<   2018年 12月 ( 11 )   > この月の画像一覧

12月31日 月曜日

晴れ。

 年明けに読もうと思う本を昨日今年最後に図書館で借りる。年末というのに結構な人がいたのに驚く。カウンターで手続きしていると、借り入れカードの5年更新が近くなっていると言われ、更新手続きをする。その間、もう5年経ったことを改めて思う。
 仕事を辞めて、図書館で本を借りることを始めたのが5年前だった。この5年間どれだけ本を借りただろうか。200冊近くか、それ以上か。以来自分の蔵書と図書館で借りた本をこの間読み続けた。その生活が変わることなく5年続いた。
 ところが今年はその変わらなかった生活が大きく変わった。だからこの年末やっと終わったな、と思う。何とか乗りきったという感が強い。確かに大変だったけれど、思い返してみれば、その分楽しいこともたくさんあった。笑うことも多かった。それを思うと良かったんじゃないか、と思う。
 そんな中ずっとやりたいと思っていたことの一つできた。来年もまたやりたいと思っていることが一つでもできればと思っている。
 今年もあと数時間で終わる。このブログを今年も読んでくださった方、お付き合い願い有難うございます。来年も相も変わらず書き込んでいきますのでよろしくお願いします。


by office_kmoto | 2018-12-31 22:10 | 日々を思う | Comments(0)

佐江 衆一【著】『花下遊楽』

d0331556_07013059.jpg
 この本のことを知ったのは川本三郎さんのエッセイだったと思う。

 川が見たい――突然男は思った。
 「隅田川の方へ行ってくれないか」
 タクシーに乗ると、そういっていた。

 築地の<国立がんセンター>を退院することとなった、新宿の大手書店に勤めていた宇野は、妻が会計をしている最中に、一人で病院を出て、そう言った。
 この話はまず、今みたいにはっきりと患者に癌の告知、余命宣告をしない、ちょっと前の話であろう。
 主治医が癌じゃないと言ったって、国立がんセンターに入院していたのだから、病気は癌に間違いない。それをはっきり本人に伝えず、家族のみに伝えば、当然疑心暗鬼になる。
 宇野は病院にいる妻から逃げ出し、佃島へ向かった。これまで実直に臆病に生きてきた。世間から見れば可もなく不可もない生き方だったろうし、宇野自身冒険をするような生き方はしてこなかった。

 五十七年間の人生の、石ころや水溜はあってもたいして面白味のない平坦な道を、ずいぶん遠くまでとぼとぼと歩いてきてしまった気がする。

 そんな彼が家族をおいて、これまでの生活、これまでの自分から逃げ出すよう佃島に逃げ込む。ここは宇野が生まれた時の浅草の面影が色濃く残っていた。自分はもう長くはないだろうという予感が宇野にはある。まずはあとどれだけ生きられるのか、それを知りたかった。それを知った上で残された時間を自分が思うように生きてみたくなった。そんな考えを後押ししたのが、佃大橋で出遭った女であった。

 ふと、少し離れて、女が佇んでいるのに気づいた。
 渋い茶色のコートを着た女で、襟をたて、黒い革の帽子をきっちりとかぶり、欄干に身を凭せて、川面をじっとのぞきこんでいる。暗い陰りが漂っている。――姿を認めた瞬間、そう思った。
 うつむいている女の横顔に、どこかで見覚えがあった。<がんセンター>の外来待合ロビーで、いくどか見かけた女性だと思いあたった。いつも帽子をかぶっていた。視線を二、三度あわせたこともある。そういえば、さっきも薬局のまえのソファーに、ひっそり腰をおろしていたように思う。
 小柄な女で、四十前後だろうか。少なくとも宇野より十以上若い。
 宇野の視線を感じたのか、女が顔をあげてこちらを見た。彼はちょっと狼狽して、軽く会釈をした。会釈をかえした女の表情がかすかになごんで、彼女も<がんセンター>で見かけた相手だと気づいたようだった。

 宇野は女が自分と同じ癌患者であろう親近感から声を掛け、一緒に佃島を歩くことにした。このあたりは癌という死病を抱えた人間同士の感覚なんだろうな、と推察するしかない。
 昔の佇まいを残す町並みを歩いているとき、女の調子がおかしくなる。町の人に教えてもらった老夫婦が営む宿でしばらく休むことにした。
 その後一度は女と別れた。しかし宇野はそのままその宿で佃島に残ることにした。同じ宿で過ごすことにした。その間強引に主治医から自分の残された時間を聞き出す。主治医は半年と言うが、おそらく三ヶ月程度だろうと予測する。結局自分は助からないから、正月だけは家で過ごすよう、退院させられたことを知る。いやそうであろうとは薄々わかってはいたが……。だったら、

 限られた時間を他の誰でもない自分として生きたかった。医療を拒否して、独りで癌とたたかうことだけが、この齢になって自分が選んだ、唯一、私らしい生き方ではないのか……。

 自宅にも電話は入れた。心配する妻や娘や息子。息子は宇野の今とっている行動は父親らしくないことを電話で言うが、確かにそうであった。でも、残された時間がわずかだからこそ、この時間だけはこれまでとは違う生き方をしてみた。
 しばらく宿を起点にして佃島を歩いた。歩けば歩くほど、宇野が子供頃の過ごした浅草のかつての光景がそこにあった。
 そんな時またあの女に再会する。公園でイーゼルを立て絵を描いていた。宇野はもう宿を引き払い、近くの取り壊し寸前のボロアパートを借りていた。女と佃島を歩き、そのうち一緒にアパートで過ごすこととなる。

 「十年前に……逢いたかったわ……」

 「去年の秋、ようやくあの人と別れましたけれど、死は怖くないのに、独りでいるのがとても怖くて、どう生きていいのかわかりませんでした。宇野さんにはじめてお会いして、心が決まりましたの。あの旅館で襖越しに話をして、翌朝、独りで佃大橋をもどりながら、心の中の橋を思いきって渡ってしまえばよいのだと気づきました。あの人との歳月から離れて本当に独りになるには、わたしを閉じこめてしまう場所が必要だったのです。……あれからまだ迷いましたけれど、眼をつぶる気持で橋を渡って、わたし、逃げてきました」

 と女の過去を聞くこととなる。宇野と女は癌の痛みに耐え、お互いいたわりながら、それでも二人はお互いを求め合っていく。
 読んでいて感じたのだが、宇野と杉京子の存在感が稀薄なのである。物語ではお互い同じ癌で苦しみ、痛みに耐え、残された時間がわずかなことを共有する関係であり、そこにお互いの過去が絡み合って、男と女関係が濃密になるのであるが、それでもお互いの影が薄い。
 ただよく考えれば、病で残された時間がわずかな男と女の関係はそれほど濃密にはなれないかもしれないから、これでいいのかもしれない。

佐江 衆一【著】『花下遊楽』文藝春秋(1990/10発売)


by office_kmoto | 2018-12-28 07:03 | 本を思う | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『春に散る』

d0331556_06220620.jpg この小説は新聞掲載時にずっと読んでいた。だから単行本になってもわざわざ買わなくてもいいかな、と思いそのままにしていた。ところが前回沢木さんのエッセイを読んでいて、この話について語っているところが数カ所あり、読んでみようかな、という気になった。

 話は元ボクサーである広岡仁一がアメリに渡ってから40年ぶりに日本に帰るところから始まる。
 広岡は日本のボクシングの不正なジャッジ(ちょっと前に奈良判定なるものが話題になったが似たようなやつである)に愛想尽かし、26歳の時アメリカに渡ったり、ボクシングを続けたが、自分の能力に限界を感じ、ボクシングを辞めた。以来苦労しながら、ホテル経営をするようになり、それなりの資産を残していた。心臓に持病を持っていたこともあり、日本に帰ろうとふと思うのであった。
 日本に帰って、ボクシングの試合を観戦している時、かつて所属していたボクシングジムの会長の娘、令子に会う。令子は会長の後ジムを継いでいた。
 その後広岡はかつて所属していたボクシングジムで一緒に練習に励み、世界チャンピオンを目指していた四天王と呼ばれていた仲間を訪ねる。しかし広岡を除く三人はうらぶれた生活をしていた。広岡は一軒家を借入、彼らを呼び、かつてジムの寮で一緒に暮らしていたような生活を始める。
 四人が集まり、「元ボクサーの老人ハウス」と茶化されながら「チャンプの家」と名づけたシェアハウスであった。
 四人がそろったことで祝いの会をしている時、若いチンピラに絡まれる。ただチンピラは歳老いたとはいえ世界チャンピオンを目指した元プロボクサーにかなうはずもなく、あっけなく蹴散らされる。ただそこにプロボクサーのライセンスを持つ若者がいた。ファイティングポーズを取りながら、広岡に迫ってくるが、広岡のクロスカウンターによって倒されてしまう。この若者こそ翔吾であった。ここで上巻が終わる。

