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ダン・ブラウン 著 / 越前 敏弥 訳『インフェルノ』

d0331556_08495898.jpg ラングトンシリーズは前後する。この本はファンとしてはもちろん読んでいる。当時Kindleが日本で発売され、私もそれを買ったのでKindleで読んだ。ただ私は電子書籍というのはやっぱりだめで、読んでもちっとも頭に残らない。だからこの本の内容はほとんど記憶にない。それで今回単行本で読んでみることにしたのである。
 こうして本を手にして思うのは、本はやっぱりいいなあ、と思う。このように口絵に写真があることで話の中にある描写に色を添える。それにおまけとして画家サンドロ・ボッティチェルリのダンテの肖像画、下巻には「春」の絵はがきがついている。こんなものを見ると、電子書籍って味気ないもんだ。

 さて、話である。
 ロバート・ラングトンがフィレンツェの病院で目が覚める。銃で撃たれ、銃弾が頭をかすめたといわれる。しかし頭に強い衝撃を受けたため、なぜフィレンツェにいて、銃で撃たれる羽目になったのか、断片的な記憶しかなかった。
 慌てたラングトンは女医であるシエナに、どうしてフィレンツェの病院にいるのかを聞く。その直後、「大機構」から派遣された暗殺者に襲われ、ラングドンはシエナとそこから逃げる。
 ラングドンが来ていた上着のポケットには金属製の円筒が入っており、それはレーザーポンター式プロジェクターであった。映し出されたにはサンドロ・ボッティチェルリの<地獄の見取り図>であった。


 実のところ、ボッティチェルリの<地獄の見取り図>は、いまや歴史上最も有名な文学作品と言って差し支えない十四世紀の著作へのオマージュとして創作された。その作品で描かれた地獄像の生々しさはよく知られ、今日まで多くのものに影響を及ぼしている。
 ダンテの<地獄篇(インフェルノ)>だ。



 しかしこの<地獄の見取り図>はデジタル加工されており、ある文字が書き込まれていた。
 ここからがダン・ブラウンの真骨頂であろう。さまざまなラングドンに歴史的遺物を訪ねさせ、その秘密を探っていく。一方でいつも彼には何らかの危機がつきまとい、それから逃れつつ、真相に迫っていく、いつものパターンである。
 加工されたボッティチェルリの<地獄の見取り図>から読み取れるメッセージから、追っ手から逃げつつ、ヴェッキオ宮殿にたどり着く。ここにはダンテのデスマスクが展示されている。しかしその展示会場へ行ってみると、ダンテのデスマスクがなくなっていた。
 そこにある監視カメラの映像には、昨晩ラングドンとフィレンツェの文化界で名士であり、大聖堂付美術館の館長を長年勤めたイニャツィオ・ブゾーニの二人が映っていた。そのためラングドンはデスマスクを盗んだことで追われることになる。ラングドンには昨晩の記憶がない。デスマスクをラングドンといっしょに盗み出したブゾーニが何か知っているはずである。しかしブゾーニは心臓発作で死んでいた。ただ最後にラングドン宛てにメッセージを留守番メッセージを残していた。


 「ロバート、よく聞いてくれ。きみの探しているものは安全な場所に隠した。門は開かれているが、急いだほうがいい。天国の二十五だ」


 とにかくダンテのデスマスクを探し出さなければならない。ブゾーニのメッセージを頼りにデスマスクを追っ手を撒きながら探しに出る。「天国の二十五」とはダンテの神曲、天国篇の第二十五歌」で、その中にデスマスクの隠し場所が暗示されているはずで、それを頼りにサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂にたどり着く。その正面入口の向かいにあるサン・ジョヴァンニ洗礼堂の洗礼盤の水の中にダンテのデスマスクは隠されていた。上巻はここで終わる。


 ところでラングドンたちを追っていたのは「大機構」と呼ばれる組織とWHOの事務局長エリザベス・シンスキーであった。まず「大機構」という組織は“総監”と呼ばれる人物を頭にして、特殊なサービスを提供していた。
 一方WHOの事務局長エリザベス・シンスキーはある危険人物を探していた。その人物とはベルトラン・ゾブリストであった。ゾブリストは人類が人口の急激な増加のせいで滅亡する。人類が生きのびる為には人口を減らさなければならない。ゾブリストは巨万の富を持ち、ダンテのデスマスクの所有者でもあった。
 ゾブリストは生化学者であり、人口増加食い止めるために遺伝子操作によって現代医学では治療できない病気を作りだしたと思われる。しかしゾブリストは投身自殺しており、シンスキーはゾブリストが残したと思われるウイルスを探し出そうとして、ラングドンの援助を依頼していたのであった。
 一方ゾブリストは「大機構」の依頼人でもあった。大機構の総監はゾブリストが医療技術の研究を秘密裏に進めたいのだろうと想像していた。そのために徹底的に外部から切り離された状況で研究させてきた。大機構はゾブリストとの契約を果たし、いっさい穿鑿せず、この科学者を見つけだそうとするシンスキーの試みを拒み続けた。しかしシンスキーはゾブリストの居場所を特定しそこへ踏み込んだ。追いつめられたゾブリストは自殺した。大機構はゾブリストの保護に失敗したのであった。

d0331556_08510324.jpg 下巻では、まず見つけだしたダンテのデスマスクの裏に残されたゾブリストの文をラングドンたちは見つける。


 おお、健やかなる知性を持つ者よ
 あいまいな詩句の覆いの下に
 隠された教えを見抜け。
 馬の首を断ち
 盲人の骨を奪った
 不実なヴェネツィアの総督を探せ。
 黄金色をした聖なるムセイオンのなかでひざまずき
 地に汝の耳をあて
 流れる水の音を聞け
 深みへとたどり、沈んだ宮殿に至れば……
 かの地の闇に地底世界の怪物が待ち
 それを浸す池の水は血に赤く染まるが、
 そこは水面に映ることはない……星々が。



 ラングドンたちは今度はヴェネツィアへ向かうことになる。馬の首を断った不実なヴェネツィアの総督を探すために。
 一方大機構の総監は不安を感じていた。ゾブリストはメモリースティックに残した動画を指定した日に公開して欲しいとも依頼していた。総監はその不吉な動画を部下から見て欲しいと相談してきたのを拒否していたが、気になり見ることにする。


 画面が暗くなり、ひたひたという水音が部屋を満たした。カメラは地下洞窟の赤みがかった霞のなかを進んでいく。総監はなんの反応も示さなかったが、驚くとともに動揺しているのがノールトンには感じとれた。
 カメラは進むのをやめて下の水面を向き、そのまま水中に突入して数フィート潜ると、洞窟の底に固定されている光沢のあるチタンのプレートを映した。

 この場所で、この日に、
 世界は永遠に変わった。

 総監はほんのわずかに身をすくめた。「あすだな」日付を認識してささやく。「“この場所”がどこなのか、見当はついているのか」
 ノールトンは首を横に振った。
 カメラはつぎに水中で左へパンして、ゼリー状の黄褐色の液体がはいったビニール袋を映し出した。「なんだあれは!」総監は椅子を引き寄せて腰をおろし、波打つ球体が、つながれた風船のように水中を浮遊する姿を見つめた。


 その後画像は不吉な内容を説明する。


 嘴の鼻を持つ影はその後数分にわたって語りつづけた。疫病や、人口を減らす必要性や、未来におけるみずからの輝かしい役割について。それを阻止しようとする無知な者たちとの戦いや、この惑星を救うには抜本的措置をとるほかないと気づいた少数の同志たちについて。


 総監は大機構は誤った側に与していると感じ始める。コードネームFS-2080と接触を図ろうとする。ゾブリストを大機構に紹介したのがこのコードネームFS-2080であった。
 そして大機構はWHOのシンスキーとも接触を図る。大機構とWHOはゾブリストが残した動画にあるゼリー状の黄褐色の液体がはいったビニール袋の中には人類に甚大な影響をもたらすものが入っていると認識し、そのビニール袋を探すため協力しあう。
 一方ラングドンとシエナはヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂へ向かい、「馬の首を断ち/盲人の骨を奪った/不実なヴェネツィアの総督」を探した。馬は<サン・マルコの馬>のことを言っていた。この四頭の青銅製の馬はもともとコンスタンティノープルにあったもので、第四回十字軍でヴェネツィアに運ばれ、サン・マルコ大聖堂のファーサードに設置された。ヴェネツィアに運ばれる時輸送を容易にするために頭部が切断され、それを隠すために飾り首輪が掛けられた。その第四回十字軍の参加を説いた総督がエリンコ・ダンドロであった。ラングドンたちはエリンコ・ダンドロの墓がこのサン・マルコ大聖堂にあるものと思っていたが見当たらない。ラングドンはこの時代の有力な言語がラテン語であることに気がつき、エリンコ・ダンドロのラテン語読みがヘンリクス・ダンドロであることを思い出す。ヘンリクス・ダンドロの墓はここにはない。墓はイスタンブールアヤソフィアにある、と気づいたとき、ラングドンは追っ手に捕まってしまう。シエナは何とか逃げのびた。
 捉えられたラングドンは総督とシンスキーからこれまでラングドンに起こった事実の真相を聞かされる。
 真相はこうである。
 もともと大機構はゾブリストの依頼であのプロジェクターをシンスキーに届ける予定であったがそれを先にシンスキーが手に入れてしまったため、それを取り戻そうとした。 シンスキーは手に入れたプロジェクターに映し出されたボッティチェルリの<地獄の見取り図>の意味を解明するためにラングドンをフィレンツェに呼んだ。
 大機構もラングドンを使ってプロジェクターを見つけるため、大芝居を打つ。薬で記憶を失わせ、銃で撃たれたかのように銃創を作り出し、急ごしらえ病室のセットに寝かせた。この時シエナも大機構に協力していたのだ。ラングドンは銃で撃たれていなかった。大機構の芝居に騙されていたのであった。以来ラングドンはシエナと逃走劇を演じるが、シンスキーにはラングドンが失踪したと思えたので、欧州疾病予防管理センターの傘下にある監視・対応支援チーム(SRS)のブリューダーを使ってラングドンを探した。これがラングドンが追われていると思わせてしまった。ところがここで大機構とシエナが協力し合うことで、ラングドンに事の真相を伝えることとなった。
 そしてシエナ・ブルックスの正体も明かされることとなった。
 シエナ・ブルックスは大機構にゾブリストを紹介したFS-2080であり、ゾブリストの恋人であった。シエナはゾブリストの思想に感化されており、ゾブリストの自殺の後、ラングドンと一緒に逃走劇を続けているうちに事の真相に近づくことが出来た。そしてゾブリストがしようとしていることを続けようとしていたのではないか。
 シエナにあのゼリー状の黄褐色の液体がはいったビニール袋を奪われてはならない。しかしシエナはラングトンと一緒に真相を解明していたので、ヘンリクス・ダンドロの墓がイスタンブールアヤソフィアにあることを知っている。
 ラングドンと大機構の総督、WHOの事務局長エリザベス・シンスキーはシエナより先にイスタンブールへ向かい、あのビニール袋を回収しなければならない。
 ラングドンたちはアヤソフィアにある床に埋め込まれたヘンリクス・ダンドロの墓碑に耳を当てる。水の流れる音がする。この水は貯水池に流れ込む。そこは広大な地下空間で何本もの柱立っている。昔はその貯水池が給水源であったが、今は使われておらず、単に水が溜まっている観光名所となっている。その地下空間で匿名の慈善家による無料コンサートが開かれていた。その貯水池へSRSのブリューダーが潜った。しかしビニール袋は破れていた。袋はある程度時間が経つと溶ける水溶性のものであった。ゾブリストが作った病原体は拡散し、コンサートに来ていた人びとに感染した。匿名の慈善家とは巨万の富を持つゾブリストであった。ゾブリストはここに多くの人が来るように無料コンサートを催したのであった。
 ブリューダーが貯水池に潜っているとき、ラングドンはシエナの姿を見かけ追いかけ、ラングトンにすべてを打ち明ける。
 ラングドンはシエナがブリューダーより先に貯水池に潜ってあのビニール袋を破り病原体を拡散したものと思っていた。しかしシエナが貯水池に潜ったときはすでに袋は溶けていた。ラングトンシエナの言うことが信じられなかった。シエナは無料コンサートのパンフレットをラングドンに見せ、ゾブリストが指定した日はコンサートの最終日であり、ウィルスは一週間前に解き放れていたことを知る。ゾブリストが指定した日はウィルスが世界に行き渡る日であった。


