はやっと形らしくなってきた感じで、きれいな白い花をつけ始めている。


d0331556_06173844.jpg



 お隣さんから頂いたサギソウも今年は何とか芽を出し、葉も伸ばし始めた。お隣さんはその鉢を見て、何本か咲くんじゃないか、と言ってくれる。咲くといいなあ。

 花が咲き終わったシクラメンはここのところの暑さでぐったりしてきているので、家の北側に移した。種からやっと今年花を付けてくれたのだが、これからはその後をどう管理していくか、またテキストとにらめっこしながら、考えていく。

 小学校から帰ってきた孫と、朝顔を鉢に植え替えた。これからは朝顔の管理をしていくことになる。孫は学校でも生き物係になっているらしく、学校でも朝顔の水やりを担当しているらしい。植え替えをやりながら、学校とは違うことを言う。学校ではペットボトルに種を蒔いているらしい。

 今年は庭の管理を孫とやっていて、これまでとは違う庭いじりとなっている。もともと学校から帰ってきて時間を持て余している孫の時間つぶしで始めた庭いじりだが、面白そうにやっている。小さな虫や蜜を吸いに来るクロアゲハに驚いてみたり、ちょっとした自然観察になっているみたいだ。娘はそんな孫を「庭師」と言っている。
 孫は小学校へ行くようになってから、風邪を引かなくなった。保育園では園庭がないためビルの中でしか遊べなかったのが、学校では校庭で遊び回っているらしく、また家に帰って来てもこうして庭いじりして陽に当たるようになったからだろうか。おやつ、夕食もよく食べる。庭いじりをしながら孫は小学校で起こったことを話してくれ、それを聞くのも楽しい。
 亡くなった義父が庭の手入れのために、さまざまな道具を残していってくれていて、それを用途に合わせて使っているのだが、孫は「この家にはいろんな道具があるんだねえ」と不思議そうに見ているのがおかしかった。
 狭い庭ながら、四季それぞれに何らかの花が咲いている庭になりつつある感じで、これからどこまで付きあってくれるかわからないが、孫と庭いじりする予定だ。

 そうそう私が庭いじりや掃除をしている時に、孫は友だちと一緒に帰って来るのだが、その友だちとも仲良しになり、ちょっとしたことを話す。小さな子供と会話するなんて、これはこれまでの自分にはなかったし、子供たちが自分たちのことを何とか私に伝えようと言葉を探しているのをじっくり待って聞いている。そんな自分にも驚いている。

 明日、孫は友だちの家に遊びに行くという。今練習しているキックボードで行くという。娘が買ってきたお菓子を持たせて、友だちの家まで連れて行くことになる。まさか自分がこんなことをするなんて、考えてもみなかった。

by office_kmoto | 2018-05-17 06:26 | 日々を思う | Comments(0)

佐藤 隆介 著 『池波正太郎直伝 男の心得』

d0331556_06370592.jpg
 私は佐藤さんの本を読むのは初めてである。ただ佐藤さんが池波さんと深い関係の人だということは知っていた。
 この本で佐藤さん自身、小さな編者者から、十年間池波正太郎のいわば“通い書生”をしていたということを知った。
 池波正太郎から離れてからは、自らを「飲み且つ啖う」ことを主題とする雑文製造業、と書く。
 
 この本は師匠として池波正太郎から学んだことを、自身の処世訓とし、それに従って生きてきたことを書いている。だからかどこか池波さんの受け売りじゃないか、という感じもしてしまう。けれど、それが悪い感じはしない。それほど池波さんの生き様は気持ちいいからだ。

 こういうところに池波正太郎が“人生の達人”と形容される所以がある。半年以上も前から来年の年賀状書きを始めのは池波正太郎が極端なせっかちだからではない。人間は一日ごとに間違いなく死へ向かって近づいて行く。しかも、きょうが最後の一日ではないという保証はどこにもない。大部分の人間はそのことを忘れている。池波正太郎はそれを忘れないだけである。(早めに早めに)