d0331556_06223972.jpg 下巻はその翔吾が四人のもとで、彼らがかつてそれぞれ得意技として持っていたテクニックを教わり、自らのボクシング生活を再スタートさせるところから始まる。
 翔吾は父親がボクシングジムを経営していたが、父親の方針に反発し、ボクシングを止めていた。翔吾はあの時の広岡たちの強さに驚き、弟子入りしたのであった。一方広岡たちも翔吾に自分たちのボクシングを教えることに生きがいを感じ始める。
 翔吾はもともと高校生チャンピオンであったが、四人の教えを身につけることによって、さらに実力を増し、まずは令子のジムに所属するボクサーをスパーリングではあるが、倒し、試合でも勝っていく。
 ところが広岡は翔吾の仕種で網膜剥離ではないかと疑い検査を受けさせると、網膜裂孔であった。このままボクシングを続けていると、網膜剥離になり、ボクシング人生は終わる。翔吾は世界チャンピオンタイトル戦を控えていた。試合は翔吾の希望もあってそのまま行われ、翔吾はタイトルを奪う。翔吾の右眼はほとんど視界がなくなっていた。
 結局翔吾は世界チャンピオンになって、そのあと一試合もなく引退し、アメリカに広岡のように渡ろうとする。その広岡は持病の心臓発作を起こし、意識が遠のくところで物語は終わる。

 上下800ページ以上ある長編であるが、2日で一気に読み終えた。話の設定はある意味陳腐だし、沢木さんのノンフィクションに比べると、こんな話しか書けないのかな、と思うところがあったけれど、決して嫌いではない。だって2日で読み終えたくらいだから。


 老いをどのように生きたらいいのか。つまりどのように死んだらいいのか。たぶんそれは、どのように人生のケリをつけたらいいのかということにつながるものなのだろう。


 この物語がたとえ陳腐であっても、広岡は自分の人生に自身でどうケリをつけていくか、その一点で読むことが出来たといっていいかもしれない。


 「しかしね、親というのは、意識するかどうかは別にして、どこかで、自分の命を子供に分け与えることを受け入れた人がなるものだと思います」


 「君のお母さんもそれは覚悟の上だったはずです。ただ、君の成長をこれ以上もう見られないのだと悟ったとき、きっと深い悲しみを覚えたことでしょう。しかし、親が自分の子供のために命を投げ出すこと、あるいは奪われることは少しも苦ではないと私は思います。無残なのは、意味もなく命を奪ったり奪われたりすることです。奪ったり奪われたりしたあげく、もっと無残なことをするようになる」


 これは広岡がいたジムの会長真田の言葉である。令子の父親だ。この人いい味をだした人物で、魅力的だ。この物語では広岡の思い出として出て来ないが、この言葉をとってみてもものすごく存在感がある。だからこそ、広岡たち四人は真田を慕ったのであった。


沢木 耕太郎 著 『春に散る』〈上〉 朝日新聞出版(2017/01発売)

沢木 耕太郎 著 『春に散る』〈下〉 朝日新聞出版(2017/01発売)

by office_kmoto | 2018-12-26 06:25 | 本を思う | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『作家との遭遇 全作家論』

d0331556_06120996.jpg
 この本は沢木さんによる作家論を集めたものである。あとがきに次のようにある。

 フリーランスのライターとなった私が、作家と「遭遇」する場は「酒場」以外にもうひとつあった。「文庫」の解説を書くという機会を与えられるようになったのだ。

 普通文庫の解説はさらっと人の印象など書いて終わるものだが、沢木さんの場合は、そうした解説を書くというのをチャンスと捉えて、その作家の全作品を読み直して自分なりの「論」を立てるという。だから原稿の枚数も通常の解説の域を超える長さになるという。
 でもこのようにしか本を読めないとなるとかなりきつそうだ。本を楽しむということから程遠いような気がしてしまうが、沢木さんは違うのだろうか?
 実際読んでいるとかなり重い。

 ここに挙げられた作家たちで、興味があった作家は山口瞳、色川武大、吉村昭、瀬戸内寂聴、そしてアルベール・カミュである。
 瀬戸内寂聴の作品は読んだことがないが、『美は乱調にあり』『諧調は偽りなり』は実際に読んでみたくなった。
 アルベール・カミュは高校生の頃読んだきりだが、代表作の『異邦人』『ペスト』はもう一度読み直したいな、と思っているので、興味深く読んだ。この沢木さんの大学の卒業論文は特にカミュの生い立ちを何も知らなかったから、その生い立ちと1930年に発症した結核が後のカミュの行動、作品に多大な影響を与えていたことを知る。

 カミュの作家としての特異性ということを考えるとき、植民地に生まれ育ったということと、極めて貧しい労働者の家に育ったというふたつの事実は、確かに見逃すわけにはいかない。

 彼が終生「富裕さ」から遠くにいたことは確かである。とりわけ幼少期から、青年期にかけて彼は貧困のさなかにあった。カミュにとって「貧困」は二重の意味をもって現れた。ひとつにそれは、惨めさと醜さであり、空も希望もない生活に結びつく、真の不幸である。しかし、一方で貧困は、太陽と空と海に結びつくとき、光をより輝かせ、肉体の喜びを激しく燃え立たせる。そのとき、「貧困は豪華」なものとなる。それはいわば貧困の「裏」と「表」なのである。

 カミュは幼少期は確かに貧困であったけれど、そこには自然があった。自然の中で生きてる充実感を思う存分味わっていたことも事実であったのだろう。貧困は克服されなければならないけれど、だからといってあの中にあった生きることの自由さは失いたくないという思いもあった。その貧しくても「生」を謳歌した幼少期を沢木さんは「神話期」と称している。

 カミュにとって、貧しさは克服されなければならないものであっても、その克服によって逃れ去ってしまうかもしれない、あの「生」の自由さと輝きは失いたくないとも思える。カミュの政治哲学の曖昧さは、貧困に対するこの心の揺ぎによっている。

 後にカミュが積極的に共産党に参加するのは、貧困は改革されねばならないということであったが、一方でその改革のため全体主義が横行するなら「貧しさ」の中にあるあの自由さと「輝き」を失ってしまうと考えるようになり反共的になっていくのもその揺らぎによる。
 一方結核による死の恐怖は、

 カミュにとって、若くして「死」に直面せねばならなかったという事実は、拭っても拭っても消え去らぬものとして、彼の肉体に深く刻みこまれた。彼は一生、この「早すぎる死」から逃れることはできなかった。もちろん、彼は結核から回復していくのだが、そのとき出会った「死」を重く引きずって歩んでいかなければならなかったのだ。例えば、そのとき彼の全作品が「死」を中心とした宇宙以外を、ほとんど対象としえなかった点にもあらわれている。彼の創作は、基本的にすべて「死者の物語」である。

 そして人の死は成熟していく最終過程にある。ところがカミュは幼少期である「神話期」への激しい回帰願望があるものだから、成熟を拒む意識があった。

 彼は死を恐れることによって、「成熟」することをも恐怖した。成熟はこの甘美な追憶の世界から、決定的に彼を引き離してしまうからだ。「成熟」とは、「神話期」の世界への回帰不能性を自覚的に生きていくことだ。

 これによってカミュの中で幼少期と結核による死の恐怖がカミュの中で微妙に絡み合っていることを知った。

 さて順番は前後してしまったが、作家論として山口瞳さんについて書かれた「論」みついて思ったことを書く。
 山口さんには自分だったらしない人の行為を強く否定するところがある。それはエッセイを読んでいてミットモナイ、田舎者とあからさまに言うところに見ることができる。沢木さんはその否定には「激しさや鋭さだけでなく、ある必死さが感じられる」と書く。それを司馬遼太郎さんが「命がけの癖論家」と称したが、沢木さんは次のように書く。

 私にはその評言の核心はやはり「命がけ」というところにあるように思われる。「拒絶反応」といい、「非寛容」というが、いずれにしても山口瞳の否定には、どこか「命がけ」のところがある。

 通常ここまで強い否定をすれば危険さえ伴う可能性がある。だから自らの安全を考えれば黙殺すればいいのだが、それをあえて言うところに山口瞳の美学があり、ときにそれを「よくぞ言ってくれた」と心地良く思う人がいるから山口瞳は支持されるのであろう。