 「ウィルスが貯水池に解き放たれとたんに、連鎖反応がはじまったの。あの洞窟へおりていって呼吸したすべての人が感染した。みなウィルスの宿主となり……本人の知らないうちに共犯者となって他人にへウィルスを運び、爆発的に蔓延させる火種を蒔いた。もう、山火事のように地球上を駆け抜けたあとでしょうね。いまごろは、世界じゅうの人びとがそのウィルスに感染している。あなたもわたしも含めて……すべての人が」


 「そのウイルスは人体から奪ってしまうの……生殖機能を」落ち着きなく身じろぎする。「ベルトランは生殖を不能にするウィルスを作り出したのよ」


 「ベルトランはよく、そういうウィルスについての理論を立てていた」シエナは静かに言った。「だけど、まさか実際にそれを作り出そうとするなんて夢にも思わなかった。……ましてや成功するなんて。手紙をもらってベルトランが何をやりとげたのかを知ったときは、卒倒しそうだった。だから、破棄するように頼もうと思って、がんばって居所を探したのよ。でも間に合わなかった」
 「待ってくれ」ようやく口がきけるようになって、ラングドンはさえぎった。「そのウィルスが地球上のすべての人の生殖機能を失わせるなら、つぎの世代はもう生まれてこないし、人類は絶滅に向かうだろう……あっという間に」
 「そのとおりよ」シエナは消え入るような声で答えた。「でも、絶滅させることはベルトランの目標ではなかった――というより、正反対よ。ベルトランは無作為に活性化するウィルスを作り出したの。“インフェルノ”と名づけられたそのウィルスは、すでに全人類のDNAに根づいて、今後すべての世代に受け継がれていくけど、それが活性化するのは一定の割合の人々だけ。言い換えれば、いま地球上のすべての人がそのウィルスの保有者になっているけど、生殖不能になるのは無作為に選ばれた一部の人たちだけなのよ」」
 「一部というのは……どのくらい?」ついそう口にしたが、自分がそんな質問をしていることさえ信じられない思いだった。
 「知ってのとおり、ベルトランは黒死病に――ヨーロッパの人口が三分の一を無差別に死滅させたあの疫病に――強く執着していた。自然はみずからを間引く方法を心得ていると考えていた。生殖不能を引き起こす率を算定するあたって、三分の一というあの疫病の死亡率が、人口を適度に保つのにもちょうどよい値らしいとわかったとき、ベルトランはわが意を得た思いだった」


 ベルトラン・ゾブリストの作ったウィルスは人の生殖機能を不能にさせるものだった。ただしそのウィルスは全ての人類に活性化するわけではなく、無作為に三分の一だけが活性化する。そして今後も劣性遺伝のごとく引き継がれるものであった。そうすることで「ヒトという種がただ多産すぎる現実を正すこと」ができるというものであった。シエナはこのウィルスは黒死病がもたらした生き地獄に比べれば、病院に瀕死の患者が溢れることもなく、路上に死体が腐ってころがることもない。愛する人を失った哀しみにくれることもない。ただ赤ん坊が生まれる割合が減るだけ、という。そういう意味では思いやりがあるとも言う。むしろゾブリストは「人間を深く愛していて、人類を救いたい気持が強いばかりに、極端な手段に出ることをも正当化した」と言う。
 ラングドンはシエナがラングドンから去ろうとするのを引き留める。このウィルスの拡散を阻止しようとしたシエナなら、このウィルスのことをよく知っている。だからシンスキーと今後協力すべきと言う。そしてラングドンはシエナとシンスキーとの仲を取り持って、この物語は終わる。まあ終わり方はちょっと甘い感じがしないでもない。若干話の進め方が強引な感じはしないでもなかったが、全体としては面白かった。


ダン・ブラウン 著 / 越前 敏弥 訳『インフェルノ』〈上〉 KADOKAWA(2013/11発売)

ダン・ブラウン 著 /越前 敏弥 訳『インフェルノ』〈下〉 KADOKAWA(2013/11発売)

by office_kmoto | 2018-10-31 08:55 | 本を思う | Comments(0)

池波 正太郎 著 『鬼平梅安 江戸暮らし』

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 この本もこれまで書かれた池波さんのエッセイのアンソロジーである。読んでいて懐かしい。
 高丘卓さんの編者解題がいい。

 歴史の記憶を奪われ、痕跡を掻き消され、東京は、都市も人も、記憶喪失にさせられてしまった。池波氏のこの絞りだすような呟きは、東京を愛してやまなかった、最後の東京人の永訣の言葉であろう。町は人がつくり、その営みが文化を生む。またその文化が町と人びとの繋がりを育み成熟させていく。美も、学問も、芸能も、料理も、酒も、歴史の積み重ねによって伝統が生まれる。そこに人生の喜びを見出すのが、人間というものであろう。しかし、記憶喪失の都市に住む現代の東京人は、作家・池波正太郎の言葉の重さを、理解する方便さえない。いったい、こんな文明国家があるだろうか。山口瞳は、小説『原っぱ』の主人公に仮託した池波正太郎の言葉を引用して、弔辞をこう締めくくる。
 「『仕方がない、旅をしているつもりで暮らそう』と思うようになります。どこかわからない町に住んでいて、たまたま東京に立ち寄ったという心持ちで暮らそうと心に決めるのです。(略)戦国時代にも旅をしたことがありましたし、むろん、御自分の町である江戸には長逗留しました。大正や昭和の東京の町も歩きました。戦後の東京だって、結構面白がって旅をしていたと私は思っています。
 いま、池波さんは、私たちの誰もが知らない、住み心地のいい懐かしい感じのする町に旅しているのだと思っています。池波さん、ゆっくりと楽しい旅を続けてください。」……

 そして、

 しかし山口氏がいうように、現在の東京人が、旅人であることはたしかである。都市自身が、日々、違う町に生まれ変わってしまうからだ。わたしたち東京人は、この都市に、永遠のトランジットとして生きる存在なのである。二年後は、二度目の東京オリンピックだそうである……。

 と締めくくる。この人がオリンピックでまた大きく変わろうとしているのをうんざりしながら眺めているのがよくわかる。
 私は2020年の東京オリンピック開催に基本的に反対である。オリンピックの為に東京は一回目のオリンピックの時と同様に東京は大きく変わろうとしている。そのためにそれまであった建物を壊し、そのことで町の雰囲気まで変えてしまおうとしているからである。
 そもそもこの日本でこんな時に何故オリンピックをしなければならないのかわからない。東日本大震災からの復興、元気を取り戻すため、一つの活力となればという“復興五輪”なんていうけど、それならなんで東北でやらない。東京でやる意味などどこにもないし、そんなお金があるなら被害にあった東北にお金を使えばいい。ましてオリンピック競技という限られたスポーツ競技や選手の為に何億、何十億、何百億のお金を掛けるなんておかしいと思わないのか。
 そのスポーツ選手だって、団体内で醜い権力争いをし、スポーツ界特有のパワハラに揺れている。女子プロレスしかり、ボクシング、他にもあったよなあ、忘れたけれど。
 団体の幹部がヤクザまがいの恰好をして幅を利かせ、好き勝手に金、選手を自分の都合の良いように使っている始末である。さらのその胴元である文科省の幹部が自分の馬鹿息子を医学部に裏口入学させようと、口利きをしたりしている。そんな腐った奴等の団体が仕切るスポーツ競技ってやる意味があるのかと言いたくなってしまう。
 オリンピックのため日本を訪れてくれる外国人を“おもてなし”するため、新たな施設を作ったり、観光スポットを一所懸命探し、アピールに忙しいけど、それって2020年のオリンピックの時だけのことでしょう。その後も持続性のあるものじゃないでしょう。そもそも外国人おもてなしのため日本人が暮らしにくくなる方が本末転倒である。今まで住んでいた自分の町を壊してまでやることじゃない。オリンピックって。そう思う。
 スクラップアンドビルドも結構だけれど、建物ではそれが可能だとしても、人の繋がりは一度壊されてしまえばなかなか新しいものが構築されない。そのことを第一回のオリンピックを東京でやってみて、その後遺症として残っているのにまた同じことを、一時のお祭りのためにやろうとしているとしか思えないのである。

池波 正太郎 著 『鬼平梅安 江戸暮らし』 集英社(2018/06発売) 集英社文庫


by office_kmoto | 2018-10-26 05:57 | 本を思う | Comments(0)

片岡 義男 著 『万年筆インク紙』

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 昔本屋で働いていた頃、片岡義男さんの赤い背表紙で、カバーの表紙には南国のリゾート風景の写真をあしらった角川文庫がよく売れた。その文庫自体、持っているとファッショナブルで、当時若い人に受けていた。しかし私はそういうのが苦手で敬遠していたので、片岡さんの本を読むのは初めてである。
 もともとこの本を読みたいと思ったのはやはり万年筆について書かれているからだ。
 読んでみるとこの人の万年筆に関するこだわりはこんなに万年筆を持ってどうするんだ、というくらいすごい。万年筆だけではない。そのインクの色のこだわりも並大抵じゃない。ただ本人もその辺りは自覚しているようで、最後は実際に使う本数を絞っている。

 普段使う筆記用具はもっとストレスのかからない筆記用具でありたいものだ。たとえば、著者は鉛筆で言う。

 鉛筆は早い時期にHBからBへと持ちかえ、Bはさらに2Bへと移行し、かなり長いあいだ鉛筆は2Bだった。年を重ねるにつれ3Bそして4Bと上がっていき、最後は5Bになった。

 これよくわかる。私は鉛筆を削るのが面倒なので、シャープペンを使ってきた。今は0.9の2Bを使っている。本当は4Bくらいの濃さと柔らかさの芯が欲しいのだが、0.9の4Bという替え芯は見たことがない。
 とにかく0.9の2Bを使うのはその方が0.5より書きやすく、ストレスを感じないし、腕や指に負担をかけないからである。それはジェル式ボールペンに至っても同様である。
 最近はこのジェル式ボールペン、ZEBRAのSARSAを愛用している。しかも0.7~1ミリの太い奴である。これは私の筆記用具では必須アイテムである。ただ難点はインクの減りが早いことで、だから替え芯も数本用意している。
 いずれもメモ書きとか、自分の頭の中にあるぼんやりしたことを書き出す時に使う。
 これまで万年筆に関しては私にはこだわりがあって、何度かここに書いてきた。もともとこの本を読んだのもその万年筆に関して著者が何をどう考えているのか、いわばそのこだわりを知りたかったからだ。まずは知り得たことを書く。

 ブルーブラックという名のついたインクの入ったガラス瓶も父は見せてくれた。書いた当座は深みのあるブルーだが、紙の上で酸化されることによって、その色は黒へ近づいていくことからブルーブラックと呼ばれている、ということだった。

 携帯用はあったとしても、ペンとインク壺は別々に存在した。そのインクがペンに軸のなかに入ったのだ。これは画期的な出来事だった。インクを自らの軸なかに、汲めども尽きない泉のように持つペンの登場だ。Fountain pen という言う言葉にはそれは充分に値した。

 ファウンテンという一語について考えた。つきることなく出て来るインクの泉は、左から右に向けて書いていく文章の、途切れることのないつながりへの期待なのではないか。瞬間的な短い切れ間あるけれど、基本的にはすべての思考は書かれる文字として左から右へとつらなるのであり、インクがそのことを支えるのであれば、ペンポイントとその切り割りもまた、左から右へのためのものではないか。

 輸入したのは丸善で、ウォーターマン、ペリカン、オノト、スワン、パーカーなど次々に輸入し、日本に万年筆を定着させるための、ひとつの重要な窓口の役を果たした。ウォーターマンは一八九五年(明治二十八年)、オノトh一九〇七年(明治四十年)に、丸善によって輸入されている。『學鐙』というPR誌を丸善が定期的に刊行したのは、輸入した万年筆を効果的に宣伝する媒体として利用するためだったということだ。