 池波さんが正月が終わってから、すぐ来年の年賀状を作り、書き始めることは池波さんのエッセイにも書いてあった。確かにちょっと早くないかな、と思うけれど、池波さんの出す年賀状の枚数が厖大な枚数だから早めに書くようだ。しかしそれだけではない。何にしても池波さんはやることなすこと段取りのスタートが早い。
 それは明日何があるかわからない。そして間違いなく人は死に向かって生きている以上、そうしたことを日常意識して生きているからだ。そうした意識は作品にも出ているという。いずれ池波さんの梅安、鬼平、剣客は読まねばなるまい。

 電話は一種の暴力であり、脅迫であり、拷問である。受ける側の人間のことを一切無視している。しぶしぶながら仕事を始めて、やっと原稿の調子が出かかっているとき、不意に呼び出し音が鳴り出すとギクッとしてペンが跳ね、せっかくの一枚が書き直しになったりする。頭に血が昇る。クソッタレ……ダレダ一体……。
 改めてペースを取り戻すのに時間がかかる。まったく電話というやつは腹が立つ。これは電話という道具に腹が立つのではない。無神経に相手の都合も考えず、一方的に他人の時間に割り込んでくるやつに腹が立つのだ。(落書き箋)

 これは本当によくわかる。仕事をしていた頃、電話で何度も仕事を中断させられたことか。あと飛び込みのセールスだ。どちらも相手は仕事なのだから、責められないかもしれないこともわかっているが、でも仕事を中断された側はやはり腹が立つ。
 だから取引のある相手のメールアドレスを聞いて、メールでやりとりをすることを基本とした。こうしておけば空いてる時間に相手の意思を確認出来る。

 電車に乗ってそれが目黒から駒込まで山手線半周の三十分足らずでも、うっかり文庫本忘れて飛び乗ったときは死ぬほど退屈し、後悔する。典型的な活字世代の人間で活字中毒者であるが、しかし勉強のために読むのは大嫌いである。(乱読)

 厄介なのは「善意からのおすすめ」という強制である。すすめる当人が本気で善意から「ああしなさい、こうしなさい」というのが一番始末が悪い。この種の善意なるものには虫酸が走るが、典型的な一例を挙げれば「良書百選」というようなやつだ。あれば我慢がならない。
 本などというものは、だれでも読みたいものを手当たり次第に読めばいい。本に良書も悪書もない。一冊の本が良書になるか悪書になるかは読み手自身の問題で、本そのものとは何の関係もない、というのが私の持論である。本は量だけが問題だ。乱読でも読み飛ばしでもいいから、ひたすらたくさん読むことだ。(乱読)

 最近は電車に乗ることが少なくなった、それでも電車で出かける時は必ず本を1冊持って出る。それがわずかな時間であって、本がないとその間退屈で仕方がない。

 お勧めという本の扱いは本当に難しい。強く勧められれば鬱陶しい。特に本屋で店員が勧める本ほどイラつくものはない。確かに面白い本を探しに来たのであるが、本屋の特権を利用して一番目につくところにPOPを立てて、推薦文を書く。そこに感じるのは思いこみの激しさしかない。ちょっと勘弁してよ、といつも思う。本ぐらい好きに選ばせてくれよ。読ませてくれよ、という意識が強くある。
 だから人に本を薦めることは極力避けたい。読んで欲しいな、と思う人には本を差し上げるけれど、それも相手が望んでいないと感じたらすぐ持って来た本を引っ込める。
 良書、悪書の選別は、本にあるのではなく読む側の問題だというのは、確かにそうだ。本は百人読めば百通りの感想があっていいわけだから、良い悪いも人それぞれだ。けれどひどい本を読まされると、がっかりするし、悪態もつきたくなるのも確かだ。

佐藤 隆介 著 『池波正太郎直伝 男の心得』 新潮社(2010/04発売) 新潮文庫


by office_kmoto | 2018-05-16 06:42 | 本を思う | Comments(0)