沢木 耕太郎 著 『作家との遭遇 全作家論』 新潮社(2018/11発売)


by office_kmoto | 2018-12-23 06:15 | 本を思う | Comments(0)

沢木 耕太郎 著 『銀河を渡る 全エッセイ』

d0331556_06485403.jpg
 沢木さんにはこれまで「全エッセイ」と称する本が2冊文藝春秋社から出ている。今回は何故か新潮社から出ているので、あれ、と思った。
 まあ、どこの出版社から出てもいいのだが、出来れば同じ「全エッセイ」なら同じ装丁でシリーズみたいになっているからそろえてくれれば見栄えもいいのにと思ったのだ。

 さて、この本は沢木さんのエッセイを、歩く、見る、書く、暮らす、別れるのカテゴリーに分けてそれぞれ章を設けてまとめてある。そういう意味では読みやすかった。
 いくつか気になる文章があったので書き出してみる。
 沢木さんといえばやはり旅について書かれた文章が気にかかる。

 心に残る、という言葉がある。それとよく似た言葉に、心を残す、というのもある。心に残るという言葉が、あるものが自分の心に棲んでしまうことだとすると、心を残すというのは、自分の心をある場所に残し、棲まわせてしまうことだと言えるかもしれない。(心を残して、モロッコ)

 しかし、遅かったかな、と思わざるをえなかった。来るのが遅かったかな、と。少なくとも、私が二十代のときに訪れていたら、まったく異なるマラケシュに遭遇できていたにちがいなかった。
 ――遅れてしまったか……。
 だが、あらゆる旅人は常に間に合わない存在なのだ。たとえ、二十代のときに訪れていたとしても、たぶん「遅かった」と思っただろう。旅人は宿命的に遅れてきた存在にならざるをえないのだ。(心を残して、モロッコ)

 彼らが感動するのは、すでに、中国や香港だけでなく、台湾にもタイにもマレーシアにもシンガポールにも高層建築群は存在しており、高速鉄道がある国も珍しくなくなっている。彼らはそういうものではなく、日本人にとってはなんでもないこと、つまり、清潔なこと、親切なこと、おいしいことといったようなものに心を奪われているらしいのだ。

 日本の政治家たちは、依然として沸騰するアジアの中心にいたいと願っているらしい。それはそれで悪いことではない。しかし、アジアで最初に高度経済成長を遂げ、いまはその終焉の中にいる日本にとって、目指すものはあくまでもアジアの経済発展の中心になろうとすることではないような気がする。(鏡としての旅人)

 かつて私はこう書いたことがある。
 旅には「夢みた旅」と「余儀ない旅」との二つがある。人は「余儀ない旅」を続けながら、時に「夢みた旅」をするのだ、と。
 しかし、近年は、その「夢みた旅」も大きく二つに分かれるのかもしれないと思うようになった。
 ひとつは自分が自分の足跡を残す旅であり、もうひとつは誰かが踏み残した足跡を辿る旅である。(足跡――残す旅と辿る旅)

 大きな旅の多くが誰かの足跡を追う旅、辿る旅になってしまっている。(足跡――残す旅と辿る旅)

 沢木さんのする旅とはいわゆるツーリストとしての旅ではなく、ジャーナリストとしてあるいはノンフィクション作家として、誰かを足跡を辿る旅が多くなっていることだろう。それが職業柄多くなってしまったことに、少々無念さがあるのだろうか。
 だからか、次のように書く。

 もしかしたら足跡を残す旅と足跡を辿る旅とのあいだには、あまり差がないのかもしれない。まっさらと思えている前途にも、見えない点線がついていて、それを無意識に辿っているだけかもしれないからだ。(足跡――残す旅と辿る旅)

 言い訳がましいく聞こえるけれど、これはその通りではないかと思う。まっさらな旅などあり得ないのは真実であって、どこかで誰かの影響を受けてその旅が始まるのはやむを得ないのではないか。
 次に本に関する文章。

 あるとき、年長の作家にこんなことを訊ねられた。
 「もし家に本があふれて困ってしまい処分せざるを得ないことになったとしたら、すでに読んでしまった本と、いつか読もうと思って買ったままになっている本と、どちらを残す?」
 当時、まだかなり若かった私は、質問の意味がよくわからないまま、考えるまでもないという調子で答えた。
 「当然、まだ読んだことのない本だと思いますけど」
 すると、その作家は言った。
 「それはまだ君が若いからだと思う。僕くらいになってくると、読んだことのない本は必要なくなってくるんだ」
 そして、こう付け加えた。
 「でも、君たちにとっても、実は大事なのは読んだ本なんだと思うよ」
 「そういうもんでしょうか」
 私はそう応じながら、内心、自分は読んでもいない本を処分ることなど絶対にできないと思っていた。
 だが、齢をとるに従って、あの年長の作家の言っていたことがよくわかるようになってきた。そうなのだ、大事なのは読んだことのない本ではなく、読んだ本なのだ、と。
 文書を書いていて、あの一節をここに引用してみたらどうだろうと思いついたりするのは、当然ながらかつて読んだものの中にしかないということもある。読んだことのない本から引用することはできない。しかしそうした実際的な理由ばかりでなく、暇な時間に、ふと読みたくなるのが、新しい本より、かつて親しんだ作家の何度も読んだことのある本だということが多くなってくるのだ。(キャラバンは進む)

 これは年長の作家の言い分に分があると思う。それは歳をとればとるほどそう思う。実際自分の本棚でも、棚に残してあるのは読んだ本たちだ。
 まだ読んでいない本でも、それを読み終えてまた本棚に戻すかどうかの基準は読んで何らか気にかかる文章がある本たちであり、少なからず感動なり、感心した本たちである。なんでも本棚に戻すわけにはいかない。そんなキャパシティがない。
 ただ残念なことにまだ読んでいない本が多く棚にある。
 私には本に関して強迫観念がある。これを今読まなくてもいつか読みたい。けれどその時この本が手には入るとは限らない、ということを知っている。
 本屋に勤めていた頃、本がすぐ品切れ、重版未定、ちょっと古い本だと絶版という状態になるのを、短冊(注文票)にベッタとその旨のゴム印が押されて帰って来るのを見ていたからである。そしていったん新刊書店で手に入れそこなった本を古本で探すのは、今みたいにインターネットが普及していない時代だったから、古本屋を歩いて探すしかなかった。その苦労(それはそれで楽しかったけれど)を実感しているので、本を見たらまず手に入れてしまうことだと思い続けた結果、読んでいない本が本棚に溜まってしまった。これでもだいぶ処分したのだけれど、まだそれなりにある。それを一所懸命読んでいる。だからどうしてもこのブログに載せる本は古くなるのだ。
 あと沢木さんが言うように私も最近はとみに新しい作家の本を読むより「かつて親しんだ作家の何度も読んだことのある本だということが多くなってくる」傾向があり、改めて昔読んだ本を読み返すことが多くなった。

 どうしておまえたちはすべてのものに教訓を求めるのか。ひとつの話を聞く。どうしてそこに教訓があるなどと考えるのか。教訓を引き出すということは、そこですべてを終わりにして安心するということだ。あるいは、ひとつの事件が起きる。すると、その出来事の一端が露わになっただけで、すぐわかったような顔をして、たんなる思いつきをしゃべりはじめる人がいる。そして、その事件から教訓なるものを引き出し、ひとりよがりの説教をして幕を下ろそうとする。物事によっては教訓などないものもありうるのだ。あるがままの話。あるがままの出来事を、ただ受け入れるより仕方がないものもあるのだ。もしかしたら、教訓など引き出せない方が普通だとさえいえるかもしれないではないか……。(教訓は何もない)