 確か吉村さんのエッセイに、内田魯庵がいつまでもインクがでるものという意から、そのペンを直訳して泉筆と称したと書いてあった。この本によると内田魯庵は丸善の社員だったという。なるほどね。
 
 私が持っている万年筆はモンブランのモンブランマイスターシュテュック 149 とプラチナプレジデントの2本である。最初はモンブランだけであった。太字のペン先でいわば見栄みたいな感じで持っていて、それほど使うことはなかった。だからかいつまで経ってもなじまず、どちらかと言えば使いづらかった。そこで普段使う万年筆としてプラチナの万年筆を買ったのであった。
 今度は使う万年筆として持つことにしたので、丸善へわざわざ行って、仰々しい店員の前で何度も試し書きして購入したのであった。その時インクの色はブルーブラックと決めていた。そしてこのインクの色が気に入り、モンブランの万年筆もこのインクに入れ替えた。
 最初何も知らないものだから、モンブランの万年筆にはモンブランのインクしか駄目だと思いこんでいた。インクのメーカーを替えて使うなんて考えてもいなかった。それは片岡さんも同じだったようだ。

 万年筆がモンブランだからインクもモンブランにするといいのではないか、なんの根拠もなく思った僕が購入したのは、半透明なプラスティックの容器に入った、58ミリ・リットルのモンブランのインクだった。

 私が持っていたモンブランのインクは靴型のインク瓶に入っていた。

 58ミリ・リットル入りの、モンブランのインク瓶だ。愛好者たちのあいだでは、靴型、と呼ばれているそうだ。確かに、靴を思わせるかたちをしている。デザインも製造も日本国内でおこなわれ、従って流通したのも日本だけだったという話は、本当だろうか。インクはドイツから大きなタンクで届き、日本国内の工場でこのガラス瓶に小分けされたという。

 これを読んで、へえ~、そうなんだ。確かにあの靴型のインク瓶は重量もあって魅力的だった。でも万年筆のインクの色を変えた時、もうこの色は使わないだろうと思って捨ててしまった。何故ならこのインク瓶に入ったインクを購入してからだいぶ経っていたからだ。
 この本で片岡さんは製造中止になったパーカーのウォッシャブル・ブルーのインクを探しているのだが、その在庫を丸善の店員に問い合わせた時、店員は「見つかってもお使いにならないほうがよろしいかもしれません。インクは生ものですから」と言ったという。

 万年筆用のインクは時間の経過とともに化学変化を起こす。少なくとも色は明らかに変化する。濃くなる方向への変化は、僕もすでに何度となく経験している。

 確かにあのモンブランのインクは長いこと使っていると、インク詰まりした感じで、なんかドロッとした感じであった。考えてみれば長い年月が経てば、インク水分は瓶の中で蒸発して、インク自体濃くなる。そして化学変化もする。だから使わないなら捨ててしまって良かったわけだ。でもインク瓶は貴重なものだったようで、いま思えば、瓶だけは残しておいてもよかったかもしれない、とちょっと後悔している。片岡さんのように文鎮代わりに使ってもお洒落でよかったかもしれない。
 モンブランは黒のインクを入れていた。しかしこの黒色というのはどこか威圧感がある。片岡さんも言う。

 まっ黒いインクで文字を書いているとき、あるいは、書き終えた文字がまっ黒くそこにあるとき、その黒さには、行き止まり感、とも言うべきものを、僕は強く感じる。

 書式に記入する内容は具体的にはさまざまだが、基本となるところを抽象化すると、現実の事実としてはこれだけしかない、ということだ。これらのさまざまに現実的な断片を、「黒いインクのボールペンではっきり」と書式に書かなくてはいけない。これ以外にはあり得ない、と他に対して宣言しているのが、黒インクという色だ。

 「黒いインクのボールペンではっきり書け」という命令は、書かれたものを限りなく活字に近づけたい、という願望のあらわれではないか。活字とは、書かれたものは確定されきっているがゆえに、もはやどのようにも動かしがたい現実の一部分であるという、もっとも硬い枠のことだ。その枠に入らないもの、つまり不明確なもの、不定型なもの、不確実なものなどは、排除された結果として、存在すらしていないものとして扱われる。

 こう書かれると、確かに黒は決定的という感じを与える硬さがある。そもそも万年筆で書いたもの自体そういうところがある。

 原稿用紙に万年筆で手書きしていくと、書いた文章がそのまま決定的になっていく度合いが高いかな、ということも僕は思う。頭から出てきた言葉や文章が、自分の手に持った万年筆で、原稿用紙の升目に書かれていく。自分の手で原稿用紙に書いたぶんだけ、その人にとっては、決定感が強いのではないか。直すにあたっては、その決定感を自ら取り消さなくてはいけない。一本の縦線を引いてその部分は取り消しにして、新たな文章を続きとして書いていけばそれでいいのだが、引いた線の下に自分の書いた文章は見えている。手書きは、それをする人にとって、心理的な拘束力を持つのではないか。

 ワープロはその名のとおり、ワードをプロセスする装置だ。処理機だ。プロセスしていくだけなのだから、使う人は基本的にたいそう気楽だ。気に入らなければすぐ消すことが出来る。消せばなくなり、見えなくなる。紙の上にいったんは自分の手で固定した言葉の書き手自身に対する拘束力はほとんどない。

 そこに黒という色はそれを助長すると思う。私はプラチナの万年筆を使うようになって、インクの色をブルーブラックを使うようにしたが、その色が気にいった。だからモンブランの万年筆もこのインクに入れ替えた。これがなかなかいい感じである。

 ブルーブラックという色は、ひとりの人が考えたことを、その人の手で仮に文字として書いたもの、という価値をそのままあらわにしている色だ、と僕は思う。

 ブルーブラックにはそういう優しさがある。この本はそんなブルーブラックで印刷されている。
 最後になるほど、と思ったのは次の文章だ。

 それが本来は持っている機能を、じつはまったく発揮することのない運命を担うものとして、人からもらった万年筆はその筆頭にあげていい。世のなかでおよそ値打ちのないもの、それは人からもらった万年筆ではないか。

 万年筆は使い込めば使い込むほどなじむ厄介な筆記用具である。しかも使い方に個人差がある。だから万年筆を贈って、使ってもらおうとしても、その人の愛用の筆記用具になるとは限らないのである。

片岡 義男 著 『万年筆インク紙』 晶文社(2016/11発売)


by office_kmoto | 2018-10-24 05:59 | 本を思う | Comments(2)

内田 洋子 著 『モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語』

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 著者が通うヴェネツィアの本屋の父親が言う。

 「いいえ、私の祖父が創業しましたので、息子はまだたったの四代目です。それに父の家系はヴェネツィアではなく、トスカーナ州の出処でしてね」
 トスカーナ州ですって?フィレンツェ?
 いいえ、と頭を振ってから、晴れ晴れと誇らしげな顔で言った。
 「モンテレッジォです」

 「男手を必要とする農地へ、出稼ぎに行ったのですよ。景気が悪くなると、他所にも働き口はなくなった。村には特に売る産物もありませんでした。それで本を売ったのです」

 「モンテレッジォの収穫祭は、だから本なんです」

 「いや、ただの古本です」

 「父もそのまた父も、私たちの先祖は皆、古本を売りに歩いて生計を立てたのです」

 著者はヴェネツィアの本屋の創業者の先祖が本の行商人であったことに興味を持つ。しかもその出身がモンテレッジォであることに、何故そこで本の行商人が生まれたのか不思議であった。というのも、

 モンテレッジォは、北緯四十四度十七分四十六秒、東経九度五十分三十六秒、標高六百五十一メートルに位置する。イタリア半島北部の内陸の山岳地帯にあるが、南西に五十キロメートルほど下ると、海だ。

 現在のモンテレッジォの人口は、三十二人である。男性十四人、女性十八人。そのうちの四人が九十歳代だ。就学児童も六人いるものの、村には幼稚園や小・中学校はない。
 食料品や日用雑貨を扱う店もない。薬局や診療所もない。銀行もない。郵便局は、三十年ほど前に閉鎖されてしまった。鉄道は通っていない。バスもない。
 村は老いて、枯れている。
 (こういう村から、なぜ本が?)

 「それまでモンテレッジォの経済は、この一帯に依存していました」

 ただここは交通の要所であった。

 フランチジェーナ街道が、この近くの山を通っていたのか……。
 中世に遡ると、ローマとサンティアゴ・デ・コンポステーラとエルサレムは、キリスト教の三代巡礼地だった。その中で、カンタベリーからローマへと巡礼者が旅するさまざまな道を総じて、<フランク王国に発する道>(フランチジェーナ)と呼ぶようになった。ローマを参拝し終えた巡礼者の中には、引き続きエルサレムを目指して南下していく者も多かったという。
 中世にヨーロッパの気候は、かなり温暖化している。結果、農業生産高は上がり、生きやすくなったのだろう。各地で人口は急増した。大規模な教会や広場が次々と建設され、それでも足りず、さらに未開の地に向かって人々が移住し開墾したり旧市街地が拡大されたりした。フランチジェーナ街道はまた、ヨーロッパの北と南を最短に結ぶ道程でもあった。信仰の道は欧州全域に及んで人の流れ作り、人の流れは各地に新しい商いを生んだ。各地に光と潤いを運んだ道だったわけである。

d0331556_06491922.jpg フランチジェーナ街道というのは知らなかった。注があり次のように書かれる。

 イギリスのカンタベリーからフランク王国、スイスを経由し、イタリアのローマまで結ぶ、一千六百キロメートルに及ぶ道程。本来は七十九の要所を通った。一日一区間、79日で踏破した。一日二十キロメートルの行程だった。

 モンテレッジォは、

 海がなく、平地もなく、大理石の採石もできない。つまり、海産物も農作物も畜産品も天然資源も採れない村だったが、それらが豊富な土地に行くための<通過地点>という重要な役割があった。

 毎年春になると唯一の産物である石と栗を集め、背負って山を越え谷を越えフランスやスペインまで足を延ばした。往路の荷である石を売りきると、空っぽの籠のまま帰るのはもったいない、と道中で本を預かり受けて籠に詰めなおし、売りながら帰路を辿ったという。

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 ではなぜ地の果ての山奥から、本が各地に運ばれていったのだろうか?それがこの本に詳しく書かれている。
 モンテレッジォはほとんど近隣の地域の生産物に依存していた。だからその地域が気候変動などにによって農作物の生産が出来なくなると農作物も手に入らなくなってしまうし、出稼ぎ先としての働き口も失う。

 「<夏のない年>一八一六年、北ヨーロッパ、アメリカ合衆国北東部およびカナダ東部の各地で、五月の霜に続き六月の吹雪や深い積雪、七月八月には河川や湖の凍結、三十度を超える気温が数時間のうちに零下まで激変するなどしたため、農作物がほぼ全滅する事態となった。この異常気象は一八一五年までの数年間にカリブ海やインドネシア、鹿児島、フィリピンで火山が次々と噴火し、大量の火山灰により太陽光が遮断されたために起こったとされている。
 北イタリアでは、麦と桑が全滅した。つまり、主食と産業の要だった絹が忽然と消滅してしまったのである。
 「それまでモンテレッジォが頼りにしてきた農地では、働き口どころか農業そのものがなくなってしまったのです」
 夏がなかった年は、その後の秋も冬も雨が降り続いた。中国やインドでは、大雨で洪水が起こりコレラが蔓延した。疫病、飢餓、鬱屈。人々は怯えていた。
 「でもモンテレッジォの人々は、もともと糊口を凌ぐのには慣れていましたからね」
 <何かを売りに行かなければ>
 まず村人たちが籠に入れて担いだのは、聖人の祈禱入りの絵札と生活暦だった。カレンダーのようなものだが、月齢や日食、占い、季節ごとの行事など、暮らしに役立つ情報が書き込まれてあった。天変地異に慄き飢餓に苦しむ人々にモンテレッジォの行商人たちは、神からの加護と、大地と天に暮らしの拠り所を再び見出して、との励ましを届けたのである。中世、人々が世の中の好転を感謝し聖地巡礼に歩いたのと同じ道を伝って。