芝木 好子 著 『貝紫幻想』

 雪子の異母弟の泰男からの二十年ぶりの手紙に、母親がご無沙汰を詫びたいと言ってきた。そして泰男は鎌倉に住む雪子を訪ねて来る。泰男は京都で美術大学工芸科の専任講師をしつつ、自らも稼業である染色もやっている。
 泰男の母親で、雪子の父の後添い来たみや子は手術の後も体調が良くなく、元気なうちに雪子と娘の圭子が見舞に行くことになった。
 みや子は夫が死んだ後、まだ若かったので、泰男を連れて京都の実家に帰っていた。


 「雪子さんが生きていることが、ほんと言って信じられませんね。真樹さんがあんな死に方をしてしまった。あと追いするように主人が亡くなって、家の中は死霊が漂っていました。次は疲労困憊して痩せ細った雪子さんの番だった。私は怖くてね。夜ひとりで眠れなかった。冷たい手が頬を撫でるゆめをみました。あなたもそうだったかしらね。男が死に絶えてゆく家に六歳の子供を置くわけにゆかなかったの。雪子さんにも死霊がついている。どうせ助けられないなら、死なれる前に去りたい。お葬式はこりごりでした。もう義理も損得もなく子供を連れて京都に帰ったのでした。

(略)

 真樹さんは画業の半ばで、死んでも死にきれない終りでしたね。あの晩、なにかあったのでしたか。末期近い病人が、あなたの腕を掴んでいましたね。泣き叫ぶ声を聞いて主人と走ってゆくと、病人は精霊になりかけていましたもの。真樹さんが亡くなって遺体を焼場へ送る時も、あなたは神経だけで立っているようで、棺へふわっと入りそうだった。私、怖くてたまらなかった。主人が死んだ時より衝撃を受けました。実家に帰ってからも、雪子さんが倒れるのを予感していましたよ。あなたが生き延びるとは考えなかった」


 真樹とは雪子の夭折した画家である兄である。天才と呼ばれた兄の看護を雪子は心身をあげて看病した。真樹は自分の死が近づいて、看病する雪子に一緒に死のうとさえ言った。雪子にとって真樹はすべてだった。


 逃げ出した者はいい。一生を凝縮して修羅の中に生きて燃え尽きた女は、残る余生をどうして過ごせばよいか。


 その後雪子は桐原と結婚し、圭子を生んだが、真樹の絵を誰にも見せずに納戸にしまい込んでいた。しかしただしまい込んでいるだけでなく、一人で真樹の残した絵を見ていた。


 人は一度死に損なうと、ぶざまに生きるものだ、と彼女は自嘲した。


 泰男は貝紫に強い興味を持っていることを圭子に話す。


 「ぼくは大学でシャボテンに寄生する臙脂虫を研究したことがある。粉末にしておいて染めると、素晴らしい猖々緋が出る。虫からもこんな美しい色が、と感嘆してしまった。それから天然染料に惹かれて首をつっこむうち、貝紫に出会ったのです。それはこんな……」

 「小さな貝です。勿論文献で見たのだが、この貝のパープル線からほんの少し紫の色素が出る。あまりわずかしか出ないので貴重だから貴族しか用いない。帝王の紫、と呼ばれたわけです。紀元前千六百年頃にフェニキア人が染めている。ぼくらはイランのダリウス一世が好んだとか、ギリシャ将軍が貝紫の帆をかけて海を渡ったとか、シーザーが紫服を着ていたとか知ると、日本にも渡来しているかどうか解明したくなる。貝紫で衣装を染めてみたい、としきりに心が動いてくる」


 貝紫を探しに行く泰男に圭子は一緒に行きたいと思う。圭子は泰男に惹かれ、泰男も圭子に惹かれ始める。


 泰男は雪子の異母弟だが、突然現れたために叔父と姪の関係が圭子には充分にのみこめていないとみえる。


 彼と自分の血縁が濃いことを意識しながら、気持をせきとめることは出来なかった。


 血の濃い人間がタブーなら、一層惹きあうはずだと思った。


 男の情につつまれながら禁じられた仲を自覚するのは、不吉な陶酔というのか、どうせ自分たちははれを捨てた人間なのだと思う。孤立してもかまわなかった。孤立すればするほど絆は強くなった。