 私はこのエッセイ集のなかで「この季節の小さな楽しみ」、「ありきたりのひとこと」がちょっとしたコラムのようで、しかもほっこりさせる文章だと思っていて気に入っている。
 「この季節の小さな楽しみ」では、沢木さんが仕事場へ通う途中に今川焼きの店が出ていて、駅前より住宅街のここの方が個数が売れることや、母親と娘は沢木さんの本を読んでいることなど話す。母親がカタカナが多くて苦戦していたようだけれど、聞けば、後半は山の名前と人名の区別がつくようになったようです、と聞いて大笑いし、その晩はとても幸せな気分になったことが書かれる。
 時たま売り切れているときもあって、売り切れて良かったなあと思う一方で今川焼きを食べたかったなあ、と思うのであった。
 「ありきたりのひとこと」では、仕事場に向かうエレベーターに宅配便の若者と一緒になる。一日の配達数など聞いて「たいへんだね」、「頑張って」と声を掛けると、その若者は帽子をとって軽く会釈しながら「ありがとうございます」と言った。たったそれだけのことなのだが、その若者の返事がとてもいい気分にさせてくれたことを書く。
 沢木さんの父親が亡くなったとき、幼い男の子と母親が焼香に来てくれた。その時母親が、沢木さんの父親がエレベーターで男の子と一緒になるとよく声を掛けてくれ、それがその子にはとても嬉しかったようだったことを聞く。
 これも先の宅配便の若者同様ありきたりの言葉が声を掛けた方、掛けられた方とも一瞬の温もりをもたらすことを感じることが出来る。ちょっとした短編風で良かった。
 それで思い出すことがある。
 娘は昼間は仕事に出ているのでインターネットで注文した荷物を直に受けとることが出来ない。そのためその荷物の受けとり場所が我が家になっている。娘は頻繁にネットで注文するから、宅配便の業者が一日に何度も来る。そのため荷物を受け取るとき業者と少し話をすることが多くなった。彼らとの話はちょっとしたことだなのだけれど、心に残る。たとえば要らないレコードを運んでもらったとき、業者は「高く売れるといいですね」と言ってくれたり、荷物を受け取るとき「またお願いします」とその業者に直接注文した訳でもないのにそう言ってくれる。それだけのやりとりなのだが、沢木さんの言うようにいい気持になれる。

 最後に「お・も・て・な・し」のことが書かれていたのでそれを書く。例のオリンピック招致の時のプレゼンである。

 だが、「お・も・て・な・し」が気恥ずかしかったのはそれだけが理由ではなかった。「もてなし」に「お」がつけられている。なんだか、そのことによって、彼女のスピーチが、味より外見や雰囲気で会食の店を選んでしまう、社用の接待係の台詞のように聞こえてしまったのだ。

 たぶん真の「もてなし」の精神とは、「おもてなし」をしているなどということをあからさまに示さないところにあるのだろう。社用の接待係のように、いかにも「接待している」ということを相手に伝えなければならないというのではないかぎり、「もてなし」は、しているかしていないかわからないくらいのさりげなさをよしとするはずだ。

 異邦の人を迎えるのに必要なのは、過剰な「おもてなし」ではなく、「お」のない、ごく普通の「もてなし」であるだろう。そして、その「もてなし」は、偶然の出会いによる親切心から出たものであっても、また、計算に裏打ちされた商売心から発したものであっても、「相手の身になる」ということが基本であってほしい。(「お」のない「もてなし」)

 「もてなし」に「お」を付けるのはそれを言っているのが女性だからとも言えるし、敬語的意味合いも含めそう言ったのだろうとも考えられる。ただどうであれ、あのプレゼンが胡散臭いのはオリンピック招致が商売がらみの匂いがてしまうし、下心丸出し感がぷんぷんする。
 「もてなし」に「お」を付けるのもそういうことなんじゃないかと思う。もっとも東京オリンピックに疑問を持っているものだからそう感じるのかもしれないが……。

沢木 耕太郎 著 『銀河を渡る 全エッセイ』 新潮社(2018/09発売)


by office_kmoto | 2018-12-21 06:57 | 本を思う | Comments(0)

伊集院 静 著 『誰かを幸せにするために―大人の流儀〈8〉』

d0331556_06035762.jpg
 いささか食傷気味と言いつつ、第八弾までつき合ってしまっている。

 3・11の時、東北にいた人たちは、津波で自動車が堤防を越えて流されている映像を誰一人見ていないのである。悲惨な街の姿を見るのは一ヵ月も先のことだ。災害にしても、戦争にしても、巻き込まれた人たちは、その実態を知らないのが本当のところだろう。(悲しみ淵で)

 これは言われみればそうだ、と思う。被災者となった人たちがその被害状況を知るのは後のことだろうし、逆にそれをリアルタイムで見ることが出来た我々は結局傍観者だったかもしれない。

 世の中には、目に映らない場所で、誰かが誰かのためにひたむきに何かをしているものだ。(誰かのために生きる)

 人は悲しみと上手く折り合うということは容易にできない。それは追憶というものが、前触れもなくあらわれ、残された人を狼狽させ、戸惑わせるからである。(生きていれば)

 人を狼狽させるのは悲しい思い出だけじゃない。過去における些細な失敗、不始末も時にそうさせる。南木佳士さんはそれを「記憶の海の底に沈んでいたはずの小石」と呼んだ。記憶、追憶は時に厄介なものになる。

 人間が生きるということは、どこかで過ちを犯すことが、その人の意志とは別に起こるのである。(優しい時間)

 この文章は日馬富士の引退会見を見ているところから始まる。伊集院さんは日馬富士を何度か見かけていて、挨拶されたこともあると書いている。その度に節度ある態度に感心したと言う。
 これを読んで被害者の貴の岩が今度は付け人に暴力を振るい、自分が引退にまで追いつめられたことを考えてしまう。
 日馬富士が貴の岩に暴力を振るったのは、もしかしたら本質的に悪いのは暴力を振るった日馬富士でなく、貴の岩の態度だったのではないか。貴の岩の体質的にそうした自分勝手で、我が儘なところがあり、それをたまたま目にしてしまった日馬富士の注意が行きすぎてしまっただけのことではないか、と思ってしまうのである。少なくとも伊集院さんの目は節穴じゃない。その伊集院さんが日馬富士の態度を感心しているのである。そんな日馬富士が理由もなく手を上げるわけがない。それを今回の貴の岩自身の暴力沙汰が証明したのではないか。ババを引いたのは日馬富士であったかもしれない。
 そしてもっと言えば旧貴乃花部屋の体質にこうした不遜な態度をとることを容認するものがあったのではないか。実際貴の岩以前にも付け人を殴った力士がいたではないか。 元親方がいくら暴力反対の態度を言っても、自身の部屋の力士が暴力沙汰を起こしている以上、その教育が出来ていなかったわけだし、もしかしたらそうした我が儘や不遜な態度は元親方の貴乃花にあったのではないかと思ってしまう。少なくとも一連の騒動以来元貴乃花親方の態度にはそんなものがちらほら垣間見られた。今になって見れば、あの人は指導者には向いていなかったのかもしれない。

伊集院 静 著 『誰かを幸せにするために―大人の流儀〈8〉』 講談社(2018/11発売)


by office_kmoto | 2018-12-16 06:06 | 本を思う | Comments(0)

12月15日 土曜日

 晴れ。

 出久根達郎さんが新規の本を読むときに億劫になるときがある、と書いていた。
 ほぼ毎日本を読んで暮らしているが、同じような気持になることが度々あって、次に読む本がなかなか決まらないときがある。本を手にして数ページ読んで、これは今の気分じゃないと、諦め、違う読んでいない本を探し出す。何度か同じことを繰り返している内に、以前読んでお気に入りとなった本を手にして、また読み出すことになる。そんな本を読むと、心が落ち着く。
 会社勤めをしていた頃は、とにかく次から次へと新しい本を手にしていたが、今は新しい本ももちろん読むが、これまでほとんどしたことがなかった、本を読み直すということもよくするようになった。お気に入りの本を何度も読み直し、やっぱりこれだよな、という気持になる。そうした同じ本を何度も読む行為をするのは、やはり歳をとったせいかもしれない。必ずしも新しい本を次から次へと読む必要などないし、また読んだからそうそう感動するわけでもないのだから、これはこれでいいと最近は思っている。
 それで手にしたのが南木さんの自選エッセイ集である。
 あとがきに次のようにある。


 還暦記念出版として初春に『熊出没注意 南木佳士自選短編小説集』を出し、初秋になって対をなすこの本が完成しました。二冊とも版元がこれまでまったくつきあいのなかった幻戯書房になった理由は、活字媒体に発表済みの小説やエッセイのすべてを読み込んで的確なアドバイスをくれ、品格のある本作りこだわる職人気質の若い編集者との出会いがあり、彼女がこの出版社に在籍するゆえんです。還暦という古めかしい言葉が呼び寄せてくれた新しい縁です。


 私はこの幻戯書房から出ている本が好きである。そのラインナップを見てみるといかにもこだわっているというのを感じることが出来る。ただ難点は本の値段が高いということだ。だけど南木さんのこのあとがきにあるように「品格のある本作りこだわる職人気質」がこの出版社にあるようだから本の値段が高いのは仕方がないみたいだ。


 記憶の海の底に沈んでいたはずの小石が、ある日ぽっかりと海面に浮かんでくることがある。季節、時間に関係なく、俗世の波に波長をあわせて揺れる海面に、石は確かに浮いてくる。