 この時代、読み書きが出来る人はどれだけいただろうか?おそらく限られた者だけだったろうと思われる。ということは本の行商が職業として成り立つほどに、本は売れていたのだろうか?実は、

 モンテレッジォの行商人が売り歩いたのは、本ではなかった、聖なる御札だった。小さな紙片で、お守りのようなものだ。買っても、聖人の絵の下に書かれた祈禱文を読めない人がほとんどだった。御札や暦売りがやってくる来ると人々は広場に集まり、行商人が御札に書かれたことを説明したという。しかし、行商人にも文字の読めない人はいた。御札を預かり受けとるとき神父から説法を聞いて覚え、まるで自分が読んでいるかのように熱心に説明したのだろう。

 そこにローマ教皇ニコラス五世の登位が重要な転機となる。教皇は大理石の採石地のカッラーラと隣接するザルザーナという町に生まれた。
 教皇ニコラス五世は、教皇に登位するとローマの復興事業に取り掛かる。まずはサン・ピエトロ大聖堂の再築構想を掲げ、教皇の地元カッラーラから莫大な量の大理石をローマに運んだ。
 さらにニコラス五世はバチカン図書館を創設する。代々の教皇から引き継がれた本の上にキリスト教関連の本なら、金に糸目を付けず買い上げた。

 石が本を呼び、抱えて守る。

 さらに1816年の異常気象が北部イタリアの農業を襲い、壊滅的な被害に遭う。モンテレッジォにも大きな変化が訪れる。

 どん底で、村人たちは籠を担いだ。売れるものは何でも売ろう。買ってくれる人が見つかるまで、進もう。売り切れたら仕入れて、もっと前に行こう。
 山に入って拾い集めた野生の栗。干し茸。わずかなに採れる栗の蜂蜜。枯れ枝をまとめた束。栗を燻して挽いた粉。教会から集めた聖人の御札や暦……。

 1800年代の記録を見ると村の人々はベルギーの鉱山で働いた者も大勢いた。鉱石を採掘する際に出る石の中には砥石の原石があった。モンテレッジォの出身者たちは拾い集めた石を売り歩いた。
 行商人たちに発行された通行許可証の職業欄を見ると、1810年代には<石、及び雑貨の小売り>、1830年代には<砥石と聖者の御札売り>と変わり、1854年発行のパルマ国内の通行・滞在許可証には、<農業、歯科医および石売り。そして本も売る>と記されている。行商の荷が石から本に代わり新しい時代が始まる、と読める。

 ここでやっと御札、暦から本に行商の荷物が変わっている。それでもまだ読み書きが出来る人は多くなかったに違いない。では本を誰が、何を読んだのだろうか?そして行商人たちはどのように本を探し当て、仕入れ、売り先を見つけ出したのだろうか?
 1800年代にヨーロッパで吹き荒れたのは天災だけではなかった。もう一つあった。それがナポレオン・ボナパルトである。ナポレオンはフランス革命の精神をヨーロッパに浸透させた。イタリアも例外でなく、強い民族意識が再興させることとなった。イタリア統一運動の始まりである。そのためには世の中で起きていることの情報が必要となる。ただ本はまだ経済的余裕のある人間でもなかなか買えるものではなかった。そこで本も売るモンテレッジォの行商人たちの出番になる。

 ナポレオンの勢力圏にあったときもオーストリアの統治下にあったときも、時の支配者たちは、イタリア半島に興りつつあった独立を求める民衆の決起を怖れ、高まる民族主義を鎮圧しようと必死だった。もし独立運動たちの書いたものが頒布されれば、火に油を注ぐようなものだ。一触即発の状況の中イタリア半島の小国家では、公安が出版社や書店、キオスクの検閲を頻繁に行っては、相応しくない書物を没収していた。
 「あらかじめ決まった旅程もなく、露店で本を広げてはまた移動。居どころ不定。連絡は付かない。通行証には<石売り>とある。臨機応変で迅速な行動。口は固い。蛇の道にまで精通している。そういうモンテレッジォの行商人たちは、禁書を運ぶのに適任だったのです」
 文化の密売人、か。

 それに対してモンテレッジォの行商人たちは、

 (モンテレッジォの)村人たちは底辺の行商人だった。青天井で売る。町中の書店で売る本とは違っていた。価格も、格も、読者も。
 当時の出版社の多くは小規模で、印刷も行っていた。編んで、少部数を刷り、売る。在庫を抱えている余裕はない。モンテレッジォの人たちは、そういう版元から売れ残りや訳ありといった本を丹念に集めて、代わりに売りに歩きはじめたのである。鉱山で掘り出されたまま放置されていた石や岩を拾い集めて売ったように。
 それまでの本を読む人たちとは異なる種類の人たちが、各地で行商人たちが運んでくる本を心待ちにした。書店では高価で難解な専門書ばかり扱っていて、敷居が高い。気軽に手に取り、好きなだけページを繰ってみたい。露店なら、いくらでも本に触れることができる。冒険や恋愛など、身近な内容の雑誌もある。気に入れば、自分たちにも買える本がある。何より、店主である行商人たちは丁寧に相手になってくれるのだった。各地を歩いて本を売っている村人たちの話には、臨場感があった。遠くまで行けなくても、行商人たちと本を通じて旅の道連れになった気分だった。皆、行商人たちの口上に夢中になった。野菜とパンを買ったら、本の話を聞きに行く。書かれていないことも伝えてくれる。ページの余白や行間を読むように。
 青天井で本を売り重ねるうちに、行商人たちは庶民の好奇心と懐事情に精通した。客一人ひとりに合った本を見繕って届けるようになっていく。客たちにとって、行商人が持ってくる本は未来の友人だった。

 当然多くの一般書店からは、本はもっと教養のある人たちのものなのにとか、あるいは低価格で売られたため敵視された。しかし出版社はモンテレッジォの行商人たちを大変重宝した。既成の書店からは聞き得ない新興読者の関心事や意見を行商人たちのお陰で詳細に把握出来たからである。

 行商を終えて皆が帰郷する冬になると、ミラノやトリノ、ボローニャ、フィレンツェからモンテレッジォに時の出版人たちが次々に訪れ、食卓を囲んだりダンスを踊ったりした。村を挙げて歓待し、その場で翌年の商談をまとめたり、イタリア各地の客たちの反応を聞き新刊の企画の参考にしたりしたのである。
 本を手に取っただけで、「これはあまり売れないでしょう」「すばらしい出来です」「ヒット間違いなし」と、読まずに次々と言い当ててみせる行商人もいた。まるで本の行く末占いで、どうしたら売れるのか、秘訣を請いに出版人たちが引きも切らずに詰めかけた。「売れる本というのは、ページに触れるときの指先の感触や文字組み、インクの色、表紙の装丁の趣味といった要素が安定しているものです。<あの出版社の本なら>と、ひと目でお客に品格をわかってもらうことが肝心ではないでしょうか」

 モンテレッジォの本の行商人たちにも、自分たちの存在価値を自ら自覚し始め、

 自分たちの強みは、毛細血管のようにイタリアの隅々まで本を届けに行く胆力と脚力である。本は、世の中の酸素だ。皆で手分けして、もれなく本を売り歩こう。それには、まず人材だ。

 というわけで村の行商人たちは、子供たちに本売りの魂を教えた。子供たちは箱や籠を渡され、担ぎ方や歩き方、売り方のいろはを習った。

 「モンテレッジォ人がしないで、誰がする。文化は重たいものなのです」

 とにかく本の行商人というのが、とても興味深かった。本を運び、露店で売る人がいたということに驚きであった。そしてその時代そういう商人たちいたということは、商人を頼りにする人々がそこにいたということで、この本は商人たちが何故本を売りに歩いたのか。そしてその商売が成り立った時代背景の考察が面白かった。
 そしてこの商人たちの本に対する深い洞察力、そして何よりも本を求める人たちの顔を浮かべながら仕入をすることなど、各所に今の本屋の店員が喜びそうな言葉が沢山散りばめられている。きっと本屋の原点なんて言ったりするんだろうな、と想像しちゃう。だからか、この本は本屋大賞の「ノンフィクション本大賞」にノミネートされている。さもありなん、と思った訳だ。

内田 洋子 著 『モンテレッジォ小さな村の旅する本屋の物語』 方丈社(2018/04発売)


by office_kmoto | 2018-10-21 06:20 | 本を思う | Comments(0)

10月18日 木曜日

 晴れのち曇り。

 この夏、近所でアパートを建てているという大工さんが訪れる。なんでも今建てているアパートの現場から我が家の屋根が見えるらしく、その屋根の一部が剥がれていると教えてくれた。慌てて工務店に電話し、屋根の状態を調べてもらうと、やはりプレートが浮き上がっているらしい。とりあえず応急処置をしてもらうが、いずれにせよ屋根の葺き替えが必要ということになる。この家が建って約30年近く、一度も屋根のことを考えたことなかったので、それは仕方がないようだ。
 屋根の修繕をするためには足場が必要となる。どうせ足場を立てるなら、外壁の塗装もしたらどうか、と工務店から提案がある。さらに隣のお寺の雑木林からの落ち葉が樋に詰り、雨が流れなくなり溢れること度々あるので、その樋も落葉の入らない樋に変えることになった。
 最初は工事は三週間程度で終わる予定であったが、ここのところ雨が続き、工事が出来ないでいる。このままだと予定よりかなりずれ込むことになりそうだ。
 そのため足場がいつまでも家の周りを囲い込んでいる日が続く。これが鬱陶しくて仕方がない。天気が悪くて部屋はただでさえ暗いところへ足場に掛かるシートと外壁塗装のための養生シートが窓を覆っているので余計に暗い。気分が滅入ってしまって仕方がない。

 本は毎日読んでいるが、ここのところ天気、鬱陶しさため、ページはなかなか捲れない。何とか読み終え、次の本を手にするが、ちょっと読んでは本を置いてしまい、違う本を手にしたりする。
 d0331556_06462442.jpg こんな時永井龍男さんの随筆(『雑談衣食住』講談社刊 1973/6発行)を読むのがいい。読んでいると気分が落ち着く。身辺雑記なのだが、その味がある文章が心地よい。書かれている内容はどうってことないのだけれど、肯いたり、苦笑したりしてしまう。
 それに何よりも本そのものが持っている手触り感がいい。
 私は本屋出身の人間なので、図書館で借りてきた本以外、昔からむき身で本は読まない。何らかのカバーを付けて読む。けれど永井さんの随筆集はカバーを付けない。その手触り感を味わいたいからである。これはこれまで読んできた永井さんの随筆集すべて言える。手にすっぽり収まるサイズ感がいいし、何よりも装丁がしっかりしていることである。これが57年前に発行された本とは思えない。
 先日図書館で借りてきた新刊など、まだ発売されて間もない本なのにもうページが割れてしまっている。こういうのを見ると本作りは昔の方がしっかりしていたんだな、と思う。ページをめくるときに不安感を残すずさんな装丁はしてほしくない。本は手にして読むものである。ページをめくることで読めるものである。その基本がしっかり成されていないのが最近は多いような気がする。デザインにしても永井さんの本はシンプルなのだけれど、だからこそその内容が落ち着きのある文章たちが集まっていると感じさせる。
 今のテカテカに光ってコーティングされた表紙は手に持ってなじまないし、最近は著者の写真を堂々と表紙を使っていたりして、そのままだとイライラしてくる。(だから余計にカバーが必要になる)
 それと昔の本は紙質もいいものを使っているから、57年経ってちょうど良い感じに枯れて、目に優しい。先日買ったばかりの新刊を読んで一番に感じたのは、ページが白すぎるというものだった。