 圭子の父親の桐原も圭子が泰男との関係を憂いた。雪子もなんとかして圭子との関係を解消して欲しく、何度か泰男を説得するため京都へ向かう。泰男と圭子の関係は、かつての自分と真樹と同じでように見えた。


 一生兄の亡霊を負って生きてきた重さを、再び身近に繰返すことは出来ない。そんな罪深さを娘にまで見てはならない。


 さらに圭子の古い友人である小谷は、圭子と泰男の関係を知りつつも圭子に結婚を申し込んでいた。小谷も圭子と泰男との関係をなんとかしたい、と思っていたのである。


 彼(小谷)は断られる縁談に恋々とはしないが、彼女の気持が不自然なところへ傾斜しているのを見過しにできない。どうしても手を差し出さずにはいられない。この気持を圭子の母に分ってもらいたかった。彼女は近親姦の袋小路へ入って、もがいているのではないか。


 間違った道へずるずると陥ちてゆく人間を、うしろから摑まえて引戻そうとする意地のようなものがあった。


 結局泰男は雪子の説得で、圭子と別れることを決意する。そして圭子に内緒で世界の
貝紫を探しに貝紫巡礼の旅に出ることを決意する
 その前に糸を染色して、機を使って織っている雪子に渡そうと思い、梅の枝を染めた。近隣の農家から不要になった、下ろした枝をもらってきていた。


 裸木に見える枝には固い蕾が密着していて、蕾をひらくと紅を含んでいた。また伐り落とした枝の口にも紅がにじんでいて、圭子には思いがけなかった。梅はその全身で花咲く日を待っていたと思うと、植物の生のいとなみに感動せずにはいられなかった。彼女が切口の紅を見せると、泰男も頷いた。
 「植物のいのちが色に溜められてゆくから、咲き燃えるはずだ」
 「私たち、生きた色をいただくことになるのね」


 染め上がったとき、泰男は雪子に電話した。


 「まだ眠ったままの蕾でした。捨てられるところを色になって蘇りました。紅梅よりも淡い、薄とき色より深い、匂う色です。雪子姉さんに、と思って染めたが、ぴったりに上がりました。いま軒端に干してあります」


 話を読んでいると、泰男は圭子に雪子を見ていたのではないか、と思えてきていた。それがだんだんはっきりとわかってくる。泰男は雪子を姉として見ていたのではなく、心にとまる一人の女性を見ていたのであった。
 泰男は幼い頃、雪子が甲斐甲斐しく真樹を看病している姿を覚えていた。あの時の雪子の姿を泰男は忘れられなかったのではないか。真樹に生気を吸い取られそうになっている雪子に惹かれていたのであった。姉と弟という関係以上に。
 そして圭子もそのことに気づき始める。


 彼の目に映る自分という女は、ひとりの女なのだろうか。合せ鏡のように重なるもう一つの顔をあるのではないか。


 二人がこうしている時、必ずといってよいほど雪子の顔が現れる。二人の暮しに避けようのない存在になっているのはふしぎであった。


 しっとりと華やぐ梅色の地に横糸で幾重にも細く細くさまざまの糸を織りこんだ布は、微妙な色調でやわらぎがあった。圭子は目をそそいで、男の染めた色と、ひたすら織った女の情念とが、ぴたりと調和しているのを見た。初めからかなわないと思った気持は、衝撃に変った。彼はほんとうは母を心に抱いていた。私を愛したことも嘘はなかった。二つは彼のなかで表裏になっていたのか。


 叔父と姪、姉と弟。血の濃い、男と女。物語は血の濃い分、男と女であっても、単純な男と女の物語にはなりえない悲しい物語となっていくしかなかった。


芝木 好子 著 『貝紫幻想』 河出書房新社(1989/05発売)


by office_kmoto | 2018-05-14 06:48 | 本を思う | Comments(0)