 (略)

 狭い庭で泥遊びをしている子供たちを寝転んで眺めていた春の昼下がり、まどろみかけた私の脳裏にまた小石が浮いた。あっ、と出かかる声を慌てて飲み込む。陽はあくまでもうららかなのに、小石の周辺に広がった波紋は背筋を下って腰のあたりに冷感を誘う。(骨折の少年)


 開高健さんは確かそんな小石が浮かんでくるとき、「ちぇっ」と言っていた。要するに何の脈絡もないときに、ふと昔の失敗ごとを思いだし、苦い気分になることを言っている。こういうのって確かにある。それは忘れていただけに、ふと脳裏に蘇る過去の不始末は苦々しい。
 厄介なのはそれらがいまさらどうしようもないことなのである。自らの軽率な行動や発言が人間関係を壊してしまったと思っていただけに、いつまでもしこりとし残り、後を引く。なんであんなことをしたのだろうとか、言っちゃたんだろうか、といった感じで。不愉快極まりないのである。そんな時蒲団を被ってしまいたくなる、と開高さんは言っていたはずだ。よくわかる。おそらく長く生きてきた分こういう「小石」は脳のどこかにいくつも残っていて、ふとしたときに浮かび上がり、苛むことが多くなるのだろう。

 南木さんのエッセイ集を読み終えて、次に本を読むリズムが付いた。ちょうどブックオフオンラインで注文した新刊が2冊届いたのでそのうち1冊読み始める。あと1冊古本が届く筈だからこのあと続いて読めそうな気がする。
 宮部みゆきさんの新刊が出たので、楽しみに最寄りの駅前にある本屋に行ったのだが、在庫がなく、がっかりした。毎度のことだけど、寂しい限りだ。仕方なしにネットで注文した。

 母が植えた実家の藤が隣まで枝を伸ばしてしまい、切ってくれないかと言われたそうだ。それに物置が傾いてしまっていて、これも遅かれ早かれ隣人から苦情が出て来そうなので、これも撤去した。お陰で狭い庭が広く使えるようになり、小さなプランター棚を置く。ここのところ父は小さな鉢植えを買って楽しんでいるから、ちょうどいい。
 小さな庭も出来、土を入れ替えておく。2~3日後実家に行くとその庭にパンジーなど買ってきて植えていた。

 我が家のシンビジュームは元は一鉢だったのを株分けしてもう二鉢になっている。いわば子のシンビジュームは、まだ充分に大きくなっていないのでずっと花は咲かないでいた。それが今年、なんと親のシンビジューム共々花芽を付けている。
 今まで育て方が悪かったのか、花を付けるのは数年おきにだったのだが、今年は陽の当たる場所に鉢を移し、肥料も定期的に与えたきたから、それがよかったのかもしれない。これからもこうして管理すれば、まだまだ先も楽しめるかもしれない。これはちょっとコツを覚えたかも……。
 シャコバサボテンとシクラメンは今年、家の外装工事にかかる前におこなわれた高圧洗浄で痛めつけられてしまった。数年かけて育てて来たシクラメンは全滅。シャコバサボテンもかなり痛めつけられてしまったが、何とか持ち堪えて今、花を咲かせている。業者が大丈夫と言ったのでそのままにしてしまったが、気を利かせて鉢を避難させればよかった、と後悔している。

 今写真館で写真を撮ると、写真そのものを買うだけでなく、ファイルを買うことが出来る。これが出来るのは撮った写真がデジタル化しているからだ。だから七五三の写真を台紙に貼ったものを買わなくても、データーでもらったファイルを自分で印刷して、市販の台紙に貼れば、かなりいいものが出来る。
 わが孫の七五三の写真も写真館で作ってもらった記念写真を1冊買ったが、もう1冊は自分で作ってみた。もともと写真はプロが高画質のカメラを使って撮っているから大きく伸ばしてもかなりきれいなものが出来る。これだったら写真をデーターだけ買えばよかったかな、と娘と言う。
 その台紙をAmazonで購入した。それが注文した翌日に届く予定だったのが、届かなかった。それもわざわざメールで今日届きますと送ってくるから、それを待っていたのだが……。メールには配送状況を確認出来るアドレスがあったのでそれを見ると近所まで荷物が来ているのがわかるから、これだと明日には届くな、と思っていても翌日も届かなかった。メールを送ってきて今日届くと言っていたのに届かないので、いったいどうなっているだろうと思いカスターマズセンターに確認すると近所まで来ているけれど、配送に時間がかかっているとある。今日届かなければ翌日になるので待ってくれと言う。それと配送状況のデータは業者によって詳しく表示されないという。なんだかよくわからないが、要するにAmazonでも把握出来ない業者を使って荷物を運ばせているということなのか。
 その日も結局荷物は届かず、翌日また本日中に届きますとメールか来たから、今日こそは大丈夫だろうと思い、待っていても一向に届かない。配送状況を見てみるとなんと不在で荷物を持ち帰ったと表示される。おいおい今日は一日家にいたぞ。それでなんで不在なんだ。しかも不在票も郵便受けに入っていない。これはおかしい。再度カスターマズセンターに再度メールで問い合わせをする。すると一部の配送業者では荷物が多く回りきれないとき、システム上「不在のため持ち帰った」と表示されるという。なんということだ。その上不在が表示されていたら再配達をこちらが依頼しろという。やれやれ。天下のAmazonがこんな不具合をそのままにして平気でいることが不思議であった。
 それでお詫びとしてプライム会員を1カ月延長するといって何とかしのいでいる。
 こんなことがなければ待っていればいずれ届くだろうと思っていたはずだ。しかもこの時期荷物が多いのはよくわかっているから余計である。
 今日届きますというメールはAmazon側のサービスなのだろうが、二度も送ってきて二度とも届かなかったとなれば、おかしいと思わない方がおかしい。しかも配送状況を確認すれば、不在でもないのに不在だったというから、それは問い合わせの語調が厳しくなるのは仕方がないではないか。たぶんこういうのって他でもあるんだろうな、と思いネットで調べてみるとやはりある。そしてどうしてそうなっているのか説明しているサイトがあった。
 今、配送業者は今パンク状態で、大手配送業者がAmazonから撤退することも検討されている。そこでAmazonは大手業者だけではカバーしきれない地域の配送を請け負う「デリバリープロバイダ」を使っているらしい。


 「デリバリープロバイダ」とはTMG、SBS即配サポート、札幌通運、丸和運輸機関、若葉ネットワーク、ファイズ、ギオンデリバリーサービス、ヒップスタイルの8社の総称で、大手業者撤退騒動を経て、さらに利用されるようになったようです。一見すると小回りがききそうなデリバリープロバイダですが、ヤマト運輸や日本郵便といった大手業者では当たり前のサービスを提供できないという問題点があります(http://the360.life/U1301.doit?id=2751


 なるほどそういうことなんだ。何となくAmazonが困っている状況が目に浮かぶ。

 もう一つネット注文で問題があった。ブックオフオンラインである。注文していた吉村昭さんの古本が商品に問題があって売り物として扱えないから、ただであげますと送ってきた。まあ無料なのは有り難い。以前も同じことがあって、本のカバーが少し破れた程度で、ちっとも気にならなかったので、今回もその程度だろうと思っていた。ところが送られて来た本はどうやら図書館か何らかの資料室から盗品ではないかと思える本が送られて来た。その本が盗品ではないかと思ったのは、背表紙の下に図書館などで使う分類表を剥がした跡がくっきりと残っているのだ。
 図書館ではよく不要な雑誌や本をリサイクル本として無料で持って行っていいというのも確かにある。けれど吉村昭さんの本をリサイクル本にいくら何でもしないのではないだろうか。だからこれは盗品の可能性が高いと睨んだのだ。
 その上ページをパラパラめくっていると、薬のPTPシートが落ちてくる。飲みかけの薬が挟まっていたのだ。さすがにいくら無料でもこの本は気持ち悪くて手元に置いておけない。それで事情をブックオフオンラインに説明した。するとお詫びのメールが届き、着払いで送り返してくれと梱包材料と宛名の印刷したものを送ってきた。で、そのまま送り返した。
 Amazonにしてもブックオフオンラインにしてもサービスとしてしてくれたことが、ちょっとした不手際があだとなってしまった事例であった。それが二度続いたものだからちょっと詳しく書いてみた。
 ただ手間はかかったけれど、いずれも問題は解決したのでよかった。