 今屋根の葺き替え、外壁の塗装と工事に入っていると書いたが、当初はすぐ工事にはいるつもりはなかった。遅くても来年の消費税が10%になる前にやればと考えていた。
 2、3日前に安部首相が今度こそ間違いなく消費税を上げると言っていた。これまで二度先送りしているので、ここでさらに先送りとなれば沽券に関わるといったところなのだろう。1年前の今から断言しておけば、増税後の混乱や消費の落ち込み対策に時間が取れるというところらしい。消費の落ち込み対策として食料品や生鮮食品などには軽減税率が適用される。その線引きがワイドショーなどで物議を醸している。
 孫と一緒に図書館に本を借りに行った帰りに図書館の前にあるコンビニであんまんを買ってイートインスペースで食べた。この場合10%の消費税がかかる。それを持ちかえれば8%のままである。持ちかえると言って、イートインで食べたら、脱税したことになるのだろうか?
 最近コンビニではイートインスペースを設けているところが多いが、せっかく利便性をなどを考慮して作ったものが、これじゃ厄介者になりかねない。これがあるためにわざわざ持ち帰りかどうか、レジで訊かなければならなくなる。
 増税後の消費落ち込みの対策として、小規模店舗でクレジットカードで支払いをすると2%分のポイントを付与すると言う。これが問題である。町中の小さな店は基本現金商売であろう。だからカードは使えない。客がカード支払いを要求しても読取り機ない以上どうしようもない。このためにレジを変えたり読取り機を導入したりしなければならない。
 実はこれが大変なのである。勤めていた会社が経営していた調剤薬局で一部負担金をカードで支払いたいという患者さんが多くなってきて、銀行系列の信販会社に相談したことがある。何を相談したかというと、カード読取り機の設置、読取りのためのインターネット回線の準備などまず下準備に手間とお金である。
 そして何よりも信販会社に支払う手数料の負担である。これが馬鹿にならない。いくつかの信販会社と交渉し、イニシャルコストとランニングコストの両方を負担の少ない信販会社を探した。テレビのニュースではカード支払いを出来るようにするためには、店が信販会社に手数料を払わなければならないことなど触れているのを見たことがない。国は客には2%分のポイント還元はするけれど、カードを使えるようにするためにかかるコストは負担しないのであろう。
 それとカードを持てる人と持てない人がいるということである。年寄りがこれからカードを作るとなると何かと審査がうるさいと聞く。
 実際スマホを買い換えたとき、ポイント還元率がいいと言うので店員に勧められるまま、指定のカードを作ったのだが、あっさり審査に落ちた。無職、年金受給予定者だと、カードを発行してくれないらしい。まあカードは持っているから、新たなカードを作る必要はないので、それはそれでいいのだが、携帯料金支払い方法がカード払いにしていたので、このままだと宙に浮いてしまうのではないか、と思い販売店に電話した。そうしたら、支払い方法変更のため、もう一度店に来いというので、腹が立った。だから、おたくらの関連会社であるKDDIフィナンシャルから失礼なメールが来たこと。そしてもともとカードを作れと言ったのはそちらであること。私はもう年齢も年齢だから新規カードは作れないんじゃないのと言ったにもかかわらず、大丈夫だと言ったのはおたくらであること、など一気にまくし立て、そちらでなんとかしてくれと言い放つ。

 カード支払い2%ポイント還元は、国がキャッシュレスの国際化に、この際対応したいということらしい。2020年にはオリンピックもあり、外国人が多く来ることもあるから、日本のキャッシュレス化をアピールしたいのだろう。(もういい加減にオリンピックのため、というのはやめてほしいものだ)しかしそれが簡単に出来ない事情があることを役人たちは知らない。
 もっともこのどさくさ騒ぎも、そうそう収まり、8%であろうと10%であろうと関係なくこれまでのように利用してしまうのだろうし、別にポイント2%還元されても大した額じゃないしということで、諦めちゃうのを待っているのかもしれない。

 さて、このように年寄りが住みづらいことになりつつあるが、昨日小松川警察署から電話があり、近所で振り込みサギの電話があったことで、注意喚起の電話を頂く。なかなか細かく注意する点を教えてくれた。懇切丁寧な電話なので、イラついちゃいけないと思いつつも、電話が長くなっていくのでイラついてしまう。ただ自分は関係ないとは思っていないし、サギのターゲットになりかねないことも自覚しているから、注意するに越したことはない。

 あいかわらず二週間に一回整形外科に通っている。首に痛みあって、その時にリハビリで首の牽引をやってもらう。痛み止めと筋肉を弛緩させる薬の処方箋を書いてもらい、近くの薬局で薬をもらう。
 結局この痛みはある程度やむを得ないところがあるようで、だから痛みとつき合うしかないようだ。
 特に首が痛くなるときは、たとえば天気の悪いときなどで、それ以外はちょっと痛いなという程度に落ち着いている。その程度で済んでいるのは、毎日薬を飲んでいるからか。それとも薬を飲まなくても安定している時はこの程度なのかわからない。なので先生に今飲んでいる薬を特に痛みがある時だけ飲むようにして、そうでないときは飲まなくてもいいかどうか訊いてみると、今のところ症状は安定しているから、それを試してみるのもいいかもしれないと言われる。
 ということで、今日から薬を止めてみることにする。後は頓服としてもらった薬を飲むことにする。

 スマホを買い換えたことは書いた。今まで持っていたスマホは簡単携帯ほど年寄り臭いものでないにせよ、まあそれに近いものを持っていた。そのスマホを持ってもう4年になる。だからスマホは有段者になっただろうから、上位機種に今回してみたわけだ。それに4年も経てば、そろそろあちこちおかしくなりつつある。完全に壊れる前に買い換えるほうがいい、ということでそうした。目が悪いので、少し大きめのものにする。
 まあ、カッコイイ。さっそくAmazonでケースを購入。スマホのサイズが大きいので首に掛けられるストラップタイプ付いた手帳型にする。
 私は臍曲がりなので、iPhoneは好きじゃない。それにAndroidの操作に慣れているから、iPhoneの選択肢はなかった。
 さっそく「OK Google」とやってみる。(ミーハーなのだ)天気を訊けば、CMにあるように音声で答えてくれる。ものすごく感動する。
 ただこれまで持っていたスマホで使っていたアプリがない。必要なものをインストールしなければならないので、せっせとインストールした。

 読みたいと思って区の図書館の検索をかけるとないことがわかり、それではとお隣の江東区の図書館はどうだろうと検索を掛けるとあることがわかった。それを予約し、自宅からいちばん近い江東区の図書館に取り置きしてもらっていた。
 今日朝一番で借りに行った。借りに行くと言っても、地下鉄で2駅先で、新船堀橋を渡らなければならない。今日は午前中は日も照って、サイクリング日和なので、のんびりと新大橋通りを走って行く。
 今までこちらから中川・荒川を渡るときに橋の上に出るには、歩行者用の階段の横に自転車を押して渡る通路が付いているので、そこを自転車を押しながら登っていく。これが結構きつい。しかし前回、橋の上にでるエレベーターがあることを発見し、今日はそれを使って橋の上に出た。これは楽である。いいものを作ってくれた。そのまま新大橋を渡り、江東区に出てすぐに東大島図書館がある。予約しておいた本3冊を借り入れ、引き返す。こちらから橋の上に出る道はゆるやかな坂なので、私でも自転車で登り切れる。今日は暑くもなく寒くもなく、自転車を漕いでも汗ばむこともなく、川風に当たりながら橋を渡りきった。
 こちらに来るのも楽になったので、これからは江東区の図書館も多く利用したい。

 このブログにはトラックバックを受けつけているが、ここのところ訳のわからないトラックバック希望が増えている。一時期同じようなことがあり、しばらくトラックバックの受付を休止したのだが、また始まった。まったく世の中には暇な人間がいるもので、それを受けつけるかどうか、こちらが判断し、おかしいなと思うものは削除するのに、ご苦労なことである。ただそれを削除するのも面倒なので、もうここではトラックバックは受けつけないことにする。もともとトラックバックの必要性をあまり認めていないので、そうすることにした。

by office_kmoto | 2018-10-19 06:53 | 日々を思う | Comments(0)

笹本 稜平 著 『春を背負って』

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 たまたまブックオフで棚を眺めていたら、この本が目にとまる。手に取り帯を読んでみると、「疲れた心を慰める感動の山岳小説。奥秩父には人生の避難小屋があるんだ」とある。それに惹かれた。こういうのに弱いのだ。本の表紙のカバーも淡い緑色の山々が描いてあり、これは読んでもいいかな、と思った。
 これまで笹本さんの作品は「越境捜査」シリーズを読んできた。その時笹本さんが山岳小説も書かれることを知った。

 長峰亨は父親がやっていた山小屋を引き継いだ。サラリーマン時代は自己実現を求めて半導体という無機物との格闘にエネルギーを注いだ。気がつけば人生に意味を見失い、「まるで魂が酸欠状態にでも陥ったように、心は痩せ細り、世界は色を失っていた」。山小屋引き継いだ時、本来生きるべき場所と人を優しく包みこむ大自然を感じたのであった。
 そこに父親の大学時代のワンゲル部の後輩である多田吾郎がいた。通称ゴロさん。
 ゴロさんは住宅リフォーム会社を立ち上げ、一時は景気も良かったが、バブル崩壊後丸裸になり、その後亨の父親と出会い、この小屋の手伝いをするようになった。山小屋が開いているときは、父親の山小屋を手伝い、冬場はホームレスをやっている。ホームレスは自分の性にあっている。また生きることがギリギリのホームレス生活は、山での生活に充分耐えうると考えていた。
 そんなゴロさんが口にする言葉がこの作品に味を出す。

 「だけどね。その落とし前を他人につけてもらおうなんて一度も思ったことはない。自分の人生が不幸だとも思わない。雨が降ろうが風が吹こうが、自分にあてがわれた人生を死ぬまで生きてみるしかない。人間なんてしょせんそんなもんだろう」

 「どうせ拾い物の人生だからね。取り繕ったってしようがない。死なない程度に衣食住足りてりゃ、それ以上の金は要らないし、他人から尊敬されたところで腹の足しにもなりゃしない。欲はかかない、頑張らない。それが人生を重荷しないコツかもしれないね」

 「しかし人間ってのはなにが起きるかわからないからね。おれみたいな出がらし人生を送っている者にとっちゃ、いずれこの世におさらばするのは頭のなかに織り込み済みで、違いは早いか遅いかだけだけど、この人がまだ希望や夢がある年頃で死んだとしたら、さぞかし無念だったろうと思うんだよ」

 「それがおれという人間の原点でね。人間だれでも素っ裸で生まれてきて、あの世へだって手ぶらでいくしかない。それが本来自然の姿で、金やら物やら名声やらを溜め込めば、それだけ人生が重荷になっていく」

 「その点じゃ、おれなんか甘い人生を送ってきているよ。自分ひとりの始末さえつきゃそれでいいんだから。しかしね、あの人にすりゃ、奥さんと真奈美さんは損得抜きで背負う価値のある大事な荷物なんだろうね」

 「自分にあてがわれた人生を死ぬまで生きてみるしかない」とか、「他人から尊敬されたところで腹の足しにもなりゃしない。欲はかかない、頑張らない。それが人生を重荷しないコツかもしれないね」とか、「おれみたいな出がらし人生を送っている者にとっちゃ」とか、「金やら物やら名声やらを溜め込めば、それだけ人生が重荷になっていく」とか、「損得抜きで背負う価値のある大事な荷物」とか言う文句はやむにやまれぬ人生の大半を過ごしてきた者の達観と諦観がそこにはあり、心に沁みる。
 本を読んでいてこういう文句に出会えるのはうれしい。なんか今の自分も同じような気持ちになるところがあって、すごく感じ入る。むしろそんなことを言う人物たちを自分は求めている感じだ。自分もそう思っているというのをどこか同調して欲しいから、こんな本を読みたくなるのかもしれない。

笹本 稜平 著 『春を背負って』文藝春秋(2011/05発売)


by office_kmoto | 2018-10-16 05:47 | 本を思う | Comments(0)

宮部 みゆき 著 『蒲生邸事件』

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 尾崎孝史は予備校の試験のため父親から勧められた千代田区平河町のホテルに入った。チェックインを済まし、エレベータを待っている時、観葉植物に隠れていた壁に掛かった額縁に入った写真を見つける。