久禮 亮太 著 『スリップの技法』

d0331556_06200271.jpg
久禮 亮太 著 『スリップの技法』

 この本は書店員のためのスリップ活用法である。だからこの本は一般の人はあまり読まないと思う。
 そもそもスリップとは何か、であろう。

 新刊書店で本に挟まっている細長い紙切れ、あれです。

 実は僕たち書店員の大事な仕事道具なのです。

 スリップを山折りにした中央には、書籍にはさみ込んだとき本の上部から飛び出すように半円の突起が設けられています。その形が坊主頭を連想させることから「ボウズ」と呼ばれるこの部分を、レジで会計をするときに指先でつまみスリップを引き抜きます。

 スリップは長めの方が注文票になっていて、短い片方が売上カードになっている。それをまとめて出版社に送れば、自分の店でその出版社の本がこれだけ売れたという実績を示すことになる。時には次の配本数に影響することもある。(実際はどうなのかわからないが)さらにその売上カードは報奨金となっていて、後で出版社から郵便為替が送られてくる。
 だからスリップは書店にとっては大事なものである。私が書店員だったころは、本が売れて引き抜かれたスリップをまず、注文票と売上カードにちぎってわけ、まず注文票を持って店内を歩き回り、平台、棚、ストッカーの在庫の有無を確認したり、在庫がない場合や冊数が少なくなっている本を注文するとき注文カードとして使う。

 スリップのついていない書籍は、出版社や取次に返品しても受けつけてもらえずに送り戻されてしまうこともあります。僕のようにスリップの注文カードをちぎって手元に残し、売上カードだけ書籍本体に残して返品することや、書き込みをしたまま消してないスリップをつけて返品することは、もしかすると原則としては認められないことかもしれません。

 新刊で1冊しか入荷しなかった本など、発注をかけるためにすぐスリップの注文票の部分をちぎったことを思い出した。

 もう片方の売上カードは時間があるときに、出版社別に別れた専用のスリップ入れに入れておき、あとで数を数える。時に家に持って帰り、せっせと枚数を数えたものだ。この売上カードを数えるときは何が売れたのかわかるし、それを元に当店のベストセラー表を作るときに使った。そして100枚単位でまとめておく。報奨金のついた売上カードには期限があるので、それに注意し、出版社に送った。
 すべて手間と時間がかかったが、これだけ手間と時間を掛けた分、本を覚えた。アナログのいいところはそういうところじゃないだろうか。今でも当時の本はよく覚えていて、古本で見かけると懐かしくなる。
 今はPOSレジがあるからこんな面倒なことをしなくてもリアルタイムで在庫がわかるだろうし、コンピュータとつながっていれば在庫表もすぐ出来るだろう。おそらく売上カードなどもう出版社に送らなくても、出版社側もやはりリアルタイムで取引店の売上数を把握している違いない。その証拠にAmazonで本を買うと、スリップが付いたまま送られてくる。たぶん入庫、出庫で差引その時点で正確な在庫数を把握しているはずだ。
スリップを抜いて数を数えるなど手間のかかることをAmazonがするわけがない。
 つまり私が書店員だったころと比べて、今はスリップを活用することがだんだん意味を持たなくなっているのではないか。
 それでも著者はそのスリップの効用をあえて取り上げる。著者はスリップをA.備忘のため B.業務連絡 C.連想の引き金 D.読者像を描き出す といったことのためスリップを有効的に使うそのノウハウをこの本では伝えている。

 A.備忘のため 業務、作業を忘れないためのメモとして使う

 B.業務連絡 同僚への業務連絡を書き込み、そのまま手渡す。時には棚作り、仕入れ、などアドバイスなど書き込んだりする。

 C.連想の引き金 スリップを抜かれた抜かれた本に関連して、関連する言葉、関連する他の本の書名、著者など、思いつくままに書き込む。そこからその本を中心に既刊本を探し出し、何かを仕掛けるといった感じだ。

 D.読者像を描き出す スリップからこの本はどんなお客が買っていったのだろうと想像する。まとめ買いをしてくれたお客の本から抜いたスリップをまとめておいて、どういう関係でこれらの本は買われていったのだろうと考え、そこから次のアイデアを考えることも出来る。