 今日は今年最後の胃腸科へ行く。そのあといつものようにヨーカドーとシマホに行く予定。来週の月曜日は半年に一回の歯医者である。本当は11月行かなければならなかったのだが、何かと忙しく来週になってしまった。そうこうしているうちに今年も残り半月となった。


by office_kmoto | 2018-12-15 09:16 | 日々を思う | Comments(0)

宮部 みゆき 著 『昨日がなければ明日もない』

d0331556_05543646.jpg
 杉村三郎シリーズの第五弾。話はもう杉村の元妻今多菜穂子や娘の桃子、そして菜穂子の父、今多コンツェルンとは関係ない『希望荘』以来独立して探偵事務所で起こる話である。今回は帯にあるように自己中の“ちょっと困った”女たちであるシングルマザーを相手に杉村が事件の真相を解明する。
 話は3篇。まずは「絶対零度」である。杉村探偵事務所の10人目の依頼人は筥崎静子という五〇代後半の女性が事務所を訪ねてくる。依頼は娘の佐々優美が自殺未遂を起こし、入院しているが、夫の佐々知貴が娘に会わせないし、優美も静子と会いたくないと言っている。心配になった静子はどうして知貴が娘に会わせないのか、さらに優美が何故自分と会いたくないのか、その真相を探って欲しいということであった。
 依頼を受けてさっそく動き出した杉村は、優美が病院に入院していないことを突き止めた。
 優美の夫の知貴は大学時代の先輩の高根沢輝征の腰巾着であり、いつも夫婦間で問題となっていた。高根沢はホッケー愛好会を作っていた。高根沢たちはよくメンバーの家に強引に乗り込み、“宅飲み”をしていた。
 そんなホッケー愛好会のメンバーの一人の田巻康司の妻が優美の自殺未遂の二日前に飛び込み自殺をしていた。杉村はこの妻の自殺と優美の自殺未遂があまりにも日が近いことで、何らかの関係があるとにらむ。
 田巻は高根沢たちの“宅飲み”をずっと断り続け、そしてメンバーから抜けた。優美は夫の知貴もメンバーから抜けさせたいと思い田巻夫婦に相談し、田巻の家を訪れる。しかしそこに来たのは知貴と優美だけでなく、高根沢と別の男が一緒に玄関先に立っていた。そして事件が起こった。高根沢たちは田巻の妻を襲ったのであった。優美の自殺未遂はこの事件に夫婦共々係わったことによるものであった。
 その後高根沢と男は田巻に復讐され殺される。そして知貴は集団強姦の容疑者として指名手配され、その後自首して来た。知貴は会社の歳下の同僚の女性と一緒にいた。

 「華燭」では近所に住む小崎さんは妹と絶縁していて、その娘の靜香の結婚式は欠席するが、娘の加奈は姪の靜香と仲良しであったから式の出席を望んでいる。そこで杉村に姪の結婚式に出席してほしいと頼まれる。
 杉村は事務所の大家の竹中松子と加奈と一緒にホテルの会場に向かったが、式場の前が騒がしい。ここでは靜子の他もう一組の式があったが、花嫁が逃げていなくなっていた。一方靜香の方も元カノ押しかけがあって式直前破談になってしまう。
 杉村は、同じフロアで結婚式の花嫁が片や直前逃亡し、片や花婿の不始末で破談になる偶然に疑問を持つ。
 二人の花嫁は同じ日に式を挙げるため、事前に何かと打ち合わせの時一緒になり仲良くなっていた。彼女らは片や父親の借金を肩代わりの見返りに歳上の男と不本意な結婚に納得できない花嫁。片や二股を掛けていた男との結婚を破談したかった花嫁。その二人が共謀して事件を起こしたのであった。靜香はもう一組の花嫁の逃亡を手助け、その花嫁は靜香の花婿の元カノを呼び入れたのであった。
 ただ靜香は結婚を取りやめたかっただけでなく、自分の母親の呪いを解こうとしていた。靜香の母は加奈の母親の婚約者と駆け落ちし、式当日いなくなっていた。そして今度は自分の娘の花婿が二股を掛けていたとして、やはり式がダメになった。靜香の母親は自分が姉の花婿を奪ったことの呪いと思うようになった。けれど、靜香はあざとく母の時と同じ状況を作ることで、靜香自らが母の呪い(実は負い目)を引き受けたから、もう呪いは解けたと思わせたかったのであった。

 「昨日がなければ明日もない」はやはり大家の竹中家からの関係から相談に来た朽田美姫の話である。美姫は自分の息子の命がかかわっていると言うのである。美姫は16歳で最初に女の子を産み、今度は二番目の夫の鵜野一哉との間に6歳の男の子をもうけたが、美姫のあまりにお金にだらしなさやふしだらな生活態度を見かねて一哉の両親が二人を別れさせた。親権は夫であった一哉に移され、息子は夫の実家で暮らしていた。 その息子が通学途中で交通事故に巻き込まれたので、美姫は監督不行き届きだといって理不尽にも一哉やその両親、さらに里親(一哉の姉が夫の転勤のため一哉の母親だけでは息子を養育しきれないため養子に行く予定であった)から慰謝料をふんだくろうとしていた。
 しかし杉村の調査でも美姫の要求はあまりに理不尽であることが証明されるだけであった。結局美姫は今つき合っている男とも別れ、娘と自分の実家に戻って行く。しかしそのうち美姫と連絡が取れなくなる。
 美姫は自分とそっくりな妹、朽田三恵に殺害されていた。三恵はいつも姉がやらかしてきたことに被害を受けてきた。就職も結婚も姉の言動でダメになった。
 美姫が慰謝料も取れず、つき合っていた男とも別れて、八方塞がりになり、いっそ一哉と復縁しようかと言いだす。それを聞いた三恵は一哉が再婚することを聞いていたので、それだけは何とか防ごうとして言い争いになり、趣味であるスノーボール作りに使うガラス玉を美姫の頭の上に振りかざしたのであった。

宮部 みゆき 著 『昨日がなければ明日もない』 文藝春秋(2018/11発売)


by office_kmoto | 2018-12-12 05:56 | 本を思う | Comments(0)

ロベール・メルル 著 松村 剛 訳『死はわが職業』

d0331556_06394936.jpg
 この本の主人公はルドルフ・ランクという。そのモデルは元アウシュヴィッツ収容所所長のルドルフ・ヘスである。
 実は私はアウシュヴィッツ収容所の所長がルドルフ・ヘスとナチスの副総統が同一人物と勘違いしていた。日本語では同姓同名に聞こえるが綴りが違う。アウシュヴィッツ収容所所長のルドルフ・ヘスはRudolf Hoessでナチの副総統のヘスはRudolf Hessだそうだ。
 さてアウシュヴィッツ収容所所長のルドルフ・ヘスをモデルにしたこの小説は、まず主人公のルドルフ・ランクの幼年期を描く。物語はほぼルドルフ・ランクのモノローグで進む。
 ここでわざわざルドルフ・ランクの幼少期を描くのは、彼がホロコーストの当事者となっていくその精神形成過程をたどるためかと思われる。特に彼の父親の存在を抜きにしては語れないからだ。
 父親は狂信的なカトリックの司祭で、しかも病的なほどファナティックなところがあり、家族に盲目的な従順さを求める。毎日夕食後罪を犯したかどうか家族に求めるのであった。特にルドルフは父の後司祭になるべく、厳しい教育を受けていた。
 一方ルドルフも従順であることを信条としているところがあって、それが彼の病的性格からより一層重きを置くところがあった。これは後に裁判で問われるときに、命令であり、それに従うしかなかったと答えるところにつながる。
 ある日彼は学校の友人と言い争いになり、転倒させてしまい、足の骨を折る怪我をさせてしまう。毎日父親から一日の罪を犯したどうか問われる彼としては、このことを父親に知られると大変なことになる。ルドルフは学校にいる神父に会い、懺悔し告解を得ようとした。それで罪を許してもらおうとしたのであった。しかしそれが父親にばれてしまう。激昂する父親の姿、さらに神父より密告された事実。この時ルドルフは信仰を失った。
 その後父親は死に、ルドルフは戦争に行きたい、と考えるようになる。まだ軍に入隊するには適齢ではなかったが、ルドルフは強引に兵士の乗る列車に乗り込んだ。
 第一次世界大戦後、ルドルフはナチに入党する。

 「自分の教会の名はドイツです」

 ――ハイル・ヒトラー!
 その声は、私の胸に力強く響いた。深いやすらぎの感情をおぼえた。私の道はここにあった。それは私のまえに、まっすぐ、明るく拡がっている。人生の一瞬一瞬にはいつも義務が、私を待っているのだ。