 「陸軍大将 蒲生憲之」

 とある。説明文も付いており、このホテルは蒲生憲之邸の跡地に建っていることを知る。そこには蒲生憲之の人物像についても書かれており、蒲生は昭和11年2月26日の二・二六事件の当日に長い遺書を残して自決したと書かれていた。残された長い遺書は戦前の日本の政府、軍部について詳しい分析をし、その後来る日本の敗北まで予見したもので、その先見の明について歴史家の間で高い評価を受けている、と書かれていた。
 孝史には相客がいた。その中年の男は周りもひどく暗く感じさせた。
 そしてそのホテルが火事になり孝史はその中年男、平田に助けられるのだが、孝史が平田に連れ出された先がなんと昭和11年2月26日の二・二六事件が真っ最中の蒲生憲之邸の小屋であった。
 物語はここから以外な展開を始める。平田という中年男はいったいどんな男なのか。どうして避難先として連れて来られたのが昭和11年2月26日なのか。
 平田は孝史に語る。

 「こうするしかほかに、あの火事のなかから逃げ出す方法がなかったんだ。信じられないのはよくわかるよ。でも、事実なんだ」
 「何が事実だっていうんです」

 「我々はタイムトリップしたんだ」
 タイムトリップしただと?
 言葉もない孝史に向かって、男はわずかに後ろめたそうな顔をしてみせた。
 「私はね、時間旅行者なんだよ」

 「そう……我々は今、昭和十一年二月二十六日未明の東京、永田町にいるんだよ。間もなく――あと三十分もしないうちに、二・二六事件が始まる。この一帯は封鎖され、人の出入りは難しくなる。まして君のような何も知らない人間が歩き回るには危険すぎる四日間が、これから始まるんだ」

 平田は自分のタイムトリップできる能力をどうして持つことになったのかを語り始める。

 「代々母方の一族のなかにひとりだけ、時間軸を自由に移動することができる能力を持った子供が生まれてくるというんだな。その子は例外なく『暗く』、気味悪い雰囲気を持っていて、人から愛されないという宿命も背負っている。しかも早死にだ。だから当然、子孫も残せない。次の世代の時間旅行能力者は、彼もしく彼女はごく普通の兄弟たちの子供たち世代――つまり甥や姪たちのなかから、またひとりだけ生まれてくるんだ」

 孝史は平田の言うことを理解できずにいたが、とにかく現代に帰してくれと頼むがそれが出来ない理由を言う。タイムトリップは著しい体力消耗をするから、すぐタイムトリップすれば死んでしまうと言う。
 結局平田の甥として孝史は昭和11年2月26日の蒲生邸にいることになる。そして物語はタイムトリップした平田と孝史の会話が面白い。

 俺、どうなるのだろう?

 俺は――尾崎孝史は、タイムトリップできるおっさんとなんか知り合わなければ、そしてあそこで彼に助けられなければ、本来、平河町一番のホテルの二階の廊下で焼け死んでいるはずの人間だった。ところが、それがこうして命を拾い、いっとき過去に足を置いて、それから現代に――自分の生きる時代に帰ろうとしている。
 これは正しいことなのか?孝史は、こうして生き延びることによって、歴史の歯車を狂わせてしまうのではないか?

 「俺、帰る場所はある?」

 「その心配は無用だ」

 「君の帰るべき場所はちゃんとあるよ」
 「だけど俺、歴史を変えちまったんだよ?」
 平田は首を振る。「関係ないさ。大丈夫だよ」

 「歴史にとって、君はさほど重要な人物じゃないからだ」

 「君の言うとおり、事実は歴史の一部だ。歴史を構成している。天災なんかの自然現象を除けば、事実を起こすのは人間だから、歴史上では事実イコール人間ということになる。人間は歴史の一部だ。だから、取り替えがきく」

 「我々人間は、歴史の流れにとってただの部品だということさ。取り替えか可能なパーツでしかない。パーツ個々の生き死には、歴史にとっては関係ない。個々のパーツがどうなろうと、意味はない。歴史は自分の目指すところに流れる。ただそれだけのことさ」

 「歴史が先か人間が先か。永遠の命題だな。だけど私に言わせれば結論はもう出ているよ。歴史が先さ。歴史は自分の行きたいところを目指す。そしてそのために必要な人間を登場させ、要らなくなった人間を舞台から降ろす。個々の人間や事実を変えてみたところでどうにもならない。歴史はそれを自分で補正して、代役を立てて、小さなぶれや修正などすっぽりと呑み込んでしまうことができる。ずっとそうやって流れてきたんだ」

 「どうしてそんな自信たっぷりに断言できるんだよ」

 「これまで何度もタイムトリップをして、そういう事実を確かめてきたからさ」

 平田はタイムトリップが出来る能力があることを知ったことで、歴史の中にある大きな事故や事件の時にタイムトリップしてそれを事前に食い止めようとした。そうすることで多くの人が犠牲になることを防ごうとした。けれどいったん食い止めたとしても、最終的には何も変わらなかった。歴史的事実を変えても、歴史は代役を立てて同じ事故や事件を起こす。平田はその例として平成元年に起こった日航ジャンボ墜落事件を防ごうとした。平田はそのジャンボ機を飛ばさないように事件爆弾を仕掛けたという脅迫電話を掛け、飛行機を飛ばさなかった。しかし平田がジャンボ機を飛ばさないようにした日時は12日ではなく10日だった。そして12日にジャンボ機は堕ちた。

 「わからないか?私は001便(10日に飛ぶ予定だったジャンボ機のこと)が墜落することは防いだ。でも、その二日後に、別のジャンボ機が堕ちた。私のしたことは、歴史を変えることになんかならなかったわけだ。私はただ、墜落するジャンボを001便から他の飛行機に替えただけだったんだ。八月十日以降も昭和六十年に留まっていた私は、リアルタイムでそれを知らされたよ」

 「がっくりしたよ。がっくりなんてもんじゃない。あれで自分に見切りがついたんだから。やっぱり駄目だ、歴史を変えることなんかできない、とね。それまで以前にも、私は何度も似たようなことを繰り返してきていた。ひとつの過去の惨事を防ぐ。そうすると、まるで私の努力を嘲笑うみたいに、必ず似たような事件が起こるんだ。むろん、係わる人びとも違う。でも事件の性質はそっくり同じだ。起こる事件そのものを絶対的に防ぐことなんて、できやしないんだよ」

 平田はこうして事件や事故に巻き込まれる人びとを他の誰かに置き換えることが出来た。誰にでも置き換えることが出来るということは、そこに自分の気に入らない人物をそこに置き換えることが出来るし、最初から気に入らなければそのまま知らん顔をして見殺しにすることも出来る。だから平田は自分自身を“まがいものの神”と言う。

 「そうさ。歴史が頓着しない個々の小さなパズルの断片、役者の位置を変えたり、彼らの運命を左右したりすることはできる。私の好みで。私の自己満足のために」

 「私は死ぬ運命にある人を助けることができる。その人間が気にくわなければ見殺しにすることもできる。あるいは、大きな事故が起こるとわかっている場所に、自分の嫌いな人間をわざわざ行かせて、殺したり傷つけたりすることもできる。そうして何の罪にも問われず、誰にも気づかれず、恨まれることもない。ああ、気持ちがいいさ。爽快だよ」

 「でも、まがいものはしょせんまがいものだ」

 こうした自分の好悪や趣味で置き換えをすれば、そのツケは自分にはね返ってくる。本物の神なら罪悪感も使命感もないだろうが、まがいものの神である自分は、したことによって生じた結果をまともに向き会わなければならなくなる。

 「あの事件(宮崎勤事件のこと)起こったころ、私はもう、今話したような結論に達していた。たとえば私が過去にトリップして、生まれたばかりのあの容疑者の青年を殺してしまうとする。そうすれば、彼はあんな連続誘拐殺人事件を起こすことはできなくなるだろう。被害者四人の女の子たちは助かるだろう。だが、それでどうなるかと言ったら、なんのことはない、彼じゃない別のAかBだかの心を病んだ青年が現れて、あの四人の女の子じゃない別の女の子たちをさらって殺す――そういう事件が結局は発生するんだ。歴史が、あの時点で、ああいうタイプの犯罪がこの国の社会に登場するという方向に流れてゆく以上、それはどうしたってそうなるんだ。つまり私は、容疑者と被害者を別の人間に置き換えただけということになる」

 「私が大車輪で過去に戻り、歴史的事実に修正を加えようと行動を起こすとしよう。それでも、大東亜戦争は起こるだろう。原爆も落ちるだろう。高度成長も起こるだろうし、ぜんそくや有機水銀中毒症のような公害病も出てくるだろう。それは広島じゃないかもしれない。水俣じゃないかもしれない。でも、どこかで起こる。誰かが巻き込まれる」

 平田はなんとかして孝史を連れて現代に戻ろうとしたが、行きついた先は昭和20年5月25日の東京の空襲であった。そしてそこで目撃したのは、二・二六事件当時蒲生邸にタイムトリップしたときに孝史たちにやさしくしてくれた女中のふきの焼き爛れた死体だった。
 慌ててそこから脱出して戻ろうとしたが、結局また蒲生邸に戻ってきてしまった。しかも一日に三度タイムトリップしたものだから、平田は倒れてしまう。結局孝史は平田が回復するまでに、この時代に残ることとなってしまう。そして事件は起こる。
 平河町のホテルにあった蒲生憲之の説明通り、二・二六事件勃発当日に銃で自決した。蒲生憲之の死の真相はなんだったのか。孝史はそれを探っていく。
 そもそも軍人である蒲生憲之は退役後“転向”して、その遺書に自ら所属していた軍の批判を書き、その後の日本の行く末を予見できたのだろう。ここに黒井という一人の女中が関係してくる。黒井は平井の叔母であった。そして平田同様タイムトリップ能力を有していた。黒井は自らの能力を使って蒲生憲之に日本の未来を見せていたのであった。だから平河町のホテルで蒲生憲之の幽霊が出るというのは、現代にタイムトリップした蒲生憲之であったのだ。
 そして蒲生憲之は日本の未来を見てしまったことで“転向”したのであった。その“転向”は憲之の息子の貴之が言う通りであった。

 「父は未来を見たんだ。結果を知っていたんだ。何も知らず生きた人たちが、これから成すことを批判したんだ。父ひとりだけが、言い訳を用意したんだ。抜け駆け以外の何物でもないじゃないか」

 その未来は、

 「――その時代(戦後)には、陛下も現人神の座を降り、より国民に近い場所に居られ、統帥権の独立を以てする軍人の天下は遠く去り、本当の意味で万民が平等が実現されるだろう」

 と知る。
 しかしこの時代こんな思想を持つこと自体許されない。まして天皇については“不敬罪”に当たってしまう。
 そんな憲之がこんな思想を持っていることを知った叔父の嘉隆は憲之を脅した。憲之の財産を強請った。ただ憲之と嘉隆の不仲は有名だったので、憲之の死後財産を嘉隆に残したら不信に思われるから、毬恵を愛妾として送り込み、毬恵を通して憲之の財産をものにしようしたのであった。
 黒井はまた現れて、そんな毬恵と嘉隆を違う時代に連れ去った。

 平田は何故この時代に何度もタイムトリップしてきたのか。それは叔母の黒井と自分は違いを自覚したからだ。

 「叔母は自分の能力に誇りを持っていた。それを自分の気に入った人、好きな人、大切に思う人、同情を感じた人たちのためだけに使うことについて、いささかなの疑問も抱いてはいなかった。時間旅行の能力を、素晴らしいものと思っていた。人に避けられやすいこの暗いオーラは辛い枷だけれど、それを補って余りあるものを、自分は持っていると信じていたんだ」

 平田は叔母が自分の能力を喜んでいたし、その能力を使うことを許していたが、自分は違う。平田は失われるであろう命をタイムトリップして防いでも、違うところで似たような事故や事件が起こる。その繰り返しで疲れ果ててしまった。自分の行為は単に歴史の修正にしか過ぎないことを自覚してしまった。だから平田はこの時代に根を下ろしこの時代に生きる人間として闇雲に生き抜くことで、同時代の人びとがどう生き、どう考えるかを知りたい。また自分がこれまでしてきた高見の立場で時代を見ていたら、彼らはどんな気分になるだろうか、知りたい。そうすることで怒られるかもしれない。それは人間として怒りからだ。だからこの時代に生きた人びとがせずにおられなかったことを、同時代の人間として許せるかもしれない。そのときは自分も許され、当たり前の人間になれるかもしれない。