 こういうことはPOSレジでは出来ない。POSレジが出来ることは単に数字だけであり、もちろんそれだって貴重なデータではあるが、ただ人の姿が見えない。だからスリップを使う。

 メモや業務連絡、連想などにスリップを使うというのは面白い。私はそんなことをしなかったなあ。
 ここで取り上げたいのは、Cの「連想の引き金」である。1冊の新刊からそれに関係した既刊本を再度一緒に売るための発想である。

 自主的に既刊を掘り出す習慣や、スリップから既刊を掘り出すヒントを読み取る。

 ふとしたきっかけで共通項が見つかると、そのキーワードを軸に売場を組み替えていくことができる。ある平積みの売れが止まったとしても、別の既刊に置き換えて平台の売上を維持していくこともできる。

 メイン島平台は、スリップから得たアイディアを元に、自由に引っつけたいものを組み合わせていいんだよ!もっといろいろな組み合わせを試せ!と自分を鼓舞している。

 つまり書店側の棚作りをするためのツールとしてスリップを使い、新刊と既刊本を組み合わせて魅力的な棚を作ることを言っている。1冊の本から関連性を考え、既刊本からそれを探し、スリップに書き込み、さらに内容を深めていくということだ。様々な本が世の中にはあるわけだから、組み合わせは自由というわけだ。そうして書店員の発想から作り上げられた棚は、

 書店で買い物をすること自体が楽しくなり、ついうっかり買ってしまう人が増えるはずだ。

 その時々の新刊が一覧できる棚はあったほうがお客様にも担当者にも便利には違いない。しかし、通りがかりにうっかり買いたくなるような勢いを表現できていない。

 結局本音は、客に「ついうっかり買ってしまう」ことをさせろというわけだ。本との出逢いとかなんとかきれいごとを言っても、売れてなんぼのものだから、ついつい言葉の端端に本音が垣間見られる。「連想の引き金」とはいかに客に身銭を切らせるかその方法(うっかりでもかまわない)を探ることなのだろう。
 この本は多分、書店で働く人たちが読む本だから、こうあからさまに書いても問題ない。けれど身銭を切らされる方は、そんな書店員の下心に踊らされているかもしれないのである。
 「ついうっかり買ってしまう」というのは客を馬鹿にしているし、言い過ぎであろう。自分たちは社員割引で幾らか安く本を買っているからわからないのかもしれないが、新刊が読みたくても、本を買いたくてもなかなか財布の事情が許さない人たちが多くいる。そんな人たちが図書館で新刊を予約待ちが百人以上いても、順番が来るのを待っているのである。そう考えたら、本をうっかり買わせようと発想にはならないだろう。それともうっかり買わせることが商売を続ける秘訣とでもいうのだろうか。
 この人の仕事の仕方、発想は興味深かったけれど、どこか妙な違和感を感じていた。それが何なのかわからなかった。でも「ついうっかり買ってしまう」という言葉を読んだとき、これが私が感じた違和感だったんだ、とわかった。この人の仕事の仕方、姿勢にはこれを是とするところがある。
 もう一度書くけれど、この本は書店員のために書かれた本である。だから書店員ならついうっかり買わせても、してやったり、と思うのかもしれない。とにかく売れればいいのだから。
 もしそうなら、客としても、平台や棚に並べてある本の関係をそのまま信用してはならない。(言っておくがこの場合本には問題はない)後悔させるかもしれない衝動買いを肯定する売り方、考え方で作られたコーナーをそのまま受け入れることができない。そんな書店員の陳列方法に騙されない、本の内容を見抜く力を我々は持つべきで、少なくとも陳列に騙されて本を買わない方がいい、ということをこの本は教えてくれる。だってうっかり買ってくれてもいいと思っているんだからね。だったら騙されないようにしなくちゃ。

 私はこの著者の関連した本屋で本を買いたいとは思わなかった。

久禮 亮太 著 『スリップの技法』 苦楽堂(2017/10発売)


by office_kmoto | 2018-05-12 06:24 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


by office_kmoto
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る