 私が過去において政治的信条に熱心であればあるほど、未来においても忠実でなければならない。抜け出す道はもうないのだ。

 その後ヒムラーに認められ親衛隊に加わった。
 ここからがアウシュヴィッツでの生活となる。

 ――党は目下ドイツの各地で集中収容所を作りつつある。その目的は犯罪者を労働によって再生させることなのだ。この収容所には国家社会主義国の敵たちも、彼らをその同胞の怒りから守ってやるためにとじこめてやらねばならん。その場合にも目的は、何よりも教育的なものである。単純な、行動的な、規律正しい生活の美徳によって、彼らの精神をたたきなおし、きたえなおすことが大切なのだ。
 ――きみに提案したいのだが。と彼はつづけた。手はじめにダッハウの集中収容所の管理を任されてみないかね。地位にふさわしい待遇と、いろいろな手当が与えられる。他に住居と暖房と、食事がつく。家族をつれて行きたまえ。
 彼は言葉をきった。
 ――真のドイツ的家庭生活はKL(収容所)の支配的地位にあるすべてのSSにとって、道徳的堅固さの貴重な要素だと私は思う。

 ――総司令の考えだと、ぼくが党にいちばん役にたつのは、KLの中でなんだそうだ。
 ――KL?
 ――集中収容所さ。
 ――どうしてそう思われたの?
 ――刑務所に五年間いたからさ。

 (1940年の春に行われたヒトラーの国会での)演説の三日後、私は親衛隊総司令から命令をうけ、ポーランドに行って元ポーランド砲兵隊の兵舎を集中キャンプに模様替えすることになった。この新しいKLは、すぐそばの町の名をとって、アウシュヴィッツと呼ばれるはずだった。

 ポーランドの兵営には毒虫が跳梁していた。私の最初の仕事はこいつらを片付けることである。ハンブルクのヴェールル=フリッシェル殺虫剤工場が薬を送ってくれた。かなりの分量の毒ガスで、結晶の粒になっている。取扱いが非常に危険なので、二人の技師が派遣されてきた。彼らは充分な注意をはらいながら殺虫作業に従事した。

 この殺虫剤があとで、重大な局面を演出することになる。
 とにかくアウシュヴィッツには厖大なユダヤ人らが次から次へと送られて来る。強制労働不適格者を処理しなければならない。最初はトラックの排気ガスをパイプを使って送り込み一酸化中毒死させていたが、この方法では手間と時間がかかる。それに処理能力に限界があった。上層部からはもっと効率良く処理すべし、と命令が下る。

 私は収容所査察官ゲールツ中将がくるという公式の報せをうけ、このためKL内の各部分を大掃除させた。査閲の前夜は、長時間にわたって下検分を行ったが、ある小さな部屋を通りかかると、そこに沢山の丸い容が積み重ねられてあり、レッテルに「毒ガス」、その上に「チクロン・B」と書いてあるのが見つかった。一年前にポーランド砲兵隊の兵舎から毒虫を駆除するため、ハンブルクのヴェールル=フリッシェル商会から送ってもらったものの残りである。容量は一つが一キロ。密封してあって、開けると緑の結晶がはいっており、空気中の酸素に触れてすぐガスを発したことを思いだした。ヴェールル=フリッシェル商会は二人の技師を添えてくれ、技師たちはガスマスクをかぶり、十全の準備をして、容器を開いたものである。そのことから、このガスが毒虫に対してと同様、人間にも、きわめて危険であることがわかった。
 私はさっそく、その性能をためしてみることにした。ビルケナウの二つの仮施設の壁に、適当な大きさの穴を開けさせ、外に弁を取りつけた。二百人の労働不適当者を部屋に集め、この開閉孔から「チクロン・B」の容器の中身を注入させる。たちまち叫喚がおこり、戸や壁にぶつかる激しい物音がした。それから、叫びは弱まり、物音も静まって、五分後には、完全な沈黙があたりを支配した。私はSSたちにガスマスクをつけさせ、ぜんぶの窓を開け放して、空気を入れ換えるよう命じた。数分待ってから、先頭に立って室内に乗りこんでみた。死はその作業を終っていた。
 実験の結果は、私の希望を超えたものだった。二百人の不適格者を十分で片づけるのに、「チクロン・B」の一キロ入りが一つあれば充分なのである。時間の節約は大変なものだった。

 こうして大量殺人がここで行われるが、今度は死体の処理の仕方が問題となる。最初は遺体を埋葬していたが、埋葬する穴を掘るのに時間がかかるし、その場所もどんどんなくなっていく。

 ――大問題は、実際には、ガス処理ではありません。埋葬です。埋葬の速度よりもガス処理のピッチあげることはできませんし、埋葬には時間がかかるのです。

 殺すのは何でもありません。時間をとるのは埋めることなのです。

 そこで次にとられた方法が、やはり穴を掘って、遺体をそこで焼却するという手段であった。ひどいのは多くの遺体が焼却されると、人の脂が流れ出す。さらに焼却能力をあげるために、その脂を遺体に掛けたのだった。
 この遺体の野外の焼却は、収容所内だけでなく周辺にも強烈な悪臭が漂った。

 ドイツは敗戦国となる。当然ナチ狩りが行われるのだがルドルフ・ヘスの上司であるヒムラーが逮捕寸前に自殺した。それを知ったルドルフ・ランクは、また己の人生において裏切りにあったことを悟のであった。

 ――彼は、ぼくを裏切った。
 ――総司令だぞ、とゲオルクが言った
 ゲオルクが非難に燃える目で私をにらんでいる。私は叫んだ。
 ――おまえにはわからないんだ。今ではわれわれをおきざりして、非難のまっただ中におきざりにして、行ってしまった。

 この人物は幼少の頃から従うことを教えられ、軍に入っても上官の命令は絶対であったから、それに従うことで安心感を得ていたところがある。だから従順であるが故に、裏切られるとその反動がひどく、それまでの人生を時に否定し、時に大きく転換してしまうところがあるが、結局己の生き方の基本に戻るしかない。それをよく見ることが出来るのが、彼が1946年3月14日に逮捕された後、取り調べを受ける時の模様、あるいは裁判での検事の追及での受け答えである。まずは取り調べ時のやりとりを書き出してみる。

 ――弁解の必要はないんですよ。私は命令に従ったのです。

 ――ああいうことをやれたということを、あなたはどう説明なさるのですか?

 ――私は組織力が買われて、選ばれたのです。

 ――あなたは今でも確信を持っておられるんですか、ユダヤ人を絶滅することが必要だと?
 ――いいえ、もうそれほど確信を持ってはおりません。
 ――なぜです?
 ――ヒムラーが自殺しましたから。

 
 ――自殺したということは、彼が真の将ではなかったという証明なのです。真の将でなかったとすれば、ユダヤ人の絶滅の必要を私に説き、指令を出したときも、嘘をついていたということが考えられます。
 ――つまり、もう一度やり直せと言われても、あなたはしないわけですね?
 ――いや、するでしょう。もしその命令が出たら。

 ――良心にそむいて、あなたは行動するんですね!

 ――失礼ですが、あなたは私の考え方を理解できないらしい。私は自分の考えなどにかかわっているんではありません。私は義務は命令に従うことです。

 ――とんでもない。そんな怖ろしい命令に!……どうしてそんなことができるのです?まるで化物だ……あの子供たち、あの女たちを……あなたは何も感じないのですか?