 私と、時間旅行者の私がしてきたことのすべてが許されるかもしれない。すべての悪あがき、すべての間違いが許されるかもしれない。そして私は人間になれる。まがい物の神ではなく、ごく当たり前の人間に。歴史の意図も知らず、流れのなかで、先も見えないまたただ懸命に生きる人間に。明日消えるかもしれない自分の命を愛せる人間に。明日会えなくなるかもしれない隣人と肩をたたいて笑い合う人間に。それがどんなに尊いことであるか知りもしないまま、普通の勇気を持って歴史のなかを泳いでいく人間に。
 どこにでもいる、当たり前の人間に。
 「そのために、この時代に来たんだよ」

 平田は体力も回復し、孝史を現代に帰す。そのとき孝史は好意をもったふきを連れて行こうとするがふきは断った。孝史はふきと平成4年4月20日に浅草の雷門で会おうと約束する。その日はふきの誕生日であった。孝史は昭和20年の東京空襲でふきが死なないように手はずをしておき、注意もしておいた。
 そしてその日ふきは来なかった。来たのはふきの孫娘であった。ふきからの手紙を預かっており、それを孝史に渡した。手紙はあの日以後の蒲生邸の人びとの消息を綴っていた。
 ふきは4年前に胃がんで亡くなっていたのだった。

 タイムトリップ出来る能力有する平田が過去の不幸な出来事、悲惨な事故や事件を回避するために、その時代に行ってそれを事前に防ごうとしても、歴史は場所や時間や事故に遭う人びと変えて、似たような事件、事故が起こさせる、という発想は面白かった。平田が防ごうとしたした行為は、単なる歴史上の修正にしかならなかった。
 ただ平田のタイムトリップ能力の説明を聞いている内に、私は歴史には「本来あるべき姿に戻ろうとする」ところがあるのではないかと感じることがある。
 人間が驕ってやりたい放題やると、そのツケが必ず起こる。それは自然災害であったり、病気の蔓延だったり、あるいは戦争や事故だったりする。まるで時計の振りのように振れ、その揺り返しが必ずある。大きく振れれば、大きく揺り戻し、その揺れがだんだん小さくなり、そして落ちつく。一種の自浄作用が働くのではないかと思えることがある。だから平田がタイムトリップして事件や事故などを防ごうととしても、起こるべくして起こったものだから、それは防ぎようがないのだ、と思った。
 
 宮部 みゆき 著 『蒲生邸事件』 毎日新聞出版(1996/10発売)


by office_kmoto | 2018-10-13 06:45 | 本を思う | Comments(0)

永井 荷風 著 『日和下駄―一名東京散策記』

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 この本は一度読んでみたいと思っていた本であった。これは荷風がこれまでに散策してきた東京の各地を項目を設けて思い当たる場所をまとめて書いてある。私は荷風が散策した場所ごと(特に下町など)にその風景や特徴を書いたものを期待していたので、これは以外であったし、出来れば一つのところを深く掘り下げてあるのを読みたかった。

 この本の解説をしている川本三郎さんはこの本がいつ書かれ、荷風が何故これを書くに至ったかが書いてある。

 「日和下駄」が書かれたのは、荷風がアメリカ、フランスでの遊学から帰国したあと、大正のはじめである。そこには明らかに、ひとつのモチーフがある。「失われた東京」への想いである。
 明治維新以後、急激な近代化の道を歩まなければならなかった日本は、次々に古いものを壊わし、新しいものを作っていかなければならなかった。とりわけ首都の東京ではその変化が激しかった。
 
 荷風自身も次のように書く。

 今日東京市中の散歩は私の身に取っては生れてから今日に至る過去、生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。之に加うるに日々昔ながらの名所古蹟を破却して行く時勢の変遷は市中の散歩無情悲哀の寂しい詩趣を帯びさせる。およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情味わおうとしたら埃及伊太利に赴かずとも現在の東京を歩むほど無残にも傷ましい思をさせる処はあるまい。今日看て過ぎた寺の門、昨日休んだ路傍の大樹も此次再び来る時には必ず貸家が製造場になって居るに違いないと思えば、それほど由緒のない建築も又はそれほど年経ぬ樹木とても何とはなく奥床しく又悲しく打仰がれるのである。(第一 日和下駄)

 然るに私は別に此と云ってなすべき義務も責任も何もない云わば隠居同様の身の上である。その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使わず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなったのである。(第一 日和下駄)

 元来が此の如く目的のない私の散歩に若し幾分でも目的らしい事があるとすれば、それは何という事なく蝙蝠傘に日和下駄を曳摺って行く中、電通通の裏手なぞにたまたま残っている市区改正以前の旧道に出たり、或は寺の多い山の手の横町の木立を仰ぎ、溝や堀割の上にかけてある名も知れぬ小橋を見る時なぞ、何となく其のさびれ果てた周囲の光景が私の感情に調和して少時我にもあらず立去りがたいような心持をさせる。そういう無用な感情に打たれるのが何より嬉しいからである。(第一 日和下駄)

 というわけで、下駄と蝙蝠傘を持って散歩に出かける。さらに江戸を偲ぶため、江戸絵図と小林清親の絵を持つ。小林清親の絵図はここに幾度となく出てくる。江戸散策には清親の絵図は必需品だったのだろう。絵図に関しては面白いことを書いている。

 凡そ東京の地図にして精密正確なる陸地測量部の地図に優るものはなかろう。然し是を眺めても何等の興味も起らず、風景の如何をも更に想像する事が出来ない。土地の高低を示す蚰蜒の足のような符号と、何万分の一とか何とか云う尺度一点張りの正確と精密とは却って当意即妙の自由を失い見る人をして唯煩雑の思をなさしめるばかりである。見よ不正確なる江戸図絵は上野の桜咲く処には自由に桜の花を描き柳原の如く柳のある処には柳の糸を添え得るのみならず、又飛鳥山より遠く日光筑波の山々を見ることを得れば直にこれを雲の彼方に描示すが如く、臨機応変に全く相反せる製図の方式態度を併用して興味津々よく平易にその要領を会得せしめている。この点よりして不正確な江戸絵図は正確なる東京の新地図よりも遥に直感的または印象的の方法に出でたものと見ねばならぬ。(第四 地図)

 測量図は実用的に使うものである。絵図はそうではない。むしろ観光案内に近い。だから正確さより、だからそこにある見どころを強調する。またそれが面白い。
 さて、荷風は東京の良さを感じるには、水と森、そして路地と閑地であることを言う。

 もし今日の東京に果して都会美なるものが有り得るとすれば、私は其の第一の要素をば樹木と水流に俟つものと断言する。山の手を蔽う老樹と、下町を流れる河とは東京市の有する最も尊い宝である。巴里の巴里たる体裁は寺院宮殿劇場等の建築があれば縦え樹と水なくても足りるであろう。然るにわが東京に於いてはもし鬱然たる樹木なくんばかの壮麗な芝山内の霊廟とても完全に其の美と其の威儀とを保つ事は出来まい。(第三 水)

 路地には往々江戸時代から伝承し来った古い名称がある。即ち中橋の狩野新道と云うが如き歴史的由緒あるものも尠くない。然しそれとても其の土地に住古したものの間にのみ通用されべき名前であって、東京市の市政が認め以て公の町名となしたものは恐らく一つもあるまい。路地は即ち飽くまで平民の間にのみ存在して了解されているのである。犬や猫が垣の破れや塀の隙間を見出して自然と其の種属ばかりに限られた通路を作ると同じように、表通りに門戸を張ることの出来ぬ平民は大道と大道との間に自ら彼等の棲息に適当した路地を作ったのだ。路地は公然市政によって経営されたものではない。都市の面目体裁品格とは全然関係なき別天地である。されば貴人の馬車富豪の自動車の地響に午睡の夢を驚かされる恐れなく、夏の夕は格子戸の外に裸体で涼む自由があり、冬の夜は置炬燵に隣家の三味線を聞く面白さがある。新聞買わずとも世間の噂は金引棒の女房によって仔細に伝えられ、喘息持の隠居の咳嗽は頼まざるに夜通し泥棒の用心となる。かくの如く路地は一種云いがたき生活の悲哀の中に自から又深刻なる滑稽の情趣を伴わせた小説的世界である。而して凡て此の世界の飽くまで下世話なる感情と生活とは又この世界を構成する格子戸、溝板、物干台、木戸口、忍返なぞ云う道具と一致している。この点よりして路地は又渾然たる芸術的調和の世界と云わねばならぬ。(第七 路地)

 閑地は元より其の時と場所とを限らず偶然出来るもの故吾々は市内の如何なる処に如何なる閑地があるか地面師ならぬ限り予め之を知る事が出来ない。唯その場に通りかかって始めて之を見るのみである。然し閑地は強いて捜し歩かずとも市中到るところに在る。今まで久しく草の生えていた閑地が地ならしされて軈て普請が始まるかと思えば、いつの間にかその隣の家が取払われて、或場合には火事で焼けたりして爰に別の閑地ができる。そして一雨降ればすぐ雑草が芽を吹き軈て花を咲かせ、忽ちにして蝶々蜻蛉やきりぎりすの飛んだり躍ねたりする野原になってしまうと、外囲はあっても無いと同然、通り抜ける人達の下駄の歯に小径は縦横に踏開かれ、昼は子供の遊場、夜は男女が密会の場所となる。夏の夜に処の若い者が素人相撲を催すのも閑地がある為めである。(第八 閑地)

 昔はあちこちに空地があった。確かにある日隣の家が壊され、更地になる。そこに雑草が生え、昆虫が棲む。雑草をかき分ければ、バッタが飛び跳ね、カマキリが鎌を上げる。トンボが飛び、夕方になればコウモリが飛び回る。そんな空地があちこちあった。
 そのうち資材置き場になったり、ゴミが捨てられたりする。中にはエロ雑誌なんか捨てられていて、それを見つけてカラーページを広げてドキドキした。

永井 荷風 著 『日和下駄―一名東京散策記』 講談社(1999/10発売)講談社文芸文庫


by office_kmoto | 2018-10-10 07:46 | 本を思う | Comments(0)

本多 孝好【著】『dele 2 』

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 自分の死後、自らのデジタルデータの消去を誰にも知られずにしてくれる「dele.LIFE」と契約した者の物語である。

 『dele.LIFE』と契約すると、依頼人はまず、該当するデジタルデバイスに、圭司が作ったアプリをインストールする。アプリは『dele.LIFE』のサーバーと定期的に交信する。依頼人が設定した時間以上、そのデイバイスが操作されなかったとき、サーバーが反応し、モグラが目を覚ます。それを受けて、祐太郎は依頼人が本当に死んでいるのかを確認する。死亡確認が取れたら、モグラを通じて、圭司が依頼人のデジタルデバイスから指定されたデータを削除する。

 圭司がモグラと呼ぶそのパソコンだけが、依頼人に託されたデータとつながっている。
 しばらくタッチパッド上を動いた圭司の指先が振り上げられたとき、祐太郎は小さく咽の奥を鳴らした。無意識の反応だった。圭司の指先が振り下ろされるとき、依頼人とこの世界との縁が一つ切れる

 依頼人の名前と連絡先は登録されているが、その依頼人がどういう人物だったかはわからない。ビジネスとして考えればその必要はなかった。依頼されたことを淡々とすればいいだけのことである。圭司は最初はそうしていたが、祐太郎とコンビを組むようになって、ドライにビジネスライクになれなくなっていた。だから物語が成り立つ。

 平凡なようでも、人が死ぬと、ミステリーが残るもんですね。

 第一話の「アンチェイド・メロディ」は依頼人が人気バンド『コリジョン』のボーカルの兄であったことがわかる。彼が消して欲しいと依頼したデータは音楽データで、『コリジョン』のメロディーであった。兄は弟のゴーストライターかと疑われたが、実際は違っていた。依頼人の本心がやはりビジネスライクではわからないところにあったのだ。