 ――そんな質問を、みんな年中しますよ。
 ――それで?いつもどうお答えするのですか?
 ――説明しにくいですね。始めのうちはつらい思いました。それから少しずつ、感覚がなくなってきました。これは必要だったと思いますよ。でなければ、つづけられなかったでしょうからね。ご存じですか、私はユダヤ人たちを単位という言葉で考えていました。人間というふうには決して考えませんでしたよ。私は仕事の技術的側面に専心したのです。
 私はつけ加えた。
 ――町に爆弾を落す飛行士と、似たようなものですよ。

 ――じゃ、あなたは、後悔を感じていないのですね?
 私ははっきり言った。
 ――後悔する必要はありません。絶滅はたぶんあやまりだったのでしょう。しかし命令したのは私ではありませんから。

 ニューレンベルグ裁判でも、

 検事が叫んだ。「きみは三百五十万人を殺したのだ!」私は許可を求めて言った。「失礼ですが、私は二百五十万人しか殺していません」

 検事はルドルフ・ランクが毒ガスを探しにデッサウにトラック隊を派遣したことを訊く場面では、

 ――デッサウにトラックを派遣したことに、きみはなぜ、そんなに熱心だったのかね?
 ――ガスの貯備量が低下しはじめれば、全力をあげて新しいストックを入手しようとするのは、当然のつとめです。
 ――要するに、と検事は言った。きみにとって、パンと牛乳のたくわえと同様なことなのだな。

 ――そのためにあそこにいたのです。
 ――つまりきみは、と検事は勝ち誇って叫んだ。きみはそのためにあそこにいた。できるだけ大量のガスを集め、できるだけ大量の人間を絶滅するために。
 ――命令でした。

 ――命令の実行には情熱を感じましたし、先頭に立ちました。だがその命令をこちらから誘い出すようなことは、何もしてはいません。
 ――この恐ろしい役目からまぬがれようとして、何かしたことはあるのか?
 ――前線への出動を請願しました、総司令からユダヤ人絶滅の仕事を託されるまえでしたが。
 ――それから後は?
 ――あとは問題は起こりませんでした。自分でも諦めたように思います。
 ――そうすると、この役目が好きだったのだな。

 ――とんでもない、決して好きではありませんでした。

 ――じゃ、言ってみたまえ。どう思っていたのだ?こういう仕事を、きみはどう考えていた?

 ――退屈な仕事でした。

 おそらく何を訊いても、いくら非人道的行為をあげても、すべて「命令でした」としか答えは返ってこなかったろう。
 開高健さんにナチの幹部であったアイヒマンの裁判の傍聴記がある。アイヒマンも何を訊いても「命令でした」としか答えない。いつも同じ答えであった。そのうち開高さんは眠くなって寝てしまったことを告白する。人類史上最大の虐殺首謀者の一人である裁判でいねむりしてしまうことに自ら驚いてしまうが、何を訊いても「命令でした」としか答えが返ってこなければ眠たくなるのも当然であるかもしれない。
 命令が絶対である以上「命令でした」という文句は自分のした行為を正当化できる。便利な言葉である。そしていざとなれば間違いは自分にあるのではなく、命令を出した人物、従えと教えた人物にあるという逃げ道を作ることもできる。
 ただルドルフ・ランクは逃げられなかった。一時は否定しても、また誰かの命令や指示に従うしか生きられないからだ。だから取り調べや裁判では正直に自分の気持ちを言うしかなかった。それがあまりにも正直であるが故に、逆に驚き、恐ろしくなってしまう。

ロベール・メルル 著 松村 剛 訳『死はわが職業』 講談社(1971/11発売)


by office_kmoto | 2018-12-09 07:03 | 本を思う | Comments(0)

川本 三郎 著 『雑踏の社会学』

d0331556_12365445.jpg
 まず最初にこの本の書名の「路地」について川本さんは次のように言う。

 雑踏は人を疲れさせはしない。むしろ人通りの少ない、雑踏のない町のほうが人を疲れさせるのだ。(雑踏のなかにこそ神がいる)

 雑踏は町を動的空間に変える。無機質な町並みに“人だまり”とも呼ぶべき有機物の固まりが自然発生的に出来てはじめて町は生命を吹き込まれる。計画され、秩序だてられた町が雑踏の発生によってイレギュラーな空間に変容する。“人だまり”によって町は陰翳を帯びる。暗がりが生れ、悪場所がはびこり、秘密のあえかな匂いがしてくる。夕暮れの雑踏のなかで匿名になってはじめて平凡な小市民が奇怪珍妙な欲望人間に変ることができる。ゲリラも犯罪も雑踏をこそ、“人民の海”としてアンダーグラウンドへ逃走することができる。そして都市は雑踏をその内臓にのみこんだ夕暮れどきにもっとアナーキーな美しさを見せる。(雑踏のなかにこそ神がいる)

 町はそこに人が集まって、滞留することで町の魅力となる。そして町は人が集まることでどんどん増殖していく。雑踏はこうした人だまりが作り出すものである。
 今回川本さんは下町ではなく大都会を歩くのだが、それでも「路地裏志向」なので、大都会を歩いても、一歩奥に入った路地裏を目指してしまう。

 都会のよさはまだ歩く楽しみが残っていることではないかと思う。ニューヨークがロサンゼルスに比べてあれだけ多くの人に愛されている理由のひとつは車の町ロサンゼルスに比べてニューヨークは人間の足の町だからだろう。

 (略)

 東京もニューヨークに似て歩ける都市である。(東京は歩くのが楽しい)

 今回東京の地下を縦横無尽に走る地下鉄が町の新しい魅力を引き出すことを書いている。たとえば銀座である。銀座はいくつもの地下鉄が走っている。しかしその出口によって町の顔が違うことを書く。

 地下鉄の銀座駅から階段をかけあがると、ひとはもう“町を歩く”ことができる。ちなみに銀座の地下にはいま銀座線、日比谷線、丸ノ内線、有楽町線、都営浅草線の五つの地下鉄が走り、その出入口を総計すると五十にもなるという。そのために人の流れがいい意味で拡散する。“穴”によって銀座の風景がガラリと変わってくるのも面白い。たとえば私の家から銀座に出るには丸ノ内線からと銀座線からの二通り可能だが、同じ銀座でも銀座線の“穴”は四丁目の交差点に出るのに、丸ノ内線の“穴”のほうは帝国ホテルわきのガード下とか、東映の映画館のわきとか、思いもかけないところとつながっている。“穴”は銀座の風景を多様化してくれる。地下鉄有楽町線の銀座一丁目駅の“穴”など“ここが銀座?”と驚いてしまうようなさびれた裏通りにつながっていたりする。地下鉄の五十個の出入口は新しい銀座の魅力のひとつである。(歩ける町)

 確かにこの通りである。最近は銀座に出ることがなくなってしまったが、銀座線で出る銀座と丸ノ内線で出る銀座は、同じ銀座でも町の顔が違う。丸ノ内線などそこへ出て、へえ~、こんなところに出るんだと驚いたものだ。

 地下鉄の開通によっていたるところで、思いもかけない土地が直結し、そのことで都市の読み変えが起ってくる。
 東京という都市は、いまや“まーるい、みどりの山手線、まんなか通るは中央線”といった、国鉄中心の地理学から、地下鉄中心の地理学へと変えていかなければ、その変貌ぶりをとらえることが出来ないのではあるまいか。

 (略)

 地下鉄の一本の開通は、さまざまな都市の読み変えを可能にする。

 (略)

 地下鉄は、通勤・通学のラッシュを緩和するだけでなくあきらかに東京という過密都市を活性化・流動化する。思いもかけなかった“点”と“点”が地下鉄という一本の“線”によって結びつく。それによって都市の距離感、生活空間が変わる。都市の顔が変わる。(地下鉄が変えた東京の「点と点」)

 狭い東京が急に、流動性の高い都市に見えてくる。建築家のあいだでは、かつて高度成長期の頃は“花形”だった都市計画が、いまや完全に死後になっているという。なにもないところに“ユメ”を咲かそうとする都市計画はいまの東京にはそぐわない。むしろ、すでにある生活空間をどう配置しなおすか、どう読み変えていくか、という流動性の喚起のほうが重要なのである。創造よりむしろいまあるものの組み替えによって都市を再生させていこうとする。創造よりむしろ流通のほうが重要なのである。(地下鉄が変えた東京の「点と点」)

 地下鉄は点と点がつながることで、それまで交通の不便な町が行き来がしやすくなり、新しい駅がそれまでそれほど知られなかった町の隠れた魅力を見出すことにもなる。そのことで既存の町が新たな顔を見出し、強いては東京の魅力を追加させる。
 地下鉄の開通は既存の都市の再生を促す。それは新たに町を作らなくても、東京の魅力を既存の町をつなげることで見出すことで可能になることを教えてくれる。むやみやたらな都市計画や、再開発でそれまであった古い町並みを壊すよりも、それを活かすことが出来る。都市の「読み変え」が出来るとはうまく言ったものだ。
 川本さんはたびたび古本屋を歩いている。その古本屋の魅力の一つを次のように言っているのが、魅力的だったので書き出しておく。

 古本屋の魅力はこの「生命が延びるような気がする」ことだろう。新刊本屋だと“走れ、急げ、仕事をしろ”とせきたてられるのに古本屋だと“のんびりしていいんだよ”と教えられるのだ。(東京は歩くのが楽しい)

川本 三郎 著 『雑踏の社会学』 筑摩書房(1987/06発売) ちくま文庫


by office_kmoto | 2018-12-06 12:40 | 本を思う | Comments(0)

言葉拾い、残夢整理、あれこれ


by office_kmoto
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る