 兄貴にはそれしかないから。弟は自分の本来の才能を封印してまで、ただ売れそうなだけの兄貴の曲を歌った。

 しかし、

 「自分が弟の才能を縛りつけていることは、依頼人もわかっていたんだろう。けれどそれをやめることができなかった。その歌だけが自分のすべてだから。やめなきゃいかない。ずっとそう思っていた。薬物も。弟に嘘をつかせることも。けれど、やめられないこともわかっていた。弱い男だった。だから、せめてもの思いで死に急いだ」

 「自分が死んだら、自分の音楽もすべてあの世に持っていく。そうすれば弟は解放される。お前には何の曲も残さない。これからは自分の音楽をやってくれ。そういうメッセージだ。そのメッセージが宗介に届いた」

 圭司たちによってデータを消去された兄のパソコンを開いたとき、そこに何もないことで弟に兄の思いを伝えたかったのだ。

 第二話の「ファントム・ガール」では消去してもらうことで、残ったデータが依頼人の意志を示す物語である。しかもそれはあまりにも現実が厳しかった故に、仮想の世界のみに自分だけを残して欲しかったという結末である。

 「そもそもどうしてって言うなら、そうですね、確かにあの会社の面接に落ちたのがきっかけだったかもしれません。面接後に、面接した人から、あたかも受かったかのような言葉をかけられたらしくて。いえ、愛莉の思い込みかもしれないけれど、とにかく愛莉はやっと普通の会社勤めができるって、喜んでいました。でも、やっぱり不採用で、すごく落ち込んでて。自分にくるメールは、出勤しろっていう風俗店からの催促と、ご縁がありませんでしたっていう企業からの不採用通知だけだって。前から不安定だったけれど、そのころは、本当に危なっかしくなっていました。リストカットも何度かして、愛莉自身が、もう自分を信じられないって、泣いていました」

 「だから、私勧めたんです。その会社に勤めている、もう一人の波多野愛莉を作ってみたらって。私がやっているみたいに」

 こうしてSNS上での架空の愛莉が生まれたのだった。そして愛莉の死後データ消去を依頼されたのは愛莉のスマホのデータのみであった。

 「依頼人の波多野愛莉はこのスマホにあるすべてのデータを削除するよう設定している」
 「すべてのデータって」
 「文字通り、すべてだよ。メールも、文書ファイルも、音楽ファイルも、画像ファイルも、すべてだ。スマホは買ったときと同じ初期状態になる」
 「それって……」
 「ただし、SNS上のデータは含まれない」
 「え?」
 「波多野愛莉はSNSに上げているデータまで削除するようには設定していない」
 波多野愛莉のデータは消える。面接に落ちたことを伝える数々のメール。風俗店から送られてきた出勤を促すメールも。ひょっとしたらあったかもしれない日々の愚痴をつづったメモも。たまには聴いていたであろうお気に入りの音楽も。きっと何枚かあったはずの本当の生活にあった風景写真も。そして残るのは……。
 「つまり、残るのは、もう一人、偽者の波多野愛莉のデータだけってこと?」
 「ああ、そうなるな」
 デジタル世界にしか存在しない、明るく前向きな、光の中の幻影。

 どうしてなんだろうと思う。人は死ぬと悲しい物語しか残さないのか?

 最後の「チェイシング・シャドウズ」では祐太郎の妹の死が圭司と関わっている話である。
 依頼人は祐太郎の妹が通っていた元大学教授であった。祐太郎の妹は新薬の治験中に死んだ。祐太郎の親は大学病院に妹の死の原因を追及していく中、担当医が妹の死に不審な点があると告げられた。妹は新薬の副作用で死んだことがわかってくるが、それをもみ消した者が存在し、その存在の嫌がらせで、訴えも取り下げざるをえなくなり、家族の離散を招いた。
 祐太郎は元大学教授の死から妹の死の真相を探っていく内に、圭司の父親が関わっていることがわかってくる。父親は圭司のからだの治療に新薬の開発が必要と思って手を汚した。祐太郎に真相がわかったとき、圭司は告白する。

 「父親がやったことは、父の死後、パソコンを整理したとき知った。もともと企業法務に携わっていた父は企業からのトラブル処理の依頼も請け負っていた。クレーマーのような株主に対応するために、面倒な仕事を処理する人間も使っていた。父はその男に、真柴家(祐太郎の家)の訴訟潰しを命じた。父が何を命じ、命じられた男が何をしたのか。その詳細を父の死後、俺はパソコンの中で見つけた。愕然としたよ。いつも冷静で、賢く、穏やかで、正しいことを選択する。俺にとって父は、大人の理想像だった。その父がこんな汚いことをしていたのかと、驚愕した」

 「父が死んで、データ見て、俺は咄嗟にそのデータをパソコンから削除した。父が使っていたあらゆるデジタル端末をチェックして、舞や母親に見せたくないデータを片っ端から整理した。グレーなことはいろいろあったが、やっぱり一番ひどいと思ったのは、訴訟準備をしていた患者遺族に対する仕打ちだ。俺のため。俺に役立つかどうかわかりもしない新薬開発のため。そう思うと、墓から骨壺を取り出して、蹴飛ばしてやりたくなったくらいだったよ」

 祐太郎の両親に訴訟を起こされれば、息子の圭司に効くかもしれない新薬開発が遅れる。それを父親は避けたかったのだ。そして会社「dele.LIFE」は、その父親が犯した罪を消し去る目的で作られた会社であった。

本多 孝好【著】『dele 2 』 KADOKAWA(2018/06発売)角川文庫


by office_kmoto | 2018-10-08 06:21 | 本を思う | Comments(0)

川本 三郎 著 『東京残影』

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 中学生のある日、学校から家まで都電を使って帰れることに気がづいた。

(略)

 これを発見したときはうれしかった。ただ時間が国電を利用した場合の倍はかかるのでふだんの通学に使えない。“都電大冒険旅行”を敢行するのは土曜日だった。土曜日なら授業が午前中で終りだからたっぷり都電で遊べる。(都電が走っていた頃)

 この文章は、私が都バスで経験している。会社勤めをしている時は悠長に都バスなど乗っていられなかったが、勤めを辞めてからは都バスに乗って目的地に行けるなら行きたいと思っている。昼間のんびりバスに乗って、知らない道を走っているとワクワクする。子供が窓に向かって坐って外を眺めて、楽しんでいるように外を眺めている。窓から外を眺めていると、ああ、この道を通るんだとか、この道はここに通じているんだ、と何か新しい発見をしたみたいで、得した気分になる。

 都電は、大学生の頃にはひとつひとつ東京の町から消えていった。いまとなってみんな都電を懐かしがる実際はあの頃は多くの人が「これで交通渋滞がなくなっていい」「新しい時代が来た」と都電の撤廃を喜んだのである。都電に申訳ないことをした、といまになって思う。(都電が走っていた頃)

 地元で都電が走っていた前に走っていた電車のことについて調べて書いたが、子供の頃に都電に何回か乗っていたし、高校時代クラブ活動で写真部に入っていた時は、近くの車庫から都電が出て来るところを写真に撮ったこともあった。
 その都電に乗りたくてわざわざ荒川線に乗りに行ったこともある。今の都電は着飾った感じで昔の都電の面影はないが、それでも乗ってみると懐かしかった。その時車窓から昔の都電が見えた。調べてみると荒川車庫前にある都電おもいで広場にかつて走っていた都電を見ることが出来るらしい。もう一度荒川線に乗ってみたくなった。

 日本の社会は明治以降、すさまじい速度で変化している。西欧社会が百年かかってやったようなことを、十年や二十年でやろうとしてきた。だからつい昨日まであったものが今日からはもう古くなる。私たちは、「進歩」「便利」「合理性」という言葉に弱いので、ついつい申訳ないと思いつつ、これまで役に立っていたものを捨ててしまう。リヤカー、ミシン、都電、蚊帳、あるいは焚火、薪で焚く風呂……ほんとうに捨ててしまったものが多い。申訳ないことだが、仕方がない。せめてものお詫びは、針供養ではないが、そうした失われたものを、小説のなかから拾い集めて、小さな活字の博物館を作ることくらいしかない。(失われたモノの活字博物館)

 この「失われたモノの活字博物館」ってなんだろうと思って読んでみると、川本さんがエッセイや紀行記などで書いている、今はないがかつてあったモノたちのことを言っているんだな、とわかる。川本さんはそれらを書くことで、本の上で博物館を開いている。上手いことを言うものだ。そしてそれが川本さんの本を読む楽しみでもある。
 ところでこのエッセイ集には書評もあって、その中で海野弘さんのことを書いてある文章がある。私は海野さんの書かれた文章は読んだことがないが、川本さんは海野さんの都市論は都市を器にして文学作品を語る手法に影響を受けたと書いている。

 しかも「外側」といっても政治論や経済論といった大きな枠組みではなく、より凝縮された都市論といった枠組みを使った。たとえば政治論では風俗といった日常のディテールが抜け落ちてしまう。経済論では文化が抜け落ちる。しかし「都市」という新しい枠組みをつくることでそこに衣食住から犯罪や売春まであらゆることが入り込んでくる。より多角的に文学作品を見ることが出来る。

 海野弘にとってもともと「都市」は主題のひとつであったが、その「都市」は考えてみれば他の主題――たとえば映画、演劇、建築、ファッション……のすべてを包括するより大きな、レベルがひとつ上の主題だった。

 つまり「都市」を枠組みにすれば、文学のみならず、歴史、日常の生活などすべてを語ることができる、ということだ。そしてこれまで書かれてきた川本さんの作品はこの手法をとっている。なるほどここにその手法のお手本があったんだな、と知ったわけだ。
 特に東京はこの手法が際立つ。

 東京の町の変化があまりに激しいために、昔話が誰にでも出来てしまうのである。東京が次々に変化してくれるおかげで誰でも古老になれるのである。東京の面白さである。(あとがき)

 最後に芝木好子さんについて書かれた文章がなるほどと感心したので書き出しておく。

 芝木さんの、美しい人形にていねいに服を着せてやるように、彼女たちを和服で飾る。和服が似合う芝木さんらしく、彼女たちも和服が似合う。

 芝木さんは、好んで彼女たちに和服を着せる。和服を着た女性たちは、あくまでもつつましく、控え目である。内にどんな激情を秘めようと、和服という様式が、その内にある火照った心を冷却する。和服が激情を抑制し、それに大人の形を与える。和服がなかったら、そのへんにいるただのはしたない女になっていたかもしれない。和服という様式が、それがかろうじて抑制する。(芝木好子『落葉の季節』)

 和服を着た女は、実は内に、おそらく自分自身でも抑えきれないような激情を隠し持っている。もしかしたらその激情は、現代的で活発な女よりもはるかに強い。だからこそ彼女たちは、それを抑制しようとからだを帯できつく締め上げていく。このとき、一見、つつましい女が、実は、誰よりもパッショネートで官能的であるという逆説が生まれる。着物の女は、実は、誰よりも危険な女なのである。(芝木好子『落葉の季節』)

 芝木さんの描く女たちは、実は、弱いようで強い。受け身のようでいて、実は、男を行動に駆り立てる。自分のほうから男を捨てることもある。男を拒むこともある。夫を知らない秘密を作ることもある。
 彼女たちはまた、たいていは仕事を持つ女である。その仕事が、美術雑誌の編集とか、臈纈染めとか、美に関わる仕事であることがいかにも芝木さんらしいが、彼女たちは、仕事を持つことで、社会に対しても、男に対しても自立している。だから強い。
 そして、何よりも、彼女たちが強いのは、男以上に、恋愛に生命がけだからである。男たちは、彼女たちの強さ、積極さ、切実さの前に、しばしば、たじたじとなる。(芝木好子『落葉の季節』)

 私は川本さんのエッセイを読んで、芝木好子さんを知った。そして数冊芝木さんの本を読んできた。その程度の読者であるが、ここに挙げた文章はまさに芝木さんが描く主人公の女性の姿であった。『隅田川暮色』の冴子はまさにこの通りの女性だ。

川本 三郎 著 『東京残影』 河出書房新社(2001/08発売)河出文庫


by office_kmoto | 2018-10-05 06:01 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


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